ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

稲美町探訪(235):国安・岡を歩く⑧、地蔵山の墓地は旧円光寺の墓所

2010-06-16 09:03:24 |  ・稲美町国岡

Inamimachi7_013_2 円光寺について続けます。

『稲美町史』によると円光寺について、「寛政元年(1789)国安八坂神社の東隣にありましたが、天満宮の境内地に移された」と記しています。

また、「もと光明院と言い、国安八坂神社の東隣にあった」と書いていますが、「もと」とは何時の時代をさしているのでしょう。

「いつ」円光寺に寺名を変えたのでしょう。  

いつの頃か、旧円光寺と墓地は現在の地蔵山墓地に移されたのでしょうか?

地蔵山墓地は旧円光寺野墓地に間違いないことを墓碑(写真)から確かめましたが、元の円光寺の場所(八坂神社に東隣)と地蔵山墓地が少し離れすぎています。

分からないことが増えました。

   地蔵山墓地は旧円光寺の墓所

Inamimachi7_015_2  先日は、地蔵山の墓地について、自信がないものですから「応安と明徳の14世紀の年号が刻まれている五輪塔・宝篋印塔と側の地蔵菩薩立像等は旧円光寺の石造群であろうといわれています」とあいまいな書き方をしました。

後日再度、地蔵山墓地に立ち寄りました。

墓地はきれいに清掃されています。

歴代の僧の墓碑も数基残されていますので、その墓碑の文字を読みました。

その一基の墓碑に「明覚山 圓光寺」とあり、裏面に宝永四年(1707)の文字をはっきり読むことができました。

地蔵山墓地は、確かに旧円光寺の墓地であることは確かめられましたが、今のところそれ以上の詳細は知りません。

この夏の宿題とします。

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