Casablanca (カサブランカ)滞在二日目。
この日は、宿(ユース・ホステル)の旅仲間と共にフランス代表の滞在するホテルへと向かった。
当時のフランス代表と言えば、98年フランスW杯の優勝メンバーだ。
一番会いたい選手はジネディーヌ・ジダン選手だったが残念ながら会うことは出来なかった。しかし嬉しいことにその他のフランス代表選手と一緒に記念撮影をして頂いた。
一緒に記念撮影して頂いた方は下記の通り。
・ティエリ・ダニエル・アンリ選手(現ニューヨーク・レッドブルズ(米)) とても気さくな方だった。
・ロベール・エマニュエル・ピレス選手(現アストン・ヴィラFC(英)) この方も気さくだった。
・ニコラ・セバスティアン・アネルカ選手(現チェルシーFC(英)) シャイで斜に構えている感じがした。当時まだ21歳だったがもっと年上に見えた。
・ディディエ・デシャン氏(現マルセイユ監督(仏)) フランス代表キャプテン。握手して頂いた。
・エマニュエル・プティ氏 98年フランスW杯決勝で3点目のゴールを決めた選手。少し面倒くさそうにされたが、こちらが無理にお願いしたのだから仕方ない。
・クリスティアン・カランブー氏 一番親切丁寧に応対してくれた選手。しっかり両手で握手をしてくれたし、肩を組んで写真撮影に応じてくれた。どこの馬の骨とも分からない人間に対し、自分の時間を割いて気持ちを込めて接してくれたことを忘れることはできない。人間的に素晴らしい方だと思う。
参考までにに、カランブー氏のウィキペディア記事の一部を下記に引用させて頂く。
・妻は世界一の美脚をもつと言われるセクシーモデル、アドリアナ・スクレナリコヴァ。しばしば、美女と野獣にたとえられる。
・フランスの核実験に公然と反対し、試合前に流される国歌『ラ・マルセイエーズ』の斉唱も拒否、本人はニューカレドニア出身であることから、国籍であるフランス人だと一度も意識をした事がないと言う。平和主義者である。また、1995年と1998年にオセアニア年間最優秀選手賞を受賞している。
フランス代表の広報担当者(?)にインタビュー(ビデオ撮影)されたのだが、フランス語だったので意味が分からなかった(昔フランス語の勉強をしたことがあったが、何の役にも立たなかった)。残念な思い出だ。
それにしても、こんなミーハーなことをしたのは生涯初めてだ。
Venezia (ヴェネツィア)(イタリア)で見た女の子たちの気持ちが少し理解できたような気がした。
※地図はこちら
この日は、宿(ユース・ホステル)の旅仲間と共にフランス代表の滞在するホテルへと向かった。
当時のフランス代表と言えば、98年フランスW杯の優勝メンバーだ。
一番会いたい選手はジネディーヌ・ジダン選手だったが残念ながら会うことは出来なかった。しかし嬉しいことにその他のフランス代表選手と一緒に記念撮影をして頂いた。
一緒に記念撮影して頂いた方は下記の通り。
・ティエリ・ダニエル・アンリ選手(現ニューヨーク・レッドブルズ(米)) とても気さくな方だった。
・ロベール・エマニュエル・ピレス選手(現アストン・ヴィラFC(英)) この方も気さくだった。
・ニコラ・セバスティアン・アネルカ選手(現チェルシーFC(英)) シャイで斜に構えている感じがした。当時まだ21歳だったがもっと年上に見えた。
・ディディエ・デシャン氏(現マルセイユ監督(仏)) フランス代表キャプテン。握手して頂いた。
・エマニュエル・プティ氏 98年フランスW杯決勝で3点目のゴールを決めた選手。少し面倒くさそうにされたが、こちらが無理にお願いしたのだから仕方ない。
・クリスティアン・カランブー氏 一番親切丁寧に応対してくれた選手。しっかり両手で握手をしてくれたし、肩を組んで写真撮影に応じてくれた。どこの馬の骨とも分からない人間に対し、自分の時間を割いて気持ちを込めて接してくれたことを忘れることはできない。人間的に素晴らしい方だと思う。
参考までにに、カランブー氏のウィキペディア記事の一部を下記に引用させて頂く。
・妻は世界一の美脚をもつと言われるセクシーモデル、アドリアナ・スクレナリコヴァ。しばしば、美女と野獣にたとえられる。
・フランスの核実験に公然と反対し、試合前に流される国歌『ラ・マルセイエーズ』の斉唱も拒否、本人はニューカレドニア出身であることから、国籍であるフランス人だと一度も意識をした事がないと言う。平和主義者である。また、1995年と1998年にオセアニア年間最優秀選手賞を受賞している。
フランス代表の広報担当者(?)にインタビュー(ビデオ撮影)されたのだが、フランス語だったので意味が分からなかった(昔フランス語の勉強をしたことがあったが、何の役にも立たなかった)。残念な思い出だ。
それにしても、こんなミーハーなことをしたのは生涯初めてだ。
Venezia (ヴェネツィア)(イタリア)で見た女の子たちの気持ちが少し理解できたような気がした。
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