手枕の松(たまくらのまつ)
江戸時代、手枕の松は、広く知られ『播磨鑑(はりまかがみ)』にも「・・・この社(別府の神社のこと)に松の大木あり、一抱えばかりの太さに、地より一間ばかり上にて、横にこけたる長さ十間ばかり、枝繁茂して、年々青く茂りたり。 曽根の松に続き無双の霊松なり。 こけたる幹につか柱(支え棒)有り、廻りを石の垣にて隔つ・・」とあります。
現在、手枕の松は、社殿に向かって左前にあるのですが、『播磨鑑』の挿絵を見ると、当時の手枕の松は社殿に向って右側にあったようです。
この手枕の松は、ずいぶん昔からあったようで「一木(いちき)」と呼ばれ、このあたりの集落(別府村)も古くは「一木村」と呼ばれていました。
もっとも、室町時代の頃、村は別府村と呼ばれていたようです。
瓢水、「手枕の松」と命名
この霊松に「手枕の松」と命名したのは、(瀧)瓢水です。
住吉神社には、前号でも紹介した「住吉太明神」の瓢水自筆の扁額があります。
瀧家は、瓢水の代に衰えますが、住吉神社から歩いて西へ五分のところにあり、別府を代表する豪商でした。
瀧家は、住吉神社にも大きな影響力をもっていいました。
そんな事情もあり、瓢水の「手枕の松」と名づける希望もかなえられたのでしょう。(no3369)
*写真:手枕の松(別府住吉神社)