きょうのブログは、本文・挿絵ともに『ふるさとの民話』(加古川青年会議所)からの転載であることを最初にお断りしておきたい。
◇ 米墮(よねだ)
大化元年(645)、船師の藤井という人が、年貢の米を船に積んで海を通っいました。
その時、法華山一乗寺(いちじょうじ)にいた法道仙人(ほうどうせんにん)が、鉢を飛ばせて供米を申し入れました。
藤井は、自分だけの了見で米を渡すことができないとことわったところ、鉢はふたたび空中に舞いあがり、それに続いて、積み荷の米も法華山へとつらなって飛んでいってしまいました。
藤井は、驚いてあやまりに行きました。
藤井が供米をこばんだのは、年貢米を私物として考えなかったことが正しいのであって、おこる法道仙人の方が無理です。
法道仙人が笑って許すと、米もとのように連なって船へ飛んで帰りました。
その米俵のうち一俵がこの地に落ちたことから米墮といい、後に米田と呼ばれるようになりました。
(墮には「落とす・落ちる」と言う意味がある)
一俵だけこの地に落ちたのは、法道仙人が信仰している薬師如来がまつってあったので、供物としてあった、といわれています。
その後、米のとれだかもどんど増え、村は栄えていきました。