今、播磨町の歴史探訪に出かけています。
しかし、播磨町の全体を知って書いているのではありません。分かったことを、その都度みなさんに紹介をしています。
そのため、脈絡のない紹介になりますがご了解ください。
特に、今回話題は、先日HPで見つけました。早く紹介したくて、ここに取り上げました。
戦艦大和の主砲削った旋盤
2007年8月15日(水)神戸新聞は、「戦艦大和の主砲削った旋盤 今も稼働」のタイトルで、戦艦大和の主砲を削った旋盤について次のように報じました。
以下の神戸新聞の記事は約7年前の記事で、当時、稼働していた旋盤は、現在、現役を退き工場内で保存されています。
そのため、少し記事内容を変更し、紹介します。
播磨町新島の切削加工、
きしろ播磨工場で保存
当時、世界最大といわれた大和の口径46センチの主砲の砲身を削り出した巨大な旋盤が、兵庫県播磨町の工場に展示されています。
大型船舶向けクランク軸の部品の切削に使われ、ものづくり大国・ニッポンの「匠(たくみ)の技」の継承に一役買っていました。
旋盤はドイツのワグナー社製で全長約20メートル、重さ約160トン。
最大径3.7メートルの鋼材を削れた。
大和など大型戦艦の主砲を削るために1938年(昭和13)、旧日本海軍が購入したという。
広島県呉市にあった「呉海軍工廠(こうしょう)」に設置され、主砲身の外径を削るのに使われた。
大和(全長約260メートル)は、この巨大旋盤から生み出された大砲を備えて45年4月に沖縄へ出撃。その途上、九州南方で米軍の攻撃を受けて沈没した。
当時、呉には外径を削る機械が7台、砲身の内側を削る機械が4台あったが、戦後に連合国軍総司令部(GHQ)の指示で一台を残してすべて破壊された。
残った一台が神戸製鋼所高砂製作所に払い下げられ、長く使われた後、新型機の導入で倉庫に眠っていた。96年、きしろが借り受け、その後買い取った。
きしろ播磨工場では、この旋盤の操作を通じて切削加工技術を、熟練技術者から若い世代へと継承していた。(以下、省略)
*写真:(現役時代の)戦艦大和の主砲を削った旋盤
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