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楽譜が読める人による音楽の聴き方論

2013-01-09 15:50:18 | 読書ノート
岡田暁生『西洋音楽史:「クラシック」の黄昏』中公新書, 中央公論, 2005.
岡田暁生『音楽の聴き方: 聴く型と趣味を語る言葉』中公新書, 中央公論, 2009.

  クラシック音楽の研究者・岡田暁生による新書二冊。『西洋音楽史』はクラシック音楽の成立と受容の歴史をコンパクトにまとめた通史。『音楽の聴き方』は聴取についてのエッセイである。クラシック音楽に疎い僕が読んでも、どちらも興味深い著作だった。

  『西洋音楽史』は、芸術音楽の条件を「楽譜に書かれている」こととして、その発展と衰退を辿ったもの。グレゴリオ聖歌から、ストラヴィンスキーとシェーンベルクが活躍する第一次大戦までを範囲として、鮮やかにその系譜をまとめている。20世紀後半以降については簡単な言及があるものの、「クラシック音楽の優位」の自明性が崩れたとして、20世紀前半と無理に接続することを避けている。ドイツのナショナリズムや、教会から王侯貴族へ、さらにはブルジョワ市民へと変化する聴衆についても言及があり、音楽様式と受容環境との関連もうかがえて教養になる。

  『音楽の聴き方』は、音楽の聴き方、および音楽を言葉で表現することについてあれこれ思弁している。著者は楽譜が読める人で、音の感触ではなく、曲の構造も理解するという聴き方をしており、またその点を優位に考えているようだ。この点は著者の射程の限界でもある。というのは、音の感触こそが重要であるポップ・ミュージックをまったく扱えていない。「大衆音楽の多くも形式で言えばロマン派の亜種である」という把握なのだが、これではビートルズ以降の音楽の魅力を分析できないだろう。細川周平のいう「サウンド」概念以前、というかそもそもサウンド聴取一辺倒を本書で批判しているのだが、当たっているようには思えない。20世紀後半のポップミュージックが、西洋芸術音楽では表現することのできない音を出してきたという事実は厳然としてある。著者の聴き方だと、1950年代から60年代のジャズの一側面を評価できるというのが、大衆音楽への最大の接近である。

  とはいえ音楽の聴き方についてあれこれ考えさせる二著で、一読の価値ありである。『音楽の聴き方』の限界から感じた課題は、「サウンド」を語る表現の開発ということになるだろうか。いや、すでに開発されているのだが、アカデミズムが採用していないというだけの話なのかもしれない。
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