相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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Xマスのプレゼントが消えた?!

2019-12-31 22:08:32 | 日記
 北…からビジネスマンのプレジデントへ
「Xmasプレゼント」がなかった。これは、
中・露両国のお蔭だと思っている。何故なら
両国が国際聯合の安全保障理事会へ「北制裁
の一部緩和」を唱えていたことと無関係では
あり得ない。即ち、仮に北が「核実験」とか
日本跳び越え太平洋のまんなかへ「長距離
ミサイル」━等々「挑発」行為を強行したなら
中・露の“厚意”を踏みにじることになり、
今度ばかりは北と雖も“自制”せざるを得なか
った。

 第二次世界大戦直後発足当初の安保理「常任
理事国」とは、米・ソ・英・佛それに「中華民国」
(臺灣)だった。それが、米・中国交恢復後かに
臺灣に替り中華人民共和國が…。
 そのため、安保理では現在、米・英・佛の3箇
国対中・露2箇国の攻防になり、後者が「拒否権」
行使のため国聯が“機能”しないケースが少なく
ない。

 “ならず者国家”をめぐる構図は、日・米・韓の
3箇国対中・露・北朝鮮の攻防だが、問題は「韓」の
動きだ。
 38度線が「対馬海峡」まで“南下”したら日本の
防衛は大変な局面を迎えることになる。
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大晦日の相撲記事に いちゃもん

2019-12-31 13:36:02 | 日記
※昨日の閲覧…1,112・訪問…274
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 大晦日の新聞に“いちゃもん”をつけず
にはいられない━誠に遺憾に存じます。
 S紙スポーツ面の相撲記事。

 大関経験者が幕下以下で出場したのは
初めて……

 大相撲担当記者が「相撲史」智識の闕如を
露呈した恰好じゃぁないか。
 拙作『相撲史発掘』第91号で発表したが、
寶暦から文化期に元大関の幕下陥落が丁度
20例━そのうち、再入幕を果したのが5力士
であった。

 上記に、「明治以降」の副詞的言葉を挿入
すべきであった。
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「酉年生れ入幕…」に立田野を追加

2019-12-30 21:57:46 | 日記
 拙作『相撲史発掘』第84号(平成二九年
二月)の折込みに「酉年生れ入幕力士
一覧表」を掲げた。
 そのなかで、幕末の嘉永二年(1849)生れ
を━。
 小結・鹿児島・髙千穗 峰吉
 関脇・広島・鞆ノ平 武右エ門

…の2人だけを記載していた。

 この度、『相撲』新年号130~131頁の
記事に拠って、明治十六年入幕の立田野が
嘉永二年生れであることが判明した。

 前八・富山・立田野 竹松

 上記を追加して3力士とせねばならない。
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頭書も・下の名前も違うのに…

2019-12-30 13:48:30 | 日記
※昨日の閲覧…1,173・訪問…314
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 「九州」頭書の時聲(ときのこえ=鯨波)
源太夫と、おなじ頭書の錣山源太夫は、同一
人物なのに“別人”あつかいの『日本相撲史』
が、錣山と異なる「小倉」頭書の風師山龍右
エ門を混同して錣山改め風師山…と二重の
誤謬をやらかしてしまった。
 手許に在る安永四年春の番附コピーで、
東方 前頭 倉小 風師山…に「錣山改」の
“改名表示”はない。尤も、「小倉」は“横書”
で、そんなスペースはなさそうだが…。

 30年前の「福岡県出身入幕力士一覧」では
『日本相撲史』を充分信頼していたから、
風師山…(←錣山←時聲)と、同一人としていた。

 上記など“改訂”箇所がすくなくありません。
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想い出の筆者、能見・渡邊の両氏

2019-12-29 21:42:28 | 日記
 日本相撲協会機関誌と銘打つ『相撲』
について私見・愚考を忌憚なく……。

 ここでは好きだった執筆者を2人あ
げてみたい。

 〇昭和三十年頃、「戦後相撲十年史」と
か、「剛勇無双 双葉山時代」と云うタイ
トルだったかを執筆された渡邊港太郎氏。
 残念だったのは、昭和二年~六年が対象
外になっており、当方が資料蒐集のいわば
“空白状態”がつづいていたのであった。

 〇昭和五十年頃、能見正比古氏が主に
“連載もの”を執筆。彦山光三の「むすびの
かみのを」説を一蹴したのも大変興味深か
ったのである。

 両氏とも短命だったのが惜しまれる。
能見氏が56歳で急逝されると、その翌年
渡邊氏も63歳で逝去されてしまった。

 尚、能見氏の実姉、由香里女史は女流の
相撲評論家めざして「双葉山自叙伝」を連
載していたが、若くして逝った。

 
コメント (1)
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