共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日は《ドレミの日》〜グイド・ダレッツォと『聖ヨハネ賛歌』

2023年06月24日 19時00分35秒 | 音楽
今日は薄曇りの空の広がる一日となりました。それでも、昨日と比べると気温が大幅に上昇して、蒸し暑くなりました。

ところで、今日6月24日は《ドレミの日》です。これは



イタリアのベネディクト会修道士で音楽教師でもあったグイド・ダレッツォ(991or992〜1050)が1024年の6月24日にドレミで始まる音階を定めた…と記録されていて、それを祝して《ドレミの日》と制定されています。

毎年6月24日に開催されていた『洗礼者ヨハネの祭』の日の為、グイドは聖歌隊に『聖ヨハネ賛歌』の指導を行っていました。その時、聖歌隊が歌を暗記するのに苦労しているのを見たグイドは、音楽を覚えやすくする方法を考え始めました。

『聖ヨハネ賛歌』という讃美歌は、

Ut queant laxis
resonare fibris
Mira gestorum
famuli tuorum,
Solve polluti
labii reatum,
Sancte Ioannes.

のびのびと
胸いっぱいに響かせて
あなたの驚くべき偉業を
しもべたちが語れるように、
汚れたくちびるから
罪を取り除いて下さい
聖なるヨハネよ

という歌詞で始まります。そしてこの歌は



上の写真にある五線譜の原型である四線譜にあるように各節が一音階ずつ上がっていくように書かれているため、その一音ずつ上がっていく各節の始まりの音に歌詞の頭文字をとって

「Ut Re Mi Fa Sol La」

と決めたものがドレミの起源となりました。

その音階を聖歌隊に覚えさせる手段として、グイドが考案したとされるのが『グイドの手』というものです。これは左手の掌の関節を一つずつなぞって音の名前を覚える…というもので、当時の聖歌隊員たちはゲーム感覚で音階を覚えていったのではないかと思われています。



親指の先を『Γ(ガンマ)』としてそこを「Ut(ド)として、そこから一つずつ下がって「レ」「ミ」と進みます。更にそこから人差し指の付け根に進んで横に「ファ」「ソ」「ラ」と進み、小指の付け根で「シ」…となるところですが、当時の音階はドからラまでの『ヘクサコルド(6音階)』というものだったので、人差し指の付け根を「Ut=ド」としてそこから読み返して、以降は上の図の右側のように中指の先まで進んでいきます。

因みに、この時に読み返した人差し指の付け根にあたるところが「C」になることから、後に「ド」の音が「C」になったといわれています。よく

「なんで『ド』の音が『A』じゃなくて『C』なんだ?」

と聞かれることがありますが、そもそも「ド」の音が音階の主音になったのは、これよりずっと後の時代のことなのです。

後の17世紀頃になって、最初の音を表す「Ut(ウト)」が発音しにくいことからラテン語で「主」を示すDominusの「Do」に変更されました(ただ、フランスでは現在も「Ut=ユト」が使われています)。更に後の時代になってラまでしかなかった音域と音階を広げる必要性が出てきた時に、『聖ヨハネ賛歌』の最後の歌詞から

「Sancte Ioannes=Si=シ」

が追加され、現在の7音階になっていきました。

グイド・ダレッツォの功績については伝承による部分が多くて話がフワフワしてしまいますが、それまで口伝で空間を漂うだけだった音楽を楽譜というかたちで視覚で理解して伝える手法が発明されなければ、現在のように音楽が普及することはなかったかもしれません。そういった意味で、グイドの功績は大きなものがあります。

最後に、ドレミの起源といわれている『聖ヨハネ賛歌』をお聴きいただきたいと思います。現在のドレミ音階の起源となったとされる、美しい中世の讃美歌をお楽しみください(動画中の『ドーレーミー』という声は音階を分かりやすくするために当てられたもので、実際の讃美歌は動いているメロディのみです)。


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