相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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平成28年 角界回顧

2016-12-31 21:00:13 | 日記
 平成二十八年も最後の投稿になりました。

 先ず、今年の大相撲界を簡単に回顧…。
初場所、10年ぶりの日本人力士が優勝。
けれど、その立役者琴…は、もとの駄目大
関に戻ってしまった。身長(cm)より体重
(kg)の数字が大きく、32歳の年齢から
考察しても、多くの期待はできそうにない。
 秋場所、角番の“反動”がまったくの想
定外で豪太郎が全勝。彼も三十路だけど、
未だ・未だ“下り坂”とは思われない。一層
の精進を望みたい。
 16年ぶりに5人で賜杯を分け合ったが、
その前例の場合日本3対布哇勢2であった。
今度は日本2対旧蒙古3だ。矢張り日本力士
の奮起が不足気味。
 明るい希望を感じたのは、小兵・軽量派の
活躍ぶり。舞の海引退後は“あんこ”型ばか
りになっていたので、久方ぶり「相撲が面白
くなる」予感をファンにもたせたみたい。
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また、監察委員なにしてた?

2016-12-31 15:33:16 | 日記
※昨日の閲覧…863・訪問…140
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 近代相撲では稀有な記録━終盤
欠場力士が賜杯を得た昭和四十八年
九州場所における8勝7敗の幕内力
士→翌年正月…の地位検証。

大関 大麒麟→論外
関脇 長谷川→据置き
小結 魁 傑→ 〃
前四 前の山→前一
同五 増位山→前二
同六 北瀬海→前三
同七 龍 虎→前五
同九 吉王山→前八
 〃 陸奥嵐→ 〃
同十 琉 王→前九
同十一 福の花→前十
 〃 荒 瀬→ 〃

 当場所、惜しくも負越しの7勝…は
「ちびっ子ギャング」鷲羽山ひとり。
 また疑惑相撲が蔓延る感じじゃぁ
ないのか?
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幕末も結構 長いなぁ…

2016-12-30 21:15:17 | 日記
 拙作&私家版『相撲史発掘』では、去る
平成20年6月の第58号から「古今平幕最優
秀力士星取表」を連載している━。

第58号(平20.6)
 寶暦11(1761)年10月~明和4(1767)年3月
第59号(平20.10)
 明和4年10月~安永2(1773)年閏3月
第60号(創刊20周年記念号)
 ⇓
第66号(平23.2)
 休 載
第67号(平23.6)
 安永2年10月~安永6(1777)年10月
第68号(平23.10)
 安永7(1778)年3月~天明4(1784)年11月
第69号(平年24.2)
 天明6(1786)年3月~寛政4(1792)年11月
第70号(平24.6)
 寛政5(1793)年3月~寛政10(1798)年3月
第71号(平24.10)
 寛政10年10月~享和3(1803)年10月
第72号(平25.2)
 文化元(1804)年3月~文化4(1807)年11月
第73号(平25.6)
 休 載
第74号(平25.10)
 文化5(1808)年4月~文化10(1813)年2月
第75号(平26.2)
 文化10年11月~文政2(1819)年4月
第76号(平26.6)
 文政2年11月~文政7(1824)年10月
第77号(平26.10)
 文政8(1825)年~文政12(1829)年2月
第78号(平27.2)
 休 載
第79号(平27.6)
 文政12年10月~天保6(1835)年10月
第80号
 休 載
第81号
 天保7(1836)年2月~天保13(1842)年10月
第82号
 天保14年~嘉永2(1849)年11月
第83号
 嘉永3年~安政4年

 次号はどうやら元治までで精一杯、
慶應は無理みたい…。
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全敗が消えた星 その207

2016-12-30 16:54:10 | 日記
※昨日の閲覧…883・訪問…151
トータル訪問者数363,134

 小生がラヂオ観戦“初土俵”だった
昭和三十三年春場所、初日から七日目
までの星取表を真っ黒に塗り潰した両
力士とは、前年国会へ参考人として
喚ばれた元小結若瀬川と、“潜航艇”の
ニックネームだった後関脇岩風である。
 翌八日目、両者とも白星をあげ連敗脱
出━幕内全敗が消えている。

 当時、幕尻とは前頭二十二枚目━中入り後
の取組が午後三時頃から六時前後の約3時間
もある長丁場でしたよ。
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宇良と舞の海は対蹠的だ

2016-12-29 20:58:19 | 日記
 今夕、NHK「大相撲この一年」を視聴
した。去年末まで当該番組は殆んど視た
ことがなかった。 
 嘗て昭和四十年代後半頃から10年ほど
『相撲』の十二月増刊だったか、年間「総
集編」みたいなものを出していたけど全然
購読しなかった。四字熟語で云えば「無味
乾燥」と思っていたからね。

 上記番組で解説者北…氏曰く

 宇良は、他の石浦とか里山らとちがった
「押し相撲」になる。もっと増量して“あんこ”
型の取口に……。

 同じく解説者舞…氏曰く

 自分は、「押す」という考えは全然
なかったですね…。

 先ず、元小結舞の海について。

 著者から進呈いただいた『…なんでも七傑事典』
に拠れば━。

<正攻法>←逆鉾←大ノ里←玉椿←幡瀬川←両國(明治
末)←両國(幕末~)→<外連型>

 舞の海こそまったくセオリー無視の非正攻法で
あったと思う。
 その点、宇良は本人が云う「押し相撲」を一応の
目標にしてるから、外連型じゃぁないだろう。
 相撲の勝負を決めるときは「押し」でいいが、
そうなる過程のなかで、昔の若い頃の栃錦の如く
四十八手を縦横無尽に披露した方が面白いのに。
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