落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

慰霊祭

2017年08月11日 | 日常・身辺
山の日

今日も暑かったです。
高砂市荒井神社様で毎年「山の日」に催行されるボルネオ会慰霊祭にでかけました。
が、申し訳ないことに高速道路の渋滞で30分も遅刻し、11時開始の祭祀は終り茶話会になっていました。

2015年から自由参加になり、参加者は10名程度の高齢2世ばかりになっています。
茶話会の中で、年長の0氏(終戦当時中学生)が「当時は一般の人を招集し軍隊が編成されました。・・・」と話されていました。

いわゆる赤紙ですね。
古いニュース映画で、招集された大学生が雨の中を行進するシーンが思い出されます。
当方の父(1912-1999)も県庁に勤めるサラリーマンで、幼い我々を残して1度目は中国、2度目はボルネオに出征しました。
大隊の7割が戦死しました。幸い父は生還し戦後母とともに我々兄妹4人を育ててくれました。

先代荒井神社宮司広瀬正三氏が独歩367大隊の足跡として戦友や遺族の手記を編纂され、「あゝボルネオ」「続・あゝボルネオ」が貴重な記録として残りました。現在は関係者か国会図書館ぐらいにしかありませんが、数年前お許しを得て拙ホームページに転載させていただきました。

インターネットの情報力の偉大なところでしょう、今日も宮司さんが「遺族の○○さんがホームページの「あゝボルネオ」を見て連絡してこられました・・」と仰有っていました。
帰ってから関連の記事をネットで検索していると、有り難いことに、
WikiPediaにも当ページへのリンクが記載されていたのは驚きでした。
改めて、維持管理責任を感じました。

 「あゝボルネオ」