太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

追悼の辞

2022-09-28 07:57:04 | 日記
 最近割と身近に居たカリスマ経営者が亡くなった。永く社長を務め、創業者でもある。葬儀委員長でもある現職の社長の弔辞があまりに形式的な内容で会社に大貢献した人に対して冷たい、心が籠っていないと一般社員やOBの声が上がった。社長候補と言われながら長く冷や飯を食わされた遺恨でもあるのかと勘繰られた。一方創業の時からひたすら故人に仕えてきて社長の後継者となった人が友人代表として弔辞を述べた。田舎から出てきた人で大した学歴もなく創業当時からひたすら創業者に仕えてきた史上最高の丁稚、イエスマンに徹した人である。友人代表と言うより丁稚代表と言った方が相応しい。しかし弔辞の役としてはそうも行かない。この弔辞が一般社員からすこぶる評判が良かった。私事、裏話も含めて故人に対する愛情と信頼に溢れていた。しかし冷静に考えてみると代表する立場によって弔辞の内容が異なるのは当然でどちか良し悪しを論ずるものではない。今の社長が私事を交えて弔辞を述べたら友人代表が困る。また丁稚で苦楽を共にしたが今は現役を退いている人が会社や経営のことばかり喋ったら現役の人にとっては迷惑である。弔辞に耳を傾けるとき、この人は何を、誰を代表して弔辞を述べているのか理解しなければならない。国葬のこと言っているのではない。つい身近な想像をしてみただけである。
 昨日は安倍元総理の国葬があった。TV中継は観なかったが岸田総理と菅前総理(官房長官時代の方が印象は強いが)の弔辞についてネットで騒がれていた。新聞に両者の追悼の辞全文が掲載されていたので読んでみた。岸田さんは現職総理であり葬儀委員長という立場もあ、官僚が推敲を重ねたであろう無難なものだった。菅さんは友人代表ということを意識してか多分自ら書かれたのであろう思い出話が多かった。両者の弔辞を比べてどちらがどうこうというネット庶民がいるとはちょっと情けない。代表する立場で述べるもので内容など比較できない筈だ。どちらもそれなりに良かったのではと思うが。一周忌とかやるのだろうか。その前に法整備か。誰が音頭をとって?