Go straight till the end!!

世界一周の旅の思い出を綴っています。
ブログタイトルは、出発前に旅日記の表紙に書いた言葉です。

(156)カサブランカ⑤(モロッコ)

2011-09-01 23:55:55 | モロッコ
 Casablanca (カサブランカ)滞在六日目。

 祭りの後のような寂しさと共に朝を迎えた。

 宿(ユース・ホステル)のほとんどの旅人達が今日この街を去る。観るべきものはすでに観た。
 朝食を済ませてすぐに発つ者、午後に発つ者、中にはこれから観光するという者もいた(実は自分もその一人なのだが)。


 
 フランスの俳優 Jean Reno (ジャン・レノ)が生まれた地でもあるカサブランカは、アフリカ有数の都市であり、モロッコ国内では最大の都市だ。
 カサブランカとはスペイン語ポルトガル語【白い家】を意味する。かつてはアンファ(【丘】の意)と呼ばれていた。
 この地に人が住み始めたのは紀元前10世紀頃、当初はベルベル人の街だった。その後、フェニキア人(紀元前7世紀頃)、ローマ人(紀元前5世紀頃)と交易が行われた。
 12世後半からムワヒッド朝(1130年~1269年)、14世紀にはマリーン朝(1196年~1465年)の支配下にあり、イスラムへの改宗も行われた。その後15世紀にアラブ人の海賊の拠点となっていたらしい。1468年に海賊行為に怒ったポルトガル人によって焼き払われている。
 その後1515年に、ポルトガル人によって街は再建され、【 Casa Blanca 】(カサブランカ)(【白い家】)と名付けられたが、リスボン大地震(1755)で被害を受けたカサブランカからポルトガル人達が去ると、街はアラウィー朝モロッコ(1660年~)に統合され、1770年からムハンマド3世(シディ・ムハンマド・イブン・アブダラー)(1710年~1790年)によって要塞化された。
 18世紀からはスペイン、19世紀に入ると他のヨーロッパの列強諸国との間で交易が始まり、街は発展を遂げた。
 1912年にフランスの植民地になり、独立を遂げたのは第二次世界大戦後の1956年。その後はモロッコ最大の都市として繁栄し、世界各国から観光客が訪れている。



 この街を去る前にハッサン2世モスクを観光した。世界で5番目に大きいモスクだ(フランス人ミッシェル・パンソーによる設計)。
 コーラン「神の座は大水の上にある」という一節より、ハッサン2世(1929年~1999年)が「海の上にモスクを創りたい」という願いを叶える形で、大西洋に突き出るように建てられている。海側から見るとあたかも海の上にモスクが建っているように見えるらしい。



 ハッサン2世モスクを観光した後、旅仲間と別れ次の目的地 Marrakech (マラケシュ)へと向かった。

※地図はこちら