相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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江戸期、横綱・大関の初顔15番

2023-03-31 21:44:41 | 日記
 昭和以降の記録を専門とする元
N銀行員M氏が珍しく江戸寶暦年間
から「異色調査」を『大相撲』誌へ
…━題して「横綱・大関の初顔…」

 また、他人の受売りで恐縮だが、
寶暦~幕末の記録を転載してみたい。

寶暦14・3⑧ 大童子━大 綱
明和1・10⑧ 大 灘━都 嶋
 〃2・3⑧ 都 嶋━大 嶋
 〃4・10⑨ 冨士ヶ嶽━大海
 〃5・11⑧ 岩根山━大矢嶋
 〃6・4⑧ 達ヶ関━生駒山
 〃6・11⑧ 東 森━達ヶ関
安永1・11⑧不動堂━恵蘇ヶ嶽
 〃3・4⑧ 駒ヶ嶽━比良山
 〃4・10⑨ 虹ヶ嶽━大木戸
 註=達ヶ関は後横綱谷風。

天明6・3⑩ 谷 風━白 滝
 〃8・11⑩ 九紋龍━筑紫泻
寛政10・10⑧ 雷 電━木幡山
文化10・11⑩  鳳 ━鉄 石

安政5・1⑨ 雲 龍━猪王山

 江戸時代は以上15番であった。
明治以降については、後日の機会に…。
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“大頭”(おおがしら)出羽ノ花

2023-03-31 13:38:57 | 日記
※昨日までのトータル訪問者数
 1,013,029

 大正十年夏場所、東幕下筆頭
出 羽 ノ 花〔後武蔵川理事長の“先代”〕
●小田ノ山(幕下6)

●青葉山(幕下3)

●潮ヶ濵(幕下12)=後幕内

●太刀錦(幕下16)

●眞砂岩(十両12)

 5番相撲の相手も同成績の4戦全敗
の星で対戦。
 尚、この出羽ノ花は関取になれなかった。
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藤原銀次郎の『力士雷電』

2023-03-30 21:42:27 | 日記
 昨日づけS紙『南と北の島物語━
樺太と南洋統治』に「藤原銀次郎」な
る人物名が眼についた。
 手許の日本人名事典に拠れば、明治
二年生れで昭和三五年歿。大正・昭和期
の実業家・政治家。明治末期に王子製紙
の最高首脳、昭和八年、富士製紙と樺太
工業を合併、洋紙業の独占的地位に…。
昭和十八年、東條内閣の国務相に就いた。

 昭和十三年、“同郷”の誼を以て『力士
雷電』を自費出版の非売品を……。
 でも、フィクションの講談ネタを記載
したりで、あんまり価値はないみたい。
門外漢だから致し方ありませんな。

 雷電爲右エ門と云えば、幕末の元横綱
陣幕が別人の絵を雷電の錦絵として出版
している。彼は、元大関大内山とか最近
逝ったアントニオ猪木の如く、顎が長い
容貌だったはず。
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明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

2023-03-30 13:36:47 | 日記
※昨日の閲覧…447・訪問者…254
トータル訪問者数 1,012,824

 百年ばかり前の大正初期乃至中期に
「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が
発行した、明治十七年三月十日に挙行
の天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲
天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と
同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先
着1名さまに譲渡いたします。
 120円切手10枚を同封のうえ…
下記宛て お送りいただければ折返し御
送付いたします。尚、頂戴した切手は
『相撲史発掘』の発送に使用しますので
必ず額面120円の切手にて…お願い申し
あげます。
〒852-8113 長崎市上野町14-11
       田   中      健
 お問合せは jhisa104@ybb.ne.jp まで…お気軽に。
       ☎095-845-6799
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幕内最多勝利数の軌跡 その159

2023-03-29 21:40:54 | 日記
 天保十五(1844)年春場所。昨冬まで111勝で
首位独走の関脇武隈(元大関湖東山)は、もう勝
越すだけの力は低下したのか…3勝3敗2預り
の星━入幕以来の通算勝利数は114勝を記録
した。
 彼を追っている大関5場所めの劔山(←鰐石)
は、序盤戦を休んで〔理由不明〕、四日目から
出場、3勝1敗1引分けの成績で、通算白星は
91勝止り━“二桁”の大台へ到達するのはいつ
のことやら…見当もつかない。
 尚、当場所も欠場力士が続出し、幕内力士24
名中、九日目まで「皆勤」はひとりもいない。
尤も、東小結の鏡岩や西関脇の岩見泻は「1休」
なので、現代の如く「不戦勝」制があれば、実質
的な皆勤と思われる。
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