相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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芳ノ里0━2豊 登

2024-01-09 21:19:25 | 日記
 力道山のプロレス中継を視聴していた
とき、同じく元力士の芳ノ里(←神若=
二所ノ関部屋〕と豊登(立浪部屋)の姿も
あった。
 両者は、大相撲の土俵で2度ばかり
対戦していた━この度の調査でわかった。

 昭和二六年秋場所 千穐楽
東十両筆頭●神 若━豊 登〇東十両十一
 同 二九年初場所 十四日目
西十両四〇豊 登━芳ノ里●西十両八

 某書に拠れば、神若は174cm・84㎏、
豊登は173cm・105㎏となっており、
後者の“体力勝”であろう━と想像するしか
ない。
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多い取組数なのに…

2024-01-09 13:44:45 | 日記
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 拙稿「江戸大相撲熱戦譜」第86回━
━天保十五年冬場所は、未だ本文執筆
に至っていない。『相撲起顯』第九輯
によって「取組順序」の検証中なので
…。
 当場所の幕内取組総数は92番。それ
が90に達したのは、天保初期の三年冬の
97番 以来、実に24場所ぶりなのである。
 しかしながら、「三役戦」が七日目の
西大関岩見泻改め秀の山(後横綱)対東小結
鏡岩(後大関)━たった1番しかみられず、
本場所大相撲としての評価は決して芳しい
ものじゃぁなかった。
 今も・昔も真に充実した本場所は滅多に
あるものではないことを痛感させられる。
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