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ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

さんぽ(188):播磨町を歩く(69) 戦艦大和の主砲を削った旋盤

2014-07-13 07:10:59 | 播磨町

  今、播磨町の歴史探訪に出かけています。
 しかし、播磨町の全体を知って書いているのではありません。分かったことを、その都度みなさんに紹介をしています。
 そのため、脈絡のない紹介になりますがご了解ください。
 特に、今回話題は、先日HPで見つけました。早く紹介したくて、ここに取り上げました。
  
戦艦大和の主砲削った旋盤
Photo
 2007815日(水)神戸新聞は、「戦艦大和の主砲削った旋盤 今も稼働」のタイトルで、戦艦大和の主砲を削った旋盤について次のように報じました。
 以下の神戸新聞の記事は約7年前の記事で、当時、稼働していた旋盤は、現在、現役を退き工場内で保存されています。
 そのため、少し記事内容を変更し、紹介します。
  播磨町新島の切削加工、

     きしろ播磨工場で保存
 当時、世界最大といわれた大和の口径46センチの主砲の砲身を削り出した巨大な旋盤が、兵庫県播磨町の工場に展示されています。
 大型船舶向けクランク軸の部品の切削に使われ、ものづくり大国・ニッポンの「匠(たくみ)の技」の継承に一役買っていました。
 旋盤はドイツのワグナー社製で全長約20メートル、重さ約160トン。
 最大径3.7メートルの鋼材を削れた。
 大和など大型戦艦の主砲を削るために1938年(昭和13)、旧日本海軍が購入したという。
 広島県呉市にあった「呉海軍工廠(こうしょう)」に設置され、主砲身の外径を削るのに使われた。
 大和(全長約260メートル)は、この巨大旋盤から生み出された大砲を備えて454月に沖縄へ出撃。その途上、九州南方で米軍の攻撃を受けて沈没した。
 当時、呉には外径を削る機械が7台、砲身の内側を削る機械が4台あったが、戦後に連合国軍総司令部(GHQ)の指示で一台を残してすべて破壊された。
 残った一台が神戸製鋼所高砂製作所に払い下げられ、長く使われた後、新型機の導入で倉庫に眠っていた。96年、きしろが借り受け、その後買い取った。
 きしろ播磨工場では、この旋盤の操作を通じて切削加工技術を、熟練技術者から若い世代へと継承していた。(以下、省略)
 *写真:(現役時代の)戦艦大和の主砲を削った旋盤

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ストライベック (日本海鉄の道)
2025-04-14 13:18:49
たしか、日本鉄鋼協会第九回研究部会(1933名古屋高等学校講堂、名古屋市中区御器所町)の資料によると安来製鋼所(伊部喜作ら)が明治44年(1911)に砂鉄精錬による高速度鋼(高級特殊鋼の一種)よりスタートしたエルー式弧光炉が日本初の本格的量産型の近代電気製鋼の発祥といわれていいますね。
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