相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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昭和角界十大ニュース決定

2019-04-30 22:18:40 | 日記
 平成最後の夜にちなんで、独断と
偏見による「昭和角界十大ニュース」

①双葉山69連勝 (14年)
②相撲協会全国統一( 2年)
③部屋別総当り実施(40年)
④四本柱を撤廃  (27年)
⑤土俵直径15尺拡大( 6年)

⑥6本場所制となる(33年)
⑦本場所15日間制 (14年)
⑧横綱司家免許⇒協会推挙(25年)
⑨春秋園事件勃発 ( 7年)
⑩中入り後=幕内取組( 2年)

次点)初の本場所天覧(30年)
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新番附7人衆 寸評

2019-04-30 13:52:59 | 日記
※昨日の閲覧…1,399・訪問…274
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 改元後、初の新番附━勝手に選抜した
「7人衆」の寸評を御覧ください。

〇西前頭十四枚目〔新入幕〕炎 鵬
 幕尻にランクされると思っていたら、
意外に上位。7勝すれば幕内維持が可
能だ。米大統領が観戦する楽日に優勝
決定戦へ進出し、師匠格の白鵬と対戦
するのが“夢”なんだそうな。

●東十両筆頭 豊ノ島(元関脇)
 勝越しならば、また再入幕だろうが、
調子の程は如何?

●西十両十枚目 安美錦(元関脇)
 40歳超して、あまり“増量”してない
みたいで、勝越しは大丈夫?

〇東幕下二二枚目 納 谷
 “全勝”の場合、7番相撲は十両力士
ならば、「関取当確」と思うが…。

◉西三段目十六 宇 良(元幕内)
 2度めの右膝手術の経過如何だが、
出場できるのか・否か…? 

◉東 仝 四九 照ノ富士(元大関)
 相手力士が可哀想だ。幕下どん尻
あたりに“抜擢”すべし。

●宇瑠寅さん
 また番附の外へ飛出してしまった。
怪我が多いのも困りますね。
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昭和大相撲重大ニュース

2019-04-29 21:49:43 | 日記
 過日、「明治大相撲重大ニュース」
を発表した。
 「平成大相撲」のそれを考える気
なんか毛頭ない。我が大相撲史の調査
・研究の範囲は原則、江戸寶暦より
昭和末期までだ。

 それで、「昭和大相撲重大ニュース」
を愚考してみたい。

①双葉山69連勝でストップ

 2位以下が難しい。先ず、“順位”を
つけずに、“時代順”に拾ってみるか。

〇相撲協会の全国統一
〇ラジヲ実況放送開始
〇土俵直径15尺に拡大
〇春秋園事件勃発
〇「東西制」⇒「総当り」制
〇15日間制となる
〇國技館が接収される
〇初の本場所天覧
〇「系統別」⇒「部屋別」

 以上、異論・反論を御忌憚なく……!
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27年前、幕内平均150㎏

2019-04-29 13:39:11 | 日記
※昨日の閲覧…1,557・訪問…336
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 大相撲界における力士の“重量化”は
今にはじまったことじゃぁないが…。

 昭和戦前は、幕内力士の平均体重が
“三桁”に達していなかった模様。
 しかも、昭和十六年十二月の戦争勃
発、その後、力士の勤労奉仕・軍事訓練
もあったり、更に「食糧事情」悪化が要
因で体重が減少した力士だってすくなく
なかった。

 戦後、食糧事情が改善されたって、幕内
平均体重が120㎏を超過したのは昭和三
十年代後半であろう。

 『大相撲』誌創刊50周年の平成十六年
八月号に拠れば、昭和五十二年、幕内平均
130㎏超となっている。

 その僅か5年後には、140㎏超、更に
その10年も経過しない平成四年には遂に
150㎏台に達してしまった。
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名力士が出ない島原半島

2019-04-28 21:28:48 | 日記
 拙稿「長崎県出身入幕力士一覧」の作
成は、読売…刊『大相撲』誌休刊〔事実上
廃刊〕後に入幕した佐田の富士を残して
基礎データが揃ったところ。

 列記する「数字」に「1」の“誤差”が
あれば資料的価値は無に等しいと思って
いる。
 したがって、…ネット上の記録をその侭
“鵜呑み”なんて絶対やらない。

 上記、佐田の富士は千代の富士以来の
5文字醜名の幕内力士だったみたい。

 更に、当県入幕力士として、はじめて
体重200㎏超の「超あんこ」型だった。

 でも、鳥渡ばかりみた感じでは、その
重量の要因は「栄養過多と稽古不足」で
の異常肥満じゃぁなかったか。

 それにしても、島原半島出身力士は
江戸時代に相当の大関級の強剛を輩出
したのに、昭和以降はあまりパッと
しませんなぁ…。
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