相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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いつの世にも…

2011-08-31 21:00:04 | 日記
 大正二年一月十七日づけ『時事新報』相撲記事つづき

▲米國大使と鳳 アンダーソン氏は夫人同伴、秘書官等
同道、七日目にも来観する相で、六日目桟敷を申込んで
来たが其主眼は鳳対常陸の一番にあるのだ相な
▲酔漢四階に狂ふ 午後三時半土俵は今小常と緑嶋が
東西から場に登つた所、東側の四階の欄干に白シヤツの
上へ紺の腹掛一つの先生が手を掛けて突立ち、素頓狂な
銅羅声で「ヤアー小常陸イ確かり遣れ頼むぞ々々々」と
危なく転げ落ち相な体に、満場の視線が【5字判読不能】
に向く当人いよいよ猛り狂ふ「【3字判読不能】負たら
スコズコ逃る、勝つたら威張るンだ」と我鳴り散らし立ち
狂つて居たのを茶屋の出方数名が漸つと賺して館外へと
連れ出した其れから中入後にも東桟敷と東二階とがワアー
ツと総立ちの喧嘩があつた薮入で威勢のよい口の荒らい
職人連が多かつたからである

 アンダーソンなる名前は多いらしく…人物像を調べる
ことができない。
 いつの世にも…質(たち)の悪い酔払いがいるもの━
酔漢に対して寛大なのは…考えもの。
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現在どこにある?

2011-08-31 12:39:56 | 日記
 画像は、絵葉書なのである。「谷風梶之助像」と
書いてある━もし、“谷風像”と表示してなければ
誰なのか…特定するのは難しいであろう。
 谷風梶之助は、相撲史上2人存在した━〔だから
…明石志賀之助だって2人いたって不思議である
まい。〕けれども、寛政期の横綱谷風が「谷風の後
に谷風なし」と尊称されるくらいなので、“先代”は
人々から忘れ去られてしまった。〔それでも、『広辞
苑』など一般辞書類に大抵載っている。〕
 画像の人物は、矢張り横綱の谷風であろう。
左下には、「根岸治右衞門氏藏」と記してあるが、
現在はどこに在るのだろうか…。國技館内の相撲
博物館に収蔵されているのではないか。
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「後学」・「発せず」と判読したい

2011-08-30 20:36:37 | 日記
〔前略〕『鬼拳」の編者は、大阪力士雷藤九郎父子で
あるとされる點は、この談話の内容を解くうへの鍵で
あらう。大阪力士である編者が江戸力士である明石を
極度に低く評價しようとする成心はなかつたか、それとも
この明石は、寛永の明石とは、まつたく別人であるのを、
このやうに錯合して噂話を捏ちあげたのか、あるひは、
話材がまつたくあべこべであつて、明石、鎌倉の名が、
それぞれおきかへられてしかるべきではないのか
いづれにしても、鎌倉がうそぶきはなかつたといふ、最後
の傲語が腑におちない。古をあがめ、今をいやしめるのは、
凡俗のつねであるとはいへ、かうした著作態度に對し、
後學私のごときであつても義憤を發せずにはゐられない…

 上記は、彦山翁の「長崎相撲の由來」⑤「鎌倉と明石の
試合─明石の不評は人物違ひか」の後節部分。
 結局、検討の末、「後学」と「発せず」と断定━。

後学━①後進の学者。②後で役に立つ智識や学問。━と辞書
の解説にある。

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明治の雑誌『風俗畫報』1,000円で…

2011-08-30 12:32:48 | 日記
…(△印は勝)
 △梶ケ濱ツメ       出羽の海
  雷 電ウキツメ    △錦  木
  鷲ケ濱土俵ワタリツメ△宮城野
  行事   木村庄之助
  九紋龍ヨツテツメ  △柏 戸
 △陣 幕ノトワツメ    雷 電 
   行事    吉田追風
  小野川キマケ    キガチ谷 風

 上記は、『風俗畫報』第108号収載「相撲の起原」
と題する記事の一部分であります。
〔尚、当時、雷電灘之助と雷電爲右エ門の“同名”
力士が同時に存在した。〕
 
 この明治29年2月…発行『風俗畫報』━本文32頁
を、郵送料とも1,000円にてお譲りいたします。
 御希望の方は下記のメールにて御連絡を…。

       k3tanaka@w7.dion.ne.jp
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衒学的表現?

2011-08-29 20:44:24 | 日記
 拙作&私家版『相撲史発掘』第68号の執筆は、
「あとがき」以外は脱稿してしまった。そこで
…彦山光三筆「長崎相撲の由來」⑤をパソコン
━いや、ワープロに打込んでいるのだが……。

 昭和十六年二月十九日の郷土紙への論文━
おしまいのところを転載すると━。

…古をあがめ、今をいやしめるのは、凡俗のつね
であるとはいへ、かうした著作態度に對し、□學
私のごときであつても義憤を□せずにはゐられ
ないのである。

 2箇所、判読が難しい状態なのである。
「□學」━「浅学」とも思うが、“三水”よりも
“行人偏”にみえるのである。
 「義憤を感ずる」が慣用句であろうが、…せず
━なので、いわば“衒学的表現”なのだろうか?
 發せず…にみえないこともないが、別の文字の
ようでもある。
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