河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2185- トリスタンとイゾルデ、デッカー、ロペス=コボス、二期会、読響、2016.9.11

2016-09-11 23:12:37 | オペラ

2016年9月11日(日) 2:00-7:00pm 東京文化会館

東京二期会 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ヴィリー・デッカー プロダクション
トリスタンとイゾルデ

キャスト(in order of appearance)
1-1イゾルデ、池田香織(Ms)
1-2ブランゲーネ、山下牧子(Ms)
(2.若い水夫の声、菅野敦(T))
3-1.クルヴェナール、友清崇(Br)
3-2.トリスタン、福井敬(T)
4.マルケ、小鉄和広(Bs)
5.メロート、村上公太(T)
(6.牧童、秋山徹(T))
7.舵取り、小林由樹(Br)

二期会合唱団
ヘスス・ロペス=コボス 指揮 読売日本交響楽団

(duration)
前奏曲 9′
第1幕 67′
Int
第2幕 67′
Int
第3幕 68′+ 6′


デッカーのこの演出で一番衝撃的なところは、第2幕第3場でトリスタンがメロートの剣に飛び込むところ、大幅にひねっていて、自らの目を自刃する。そして立ったまま重なるようにイゾルデも目を自刃する。目だと自刃にならない確率が高い。つまり第3幕で死に至る根拠とはならないのではないか。ということと、イゾルデも同じことをしていて、彼女の場合も死んでも死ななくても文字通りの自刃とはならないはず。ここらへん釈然としないわけです。問題はなぜ目かという話で、これは、わかりません。デッカーの演出が両者ともに傷つくという前提を崩したくないということであれば、腹を刺してしまうと今度はイゾルデも死んでしまう確率が高く、それだと、これまた話が違うということになるから、というのであれば少しは納得。つまり、両者をともにするというのは、デッカーの言う二つの現実、一つの現実に対してひとりはこう思っている。もう一人は別なことを思っている。そんなことがたくさんあるのだが、トリスタンとイゾルデだけは会話がかみ合って一体化していると。それの延長線上の出来事なのかなとも思ってしまう。
トリスタンはこの2幕と3幕で死を試みるわけですが、2幕では目を傷つけ、3幕では目の包帯を取る、という行為に大幅変更というひねりに。

ということで第2幕は演出含めいい出来栄えで見ごたえありました。主役2人は事件の象徴的な意味合いか真っ赤なドレスとスーツ。舞台全体はモスグリーン。原色的な趣味の悪さを感じさせず主役を浮き彫りにさせてくれる。
2場の愛の二重唱はお見事でした。途中、二人がまどろみながら歌はやめ、どこか上の方から重唱が聴こえてきました。気のせいではなくてそのような演出と見ましたが、誰と誰がどこで歌っているのかは知る由もありません。
それもこれも含め、二重唱は一気に盛り上がりブランゲーネによる中断まで、素晴らしく均整の取れた両者の歌が気持ちよく続きました。

舞台に目をやると、前奏曲では幕が開きません。過剰演出ではなさそうだなとふと思う。
幕が下りたままでも何か床の角がピットのほうに突き出ている。幕が開くとわかるがそれは本当に床で、床の上に床がある感じ。形はひし形系だが対称性が無く、突き出し方も形も奇妙にずれていて、したがってプロンプターはセンターではなく、ややかみて寄り。
ステージには小さな2人乗りボートがあるだけ。あとは奥に壁がひし形床にあわせるように2面あるのみ。その壁はかみての片側だけ移動できるようになっている。
2幕でも同じ。小ボートはひっくり返っていて、愛の二重唱の開始のあたりで、2人で元に戻される。
3幕ではボートは2つに割れている。舞台は灰色。トリスタンが間際前に2つに割れて分かれていたボートをくっつける。
3幕では両者目をやられているので、折角イゾルデが到着しても瀕死のトリスタンとボートの脇ですれ違いが起こる。
といった具合で色々あるが、小ボートがメインアクセントになった演出。1幕での薬箱もそのボートの中にありますしね。
場面転換はありません。照明の具合が変わるだけです。小規模なプロジェクションマッピング風な効果は相応にあります。シンプルですね。
これまでの過剰演出とは少し異なり、すっきり演出ポイントひねり演出で過剰系も少し感じられる中、このような傾向があるのは、これはこれでいいのではないかと思いました。

歌は主役が満足な出来で、特にイゾルデは前進系と言いますか、歌が前に出てくる。イゾルデ役は前にどんどん出てくるような歌いっぷりが気持ちいい。3幕の最後の登場でもグイグイ押してくるような感じでパワーと圧力が衰えませんでしたね。相応に飛ばしつつ最後までもつ。
マルケはメリハリついた歌で濃い。ユニークななり(スーツ)なんだが、結構様になっている。
ブランゲーネとクルヴェナールは役どころとして申し分ない活躍。こちらも満足。
キャスト達が浮き彫りになる演出で、かなりめだつ姿となるシチュエーションが多い中、きっちりとこなしていました。脇が充実していると一気にレベルが上がった公演になる。

ロペス=コボスの棒は重くならず結構なスピードで流れている。無理に押すところがなく、騒ぎ立てることもしない。肩の力が抜けた好演でした。
去年の今頃、同じオーケストラでカンブルランの指揮による同作品が上演されましたが、あれはコンサートスタイルできめの細やかさはちょっと違う。

あと、1000円プログラムには前史の記述がありませんが、少し詳しく載せれば見通しがきくと思います。必須です。

来週も聴く予定ですので、また。
おわり




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