敗戦の約1ヵ月後。昭和20年9月27日、昭和天皇はGHQのマッカーサー元帥を訪問しました。場所は東京都港区にある現在のアメリカ大使館。その時、天皇は45歳でした。
「マッカーサー回想録」によると、昭和天皇は「国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたずねした」と述べたといいます。
わが国の外務省は、この会見から57年たった平成14年10月17日、会見の公式記録を公開しました。そこには天皇が直接「戦争責任」に触れた部分はありませんでした。しかし、そのことをもって、天皇が責任を負うと言わなかったと見るのは、早計です。外務省側が連合国による裁判を想定して、あえて記録に残さなかった可能性があるからです。
マッカーサーとの会見は、昭和天皇自らの意思によるものでした。当初、天皇が自分を訪問希望だと聞いたとき、マッカーサーは非常に厳しい顔をしたといいます。どうせ命乞いか亡命の嘆願に来るのだろう、と。それが敗戦国の元首の常だからです。
それゆえマッカーサーは最初、昭和天皇をぞんざいに迎えました。しかし、30分後には、自ら天皇を丁重に送っているマッカーサーがいました。その姿は、周りにもわかるほど感動していたといいます。通訳をしたファウビオン・バワーズは、次のような手記を、読売新聞に寄せています。
「我々が玄関ホールに戻った時、元帥ははた目で見てもわかるほど感動していた。私は、彼が怒り以外の感情を外に出したのを見たことがなかった。その彼が、今ほとんど劇的ともいえる様子で感動していた。……ついこの間まで『日本人の罪をどんなに処罰してやろうか』とばかり話していた人物なのに。天皇陛下が戦争犯罪人たちの身代わりになると申し出られたことに驚いたと、元帥は後に私に語った。『戦争は私の名前で行われた。私には責任がある』と陛下は説明されたというのだ。元帥はそのような考えを受け入れようとは思わなかったろう。天皇の存在なしでは占領は失敗するのだ」
昭和天皇はこの会見の内容について、一言も語りませんでした。それが元帥との約束だったのです。ところが、天皇の態度に感動したマッカーサーが、会見の様子を、来訪する日本人に語ったことにより、わが国に知られるようになりました。そして、マッカーサーは、昭和天皇との会見のことを自ら『回想録』に記しています。
「私は大きい感動に揺すぶられた。死を伴うほどの責任、しかも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきでない戦争責任を引き受けようとするこの勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じ取ったのである」
会見後、マッカーサーが「はた目で見てもわかるほど感動していた」とバワーズが、伝えているとおり、彼は「大きい感動に揺すぶられた」のです。
昭和天皇は、食糧不足のため餓えに苦しむ国民を思い、自分の身を投げ出して、国民を餓死から救いたいと願ったのです。その姿勢が、マッカーサーを感動させたのです。
当時、アメリカでは、天皇の裁判や処刑を求める意見が高まっていました。これを受けて上院は「天皇を戦争犯罪人として裁判にかけることをアメリカ合衆国の政策とする」ことを全員一致で決議しました。しかし、マッカーサーは、昭和天皇に直接会って以来、天皇に対する考えが一変していました。また、彼のもとには、天皇の助命を願う日本国民から、千通を超える直訴状が送られてきていました。国民は天皇を恨んでいるどころではありません。自分の命に代えても、天皇を助けて欲しいと懇願する国民が多数いるのです。天皇の存在の重大さを痛感したマッカーサーは、昭和21年1月25日、ワシントンに電報を送りました。
「…天皇告発は日本人に大きな衝撃を与え、その効果は測り知れないものがある。天皇は日本国民統合の象徴であり、彼を破壊すれば日本国は瓦解するであろう。事実すべての日本人は天皇を国家元首として崇拝しており、正否は別としてポツダム宣言は天皇を存続させることを企図していると信じている。だからもし連合国が天皇を裁けば日本人はこの行為を史上最大の裏切りと受け取り、長期間、連合国に対して、怒りと憎悪を抱き続けるだろう。その結果、数世紀にわたる相互復讐の連鎖反応が起こるであろう…」
この電報が、米国政府の決定を覆しました。アメリカは、天皇の存在と地位を保つ方向に急転回したのです。
東洋には「身を殺して仁をなす」という言葉があります。仁とは愛の形です。仁愛は、親が自分はどうなっても、と自己犠牲的な行為によって、子供を救おうとする。そこに極まるでしょう。昭和天皇は「民の父母」として、まさに身を捨てて「仁」をなしたと言えましょう。
昭和天皇のこうした姿勢がマッカーサーの心を動かし、それによって日本の国民は救われ、日本という国もまた守られたのです。(次回に続く)
「マッカーサー回想録」によると、昭和天皇は「国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたずねした」と述べたといいます。
わが国の外務省は、この会見から57年たった平成14年10月17日、会見の公式記録を公開しました。そこには天皇が直接「戦争責任」に触れた部分はありませんでした。しかし、そのことをもって、天皇が責任を負うと言わなかったと見るのは、早計です。外務省側が連合国による裁判を想定して、あえて記録に残さなかった可能性があるからです。
マッカーサーとの会見は、昭和天皇自らの意思によるものでした。当初、天皇が自分を訪問希望だと聞いたとき、マッカーサーは非常に厳しい顔をしたといいます。どうせ命乞いか亡命の嘆願に来るのだろう、と。それが敗戦国の元首の常だからです。
それゆえマッカーサーは最初、昭和天皇をぞんざいに迎えました。しかし、30分後には、自ら天皇を丁重に送っているマッカーサーがいました。その姿は、周りにもわかるほど感動していたといいます。通訳をしたファウビオン・バワーズは、次のような手記を、読売新聞に寄せています。
「我々が玄関ホールに戻った時、元帥ははた目で見てもわかるほど感動していた。私は、彼が怒り以外の感情を外に出したのを見たことがなかった。その彼が、今ほとんど劇的ともいえる様子で感動していた。……ついこの間まで『日本人の罪をどんなに処罰してやろうか』とばかり話していた人物なのに。天皇陛下が戦争犯罪人たちの身代わりになると申し出られたことに驚いたと、元帥は後に私に語った。『戦争は私の名前で行われた。私には責任がある』と陛下は説明されたというのだ。元帥はそのような考えを受け入れようとは思わなかったろう。天皇の存在なしでは占領は失敗するのだ」
昭和天皇はこの会見の内容について、一言も語りませんでした。それが元帥との約束だったのです。ところが、天皇の態度に感動したマッカーサーが、会見の様子を、来訪する日本人に語ったことにより、わが国に知られるようになりました。そして、マッカーサーは、昭和天皇との会見のことを自ら『回想録』に記しています。
「私は大きい感動に揺すぶられた。死を伴うほどの責任、しかも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきでない戦争責任を引き受けようとするこの勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じ取ったのである」
会見後、マッカーサーが「はた目で見てもわかるほど感動していた」とバワーズが、伝えているとおり、彼は「大きい感動に揺すぶられた」のです。
昭和天皇は、食糧不足のため餓えに苦しむ国民を思い、自分の身を投げ出して、国民を餓死から救いたいと願ったのです。その姿勢が、マッカーサーを感動させたのです。
当時、アメリカでは、天皇の裁判や処刑を求める意見が高まっていました。これを受けて上院は「天皇を戦争犯罪人として裁判にかけることをアメリカ合衆国の政策とする」ことを全員一致で決議しました。しかし、マッカーサーは、昭和天皇に直接会って以来、天皇に対する考えが一変していました。また、彼のもとには、天皇の助命を願う日本国民から、千通を超える直訴状が送られてきていました。国民は天皇を恨んでいるどころではありません。自分の命に代えても、天皇を助けて欲しいと懇願する国民が多数いるのです。天皇の存在の重大さを痛感したマッカーサーは、昭和21年1月25日、ワシントンに電報を送りました。
「…天皇告発は日本人に大きな衝撃を与え、その効果は測り知れないものがある。天皇は日本国民統合の象徴であり、彼を破壊すれば日本国は瓦解するであろう。事実すべての日本人は天皇を国家元首として崇拝しており、正否は別としてポツダム宣言は天皇を存続させることを企図していると信じている。だからもし連合国が天皇を裁けば日本人はこの行為を史上最大の裏切りと受け取り、長期間、連合国に対して、怒りと憎悪を抱き続けるだろう。その結果、数世紀にわたる相互復讐の連鎖反応が起こるであろう…」
この電報が、米国政府の決定を覆しました。アメリカは、天皇の存在と地位を保つ方向に急転回したのです。
東洋には「身を殺して仁をなす」という言葉があります。仁とは愛の形です。仁愛は、親が自分はどうなっても、と自己犠牲的な行為によって、子供を救おうとする。そこに極まるでしょう。昭和天皇は「民の父母」として、まさに身を捨てて「仁」をなしたと言えましょう。
昭和天皇のこうした姿勢がマッカーサーの心を動かし、それによって日本の国民は救われ、日本という国もまた守られたのです。(次回に続く)
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