ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

稲美町探訪(190):本岡家(加古川市八幡町下村)

2010-04-25 08:32:41 |  ・稲美町加古

本岡家(四代当主は治兵衛)

421  加古川市少年自然の家に八幡町下村にあった庄屋の家(写真)が移築されています。

 元は、一目で分かる杉の生垣のある大きな家でした。

 この家は、八代当主の本岡嘉平治の時、大工船町八左衛門が建てた、と棟札に記されています。

元禄7年(1694)に建てられたもので、江戸時代前期の住宅構造を知る上で貴重な建築で、「県指定文化財」に指定されています。

 本岡家には、当時の農家にしてはめずらしい平書院、長押などが配置されています。

土間は、竹の簀子(すのこ)天井で豪快な梁が縦横にとおり、上が「つし」となっています。

 (つし・・農家で天井や屋根の下につくった物置部屋)

 本岡家は、「元、越中・越前に所領を持った武士であったが、同地方に猛威をふるった一揆の鎮圧に失敗し、帰農を決意し、姻戚の野村城主をたよって、わずかな郎党とともに、この地に落ちのびた」と伝えられています。

 この本岡家の4代当主は、万治元年(1658)上西条・喜平次、中西条・才兵衛とともに、加古新村の開発に当たった四代当主・本岡治兵衛です。

 寛文元年(1661)、藩の許可を受け、近郷の住民を指導し、ついに百十一町歩あまりを開拓しました。

 現在、本岡家は、保存のため、写真のように加古川少年自然の家のキャンプ場の奥に移築されています。

  *『ふるさと・やはた』(加古川農業改良普及所)、『加古川市史(第七巻)』参照

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