ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

志方町を歩く(45):投松(ねじまつ)

2011-07-12 10:23:46 |  ・加古川市志方全般

190  志方町を東西に貫通した、湯ノ山街道を歩いてみました。でも、再現できませんでした。

 いろいろご存知の方は一報ください。

 このあたりで、次の話題へ移りたいのですが、投松に来ていますので、「投松」の話題を少し取り上げましょう。

投 松

投松は、加古川市内でも最も読方の難しい地名でしょう。

「加古川検定」に出題されるかもしれません。先に、問題をつくっておきます。

問題  次の志方町にある地名「投松」の読み方次のどれでしょうか。

  なげまつ   ねじまつ   とうしょう

答は、「ねじまつ」です。「投松」の呼称について、『志方町誌』は次のように書いています。

 ・・・むかしは、「ねじりまつ」といったが、のち「ねじまつ」になったという。

 この「ねじ松」と言う名は、平荘との村境の街道ばたに、ねじり松の大木があったので、それに因んでつけたものである・・・

村境を示す榜示石(ぼうじいし)を「投げ石」と呼ぶ例がある。「投松」の「投」はこんなところにルーツがあるのかもしれません。

『志方町誌』にあるように、「村境を示す松の大木が、後に盆栽のように捻って育った」と考えるのが自然でしょう。

   もうひとつの投松

ことは簡単ではありません。東志方町大沢に「投松」という字(あざ)がり、こちらは「なげまつ」と読んでいます。

   もとは「捩り松(ねじりまつ)」

 話を志方町の投げ松に話をもどします。

池本寅男氏は『志方郷(第21号)』に、次のような一文を寄せておられます。

一部分をお借りします。

「・・・以前は捩松、捻松村と記されている文献も多くあり、投松と書いた一番古い記録は、寛永六年(1629)である。

投松文字を使うようになった理由がはっきりしない。・・・・

昔の文書は行書・草書が多かったので、書き誤りではなかったかと思う・・・」

池本氏の解釈を読んで「案外、そんなところが真実かもしれない・・」と思えてきました。

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