相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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十両で8勝零敗の矢筈山

2022-07-31 21:40:17 | 日記
【訂正】新聞記事に「小田山」とあるのは
小牛田山に非ず、「小田の山」〔番附表記
は多分「小田ノ山」〕が正しく、関取にな
ったか・否か…調べてみたい。

 大正七年春場所、西十両五枚目
矢 筈 山 登〔後小結〕の星。
〇朝 緑(十両三)

〇國ヶ岩(十両十二)
〇東 雲( 〃 五)
〇鶴 渡(前十七格)

〇岩木山(前頭十)
〇八甲山(同十四)
〇福 柳(同十七)
〇一 湊(同 九)

 國技館開設後の新記録と思われる。
 たしか古今入幕力士で、下の名前が
“1字名”の第一号じゃぁなかったか。
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「…一代年寄」の先駆じゃあるまいが

2022-07-31 14:02:03 | 日記
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 拙稿「大正期の新聞記事から」は13回め
を2ページの予定で…鋭意執筆中である。
 前回に続いて、大正九年一月三日づけの
『東京日日新聞』も採りあげるが、鳥渡ば
かり問題箇所に気づいた。
〔前略〕鳳 部屋では御大 鳳 が小田山以下に
胸を出して居る處へ峰崎部屋から三杉磯が
やつて來〔後略〕

 「小田山」とは小牛田山金太郎のことで
あろうが、所属部屋は伊勢ノ海とされており
鳳(おおとり)の直系弟子だったか…疑問だ。
 そもそも鳳は現役中から内弟子養成が容認
されているから「鳳部屋」なる3文字が入っ
たのか?
 かつて『大相撲』誌などの記事を読めば、
新弟子なんかは「現役中に集めろ…」と云う。
 例えば、横綱柏戸の鏡山親方曰く「どうも
弟子が集まらなくて…」と、ぼやいていたが、
現役時代に「独立の青写真」を想定外にして
いたから……。
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朝潮1━1栃ノ海

2022-07-30 21:24:27 | 日記
 昭和戦後の記録━あんまり好取組だ
とは云えないかも知れないが……。

①昭和三六年夏場所 二日目
東横綱●朝潮(押出し)栃ノ海〇東前頭五

 当時の『大相撲』誌「…総観戦記」で
N紙O記者の稿
 朝潮は栃ノ海に懐に飛び込まれ、右を
咽喉輪にして栃の上体を起こしたが、手
だけで足が出ず強引に突き放したところ
をかわされて大きく泳いだ。こうなると
小さい栃の攻撃がものをいい、体勢を直
そうとした朝にもろ筈になって東土俵に
押し出した。
 尚、同誌「土俵採点表」の栃ノ海の点
数は、彦山・天竜・神風の3氏とも5点
満点だった。

②同 三六年名古屋場所 十一日目
西横綱〇朝潮(上手投)栃ノ海●東小結

 この「旧・新 対決」は2回戦を以て
終了してしまった。
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104年前、相撲記者が首相に招かれ…

2022-07-30 13:31:47 | 日記
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 この度、落手した資料で大正七年…の
相撲専門誌における記事━。
 原 總 理 大 臣
      江 口 主 筆 を 招 く
 原總理大臣は十月七日永田町官邸に都
下の主なる新聞雜誌記者を招待し内閣組
織の披露を爲し各自の意見を聽取したが
本社の江口主筆また招待された、角力雜
誌も數ある中、首相の招待を受け種々意
見を問ねらるゝと云ふ光榮を荷ふたのは
江口主筆一人のみである、本誌の矜とし
て讀者に報告する

 本格的な我が日本の政党内閣━原 敬は、
大正十年十一月…、東京駅でテロリスト
Nに暗殺されてしまった。
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「不戦勝」回避の方策

2022-07-29 22:05:05 | 日記
 今日づけS紙は、去る名古屋…十三日目
中入り後取組で連続5番「不戦勝」━を
批判した。
 そもそも、不戦勝制度実施当初はその
出場力士が土俵上で行司から「勝名乗り」
をうけることはなかった。ところが、不戦
勝をめぐってトラブルが続出したために
通常の勝力士同様、土俵へ上って……。

 かつて玉ノ海梅吉氏は、『大相撲』誌上
で、取組を前日打出し直後に急遽編成すれば
所謂「疑惑相撲」が殆んど一掃できる━趣旨
の記述をしていた。
 しかしながら、その場合だって、当日朝か
ら不調欠場力士が発生すれば不戦勝を回避
することはできまい。
 だから、理想を云えば、例えば十四日目の
取組編成も・千穐楽のそれも、当日朝急遽
会議を開いて決める─それでも、当日土俵へ
上る直前になって急病の力士が出ないと云う
保証はどこにもない。

 最後に可笑しいこと。両力士双方とも
「不戦敗」は不可解であり、星取表は江戸~
大正期の如く、両力士とも「や」印を記入
すべし。
コメント (1)
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