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ガイナーレ鳥取について23 【J特】

2012-10-28 00:09:38 | サッカー(Jリーグ(J1・J2)・国内)

 事例紹介コラムです。
 お待たせしました。J2鳥取の塚野社長特集です。鳥取(山雅?)サポのH松氏から教えてもらった「スポルティバ」ページの「元Jリーガー社長が描く未来図」というタイトルの記事で、一昨年の秋の記事と思われます。途中で「参りました」と口にしました。すっかり塚野社長のファンになりました。まずは、前編経営編です。以下、記事を抜粋して紹介。
         
 塚野社長は米子出身、早稲田大卒業後、本田FC、J1神戸、東京ガスでプレーした後に、地元のSC鳥取に戻り、2003~2004年に監督、2005年にGMを務め、2007年にクラブの社長に就任。親企業のない独立した地方クラブで地域リーグからJ2まで牽引した人物では史上初。この成功例はJリーガーのセカンドキャリアの一つのモデルケースになるかも。地元マスコミが口にする社長像は「哲学者」。
 職安から青果市場に就職。そのうちに小さなフットサル場を立ち上げてサッカー教室をスタート。青果市場に務めて1年半後に、「夢を追いたいので」と退職を願い出ると、社長が協力してくれる経済界の人を紹介。1面のみのフットサル場は、1年で会員が130人に。支援者がNPO法人適用を助言。事業はするが、利益はまたその事業に使う。内部分配せずに目的に使っていく事と理解。そうしてできたのが「NPO法人 やまつみスポーツクラブ」。教員選手が中心だったSC鳥取で現役としてもプレー。当時は中国リーグと県リーグを行ったり来たりするようなチーム。

 中国リーグ優勝後、地域リーグ決勝大会に出場し、JFL昇格を決める。これまで運営資金が年間200万円だったのが、25倍の5千万円に跳ね上がる事になり、手分けして金策に走り、地元経済界の助言で、やまつみSCのシンボルチームの扱いで話をしていく。JFL1年目からやまつみSCがSC鳥取のマネジメントを受託する形になり、塚野社長は当時、NPO法人の専従職員で給料をもらい、SC鳥取はアマチュア選手として活動。地域住民とともに始めたNPO活動と現場のSC鳥取の活動が合体。

 JFL5年目の2005年に初めてJリーグ入りを意識。シンボルクラブはプロでなくてもいい、地元に根差したスポーツクラブなので、プロでなくてもチームとして良ければみんなを惹きつけるとそれまで思っていた。プロ化するまで6シーズン、トータルで赤字。総額は600万円。2005年にJリーグが拡大方針になり、すでにとりスタ(バードスタジアム)というハードはあるし、JFLでの実績はあるが、塚野社長は当初は反対。結局、県の号令でJリーグ入りを決意。当時は、地元の財界人等が社長に就任し、株主募ってスタートすべきで、自分はまずS級取りたいと言っていたら、湘南ベルマーレから来ないかと話があり、3年の約束で湘南に出向し、ユースコーチに就任。

 2006年に社長を決めて会社を立ち上げる事になったが、「鳥取県にJリーグができる訳ない」と、第三者で引き受ける人が現れない。会社のプロ化で現場はモチベーションが上がったが、チームは負けが込むようになり、天皇杯で0-5で高知大に敗退。選手はあきらめたという危機感を湘南で感じて、3年の約束だったが、「家の事情で」と鳥取に戻って、社長に就任。
 2006年暮れに、個人が19名で50万円ずつの出資で950万円の資本金で法人化。1年目は1億かかり、2008年に2億円の債務超過の問題が浮上したが、手厚い資産・資本でスタートするクラブとは違うので、言葉が一人歩きしている印象を持つ。Jリーグ入会基準の変更もあり、加入できず。自助努力で、地域のつながりで市民に券購入を訴えたら3千万集まった。企業の出資で2千万円集まり、振興基金で4千万で合計9千万円集まる。
 
 持株会は現在(2010年)で190人。1人20万円で合計3,500万円。株主のメリットはクラブが存続する可能性が大きくなる事。途中からメリットを考えて株主になりたい人が出てきて募集停止。そういう事じゃないと。銀行からの借り入れは、「こないだ(2010年)やっと」借入。今までは銀行ではなく、個人株主に信用で借り入れていた。根性あるから続けて行けば、いつかどこかに届くだろうという信用で。1人50万円で30人になると1,500万円、電話一本でそれを1日で借りたとか。それを返済すると、そのお金をいつでも貸せるようにタンス預金される。キチンと活動して、スポーツが持っている力を正しく理解してもらえたら、先行きを怪しむ人はいないと。

 持ち株会は情報開示どころか、マスコミにガンガン聞かれるので、資料を用意すると、出資を県と市の議会に承認された。県と市の出資合計が5,400万円あるが、行政首長の意向で集めた資金は一つもなく、全部塚野社長が回っているそうです。官との距離はちゃんと置いている。行政よりまずはスポーツ好きの人という事で時間をかけて、コツコツやってきた。
                 
 「陰陽ダービー」の命名の時に、「木村社長と並んで映っていたのが鳥取の社長さんか」「『東中国ダービー』とかの名前の方が良かったのではないか」「元選手の社長さんか、余り人材がいなかったのかな」という印象しか持っていませんでした。ところがこのコラムを読んで、思いが180度ひっくり返りました。「元選手」という重要性がよくわかりました。失礼な事を思っていて、ごめんなさいと反省しました。
 木村社長は、NPO法人が活動をある程度できていたところから登場されましたが、塚野社長は、青果市場で働きながら一からフットサル場一面からスタートしているのです。やまつみSCも「元々行政が運営していたNPOで、それをSC鳥取と合体させたのかな」「公園遊びも教育委員会がやっていたものを拡大活用したのか」と思っていましたが、実は塚野社長さんが始めて、ご自分でNPO法人を一から作っていかれたものです。
 元々80年代からあったSC鳥取と合流した形になりますが、塚野社長が作り上げた、やまつみSCのシンボルチームとして現在に至ります。なので、地域と近く、商業主義は余り感じられませんね。

 そしてもう一つ、竹鼻前GMが湘南の元社員と聞いていて、当初よりJ2湘南との近さを感じていましたが、実質最初は塚野社長が湘南に出向で行かれており、そこから鳥取と湘南のつながりがスタートしていたのです。それが、当ブログで中四国№1と評価する地域・社会貢献性が生み出したのです。竹鼻GMがもたらした、湘南スタイルのスポーツ文化が鳥取の地に素晴らしい世界を広げています。
 「でも、鳥取さんは降格圏に近い低い順位じゃないか」「観客動員数が少ないじゃないか」という声が聞こえそうですが、このコラムを見ると、今までもそうですが、決して急いで上を目指さず、絶えず身の丈を考えながら運営してきた事がわかります。地域に根が張れていない状態で、J1を目指す事よりも、J2ライセンスでいい、じっくり根を張って行こうという鳥取さんの思いに非常に共感を覚えます。これからも頑張って欲しいですね。あさっての後編社会貢献編に続く。この前編部分でも小声で「参りました」と言いましたが、後編でもう1回はっきり言ってしまいました(苦笑)。

 後で気づいた事ですが、塚野社長さんは2011年までSC鳥取ドリームスの現役の選手だったのですね。それもスゴイ・・・ 当ブログでは、Jリーグで尊敬するクラブ社長は、J2湘南の眞壁社長さんでしたが、こちらの塚野社長さんもリストに加わりました。それほど目立つ存在でないですが、いい社長さん、いいクラブですね。叩き上げで一からJクラブを作った社長が経営する、選手が年間300回子どもと鬼ごっこをしているクラブ、鳥取県民がうらやましいですね。
集英社「スポルティバ」該当ページ:http://sportiva.shueisha.co.jp/sp_contents/league/clm/03/01.php
NPO法人 やまつみSC公式HP:http://www.yamatumi.org/

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