太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

出るは出るは

2021-04-25 08:20:17 | 社会観察
 タイトルを見ただけで内容が分るというもの。国家公務員に続き地方公務員の歓送迎会、集団飲食の自粛破りが後を絶たない。新居浜市とか、今感染急拡大の大阪市。首長の言う事なんか誰も聞いてはいない。会社だったら社長の言う事を聞かなかったら下手するとクビ、良くても向こう5年間くらい昇進は望めない。こう書くと大抵、いや大半の公務員は真面目にコロナ対策に取り組んでいるという輩が必ず出て来る。そんなことは分かっている、だから何だ。真面目に働いている人に免じて許してやってくれと言うのか。相殺できないことを引き合いに出すな、別問題だろう。4月は人事異動の季節で警察と教師は新聞の地方版に一面を使って詳細な異動者名簿が載る。あれは組合か互助会が金を出している広告欄か。何のために必要かやっと分った。異動するから歓送迎会宜しくという告知だと思う。刑事事件になるくらいの重い罪でない限り公務員は簡単にクビにできない、勤め先が潰れることもない。明らかにこの二つの安心感が自粛中であろうと緩みを生む。大船で胡坐をかく木っ端役人の皆さんにはこれくらいどぎつく書かないと小心者で自粛を励む身の鬱憤は晴れやしない。
 これは他人だから言える。もしわが子が公務員だったらどうだろう。一攫千金や大出世は望めないまでもコツコツ勤めていれば一生安定した生活が送れるだろう、良かったよかったとなる。勝手なものである。どうすればこの他人と自分事の溝が埋められるか。公務員も5年くらい民間で試用期間があって初めて公務員になるようにする。研修勤務のような制度があれば良い。逆はどうか。民間企業に勤めるものは5年間は役人を経験する。だめだこれでは使い物にならない。あの頃は良かったと現場の厳しさに耐えられない。多くの公務員は物言わぬ公務員である。身内の不祥事だって本音を言えば厳しく責めたいところだろう。分かっているよそんなこと。身内の代わりに私がブログに書いている。残念ながら社会的影響力はゼロだが。

コロナ閑話

2021-04-24 08:07:59 | 日記
 コロナ禍で遠のいていたが我慢の限界を超える伸びで散髪に行った。珍しくお年寄りの先客が居た。店主は気を遣って時々窓を開けて換気をしたり、お喋りの好きな店主だが会話は控えていた。ところがこの客がとんでもなくお喋りで散髪をしながら盛んに話題を振る。話題といっても殆ど自分のことで他愛のないことばかりである。店主がついそれに乗ってしまう。客の年齢は80を超えているだろうか。髪も殆ど無いがシミだらけの頭の僅かな髪を店主は丁寧に鋏で切っている。80を超えると単純な話でも愛嬌がある。
 最も苦手なお年寄りは頑なに何かを信じて自信たっぷりに話す人である。年齢は65~75くらいに多い。世の中で煙たがられる最右翼である。実はその殆どが自身の経験に基づく狭い範囲での思い込みである。年齢ではなくTVのコメンテーターで男女を問わず自信満々にコメントをする人達も苦手だ。その自信は専門家でもないのに何処から湧くのかと不思議である。彼らに共通して必要なのことは、他を認める寛容さである。時々は、ああそういう事もあるでしょうねと他に同調することである。残念ながら殆どは、そういう事もあるでしょうが・・・で切り出す。皆が俺の、私のいう事を感心して聴いていると勘違いでもしなければあの自信は出てこない。
 店主と客の会話でちょっと面白かったのは店主が、自分の母親が血を吐いて慌てて電話を掛けてきたときのこと。駆けつけて救急車を呼んだがコロナ禍で受け入れ病院が無く困ったがやっと見つかった病院に着いたら血は止まってた。その後病院の検査でどうも歯周病で歯茎から出血していたらしい。母親は80過ぎているがまだ全部自分の歯で何でも強くかみ砕ける。その噛む力に歯茎が耐えられなかったのだろう、年とともに適度に歯は抜けないとこういう事も起こると言われたとのこと。聞いていた客は、なるほど何でも年とともに適度に古くならないとダメということですかねと納得していた。そうなるとTVで盛んに宣伝される、何歳に見えますかと言われる年の割にはつるんとした熟年、何処かに歪が出ているだろうと聞きながらこちらも納得してしまった。その内にバランスよく年を取るという健康法ができるかも知れない。
 隠しようもなく私も頑なになる年代の一員である。しかし目指すところが違う。東京物語の笠智衆のように思ったことを半分も口に出さない寡黙な老人になりたい(と思っている)。静かにそっと、この世の邪魔にならぬよう片隅で生きさせて貰う。昨日ワクチン接種のクーポン券が届いた。意外と早かった。ただ予約は5月9日開始からだからちょっと先だ。注射を打つことが目的ではないがそれまでは健康に留意して暮さなければならない。そういえば昔会社の健康診断の前に昼休み急にジョギングを始めた奴が居た。健康診断のためらしい。勿論検査結果に異常がなくて直ぐ止めたが。さあワクチン接種まで健康に留意し自転車で散歩にでも出かけよう。そっと生きているつもりだがブログだけは喧しい。これくらいは許して貰えるか。

再び野心的

2021-04-23 06:54:26 | 社会観察
 政府が温室効果ガス30年度削減目標「46%削減(13年度比)」を掲げた。従来の26%削減目標から大幅に上方修正である。首相が昨年臨時国会で50年度までに実質ゼロを目指すと表明したこと、昨今の欧米が大幅な削減目標を新たに掲げたこともあり政治的決断と言える。26%→46%の経緯は説明されていないが思い出すことがある。勤めていた頃『社員がこうなりたいと同じ夢を描くことは非常に重要で大事なことであるが、月々、年度での「目標」を掲げる場合は夢であってはならない。ジャンプすればそれが手の届くところ実現可能であると皆が思えるようなものでなければならない。』と、夢と目標の違いを教えられた。首相は「…トップレベルの野心的目標…」と説明している。野心的?
 弊3.11ブログ「敢えて苦言を」で業界が50年カーボンニュートラル実現にむけての意見表明で『・・・2030年の目標を「野心的目標」として従来ビジョンの100GWから125GWに上方修正している。先ず当事者が自らを「野心的」と言ってはならない。野心的の一義は、望みなどの、身分不相応に大きいさまである。試みなどの、新しく大胆であるさまを表す意味で使われたのだろうが「野心的」であるか否かは第三者が見る目であって当事者が言うと分不相応なさまを述べていますととられてしまう。ここでは主体者として挑戦とか決意を表す言葉が欲しいところだ。』と批判した。しかし政府まで野心的目標と言うからには前回の苦言は訂正して関係者の皆さんにお詫びしなければならない。念のためウィキではなく広辞苑で「野心」を調べた。一義は故事から「人に馴れ服さないでともすれば害しようとする心」次が「身分不相応の大きな望み」「非道を企てる心」である。どう読んでも自らを表するには良い意味とは思えない。でも政府が言うからには適正な表現なのだろう・・・・?。
 高い目標(夢)を掲げること自体悪いことではない、寧ろ頼もしいのだが便乗商法は問題である。典型は返す刀で原発推進を主張することである。新たに推進議連まで出来て環境とエネルギー安定供給を掲げて勢いづき始めた。一部大手マスコミも同じ主張を繰り返す。エネルギーは種別によって長短があり万能選手は居ない。しかしそれぞれのエネルギーには優先すべき課題がある。原発で言えば環境は温暖化ガスの排出ではなく安全環境だろう。再エネは言うまでもなく経済性である。何か一つ人質にしてこれが良いというのは野心が過ぎる。政府目標は未達になっても国会で追及されるぐらいで罰則規定はない。それでも普段ビジョンが無いとか揶揄される首相は評価されるべきことだろう。例えそれが夢でっあっても何とか実現しようと法制度が動き出す。夢から目標へのブレークダウンがさてどうなるか。

緊急事態宣言が発令されて

2021-04-22 07:43:21 | 社会観察
 首相が4月末に予定していたフィリッピン、インドへの訪問がコロナ感染拡大で中止になった。なんだ不要不急の外遊だったのかなどと嫌味を言うつもりは無い。首相の外国訪問は特に懸案事項がなくとも前首相が示すように必要なことなのだ。寧ろ懸案事項があるところ、小泉さんの訪朝のようにトップ自らが行くことの方が異例である。もし重要案件があるなら事前にシェルパと呼ばれる事務方が訪問し地均しをする。印、比にそれが行ったとは聞いていない。何故首相が度々訪問し都度「援助」というお土産を携えるのか。税金だとか恰好つけの無駄遣いと批判する人も居るが、国連の1票、いざと言う時の協力金といった意味では安全保障上のことである。普段ろくに付き合いもせずお願いするのは失礼というものだ。行くのに手土産が無いのはさらに失礼だろう。
 いよいよ正念場のゴールデンウィークを迎える。第4波は新型コロナウィルスの脅威である。自粛疲れとか言っている場合ではない。入院する場所もなく否応なしに自宅軟禁療法を強いられる事態もあり得る。ニュースを見ていて驚くのは渋谷や原宿の若い人の混雑である。地方の人はそこに行かなくても平気なのだから絶対行く必要があるとも思えない。飲食店の時短営業で路上で酒盛りをする若者も居る。道端でも飲まざるを得ないとしたらもうそれはアル中である。ストレス発散とか言うが、今後人生で待ち構えるストレスは今の比ではない。都度道端で飲んでいたら回復不能なアル中になってしまう。その時病院はやはりコロナ患者で溢れて空き病床は無い。若者が感染すると原宿にも行かず路チュウ(ハイ)も経験したことがない老人にうつる。TVでGWはゴールデンではなく我慢のウィークと言っていたが一生の我慢ではない。まずは緊急事態宣言の期間くらいは素直に我慢をしてみようではないか。イギリスやイスラエルがロックダウンとワクチン接種で感染を抑え込んでいる良い例がある。類をみない良識、公共心に溢れた国民だと思われれば外国に行かなくとも、土産などなくとも世界は日本を信頼するだろう。

コロナに打ち勝った証の五輪

2021-04-20 07:57:10 | 社会観察
 首相が国会でコロナに打ち勝った証の五輪と発言し開催への意欲を示した。打ち勝った証の五輪とはこれまでもキャッチコピーとして使ってきたが今の時期にどうだろうと心配してしまう。証だから開催すればコロナの収束宣言となる。五輪の魅力の一つはアメリカなど大国のアスリートではなく小国でありながら活躍する選手を見ることである。果たして多くの国が選手団を派遣することができるのだろうか。何が何でも開催し、無観客で限られた国だけでの開催とかになると打ち勝った証とは言えまい。イギリスのようにワクチン接種が大きな効果を生んでいる国もあるが開催国日本で効果が現れるのは秋以降ではないだろうか。最初に五輪中止を発言すれば非国民扱いされると怖れて政治家は中々本音を語らない。それとも打ち勝てなければ開催しないと裏読みをすべきか。
 大阪兵庫東京に緊急事態宣言が発令される。これで3度目である。殆ど同じような対策しかなければ何度も繰り返すことでオオカミ少年のようになって国民の危機感は薄れて行く。思い切った人流遮断の策を打つべきである。全てのことは一度感染拡大を止めてから議論すべきである。ワクチンは効果を期待してではなく効果を確認してからである。もし五輪が中止になったら日常生活にどのような支障がでるか。アスリートの人達には申し訳ないが小市民生活には影響ゼロである。
 一生に一度の自国開催とか言われたがこちらは中学生の頃東京オリンピックがあり2度目になる。純粋な感動は中学で使い果たし、その後知ったのは政治的思惑や経済的利権の数々である。2度目があっても悪いけど純粋な感動は池江選手以外ゼロである。それでも1回目の時は日本の経済復興の証であり、その時のインフラ整備は後に経済大国なっていく礎となった。今度期待されているのは何だろうか。オリンピックを契機にとなると、さあ老朽化した社会インフラの整備に取り掛かろうというのだろうか。無理してでも開催する大義は何だろう。