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ぽかぽか春庭「2023年7月もくじ」

2023-07-30 00:00:01 | エッセイ、コラム

20230730
ぽかぽか春庭2023年7月もくじ

0701 ぽかぽか春庭アート散歩>2023建物散歩梅雨時(3)日本民芸館西館(旧柳宗悦邸)

0702 ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩梅雨(1)美しき漆 日本と朝鮮の漆工芸 in 日本民芸館
0704 2023アート散歩梅雨(2)近代の日本画 in 五島美術館
0706 2023アート散歩梅雨(3)近代美術館常設展示
0708 2023アート散歩梅雨(4)ガウディとサグラダファミリア展 in 東京近代美術館

0709 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記梅雨(1)東御苑散歩
0711 2023文日記梅雨(2)やっちゃんとパンダを見る

0713 ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩夏(1)美術館の中のヴィラン展 in 西洋美術館
0715 2023アート散歩夏(2)木島桜谷 in 泉屋博古館
0716 2023アート散歩夏(3)愛のヴィクトリアン・ジュエリー展  in 大倉集古館
0718 2023アート散歩夏(4)大森暁生展  in そごう美術館
0720 2023アート散歩夏(5)印象派の光展 in 松岡美術館
0722 2023アート散歩夏(6)フィンランドグラスアート展  in 庭園美術館 
0723 2023アート散歩夏(7)古代メキシコ展 in 東京国立博物館
0725 2023アート散歩夏(8)私たちは何者?ボーダレスドールズ展 in 松濤美術館
0727 2023アート散歩夏(9)植物を歩く in 練馬区美術館

0729 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記夏(1)ピアノコンサート in 練馬区美術館
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ぽかぽか春庭「ピアノコンサート in 練馬区美術館」

2023-07-29 00:00:01 | エッセイ、コラム


20230729
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記夏(1)ピアノコンサート in 練馬区美術館

 練馬区美術館には何度か来ているので、ロビーに古いピアノがおいてあるのは目にしていました。
 今回、「植物と歩く展の関連イベントとして、ピアノコンサートが開かれ、ピアノの音色を聞くことができました。スタインウェイ社1877年製造のスクエアピアノ。鍵盤の象牙はやや黄ばんでいるのは百年の重み。音色はとても豊かで、美術館ロビーは、最初から意図してそうしたのか、2階まで吹き抜けの空間でよく響きました。 

 ピアニスト守重結加は、練馬区出身。若くかわいらしい方でした。
 プログラムは、シューマンとシベリウス。森や植物とかかわるタイトルの曲が全部で18曲。60分。
 プログラムの曲は、変更がありました。守重さんは「すみません、3曲ぬかして演奏してしまいましたので、曲順いれかえます」と。
 演奏順。
・シューマン「森の情景」1森の入口 2志部実乃中で獲物を待ち受ける狩人 3孤独の花
・シベリウス「花の組曲」1ヒヤシンス 2カーネーション 3アイリス
・シューマン(クララ・シューマン編曲)ミルテの花より「献呈」
・シベリウス「樹の組曲」1ピヒラヤの花咲くさくとき 2白樺 3もみの木
・シベリウス「村の教会」「森の湖」
・シューマン「トロイメライ」
・シューマン「森の情景」7予言の鳥
 このあと、曲順入れ替えのアナウンスあり
・シューマン「森の情景」4気味の悪い場所 5親しみのある情景 6宿 8狩の歌 9別れ

 演奏の順番が入れ替わっていても気づかない人が大半の聴衆なので、全部ひき終わってからなんでもないように「途中、プログラムの順序と異なる演奏順になりましたので、もう一度曲名を申し上げます」とか、普通の顔して言えばすんじゃうところなのに、守重さんは演奏順をすっとばしたことを素直に謝っていました。とても初々しい感じ。

 プログラムの中、シベリウスの「ピヒラヤの花咲くとき」という曲、ピ比ヤラとはどんな植物なのかな、と思いました。曲の解説でも言及はなかったので、コンサート終了後に調べてみたら、ピヒヤラとはフィンランド語でナナカマドのことでした。

リハーサル時


 アンコールは、守重さんが「みなさん、今日、聞けてラッキーです」という説明のあった、『日本の旋律』。フォン・シーボルト採譜ヨーゼフ・キュフナー(Joseph Kuffner 1776~1856)編曲の、200年前の日本各地で採譜された曲です。シーボルトが持ち帰った楽譜をキュフナーがアレンジしたものがのこされていて、今回学芸員さんが探し出したとのこと。

 第2曲は「かっぽれ」というタイトルだということですが、第1から7曲まで、どれも日本のメロディには感じられませんでした。しかし、このシーボルト採譜の曲は西欧社会に日本の音楽が紹介された記念すべき最初のもの。
 シーボルトが日本の植物だけでなく、わらじから団扇から、なんでも集めて西洋に紹介したことは知っていましたが、音楽まで紹介していたとは知りませんでした。

 シーボルトが1823年に初来日したときにピアノを長崎に持ち込んだ故事により、7月6日は「ピアノの日」と定められらのだそう。日本にピアノがお目見えして200年。山口県萩の熊谷美術館にこのピアノが保存されているそうです。

 シーボルト採譜の「日本の旋律」はじめて聞いたし、今後も聞く機会があるかどうか。守重さんが解説したように「みなさん、今日聞けてラッキーです」のアンコールでした。

 練馬区美術館の1877年製ピアノ、活用されています。
・2016年「没後50年〝日本のルソー”横井弘三の世界展」記念コンサート、ピアノとソプラノ  
・2019年「「ラリック・エレガンス 宝飾とガラスのモダニティ-ユニマットコレクション-」展ピアノとヴァイオリン」
・2020年「「日本・ポーランド国交樹立100周年記念 ショパン―200年の肖像」展」ショパンのコンサート
・2022年「日本の中のマネ」展。ピアノとヴァイオリン

と、毎年ではないようですが、練馬区在住の演奏家を中心にしてロビーのピアノを活用して美術館コンサートが開催されていました。チェックが足りず、これまでのピアノコンサートを聞きのがしていたのが、残念。
 今回は、「植物と歩く」鑑賞券とピアノコンサート込みで1000円です。「無料」と「格安」が大好きなHAL、次は見逃さないように。
 帰りに中村橋エミオの店で「牛焼き肉弁当半額」を買って、帰宅後食べました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「植物と歩く in 練馬区美術館」

2023-07-27 00:00:01 | エッセイ、コラム


20230801
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩夏(9)植物と歩く in 練馬区美術館

 7月22日、練馬区美術館の「植物と歩く」展を観覧。yokoちゃんを誘い、いっしょに展示を回りました。

会期:7月2日-8月25日

 植物画は、いま大人気のジャンル。yokoちゃんはテレビを持っていないので、「らんまん」を見ていないですが、私は牧野富太郎(1862-1957)も大好きだし、神木隆之介が演じる牧野博士をモデルとした槇野万太郎のドラマも大好き。毎回朝も見て、録画してあるので見逃した時は録画見て、欠かさずドラマを楽しんでいます。7月最終週は、いよいよ牧野博士が「世界の牧野」になるムジナモの発見です。

 2017年にyokoちゃんに案内をしてもらって牧野記念庭園にでかけたとき、たくさんの牧野博士の植物画や標本を見ました。今年のみどりの日、小石川植物園の柴田記念室は、ここぞとばかり牧野博士顕彰をやっていました。冷遇されたとはいえ、40年間以上東大で植物学研究をつづけたのですから、東大植物学にとっては、恩人以上の存在です。

 白金植物園(科学博物館付属植物研究植物園)の展示室では、植物画コンクールの入賞作品が絵ハガキになって売られていたのを買ったし、植物画のたのしさを味わってきました。
 2021年の「キューガーデン英国王室が愛した花々シャーロット王妃とボタニカルアート 展(庭園美術館) 」でも、すてきな植物の絵を見ました。

 今回の「植物と歩く」展は、植物や花、木を描いたさまざまなスケッチや油絵、植物画などが練馬区美術館所蔵品を中心に展示されていました。

 ロビーの壁
 

 練馬区美術館の口上
 「植物と歩く」とはどういうことでしょう? 植物は一つの場所に留まっていながらも、根は地中に、茎や葉は地上に伸びて這(は)い広がり、花をひらかせてはしぼむ、その一生は動きに満ちています。本展では、「植物と歩く」という言葉に、植物の営む時間と空間に感覚をひらき、ともに過ごすという意味を込めました。作家は植物を観察しその特徴をとらえようとするなかで、普段わたしたちが気づかずに通りすぎてしまうようなその意外な姿に迫り、自身の思いを重ねてイメージを作りあげるのかもしれません。
 本展では当館のコレクションを中心に展示し、植物がどのように作家を触発してきたかを探ります。コレクションからは、画面をおおい尽くさんばかりに増殖する植物の生命力を描いた佐田勝の油彩画とガラス絵、花が散る瞬間を写実的かつ幻想的にとらえる須田悦弘の木彫、水芭蕉を生涯のモチーフとした佐藤多持の屏風や、約3mの大画面に樹木を描いた竹原嘲風の日本画などを展示します。コレクションに加えて、植物学者・牧野富太郎による植物図と植物標本や、倉科光子による種と芽吹きの両方の時間を記録する絵画を紹介します。
 皆さんも、実在の植物から想像上の植物まで、美術館に集まった魅力あふれる植物たちとともに歩いてみませんか。   

 プロローグ:植物の観察
 植物を観察し、その姿を描く。植物学者・牧野富太郎による緻密な植物図や、倉科光子が東日本大震災の津波浸水域のフィールドワークを通じて制作した水彩画「ツナミプランツ」など、その視点の多様さを提示する。
 
 牧野富太郎 「ホテイラン」1911(東京帝国大学理科大学植物学教室編纂『大日本植物志』、第一巻第四集、第一六図版)紙に多色石版印刷 48x36cm 個人蔵


「カワラサイコ」標本 牧野富太郎採集(高知県)

 イヌタデ標本 牧野富太郎採集(東京)1984


 牧人富太郎「日本植物志第1巻第2集」1902

 朝ドラの中で、十徳長屋の人々も植物学教室の仲間も大喜びで見入っていた、牧野植物志の第1巻です。史実では第4集まで出たところで東大からの横やりが入り、続けられなくなっているのですが、そのあたり、どう脚本にしていくのでしょうか。史実では、植物学教室からの出入り禁止をくらい、ロシアのマキシモビッチ博士は病没、実家の酒屋は倒産してしまうし、牧野家は膨大な借金のために家財差し押さえ。貧乏なせいで13人も生まれた子供の半分は死んでしまうし、すえ子が質入れしたくらいじゃまにあわず、標本を売り払わなければならないというところまで追いつめられます。でも、不思議なことに、牧野の人柄にひかれた支援者があらわれる、という史実。史実では藤丸のモデルの植物学教室仲間は、仕事を得られないことに気落ちして命を絶つのですが、そんな暗い面はカットされるか。

 暗い展開でも、植物の持つ生命力に救われる、というのは、倉科光子のツナミプラントシリーズも同じ。津波に襲われた土地に再生した植物を倉科は描き続けています。
 倉科光子 「ミズアオイ」ツナミプラント (福島県南相馬市防波堤近くで)


第1章「花のうつろい」 
 須田悦弘「チューリップ」1996

 超リアルな木彫です。

靉光(あいみつ) 「花と蝶」油彩・カンヴァス 1941~42年頃


靉光「ばら」1943 「グラジオラス」1944

 
 yokoちゃんは草間彌生のエッチングは苦手だったようで、「通常の感覚の持ち主にはこういうように描けないよね」という。6月にいっしょに食事した元同僚は草間彌生の大ファンだというし、好みはそれぞれ。私は、かぼちゃシリーズは割合好きだし、点々がいっぱいの版画に目が回りそうになるときもある。

第2章「雑草の夜」 
 佐田勝「野霧」1970年代


第3章「木と人をめぐる物語」
 野見山暁治(1920-2023)2014年文化勲章受章者 練馬区の名誉区民。先月2023年6月22日に、102歳で亡くなりました。
「植木鉢と燭台」1948


 竹原嘲風「豊秋禽喜」1929


エピローグ「まだ見ぬ植物  」
 学芸員さんがイベント企画のコンサートで挨拶していました。館所蔵の作品をうまく企画にのせたと思います。いつもなら地味な地味な展示の植物画も今はちょうど「らんまん」人気で、牧野博士の植物画の絵ハガキは「完売」のお知らせが出ていました。
 
 花の絵は古くからのモチーフですし、木や草も、洋画でも日本画でも数多く描かれてきました。
 今回の「植物と歩く」は、自館収蔵品でまかなう、キュレーターの「見せ方」のうまさが光っていました。自然との切むずび方は画家や彫刻家によって異なるように、人もそれぞれの生き方で自然と歩んでいくのでしょう。私はわたしのやり方で、見方で。花や木の間を歩きながら、植物の力を感じました。

大小島真木「大樹 Fetus tree」2020

  (368×549.8)今回一番大きかった綿布の作品

<つづく>
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ぽかぽか春庭「私たちは何者?ボーダレスドールズ展 in 松濤美術館」

2023-07-25 00:00:01 | エッセイ、コラム


20230725
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩夏(8)私たちは何者?ボーダレスドールズ展 in 松濤美術館

 美術館の展示を企画し、準備するのは主にキュレーター(学芸員)の仕事です。展覧会の何年も前に企画をたて、企画が通るように根回しし、作品の借り出しの交渉を数年かけて行う。展示の構成順番を決め、解説文を書き、図録を編集し執筆者に依頼する。ひとりで行うのではないにしても、とてもたいへんな仕事だと思います。

 何年もかけて準備し、ふたを開けてみたらほぼ同じ企画がふたつの美術館で展示された、という例も今年の春ありました。新宿のそんぽ美術館『ブルターニュの光と風展』と上野の西洋美術館『憧憬の地 ブルターニュ ― モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷』の二展。「ブルターニュ」に集い、ブルターニュを描いた画家たちを特集したのです。私はそんぽ美術館のみ見たので、比較はできませんが、プレスへのお披露目で同じ企画がふたつの美術館で行われることがわかったとき、双方のキュレーターの気持ちはどうだったでしょう、と思ったら、両館のキュレーターは学友。東京芸大でモネを中心に19世紀フランス絵画を研究し、学位を受けた研究者。会期中ふたりの対談もあったとのことです。でもやっぱり張り合う気持ちはあったろうな、と、俗人の感想。

 そんぽ美術館だけ見たのは、カンペール美術館という初めて聞くフランスの美術館からの借り出し作品の展示だったから。次にいつ見られるか、わからない。一方西洋美術館は、松下コレクションが中心の自館所蔵作品を並べているから、何年かたてば今回の展示の作品も順に展示される。常設展示の中で見られると思ったので、チケットをけちった。

 さて、学芸員の話は枕です。7月12日に東京37度という暑さの日に出かけて、観覧した松濤美術館の展示にキュレーターのセンスを感じたから。 企画構成は同館学芸員の野城今日子(やしろきょうこ)と平泉千枝が担当。野城さんは、東大で文化財情報を専攻。近代現代彫刻の研究者です。図録の解説も担当。平泉さんは、フランス近世美術、とくにジョルジュ・ド・ラ・トゥール研究の第一人者。

 松濤美術館は、異性装を特集したり、なかなかとんがった展示を見せてきました。今回の「私たちは何者?ボーダレスドールズ展」も、とっても面白かった。

 私は彫刻より人形が好きなので見にいったのですが、私のイメージする鹿児島寿蔵や堀柳女などの枠をらくらくと飛び越えた広い視点の展示で、平安時代の井戸から発掘された「呪いの人形」から、市販されているラブドールまで。とくにラブドールは人形の実物をはじめてみました。私が知っていたラブドールは映画「空気人形」くらい。映画の印象もあるけれど、やはりちょっと陰のイメージがありました。

 松濤美術館の口上
 日本の人形といったら、みなさんは何を思いおこすでしょうか。お雛様?呪い人形?それともフィギュアでしょうか?はたまた、生人形や蠟人形、マネキンも、日本の人形を語る上で欠かせないものでしょう。
 このように日本の人形は、もはや、体系化することが難しいほどに多様な種類があふれているのです。
そして、日本の人形の歴史を振り返れば、民俗、考古、工芸、彫刻、玩具、現代美術と、実にさまざまなジャンルのボーダーラインを縦横無尽に飛び越えながらあり続けていることがわかります。分野を問わない、曖昧な存在を武器として生きながらえてきた唯一無二の造形物が人形といえるでしょう。本展は、 そんな日本の人形の一括りにはできない複雑な様相を、あえて「芸術」という枠に押し込めず、多様性をもつ人形そのものとして紹介することで、日本の立体造形の根底に脈々と流れてきた精神を問うものです。
 何かに縛られることなく軽やかに境界を越えていく日本の人形は、普段、私たちが囚われている「美術」、あるいは「芸術」という概念にさえ揺さぶりをかけます。私たちは一体何を「芸術」とし、何を「芸術」ではないとしているのか。それは果たして正しいのか。人形をとおし「芸術」そのものを考える機会となるでしょう。

会期:前期: 7月1日(土)~7月30日(日) 後期: 8月1日(火)~8月27日(日)

図録表紙

2階ロビーは撮影可能


 2階は時系列に沿って、さまざまなヒトガタ、人形が集められていました。
 惜しむらくは、縄文時代の土偶、古墳時代の埴輪が一体ずつでもあったらよかった。2階の展示最初は、平安時代の井戸から出土した呪いのヒトガタ。呪い殺したい相手の名前がヒトガタのからだに書いてある。「あなたの名前を書いて井戸に投げ込みました」なんて言われたら、それだけで気うつの病になってしまいそう。民間信仰のヒトガタ。おしらさまはよく知られていますが、サンスケという東北のヒトガタをはじめてみました。12人で山に入ると災いがおこるので、13人目をヒトガタとして連れていく。名前はサンスケ

呪いの人形           13人目のサンスケ

第2章 社会に組み込まれた人形 社会を作る人形
 江戸時代、雛人形を飾る習慣も生まれ、民俗や宗教とかかわりながら、人形は日常生活、社会の中に根付いていきます。

 江戸期寛永雛


 三代山川永徳斎  昭和初期

第3章 彫刻の登場 彫刻家の誕生
 明治に美術として彫刻が導入されました。それでもまだ人形はアートとしては認められず、人形がアートとして認知を得るのは1936年帝展に鹿児島寿三、堀柳女、野口光彦の3人が入選してからのこと。

小島与一(1886 - 1970 )三人舞子 1924(大正13)


第4章 美術作品としての人形 人形芸術運動
 平田郷陽らの作品により、人形はアートとしての地位を確立していきます。
 平田郷陽(1903 - 1981 )児と女房1934


堀柳女(1897-1984)踏絵1933   御産の祈り1941
 

鹿児島寿蔵(1898-1982)さぬのちがみのおとめ
 

 近代美術館の工芸館が旧近衛師団の建物にあったころに、何度か展示にいきあった、さぬのちがみの乙女像。歌人でもあった鹿児島寿蔵は、夫は配流され、自身は下級官女であったという万葉歌人の人を恋う気持ちもことばをつむぐ熱い気持ちをも、人形の髪にも手にもこめているように思います。
・君が行く 道のながてを 繰り畳ね 焼きほろぼさむ 天の火もがも(巻15‐3724)
・天地(あめつち)の 底ひのうらに 吾が如く 君に恋ふらむ 人は実あらじ(巻15‐3750)

 2階の展示はひとまわりぐるりと回ると平安の呪い人形から現代のリカちゃん一家の人形まで人形の千年を見渡すことができます。
 何度か見てきた四谷シモンの「解剖学の少年」のほか、私が見たことのなかった人形作家も展示されていて、衝撃的な作品もありました。たとえばは、自分の家族や親族との軋轢や不安定な心理を表現しているという作品。四谷シモンを「グロかわいい」と評する「かわいい」以外のことばを持たない現代のフィギュア好きギャルも、これらを「かわいい」とは言わないだろうけれど、一度見たら忘れられない。

工藤千尋作品
 

 現代の人形といえば、海洋堂のフィギュアです。海洋堂No.1の原型師DOMEのフィギュアが何体かでていました。

村上隆 《Ko²ちゃん(Project Ko²)》1/5原型制作 BOME(海洋堂)1997年

 オリジナルのDOME作品は、海洋堂で一体8万で買えるそうですが、DOMEとのコラボフィギュアを発表してきた村上隆は、売り上手。村上の「マイ・ロンサム・カウボーイ」は、1500万ドル(レートによってかわるが、約16億円)でアメリカの金持ちが買いました。現代アートの見方がにまったくわからない私の目で見ても、村上隆よりDOMEのほうがアートだ。でも、DOMEは海洋堂の一社員で、村上は『芸術企業論』を書いた「売り込む技術」の達人です。村上はゼミの学生に、いかに作品を仕上げるかがアートなのではなく、いかに売り込むかというマーケティングやプレゼンの技術なのだ、と教えていました。

 地階には等身大の生き人形が展示されていました。明治期、等身大のリアルな生き人形は、見世物として人気でした。見世物としての人気が衰えた後は、百貨店の生き人形に着物を着せて、マネキンとして活用する、という方向にむかいました。
 着物のマネキンとして転用された生き人形


 生き人形は見世物扱いですから、作品は興行が終われば廃棄され、海外の博覧会などに出品されたもののほか、国内にはほとんど作品がのこされていません。私も、松本喜三郎(1825 - 1891)や安本亀八(1826 - 1900) の展覧会があったときに見逃しているので、次はアンテナ張って見逃さないようにしないと。

 現代の生き人形。超リアルなドストエフスキー

 ロシア排斥が世に起きた時、そのアンチテーゼとしてこのドストエフスキーが作られたそうです。

第9章
 第9章にあたるラブドール展示は、1階から入るバルコニー展示室。地階の展示が見渡せる幅1.5mくらいの展示場所なのでこんでいたら観覧待ちの列に並ぶかも。高校生以下は入場禁止。いまどきの高校生は、素裸の有明夫人なんぞ見ても興奮しないだろうけれど。

 精巧なつくりのラブドール、オリエント工業で買うなら、一体5万から20万。高いほうが性能がいいのだろうと思う。知らんけど。そのうちAIを組み込んで、ちゃんと会話の相手もしながら求めに応じるような仕組みが備わると思います。
 オリエント工業草野真希子の作品。ラブドール麗人形と愛人形。美男美女が微笑みを浮かべて座っていました。女性の人形の使用目的は知っているけれど、男性人形使用は、女性用なのか男性用なのかわかりませんでした。

 愛人形麗人形の手前には、秘宝館に展示されていた「有明夫人」。秘宝館の展示では、裸体を妖しくさらす夫人の脇にあるおっぱいを押すと夫人が回転し、もうちょっとのところで大事なところが見えそうになるのですが、有明海のむつごろうが登場して、肝心な部分を隠します。

 50年ほど前まで、各地の温泉地にはこのような秘宝館が大賑わいのアトラクションになっていて、全国で200以上の秘宝館があったそう。現在は熱海秘宝館ほか、全国に3館残っているだけ。娘と熱海に泊まったおり、旅行社配布の「熱海周遊チケット」には秘宝館もあったと思うのですが、トリックアート館だけ見て、ふもとに降りるバスの時刻を気にして見ないでしまいました。惜しいことをした。もっとも、女性の秘所が見えた見えないといっても、別段おもしろくともなんともない。

 作品保護と所有権保護のため、館内全面撮影禁止だったのが、ちょい残念。自分の記録のためには、図録を買ったらいいだけのはなしですが、2980円をケチった無職高齢者。
 今回の2500円のぐるっとパス利用で、この人形展がいちばんよかった。行き帰りの渋谷の街は暑かったけれど、家で「冷房つけるか電気代を考えるか」と迷っているなら、冷房のきいた美術館や図書館ですごすのもよい。生き人形に感心したり、村上隆の商魂をやっかんだりするのも、夏の一日。

 1階ロビーの椅子で涼みがてら図録の文字部分は全部読み終わる。

2階ロビーは撮影可能


 松濤から渋谷駅まで歩いただけでどっと疲れたので、渋谷駅地下のカフェでコーヒー休憩。アイスコーヒー500円は、私には高いが、マックが見当たらなかった。さて、次はどこに涼みに行こうか。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「古代メキシコ展 in 東京国立博物館」

2023-07-23 00:00:01 | エッセイ、コラム

20230806
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩夏(7)古代メキシコ展

 7月9日、夫と上野へ。東京国立博物館で開催中の「古代メキシコティオティワカン、マヤ、アステカ」展を観覧。7月789日3日間は、午後8時まで開館しているので、通常混んでいる午後を避け、夜間開館にゆっくり見ようという計画。日曜日午後、混んではいたけれど、週末に来て「混んでいる」と文句を言うこともないので、人のいないところいないところを縫って鑑賞。

 東京国立博物館の口上
 メキシコには35もの世界遺産があり、なかでも高い人気を誇るのが、古代都市の遺跡群です。前15世紀から後16世紀のスペイン侵攻までの3千年以上にわたり、多様な環境に適応しながら、独自の文明が花開きました。本展は、そのうち「マヤ」「アステカ」「テオティワカン」という代表的な3つの文明に焦点をあて、メキシコ国内の主要博物館から厳選した古代メキシコの至宝の数々を、近年の発掘調査の成果を交えてご紹介するものです。普遍的な神と自然への祈り、そして多様な環境から生み出された独自の世界観と造形美を通して、古代メキシコ文明の奥深さと魅力に迫ります。

 会期:6月16日~9月3日
  7月2日(日) 7月7日(金)~9日(日)は20時まで、開館時間を延長


  

展示室1 
第1章 古代メキシコへのいざない  第2章 テオティワカン 神々の都
 紀元前1500年から、メキシコにオルテカ文明が生まれ、とうもろこしの栽培、天体観測による暦作成、人身供犠などの儀礼、儀礼のひとつとしての球技、というメキシコ文明に共通する基本が現れました。


ティオティワカン最古のマスク150-250    巻貝のトランペット 150-250 
 
ティオティワカン 首飾り 200-250  耳かざり首かざり300-350 
  

  土器椀200-250
 

ティオティワカン スカートをはいた立像 200-250


ティオティワカン 鳥型土器 250-550 

 嵐の神の屋根飾り250-550
   
 嵐の神の壁画 350-550 

火の老神石彫 450-550 火の儀礼に使われた。頭の上で火をたく 
                 ティオティワカン楯を持つ立像450-550  
  

死のディスク ティオティワカン350-550 死んで夜となり、朝復活する太陽と同じように、人も復活する


人骨壺 オアハカ 450-550

香炉 ティオティワカン 350-550

三足土器 ティオティワカン 450-550


立像               マスク ティオティワカン350-550
  

第2展示室
第3章 マヤ 第4章 アステカ

蛇の冠をかぶった支配者の像  マヤ600-950  貴族の像
 

吹き矢を使う狩人の土器 マヤ600-830 セイバの木を描いた土器600-830


ジャガーの土器 マヤ600-950年 ジャガーや蛇は王権の力の象徴


球技する人の土偶 マヤ600-950年 
ゴムボールを打ち合う球技は王や貴族の重要な儀礼のひとつ

クモザルの容器 マヤ950-1521年 アラバスターを彫った容器に黒曜石の目

星の記号の土器 マヤ700-830


書記とみられる女性 マヤ600-950  道化の土偶600-950
  
機織りする女性 マヤ600-950
 

鹿狩りの皿 マヤ 600-700


神の顔型エキセントリック 711

ト二ナ 石彫 711 王が戦に勝ち、多数の捕虜を獲得したことを表す

ペンダント マヤ 600-1000

モザイク円盤 マヤ900-1000     イク文字の首かざり250-1000
 

猿の神とカカオの土器蓋


赤の女王 復元


チチェン・イツゥアのアトランティス像 900-1100

トーラのアトランティス像 トラティカ 900-1100

金星の周期と太陽暦をあらわす石板 マヤ900-1000


チコメコアトル神の火鉢(複製)アステカ 1325-1521 
両手にとうもろこしを持ち、火をともして香炉とした。


夜空の石板 アステカ1325-1521 人身御供や戦争で亡くなった兵士を上部の鷲、両脇の金星や星とともに描き、魂は天空を旅する。  
 
トラロク神の壺 アステカ文明、1440~69


鷲の戦士像 アステカ



 

 中米南米に栄えたマヤアステカ文明。
 私は中学生のときに泉靖一の『インカ帝国』岩波新書1959を読み、将来はインカやマヤを研究する文化人類学者になろうと心に決めました。しかし、私が東京にでた年1970年に泉先生はなくなってしまいました。演劇芸能神事を対象とする芸能人類学を文化人類学のひとつとして研究しようと思い、ケニアで舞踏を習っているうちに変わり者の日本人と出会い、研究は挫折しました。
 夫タカ氏は高校生のとき高校に文化講演会にやってきた中根千枝の講演をきいて、将来は文化人類学者になろうと志しました。中根は東洋史学を専攻したのち文化人類学学者になったのですが、タカ氏は東洋史学を専攻したところまでは追っかけでしたが、卒業後はジャーナリストめざし、アフリカの写真をとるためにケニア滞在中、変わり者の女にひっかかって、人生思い通りにいかなくなりました。かわいそ。

 結論。タカ氏もHALも、学者になるほどの頭も根性もなかったけど、「古代メキシコ」展をながめているぶんにはたのしかったです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「フィンランドグラスアート展 in 庭園美術館」

2023-07-22 00:00:01 | エッセイ、コラム

20230722
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩梅雨(1)フィンランドグラスアート展  in  庭園美術館 

 ガラス大好きです。オリエントなどで出土した古代ガラスも、江戸切子などの近世近代ガラスも。
 6月に見たサントリー美術館の「吹きガラス展」も、たのしく観覧しましたし、2022年夏は箱根のガラスの森を3度目の訪問、2022年9月は国立東京博物館の明治期のガラスを見ました。どんだけ好きなんだか。

 今回のガラスの愉しみは、庭園美術館の「フィンランドグラスアート」、近代現代のフィンランドデザインを一望します。
 イッタラの職人が型ガラスを作っている10分足らずの動画が本館1階で上映されていました。この動画が撮影禁止であるほかは、どの展示も撮影自由。
 庭園美術館は、ぐるっとパスで入れる、撮影自由、重要文化財の建物、という3拍子そろったお気に入りの美術館です。

会期:2023年6月24日-9月3日

庭園美術館の口上
 北欧・フィンランドは、広大な森と湖に代表される豊かな大自然を有する国です。機能性とともに洗練された美しさを誇るフィンランドの家具やインテリア、テーブルウェアなどのプロダクトは永く愛され、日本でも近年人気が高まり続けています。
1917年にロシアから独立したフィンランドは、ナショナリズムが高まる中、新しい国づくりと国民のアイデンティティを取り戻すために様々な側面でモダニズムが推進されました。その動向はガラスの分野も例外ではなく、1930年代にミラノ・トリエンナーレや万国博覧会などの国際展示会、それらに向けた国内コンペティションが数多く開催されるうちに、よりモダンなデザイン性が求められるようになりました。デザイナーが手がけた芸術的志向の高いプロダクト「アートグラス」において、フィンランドらしさが芽生えていったのもこの頃のことでした。
 第二次世界大戦後、若きデザイナーたちがしのぎを削って提供した「アートグラス」は国家復興の一翼を担い、1950年代に入るとフィンランドのグラスアートは更なる発展を遂げ、国際的な名声を得て世界のデザイン界にその存在を顕示しました。
 本展は、デザイナーが自ら「アートグラス」の名のもとにデザインし、職人との協働作業によって生まれた作品に着目した展覧会です。1930年代の台頭期から1950年代に始まる黄金期、そして今に至る8名のデザイナーと作家が手がけた優品約140件に焦点を当て、フィンランド・グラスアートの系譜を辿ります。
 表現者たちはガラスという素材といかに対峙し、探求し、創作の可能性を押し広げていったのか―。変わらず輝き続ける作品の魅力とともに、各時代・各作家たちのガラスへの信条と挑戦、込められたメッセージや想いを垣間見ることができる機会です。

 玄関の展示


香水塔越しに展示を見る  /      大食堂から香水塔を見とおす


 1階大広間の展示。まずはフィンランドグラスアートの代表作アルヴァ&アイノ・アアルトの展示です。
「アルヴァ&アイノ・アアルト「サヴォイ」1937(1938パリ万博出品)
                 
 

アアルト「フィンランディア」1937 


 小食堂の展示「アアルトフラワー」1939


グンネル・ニューマン「カラー」1946   「鳥」1937             
 
グンネル・ニューマン 真珠のネックレス1947 花瓶1947 ブライダルヴェール1947 ストリーマー1947 
グンネル・ニューマン「ボウル」1936  「ファセット1」1941 

グンネル・ニューマン「花輪」1937 「エリザベス」1941(エリザベス女王結婚祝い)」                   
 

カイ・フランク「ヨーロッパブナ」1953   「ヤマシギ」1953
 
カイ・フランク「クレムリンの鐘」1956 「アートグラスユニークピース」1968-1972 「プリズム」1953-1956 アートグラスユニークピース1966-1972
カイ・フランク「アートグラス、ユニークピース」1970年代
                     「サルガッソ海」1970代


タピオ・ヴィルッカラ「杏茸」1946 「氷山」1950
 
タピオ・ヴィルッカラ「へら鹿」1949 「木の切り株」1947
 
タピオ・ヴィルッカラ「ユリアナ」1972 「氷上の釣り穴」1975



ティモ・サルヴァネラ「アーキペラゴ」1978 「眠れる鳥(黒い鳥)」1996
 ティモ・サルパネヴァ「リベール・ムンディ」1999 「スマイル」1994


 だれが見てもすぐわかる、あの鼠の耳。実はミッキー生誕65年の記念として依頼された作品なんだって
ティモ・サルヴァネラ「フィンランディア」1964 「蘭」1953
 

 以上、旧館には巨匠たちの作品がたくさん並び、フィンランドグラスアートのデザインの豊富さがよくわかりました。

 新館には、今現在作家活動をしている現役作家の作品が展示されていました。
 

 オイヴァ・トイッカ「知恵の樹ユニークピース」2008
                  マルック・サロ「歓声と囁き」1998

ラシミス「ジグザグ青赤」2015  「寿司 傷跡 アノニマス 」

 旧館の巨匠たち代表作と


新館の作家


 巨匠の作品から現代作家まで、さまざまな技法も知れて、楽しいアート散歩でした。Iittara社の製品。数少ないですが、我が家にもあります。買ったんじゃありません。娘の懸賞生活で当選した「当たり品」です。ピンクのボール。たっぷり入るので、ラーメンもパスタも盛ります。よくグラスも皿も割る私、普段使いにIittara製品をつかうのは私にとっては贅沢。普段は百均食器です。

i

<つづく>
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ぽかぽか春庭「印象派の光展 in 松岡美術館」 

2023-07-20 00:00:01 | エッセイ、コラム


20230722
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩夏(5)印象派の光展 in 松岡美術館

 7月5日水曜日、松岡美術館を観覧。所蔵作品の中の「印象派」を展示した第5室第6室が目玉で、展示の絵は『館蔵フランス近代絵画』という図録に載っている「いつもの館蔵絵画とって出し」の展示です。松岡美術館は、ぐるっとパスを買ったときにはたいてい訪れてきた美術館なので、たぶん、「館蔵フランス近代絵画」も、何度か見ているはずですが、よい絵は何度見てもいいし、なんといっても、ぐるっとパスを最初に買っておけば、何館みて回っても、2500円ですから。第1~4室は常設展示。

会期:2023年6月20日ー10月9日

 松岡美術館の口上
 印象派の画家たちが活躍した19世紀後半のパリは、ナポレオン三世の下、オスマン男爵が取り組んだ大規模な都市改造により道路拡張やガス燈の設置、また鉄道網が形成されるなど、市民生活が大きく変わった時代でした。その変化に呼応するように、伝統が王道とされた絵画の世界も変貌していきます。先駆けとなったのがマネでした。彼は約束事にとらわれない手法で、パリの新しい生活風景を描き出し、絵画に革新をもたらします。印象派の画家たちは彼を慕い、逆境の中で共に学び合いながら新たな表現を模索し、光溢れる絵画を作り出しました。
 当館の創設者 松岡清次郎が事業家として生きた20世紀もまた、産業技術の革新により人々の暮らしぶりが目まぐるしく変わり続けた時代でした。清次郎は貿易を手始めに、冷蔵倉庫業、ホテル、教育事業、不動産賃貸業といった人々の生活に関わる事業を数々手がけ、人々の暮らしに目を向けていました。なかでも、大正12(1923)年に創業し本年創立100周年をむかえた松岡冷蔵は、日本の食品コールドチェーンのパイオニア的な存在であり、日本の台所を支えています。清次郎が印象派の絵画に惹かれたのは、画家たちの生活への眼差しや現状を見据え新たな表現を生み出そうとする心意気にシンパシーを感じたからなのかもしれません。新たな芸術を追い求めた画家たちの作品に清次郎が感じ取った理想の美を見つけていただければ幸いです。

 松岡美術館は、創設者松岡清次郎がメインの事業である冷蔵倉庫業の創立から100年ということで、入り口に大きな清次郎胸像がありました。前回2022年8月にきた時も展示してあったと思うのに、まったく見た記憶がありませんでした。横目でスルーしたらしい。
 清次郎90歳の姿。作者は伊東傀(1918-2009)。この像を作るためにポーズをとっている写真というのが館員ブログに出ていたのは「好好爺」のイメージもあるのに、彫刻のほうは「政治的に正しい言語」でいうと「貫禄ある資産家」、貧乏人のひがみ語でいうと「でっぷり太った金満家」
 ま、金持ちになると美術品集めをしたくなり、それを公共のために美術館として開示するのは、金持ち趣味の中でもいい方だと思います。少なくともカジノで何百億スッタなんてのよりはよい。
 彫刻が「金満家」のイメージになったことは、伊東の表現力だと思うのですが、清次郎はこの「あとあと残るであろう自分の胸像」を、これでよし、として展示することにしたのでしょうから、貧乏人のひがみ語で論評することもないのですが。
 ぐるっとパスで入れて、館内撮影自由、という私が美術館に望むことが両方ある松岡美術館、好きです。(第2室近代彫刻の部屋のみ撮影不可。著作権切れていない彫刻家作品があるからだと思います)

 さて、今回の特集「印象派の光」展は、38点が2室に展示され、よい作品が並んでいましたが、残念なことがひとつ。展覧会のチラシのルノワールの「リュシアン・ドーデの肖像」は、展示替え後半8月15日からの公開であること。展覧会への注文として、「チラシやポスターに使うメインビジュアル作品は、全会期展示にすべきだ」と出入口の受付嬢に言いました。そんなおばはんのことばは責任者まで伝わらないかもしれないけれど、ひとつの意見として、腹にふくるることないように言いました。私の腹がふくらんでいるのはただの脂肪のかたまりだけど。この少女像のほかのルノワールは1点のみの展示で「モネ、ルノワール」と展覧会タイトルに銘打ってあるのに、1点のみって、さびしい。


 モネは3点、ピサロ3点、シスレー1点。シニャック1点。ブータン、ギヨマン、モレ、モーフラ、ロワゾ―、クロッス、プティジャン、マルタン、リュス、ヴァルタが展示されていました。印象派とポストインプレッションを、ほどよく集めていると思います。プティジャンの「ニンフの居る風景」、など、はじめて見る絵もあって、楽しく観覧。

モネ「サン=タドレスの断屋 」1867


モネ「ノルマンディの田舎道」1868


ブータン「海-水先案内人」1884


ルノワール「ローヌの腕に飛び込むソーヌ」1915


ピサロ「羊飼いの女」1887頃(グワッシュ)
ピサロ「丸太作りの植木鉢と花」1876

ピサロ「カル―ゼル橋の午後」1903


 シスレー「麦畑から見たモレ」1886


モレ「ラ・ド・サン、フィニステール県」1911


シニャック「オレンジを摘んだ船マルセイユ」1923

展示されていなかったルノワールの作品のポスターと私。ヴァルタ「黄色い背景と大きな花瓶」と私 

 
  2階4室の陶磁器の部屋も華麗な柿右衛門や古伊万里などがすばらしい色と形を見せていましたし、平日は観覧者が多くなく、落ち着いてすごせる美術館です。
 松岡清次郎が憩いの場にしたという自宅の庭がそのまま残っています。
 松岡清次郎が手に入れる前、白金のこの土地は渋沢栄一から廃嫡された篤二が、政略結婚の嫁から逃げ出して相愛の芸者とふたり逼塞した陋屋のあった場所なんですと。この千坪の土地、どんな家があったのかはわからないけれど、きっと瀟洒な趣深い家だったのだろうな。実業から離れ趣味に徹して生涯をすごした篤二。篤二の次にこの土地を手に入れた松岡清次郎も多趣味の人だったという。
 さて、「金のかからない多趣味」を楽しむ私も、「よそ様の庭眺めるのもタダ」と思いながら庭をながめました。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「大森暁生展 in そごう美術館」

2023-07-18 00:00:01 | エッセイ、コラム


20230718
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩夏(4)大森暁生展  in そごう美術館

 6月30日金曜日、そごう美術館に出かけました。ぐるっとパスで入れるので、気楽なアート散歩ができます。初めて名前を知った彫刻家大森暁生の展覧会。 ぐるっとパスのいいところ、こうして今までまったく知らなかったアートに出あえることです。マティス展の入館料シルバー券1500円を出し渋って、やっちゃんと東京都美術館へ行ったのに、入りませんでした。でも、こうしてぐるっとパスを利用していれば、世界が広がる。年をとればとるほど狭く固まりがちな視野が広がる気がします。錯覚でもいいんです。

 会期:2023年6月3日(土)~7月9日(日)

そごう美術館の口上
 彫刻家・大森暁生(おおもりあきお 1971年-)は、主に木と金属を素材として実在するものから架空のものまで命あるものをモチーフに制作しています。その彫刻は、霊気を帯びているかのように神秘的で、今にも動き出しそうなほどリアルです。
 大森は、1996年愛知県立芸術大学卒業後、籔内佐斗司(やぶうちさとし)工房で修業し、独立。国内外のギャラリー、百貨店、アートフェア、美術館などでの発表のみならず、ファッションブランドやレストラン、テレビドラマやミュージシャンなど異分野とのコラボレーションも積極的に行い、表現の幅を広げます。
 鏡のギミックによりモチーフが軽やかに浮遊して見える「in the frame」シリーズ、熊本市動物愛護センターに保護された犬や猫を題材にした「光の肖像」の作品群など多様な作品を発表します。

 讃岐国分寺寺に収める仏像は撮影禁止ですが、全作品、館内撮影自由でした。
 展示室内のようす


 卒業制作の作品「カラスの舟は昇華する」1996 

月光の狼2012     月夜のテーブルーcougar2004
2匹のアナコンダ
棘の冠1998
UNDERCOUVER×Akio・Ohmori「but beautiful スカート」

ぬけない棘のエレファント1999

 月下のArowana2020
月下のPirarucu2020

 不死の華2016

森神SilverBac と私

 はじめて見た摩訶不思議な動物の彫刻。すらっと通り過ぎて「でっかい象さんやなあ。牙は現実のものだけど、ユニコーンみたいなおでこの角を生やしたのはなぜかなあ」なんて、凡庸なことを思ってすぎましたが、メイキング映像で、木彫のすごい掘り込みを見て、もう一度戻ってじっくりながめました。

 うさぎが鹿みたいな角を生やしていたり、実際にはいない動物も、どこか「絶滅危惧種」的な悲劇的な印象が残ります。
 「死に生ける獣」というタイトルのバビルサみたいに、「死を含む生」に思える。バビルサは、牙が立派なオスがメスを獲得できるという競い合いが嵩じて、長く伸びすぎた自分の牙が顔に突き刺さって死ぬというほんとだかウソだかわからない動物。
 人間もきっとバビルサの牙を伸ばし続けているのだろう。



<つづく>
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ぽかぽか春庭「愛のヴィクトリアン・ジュエリー展 in 大倉集古館」

2023-07-16 00:00:01 | エッセイ、コラム


20230713
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩梅雨(5)愛のヴィクトリアン・ジュエリー展  in 大倉集古館

 ぐるっとパス利用で、大倉集古館を訪問、「特別展 愛のヴィクトリアン・ジュエリー ~華麗なる英国のライフスタイル~ 」を見てきました。
 昨年、八王子夢美術館で見た「愛のヴィクトリアンジュエリー華麗なる英国のライフスタイル 」と重なる内容でしたが、1階2階地階の展示室があり、大倉集古館のほうが点数が多かった。大倉集古館のいいところ。用紙に名前住所を書き込んで申し込むと単眼鏡を貸し出してくれる。細かい宝飾の技をつぶさに見ることができました。

 館内撮影禁止なので、図録を購入。図録は本展のために編集されたものではなく、2010年に編集されたものなので、図録に載っていないものも展示されていましたし、図録には写真があるのに、展示がない、というものもありました。 
会期:2023年04月04日-06月25日

 大倉集古館、いつもは、日本や東洋美術が中心の展示ですが、この「ヴィクトリアン・ジュエリー」の企画は「穐葉アンティークジュウリー美術館 」が同一の展示を各地の美術館で開催しているものです。私が2022年に見た八王子夢美術館の展示と同じようなラインナップだと感じたのも道理。コレクションの出どころはいっしょでした。八王子夢にはレースの展示がなかったので、地階に別展示になっていたのは、穐葉とは別のコレクションなのかと思ったら、レースも穐葉所蔵品でした。
 穐葉美術館は、那須にあった展示館を閉館し、現在はコレクションの所蔵だけ。全国各地の美術館で展示を行っています。

 展示室内


 大倉集古館の口上
 1837 年、18 歳の若き女性が大英帝国の王位を継承し、栄華を極めた時代の幕が開きました。この繁栄期に 64 年間王位にあったのがヴィクトリア女王(在位:1837~1901 年)その人です。植民地を世界各地に築き、圧 倒的な工業力や軍事力によって「太陽の沈まない帝国」と呼ばれたこの時期のイギリスは、ヴィクトリア時代と 呼ばれます。 本展では、大英帝国がもっとも繁栄したヴィクトリア女王の治世、英国王室にまつわる宝飾品をはじめ、当 時台頭してきた資本家層など、多くの人々を魅了したヨーロッパのアンティークジュエリーを中心に、英国上 流階級のライフスタイルを彩ったドレスやレース、銀食器など、華やかで優雅な世界をご紹介いたします。

プロローグ ヴィクトリア女王の愛 
 ヴィクトリア女王(1819-1901 在位1877-1901)は、18歳で即位、1840年21歳同士で母方のいとこにあたるザクセン=コーブルク=ゴータ公国の公子アルバートと結婚。4男5女の母となる。アルバートは王配として政治にもかかわるが、1861年12月14日に満42歳 で死去。
 治世の間、宝飾品を贈答に用いたり身を飾って社交の場に出ることがそのまま「政治」であったことがうかがえる展示でありました。

 アフタヌーンティの習慣など、ヴィクトリアが英国文化に与えた影響は大きなものだったことが感じられました。
 額縁の上に王冠をのせた大きなヴィクトリア女王の肖像が展示され、下にはアフタヌーンティセット。銀が光るポットやカトラリー、カップ&ソーサ―。

1 アンティーク・ジュエリー 1830 
ピンクトパーズとゴールド

エメラルドとゴールド



穐葉美術館の解説 
 アルバート公に長年仕え、また女王の奉仕官でもあったフランシス卿は1869年、56歳の時に聖職者の娘アグネス・オースティンと結婚し、準男爵に任命された。翌年、長女が誕生し、女王一家と強い絆で結ばれていたことからヴィクトリア女王が名付け親となり、女王の名にちなんでアルバータ・ヴィクトリアと命名された。このセットは洗礼式にヴィクトリア女王から贈られたもので、王冠とイニシャル、日付が刻印されている

パールのティアラ

 金のマフ(手を入れる防寒具)チェーン 
  



2 歓びのウエディングから哀しみのモーニング 
 ウェディングドレスをに白一色にしたのも、ヴィクトリア女王の時代から。喪服につけるジェット(黒い化石宝飾)を身に着けて暮らしたのもビクトリア。
 ヴィクトリア様式のウェディングドレス、ケープ。髪飾りのオレンジティアラ



 42歳で夫を失ったヴィクトリア女王は喪服を着用し続け、装身具は黒いジェット。


3 優雅なひととき―アフタヌーンティー 
 大倉集古館の解説
 17 世紀に宮廷に広まった喫茶の習慣は、ヴィクトリア時代に一つのセレモニーとして完成しまし た。マナーにしたがって行われるアフタヌーンティーは、上流階級の社交の重要な要素となりまし た。 そして、「銀の茶道具一式を所有すること」は、イギリスの貴族、上流階級のステイタスシンボル となります。高品質の銀を使った銀器は、威信財として大切にされました。

 お茶の輸入はイギリスによってインドが併合されビクトリア女王がインド皇帝を兼ねるようになると、貴族の間でお茶の時間を楽しむことは儀礼化され、銀製の「アフタヌーンティーセット」をそろえて披露しあうことが社交の一つになりました。お茶一杯飲むのもたいへんなものいり。
  
 地階にはレースが展示されていました。繊細な手仕事に驚嘆。


 大倉集古館の内外には、伊東忠太の好きな怪物がぞろぞろいますが、1階から地階へ階段をおりたところに展示してあったのは忠太怪物かと思ったら、中国古代の獅子でした。お高そうな銀食器や宝飾品を見たあとだと、なぜかほっとする獅子の顔です。


 2階ベランダでのんびり。

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「木島桜谷 in 泉屋博古館」

2023-07-15 00:00:01 | エッセイ、コラム

20230715
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩梅雨(2)木島桜谷 in 泉屋博古館

 木島櫻谷(このしまおうこく)は、近年再評価が高まっている日本画家。10年ほど前から展覧会が各地で行われていますが、私は今回の泉屋博古館(せんおくはっこかん)の展示まで全く知りませんでした。2014年にはこの泉屋博古館で櫻谷展が開催されていたのに、気づかなかったのです。

 6月25日の日曜美術館のアートシーンで泉屋博古館で紹介されていたので、きっとこのあと観覧者がどっと増えるのかも。私は滑り込みセーフで6月24日に観覧。土曜日でもそれほど混んでもいない時期でよかったです。

会期:2023年06月.03日-07月.23日 

泉屋博古館の口上 
 近代の京都画壇を代表する存在として近年再評価がすすむ日本画家・木島櫻谷(このしま・おうこく1877-1938)
 動物画で名を馳せた彼ですが、生涯山水画を描き続けたことも見逃すことはできません。何よりも写生を重んじた彼は、日々大原や貴船など京都近郊に足を運び、また毎年数週間にわたる旅行で山海の景勝の写生を重ねました。その成果は、西洋画の空間感覚も取り入れた近代的で明澄な山水画を切り拓くこととなりました。一方、幼い頃より漢詩に親しみ、また古画を愛した彼は、次第に中華文人の理想世界を日本の風景に移し替えたような、親しみやすい新感覚の山水表現に至ります。
 本展では屏風などの大作から日々を彩るさりげない掛物まで、櫻谷生涯の多彩な山水画をご覧いただき、確かな画技に支えられた詩情豊かな世界をご紹介します。あわせて画家の新鮮な感動を伝える写生帖、収集し手元に置いて愛でた古典絵画や水石も紹介し、櫻谷の根底にあり続けた心の風景を探ります。


 最初にレクチャー室の木島櫻谷紹介ビデオを見ました。この画家について何も知らなかったので。子どものころから絵が好きだったこと、京都画壇で活躍したことがわかりました。
 晩年精神を病み、電車にひかれて亡くなったことは紹介されませんでした。享年62

 残された600冊の写生帖が劣化し、ページを開くこともできない状態だったのを、助成金を得て高精細コピーとしてデータベースに保存できたそうですが、パソコンは1台しかおかれておらず、ひとりしか見ることができないので、レクチャー室でこのデータを見ることかなわず、残念。櫻谷は写生を基本として忠実に写し取り、それを再構成して画面を作り上げた、というレクチャー室の解説でした。

 第1室のこの写生帖展示は撮影可能でした。ガラスケースの中なので、私のカメラでは光が反射してしまい、きれいに撮影できませんでしたが、20代の櫻谷がノート片手に見るものを写し取っていく心を感じ取れるように思いました。

 落木集 京都洛北


 ほんとうはこういう場面ですが
 私は、2分割して撮りました。



 駅路(うまやじ)の春 1913




 展示は前期後期で入れ替えのある作品があり、櫻谷の全容を見たとは言えませんが、また次の展覧会を楽しみにしていきましょう。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「美術館の悪者たち展 in 西洋美術館」

2023-07-13 00:00:01 | エッセイ、コラム

20230713
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩夏(1)美術館の中のヴィラン展 in 西洋美術館

 やっちゃんを上野駅で見送ったあと、西洋美術館の常設展を観覧。「Villains in the Frame」展。
 ヴィランズは、ハロウィーンの時期はディズニーリゾートでも大人気になるなど、悪者が主役になる機会も多い昨今。美術館でも悪者特集が組まれました。

 スケッジャ「スザナ伝」15世紀 
 旧約聖書に出てくる悪者。横長の画面に、3つの時間が描かれています。
1 長老ふたりが、水浴中のスザナに言い寄る。悪事が発覚しそうになると、ふたりは偽証し、スザナを罪に陥れようとする。
2 ダニエルがスザナを助ける
3 悪者ふたりは処刑される


 ドーミエ「とっとっと、ほらおいで、かわいい七面鳥たち」1834
 ナポレオン3世を悪者として描いている

テニールス「聖アントニウスの誘惑」1690


 ゴヤ「美しき女教師」1799


「死の舞踏」のポスター前で


 ディズニーだけでなく、ヴィランズは魅惑的なキャラクターです。特に厳しいキリスト教の戒律の中で暮らしている人々にとっては、そんな戒律をことごとく破壊するヴィランズを絵画の中でとりあげて「こわいもの見たさ」で鑑賞していたのではないかしら。金銭欲も色欲もむき出しにして傍若無人の悪者たち。むろん「このような悪徳にそまってはならない」という教訓付きで描かれたのでしょうが、見る人々にとって、魅力的だからこそ、たくさんの悪者たちが絵画の中にも描かれてきたのだと思います。
 ビバ、ヴィランズ。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「やっちゃんとパンダを見る」

2023-07-11 00:00:01 | エッセイ、コラム

20230711
ぽかぽか春庭にt上茶飯事典>2023文日記梅雨(2)やっちゃんとパンダを見る

 久しぶりに女子高クラスメートやっちゃんと会いました。コロナ以後自粛の間は「お互い高齢者だからコロナ下火になるまでは」と、電話で話すだけでしたが、ようやく会うことにして、上野駅公園口で待ち合わせ。9時半の約束をしたのだけれど、10分くらい早めに駅につき、やれよかった、いつも私が待たせる方なんだけれど、と改札口から出てくる人をチェックしていたら、やっちゃんは公園側から来て「1時間くらい早く着いたので、上野公園のベンチで昨日の会議でもらった弁当を朝ごはんに食べてた。通りがかりの修学旅行の高校生と話ができて楽しかった」と言う。やっちゃんは、定年退職するまで高校の理科教師でした。馬と学生が大好きなやっちゃんです。

 まず、上野動物園に向かいました。双子パンダの観覧が抽選制ではなくなって、先着順に並ぶ方式に変わったので、まずは並んで見ようと。9時半の開園より10分ほど遅れて入園したのに、西園のパンダ列に並んだら、係の人は「10時からパンダ観覧開始です。いまから並ぶ人は10時から50分待ちです」と言う。やっちゃんは「パンダはまたあとでもいいや」と言う。定年退職後、世界各地へ旅行して、中国ではパンダ園で赤ちゃんパンダをだっこしたこともあると言うやっちゃん。そんなにシャオシャオとレイレイに思い入れがない。でも、私は2歳になった双子を見たいので、暑い中並んで待っていました。まだしも薄曇りでなんとかなったけれど、カンカン照りの日は並んでいると熱中症になると思う。50分待ちという案内だったのでがまんして並んでいたけれど、9時半から11時まで90分並びました。観覧は10人ずつくらいで一組1分で「はい、終わりです」と交代させられる。


 2歳のふたごパンダ、むしゃむしゃ竹を食べているのと、うろうろ歩きまわるのがいたけれど、どっちがシャオシャオでどっちがレイレイなのか、区別はつかん。

 東園までシャトルバスで戻る。東園の虎とゴリラを見ました。虎はぐるぐる歩き回り、私とやっちゃんの目の前まで来ます。そして壁に足をかけてジャンプ回転。この回転動作を何度でも繰り返しました。


 ゴリラはじっとしていました。


 ソフトクリームを食べながら


 動物園出口の門(100年前の動物園正門)


 動物園の次に、隣の東京都美術館へ。今回やっちゃんが上京した目的である「都美術館に展示されているやっちゃん友人の水彩画」の観覧。
 1913(大正2)年、石井柏亭らによって設立された日本水彩画会。今回は、設立110年の記念展です。やっちゃんのお友達の水彩画は、港にヨットが停泊している風景画。第1室から第4室までずらりと水彩画が並んでいる中、第1室の展示が「いちばん上手な人が集まっている展示室」なんだそうです。全部で1613点が展示されているそうで、たしかに第3室の高校生の部とか第4室の一般入選作に比べると、第1室はいろいろな賞を取っている作品が多かったように思います。
 どれも1m×2mくらいの大きな絵です。ひとり1万円の出展料を支払って応募するそう。1年間取り組んできた絵画のハレの展示。しかしながら1600点も並んでいると、最後には「どれもじょうず」と言いながら駆け足で回りました。

 失業者の私に、やっちゃんが都美2階精養軒のランチコースをおごってくれました。国体予選が続くため、6月は馬術審査を実施する仕事が週末ごとに入り、一回の審査で3万なにがしの謝礼が出るので、6月は10万以上の副収入。「年金は思ったより少額だけれど、暮らせないほどじゃないから、失業者におごってあげる」と気前が良い。

 やっちゃんが続けている「馬術競技審判」は、資格取得が難しい仕事。でも、75歳で引退になるのだとか。「来年の12月までで終了だ」と言います。ボランティアで続けている大学馬術部指導は、そのあとも続けていくと思いますが、馬術部の学生の成長と同時に、馬小屋周囲の土地を開墾して畑を作るのも楽しみのひとつという。「馬のおやつの人参だけじゃなく、家で食べるくらいの野菜は収穫できる」という。馬と新鮮な野菜に囲まれた、悠々の生活、うらやまし。

 西洋美術館「考える人」の前で


 夕方、各地で激しい雨が降るとの予報なので、やっちゃんは早めに電車に乗りました。夜「家に着く前に、すごいどしゃぶりだったっていうことだったけど、駅から家までは雨がやんでいて、無事帰りました」という電話がありました。やっちゃん、また今度ね。16歳から74歳までのおつきあい、ありがとう。

<おわり> 
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ぽかぽか春庭「東御苑散歩」

2023-07-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
2023079
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記梅雨(1)東御苑散歩

 竹橋の近代美術館に行くときは、飯田橋から竹橋へ地下鉄で向かったのですが、帰りは夫が「竹橋から飯田橋の事務所まで歩いて帰る」と言うので、竹橋駅前で別れました。私は大手町駅までの散歩。

 大手町まで歩いて地下鉄に乗るのに、お堀端を歩くのではなく、どうせなので、平川門から皇居東御苑を歩くことにしました。午後4時半には入園が締め切られていると思っていたのですが、入園締切時間が昔より緩和されたようで、5時少し前に平川門から入園。いつも東御苑は大手門から入り、北桔橋門から出るというコースですが、平川門から入るのは初めてかも。

 平川門



 東御苑は平日の閉園直前という時間帯なので、散歩しているのは「皇居近辺のホテルに宿泊中」という感じの外国人がほとんどでした。



 ちょうどヒメコウホネがかわいい花を池に浮かべていました。


 何年かぶりで東御苑のアヤメ(またはカキツバタまたはショウブ。私はいまだに区別がつかない)の花盛り。

 右端にいるカルガモ君。

 東御苑の林の中を歩くのが大好きです。白金の科学博物館付属植物園と同じように、手入れを最小限にとどめて、東京が武蔵野の中にあった記憶をとどめている林です。かっての武蔵野の雰囲気の中を歩いて大手門に向かいました。

 新館建設でずっと休館中だった三の丸尚蔵館がほとんど出来上がっていたので、じき開館するだろうと楽しみにしています。(一部開館は11月3日)

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ガウディとサグラダファミリア展  in 東京近代美術館」

2023-07-08 00:00:01 | エッセイ、コラム


20230708
ぽかぽか春庭アート散歩>アート散歩梅雨(3)ガウディとサグラダファミリア展 in 東京近代美術館

 前回夫と竹橋の近代美術館に行ったときは、会期終わりごろの「重要文化財の秘密」展は、午後かなり混んでいましたので、今回は「ガウディとサグラダ・ファミリア展」を会期初期に見よう、と6月21日に見に行きました。

 会期初めの平日ですが、かなりの混みようでした。NHKがサグラダファミリア関連の番組を多数放映しており、この近代美術館でのガウディとサグラダファミリア展の宣伝もかなりの力のいれようでスポットのおしらせを入れているので、NHKの宣伝力はすごい。

会期:2023.6.13–9.10

 近代美術館の口上
 スペインのバルセロナで活躍した建築家アントニ・ガウディ(1852-1926)は、一度見たら忘れることのできないそのユニークな建築で、今なお世界中の人々を魅了し続けるとともに、様々な芸術分野に影響を与えてきました。
 本展では、長らく「未完の聖堂」と言われながら、いよいよ完成の時期が視野に収まってきたサグラダ・ファミリアに焦点を絞り、ガウディの建築思想と創造の源泉、さらにはこの壮大な聖堂のプロジェクトが持っていた社会的意義を解き明かします。図面のみならず膨大な数の模型を作ることで構想を展開していったガウディ独自の制作過程や、多彩色のタイル被覆、家具、鉄細工装飾、そして彫刻を含めたガウディの総合芸術志向にも光を当て、100 点を超える図面、模型、写真、資料に加え、最新の技術で撮影された建築映像も随所にまじえながら、時代を超えて生き続けるガウディ建築の魅力に迫ります。


 建築図面や建物の写真、模型の展示が並んでいました。建築好きで図面を見ることも楽しいと思う私に対して、夫は「なんだかよくわからない展示だったな」と言います。建築や彫刻が好きでないと、楽しめる部分が少なかったのかもしれません。
 展示は、第3章の部分は撮影可能でした。さらに、6月20日から25日を「ガウディ・ウィーク」として、来場者にポストカードがプレゼントされ、夫はいらないと言うので、2枚ゲット。

 2026年にすべてが完成するというサグラダファミリア教会

 
 ガウディがサグラダファミリアのモデルのひとつにしたダンジール計画案
 サグラダファミリア模型
マルコの搭模型 
 

 サグラダファミリア教会入口の彫刻

 サグラダファミリア入口の彫刻の複製


 夫は「ようわからなかった」と言う展覧会でした。 


 私は、模型展示もガウディデザインの椅子の複製も、ガウディのノートも面白かったです。
 

 展覧会の記念に毎回買う絵ハガキ。今回はガウディのデザインしたカサ・ビサンスの正面セラミックタイル(1883) 


 近代美術館が来場者に配布した絵ハガキ


 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「近代美術館常設展示」

2023-07-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230706
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩梅雨(6)近代美術館常設展示

 夫とでかけた近代美術館のガウディ展ですが、おもったより会場が混雑していたので、途中で退場しました。夫は176cmなので人の頭越しにでも展示を見ることができますが、150cmの私、ちょっと混んでいると人の中に埋もれてしまって展示を見ることができません。観覧者が減るであろう16時に再入場することにして、夫は4階の「眺めのいい部屋」で休憩。私は常設展を見て回りました。

 季節ごとに常設展示の入れ替えがある近代美術館ですが、前回「重要美術品の秘密展」に来た時とそれほど日にちが経っていないので、展示は変わっていないかと思いました。それほど美術が好きでない夫は休憩を選んだのですが、前回は春の展示で今回は夏の展示に入れ替えがあった時期だったのか、新展示がかなりありました。特に3階の日本画展示室は女性画家特集が企画され、見たいと思っていた伊藤小坡 の作品も展示されていました。

 伊藤小坡「春宵」1942

 上村松園「静」1944

 中国との開戦以来、日本人画家も戦争に動員され、近代美術館の中に藤田嗣治と小磯良平の大きな戦争画も展示されていました。
 上村松園にも、戦争に向かう世論を鼓舞する絵の要望があったろうけれど、1944年という太平洋戦争敗色濃い時期に松園が描いたのは、静御前がきりっとした表情で頼朝政子の前で踊り出そうとする姿。軍部には「銃後の女子の覚悟を示す」とかの言い訳がつけられたことでしょうが、そんな背景はなしでも無心に絵を見れば、静御前の心が伝わってきます。

 池田蕉園(1886-1917)「かえり路」1915年 (新収蔵品)

 上村松園らの次の世代に当たる片岡球子(1905-2008)、なんといっても100歳を超えても現役画家として絵筆をとり、103歳で急性心不全で亡くなるまで活躍なさったことを思うと、73歳などまだまだひよっこと思います。

 片岡球子「ポーズ21」2003(98歳の作品。1983年から一人の女性をモデルに20年間描き続けたシリーズ作)


 志村ふくみ(1924-)「七夕(紬織)」1960
 堀柳女(1897-1984)「瀞」1957
 

 彫刻に対して、人形は長く「芸術」とは認められてこなかった分野です。私は彫刻よりも鹿児島寿三(1898-1982 )四谷シモン(1944-)与勇輝(1937)などの人形のほうが好きです。
 
 今回の常設展では、久しぶりに藤牧義夫(1911-1935)の「赤陽」の展示もあり、長谷川利行(1891-1940)の「鉄工所の裏」は初めて見るも見ることができて、充実した常設展でした。
 
 藤牧義夫「赤陽」1933      「しねま」1933
 
 藤牧義夫「鐵」1933
 
 
 長谷川利行「鉄工所の裏」1931

 
 松本竣介 (1912-1948)「黒い花」1940


 藤牧と長谷川は戦前に亡くなっています。松本は戦意高揚のポスターを描いたこともあるとされていますが、藤田嗣治小磯良平らのように積極的に戦地に赴いて戦争画を描くような軍部協力をしていない。むろん、戦争協力のあるなしで画家の作品を語ることはできないが、なんとなく私が好む画家の傾向があることに気づきました。

 靉光(1907-1946)もそのひとり。戦争画を描く事を当局より迫られ「わしにゃあ、戦争画は描けん。どがあしたら、ええんかい」と言ったというエピソードが知られています。戦争を描かない画家は容赦なく徴兵され、戦地で赤痢にかかって戦病死。作品の多くは広島原爆によって消失。「自画像」を近代美術館へ寄贈した井上長三郎は、新人画会、池袋モンパルナスの画家としてで靉光と関わり、自画像を託されたのでしょう。広島ではないところにあったゆえ、作品が残りました。 

 靉光「自画像」1944


 岡本太郎は、従軍画家としてでなく、ただの陸軍二等兵として31歳で補充兵応召。中国で捕虜生活ののちに帰国。高齢で徴兵されたのは、従軍画家にならなかったためでしょう。

 岡本太郎「コルトポアン」1935 作品が戦災で焼失したため1954年に再制作。


 なんとなく好き嫌いがあるのは、それぞれの好みゆえでしかたないことですが、何人かの画家を比べて見て、好きな画家には「従軍画家として戦地で戦争画を描く」という経歴がない、という共通点に今回気づきました。なんか、腑に落ちた。

<つづく>
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