13期生の佐野です。
今日3月11日は東日本大震災からちょうど3年目を迎える日です。
改めて、震災で被害に遭われました方々のご冥福とお見舞いを心から申し上げます。
東北に生まれ、東北で育った私にとっては、この日は一生忘れることができない日です。
3年前、私は東京・有楽町でその瞬間を迎えました。
打ち合わせを中止し、当時市ヶ谷にあった会社に戻ろうと外に出たのですが、日比谷のオフィスビルからヘルメットや防災頭巾をかぶった会社員やOLが次々外に出てきて道にあふれ、座り込んで泣き叫ぶ声がそこらじゅうで響き渡り、パニック状態になっている光景に恐怖で足が震えました。
鉄道は全線運行見合わせ、携帯もネットもつながらない状態でしたので、唯一の情報源は携帯のワンセグしかなかったのですが、そこで目にした映像は東北の甚大な被害の状況です。目の前のパニック状態を遥かに凌駕する被害の状況に愕然としました。
東北には、両親や親戚はさることながら友人もたくさんいます。その人たちの安否を思いながら、皇居のお濠沿いを徒歩で市ヶ谷まで向かった記憶がまだ鮮明に残っています。結局全員の無事が確認できたのは、それから2週間後でした。それまでは、本当に心配で食事も睡眠も満足に取れなかったことも覚えています。
義理の父や姉の家族が住む福島市では、いまだに原発事故の影響を受け高い放射線量に苦しんでいます。我が家では原発事故の日からずっと新聞に掲載されている福島市の放射線量の数値を確認するのが日課となっていて、放射線量が正常値に戻る日まで家族や友人を案ずる日が続きます。
一方で、原発の再稼働に向けた動きや復興の手を止めるような動きが見られたりと、少しずつ3.11が風化してきているのではないかと不安になるような出来事に出くわすようになりました。東南海地震や首都直下型地震など、高い確率で発生が予測されている状況を考えると、風化の流れはより多くの被害を生み出す結果をもたらすことになるのではないかと心配でなりません。東北にゆかりが有る無いに関わらず、すべての日本人は日本全体の課題ととらえつつ、今後もあらゆる経済活動・社会活動に3.11の反省を反映させていく活動を続けるべきではないかと考えます。そして、絶対に風化させてはなりません。
東北人である私が今日3月11日にブログ担当となりましたのも何か縁と思いまして、このようなメッセージを伝えさせていただきました。