河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1780- シュニトケ5番、ベートーヴェン5番、大野和士、都響、2015.4.3

2015-04-04 11:36:31 | コンサート・オペラ

2015年4月3日(金) 7:00pm サントリー

シュニトケ 合奏協奏曲第4番=交響曲第5番 5′7′15′7′
Int
ベートーヴェン 交響曲第5番ハ短調 7′9′5′9′

大野和士 指揮 東京都交響楽団


一言で言うと、指揮者は音楽作品にある主張を表現したい、オーケストラは現在の保有スキルや音楽イメージを崩したくない、その競合と葛藤の演奏。ガシッとかみ合っているとは言い難い。
ただ、それら主張の強弱はあるがどちらかの要素加減の多少にかかわらず全体としてマイナス方向へのブレとはなっていない。
手綱を締めておいて、その手綱を放したときにどちらのほうに向かうのか。これからのテーマといいますか、聴くほうの焦点見極めの醍醐味もあるかと考えます。

ベートーヴェンは全般に渡りかなり強めのアタック、目をつむって聴くとよくわかるアクセント多用。それから第4楽章のブラスのファンファーレは浮遊感があり、これはよく伸ばし切ったサウンドで練習でかなり指示されたものだろう。他の小節より明らかに長めの音価レングスであって、大野はここを第1楽章の運命動機のようにある種、独立したフレーズとまではいかないが、一つの枕詞的表現にしたかったのかもしれない。リピートありで3回現われますが都度若干異なる吹奏表現でこれもユニーク。
それで、その連想で、運命動機の枕詞的解釈表現の典型的に極端なのがFの演奏なわけですが、そこのファンファーレよりも、最後のコーダからの突入はFのような急激なアチェルランドこそないが、頂点到達でのテンポはFに迫る勢い。それにいかにベルリン・フィルとはいえ、1943年当時のことであるし比べるもがなの今の演奏のほうが高性能であるのは間違いないところ、ただ、大野のその微熱的解釈表現に、ちょっと冒頭書いたような雰囲気を感じたのでした。
最後のところはFのような急ブレーキはありません。あってもなくても、エキサイティングで全体造形に優れた演奏でした。


前半のシュニトケはタイトルが紛らわしい。まずこうなった理由を知りたいとは思わないのが本音なわけですが、理由がありそうなだけで作品の一端を知る。
作曲家の意向、方針、作品のアウトラインはわかりますが、その曲的なヒラメキのセンスが感じられない、これも本音。このような作品には聴き手としてどこまで踏み込んでいくべきなのかそれを問うているようでもあり、やにっこい作品ではありました。
都響は分解度の高い演奏で、このような作品には向いていると思うのですが、分解度が高いのと音が硬いのは持ちつ持たれつみたいなところはあれど、録音向きというあたり横に置くと関連性は薄いような気もします。
おわり


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