河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2418- タンホイザー、フォークト、ダッシュ、ゲルネ、ペトレンコ、バイエルン、2017.9.25

2017-09-25 23:29:50 | オペラ

2017年9月25日(月) 3:00-8:00pm NHKホール

ワーグナー 作曲
ロメオ・カステルッチ プロダクション
タンホイザー  (ウィーン版にもとづく)

キャスト(in order of appearance)
0.弓を射る女性たち(in overture)
1.ヴィーナス、エレーナ・パンクラトヴァ(S)
2.タンホイザー、クラウス・フローリアン・フォークト(T)
3.ワルター、ディーン・パワー(T)
3.ビテロルフ、ペーター・ロベルト(Bs)
3.ハインリヒ、ウルリッヒ・レス(T)
3.ラインマル、ラルフ・ルーカス(BsBr)
4.ウォルフラム、マティアス・ゲルネ(Br)
4.ヘルマン、ゲオルグ・ツェッペンフェルト(Bs)
5.エリザベス、アンネッティ・ダッシュ(S)

テルツ少年合唱団
バイエルン国立歌劇場合唱団、管弦楽団
キリル・ペトレンコ 指揮


Duration
Act Ⅰ 68′ (ov:20 sc1:28 sc2:20)
Int
Act Ⅱ 68′
Int
Act Ⅲ 52′


タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦、本当に歌合戦なんかあったっけ、覚えていない。といった感じで、圧倒的な静けさが全幕を覆い尽くしていた印象しかない。
歌えば場に静謐さを漂わせるフォークト。ペトレンコ&バイエルンの絶妙にして美ニュアンス、弱音コントロールが限りを尽くす、合唱のチリチリしたあまりに充実した清い響き。白黒基調のシンプルな舞台。大量動員された人が音をたてず動きを作る。おそろしく静かなタンホイザ-だった。思ってもいない別の可能性をモロに魅せられたというのが率直なところです。

第1幕の三分の一近くを占める序曲。どんな演出でもだいたいここは何かする。
白い緞帳に一点、矢が刺さっている。序曲が始まると神か半神かよくわからないけれども何人かがシルエット風なパントマイム。彼らが去ると何故か矢もなくなっている。影に引き抜かれたのかな。
上半身ヌードで弓矢を持った女性たちマックス24人(たぶん)が舞台奥の面にスクリーンされた巨大な目、そして耳に向かって一列整列で矢を放つ。最初から意味が分からなくて面白い。
彼女たちはヴィーナスと神、半神たちの手下なのだろうか。ならば矢の先にタンホイザーがいるのはおかしい。はたまた、官能の愛に対する清き愛への矢なのか。などと、序曲が長いので色々と邪推する時間がある。
ペトレンコ棒はオケに騒々しい音を出させない。抑制の効いたカツ全力弾きというようなもので音がたくさん詰まっていて締まったオケサウンド。さすが。
中間部ではウィンド刻みを前面に出して活力を際立たせる。また、吠えるブラスは無しにして短いアクセント風スフォルツァンド風味で減衰させる。まぁ、独特ですね。結果、この序曲を聴いただけでも全くうるさくない。きっと、このあとも同様な展開なのだろう。

明らかな場面転換でブヨブヨヴィーナス。まわりにも同じようなブヨブヨがたくさんいる。肉がつきすぎてロクに動けない。官能の愛も目を醒ませばこのようなものなのかもしれないな、などと思いながらヴィーナスの歌、そして少したってから現れるタンホイザー。
この場は紗幕が下りている。そのせいかどうかお二方の声のとおりがあまりよくない。声が小さい。そもそも脂肪分ゼロの歌唱ではあるとは思うのだが。
快楽シーンのインパクトは、弓を射る女性たちに比べればごく小さいものとなってしまった感がある。

ここで再度明らかな場面転換。今度は領主、仲間のいる巡礼一行とヴァルトブルクへ。ここまででメインキャスト9人衆のうちエリザベスを除く8人衆まで出そろった。
仲間との出会い、決意。しかし、音楽は一向に力強さをみせない。静かなくらいだ。ホント、独特。
シンプルな舞台で静かな動き、オーケストラは音で縁どりをしていく。宇宙のスローモーションのようだ、

ヴィーナスが抜けた7人衆、男だらけだが全員ピュアな歌いくちできれいすぎて静かさが勝る、というよりもその方向にセンテンスをシフトさせるようなことなのだろう、意図としては。
極めてユニークな演奏で、この舞台演出と軌を一にしている。ぴったりとはまった感じ。
ペトレンコの1幕フィナーレへの持っていきかたは、エンディングに向かうラッパが、その随分前に時折短く現れていて、短いものだがものすごく雄弁に響いており、その、点のラッパ音が心的つながりを次々と感じさせるようにしており、最後に、それまでの断片体がまとまりをみせてフィニッシュ。ものすごく効果的。この方針で前進すれば最後をうるさくする必要もなくてごく自然に音楽のつながりを感じることか出来る。納得です。

第2幕の舞台はさらにシンプル。天井から吊るした白いカーテンの動きとバックの黒が基調。衣装も同じく白黒。モノトーン配色。安いと感じさせるか、いいと感じさせてくれるか、大挙した人物たちの動きしだい。ストップモーション的な味わいも含めスローな動き、それに余計な音がしないのがいい。この統一感の良さが空虚な舞台を大きく見せてくれたところもある。

一体、歌合戦はあったのかと聴後感はそういった印象が強い。タンホイザーの背中に刺さる1本の矢。女性たちは清き愛だったのだろうか。
ドラマチックな鋭角的カーヴを排したような舞台と演奏。ゲルネとフォークトは潤滑油が注がれ本調子に向かう。
ローマへ、に至る滑るようなペトレンコ、バイエルンの演奏。弦を中心に大変に締まったサウンドが心地よい。煽ることになく緻密なアンサンブルの積み重ね、インテグラルな集積は精度が高く、スロープを頂きまで登りつめる技は美しき尾根でも見ているかのような美の極み。素晴らしく自然でエキサイティングな登り傾斜。
エモーショナルな心的ドラマ、音楽で内面を魅せてくれるペトレンコ棒。その表現のうまさが際立っているということになる。静かさは緻密なアンサンブルの成果でペトレンコの求めているものであるわけで、結果、このオペラのスタティックな面を大いに感じさせてくれた。見事というほかない。
フォークトの最後の一声はよくきまりました。これで3幕の絶唱への下ごしらえが出来たものと、後付けではあるが、そう感じた。

記憶がかすんでしまったが、3幕ウォルフラムの夕星の歌の前、「死の夕闇が大地を覆い、 黒い喪服が谷をつつむ。」のあたりで亡骸7変化の1体目があったと思う。その前に生身のタンホイザーとエリザベスがいわばゼロ体目として横たわり、彼らとの入れ替わりで1体目が置かれ、生身のタンホイザーは姿が明瞭に見えるが、エリザベスは薄くなり見えなくなる。
夕星の歌、そして、超ロングにして筆舌に尽くしがたいフォークトの美声に唖然のローマ語り。パーフェクトな歌。なにやら空虚にしてだだっ広いNHKホールを逆手にとって空気の流れをうまくつかみ振動させたかのような神業だった。茫然として聴き惚れている間に亡骸の7変化が次々に起こる。最後は灰になるわけだが、この推移の醜さ、リアルさ。腐臭さえ感じる。ふと、カラマーゾフのゾシマが頭をよぎる。この表現はいったいなんだろう。どっかからの引用なのだろうか、カステルッチの死の美学か。ローマ語りより長い亡骸7変化。つまり彼らは夕星の前に既にこの世のものではなかった。科白内容との時間軸のずれを狙ったものなのか。「死の始まりは、死の夕闇が大地を覆い、」のあたりまで前倒しされた予告の死だったのだろうか。ドラマチックなインスピレーションの具体的な舞台化と言わざるを得ない。

1場のウォルフラムとエリザベスの秋雨のようなやり取りの合間を縫うほどの長さでしかないが、巡礼、極度に磨き抜かれた合唱の素晴らしき響き。オペラの神髄の醍醐味を満喫。
ウォルフラムのゲルネは見た目のゴツゴツさは無くて慎重にこのオペラのペトレンコ様式への集中をうかがわせてくれた斉唱。エリザベスのダッシュはごくまれにぶら下がりのピッチを感じさせるものの、ピュアなままでの力強さがある。味わい深かった。

そして先ほど書いた夕星、亡骸7変化、ローマ語り、一気に場は進みあっという間に終わってしまった。
シンプルながら強烈なインパクトの演出とフォークトをはじめとする歌唱の素晴らしさ。9人衆お見事。

ということで、静かな印象が全編を覆う。ワーグナーの絶叫も律動もない。それ以外のすべてのもので満たされたペトレンコのウルトラ・ワールド。タンホイザー、未体験ゾーン、満喫しました。ありがとうございました。
おわり


 


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