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2046- ブルックナー 8番、スクロヴァチェフスキ、読響、2016.1.21

2016-01-22 22:57:39 | コンサート・オペラ

2016年1月21日(木) 7:00pm 東京芸術劇場

ブルックナー 交響曲第8番ハ短調  16+16、29、20

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ 指揮 読売日本交響楽団


Sの指揮するブルックナーはずいぶんと聴いてきたけれど、この日の8番の印象は類するものではあれど、少し印象が異なりました。
円錐の先をこちらに倒して奥に直線的に放射していくようなストレートな線の流れであったものが、この日のブル8では直線的な奥行き感よりも横に幅広な音場空間となり、ともするとゆるいような雰囲気で、オーケストラの特にブラスの縦ずれ、それにホルンを含むウィンドの不安定さにいつものS棒のときの緊張感が少しだけ希薄になったように感じたのがそれを助長したのかもしれません。
年と共に体内時計がスローになり流れが間延びした分だけ密度が希釈されてしまうようになったのかしらという漠然とした思いは終楽章の激烈ないつも通りの棒によって杞憂であったと感じたのは良いことでした。0番1番の類とはまるで異なる巨大さで、直前の流線型の7番とも異なる。9番のやにっこいニ短調以上に扱いにくい8番というあたりあらためて感じました。読響の演奏ももう一度腰を据えてやらせてもらえるならクリアリセットからやり直すといった感じで各プレイヤー自覚し直したのではないか。幸いもう一度同じプログラムがあるので気持ちを入れ直してやる機会はある、幸いにも。
この日の演奏の技術的レベル感はストレートにハイレベル演奏に結びつくほど高いものではありませんでした。オーケストラの方に緊張感が足りませんでした。
いまさら無骨なブルックナー演奏という言葉を探し出すのは似て非なるものを探し出すような記憶の掘り起しであり、単に、思ったほど決まらなかったというところですね。リハーサルが少なかったとしたらうなずける部分はあります。

といったあたりのことが、たくさんこのコンビで聴いてきたブルックナーの演奏がもう一度聴けるという普通の思いがあり、1923年生まれの人が立って指揮をするというそれだけで割とエポックメイキングな歴史足跡的なものを二の次にしか脳裏をかすめなかった自分の率直な感想です。


7番までのS的解釈は形式の正しい構築をS本人が積極的にかかわって作り上げてきた演奏スタイルで、説得力も抜群だったように思います。
8番では完全である構築物自身に語らせるような演奏であったように思います。
ただピアニシモエンドの第1楽章はこれまでにないものであり、とくに再現部以降の語り口は滑らかなエンディングに至るまでの流れにS的解釈をもっと注ぎ込んでもよかったのではないか。もっと形式感を立体的にわかるように、ということなのですが。メリハリと言いますか。
8番の演奏スタイルを意識的に変えたのかどうかはわかりませんけれども、終楽章のいつも通りの演奏スタイルを聴くつけ、意識されたもののように思えて。
それにオーケストラがついてこれなかった。
第1楽章はどちらかというとこのような具合で不発。
しり上がりに良くなるのはオペラの常套句の様な具合であれですが、アタッカで突っ込んだスケルツォ楽章、この一連の流れは思わず、5番の2,3楽章を思い出してしまいました。それとは違う局面であり相応な苦労が感じられます、が、たしかに、しり上がりに良くなってきた。
この1,2楽章はデューレーション的にも時間のかかっているのが明らかで、結構テンポを落とした演奏。真のブルックナー演奏はやはり難しいものだったと第1楽章で感じたのかどうかプレイヤーたちが気持ちを入れ直して少しずつ上向きに。トリオの静かなたたずまい、判で押さないスケルツォ1回目2回目の多彩なニュアンス。それにしても気持ちの立て直しというのは簡単ではないですね。今日のことは忘れ明日全力でやろうといった感覚ではだめですし。

スケルツォとアダージョ楽章が逆順で良かったと、その3楽章は緊張感にあふれ、音に隙間のないもので、気持ちの乗り具合もSがポーディアムにいるときのいつもの緊張度に。
コーダ前のクライマックスは熱にうなされたようなものではなく、それまで通りのインテンポで貫くあたりはSの真骨頂と言えそうです。5分超のコーダはブルックナーの気持ちの安定が見えるような深い素晴らしい表現。ホルンがもっと自信を持って吹いてくれればさらによかったと思われますが、線の細さが精神の不安定感を少しだけ感じさせて残念。オーストリアのブルックナーにシュヴァルツヴァルトがどうなのかよくわかりませんけれど、深くて黒い森の大胆な安らぎの音楽にホルンの悠然たる響きは欠かせません。

ここまでの3楽章、バランス感覚は上記いろいろあれど見事です。手綱を少しだけ緩めつつ全体のフレーム感覚は見事にバランスしました。(ここで終わってもいいくらいです)

終楽章20分、いつものSの研ぎ澄まされた演奏が戻ってきました。やっぱりゆだねて語らせるのは作品にだけではなく、オレに触らせろといった感じ。
3主題が切れ味鋭くスパッスパッと移り変わっていき、明快。各主題のブラスの咆哮は生理的快感。また、展開部における第1主題のティンパニを抑え気味にしてブラスを際立たせたきれいな強調はリズミックな楽章であることを再認識させてくれる。総じて展開部での動きが他楽章との対比を際立たせていたものと言えよう。

再現部はどこから始まるのか、については、終楽章の再現部はアウフタクトで始まる全奏から、作品の再現部はそのちょっと前の第1楽章の第1主題のブラス強奏の雷的ギザギザ炸裂音からという自分なりの解釈です。まぁ、二重構造的と言えなくもないですけれど、全主要主題が折り重なって出現する見事さは、S棒であればこそ作品の輝きをさらに増し、このびくともしない音響構築物はインテンポを貫きつつも何か加速度的なカタルシスをおおいに感じさせながら、圧倒的に瞬間的な3個の打撃音であっけにとられるうちに下降音形でありながら天上の高みに飛んでいく。
素晴らしい演奏でした。
ありがとうございました。
おわり


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