江戸時代以降の二俣、高畑などの集落を大字(おおあざ)といいます。
小字(こあざ)は、さらにそれ以前につけられたより小さな土地の名称です。
これらの小字は、長い歴史の中で、いつ・どうしてつけられたのか分からなくなってしまった例がほとんどです。
二俣の小字について調べてみましょう。
石見完次さんの『古地名新解‐加古川おもしろ誌』(神文書院)を参照させていただきました。
◇二俣の小字◇
二俣は阿閇庄(あえしょう)の一部であり下司(げし)・公文(くもん)等の荘官が置かれ、岸目は、下司に与えられた土地・下司名(げしみょう)であろう。
<久博田(きゅうでん)>
公文職に与えられた給田のことか。
<小林(こばやし)>
小松の林のあった場所かもしれない。
または、地名研究者がいうように、九州に多い「コバ」を焼畑の跡とし、二俣の小林も、水が不便であり焼畑農法による畑作地帯であったのかもしれない。
<髭田(ひげた)>
稗田(ひえた)の訛りだろう。
<女郎目(じょろめ)>
女郎と言うのは神社の巫女のことで、二俣村では女郎田は免租地(無税地)であり、女郎免(じょろめん)といわれていたか、あるいは女郎免を女郎目と聞き違えたのか。
<雁羽目(かんばめ)>
雁とは関係がなく、語源は「川の辺」か「川並べ(かわなべ)」であろう。
<二十代(にじゅうだい)>
「代」は、田の面積の単位で、十代が二畝であるから、四畝の田地のことである。
<西(ノ)川(にしかわ・にしのかわ)>
新井用水開通の明暦二年(1656)までは、西川と呼ばれる川(水路)があり、新井用水は、この西川を利用している。
<村栄(むらさかえ)>
二俣の人は、ソンエイと言う。
<谷庭(たにわ)>
谷の端(ハ)のことであろう。
北に高畑村の西の谷が入り、南へ東谷が伸びている。
<荒内(あらうち)>
荒地の柴や草を刈り荒起こしすることを「荒打」という。新開の土地をいう名で、荒打を荒内とした。
お宅の小字を調べてみませんか。
*きょうの記事は、ほとんど『古地名新解(石見完次著)』からの引用であることを再度お断りしておきます。