さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 スーズダリ その4

2012年07月31日 | 海外旅行
木造建築博物館に続いて、スパソ・エフフィミエフ修道院にやってきました。

スパソ・エフフィミエフ修道院は、砦のような城壁に囲まれています。スパソ・エフフィミエフ修道院は、1352年創設ですが、17世紀にリトアニア・ポ^ランド軍に破壊された後、高さ8m、長さ1.5km、12の塔を持つ城壁が築かれました。

エカテリーナ2世の時代には、宗教的異端者や政治犯の収容所としても使われました。

入り口の門から入ります。



まず受胎告知)門上教会が現れます。通り抜けて奥に進みます。



庭には、あずまやのような建物が置かれていました。



まず、鐘楼に向かいました。



鐘楼には、大小17個の鐘が置かれていて、時間になると演奏されることから、この時間を見計らって観光客が集まってきます。



手足を使って、鐘を鳴らして演奏が行われました。ただ、曲というには、カーンカーン、ゴーンゴーンという音の連なりで、メロディーらしきものは聞き取れませんでした。



ドミトリー・ポジャルスキー公の埋葬地の上に建てられた廟。ソ連時代に破壊され、再建されたもののようです。

ボリス・ゴドノフが皇帝につくと、イヴァン4世の末子ドミトリー暗殺疑惑が発生し、混乱が起こります。ポーランド・リトアニアの支援で偽ドミトリーまでが登場し、ボリスの死後にはモスクワを占領して皇帝になるなど、動乱時代に突入しました。この国難を打開したのが、クジマ・ミーニンとドミトリー・ポジャルスキー公によって召集された国民軍でした。1612年に、彼らはモスクワに侵攻し、ポーランド軍を追放することに成功し、翌年、全国会議はミハイル・ロマノフを皇帝に選出し、ここにロマノフ王朝が誕生しました。



ウスベンスカヤ教会



修道院の中で、メインの建物になるスパソ・プレオブラジェーンスキー聖堂です。



七つのドームを頂いており、内部はフレスコ画で飾られているようですが、内部には入りませんでした。



前庭には、芍薬が満開でした。ホテルの庭にも植えられており、この地方では一般的な花のようです。



僧坊



修道院には、薬草園が設けられていました。



様々な植物が植えられていました。



花も沢山咲いていました。







薬草園の脇に飲み物コーナーがありました。ロシア語で読めないのですが、ガイドのおすすめということで、蜂蜜酒を飲みました。60と書かれていたものでしたかね。



蜂蜜を発行させて作る蒸留酒で、英語でミードといい、ハニーワインとも呼ばれます。

古代から中世のヨーロッパにおいて、新婚直後の新婦は住居から外出せずに1ヶ月間、強壮作用のある蜂蜜酒を作り、新郎に飲ませて子作りに励んだといい、これがハネムーンの語源になっています。

また、北欧神話では、主神ウォータンや英雄が住まうワルハラ城で飲み交わす酒として蜂蜜酒が登場します。

甘いものの発泡性があるためさっぱりした味わいで、一気に飲めましたが、アルコールがまわってきました。



外に出てから城壁に沿って歩いていくと、川を見下ろす展望地に出ました。



川向こうにポクロフスキー修道院を見下ろすことができました。



野草の花越しに見る修道院は、大都市の大伽藍とは違った、素朴な信仰心を伝えているように思えます。





城壁は長々と続いていました。川にかかる木橋を渡ると、ホテルへの近道になりました。



駐車場脇の民家の飾られた窓。飾り窓というと別な意味になってしまいますが。

さらにスーズダリの街の見学が続きました。
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