相撲通なら周知の如く、往時は番附の
最高位が大関で、三役━大関・関脇・小結
は東・西各々1名━計6名に決っていた。
取組だって東方同士とか・西方同士は
対戦しないことが大原則であった。
したがって、三役同士の相撲は次のとおり。
東大関対西大関
東関脇対西関脇
東小結対西小結
東大関対西関脇
西大関対東関脇
東関脇対西小結
西関脇対東小結
東大関対西小結
西大関対東小結
すなわち、計9番が“可能性の限界”であり
10番以上の三役戦はあり得なかった。
江戸本場所で、その9番が実現したのは、
たったの3度にすぎない━。
安永十(1781)年三月場所
二日目 東大関○鷲ヶ─西関脇●淡路泻
四日目 〃 〃○鷲ヶ─西小結●艫 綱
〃 西関脇●淡路泻─東小結○渦ヶ渕
五日目 東小結○渦ヶ渕─西小結●艫 綱
七日目 西大関○谷 風─東小結●渦ヶ渕
〃 東関脇×虹ヶ嶽─西小結×艫 綱
八日目 西大関○谷 風─東関脇●虹ヶ嶽
九日目 東関脇○虹ヶ嶽─西関脇●淡路泻
〃 東大関●鷲ヶ─西大関○谷 風
最高位が大関で、三役━大関・関脇・小結
は東・西各々1名━計6名に決っていた。
取組だって東方同士とか・西方同士は
対戦しないことが大原則であった。
したがって、三役同士の相撲は次のとおり。
東大関対西大関
東関脇対西関脇
東小結対西小結
東大関対西関脇
西大関対東関脇
東関脇対西小結
西関脇対東小結
東大関対西小結
西大関対東小結
すなわち、計9番が“可能性の限界”であり
10番以上の三役戦はあり得なかった。
江戸本場所で、その9番が実現したのは、
たったの3度にすぎない━。
安永十(1781)年三月場所
二日目 東大関○鷲ヶ─西関脇●淡路泻
四日目 〃 〃○鷲ヶ─西小結●艫 綱
〃 西関脇●淡路泻─東小結○渦ヶ渕
五日目 東小結○渦ヶ渕─西小結●艫 綱
七日目 西大関○谷 風─東小結●渦ヶ渕
〃 東関脇×虹ヶ嶽─西小結×艫 綱
八日目 西大関○谷 風─東関脇●虹ヶ嶽
九日目 東関脇○虹ヶ嶽─西関脇●淡路泻
〃 東大関●鷲ヶ─西大関○谷 風