じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

不自由な「自由研究」

2017-07-31 21:13:37 | Weblog
☆ 中学生の理科、夏休みと言えば「自由研究」。文字通り自由に研究しなさいということだが、これが実に厄介な課題だ。

☆ 一部の意欲的な生徒は別にして、ごく普通の生徒にとってみれば、まず何をテーマにすればよいのかわからない。

☆ 理科の課題だから、物理、化学、生物、地学の領域を対象に観察か実験をすることになるのだが、どうも漠然としている。

☆ 最近は自由研究をサポートするサイトも多く、またいわゆるハウツー本も多く出版されている。

☆ 自由研究に意味があるのか。

☆ この現状を一番実感しているのは当の理科教員に違いない。毎年、同じようなテーマの同じようなレポートに遭遇するという。ネタ元が同じなのだからそれは当然だ。

☆ テーマが決まったとして、研究の手段がわからない。結局、ネタ元を丸写しすることになる。

☆ そして結論。ある生徒は、ネットを参考(ほとんど丸写し)にして実験の手順まで書いたのに、肝心の結果が書かれていないと嘆いていた。自分で実験すればよいのだが、そこまでは意欲がないそうだ。その生徒は結論が書いてある新たな課題探しに熱中していた。

☆ 最後は考察。科学的な実験は仮説があってそれを実験によって実証するのだが、仮説がないから結論でとまってしまう。そもそも何のために実験(観察)なのかがわからない。

☆ 「おもしろかった」「楽しかった」といった常套句の感想で締めくくられる。

☆ 学校がどういう意図で「自由研究」を課しているのかよくわからない。教員は惰性で課題としているのではなかろうか。もし自由研究に重要な意味があるとするなら、科学的な研究のあり方やレポートの書き方をもっと丁寧に指導すべきだと思う。

☆ 今年も多くの理科教員は、同じようなレポートに忙殺されるのだろう。
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