6時半ころ起床。窓を開けると桜島とご対面である。テレビのニュースでは桜島の降灰状況をやっているが、私には曇なのか噴煙なのかが今一つ区別がつかない。ところで台風が接近中なのであるが、奄美大島では1時間120ミリの記録的短時間大雨が降った模様。かろうじて鹿児島市内は曇天状態だ。
7時に朝食。食べたものはご飯(野菜カレー少々)、さつま汁、ベーコン、ミートボール、塩鯖、酢鶏、さつま揚げ、出汁巻き、野菜炒め、豚みそ。さつま汁がしみわたる。
第2シリーズとしておかゆ、梅干し、チャーシュー、漬物、辛子明太子、しそ昆布。鹿児島名物ではないだろうが、辛子明太子の辛味と梅干しのかなり強い酸味で目が覚める。
今日は事前に立てていた予定を組み換え、雨が降り出す前に桜島に行って見ることにしよう。あまり観光をせずに美術館と飲み屋にばかり行っている私だが、さすがに桜島には行って見るよね。
まずは市電で市役所前へ。歩いてフェリー埠頭に行き、フェリーに乗り込む。一番多い時間帯では10分おきにフェリーが出発しており、鹿児島側では「運賃は後払いです」ということなので、何も考えずに気楽に桜島にわたることができるのだ。
待っている間に桜島からのフェリーが到着。電車並みに船が運航している。
フェリーが到着すると、乗船していた乗用車が一斉に船を降りる。
桜島側の乗船口。
桜島に到着し、どう攻めようか、すぐ帰ろうかと考えていると、タクシーの運転手さんが「火口は裏側だから、一周しないと見えないよ。もちろん、観光バスもあるけど…」と営業活動で声を掛けられてしまった。あまり観光には積極的ではない私なのだが、桜島のスケール感と、二度と来ることはないかもしれないという思いから、一周してもらうことにした。早速タクシーに乗り込み出発。
ところで桜島に渡ると噴煙が頭上を覆い、何か細かい塵のようなものが肌に当たるのが分かるのだ。さらにどんどん目にも入ってくるのだから、始末に負えない。
感想や運転手さん情報で知ったことは箇条書きで記しておく。
・昔は「向島」(九州側からみて向こうにあるから)と呼ばれていたが、島の人はそれを嫌がる。
・桜島はほぼ桜は咲かない。桜が灰に弱いのと、そもそも降灰のために花見をする発想がないということもある。
・桜島の名前は「桜島忠信」に由来する(運転手さんお気に入りの説だが、他にも諸説あり)。
・長渕剛の石造がある。通り過ぎられてしまったが、写真撮りたかった…(ファンじゃないけど…)。
・灰が降ると車はスリップするため、慣れない人は運転が困難。
・3年前の大降灰の時は、鹿児島の電車が止まった。
・墓に灰がかかるため、地区によっては屋根がある。その屋根は見栄のために段々大きくなりがちである。墓に生花をふんだんに飾るのも見栄っ張りのため。
・どうせ灰で詰るため、家には雨どいがない。
・水なし川が多いが、雨が降ると途端に水量が増す。
・100年前の噴火の時には、井戸水が沸騰した。
・当時2万人以上が住んでいて、全員避難したが事故死がゼロだったそうだ。
・桜島の近くの養殖場ではカンパチが養殖されている。
・桜島には松が多い。灰のせいでマツクイムシが大発生しないためらしい。
・魚を買い占めて海に囲っておいたら、噴火のために全部煮えてしまったことがあったらしい。儲けようとした人は身代をつぶしたので、身代湾という名前が付いている。
・昔は製塩、蝋燭作りで発展したため、島民は非常に金持だった。
・それゆえ、島外に就職する人のことは、皆「かわいそうに」と思ったらしい。
・桜島の噴火としてカウントされるのは、噴煙が1000メートル以上になったケースのみ。
・サッカーが盛んで、中学校の校庭は天然芝になっている。
・以前、火口の下に人面状の模様ができた。
・近くの新島は人口が1名だが、定期船が一応出ているらしい。
・鹿児島の住宅の最大のメリットは「桜島ビュー」だとか。駅・スーパー・病院が近いということより、「窓を開けたら桜島!」というキャッチコピーが一番らしい。
ちなみに、運転手さんの説であるし、また私の聞き違いもあるだろうから、すべてを真に受けないほうがよろしいかと思われる。桜島の裏側では天気のせいで微妙なところではあるが、噴火口から噴煙が上がっているのを見ることができた。
周辺の植物は全体的にグレーになっている。灰がかぶっているのだ。
さらに所々に灰が寄せ集められている。いろいろ降灰の話を聞かせてもらうと、北海道育ちの私は雪や車粉との類似性を非常に感じるのであった。
大正3年の大噴火で埋もれてしまった鳥居。少々掘り出したところで、「これはこのまま残さねばいかん」ということで、こういう姿になったのだとか。
ぐるっと桜島を一周してちょうど昼時になった。歩いて行ける飲食店に行ってみたが、トンカツなど肉押しだったので、ちょっと違うなと思い、鹿児島市内に戻ることにした。
その周辺にバナナが自生(?)していた。鹿児島はいろいろな植物の生育北限になっていることがあるらしい。
7時に朝食。食べたものはご飯(野菜カレー少々)、さつま汁、ベーコン、ミートボール、塩鯖、酢鶏、さつま揚げ、出汁巻き、野菜炒め、豚みそ。さつま汁がしみわたる。
第2シリーズとしておかゆ、梅干し、チャーシュー、漬物、辛子明太子、しそ昆布。鹿児島名物ではないだろうが、辛子明太子の辛味と梅干しのかなり強い酸味で目が覚める。
今日は事前に立てていた予定を組み換え、雨が降り出す前に桜島に行って見ることにしよう。あまり観光をせずに美術館と飲み屋にばかり行っている私だが、さすがに桜島には行って見るよね。
まずは市電で市役所前へ。歩いてフェリー埠頭に行き、フェリーに乗り込む。一番多い時間帯では10分おきにフェリーが出発しており、鹿児島側では「運賃は後払いです」ということなので、何も考えずに気楽に桜島にわたることができるのだ。
待っている間に桜島からのフェリーが到着。電車並みに船が運航している。
フェリーが到着すると、乗船していた乗用車が一斉に船を降りる。
桜島側の乗船口。
桜島に到着し、どう攻めようか、すぐ帰ろうかと考えていると、タクシーの運転手さんが「火口は裏側だから、一周しないと見えないよ。もちろん、観光バスもあるけど…」と営業活動で声を掛けられてしまった。あまり観光には積極的ではない私なのだが、桜島のスケール感と、二度と来ることはないかもしれないという思いから、一周してもらうことにした。早速タクシーに乗り込み出発。
ところで桜島に渡ると噴煙が頭上を覆い、何か細かい塵のようなものが肌に当たるのが分かるのだ。さらにどんどん目にも入ってくるのだから、始末に負えない。
感想や運転手さん情報で知ったことは箇条書きで記しておく。
・昔は「向島」(九州側からみて向こうにあるから)と呼ばれていたが、島の人はそれを嫌がる。
・桜島はほぼ桜は咲かない。桜が灰に弱いのと、そもそも降灰のために花見をする発想がないということもある。
・桜島の名前は「桜島忠信」に由来する(運転手さんお気に入りの説だが、他にも諸説あり)。
・長渕剛の石造がある。通り過ぎられてしまったが、写真撮りたかった…(ファンじゃないけど…)。
・灰が降ると車はスリップするため、慣れない人は運転が困難。
・3年前の大降灰の時は、鹿児島の電車が止まった。
・墓に灰がかかるため、地区によっては屋根がある。その屋根は見栄のために段々大きくなりがちである。墓に生花をふんだんに飾るのも見栄っ張りのため。
・どうせ灰で詰るため、家には雨どいがない。
・水なし川が多いが、雨が降ると途端に水量が増す。
・100年前の噴火の時には、井戸水が沸騰した。
・当時2万人以上が住んでいて、全員避難したが事故死がゼロだったそうだ。
・桜島の近くの養殖場ではカンパチが養殖されている。
・桜島には松が多い。灰のせいでマツクイムシが大発生しないためらしい。
・魚を買い占めて海に囲っておいたら、噴火のために全部煮えてしまったことがあったらしい。儲けようとした人は身代をつぶしたので、身代湾という名前が付いている。
・昔は製塩、蝋燭作りで発展したため、島民は非常に金持だった。
・それゆえ、島外に就職する人のことは、皆「かわいそうに」と思ったらしい。
・桜島の噴火としてカウントされるのは、噴煙が1000メートル以上になったケースのみ。
・サッカーが盛んで、中学校の校庭は天然芝になっている。
・以前、火口の下に人面状の模様ができた。
・近くの新島は人口が1名だが、定期船が一応出ているらしい。
・鹿児島の住宅の最大のメリットは「桜島ビュー」だとか。駅・スーパー・病院が近いということより、「窓を開けたら桜島!」というキャッチコピーが一番らしい。
ちなみに、運転手さんの説であるし、また私の聞き違いもあるだろうから、すべてを真に受けないほうがよろしいかと思われる。桜島の裏側では天気のせいで微妙なところではあるが、噴火口から噴煙が上がっているのを見ることができた。
周辺の植物は全体的にグレーになっている。灰がかぶっているのだ。
さらに所々に灰が寄せ集められている。いろいろ降灰の話を聞かせてもらうと、北海道育ちの私は雪や車粉との類似性を非常に感じるのであった。
大正3年の大噴火で埋もれてしまった鳥居。少々掘り出したところで、「これはこのまま残さねばいかん」ということで、こういう姿になったのだとか。
ぐるっと桜島を一周してちょうど昼時になった。歩いて行ける飲食店に行ってみたが、トンカツなど肉押しだったので、ちょっと違うなと思い、鹿児島市内に戻ることにした。
その周辺にバナナが自生(?)していた。鹿児島はいろいろな植物の生育北限になっていることがあるらしい。
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