河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2120- ペルト、ライヒ、都響、クリスチャン・ヤルヴィ、2016.5.18

2016-05-18 23:02:00 | コンサート

2016年5月18日(水) 7:00pm サントリー

ペルト フラトレス   13′
ペルト 交響曲第3番  21′

Int

ライヒ デュエット  5′
   ヴァイオリン、山本友重、双紙正哉

ライヒ フォー・セクションズ (日本初演)  24′


クリスチャン・ヤルヴィ 指揮 東京都交響楽団


このようなプログラム配置の定期公演はめったにない。素晴らしいプログラム。都響の分解度の高い腕にも馴染むものだろう。
また、プログラム冊子4ページをさいて、「ペルトとライヒ、ミニマル音楽の魅力」というエッセーが載っている、これもいいものです。

作曲者や曲の親近性、対立点のようなものはその音楽からはあまり感じることもなかったが演奏内容については素晴らしいの一言。
ペルトの3番は結果的には過渡期の作品と言うことになるのだろうか。後退していくシベリウスの残像と何か前進を感じさせるもの、曖昧模糊とした暗中模索的な作品と感じます。前後関係の歴史の流れの中に置かないと理解が進まない部分もあるようで今一つ焦点が定まらない。都響のクリア過ぎる演奏は色々とさらけ出してしまう、明晰すぎるこわい演奏です。

後半のライヒ1曲目はデュエット。オケ配置がユニーク。ヴィオラ、チェロ、コントラバスが、通常のフルオケ配置からほかの楽器を除いたままのポジションに位置。要は見た目、上手半分に弦がいて、下手サイドは空(から)です。指揮者の前にソリスト2名。
ヤルヴィのタクトを見ていると相当な変拍子盛りだくさんでコロコロと目まぐるしく変化している。その割にはベースをはじめとして繰り返し音の進行が心地よい。グラスのややウエットなミニマル風味とはちょっと異なり縦に動く。この曲ではそれはあまり激しくないですけれども、徐々にヒートしていくあたりは音とリズムの積分の醍醐味が襲ってくる。弦楽合奏にソロヴァイオリンというのは厳しいが2本あるあたり納得の内容でした。

次のフォー・セクションズ。4がキーワード。四角四面的な装いかなと思いましたけれども、殊の外、変化にとんだ面白い曲。ドライな都響サウンドが曲想によくマッチ。
この曲もオケ配置がユニーク。対向配置の時のヴィオラ、チェロパートのあたりにマリンバ、ヴィブラフォンを中心にパーカッションが位置。
曲の雰囲気は指揮のヤルヴィの今にも踊り出しそうなダンシング棒を見ればよくわかるもので、繰り返しの妙、刻みの妙、パルス継続の重なり、等々、一見すると機械的な進行の中に人間の根源的なライブな律動を感じないわけにはいかない。この曲はキーワードとして4を引用しているわけだが、それは素材に過ぎないということがよくわかる。
ライヒのミニマルは縦に深い。パーカッション系のポンポコいうのが過激になる直前のあたりで踏みとどまりつつも我慢ができないという瞬間で昇天エンドする。クリスチャン・ヤルヴィもパパのネーメが聴衆に混ざって聴いているその前で、相応な節度を持ってタクトを振り下ろした。
前半のペルトの3番はネーメが初演した曲で、気が気でなかったかもしれないですが、ライヒでのリズミックな演奏は爽快。それにオケの演奏が正確でこの種の演奏には最高と思います。

今日の作品だけ見ると、ペルトの静にライヒの動。ポイントが定まっているライヒの作品のほうが一枚上と感じます。
おわり

 


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