弥生時代(3)
大中遺跡(3)・なぞの鏡(内行花文鏡)
昭和38年年(1963)3月、犬中遺跡がある台地の中でも少し高くなっているところにある住居跡から出土しました。
この住居跡は、弥生時代後期のもので、その住居跡は遺跡の中ほどに復元されています。
出土したものとは、鏡片(写真)で、最大長6.2センチ、最大幅3センチで、重さは7.2グラムあり、他の遺跡から出土した鏡を参考に復元(写真下)すると直径が21.2センチになります。
この鏡片は、鑑定の結果、中国の後漢代に製作された内行花文鏡(ないこうかもんきょう)であることが判明しました。
分割鏡
この鏡片は意図的に割った上に、片方を磨いて一直線にし、懸垂ができるように二つの穴があけられており、考古学上、分割鏡あるいは懸垂鏡と呼ばれています。
このような分割鏡は、近年弥生時代の遣跡から時々発見されますが、昭和38年当時、大中遺跡のこの鏡片は、弥生時代の住居跡から発掘された鏡としては日本第一号で、考古学界で大きなセンセーションを巻きおこしました。
この大中遺跡の分割鏡がどのようにして大中の地に運ばれてきたのでしょうか。なぜ分割され、他の破片はどこへ行ったのでしょう。
また、どのような人が首に懸けていたのでしょうか、大きなロマンを感ぜずにはいられません。
この鏡は弥生時代の歴史を調べる上で重要なカギをにぎっていそうです。
というのは、卑弥呼の鏡といわれる三角縁神獣鏡より古く、日本統一前の時代の鏡であるからです。
また、文様は数多くの鏡に用いられ、当時の人びとの心をとらえていたと考えられています。
この内行花文鏡片は、平成10年(1998)に町の文化財に指定され、播磨町郷土資料館に展示されています。(no3757)
*写真上:内行花文鏡片
*写真下:内行花文鏡復原デプリカ
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