1941年(昭和16年)の今日、太平洋戦争が始まった。
NHK「その時歴史が動いた」より
開戦論が大勢の中、非戦論で孤軍奮闘した山本五十六が皮肉にも連合艦隊を率いて真珠湾攻撃作戦を担う事になっていく経緯が描かれていた。
支那事変以降常に政府部内に不拡大論があるにもかかわらずズルズルと戦争への道を歩み、戦争反対を唱えれば非国民とされる状況にまでなった。覇権を争う世界情勢や、軍部の台頭、戦争を煽るマスコミの世論操作、しだいに感化される国民の意識などが背景にあったらしいが全貌を知るのはなかなか難しい。
ひるがえって現在はどうだろうか。中共は核保有する北朝鮮をなかば呑み込み、なにやら日清戦争前を想起させる。沖縄(琉球)も元は中国領だったと云っているらしい。米はブッシュ政権にかげりが出て日本に対する核の傘が小さくなりつつある。火の粉は自分で払わなければならなくなっているにもかかわらず相変わらず「改憲」「核論議」すらタブー視する政党やマスコミがある。戦前とは正反対だがこれもまた極端な気がする。
歴史は繰り返すと云われる。そのまま繰り返すことのないよう為政者、マスコミにはよく分析してもらいたい。
NHK「その時歴史が動いた」より
シリーズ真珠湾への道 <前編>~山本五十六 苦渋の作戦立案~
その時: 昭和16 (1941) 年1月7日
出来事: 連合艦隊司令長官・山本五十六 (やまもと・いそろく) が真珠湾攻撃の作戦書を海軍大臣に提出
太平洋戦争の火蓋を切った真珠湾攻撃。この作戦を指揮した連合艦隊司令長官・山本五十六の生涯を描く2回シリーズ。前編は、山本が作戦を立案するまでを描く。
日本海海戦に参戦した山本は、その後“大艦巨砲主義”を掲げる海軍で、着実に出世を重ねる。しかし、アメリカの現地視察でその強大な国力を目のあたりにし、対米戦は日本を壊滅させる暴挙と確信。一転して非戦を主張、軍事強硬派に抵抗をつづける。
しかし日本は日米戦争に突入。皮肉にも、その作戦を担うことになったのが、連合艦隊率いる山本だった。
長官を辞するか、それとも軍人として職務を全うするか。葛藤の末、山本は軍人として日本を守る決意を固める。しかし、大国アメリカを相手にどのように戦えば、日本を最小限の犠牲で守れるか。模索を繰り返すなか、山本はひとつの作戦を生み出す。それは、航空隊でアメリカの軍事拠点・真珠湾を撃破するというものだった。
巨大戦艦の戦いが主流だった当時、航空機による敵地攻撃など前代未聞。それでも山本は、緒戦で敵に大打撃を与え、戦争を短期終結させることしか日本が生き残る道はないと考え、真珠湾作戦にすべてを賭ける。
(※視聴者の皆さまの反響にお応えし、アンコール放送。初回放送は、平成17年11月30日)
開戦論が大勢の中、非戦論で孤軍奮闘した山本五十六が皮肉にも連合艦隊を率いて真珠湾攻撃作戦を担う事になっていく経緯が描かれていた。
支那事変以降常に政府部内に不拡大論があるにもかかわらずズルズルと戦争への道を歩み、戦争反対を唱えれば非国民とされる状況にまでなった。覇権を争う世界情勢や、軍部の台頭、戦争を煽るマスコミの世論操作、しだいに感化される国民の意識などが背景にあったらしいが全貌を知るのはなかなか難しい。
ひるがえって現在はどうだろうか。中共は核保有する北朝鮮をなかば呑み込み、なにやら日清戦争前を想起させる。沖縄(琉球)も元は中国領だったと云っているらしい。米はブッシュ政権にかげりが出て日本に対する核の傘が小さくなりつつある。火の粉は自分で払わなければならなくなっているにもかかわらず相変わらず「改憲」「核論議」すらタブー視する政党やマスコミがある。戦前とは正反対だがこれもまた極端な気がする。
歴史は繰り返すと云われる。そのまま繰り返すことのないよう為政者、マスコミにはよく分析してもらいたい。
彼が乗っていた海軍一式陸上攻撃機は移動の最中、南海の空(ブーゲンビル)で待ち構えていたアメリカの戦闘機に撃墜されてしまいました。
その時日本国民は惜しい人物を失い嘆き悲しみ、一層アメリカに敵愾心を燃やし「撃ちてし止まん」と国民揃って決起したものでした。
しかし今になって考えてみると、山本五十六さんもあの時、あたら生きながらえ、やがて戦争に負け敵方につかまり、戦争犯罪人としてその醜態を万人にさらけ出よりも、南海の孤島に死に場所を見出したことは、見方によっては幸せだったかもしれませんね。彼の気持ちを代弁すると「わが生涯に悔い無し」そんな気持ちではなかったでしょうか。
産経新聞「正論」で、1日から7日まで真珠湾への道・日米開戦65年という記事が連載されました。今ちょうどそれをまとめて読ませていただいたのですが、開戦にいたるまでに中止する機会がなんどもあったという論説や、いずれにしろヤムを得なかったという論説などあって興味深いものでした。前者の論説では、不謹慎かも知れませんが囲碁か将棋の一手を回顧するような、あるいは推理小説を解き明かすようなスリリングな感じもあります。
最後の上坂冬子さんの論説はしょうた様のコメントと相通ずるものがあります。
引用しますと
「≪戦時の聖なる姿≫
物資の極端に逼迫(ひっぱく)したなかで日本人は決してみじめな気持ちで暮らしていたわけではない。国家が国民を叱咤(しった)激励、あるいは鼓舞し、その一丸となった姿を聖なるものとするのが戦時体制である。
「欲しがりません勝つまでは」「撃ちてし、止まむ」と音頭をとりながら、国家も国民も、もちろん10代の私たちも精神主義が原子爆弾という近代科学に敗れるまで、勝利を夢見て神風に期待をかけていた。
それは一種の“快感”であった。・・・」
「 戦争の最大責任は時の趨勢(すうせい)だ。時の趨勢に度を超した全体主義の快感が加わったとき、抜きさしならぬ状況となって多大な犠牲者がでる。65年前の、両親の何とも名状すべからざるあの表情を思い出しながら、私はあらためて素朴な逡巡をけっ飛ばした全体主義の罪を感じている。」
と書いておられます。
しょうた様の少年時代はもう引くに引けないところまで来ていたのでしょう。
幼少の頃のガマンと言う言葉を今も思い出します。