相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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2年連続「赤字」の大相撲協会

2022-12-31 21:38:03 | 日記
 一般社会での「会計年度」なるものは、
毎年四月朔日に始まり、翌年の三月末日
で終る。ところが、角界━公益財団法人
日本相撲協会の場合は、一月元旦から…
大晦日まで━と、なっている。

 最近の報道で大相撲協会は、昨年度に
続いて本年度も「赤字」決算━と発表した。
 その主因は、矢張り新型…ウィルス禍に
因るものであろう─「不可抗力」の側面も
ありそうだ。

 歴史的に考察すれば、幕末から明治に
かけて━殊に、「廃藩置県」直後からの
維新後の大相撲は、“野蛮”な裸踊りだ━
と云う…一部の欧化政策に因って「相撲
禁止論」さえあった。それでも、否それ
だからこそ「赤字覚悟」の「冒険興行」を
続けていた。

 2度めの「危機」は、大正後期━殊に
「関東大震災」で旧國技館が炎上し、
大正十三年春は初の“都落ち”で名古屋場所
と相成った。兎に角、本場所を開く度に
「赤字」が“雪達磨”式に増えていく有様。
当時、“金策”に奔走したのは元行司木村
宗四郎こと入間川取締だった。

 3度めの危機は、太平洋戦争敗戦直後
で、裏話に拠れば、「相撲協会解散」説
さえあった。
 長くなったので続きは後日にしよう。
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57年前の回答から…

2022-12-31 13:54:26 | 日記
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 古雑誌『大相撲』の昭和四十年
七月号〔雷電の実物大手形が附録〕の
アンケート「横綱の権威を保つための
妙案」より━S氏の意見を転載したい。

 根本問題は審議会〔註=横綱審議委
員会のこと〕の組織構成に原因する。
〔中略〕某紙に「審議会無用論」が出
ていたが、審議会が諮問機関で最終決
定権を〔日本相撲〕協会が握っている
現状では、審議会が無気力なるは当然
である。
 審議会を協会と独立させ、これに最
終的の免許権を与えること、そのメン
バー中に相撲研究の権威者を加える必
要がある。現在 真に相撲の歴史、故実
を研究された方は案外と少なく、した
がって その審議も、とかく その場合に
はムードや経営政策に左右され、昔の
〔吉田〕司家のように断固たる態度が
取れないのではないだろうか。

 去る昭和二十六年〔横審委発足凡そ1年後〕
協会と司家との間で協定が成立した挙句、
司家の「免許状」が協会の「推挙状」にすり
替えられてしまった。
 このとき彦山光三が関係した際、「免許」
とはっきり書かず、「授与」なる言葉で曖昧
・模糊になって「免許状」が“雲散霧消”と
なった恰好━彦山翁にも“責任”の一斑はある
と、愚考する次第。
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各界へ“圧力”かけたGHQ

2022-12-30 22:17:48 | 日記
 NHKのTV番組「未解決事件…
…帝銀事件」を〔途中から〕視聴
したため遅くなってしまった。
 吾輩が呱々の声をあげる2箇月
ほど前の“怪事件”だから関心がない
と云えば嘘になる。
 どうやら「冤罪」ですな━歴代の
法相が「絞首刑」への“判子”を捺さ
なかった。

 たしか昭和二一年だったか、「土俵」
を“拡大”せよ━と大相撲界へも圧力を
かけたらしいGHQ(聯合國軍最高司令官
総司令部)は当時の警察・報道機関等々
不当な圧力をかけまくっていたわけ。

 「犯人」にでっちあげられたHへの
“再審”が何れ認められるかも知れない。
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関脇 力道山5━1後小結 若瀬川

2022-12-30 13:51:48 | 日記
※昨日までのトータル訪問者数
 992,180

 昭和戦後の好取組と、その結果を
ひとつ採りあげてみたい。
①昭和二二年秋場所 八日目
東前頭三〇力道山(突倒し)若瀬川●西前頭九
②同 二三年秋場所 初日
東小結●力道山(二枚蹴)若瀬川〇西前頭四
③同 二四年春場所 初日
西小結〇力道山(突倒し)若瀬川●東前頭筆頭
④同 二四年夏場所 初日
西関脇〇力道山(外掛け)若瀬川●東前頭筆頭
⑤同 二五年春場所 七日目
西小結〇力道山(叩込み)若瀬川●西前頭筆頭
⑥同 二五年夏場所 五日目
西関脇〇力道山(吊出し)若瀬川●西前頭二

 両力士は右の“相四つ”だから…“がっぷり”
四つになったら面白い相撲展開になるはず
━力道山の「突如廃業」は角界の損失では
あった。
 尚、彼は入幕後75勝〔不戦を含む〕して
勝利数最多の相手が若瀬川だと思える。
 3場所つづけて初日に取組んでいた。
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聯合軍 弱体の大正前期

2022-12-29 21:25:34 | 日記
 明治時代に入幕し、大正期に引退した力士。
明治末期から幕内力士増員に伴って…最高位
横綱だけでも、常陸山・Ⅱ梅ヶ谷・太刀山・
鳳・Ⅱ西ノ海━計5名〔大阪相撲を除く〕を
数える。
 大正初期は鳥渡ばかり違うけれども、徐々
に出羽海軍対聯合軍━どっちかが東方を占め
る。大正の本場所で勝手に分類してみたい。

大正二年春。東横綱が常陸山なので、出羽海
軍が東方。
同年夏。東正横綱は太刀山なので、聯合軍が
東方。
三年春。昨夏と同様、東方は聯合軍。
同年夏。東横綱常陸山、東方は出羽海軍。
四年春。東方は常陸山引退、大錦卯・栃木山が
入幕なので、昨夏同様、出羽海軍は東方。
同年夏。東西の入替えなく、東方は出羽海軍。
五年春。快速の大錦が新大関で入替えなし。
同年夏。またもや入替えなく、出羽海軍が東方。
六年春。太刀山が東正横綱で3年=6場所ぶり
聯合軍が東方に…。
同年夏。東西の入れ替えなし。
七年春。出羽海軍が東方に…。
同年夏。太刀山引退で出羽海軍が優勢さを増す。
八年春。昨夏同様で入れ替えなし。
同年夏。入れ替えなし。

 以上、大正前期をみると、出羽海軍の東方は
10場所、聯合軍が東方なのはたったの4場所
に過ぎない。
 果して、大正後期は如何だったか…。
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