落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

ブーメラン?

2014年06月27日 | 政治・外交
韓国で元「米軍慰安婦」122人が国に賠償求め集団提訴 政府の厳しい管理下で「人権侵害」 2014.6.25 23:56 [「慰安婦」問題]
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140625/kor14062522110006-n1.htm

 【ソウル=加藤達也】朝鮮戦争の休戦後、在韓米軍基地近くの売春街(基地村)で米兵ら相手の売春をしていた韓国人女性ら122人が25日、「米軍慰安婦」として韓国政府の厳しい管理下に置かれ、人権を侵害されたなどとして、1人当たり1千万ウォン(約100万円)の国家賠償を求める集団訴訟をソウル中央地裁に起こした。訴訟を支援する団体によると、「米軍慰安婦」による国家賠償訴訟は初めてという。

 慰安婦たちは「基地村女性」と呼ばれ、1960~80年代、韓国政府が在韓米軍維持などのために売春を奨励したほか、性病検査も強制していたとされる。
 実際、96年まで慰安婦の「性病管理所」が存在していたことが確認されており、女性団体が政府に対応を求めていた。

 この問題はこれまで国会でもたびたび取り上げられ、政府も施設の存在を認めていたが、「旧日本軍の慰安婦」ほど注目されていなかった。
 昨年11月の国会では、野党議員が朴正煕元大統領の決裁署名入りの文書記録を基に政府を追及。それによると、基地村は62カ所あり、「米軍慰安婦」は9935人いたという。
 昨年の国会質疑では、韓国政府は当時、女性らを「ドルを稼ぐ愛国者」として何度もたたえたとされている。朴元大統領が直接管理していたとする指摘もあり、今後、長女の朴槿恵大統領が野党や訴訟支援勢力から追及される可能性もある。

米軍御用達の慰安婦もあったとなれば、慰安婦像を建てた米各地の関係者も居心地悪かろう。

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あじさい、花菖蒲

2014年06月23日 | 散歩・山歩き


三田市 相野(あいの) あじさい園




三田市 永澤寺(ようたくじ) 花しょうぶ園




 山歩記 あじさい園 花菖蒲園


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河野談話検証報告書の反応

2014年06月22日 | 政治・外交
河野談話検証報告書は、隠されていた河野談話の実体をさらけ出した。

報告書では、
・今年2月に国会で河野談話について証言して談話検証のきっかけとなった当時官房副長官の石原信雄氏が、慰安婦全体への強制性認定を求める韓国側に対し、「慰安婦全体について『強制性』があったとは絶対に言えない」こう拒否した。
・河野談話は日韓間のすり合わせの結果、最終的に「募集、移送、管理等も甘言、強圧によるなど、総じて本人たちの意思に反して行われた」という表記に落ち着いた。

と云っている。
つまり、強制性がなかったにもかかわらず、韓国の意向を汲み「総じて本人たちの意思に反して行われた」という「強制性」が盛り込まれたとのことで、今までの河野談話の印象を否定するものだ。

せっかく検証報告書を公表しておきながら、政府のコメントは以下のように従来通り河野談話を継承していくと云う。菅義偉官房長官の記者会見談話は余計、検証チームを労うだけでよい。
「千年の恨み」(朴槿恵)、「未来永劫謝罪させる」(江沢民)といった金縛りで、日韓友好、日中友好などあり得ないと思うが。
河野談話検証 「談話の見直しは事実上不可能」、菅官房長官記者会見
http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/140620/plt14062021170024-n1.html

 河野談話作成過程検討チームの報告書発表を受けた菅義偉官房長官の記者会見要旨は次の通り。

 「河野談話の作成過程に関し、これまで明らかにされていなかった事実が含まれている。平成19年に閣議決定した政府答弁書を継承する政府の立場は変わらない。慰安婦問題については筆舌に尽くしがたいつらい思いをした方々の思いに非常に心が痛む。政府の立場は変わらない」 ・・・・

【主張】「河野談話」検証 やはり見直しが必要だ 国会への招致で核心ただせ
http://www.iza.ne.jp/kiji/column/news/140621/clm14062103140003-n1.html

 信憑(しんぴょう)性のない作文をまだ継承しようというのか。

 慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の「河野洋平官房長官談話」について、政府の有識者による検証結果が公表された。強制性を裏付ける証拠のないまま、韓国の修正要求を入れ作成された過程が政府の公式の検証で明らかにされた意味は重い。

 検証では、唯一の根拠とされた元慰安婦16人の聞き取り調査がまとまる前にほぼ談話がつくられ、聞き取りは事実の究明より「儀式」として行われたことが明らかにされた。事実に目をつぶり、政治決着を急いだ談話の虚構性が一層明確になり、その信頼性が、根本から崩れた。

 ≪日韓の合作を「隠蔽」も≫
 根拠のない談話により、日本の名誉は著しく傷つけられている。やはり談話は、破棄、撤回を含め見直さなければならない。
 河野談話は、業者による募集が慰安婦の意思に反して行われた事例があり、「官憲等が直接これに加担したこともあった」などと記述している。ありもしない日本の軍や警察による「強制連行」の論拠として利用されてきた。
 しかし、政府が集めた公式資料に、強制連行を裏付ける証拠はなかった。談話作成の事務方トップだった当時の官房副長官、石原信雄氏も今年2月の衆院予算委の証言で認めている。
 検証報告書には、日本政府は一連の調査で「いわゆる『強制連行』は確認できない」との認識だったことが明記された。

 また談話が原案段階から韓国側に提示され、韓国側からの修正要求で、慰安婦の募集にあたった業者について「軍の意向を受けた」を「軍の要請を受けた」に書き換えるなどした交渉経緯が詳述された。こうしたすりあわせによる日韓合作の作文であることは産経新聞の取材でも判明していた。
 事実認定に関わる部分まで韓国側の意向をうかがっていたのに、日本政府が「主体的」に談話を作成し、談話に正当性があるなどという強弁は通らない。
 検証では、談話の文言をすりあわせた経緯について日本側から「マスコミに一切出さないようにすべきであろう」と韓国側に求めるなど隠蔽(いんぺい)工作が行われていたことも明らかにされた。国民への背信行為である。

 当初から政府は、安倍晋三首相の国会答弁で、検証は進めるが、談話は「見直さない」ことを明言していた。菅義偉官房長官は20日の記者会見で「談話を見直さないという日本政府の立場に何ら変わりはない」と重ねて表明した。
 安倍政権は河野談話の見直しに意欲を示していたのではないのか。談話を見直さず継承するという結論ありきで、一体この検証も何のために行ったのか、国民は理解できない。

 元慰安婦の聞き取り調査資料を国民に早急に公開し、事実の核心の再調査が欠かせない。

 ≪謝罪外交やめ事実発信を≫
 偽りの談話の作成過程は政府内で引き継ぎがなかったことも分かっている。河野氏は談話発表の際の記者会見で強制連行の事実があったか認識を問われ、「そういう事実があった」と述べている。河野氏や韓国との折衝経緯を知る当時の内閣外政審議室長の谷野作太郎氏らを早急に国会招致し、説明責任を果たしてもらいたい。
 韓国では、検証結果公表前から激しい反発があった。発表と合わせるように、島根県の竹島沖の日本の領海を含む海域で射撃訓練を強行する暴挙にも出た。都合が悪いことに対し、力による挑発をしても日韓関係の改善や問題解決にはならない。

 河野談話は、歴史教科書など教育にも影を落としている。談話にも使われた戦後の造語である「従軍慰安婦」の記述は、一時中学教科書に一斉に登場した。その後、実証的研究をもとに「従軍」が削除され是正されてはきたが、高校教科書を中心に河野談話に基づく記述が依然ある。
 海外でも、韓国だけでなく米国など国際社会に「日本軍の性奴隷」といった誤解と曲解が広がっている。
 相手の意向を踏まえ、謝罪を重ねる外交姿勢は国益を害し、国際的にも信用されない。根拠が崩れた河野談話という負の遺産をなくし、事実を発信していかねば、過去の問題が蒸し返され、新たな謝罪要求を生むばかりだ。

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河野談話検証有識者チームの報告書

2014年06月21日 | 政治・外交
「河野談話が日韓のすり合わせによるものだった」というのは驚きだった。
そして、当時の調査でも「強制連行」は確認されなかったのに、いつのまにやら慰安婦が「(軍の)強制連行・性奴隷」となっていく恐ろしさ。
河野氏の独断が災いの種蒔く  2014.6.21 00:54 [「慰安婦」問題]
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140621/plc14062100540013-n1.htm

 河野談話を検証する有識者チームの報告書により、20年以上も国民の目から隠されてきた談話の実態が白日の下にさらされた意義は大きい。産経新聞が繰り返し報じてきたとおり、談話は歴史の厳密な事実関係よりも、強制性の認定を求める韓国側への政治的配慮に基づき、日韓両国がすり合わせて合作していた。また、当時の河野洋平官房長官が政府の共通認識を踏み外し、独断的に「強制連行」を認めてしまったことも改めて確認された。

 報告書は、政府が実施した関係省庁や米国立公文書館の文書調査、旧軍関係者や元慰安所経営者からの聞き取り、韓国の元慰安婦支援団体「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会」の慰安婦証言集の分析などを通じ、こう結論付けている。
 「(政府の)一連の調査を通じて得られた認識は、いわゆる『強制連行』は確認できないというもの」
 その上で報告書は、平成5年8月4日の談話発表時の河野氏による記者会見について、1つの章を設けてこう特記している。
 「(河野氏は)強制連行の事実があったという認識なのかと問われ、『そういう事実があったと。結構です』と述べている」

 これについて、現在の政府高官は「それまで政府は強制連行は証拠がないという一線を守っていた。それなのに、河野氏の発言で強制連行説が独り歩きすることになった。完全な失敗だ」と指摘する。実際、河野談話には「強制連行」という文言は出てこない。
地位ある政治家の単なる失言か確信犯的な放言か。いずれにせよ、不用意な発言で後世に災いの種をまいた瞬間だったといえよう。
 また報告書は、今年2月に国会で河野談話について証言して談話検証のきっかけとなった当時官房副長官の石原信雄氏が、慰安婦全体への強制性認定を求める韓国側に対し、こう拒否したことも記している。
 「慰安婦全体について『強制性』があったとは絶対に言えない」
 ところが、報告書によると河野談話は日韓間のすり合わせの結果、最終的に「募集、移送、管理等も甘言、強圧によるなど、総じて本人たちの意思に反して行われた」という表記に落ち着いた。
 この「全体」とも「おおむね」ともどちらとも解釈できる「総じて」という玉虫色の言葉は、当然のことながら韓国側では「全体」と受けとめられることになった。この間の事情も、趙(チョ)世暎(セヨン)・元韓国外務省東北アジア局長の産経新聞に対する次の証言と符合する。
 「韓国側から『こうした表現ならば大丈夫ではないか』と意思表示した」(17日付紙面で既報)
 韓国側は、日本側が河野談話の一部修正に応じなければ「韓国政府としてはポジティブに評価できない」とも通告しており、韓国ペースで最終調整が行われていたことも分かる。

また、こうしたすり合わせについて、日本側から韓国側に「マスコミに一切出さないようにすべきであろう」と申し入れ、韓国が了解したというエピソードも重要だ。河野氏をはじめ政府はその後、すり合わせの事実を繰り返し否定し、国民を欺いていたからだ。
 ただ、報告書は個々の事例や事実関係への評価は避けており、物足りなさも否めない。チームのメンバーの一人は「報告書の作成過程で、情報を提供する側の外務省は一貫して『穏便に、穏健に』という意向だった」と振り返る。
 政府の公式見解ではなく、民間の有識者チームの検証結果報告という形をとってもなお、なるべく波風を立てたくないとの配慮が働いている。日本外交の宿痾(しゅくあ)だろう。(阿比留瑠比)

政府検証全文(1~) 
2014.6.21 00:26 [河野談話 政府検証全文]
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140621/plc14062100260005-n1.htm

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サツキ(2)

2014年06月21日 | 日常・身辺
サツキも満開を過ぎ、落ち始めました。
花びらの中を近接撮影してみました。
品種によって、雌しべと雄しべが離れているのがあります。

離れているタイプ


取り囲んでいるタイプ




やえ桜の葉脈。改めて見ると美しく精巧です。



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またもやイラク戦争?

2014年06月20日 | 政治・外交
1990年、イラクのクーウェート侵攻に端を発した湾岸戦争、
2001年、あの白昼夢のような アメリカ同時多発テロ事件、
そして2003年3月、イラクが大量破壊兵器をもっているという確たる証拠もないまま、米英軍による空爆が始まった。TVゲームのようなピンポイント爆撃が報道された。同年5月大規模空爆終了。
同年7月、イラク統治評議会が発足、復興支援が始まる。以降、テロ事件、内戦が続く。
2011年駐留米軍撤退完了。(Wikipedia)

しかし、またもや大規模な内戦が勃発している。
ISIS、バクダッドの北60キロまで侵攻 イラク 2014.06.18 Wed posted at 09:19 JST
http://www.cnn.co.jp/world/35049539.html

バグダッド(CNN) イラク全土で進撃を続けるイスラム教スンニ派武装勢力「イラク・シリア・イスラム国」(ISIS)は17日、首都バグダッドの北約60キロに位置するバクバへの進撃を開始した。
ISISのバクバへの進撃は16日夜、同都市西部の警察署への大規模な攻撃から始まった。治安部隊とISISの武装勢力が激しく衝突し、当局によると、少なくとも治安部隊の隊員1人、武装勢力のメンバー9人、囚人44人が死亡した。またイラク国営テレビの報道によると、ISISの武装集団が地元刑務所に手投げ弾を投げ入れ、52人の囚人が死亡したという。

現地の警察や知事室の関係者によると、ISISの武装集団は同都市を支配しようと攻撃を強めているが、まだ陥落はしていない。同都市のすぐ西に位置する村々や一部地域はすでにISISの支配下にあるという。バクバ西部の住民、特にシーア派の住民は同都市から避難しているという。
またバグダッドでも、道端に仕掛けられた4発の爆弾が爆発し、少なくとも2人が死亡、8人が負傷した。地元警察が明らかにした。誰が爆弾を仕掛けたのかは明らかになっていない。
さらにクルド自治政府の治安部隊によると、バグダッドの北約89キロに位置するサアディヤ近くでも、ISISからサアディヤの支配を奪い返そうとするクルド人民兵組織「ペシュメルガ」とISISの武装勢力が衝突したという。両者は、キルクークの南西に位置するバシール村の支配をめぐっても争っている。

一方、米国防総省はイラクにさらなる武器・兵士を投入し、オバマ大統領の命令に備えている。バグダッドの米国大使館には、警備強化のためすでに数十人の海兵隊員や陸軍部隊が派遣されており、さらに支援要員として100人が待機しているという。
ペルシャ湾には、空母「ジョージ・H・W・ブッシュ」のほか、5隻の空母が配備されており、500人以上の海兵隊員と数十機のヘリコプターが待機している。
また英国のキャメロン首相は17日の記者会見で、シリアとイラクにおけるISISの進撃は「英国の安全保障上の最大の脅威だ」と述べた。
キャメロン首相は「何としても現地の英国民の安全を守る」とし、具体策として「陰謀に関与した者を逮捕」し、さらにISISが活動する地域における「安全確保、治安維持、諜報活動を重点的に行う」と述べた。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成26(2014)年6月19日(木曜日)弐 通巻第4272号
http://melma.com/backnumber_45206/

イラク最大のバイジ精油所は本当にISISの手に落ちたのか?
バグダット陥落へ秒読み、いや米軍の空爆介入がある。情報が錯綜


 これほど電光石火の軍事作戦で意外なことがおきたからには、その背景に何か目に見えない大きな仕掛けがあるのではないか。突如、新顔の武装集団が登場し、イラク政府を窮地に陥れたのだから。
   シリア国境から出撃してきた武装集団ISIS(イラク・シリアのイスラム国)は、イラク政府と米国メディアが命名するところの「テロリスト」、6月10日に北部モスルを陥落させた。
戦闘員僅か5000名程度と言われるISISが、イラク政府軍30000が守備した街を、それほど容易に陥落させることが出来るのか?

   モスル住民はもともとスンニ派が多く、日頃からマリキ政権という名のシーア派を嫌っている。憎悪はふかまっていた。
 イラク北西部はサダム・フセインの故郷チクリートに限らず、反政府感情が強く、しかも旧軍人と旧バース党員が十一年間、ひそかに逼塞し、雌伏してきた。この旧体制構成員が一斉にISISに合流し、このためイラク政府軍はモスルから「蒸発」した。

 モスル陥落翌日、チクリートとバイジにISISは侵攻した。
16日にはシリアとの幹線道路を確保し、さらにイラク最大の石油精油所があるバイジを陥落させたと現地メディアなどが伝えた。だがニューヨークタイムズの報道によれば、精油所は二ヶ所の入り口が破られたが、まだイラク軍との戦闘がつづいており、精油所はイラク政府軍がコントロールしている観測もあると報じている。

 イラクは米軍に空爆を要請した。
しかしオバマ大統領はマリキ政権の背後にいるイランの動きを見ながら「空爆はしない」と反応し、駐バグダット米国大使館員の撤収を開始し、保安のための特殊部隊300名をバグダットに投入した。
 在留邦人もおおかたが国外脱出した。

 ここで謎だった地下水脈の構図が浮き上がってきた。
イラク北西部は表面の行政をマリキ政権が抑えたかにみえたが、地下では旧バース党とスンニ派の地下組織、それに旧軍人らが一気に合流できる基盤が整っていたのである。

 そして、米国が介入したアルカィーダ壊滅作戦で、寧ろイラクに存在しなかったアルカィーダが組織をもたげ外人部隊が介入して、国土を血の海とし、米軍の進めた「民主化「とは旧バース党解体、旧軍人追放という、事実上のスンニ派圧迫であったために、ISISの突如の登場を機に反抗に転じたということになる。

「究極的には米国のイラク介入方法の拙速による失敗の結果が、こんにちのカオス的状況をもたらしたといえる」(『アジア・タイムズ』、6月18日)。

■ブログ「白髪頭でズバリと斬る -じじ放談-」
シリア・イラクの内戦(宗教戦争)は消耗戦。狼狽するオバマ、欣喜雀躍のイラン、そしてサウジアラビアは?
http://blog.livedoor.jp/gold_7777/archives/51985309.html#comments

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感動的・口パク(笑)

2014年06月19日 | 音楽、映画
閑散とした空港で、この髭面のむくつけき兄ちゃんがやったこと。

なんと、口パク、セルフ・ミュージックビデオ。
動く歩道やエスカレータにiPhoneを取り付けて画面に動きを与える工夫も凄い(笑)。
無人の空港で一晩を過ごした男性のミュージックビデオが大ヒット
2014年06月12日 16:05 発信地:米国
http://www.afpbb.com/articles/-/3017483

【6月12日 Relaxnews】まぶしい蛍光灯の光の下で丸まって少しの睡眠をとろうとするわけでもなく、午前3時にぼんやりとウインドーショッピングをするわけでもなく、米ラスベガス(Las Vegas)の空港で一晩過ごす羽目になったリチャード・ダン(Richard Dunn)さんは、その時間を生産的に過ごすことにした。セリーヌ・ディオン(Celine Dion)版の「オール・バイ・マイセルフ(私ひとり)」に合わせて、自分の孤独を1本のミュージックビデオに仕立てたのだ。
 6月8日に動画サイトのVimeoにアップロードされてから数日で、視聴回数は270万回を突破。コメント欄には「気だるさと悲壮感をとらえた傑作」などのコメントが寄せられている。
 ジョージア(Georgia)州で照明デザイナーとして働くダンさんは、自分がラスベガスのマッカラン空港(Mccarran Airport)で一晩を過ごさなければならないと知ったときに、チケットカウンターに立っていた作業員に「動画を撮りたいので、荷物用の粘着テープを1本くれないか」と頼んだという。
 ダンさんは堂々たる態度で、セリーヌ・ディオンの感動的な歌に合わせて口を動かしながら無人の空港施設内を歩き、崩れ落ちて膝をつき、亀のオブジェに寄り添って寂しさを紛らわせたり、さらには椅子とミネラルウオーターのボトルを使って、映画『フラッシュダンス』の名シーンを再現したりしている。
「ドリーショット」と呼ばれる移動撮影をするときは、車いすにiPhoneを取り付けて、車いすごと動く歩道に載せたという。
 ダンさんは「エスカレーターの映像は、撮り終わったら猛ダッシュで上まで走って行かなきゃいけなかった。そうしないと僕のコンピューターバッグが一番上で倒れちゃうからね。楽しかったよ!」と語っている。
 動画はhttp://vimeo.com/97634383で見ることができる。2分30秒あたりからが、より面白いだろう。(c)Relaxnews/AFPBB News


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「韓国、河野談話すり合わせ認める」

2014年06月18日 | 政治・外交
なんらかの取引があったのだろうか、河野談話の裏側が明らかになりつつある。
韓国、河野談話すり合わせ認める 日本政府高官から要請 ZAKZAK 2014/06/17
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140617/frn1406171207006-n1.htm

 慰安婦募集の強制性を認めた1993年の「河野洋平官房長官談話」について、作成当時、韓国政府の当事者だった人物が、日韓間ですり合わせがあったことを認めた。河野氏はこれを否定してきたが、日本と日本人の名誉を傷付ける談話を発表しておきながら、国民をウソで欺こうとした可能性が高まってきた。
 証言したのは、当時、駐日韓国大使館で歴史問題を担当していた趙世暎(チョ・セヨン)元韓国外務省東北アジア局長(現・東西大特任教授)。17日までに、ソウル市内で産経新聞のインタビューに答えた。

 趙氏によると、韓国政府は当時、日本側が出す慰安婦問題に関する談話について「核心は強制性であり、強制性(の認定)は必要」としながらも、中身は「日本側が自らの判断で発表すべきだ」との立場だった。
 ところが、趙氏が立ち会った場で日本政府高官から「日本側で決めてほしいという気持ちは分かる。後ですり合わせをしていたことが明らかになれば、世論から批判される恐れがあると心配するのも分かるが、内々に相談に乗ってほしい」と要請があったという。
 また、談話発表直前には、日本側から「こういう表現だがどうだろうか」と案文の提示があったことも明かした。

 河野氏は97年3月31日付の朝日新聞インタビューで「(河野談話は)韓国とすり合わせるような性格のものではありません」と語っているが、趙氏の証言は、これを完全に否定するものだ。
 国会の証人喚問で、河野氏に説明責任を果たさせるべきではないか。

河野談話ヒアリング対象者に虚偽証言者 「奴隷狩り」吉田氏、「従軍」広めた千田氏  2014.5.20 07:58 [「慰安婦」問題]
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140520/plc14052007580006-n1.htm

 慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の河野洋平官房長官談話の作成過程にあたる同年1月から5月にかけ、内閣外政審議室が実施したヒアリング(聞き取り)の対象者の全容が、産経新聞が入手した政府文書で明らかになった。
 対象者には、韓国で慰安婦の「奴隷狩り」を行ったと告白したものの、後に全くの虚偽だと発覚した吉田清治と、軍属を連想させる造語「従軍慰安婦」を実際に使われていたかのように広めた作家の千田(せんだ)夏光(かこう)=いずれも故人=が含まれていた。史実や事実関係に基づかない「強制連行説」の原点となった2人の証言に政府が影響を受け、河野談話の強制性認定につながった可能性も否定できない。

 ヒアリング対象者は(1)旧軍関係者12人(2)元朝鮮総督府関係者5人(元経済警察課長、元慶尚北道知事官房主事ら)(3)元慰安所経営者1人(4)元厚生省(現厚生労働省)関係者2人(5)大学教授、研究者3人(6)書物執筆者3人-の計26人。

 このうち(5)の大学教授については、慰安婦性奴隷説を唱える中央大教授、吉見義明とそれを否定する拓殖大教授、秦郁彦の双方から話を聞いており、バランスはとれている。ところが(6)に関しては千田、吉田と『慰安婦たちの太平洋戦争』などの著書がある山田盟子の3人で全員が強制説に立つ作家となっている。

 政府文書では、吉田の肩書について「元労務報国会下関支部動員部長(?)」と疑問符がつけられている。吉田は昭和58年の著書『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』でこの肩書を使って「韓国・済州島で奴隷狩りを行った」「女子挺身隊とは従軍慰安婦のこと」などと記しているが、経歴ははっきりしない。
 同書は韓国でも出版されたが、地元紙「済州新聞」の記者、許栄善が取材すると全くのデタラメだと判明。秦も現地取材を行い、許に会ったところ「何が目的でこんな作り話を書くのか」と聞かれたという。
 吉田は週刊新潮(平成8年5月2・9日合併号)のインタビューでは「本に真実を書いても何の利益もない」「事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやっている」と捏造(ねつぞう)を認めた。

 一方、元毎日新聞記者である千田は昭和48年の著書『従軍慰安婦』で、慰安婦を従軍看護婦や従軍記者のように直接軍の管理下にあるよう印象づけた。ノンフィクションの形をとりながら「女性の大半は朝鮮半島から強制動員した」「慰安婦の総数は昭和13年から同20年まで8万人とも10万人とも言うが、その大半は朝鮮人女性」などと何ら出典も根拠も示さず書いた。
実際は、秦の推計では慰安婦の総数は2万~2万数千人であり、そのうち日本人が4割、朝鮮人は2割程度だった。

 産経新聞はヒアリング内容と評価、見解について内閣府に情報公開請求したが「公にすると今後、任意で協力を要請する調査で、公開を前提とした回答しか得られなくなる」との理由で拒否された。

 河野談話は日本国内にとどまらず海外にも弊害をもたらしている。米カリフォルニア州グレンデール市にある「慰安婦」像の撤去を求める訴訟を起こしている目良浩一は19日の記者会見でこう訴えた。
 「訴訟で中国系団体の介入を招いたのも、真実でないにもかかわらず河野談話があるからだ。日本政府には客観的な事実を広報していただきたい」

 吉田、千田の創作した“小説”が韓国語や英語に翻訳されるなど、史実と異なる強制連行説や性奴隷説が拡大再生産されていった。「歴史戦」第2部は「慰安婦問題」を広めた人たちに焦点をあてる。(敬称略、肩書は当時)


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朝来市 神子畑選鉱所跡

2014年06月17日 | 散歩・山歩き
6月14日(土) 曇時々晴れ

朝来市 神子畑選鉱所跡

宍粟市の「水上山」を登った帰り、429号線沿いの朝来市神子畑(みこばた)選鉱所跡を見学した。
かつては近辺の明延鉱山、生野鉱山とともに東洋一の規模を誇る鉱山施設があった。
全盛期昭和30年代、神子畑地区には1300人が生活し、福祉施設、娯楽施設なども充実していた。
昼夜兼行で操業し不夜城のような写真が残っている。
昭和62年、円高で国際競争に勝てず明延鉱山が閉山し、それとともに神子畑選鉱所も操業停止となった。

現在は近代化産業遺産として地域活性化のために有効利用する取り組みが行われている。






 ホームページ山歩記

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宍粟市一宮町 水上山(863m)

2014年06月16日 | 散歩・山歩き

6月14日(土) 曇時々晴れ

宍粟市一宮町 水上山(863m みずかみやま) 【宍粟50名山】

この日は「水上山」とその北にある「銅山」の二つを歩く予定にしていた。
案内書では二時間四十五分の所要と書いてあったが、三時間をオーバー。
登山口に降りる最後の斜面でいよいよ膝が痛くなった。
先月の登山からひと月間が空くとこの始末、午後に行く予定の「銅山」への意欲はなくなってしまい、 老いを痛感した。

 ホームページ「山歩記」

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