共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はペルゴレージの誕生日〜隠れた名曲《サルヴェ・レジーナ》

2022年01月04日 19時45分45秒 | 音楽
今日も風の冷たい一日となりました。明日は寒の入りですから、むしろこれから益々寒さがつのってくるわけですが、久しぶりの冬らしい冬を堪能しております。

さて、今日は今年初の誕生日シリーズにしてみようと思います。今日1月4日は、イタリアの作曲家ペルゴレージの誕生日です。



ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(1710〜1736)はイタリア・ナポリ派の作曲家で、特にオペラ作曲家として、後のモーツァルトやロッシーニに受け継がれるオペラ・ブッファ(喜劇的オペラ)の基礎を築いた人物として知られています。

幼い頃から音楽の才能を現したペルゴレージは1731年にナポリ音楽院を卒業し、翌1732年にオペラ・ブッファ《妹に恋した兄》を初演して最初の成功を収めました。1733年にはサン・バルトロメオ劇場でオペラ《誇り高き囚人》を初演しましたが、残念ながらこちらは失敗に終わりました。

それにもかかわらず、この《誇り高き囚人》の幕間劇として作曲されたインテルメッツォ《奥様女中》が歴史的な大成功を収め、オペラの歴史に大きな変革をもたらしました。この《奥様女中》をめぐっては賛否が大きく別れたことによって『ブッフォン闘争』とよばれる白熱した議論が展開され、ひどい時には意見の対立から決闘沙汰まで起きたといいます。

1735年、オペラ《オリンピアーデ》をローマで初演したものの失敗してナポリへ戻ったペルゴレージはこの頃から結核のため体調を悪化させ、オペラよりも宗教音楽の作曲に取り組むようになりました。1736年にはナポリ近郊の聖フランチェスコ修道院に療養に移り、そこで知己を得たナポリ在住貴族の集まり「悲しみの聖母騎士団」から委嘱された《スターバト・マーテル(悲しみの聖母)》を余力を振り絞って書き上げましたが、まもなく26歳で夭折してしまいました。

ペルゴレージの評価は彼の死後どんどん高まっていき、様々な作品が新たに世に送り出されました。しかし実はその多くがペルゴレージの名を騙った偽作で、20世紀に入って全集を編纂するにあたって精査したところ、かつてペルゴレージ作といわれていたものの殆どが残らなかったといいます(汗)。

ペルゴレージ作品で有名なものは、先程も書いたインテルメッツォ《奥様女中》と《スターバト・マーテル》でしょう。ただ、どちらも演奏時間が40分以上かかる作品なので、今日は《スターバト・マーテル》と同時期に書かれたといわれる《サルヴェ・レジーナ(元后憐れみの聖母)》という作品をご紹介しようと思います。

この《サルヴェ・レジーナ》は《スターバト・マーテル》ほど有名ではありませんが、ほぼ同時期に書かれたこともあって《スターバト・マーテル》の兄弟的な存在となっている作品です。甘美で流麗なメロディや切々と歌われる下降半音階に寄り添う和声は、人気オペラ作曲家ペルゴレージの面目躍如たるものがあります。

そんなわけで、今日はペルゴレージの《サルヴェ・レジーナ》の演奏動画を転載してみました。26歳の青年作曲家が遺した渾身の祈りの音楽を、じっくりと御堪能ください。



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