くしくも前回の投稿で取り上げた日に松田直樹さん(元日本代表、松本山雅 FC ( JFL ))が急性心筋梗塞の為亡くなられた(亡くなるには早すぎる)。
旅のブログと趣旨が外れるが、お悔やみの言葉を述べさせて頂きたい。
松田さんが練習中に倒れたのは8月2日だった。
この日はなでしこジャパンが、国民栄誉賞を授与されることが政府から正式に発表された日でもある。
恵まれない環境で練習してきたのはなでしこ達だけではない。松田さんが倒れた練習場(公園)には AED (自動体外式除細動器)が無かった。この装置があれば彼の命は助かったかもしれない。
今後、JFL の練習場や、なでしこリーグの練習場に AED の設置が義務付けられると思うが、彼の死を無駄にしないで欲しい。
前回の記事にも書いたように、彼はハッサン2世国王杯のゲーム・キャプテンだった。
彼が日本代表として輝いていたのはトルシエジャパンまでだ。ジーコジャパンでは06年ドイツW杯本大会まで残れなかった。
彼はその性格からか、たびたび指導者・上層部とも衝突している。いつまでもサッカー小僧のままだった。
生涯マリノスを誓いながら、戦力外を通告され横浜 F・マリノスを退団する際も、フロントとの対立が指摘されていた。J1でバリバリやれる実力を持ちながら、退団決定後に手を挙げるクラブはそう多くなかったと聞く。
そんな中真っ先に手を挙げた JFL の松本山雅 FC を、J2、J1のクラブに育てるべく、新たな夢に向かって突き進んでいる矢先の出来事だった。
松田さんの風貌はチェ・ゲバラを彷彿させる。
若くして亡くなったチェ・ゲバラが世界的英雄・カリスマとなったのと同様、松田さんもまた、多くの人々に語り継がれることだろう。
「昔、横浜 F・マリノスに、サッカーを取ったら何も残らないようなサッカー馬鹿がいたんだ。日本代表になるような実力を持ちながら、不器用で上の人間と喧嘩したりして、それでいて後輩やサポーターからは絶大な人気を誇っていた。その選手の名前は松田直樹というんだよ。」
さらば、ミスターマリノス。安らかに眠れ!!
※松田さんの訃報について FIFA もコメントしている。