太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

何かが狂い始めている

2016-07-27 10:11:31 | 社会観察

相模原市の障害者施設で悲惨な事件が起こった。死傷者の数は一クラス分くらいに相当する。しかも凶器はナイフのようであり個々に襲いかかって凶行に及んだとは思えない人数である。回復の望みを託し、あるいは生きている限り愛おしいと思って施設に肉親を預けていたであろう家族の悲しみは計り知れない。

最近の悲惨な事件を見るとナイや包丁で刺す、切りつけるといった尋常では考えられないものがやたら多い。それは人の痛みを何とも思わない者が現れているとしか考えられない。私の子供の頃、男の子はポケットに肥後の守というナイフを大概持っていて竹トンボや弓矢、釣竿などを作るのに使っていた。良く指先を誤って切ってしまって痛みと鮮血に驚いたことを覚えている。ちょっと切っても痛いのに、これで他人を傷つけるなど想像しただけでも怖かった。勿論小学校に上がるかどうかの年齢で小刀を持つことが良いとは思わないが、少なくとも“痛み”の恐怖は身に付いた。

今はどうだろう。ゲームで派手な殺し合いをやっても殺される方も、自分がやられるときも痛みなど感じるわけがない。それどころか達成感とか充実感とかをバーチャル世界のできごとから得ているのではないだろうか。そこには他人の痛みなど入り込む余地はない。こういう世代の大人達が増えてきていることは確実であろう。

表現は正しくないかも知れないが、多くの事件で犯人に通常とは異なる精神(疾患)状態を感じる。知人へのインタビューでは、普通に真面目で大人しい人と言われた者が異常な事件を引き起こす。どこかで歯車が狂い始めたのだろう。また薬物事件ではストレスの存在も否定できない。決して昔が良かったとは思わないが、社会が豊かになるに従い精神は逆に脆くなっていくような気がする。統計があるかどうか知らないが、生きるために必死に働く途上国の人達と成熟した社会の人達で精神疾患の罹患率を調べたら多分後者が多いだろう。

先日、ウルグアイの元大統領ムヒカ氏が来日し、富とか幸福について彼の生き方と照らして紹介され話題を呼んだ。世界で最も貧しい大統領と言われた氏は少なからず日本社会に強烈な印象を残した。一方、我々が希求する豊かな社会、一億総活躍社会とはどのようなものなのか。cal.を摂るのではなく摂らない食事、休日なのにファッション雑誌から抜け出たような衣装で、日当たりの良い大きな窓のある家に住み、ガレージには外車、傍には美人の奥さんと小奇麗な可愛い子供が遊び、庭では何十万もする子犬が戯れる。そのような生活ができる社会なのか。

少し違うような気がする。勤めていた会社の社是に「物心両面の幸せを追求する」というのがあった。本当の幸せは物だけが満ち足りていれば適うのではなく精神的な幸せも必要であるということであった。何かが狂い始めた(成熟社会)日本も決して一方に偏るのではなく物心両面の重要性に気付く時である。

何だか尤もらしい新聞のコラムのようになってしまったが、自分に当てはめると5:5であるべき物心が8:2くらいの割で心が少ない。心は未だ彷徨い安らぎの場など見つかっていない。見つけようとしていないのかも知れない。

 



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