相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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“額面”どおりは3度だけ

2016-04-30 21:30:37 | 日記
 相撲通なら周知の如く、往時は番附の
最高位が大関で、三役━大関・関脇・小結
は東・西各々1名━計6名に決っていた。
 取組だって東方同士とか・西方同士は
対戦しないことが大原則であった。
 したがって、三役同士の相撲は次のとおり。

東大関対西大関
東関脇対西関脇
東小結対西小結
東大関対西関脇
西大関対東関脇
東関脇対西小結
西関脇対東小結
東大関対西小結
西大関対東小結

 すなわち、計9番が“可能性の限界”であり
10番以上の三役戦はあり得なかった。
 江戸本場所で、その9番が実現したのは、
たったの3度にすぎない━。 

 安永十(1781)年三月場所
二日目 東大関○鷲ヶ─西関脇●淡路泻 
四日目 〃 〃○鷲ヶ─西小結●艫 綱
 〃   西関脇●淡路泻─東小結○渦ヶ渕
五日目 東小結○渦ヶ渕─西小結●艫 綱
七日目 西大関○谷 風─東小結●渦ヶ渕
 〃   東関脇×虹ヶ嶽─西小結×艫 綱
八日目 西大関○谷 風─東関脇●虹ヶ嶽
九日目 東関脇○虹ヶ嶽─西関脇●淡路泻
 〃   東大関●鷲ヶ─西大関○谷 風
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7勝…の方が多かった

2016-04-30 13:17:28 | 日記
※昨日の閲覧…1,101・訪問…154
ブログ村ランキング?

 昭和四十年秋場所における8勝7敗の
幕内力士→九州…の地位検証。

大関 北葉山→論外
小結 若見山→関脇
前八 青ノ里→前五
同十一 若 浪→前八
同十三 若乃洲→前十
同十五 若鳴門→前十一

 当場所、平幕では7勝8敗が玉乃島(後
横綱玉の海)以下7人も記録している。
 平成になってから、そんな場所が一度
だってありましたかな……?
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進捗率81.25%

2016-04-29 21:30:39 | 日記
 拙作&私家版『相撲史発掘』第82号の
進捗状況を報告します。

1~2ページ
○全勝力士が消えた星●大正…・拾遺篇
原稿清書完了

3~5ページ
○江戸大相撲熱戦譜●天保三年冬場所
原稿清書完了

折込み
○…幕内関係勝負●…勧進大相撲星取表
原稿清書完了

6~8ページ
○大正二年の合併相撲●第2回
原稿清書完了

9~10ページ
○大阪最強横綱若嶋、「角聖」に8勝 !
原稿清書完了

折込み
○常陸山VS若嶋 対戦の軌跡
原稿清書完了

11ページ
○古今平幕最優秀力士星取表●天保14~嘉永2
清書には至っていない

折込み裏面ならびに12ページ
未定━横書きコラムも未執筆
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全敗が消えた星 その157

2016-04-29 12:39:54 | 日記
※昨日の閲覧627…・訪問…123
ブログ村ランキング第?位

 昭和十六年春場所、初日から九日目まで
の星取表を真っ黒に塗りつぶして翌十日目
不戦敗、後半5日間を休場してしまったの
は駒ヶ嶽ならぬ駒ノ里だった。十一日目に
幕内力士の全敗消滅。
 当場所は、鶴ヶ嶺道芳が初日○の翌二日目
から14連敗したほか、小結旭川が七日目から
十三日目まで7連敗するなど…連敗癖の如き
記録が目立った。
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次号 読切り記事 脱稿

2016-04-28 21:31:04 | 日記
 六月上旬完成予定の拙作&私家版『相撲史発掘』
第82号━読切り「大阪最強横綱若嶋、角聖に8勝」
が遂に脱稿した。当初1ページ半の心算だったが、
丁度2ページが本文となった。小見出しは次のとおり。

明治後期、“合併”の最高取組
東京方常陸山 対 大阪方若嶋

全部で48番 判明するも…
明治32~35年が一切未詳

“過大評価”された常陸山
その“偶像化”の深層は…?

 当初は、半ページ〔下段〕に常陸山・若嶋の両
力士写真を転載しようと思っていたが、折込み〔片面〕
に別表━その余白に……。
 その両者の写真は、Bマガジン社刊の平成23年の
やつに丁度いいのをみつけた。縮小・拡大せず原寸
の儘……。
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