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ぽかぽか春庭「2021年4月目次」

2021-04-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
20210429
ぽかぽか春庭「2021年4月目次」

0401 春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>日本語学校春(1)卆業式
0403 日本語学校春(2)日本語学校の入学から卒業まで1年半コース
0404 日本語学校春(3)留学生桜を見る
 
0406 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記春(1)横浜散歩,中華街関帝廟と山下公園
0408 2021二十一世紀日記春(2)名残の桜散歩
0410 2021二十一世紀日記春(3)浅田真央サンクスツアー 
0411 2021二十一世紀日記春(4)スケートショウ観覧余話
 
0413 ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2021ホームステイシネマ春(1)海街ダイアリーロケ地
0415 2021ステイホームシネマ(2)年表による史実対決如懿伝 VS瓔珞
0417 2021ステイホームシネマ(3)パラサイト半地下の家族
0418 2021ステイホームシネマ(4)こんな夜更けにバナナかよ
0420 2021ステイホームシネマ(5)きよしこ
0422 2021ステイホームじゃないシネマ(1)82年生まれキムジヨン
0424 2021ステイホームじゃないシネマ(2)フェアウェル
0125 2021ステイホームじゃないシネマ(3)ニューヨーク親切なロシア料理店
0427 2021ステイホームじゃないシネマ(4)ハピチャ
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ぽかぽか春庭「パピチャ」

2021-04-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
 
20210427
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>ステイホームじゃないシネマ(4)パピチャ
 
 「パピチャ」は、2020年10月日本公開のアルジェリア映画。ムーニア・メドゥール 監督が、子供時代をすごした1990年代のアルジェリアの女性たちを、自身の体験をもとに脚本を書き、全編アルジェリアロケで撮影しました。
 「 パピチャ 」とは、アルジェリアのスラングで「 愉快で魅力的で、常識にとらわれない自由な女性 」という意味なんだそうです。江戸時代の「おきゃん」昭和初期の「おちゃっぴぃ」に当たるでしょうか。
 
 第45回セザール賞新人監督賞を受賞。また、主演のリナ・クードリが有望若手女優賞を受賞。しかし、本国では当局によって上映が中止され、いまだ公開には至っていません。そのため、「本国での公開が条件」という米アカデミー外国語映画賞に応募できないところでした。特例として外国語作品賞にノミネートされたのはよかったけれど。
 
 イスラム原理主義者などによるテロの恐怖や女性への締め付け(女には教育不要、顔を覆うヒジャブをつける「正しい服装」の強要など)を経験したのち、ムーニア監督は、 両親に伴われてフランスにのがれ、フランスで教育を受けました。しかし、アルジェリアに残らなかったことをずっと悔やんでいたのだそうです。映画は、アルジェリアに残ることを選んだネジュマを主人公に、暴力や宗教的抑圧のなかで生き抜く女性たちを描いています。
 以下、ネタバレ含む紹介です。
 
 フランスから独立し、政治的には自由になったはずでしたが、イスラム教による宗教抑圧は、植民地化のアルジェリアよりさらに強く女性たちを押さえつけています。
 女子大生ネジュマは、女子寮での生活を謳歌しようとしますが、門限を守らないことで、門番にレイプされそうになったり、ネジュマの親友ワシラは「正しい家庭の女性となら結婚できるが、親の目の届かない女子寮に暮らす女などとは結婚できない」というボーイフレンドに悩んだり。
 
 ネジュマの夢は、思い通りの服を作り、売ること。現在できるのは、寮で作った服を、町のナイトクラブのトイレで女性たちに売ることくらいです。世界中の女性に自分の作った服を着てもらいたい、という夢が実現できる望みは、、、、
 
 真実を伝えることを仕事にしたネジュマの姉は、テロに遭います。女性が社会に出て働くことを許さない宗教上のおきては、まだ社会からなくなっていないのです。
 ネジュマは、大学寮でファッションショウを実施し、自分の服を皆に見てもらうことをあきらめません。
 親友ワシラ(シリン・ブティラ)との仲たがいなど、さまざまな障害を乗り越えて、ファッションショウが開かれます。
 ランウェイを歩く晴れやかなネジュマの友達。ネジュマが伝統的な布地ハイクを使ったデザインです。しかし、内部だけの公開だったはずのショウなのに、悲劇が待ち構えていました。
 
 ラストは、ネジュマの友達アミラ(イルダ・ドゥアウダ)の「未婚の出産」をネジュマが「いっしょに育てよう」と励ますシーンで終わります。イスラム圏で未婚出産をする「恥ずべき女」は、父親か兄に「一族の恥さらし」として殺されてしまうかもしれない立場です。
 
 パキスタンから「女性にも教育を受けさせて」と主張して銃撃されたマララ・ユスフザイ の例は、目に見える暴力でわかりやすい。しかし、女性への抑圧は、目には見えずとも世界中に根深く、住む家、仕事、服装、結婚の自由など、基本的な人権が守られていない国も多い。
 自由なように見えて、女性の地位の低さは世界で150か国中124番目という日本。教育や健康管理の面では世界でもトップクラスなのに、女性議員や政治家、会社のトップになる人数が極端に少ないために、女性地位全体では日本は低位置にとどまっています。
 
 日本の女子大生たちの本音。
 一流大学を卒業して一流企業に就職するのも、一流の男をつかまえて、セレブ主婦になるため。苦労して男社会の中で仕事をしても、しょせん下働きで終わる。それよりは、結婚相手を「支える」ほうが、はるかに手に入れるものが大きい、とシレっとインタビューに答える女子大生を見ていると、戦後民主主義の時代に「これからは女性も活躍できる時代。自分の力で将来を切り開いていこう」と、育てらえた私たちの世代はなんだったのかと感じます。
 
 戦時中、「パーマネントはやめませう」「贅沢は敵だ」と叫んで町内をパトロールしていた女たち。彼女たちにとっては、モンペを履くことが正義だった。パピチャのなかで「ヒジャブをつけた正しい服装」を強要する女性たちの姿が重なりました。
 
 「パピチャ」がアルジェリア国内で上映禁止になったということは、まだこの国の女性たちが置かれた立場は変わっていないのだろうなあと思います。
 女性だけでなく、弱い立場に置かれた人々がすべての抑圧から解放される世界はまだまだ遠い未来なのでしょうか。
 
 それでも、私たちは、好きなファッションを身に着けて、未来を見据えてランウェイを胸を張ってすすんでいかなければなりません。ランウェイの先が光の中に輝いていない現在だとしても、あきらめるな、世界の女性たち。Old feministより、愛をこめて。
 (私の好きな服装は「夏は裸でなければよし、冬は寒くなければよし」ですが)
 
<おわり>
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ぽかぽか春庭「ニューヨーク親切なロシアレストラン」

2021-04-25 00:00:01 | エッセイ、コラム


20210424
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>ステイホームじゃないシネマ(3)ニューヨーク親切なロシア料理店

 「親切なロシア料理店』(原題:The Kindness of Strangers見知らぬ人の親切)は、2020年12月日本公開の映画。
 監督はロネ・シェルフィグ。ロネ(Lone Scherfig, 1959~ )はデンマーク出身の女性映画監督。主演はゾーイ・カザン。ゾーイはエリア・カザンの孫。


 私と娘は、最後にみんながハッピーエンドになるお話だと幸せな気分で帰宅できる、という単純な映画鑑賞ですが、映画通にはそんなハッピーエンドだと高評価にはならないらしく、映画祭出品しても受賞には至らず。


 以下、ネタバレを含む紹介です。
  • クララ(ゾーイ・カザン)息子二人を連れて夫のDVから逃れようとする母。 
  • アリス(アンドレア・ライズボロ)病院救急科の看護師。休みの日には、教会ボランティアとして「赦しの会」という自助サークルを運営 しています。母を看取った以後は一人暮らし。
  • マーク(タハール・ラヒム)弁護士ジョンのおかげで無実が証明されるまでは刑務所暮らし。ロシア料理店にマネジャーとして雇われ、料理店の最上階物置部屋に住んでいる。 
  • ティモフェイ(ビル・ナイ) 100年前に開店したロシア料理店「ウインターパレス(冬宮殿)」が時代に合わなくなってきたが、どのように盛り返したらいいかわからない。ロシア料理店の雰囲気をだすためにロシア語なまりで接客しているが、実はニューヨーク生まれのニューヨーク育ち。
  •  ジェフ(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ )うまく人間関係を築くことができず、すぐ切れるため、どんな仕事に就いてもてもすぐ首になる。教会の無料炊き出しを手伝うようになる。
  • ジョン(ジェイ・バルチェル)弟がおこした薬物事件に巻き込まれたマークの無実を勝ち取るなど、有能な弁護士だが、自分自身の心を救うことはできないでいる。
  • アンソニー(ジャック・フルトン)クララの長男。
  • ジュード(フィンレイ・ヴォイタク・ヒソン )クララの次男
 ベッドに眠り続ける夫の横をそっと抜け出したクララは、息子アンソニーとジュードを連れてニューヨークへ。ニューヨークに住んでいる夫の父親は、疎遠だった孫や嫁の世話をする気はなく、若い恋人と暮らすことが優先。孫たちの宿泊を拒否します。
 クララは車の中で寝泊まりしながら子どもの食べ物をパーティ会場からこっそり持ち帰る生活に。やがて、夫名義の車は駐車違反でレッカー車で持ち去られ、警官である夫に、母子の居場所がニューヨークであることも知られてしまいます。
 
 ロシア料理店で働くことになったマークは、店の建て直しをはかりますが、薬物のために死んだ弟のことを心にわだかまらせています。弁護士ジョンが「心の問題」を抱えて教会の自助グループに参加するとき、付き添いとしていっしょに参加しています。グループ運営の中心は救急病院看護師のアリス。介護を続けた母も亡くなり、恋人とも別れて孤独を抱えていますが、自助グループの世話を続けて自分の時間をなくすことで孤独をねじ伏せています。
 
 マークは、店のピアノの下で寝ているクララ親子にレストラン上階の自分の部屋に泊まっていいと言います。
 クララは、警官ネットワークを持つ夫に追い詰められていきますが、自分だけでなく息子たちも暴力をふるう夫からなんとしても逃げおおせたい。食べるものもなく、アリスの炊き出しに救われますが、ジュードが冬のニューヨークで低体温症になりアリスの救急病院へ。

 アンソニーが父親のパソコンにつながる方法を見つけ、父親が拷問シーンを集めたサイトの愛好者であることをつきとめます。DV加害者は、自分もDVを受けて育ったものが多く、暴力で相手を支配することで達成感がえられるのだそうです。クララの夫は、自分の父親に対しても暴力を爆発させます。父親は恋人に発見されますが、夫は逮捕されます。


 ジョンの弁護のおかげもあり、離婚を勝ち取れたクララ。クララはマークと心通い合わせることができました。ジョンはアリスに気持ちを打ち明けることができ、ふたりはおつきあいを始めることに。
 どんな仕事をしても続かなかったジェフは、教会でのボランティアを続けたことが認められて、マークのレストランのドアボーイに雇われることに。


 脚本のわかりにくかったところ。病院のICUに担ぎ込まれた幼い息子ジュードは、病院に閉じ込められたことがトラウマになったのかどうかわからないけれど、退院後母親にも心を開かない子になっていました。母や兄の愛を感じられなくなってしまったのでしょうか。
 兄アンソニーは、父親に「弟ジュードをなぐれ」と命令されてつらかっと、母親に打ち明けます。ジュードは「ぼくがお兄ちゃんだったら、弟をなぐってた」と、兄をかばったのだと。アンソニーは、「僕はジュードに赦されたんだ」と泣きます。それをベッドできいていたジュードは、ふたたび家族と心通い合うようになったのですが、このへんのところの心のありさまが、よくわからなかった。


 みなが幸せになるハッピーエンド。こういう時代ですから、少々脚本に穴があっても、終わりよければすべてよし。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「フェアウェル别告诉她」

2021-04-24 00:00:01 | エッセイ、コラム

20210418
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2021ステイホームじゃないシネマ(2)フェアウェル别告诉她

 中国の東北地方(旧満州)の首都新京だった長春に、3度単身赴任しました。1994年、2007年、2009年。半年ずつですから、長春暮らしは合計で1年半。私にとって、大事な思い出の土地です。
 長春の祖母を訪ねる中国系アメリカ人女性の物語、というので、なつかしい長春が映ればいいなと思って見ました。

 ニューヨークに暮らす中国系アメリカ人が祖母を訪ねて長春ですごすストーリー、これは一人でも見ようと思っていたら、1994年10歳だった夏休みの1ヶ月を長春ですごした娘も見たいという。長春の街のようすはほとんど覚えていないけれど、主役のビリーを演じたオークワフィナを見たいのです。娘が見たいちばん最近のディズニーアニメ『ラーヤと龍の王国』の中、ラーヤを助ける龍の化身シスーの声を担当していたのがオークワフィナです。オークワフィナは、「フェアウェル」の演技で、ゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞しています。
 中国語タイトルの「别告诉她」は、「彼女に言ってはならない」という意味です。

 長春で生まれたビリーは、幼いときにアメリカに移住し、ニューヨークで育ちました。両親と話す言葉も英語になっています。がんばってアメリカ社会に適合しようと努力してきたビリーですが、期待していたグッゲンハイム奨学金を得ることができず、将来に希望を持てなくなっていました。

 そんなとき、両親は父方の祖母(ナイナイ)のもとへ里帰りをすることになったのですが、ビリーは連れて行かないと言います。ビリーは気持ちをそのまま表情に出してしまう子なので、ナイナイには会わせられないと。
 ナイナイは肺癌で余命数ヶ月の診断だったのですが、家族はこの診断を秘密にして「良性腫瘍だった」ということにしていたのです。真実を知らせれば、死への恐怖から余命が短くなるおそれがあります。秘密のままにしておいて、お迎えが来るその日まで、希望を持ってくらしたほうがよい、という一族の判断でした。ナイナイ自身も夫が末期の病気で亡くなるまで嘘をつきとおしていたと、ビリーは伯父から知りました。

 一族が一堂に集まる口実として、ビリーの従兄弟ハオハオ(ビリーの伯父の息子)が結婚する、ということにして一族がナイナイが住む長春に集結。
 ビリーはナイナイに会わずにおられず、あとから長春に到着します。
 以下、ネタバレを含む紹介です。
 
 長春に集まった一族

 ナイナイに病状を伏せるため、親族顔合わせの食事会も結婚式もドタバタしながら進みます。ビリーの伯父と従兄弟ハオハオは、日本に移住し、ハオハオの花嫁を演じてくれるアイコ(水原碧衣)は日本人。中国語は話せないので、ナイナイにほんとうのことを話す心配はありません。

 結婚式シーンでおかしかったのは、ハオハオとアイコが余興としてデュエットする歌が「竹田の子守歌」。アイコは日本人という設定なのに、この哀愁に満ちた歌を選ぶところ、中国についてはよく知っているルル・ワン監督も、日本の結婚式での定番ソングまでは気が回らなかったのか、それとも、この結婚式は偽物だから、ナイナイとの悲しい別れを予想してのアイコの選曲ということになっていたのか。

 ビリはニューヨークに戻らず、長春に滞在してナイナイともっと時間を過ごしたいと望ますが、ナイナイはそれを許さず、ビリーはビリー自身の人生を生きる必要があると諭します。ビーリがグッゲンハイム奨学金を受けられなかったことをナイナイに打ち明けたとき、ナイナイはビリーに「雄牛が部屋の隅に際限なく角を突っ込む」のではなく、心を開いてこの失敗にとらわれないように勧めます。ナイナイは、「人が何を成し遂げたかではなく、人がそれらをどのように行うかが人生なのだ」と、ビリーに伝えます。

 一度は具合が悪くなって皆を心配させたナイナイでしたが持ち直し、一族はアメリカへ日本へと戻っていきます。
 ルル王監督が経験した一族の話を脚本にまとめた、というストーリー。西欧目線で中国文化を描くのではなく、中国の生活文化をきちんと描いているところがこの映画のよい所と思います。一族そろっての食事風景。墓参りにプロの「泣き女」を雇うところなど。

 「ナイナイに真実を告げないのはアメリカなら違法行為だ」というビリーに、イギリス留学帰りの若い医者は「ここはアメリカじゃない。私の祖母にも病状を伝えないで、祖母は安らかな最後だった」と言う。伯父さんも、「アメリカじゃ、命は自分ひとり、個人のものなんだろうけれど、中国では命は先祖代々受け継いだもので、自分一人の命じゃない。ひとりの命を一族で守る」と諭す。「中国との死生観の違い」は、この映画のキモ。

 泣き笑いのうちにビリーは中国をあとにし、忙しいニューヨークの生活に戻ります。失意だったビリーは、ナイナイから生きる希望をもらって立ち直り、暮らしています。そしてナイナイは、一族の予想、映画を見ている人の予想に反して、、、、。

 「ある人の命と生涯は、個人ひとりのものではなく、先祖代々から受け継がれ、一族みなで支え合い共有するもの」という感覚がどこまで伝わったのかなあ。『ルーツ』が大ヒットしたのですから、自分の先祖を知りたい、という感情は白人黒人を問わずアメリカにもあるとは思うのですが。

 自分の人生はけっして自分一人で作って行けるのではなく、過去の人々からも現在を共に生きている人々からも多くを受け取り、また自分も他者に与えることで自分の生を作っていくという感覚は、「長く使った道具は付喪神になる」という感覚と同じく、なかなか個人主義自己責任一辺倒の社会にはわかってもらえないかも。

 ルル王監督は「私は『家族と私の関係』と同級生と私の関係、同僚と私の関係、私が暮らす世界と私の関係』が別物であるように感じていました。その分裂こそ、移民や2つの文化を行き来しながら生きる者の本質です。( Directors to Watch: Lulu Wang Shows Another Side of Awkwafina in ‘The Farewell’”. Variety (2019年1月4日). )」と語っています。

 死んだあとは、煉獄で待ち続け、最後の審判によって天国地獄に振り分けられるという唯一神の世界観と、東洋の、ことに仏教やイスラム教などが伝播する前の土着の死生観とは、互いに感覚が違うものなのだろうと感じます。

 ミャンマーの小乗仏教では、完全に「輪廻思想」が定着しているので、亡くなったあとの亡骸は、そこらに適当に埋められ、墓は作りません。霊が抜けたあとの遺骸はどうでもよく、霊がどうなるかが問題。小乗仏教では、人の霊は生まれ変わります。亡くなった人は生前の行いによって、より「徳の高いお坊様」に生まれるのが最上、最悪は虫ケラかなんかになってしまう。これって、輪廻を否定して仏教をおこした釈迦牟尼の思想に反すると思うのだけれど、みな熱心にお釈迦様に「来世のよりよい転生」を祈っていました。おかげで、ミャンマーの人みなさんに親切にしてもらうことができました。外国人教師にいじわるなんかしたら来世はゴキブリですから。

 唯一神の世界観だと。
 人類が「神」という観念を作り出してから、人間の総人口は1082億人に上り、最後の審判で父と子で振り分けるのは大変な作業量だろうなあと、小人物の私などは、神様の労働量はどれほどになるのかと心配してしまう。まあ、父と子のほか聖霊とかがお手伝いをするとして、ブラック労働になるは必定。
 朝6時40分に家を出て、8時半から夜6時まで働き、帰宅は夜8時というブラック労働を続けている71歳から見ても、御年2000歳の方にはきついだろうなあと。

 心配は無駄じゃ。たぶん、1082億人ひとりひとりにICチップスのようなタグが付いていて、いざとなれば、万能の神は一瞬杖を振り下ろせば天国行き地獄行きが振り分けられるのかも知れない、と、凡人は想像しています。
 煉獄では、天国へ行けそうなタグを高値で買い取ろうというヤカラも出たりして。地獄の沙汰も金次第。

 仏教伝来前の日本古来の死生観は、神仏習合後も民衆レベルでは大きな変化はなかった、と民俗学や古神道研究者は考えているようです。たとえば、柳田国男『先祖の話』など。(『先祖の話』読んでないけれど、「100分で名著」見て読んだつもりになった)

 柳田が説く古来の死生観では、亡くなった人の魂は墓の中でじっとしているのではなく、子孫の周囲をめぐり、子孫を守る守り神として生き続ける、というのです。このことは「ご先祖様になる」と表現されます。
 私の感覚もこの「古来のアニミズム的死生観」に近い。父も母も姉も亡くなってしまったけれど、私の周囲にいて、いつでも私や一族を見守っていると、思うことが心の安らぎになっています。まあ、鰯の頭も信心から。

 ビリーがこののち、どんな死生観を持ち、どんな生涯を送ろうとするのか、わかりませんが、ナイナイとの長春の日々がビリーに力を与えたであろうことはわかります。よい映画でした。

 さて、長春の街のロケは、3度中国で暮らした私にも、幼い頃の記憶しか無い娘にも、まったく「思い出の中の街」は出てきませんでした。
 私が宿舎にしていた「大学の外国人教師用宿舎」は、もともと旧満州国中堅官僚向け官舎だったそうで、1930年代に建てられたという建物でしたから、「まもなく取り壊されて新しい宿舎ができる」という話は知っていました。
 2007年に冬期アジア大会が開かれた長春。2007年冬期アジア大会、2008年の北京五輪の前後で、長春も北京も大きく街が変わりました。東京オリンピック前後の東京の変化なんてもんじゃないくらい。土地は全部政府のものだから、古い建物を壊すのに躊躇がない。住民を遠慮無く追い立てて、街は一新。

 なつかしい長春の街は映画で見ることができませんでしたが、「The Fairwell」は、とてもよい映画でした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「82年生まれキムジヨン」

2021-04-22 00:00:01 | エッセイ、コラム

20210406
ぽかぽか春庭シネマパラダス>2021ホームステイじゃないシネマ(1)82年生まれキムジヨン

 娘といっしょに久しぶりに映画館で映画を見たのは、3月10日。入り口で体温測定とアルコール消毒をして入場。映画館飯田橋ギンレイは、椅子は一つおき、2本立ての休憩時間は15分。その間スクリーン脇のドアを開けて換気。休憩時間に椅子の肘掛けも丁寧に拭き取っていて、安心安全を心がけています。
 緊急事態宣言が2週間の延長となったあとでしたが、この日出かけたのは、私が受けたPCR検査の結果、コロナ陰性と判明したお祝いのお出かけ。

 娘はほとんどの時間を家に籠もってすごしていますが、私は片道90分の電車通勤を続けています。電車は換気をしているし、乗客は全員マスクをしていますが、隣の席とくっつきあって座っています。熱もなく咳もない無症状でしたが、無症状でも陽性の場合もあるというので、安心するためには、陰性であることを確認しなければ。病身の娘と暮らすためには、私がコロナ菌なぞとは無縁であることが必須。もともと持病持ちの古稀婆ですから、万が一コロナ感染していれば、一気に重症化の恐れがあり、入院とでもいうことになったら困りますから、用心用心。クリニックに予約して、3月6日にPCR検査を受けました。3月7日に陰性判定の通知を受けました。1度の陰性反応で安心はできませんが、東京都では65歳以上へのワクチン接種も4月から始まるというので、3月中に陰性判定を受けていれば、ひとまずよかった、という気持ち。

 娘は83年生まれ。国も違うし結婚もしていない娘ですが、私の「陰性判明祝い」として「82年生まれのキムジヨン」を見ることにしました。
 日本では2020年10月9日に公開された『82年生まれキムジヨン』
 ブログ友のまっき~さんからお勧めがあったのち、ずっとギンレイにかかるのを待っていました。

 原作は、韓国の作家チョ・ナムジュの自伝的小説(原題:82년생 김지영)。
 キム・ジヨンは33歳の主婦。82年に生まれ、韓国で一番平凡なキム・ジヨンという名を持つ。しかし、出産後専業主婦となってから子ども時代から感じてきた女性の生きづらさに追い詰められていきます。
 小説はジヨンが精神科医に語った、就職、結婚、出産という生い立ちに、その当時のさまざまな統計資料を並列して進みます。

 映画には統計資料は出てきませんが、韓国の男性中心主義社会の有様は細かい描写によってよくわかります。ジヨンの父親の子どもたちへの土産が、上の娘二人にはノートで末の息子にだけ万年筆だったとか。
 以下ネタバレ含む紹介です

 ジヨンの実家の母親は、兄たちの進学を支えるために自分を犠牲にしてミシン工場で働き続けた生い立ちから、長女にも次女にも教育を与え、ジヨンの姉は独身の教師として自立しています。書くことが好きだったジヨンは、作家か新聞記者に成りたかったのですが、安定した職業につくことを父に求められ、広告代理店に就職して有能な社員として働くことに。
 ジヨンの上司は女性。結婚していますが、実家で暮らし、家事と育児は母親任せ。男性以上の働きでチーフ長までなりましたが、ガラスの天井にぶつかり、退社。小さな代理店を立ち上げます。

 ジヨンの有能さは認められても、新しいプロジェクトには、選ばれませんでした。ほかの男性社員が抜擢されたからです。
 ジヨンは結婚出産という「女の幸福定番コース」に落ち着きます。しかし、家事と育児の生活の中、しだいに閉塞し、時々別人格になるという症状が出るようになりました。この症状に本人は無自覚ですが、夫は気づき精神科受診を進めました。 

 韓国社会では、男性が育児休暇を取って、会社復帰したら自分のデスクは無くなっているという状態。それでも、夫は育児休暇を取って、元チーフ長の新会社に再就職しようとする妻を支えようとしますが、夫の母親は、息子が出世できなくなってしまうと激怒。ジヨンの精神状態を実家の母にバラします。母は自分がジヨンの近くに引っ越して、家事育児を手伝おうとします。しかし、家事がまるでできない夫と末の息子を残すのも難しい。

 ベビーシッターが見つからなかったことで、再就職を一旦はあきらめ、ジヨンはカウンセラーに会い、自分の生い立ちを文章にしていきます。弟が贈った名前を刻んだ万年筆で。

 ヒラリー・クリントンの大統領選挙敗北演説は、世界の女性史に残る名演説となりました。
 ガラスの天井を打ち砕く「未来の女性たち」にかけられた言葉から4年。

 まだまだガラスが厚さを増している社会も多い。
 日本では、「女性が加わると会議が長くなる」と発したために、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長がやめることになり、女性が会長になり、委員会の40%を女性にするという改革が加えられました。

 しかしながら。主要150カ国の「男女格差ランキング2020」で、日本は121位。トップ10はアイスランド、ノルウェー、フィンランド、スウェーデン、ニカラグア。アジアの下位国は。中国は106位、韓国は108位で、まだしも日本より上。

 108位の韓国女性が「82年生まれキムジヨン」で男女差別の息苦しさに声を上げたのに対して、121位の日本ではこの先も「無理して男女同じように働かなくてもいいんじゃね。整形もメイクもがんばって高収入男をつかまえたほうがラク」という価値観がひっくりかえるとは思えません。育児休暇からの復帰社員のデスクが消えて無くなっているというようなわかりやすい差別は表向きだけなくなっても、社内出世競争から後退してしまうことは、その後の昇進ではっきりする。ときには子会社出向とかが待っている。

 コロナで仕事を失う人の中、一番多いのはパートやアルバイトで飲食店などで働いてきた女性たち。店の閉店などで仕事を失い、「夫や子どもに影響しない範囲」で働いた層やシングルマザーに最も影響が大きかったそうです。
 春庭も、勤務先の財政悪化により、給与2割カット支給となりましたが、1日14時間拘束(労働8時間サービス残業1時間、昼休憩1時間、通勤4時間)は変わりなく、働いています。
 それでも私がジヨンのような息苦しさを感じることが他の女性より少なかったのは、低収入の仕事であっても、自分自身が望んで働いてきたからかもしれません。

 韓国でも日本でも、女性が自分の希望する人生を選び取ることができるよう、社会全体のガラスの天井がうち破られる日、それを見届けたいと思っています。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「きよしこ」

2021-04-20 00:00:01 | エッセイ、コラム

20210420
ぽかぽかシネマパラダイス>ステイホームシネマ春(2)きよしこ

 3月20日春分の日。夜、娘といっしょにテレビドラマ『きよしこ』を見ました。
 原作小説が発刊されたのは2002年ですから、内容については知る人も多いけれど、私が知っていたのは「きよしこ」とはクリスマス聖歌「きよしこの夜」の歌詞を「きよしこ、の夜」だと思い込んでいたことからつけられたタイトルだということくらい。
 娘はゲームの中にはめ込まれた重松清の小説『永遠を旅する者 ロストオデッセイ 千年の夢』を読んだことがあり、また家族でみたドラマ『とんび』も好きだったので、楽しみにしていました。

 原作は「小説新潮」に連載されたのち、単行本は2002年11月発行。
・きよしこ(2001年1月号)
・乗り換え案内(2001年11月号)
・どんぐりのココロ(2001年12月号)
・北風ぴゅう太(2002年1月号)
・ゲルマ(2002年2月号)
・交差点(2002年4月号)
・東京(2002年5月号)


 NHKのドラマは「きよしこ」と「どんぐりのココロ」「東京」を中心に、「乗り換え案内」などのエピソードも加えて、いとう菜のはが脚色。
 以下、ネタバレ含む紹介です。
 
 好調に著作を発表してきた作家白石清(安田顕)は、編集部に届いた手紙を紹介されます。吃音の子を持つ母親からの「吃音なんかに負けないよう励ましてほしい」という依頼でした。白石は返事を書く代わりに自分の子ども時代を小説にすることにしました。「~なんかに」という表現にひっかかったからです。清は少年時代、吃音に苦しみ、イジメを受けて成長してきたのです。

 「きよしこ」
 母親の出産のため祖父母に預けられた幼い清は、母がいない不安を感じてすごし、迎えにきた両親にうまく言葉を出せませんでした。このあとくらいから、カ行とタ行の発音がうまくできない子どもになります。
 魚雷ゲームと言えなかったために、クリスマスプレゼントとして飛行機を渡され、父への感謝のことばも言えません。つらい気持ちのなか、「きよしこ」という同じとしごろの不思議な男の子と話します。

 きよしこは、清のインナーフレンド(心の中の空想の友達)です。きよしこは、清の心の中を察してくれ、「ほんとうに伝えたいことは、いっしょうけんめいに伝えればきっと伝わる」と、背中を押してくれます。清は父に謝ることができ、両親(西田尚美・眞島秀和)に包まれて成長していきます。

「どんぐりのこころ」
 父が転勤族のため、清は転校を繰り返します。転校生として自己紹介のたびにカ行タ行の発音がむずかしく、自分の名前をうまく言えません。からかいやイジメに遭う中、神社の境内で「どんぐりのオッチャン」に出会います。オッチャンは同じようにひとくくりにされているどんぐりにも、シイの実やカシの実など、それぞれ違うことを教えてくれ、松ぼっくりやどんぐりを使って野球の練習にもつきあってくれます。

 しかし、近所の人の通報で「昼から働きもせず酒臭く、家族も出て行ってしまったあやしげなオッチャン」といっしょにすごすことは母にとめられてしまいます。清は吃音の子どものための教室で、同じような子どもと過ごすこともでき、上達した野球の腕が認められて学校内で友達といっしょに過ごすこともできるようになりました。母にとめられたため、神社にはいかなくなってしまいました。
 ある日、ふと神社に寄ってみました。しかし、オッチャンの姿は見当たりませんでした。会えないまま、オッチャンとすごした日々の思い出は、清の心の中に残りました。

「東京」
 高校生になった清には、女子大生ガールフレンド(福地桃子)ができ、彼女は清がつまって言えないことばを先回りして「通訳」することで「人の役にたつ」喜びを感じています。しかし、清は彼女と同じ地元の大学へ行くことより自立を求めて東京の大学へ行くことを決意します。両親や親しい友人と離れ、一人で生きて行くことを選択したのです。なにくれと世話をしてくれる彼女と別れることが独立のために必要でした。

 「吃音なんかに負けないよう励ましてほしい」と訴えてきた母親へ、清は単行本「きよしこ」を送ります。

 心あたたかくなるストーリー。安田顕ほかの熱演もあり、とてもいいドラマになったと思います。
 どんぐりのオッチャンとの出会い。街の人から見たら、家族にも逃げられた飲んだくれの親父ですが、清にとっては40年たっても忘れられない出会いであった、ということ。「昔は町内にひとりはいたショーモナイオッチャン」を排除する御清潔で不寛容な現代社会ではこのような出会いはなくなってしまったのだろうなあと思います。

 清には吃音という「他の子どもとは違う」部分がありましたが、野球がうまいこと、学校の成績がよいこと、という「学校社会で生き残っていける」部分もありました。どの子どもにも、その子どものよいところを見いだしてやるのが親や教師の役割だろうと思いますが、そういう教師に巡り会わなかった人も多い。

 私が中学生とすごした3年間、留学生とすごした32年間。私はだれかのよいところを引き出すことが、どれだけできたのだろうか、と思います。
 英語のEducateとは「引き出す」というラテン語が語源だ、という説は近年の語源研究では否定されているようなのですが、俗説語源であっても、エデュケーションはだれかのよいところを「引き出すこと」だという説明を信じていたい老教師です。

 Bookioffの110円文庫にあった「きよしこ」を買いました。朝3時半という早すぎる時間にトイレにたったまま2度寝できなくなったある朝、5時半の起床タイムまでの2時間で読了。
 ドラマの脚本ではさらっと通り過ぎてしまった「乗り換え案内」も、ドラマには出てこなかった「北風ぴゅう太」「ゲルマ」「交差点」もじっくり読むことができ、清の成長にとって大事な出会いとなった人々との交流が描かれていて、もう会うことはないかもしれない加藤君や不良のゲルマも、清の心の中に残されたことで、人の出会いの奇蹟を伝えてくれます。よいお話でした。

<つづく>

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ぽかぽか春庭「こんな夜更けにバナナかよ」

2021-04-18 00:00:01 | エッセイ、コラム

 

20210403

ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2021ステイホームシネマ(5)こんな夜更けにバナナかよ


 久しぶりにアコさんから電話がありました。アコさんは視覚障害を持つ、私の大事な友人のひとりです。
 アコさんは、昨年のコロナ発生以後、1年間ほとんど自宅から出ることなく、関東に住む実家のお母さんにもずっと会えていないことなど、つらい歳月であったことを語っていました。自宅待機せよ、という緊急事態宣言の中、身体障害を抱える人々は、高齢者以上にちょっとした買い物に出るのも不自由な生活になりました。外出のためにヘルパーさんに付き添いを頼めば、家事や身体介護の時間が足りなくなるからです。コロナで仕事が減った人や店舗、企業などには補助がありましたが、コロナだからといって、介護の時間が増えるわけではなく、障害を持つ人にはいっそう厳しい生活になっていること、これまで世間は目を向けてきませんでした。私も含めて。

 私がアコさんの朗読ボランティアとなったのは、1985年ごろからでした。区立図書館の有償ボランティア。2時間の朗読サービス実施で800円の謝金を受け取りました。当時私は、奨学金をもらうために国立大学学部に入学し、2歳の娘の子育てと大学の授業の毎日、何か「直接社会に役立つことをしている」という実感が欲しかったのです。

 アコさんは「今までのどの朗読ボランティアよりも、あなたの読む声と文字の解説が、視覚障害者が求める朗読にあっている」といい、私はアコさんの専属のような形になりました。アコさんがご主人の転職のために大阪へ引っ越したころには、もう図書館のボランティアをやめていましたが、「視覚障害者も楽しむ演劇」の活動をするするためにアコさんが東京へ来て劇場に行く際に、ガイドヘルパーとして付き添いました。

 無償ボランティアで、劇場への往復交通費やいっしょに演劇を鑑賞する入場費用は自腹でしたが、このガイドヘルパーを続けたのは、私自身が「直接人の役に立つという感情」を必要としていたからだと、今では気づいています。
 実家に助けられてようよう暮らしを保つ生活の中で「助けられているだけ」ではなく、「だれかを助けることのできる自分」であることが、生きる支えになっていたのだと、今はわかっています。私がアコさんを助けた、という以上に、アコさんが私を支えていたのです。

 『こんな~』は、2003年に原作の『こんな夜更けにバナナかよ筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』が出版されたときから読みたいと思いつつ、「筋ジスで身体不自由な方の話、重いんじゃないかなあ。読むのは気力体力がついてから」と、後回しにしてきました。著者渡辺一史は大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞を受賞しています。

 鹿野靖明さん(1959-2002)とボランティアに参加したさまざまな人生をまとめたノンフィクションは、決して重いばかりの話ではなく、鹿野さんの人を魅了する人柄と、彼を支えたボランティアの交流。通算500人に上ったボランティアそれぞれの人生に焦点を当てた著作。タイトルでもわかるように、決して重いばかりの話ではなく、ユーモアのある、しかし深く人生を考えさせられる著作。

 大泉洋主演で映画化されても、本が出版されたのは、鹿野靖明さんが亡くなったあとだということを知っていたので、娘の「こういう時期だから、人が亡くなる話はつらい、しかも春馬くん死んじゃってるし」ということで躊躇していましたが、えいやっと、いっしょに見ることにしました。

 大泉洋は、いつも通りテンションマックスでしゃべりまくるだろうけれど、もともと鹿野さんはしゃべるのが大好きな人だったというし、鹿野さんは2002年に本の出版前に亡くなっているのは承知で、楽しんで見ることができました。

 ユーモアにあふれ、面白くて笑える脚本になっていたけれど、障害者を支えるとは何か、生きるとは何かという問題を深く考えさせる内容になっていました。

監督/前田哲 出演/大泉洋、高畑充希、三浦春馬、萩原聖人、渡辺真起子、宇野祥平、韓英恵、竜雷太、綾戸智恵、佐藤浩市、原田美枝子

 以下、ネタバレを含みます。

 鹿野さんは、「自分の人生と生活を、自分で決定する自由を持つことを自立とみなす」として、さまざまな苦難を抱えながら数多くのボランティアを組織し、障害を持つ者が生き生きと人生を過ごせるために全力で講演を続け、介護法が成立する前の困難な時代を切り開く活動を成し遂げました。

 筋ジストロフィは、筋肉がしだいに動かなくなり、最終的には呼吸もできなくなり心臓の筋肉が動かなくなって死に至る。鹿野さんは5歳で発症し、18歳で車椅子生活に。それでも「施設のなかで、世話を受けるだけで、自分で自分自身のことを決めることができない生活」より「不自由でも自分で自分の生活を決定できる自由」を求めてアパートでのひとり暮らしを始めました。一人暮らしといっても、鹿野さんには自分の尻を拭くこともできないのです。
 鹿野さんは、ボランティアを組織し、彼を24時間支える体制を作りました。自力呼吸ができなくなったあと、気管切開を受けて声帯損傷で声が出なくなったあとも「しゃべりたい」という強い意志でリハビリを続け、話せるようになり、最後に心臓の筋肉が止まるまで、自分自身の人生をまっとうしました。

 大泉洋は、風貌は決して鹿野さんに似ていないのに、鹿野さんに関わったみなが「鹿野さんそのまま」と評した熱演で、映画を明るい雰囲気にしていました。累計500人の「鹿野さんを支えるボランティア=鹿ボラ」を集約する形で創作された高畑充希、三浦春馬のエピソードもよくまとめられていたと思います。

 ボランティア側の「だれかを支える自分でありたい」という願いを組織できた鹿野さんの「自分の人生を生ききる力」は、多くのボランティアの人生を支えた、ということ、アコさんへのボランティア活動が自分自身の生活を支える元になっていたことを経験している私には、自分自身のこととして理解できました。

 高畑充希、三浦春馬のふたりは、実在のボランティアたちを集約として創作された役です。「ふたりが結婚した」という鹿野さん死後のエピソードも、この映画を明るく終わらせるために希望ある創作ストーリーであったと思います。(春馬くん、つらいこともあったろうけれど、鹿野さんのように生き抜いて欲しかった)。

 緊急事態宣言延長後、土日も家で「テレビばっかり生活」になっています。私のような怠け者は、自宅待機に一番向かない。人と接することもなく、運動することも頭を活性化することもなく、ぼうっとテレビをだらだら流し続ける生活。私のような怠け者ばかりでなく、生き生きと過ごしている人もむろんいるとは思うけれど。 
 せめて、だらだらと見たテレビドラマや映画の感想をメモしておくことが、せいいっぱいの積極的な活動です。

 原作者渡辺一史(1968~)の『なぜ人と人は支え合うのか 「障害」から考える』ちくまプリマー新書 2018は、中高生向きの著作ですが、読んでみたいです。人は人を支え、支えられて生きる動物なのです。

 ブックオフ110円本で渡辺の『こんな夜更けにバナナかよ』を購入。鹿野の死のシーンから読み始めました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「パラサイト半地下の家族」

2021-04-17 00:00:01 | エッセイ、コラム


20210417

ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2021ステイホームシネマ(3)パラサイト半地下の家族

 アカデミー賞作品賞受賞前から、カンヌ映画祭パルムドール受賞前から、期待して待っていました。「タクシー運転手」ほかのソン・ガンホが家族の父親役、というだけで大期待。韓流イケメンとは一線を画す演技派です。

 しかし、アカデミー賞作品賞監督賞脚本賞外国語映画賞という総取り状態なので、買い付けが難しくなり、私の見に行く映画館飯田橋ギンレイホールに来るのは1年後か2年後かと思っていました。ギンレイに来るのを待っている間に、テレビ放映があったので、録画して娘といっしょに見てしまいました。そしたら、放映後ちょっとしてギンレイにかかり、それなら待っていてもよかったかと思った。でも、娘は字幕を読むより吹き替えのほうが好きなので、まあ、テレビ吹き替え版でも良かったです。

 娘は聴覚情報のほうが理解しやすい脳で、私は視覚情報のほうが理解しやすいのです。民放テレビの放映だと吹き替え版が多く、NHKBSだと字幕が多い。

 さて吹き替えで見た「パラサイト地下鉄の家族。以下ネタバレを含む紹介。

 娘はネタバレしそうな映画情報をシャットダウンして、「まったくあらすじを知らないで見たい派」なので、「笑える家族劇」という情報だけで見ました。確かに前半は笑いながら、貧困家族が金持ちにパラサイト(寄生)していく様子を見ていたのですが、娘は「予想したのと違う。笑って終わるのかと思ったのに」と、ラストのスプラッターシーンは、「見てられない」と目をつぶってしまう。

 アカデミー賞受賞のためには、金持ち夫婦が庭の息子を忘れて愛撫にふける(時計回りの!)シーンと、さいごのスプラッターは必要だったと思います。ラブシーンと暴力シーンがない映画が、ハリウッドで受けるとは思えませんから。

 私がいちばんリアリティを感じたのは、水害で半地下の家のトイレから逆流し奔出する汚水。半地下一家のトイレが家の中で一番高い位置にあることの意味。半地下家族が金持ち階級のマネをすれば、トイレからの汚水逆流と同類になるということ。一家が4人とも同じような「半地下の匂い」を持っていることが、匂いのない映画で効果的でした。偽造した在学証明書や衣服などではごまかせる「下層貧民の匂い」が、決して消せないこと、貧しさのこんな表現は今までにこれほどのリアリティを持って表現されたことは無かったかも。

 地下からの電灯モールス信号がかすかな希望の種になるラストシーンでしたが、現実には。息子ギウが将来手にするであろう収入では、父親が閉じこもった地下室の豪邸を買い取るには500年かかる計算だそうです。

 韓国の貧困層と富裕層との差は、アメリカ人が抱く「上層への伸し上がり志向」よりももっと希望がないことを描き出していました。現実にはアメリカでも「上層への伸し上がりアメリカンドリーム」は、すでに幻想になってきていることに、皆が気づき始めているものの、それを幻想であると認めたくない人々も大勢存在する。アメリカンドリームがドリームのまま終わることを、国民にわからせたくない支配層は、あの手この手で夢を夢見させておきたい。

 パラサイトがアメリカで受けたのも、これが「これは韓国の現実」として受け取りたい観客層が多かったからだと思います。韓国だけじゃ無く、日本でも中国でも無論アメリカでも、貧富格差は固定化してきています。コロナ感染以後、ますますこの固定化はハッキリしてきていますが、夢見る層がいる限り、現在の政権は安泰。

 笑いながら、社会の現実を考えることのできる希有な映画です。ソンガンホ父さん、息子ギウが豪邸を買い取る費用を貯められる500年後まで地下室でがんばってください。
 私も、貧困の匂いが染みついている生活を続けてきた人生ですが、私の発するSOSモールスも、誰にも解読されないまま今の生活を続けていくいかないのだろうと覚悟しています。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「年表による史実対決・如懿伝 VS瓔珞」

2021-04-15 00:00:01 | エッセイ、コラム

20210424
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2021ステイホームシネマ(2)年表による史実対決如懿伝 VS瓔珞

 『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』と『如懿伝(にょいでん)~紫禁城に散る宿命の王妃~について史実対決を述べます。

 乾隆帝の子ども出生順の年表によって、浮かび上がる寵愛の歴史。これぞ史実「如懿vs瓔珞」
 子ども出生順の年表、ホームステイの労作です。(ヒマ潰しじゃないんです。それなりにやることあるのにもかかわらず、家事をさぼっての年表作成。アハハ、家事やれよ!)


 ステイホーム続き。華流テレビドラマの『如懿伝にょいでん』を見ています。華流ドラマは連続80回とか長いものが多いので、如懿伝はそれほど見る気はなかったのだけれど、前に見た『瓔珞』と登場人物は同じ清朝歴史上の人物なのに、主人公側と敵対側がまったく逆になるという作劇で、どんなふうになっているのか、という興味で見始めました。

 真逆になっている「よい妃」と「悪い方」。
 如懿伝では、主人公如懿(モデル:継皇后)は、乾隆帝の幼馴染みとして育ち、もっとも深い愛を注がれたのですが、皇后になったあと、皇帝と心がそわなくなります。廃皇后の命令こそ受けなかったものの、実質的な廃皇后となり、1年後に死去。皇后でありながら皇帝と同墓に葬られることも許されず、生んだ息子も皇族の扱いは受けない、という厳しい措置が執られました。

 一方の瓔珞(モデル:令貴妃)は、最初の皇后の女官(奴卑)として下働きに出て、皇后に教育を受け、皇帝の寝所に供されました。妃嬪が「月の障り」などで閨の勤めができないとき、他の妃に皇帝同衾の機会を与えないために、自分に仕える女官を差し出すことは、どの妃嬪も行っていること。

 ドラマ「瓔珞」では、「宮中勤めに出て辱めを受け自殺した姉」の敵を討つために、自分も女官となり、次は敬愛した皇后の仇をうつために皇帝の妃となる、という役柄になっています。なくなったときの称号は貴妃でしたが、息子が皇太子になったときに、死後でありましたが皇貴妃に昇格。息子が皇帝になったときに皇后に昇格。「奴卑から皇后」へというサクセスストーリー波瀾万丈です。

 最初から上流家庭に育ち、乾隆帝が宝皇子としてまだ「次の皇帝候補者のひとり」であった時代に結婚した如懿のストーリーより、『瓔珞』のほうが変化があって面白かったです。面白くするために、史実を勝手に改編する度合いは、『瓔珞』のほうが大きい。

 史実離れのひとつは、瓔珞のモデル魏佳氏が乾隆帝の妃嬪となったのは、最初の皇后(富察氏)がまだ生きているうちだ、ということ。「皇后の仇討ちのために宮廷にもどり乾隆帝の妃となった」というストーリーは史実離れの創作です。
 また、瓔珞を生涯愛し続け守ったという皇后富察氏の弟富察傅恒も、魏佳氏とは関わりなく結婚し、正室側室の間に子をもうけています。

 「如懿伝」で令妃をモデルとしている衛嬿婉(えいえんえん)は、皇帝の衣服を扱う女官から、あらゆる手段を使って皇帝の妃となり、他の妃を陥れながらのしあがっていきます。

 で、そのような史実離れを承知の上で、『瓔珞』のほうが私の好みに合うのは、イケメン3人がそれぞれ瓔珞を愛するところ。乾隆帝は最初から瓔珞を気に入っていたのに、ツンデレぶりでなかなか瓔珞を妃にできないでいます。富察傅恒も「姉を自殺に追い込んだ相手ではないか」という瓔珞の誤解が解けたあと、彼女をひたすら愛し、最後まで守ろうとします。もうひとり瓔珞を愛するのは、宦官として宮中で働く袁春望。自分は乾隆帝の父親雍正帝の落胤であると信じ込み、宦官とされたことを恨んでいます。
 瓔珞に姉の仇として狙われ続ける和親王。乾隆帝は和親王の娘のひとりを自分の養女格(猶女)にしています。皇帝と仲がよかった和親王を仇として狙うことはなかったと思われます。
 「如懿伝」のイケメン枠は、皇帝のほかは衛嬿婉の恋人(嬿婉の野心のためにふられる)侍衛の凌雲徹と宦官の李玉なので、ちょいイケメン度が低い。

 「如懿伝」の中で、皇后の女官が宦官(太監)と結婚させられたことについて「太監(たいかん)と結婚することはそんなにかわいそうなことなのか。宮中内の権力者でお金持ちならいいんじゃないか」という感想を書いたコメントを見ました。太監(宦官)とは、去勢された男性が宮中の奥使いになるのだ、ということを知らないらしい。
 子を産むことが女性の一番の幸福と思われていた時代です。大事な部分を切り落とした躰となり、子を作ることができない太監との結婚は、子を生む幸福とは無縁の人生になったことを意味するのです。

 中国の「都の作り方から建築衣服など風俗風習」をほとんど取り入れマネした日本ですが、ふたつだけ中国の伝統的な風習を取り入れない点がありました。ひとつは、雄馬の去勢と宮中奥仕えの男性の去勢です。日本に去勢文化は1500年の間なかったのですから、太監の身体特徴について知らないのも当然ですが、やはり中国の風俗や歴史をある程度は知っていたほうがドラマを理解しやすいのではないかしら。もうひとつは、都市の周囲に城壁(中国語では「城」)を築かなかったこと。日本語で「城」は、天守閣を有する有力者の軍事政治拠点を指し、城下町に城壁を築くことはなかった。

 もちろん、歴史の真実などを知らなくてもドラマは楽しめます。
 というわけで、知らなくたってよいことではありますが、乾隆帝の後宮事情について、年表により史実をまとめて見ました。

 乾隆帝の妃嬪は、記録があるだけで15人。正式な妃嬪ではなく閨に侍った女性は数知れず。乾隆帝は88歳まで長生きし、帝位を譲った後も権力を手放そうとしなかった皇帝で、子孫繁栄にも励んだのです。

 清朝の歴史は正史文書が残されていますから、後宮のだれが妃の位になったか、だれが子を産んだかということは記録されています。しかし、だれがだれをいじめたか、というような後宮のできごとは正史には記録されていませんから、主人公を誰にするかで、敵役もかわり、ストーリーは自由に作れます。

 「如懿伝」の中で、乾隆帝は「皇后の行動に落ち度があったなどと知られたら、後世に対し自分の功績を低くすることになるから、皇后の落ち度は不問にする」という態度をとっていました。妃嬪の記録では、どの女性も、徳が高くすばらしい人物だったと書かれています。

 まず、妃嬪の階級と人数。
立場  名称  人数
正妻  皇后  一人
側室  皇貴妃 一人
 (皇后になる前の臨時の位。瀕死の場合や死後の皇貴妃追贈はある。下の年表で皇貴妃と身分が書かれている妃のほとんどは死後の追贈)
 貴妃  二人
 妃   四人 四人を区別するために、令妃、慶妃などの敬称をつける。乾隆帝時代は定員より多く6人いた。
 嬪   六人
 以下、人数は制限なく、貴人、常在、答応。

 乾隆帝妃嬪のうち子供を生んだのは11人。子供の数は10女17男。しかし、成人できた子女は少ないです。 

 皇族の配偶者
 正妻 嫡福晋 一人
 側室 側福晋 四人(親王)三人(郡王)
    庶福晋定員なし 格格定員なし

 清朝の史書に書かれている、乾隆帝の子をだれがいつ産んだかの記録。
 宝皇王時代
1728 長男 永璜(定安親王~1750)母は、格格(富察(フチャ)氏、皇后の家とは別)追贈哲憫皇貴妃(~1735佐領の翁果図の娘)
1728 長女 母は、嫡福晋(富察氏1712-1748 1727宝皇王と結婚1746立后 孝賢純皇后 )
1730 次男 永璉(~1738 夭逝追贈 端慧皇太子)母は、嫡福晋富察氏
1731   二女(夭逝)格格(富察氏 哲憫皇貴妃)
1731 三女固倫和敬公主(1731-1792)嫡福晋富察氏

乾隆帝在位中
1735 三男 循郡王永璋(~1760)母は、蘇氏1713-1760純恵皇貴妃) 
1739 四男 履親王永珹(~1777)母は、 淑嘉皇貴妃(金佳ギンギャ氏1713-1755)
1741 五男 栄親王永琪(~1766)母は、愉貴妃(珂里葉特ケリェテ氏1714-1794)
1743 六男 質親王永瑢(~1772)母は、純恵皇貴妃(蘇氏)
1745 四女 和碩和嘉公主(~1767)母は、純恵皇貴妃(蘇氏)
 六女(夭逝)母は、忻貴妃(戴佳ダイギャ氏)
 八女(夭逝)母は、忻貴妃(戴佳ダイギャ氏)
1746 七男永琮(夭逝)母は、孝賢純皇后
1747 八男儀親王永璇(~1833)母は、淑嘉皇貴妃(金佳ギンギャ氏)享年86歳乾隆帝の子どもの中でもっとも長生きした。
九男(夭逝)母は、淑嘉皇貴妃(金佳ギンギャ氏)
十男(夭逝)舒妃(母は、葉赫那拉イェヘナラ氏)
1752 十一男(成親王)永瑆(~1823)母は、淑嘉皇貴妃(金佳ギンギャ氏)
1752 十二男(貝勒)永璂 母は、継皇后(輝発那拉ホイナラ氏1719-1766訥爾布の娘 1733側福晋1738嫻妃1745嫻貴妃1748貴妃1750皇后 1765事実上廃皇后  如懿のモデル) 
1753 五女(夭逝)母は、継皇后(ナラ氏、那拉氏)
1755 十三男 永璟(夭逝)母は、継皇后
1756 六女(夭逝)母は、忻貴妃(戴佳ダイギャ氏)
1757 十四男 永璐(早世)令貴妃 母は、孝儀純皇后1727-1775魏氏。魏清泰の娘。1745魏貴人→令嬪 1745令妃
1754令貴妃 1765皇貴妃 瓔珞のモデル
1758 九女和碩和恪公主 母は、令貴妃
1760 十五男永琰(のちの嘉慶帝)母は、令貴妃。慶恭皇貴妃(陸氏)が養母となる。
1762 十六男(早世)母は、令貴妃
1766 十七男慶親王永璘 母は、令貴妃
1775 十女 固倫和孝公主 母は、惇妃(汪氏)

 子を持たなかった側室
慧賢皇貴妃(高佳ガオギャ氏)1711-1745 如意伝、エイラクのどちらでも悪役
・慶恭皇貴妃(陸氏1724-1774)嘉慶帝の養母となる
・婉貴妃(陳氏)1717-1807。
・穎貴妃(巴林バリン氏)十七男慶親王永璘(生母令貴妃=瓔珞)の養母となる。伊爾根覚羅イルゲンギョロ氏)
・晋妃(フチャ氏、富察氏)
・容妃(中国語版)(ホージャ氏、和卓氏)ウイグル族。香妃伝説のモデル

 年表をながめれば、魏佳氏が乾隆帝の側室のひとりとなったのは、皇后富察氏の存命中であり、皇后によって乾隆帝に献上されたのだとわかります。皇后の仇討ちのために宮中に戻り、皇帝の側室になったのだ、という瓔珞のストーリーとは異なります。

 「如懿伝」では、雍正帝側妃の熹貴妃ニオフル氏(乾隆帝の母)は、雍正帝の皇后(烏喇那拉氏ウラナラ1679-1731)氏を憎んでおり、その皇后の姪である嫻妃(満洲鑲藍旗の輝発那拉ホイナラ)氏を、入宮初期には嫌っていた、という設定になっていましたが、同じナラ氏ということから作られたエピソードで、雍正帝皇后と嫻妃(如懿)が伯母姪の間柄であるという設定は脚色です。如懿が宝皇子の側福晋となった1733年の2年前1731年に雍正帝皇后は亡くなっていますから、如懿の栄達を願って前代皇后が自死した、というのは、史実ではありません。

 熹皇太后が如懿を嫌っていたということなら、富察皇后の死後、皇后をおく気がなかった乾隆帝に嫻妃を皇后として推奨しようとはしなかったでしょう。嫻妃は、若い頃は懐妊せずに、皇后になってから30歳すぎ、当時としては高齢出産で子を生み始めたのは、やはり若い頃には乾隆帝の寵愛は薄かったのではないかと考えられます。

 ドラマでは、若い如懿が懐妊しなかったのは、彼女の妊娠を阻もうとする皇后の策略のため、ということになっていました。 皇后から如懿へ贈られた腕輪に不妊となる丸薬が仕込まれていた、ということになっていましたけれど、漢方薬の丸薬を金属の腕輪に入れて、薬効が10年も続くかどうか。

 出産状況からみるに。
 最初に寵愛を得たのは長男を産んだ哲格格(庶福晋)。皇帝となってからは、純妃蘇氏と淑妃金佳氏。忻妃戴佳氏。富察皇后逝去後、継皇后の立后以後、出産があります。
 瓔珞のモデル令貴妃の史実。皇后富察氏の晩年(死去の2年前)、皇后の推挙によって乾隆帝の妃になったの1745年ですが、12年間は子をなさず、1757年から魏佳氏(瓔珞のモデル)の出産が続くので、ドラマが描いたように、乾隆帝の寵愛を独占して他の妃嬪に恨まれたというのは本当だったかもしれません。

 しかし、魏佳氏はとても賢く宮中を泳ぎ、生まれた娘は熹皇太后に養育を託し、永琰(のちの嘉慶帝)は、子のなかった慶妃(陸氏)に育てさせます。さらに穎貴妃(巴林氏)に十七男慶親王永璘を育てさせ、2女4男のうち、夭逝した二人を除き4人を成人させています。夭逝する子女が多かった宮中では、バツグンの存命率です。

 乾隆帝の成人した息子は6人いましたが、長男定安親王永璜(22歳で死去)、三男循郡王永璋(25歳で死去)、四男履親王永珹(38歳で死去)、五男 栄親王永琪(25歳で死去)、六男質親王永瑢(29歳で死去)、十一男成親王永瑆(25歳で死去)。
 いずれも長命(88歳)だった乾隆帝に先立っています。結局、跡継ぎとなったのは、魏佳氏(瓔珞)が生んだ十五男永琰(嘉慶帝)でした。嘉慶帝が即位したとき、魏佳氏に皇后の称号が追贈されます。

 嘉慶帝は、生母魏佳氏と養母陸氏を同じように大切に偲びました。さらに嘉慶帝が大切にしたのは、婉貴妃(陳氏1717-1807)です。なんと90歳まで生きました。乾隆帝の寵愛薄く子をなすこともなかった婉妃でしたが、寵愛薄かったので他の妃嬪から嫉まれることもなく、長命ゆえに嘉慶帝からは大事にされ、結局一番福多い人生だったかもしれません。

 清朝宮廷ドラマ、命狙い合うようなドロドロドラマ、史実からは遠かろうと、楽しんでおります。「史実とはここが違う」という点を承知しながらアリエネーストーリーを楽しむのも、ドラマの楽しみのひとつ。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「海街ダイアリーロケ地」

2021-04-13 00:00:01 | エッセイ、コラム


20210404
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2021ホームステイシネマ春(1)海街ダイアリーロケ地

    娘は「混んでいる映画館では人に酔うし、ギンレイの椅子は固くていや」と言う。私ひとりで飯田橋ギンレイで見て、娘が見なかった映画も多い。
 逆に、娘が見に行くシネコンの指定席、椅子が柔らかくて座りやすいし、椅子の肘掛けも、ギンレイのように隣の人と取り合わなくて済むというのですが、私は、肘掛けを隣の人と取り合わない代金として1800円出すのができない貧乏性。夫のシネパスポートを借りてただで見ることができるなら、少々の混み具合はがまん。娘がこのところ何度かギンレイで見たのは、椅子が一つおきの「コロナ対策」になっていたからです。2本立て映画の間の休憩時間を伸ばし、その間はスクリーン脇のドアを開けて換気。

 そんなこんなで、私がギンレイで見たけれど、娘が見ていなかった映画、テレビ放映を録画しておいて、いっしょに、見ました。『海街ダイアリー』『日々是好日』。娘がシネコンで見て、私が見ていなかった『ドラえもんスタンドバイミー』
 ふたりともテレビ放映で初めて見た『こんな夜更けにバナナかよ』『記憶にございません』

 娘が映画館で見ることを好まないのは、見ながらあれこれおしゃべりすることができないからです。テレビ放映を見ながら、画面について、演じている俳優について、つまらないことでも話しながら見るのは、映画館で大勢の人と感情を共有しながら見るのとまた違う楽しみがあります。

 「春庭シネマパラダイス」の「樹木希林映画」というシリーズで感想を述べた『日々是好日』。ふたりとも、「樹木希林も黒木華もよかったけれど、この映画見ても、お茶をやってみようって気にならなかったなあ。よっぽどお茶と相性悪いんだね」という感想は同じでした。
 『海街ダイアリー』、樹木希林の叔母さん役も綾瀬はるかたちもよかったけれど、なんと言っても、「広瀬すずが、圧倒的にかわいい」。
 現実にこんな美少女が山形の山奥にいたとしたら、美少女美少年の情報を全国から集めているスカウトたちが、小学校低学年から目をつけて狙っているはず。芸能プロダクションなどの美少年美少女リサーチ力すごいです。
 
 『海街ダイアリー』で娘と盛り上がったのは、この次鎌倉に行く機会があったら、ぜひ、聖地めぐりをしなきゃ、ということ。ドラマ『最後から2番目の恋』のロケでも登場した江ノ電極楽寺駅とか。
  娘と鎌倉に前回行ったときは鶴岡八幡宮とか普通の観光地巡りでした。次は海街ロケ地巡りしたいと話しながら見ました。

 七里ヶ浜とかお寺や神社は、いつでも行けそうですが、四姉妹が暮らす古民家は、ちょっと難しい。

 そのほかのロケ地。佳乃が香家田家に帰る前に歩いていた道は鎌倉市台の道路。ほかにも、ロケ地リサーチサイトの綿密な調査が行き届いています。
 佳乃とちかが、父親の葬儀に行く山の景色、映画では山形となっていますが、ロケ地と電車は、わたらせ渓谷鉄道。ここなら、いつか行ってみることができるかも。

 こんなロケ地調べをして時間つぶしができるのも、自宅待機自粛のおかげかも。
 香田家四姉妹の古民家の間取りを図面おこししている人もいて、それをコピーする暇人もいて。


20230211
 記事の内容に誤りがあり、削除いたします。ロケ地として紹介した古民家の現在の持ち主についての情報が誤っており、誤謬をご指摘いただくまできがつきませんでした。誤情報の指摘をいただいた木村様に感謝し、この情報により、ご迷惑をおかけした方々にお詫び申し上げます。誤謬部分は、2023年2月9日に削除。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「スケートショウ観覧余話」

2021-04-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
0210411
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>二十一世紀日記春(4)スケートショウ観覧余話

 演劇や映画の会場で、困ることのひとつは、前の席の観客が座席に浅く腰掛け、前のめりになって見ていること。浅く前のめりになって座ると、後方の席の視界をふさぐのです。「座席の背もたれに背をつけてごらんください」という場内放送があると、気づく人もいて、助かります。私は身長ないので、前の人が前のめりになると、視界がふさがれるのです。
 
 浅田真央サンクスツアーの高齢女性と連れの二人連れ。開演途中から入場し、本来の自分たちの席ではない、私たちの前の席に陣取り、連れの女性は、年配女性を気遣うためでしょうが、ずっと体を斜めにして、浅く腰掛けたままでした。ずっと視界をふさがれていた娘、2度目のビデオ放映の間に、意を決して「自分たちの本来の席に座ってください」と、お願いしました。放映の間に、二人連れは4列目の自分たちの座席に移動しました。

 きちんと座っているなら、そうそう視界をふさぐことはなかったと思います。一段15cmくらいの段差があるのですから。たぶん、座席に浅く腰掛けると後方座席の視界をふさぐ、ということを知らない、めったにコンサートなどには出かけないふたりだったのだと思います。

 あとで、連れの女性は「この人の認知症が進んでしまって、地下鉄の乗り換えに思ったより時間がかかり、開演の時間におくれてしまった」という言い訳を娘に言ったのだそう。娘は、この話を聞いて、「この方は、日頃お年寄りの世話をしたことがない人なんだ」と思ったのだといいます。

 娘は「認知症の高齢者を外出させるのはとてもたいへんなことだ、という認識を持って行動すべき。うちのおばあちゃんは認知症ではなかったけれど、いっしょに病院に行くにしても30分で行けると思っても、60分から90分の余裕を持って連れていった。認知症だから遅れたというのは、介添え者としての自覚が足りない」と、述べていました。

 年配女性は足も不自由にお見受けしたので、1時間かかると予定されている移動なら3時間は余裕を持って行動すべき。日頃いっしょに行動していれば、高齢者の移動がどれくらい時間がかかるか、把握していると思います。地下鉄乗り換えに。自分が日頃行動する時間よりも2倍3倍の時間がかかることを想像してみるべきでした。

 人のふり見て我がフリなおせ。母は54歳で父は76歳で、両親もボケることなく亡くなったので、介護の苦労はなし。舅の介護は姑が、姑の介護は娘が受け持ったので、介護がどれほどたいへんか、ということについての認識が、私には、まだまだ足りないと思います。この日、「高齢者といっしょに出かけるには、2倍3倍の時間を見て、余裕を持って行動すべき」という教訓を得ました。もともとおばあちゃんの介護をやっていた娘は、71歳の老母とスケートショウを見るために、開演1時間前に会場に着ける時間に家を出ました。

 さて、スケート余話の第二弾。
 3月下旬、フィギュアスケート世界選手権がストックホルムで行われました。
 男女ショートフリー、ペア、アイスダンス、生放送で見たり、録画したり、全部見ました。
 娘と「2019年にさいたまアリーナで世界選手権生観戦できてよかったよね」という思い出話にひたりながら、アイスダンス小松原組の紹介をテレビでみていたら、2019年、世界選手権初出場の「チームCoCo」の映像が映りました。すると。「あ、母が映っている!」と娘。
 演技を終えて抱き合って喜ぶCoCoの肩越し後方の観覧席に、緑色のセーターを着た私が映っていました。テレビ画面の同じシーンに拍手する私がチームCoCoのふたりといっしょの画面にいて、ミーハー感激。

 ティム・コレトが小松原尊になったことだし、北京冬季五輪のアイスダンス出場枠も確保できたことだし、これまで以上に小松原組を応援していきます。高橋 村元組も応援しているからアイスダンスも出場枠が2枠欲しい!
 アメリカは来年の北京冬季五輪をボイコットするとか言い出していますが、政治の賭け引きとスポーツは別物であると思って開催をまっています。

 スターズオンアイスショウの延期措置が取られた結果、延期後はディズニーコンサートと同じ日同じ時間帯に上演が決まりました。娘は「ゆず君の出演はまだ決まっていないから」と、アイスショウのほうをキャンセルしたら、その2日後に「羽生結弦出演決定」というニュース。「ひどいや、ひどいや、ゆず君出るなら、ディズニーコンサートのほうをキャンセルしたのに」と悔しがることしきり。だめモトでもう一度チケット応募したら、なんとチケットとれましたので、24日はディズニーコンサート、25日スターズオンアイスショウ、連続で楽しんできます。「応援は、歓声をあげず、拍手のみでお願いします」というのを守ります。
 
 コロナ禍での外出。怖いのはコロナ感染以上に「マスク警察」の存在。
 私と娘がよく出かける美術館博物館などは、換気もアルコール消毒も徹底しているし、入り口での検温アルコール消毒などもきちんと行われ、比較的安全な場所ですが。
 某県の小さな施設に出かけたおりのこと。入り口で検温や消毒をすませ、観覧者のほとんどいない室内で、女性の係員にここで写真をとってもいいか尋ね、OKとのことだったので、娘とカメラを向けあいました。

 「1,2,3ハイ」の合図、ハイのところで、マスクを顎に下げてシャッター。すぐにマスクを戻します。私が娘を撮影した時は、女性係員は何も言いませんでしたが、娘が私を撮ろうとして、わたしがハイの合図でマスクをあごに引き下げたら、すかさずとんで来た高齢男性係員が「マスク警察」に。

 「今はだれもいないけれど、これからほかのお客さんがくるんだからね。マスクを口からはずしちゃダメだ」と、数分にわたって説教。
 マスクを外していたのは2,3秒にも満たない時間だったと思います。検温して熱もなく、咳もしていない観覧者が2,3秒間でもマスクをはずすことが、どれほどの感染危険増加にあたるのか。エビデンスがあったのかどうかは知りませんが、私には、ただ「かっては部下に説教した元課長」とか「えらそーに生徒に注意してた元教員」とかが、説教する相手を見つけて、延々説教していたように感じました。

 そりゃ、たとえ2秒でもマスクをあごに下げた私が悪い。悪いと思うから「はい、わかりました」と、すでにマスクをもどした顔で答えました。
 でも、マスク警察の恐ろしさは十分に身に沁みました。
 都会ではマスクをしていなかった男性と注意した男性とが小競り合いになった、というニュースも聞こえてきました。延々の説教くらい、がまんしなくちゃね。

 この先も、マスク警察に説教されないよう、ぎすぎすした世の中を渡って行こうと思います。はい、私がわるうございました。

 後ろの席の視界をふさぐ座り方をしていた二人連れや、たった2秒のマスクずらしに延々説教の施設係員にイライラしてしまったのも、コロナ禍でゆとりのない逼迫生活をしてきたせいです。狭い了見のバーさん愚痴日記を笑いとばし、みなさま寛容精神でせっかくの春を心豊かにおすごしください。
 春もたけなわ。暖かい日も続くようになりました。
 コロナはまだまだ収束しそうにないですが、東京は高齢者のワクチン接種も始まるとのこと。早くみなが安心して暮らせる日常に戻ってほしいです。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「浅田真央サンクスツアー」

2021-04-10 00:00:01 | エッセイ、コラム

20210410
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>二十一世紀日記春(3)浅田真央サンクスツアー 

 延期に次ぐ延期になっていた浅田真央サンクスツアーを4月4日、江戸川スポーツセンターアイスリンクで観覧してきました。  
 2017年に現役選手を引退した浅田真央。一時期はまったくスケートのない生活を送った日々もあったとのことですが、「これまで応援してくれた方々に感謝を伝えたい」と、2018年から「サンクスツアー」をはじめました。
 小さなスペースでも、アイスリンクがある地方都市を回って、これまで生でフィギュアスケートを見たことのない人々に、直接見てスケートの魅力を知ってほしい、というアイスショウです。

 妹は、群馬県のリンクで開催されたサンクスツアーを観覧し、「リンクに近くて、まおちゃんに手が届きそうな席で見れた」と、電話してきました。むろん我が母娘も東京近辺での公演の情報があると、娘はずっと観覧チケットに応募し続けてきたのですが、開催地のリンクが狭いところが多くて座席数が限られ、ことごとく抽選に外れました。

 ようやく、2020年春の公演に当選。「東京都民優先抽選」だったので、ほかの県での開催より当選率が高かったのでしょう。しかし、楽しみにしていたのに、開催は延期、また延期。中止になったコンサートなども多かったので、いつまでも待つから中止にしないで」と、スケートの神様(ってのがあるかどうかは不明だが)にお祈りして、ようやく2021年4月4日4時半からの公演にでかけることができたのです。(画像借り物)

 前から4列目というリンクに近い席なのですが、「これまでフィギュアスケートを見たことのない層が、負担なく買えるチケット」という真央ちゃんのコンセプトなので、ふたりで1万円。「高橋大輔メインのアイスエクスプロージョンからみたら、四分のⅠ」と娘。(この時は前から2列目の正面で、これまで見たなかで、一番いい席。)

 真央ちゃんが赤字にならないように、グッズをたくさん買って、売り上げに貢献する」と張り切った娘でしたが、開演1時間前に会場についたのに、すでにグッズ売り場は長い列。「欲しかったグッズはほとんど売り切れだったけれど、残っているのは全部買った」と、バラの絵柄のまおちゃんタオル、まおちゃんコップセット、プログラムなどを買い込んできました。

 わたしはその間、公演始まるまでは大丈夫なようなので、会場の写真など取っていました。
 
 それぞれの曲に、その年その頃の思い出がつまっています。娘は、オープニングのスマイルを聞いて、はやくも「涙でてきた」と、なつかしい曲の思い出にひたっていました。私たちは、まおちゃんがジュニア選手として登場する前から応援してきたのです。(山田真知子コーチの秘蔵っ子としてニュースなどに取り上げられていました)

1 This little light of mine(2014) Smile~What a wonderful 2013-2014Ex)
 引退後、何をしたらいいかわからない時代の心を表す黒いマントをかぶって登場。
 これから何をすべきか決めたあとは、パッとマントを脱いで、金色のスパンコールの衣裳(村田菜穂)。チームメンバーはシルバースパンコール。全員でまおちゃんを引き立てました。


2 So Deep Is The Night(2007-2008Ex)
 今井遥がラベンダー色の衣装でソロを踊りました。

3 ノクターン第2番(2006-2007Sp,2013-2014Sp)
  ラベンダー色のシャツを着たチーム8人と今井のグループスケート。

4 踊るリッツの夜。(2015-2016Ex)
 Exのときは、燕尾服姿がかわいかったまおちゃん。今回は、燕尾服の内側はピンクで、帽子とステッキをつかったスタイル。男性スケーターとの掛け合いも楽しかったです。男性メインは、無良崇人。


5 素敵なあなた(2015-2016Sp)  
 黒い布ボックスに入って、早着替え。赤いセクシーなスカートになって登場したのに、ここで私たちの席に波乱。私と娘の前の3列目の席はお客さんがこなくて、とても見やすかったのですが、公演の途中にもかかわらず、係員は年配女性とその連れを案内してきて、私たちの横の席をさして、こちらですと示しました。そもそも、曲の途中で観客を案内するのはどういうこと?コンサートなどでも、遅れてきた客は、休憩時間、すくなくとも、曲と曲の合間に自席を探すべきです。しかも、連れの女性は、私たちの横の席につかず、開いていた3列目、私の前に腰を下ろしました。そして、年配女性は、座りにくかったのか、体を曲げて、私の視界をふさいだまま。
 私は、5番目の曲のほとんどを「バーさんの背中」を見ただけで終わりました。「素敵なあなた」なのに、素敵じゃない二人連れに邪魔された。これ以後視界ふさぎが続く。


6 月の光(2008-2009Sp)Somewhere Over the Rainbow
 女性4人が、紫色のドレスで登場し、雨上がりの虹を表すリボンを持って、リンクを滑りまわり、美しかったですが、前列の視界ふさぎのため、体を左右にふって見えるようにしながら見ました。3列目に座ってしまった二人連れ、休憩時間代わりのビデオ(練習中のドキュメント)になっても、自分たちの席に移動しようとしない。

7 バッハチェロスイート(2016-2017Ex)
 私は、この曲をぜんぜん覚えていませんでした。衣装は淡い水色とゴールドの短いスカート。とてもかわいらしいまおちゃんでした。30歳過ぎたのはわかっているのですが、私たちにとっては、いつまでもかわいいまおちゃんです。でも、半分くらいよく見えなかった。この衣裳だけ、ロシアのMilena Bobkova制作。


8 ポルウナカベサ(2008-2009Ex)
  タンゴ。男性も女性も赤と黒の華やか衣装で、華麗に滑りました。

9 仮面舞踏会(2008-2009Sp)
 女性は色違いのロングドレス。男性は白に内側赤の燕尾服。華やかな舞踏会シーンでした。
 
10 蝶々夫人(2015-2016Fp)
 真央ちゃんは、中央に座って登場。深く礼をしてはじまりました。肩あたりは白、グラデーションして裾は真っ赤なスカートで和服のイメージ。白いアメリカ軍服のピンカートンはすぐ退場してしまい、まおちゃんが愛を貫く蝶々さんを表現しました。


11 鐘(2009-2010Fp)
 バンクーバー五輪の思い出の曲。五輪のときのまおちゃんの衣裳を男性版にアレンジした衣裳で、無良崇人のソロ。


12 ジュピター(2011-2012Ex,2016Ex)
 薄緑と白のグラデーション衣裳は天使のイメージ。天使が優雅に舞ったのですが、やはり見え隠れ。

 コンサートなどの会場でよく注意放送が入ります。「席に浅く腰掛け、前のめりになってごらんになると、後方のお客様の視界をふさぐことになります。どうぞ、背もたれに背をつけ、深く腰掛けてごらんください」
 これが、何曲かの間続きました。連れの女性は、年配女性を気遣うためでしょうが、ずっと体を斜めにして、浅く腰掛けたままでした。

 ずっと視界をふさがれていた娘、2度目のビデオ放映の間に、意を決して「自分たちの本来の席に座ってください」と、お願いしました。ビデオ放映の間に、二人連れは4列目の自分たちの座席に移動しました。ああ、見やすくなった。

13 リチュアルダンス黒&リチュアルダンス赤(2016Sp)


 


14  ラフマニノフピアノ協奏曲第2番(2013-2014FP)
 無良崇人、男性スケーターも出演していましたが、やはり真央ちゃんがでてくれば、すべての真央ファンの胸にソチの涙のフリーが思い出されて、またまた涙ぐんでしまう。最後にスケーター全員、真央ポーズの「のけぞり」


15 フィナーレWind beneath my Wings(2017Ex)

 すべてのプログラムが終わって、出演者全員でご挨拶。
 ソリスト無良崇人、今井遥のほか、林渚、川原星、橋本誠也、エルネスト・マルティネス、山本まり、川内理紗、ガンスフ・マラル・エレデン

 カンパニーのツアートラックの前で。

 テレビ放映のお知らせがありましたが、うちは見られない。4月末の横浜が千秋楽。DVDも発売されることでしょうから、いつかテレビ放映もあるかも。

 公演が終わって、バスで瑞江駅まで戻ると予報通りに雨。
 でも、真央ちゃんの笑顔に出会えたので、心はぽかぽかです。
 真央ちゃん、千秋楽までそして、その先もずっと、人々を幸福に導く笑顔でいてください。

<つづく>

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ぽかぽか春庭「名残の桜散歩」

2021-04-08 00:00:01 | エッセイ、コラム

20210408
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記春(2)名残の桜散歩

 昨年は、咲き始めの目黒川沿い散歩から、都内各地の桜の下をせっせと歩きました。今年、近所の緑道を歩いた4月3日には、もうソメイヨシノは葉桜になっていました。

 それでも、開花がソメイヨシノより遅いヤエザクラはぼってりと重い花びらを見せてくれましたし、アメリカンチェリーの桜が満開になっていました。
 アメリカンチェリーの花盛りを見ながら、娘との会話は「さくらんぼ食べた~い」。花より団子の母娘です。

八重桜と姥桜

 みなで集まって飲んだり歌ったりのお花見ももちろん楽しいでしょうが、私と娘のお花見は、花の下を歩く散歩花見。ことしも十分桜の花を楽しむことができました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「横浜散歩、中華街関帝廟と山下公園」

2021-04-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
 山下公園のしだれ桜

20210404
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記春(1)横浜散歩,中華街関帝廟と山下公園

 東京都内ですと、買い物に出ても「日常行動のひとつ」という感じですが、電車で30分、横浜まで行くと「今日は楽しいお出かけ日」と言う気持ちになります。
 春分の日の横浜散歩。

 娘が買っておいた「横浜グルメ切符」。緊急事態宣言が出たあと、都外に出かけるのは気がひけてしまい、出かけないでいたのですが、使用期限が3月末だったので、宣言解除の一日前ですが、横浜中華街にでかけました。
 中華街食事→ホテルニューグランド→山下公園、という半日の散歩です。

 山下公園しだれ桜ほぼ満開
 しだれ桜の間から見えるマリンタワーは改装中


 中華街の「招福門」という店、飲茶食べ放題が人気で若い人がいっぱい。待ち時間は1時間だというので、時間つぶしに関帝廟へ。コロナ退散をお祈りしました。 

 飲茶食べ放題コース。大食いコンビの私と娘ならぜったいにモトがとれる。
前菜:スズキのカルパッチョ
スープ:フカヒレ入り五目スープ
菜 :北京ダック、鶏足の黒豆ソース、スペアリブの黒豆ソース蒸し、
飲茶食べ放題:全部2コセットなので、いろいろな飲茶をとって、娘と1コずつ食べました。黒豚焼売、焼き小籠包、海老蒸し餃子、大根もち、ニラ焼き餃子、海老入り焼き餃子、米粉クレープ、胡麻団子
主食:ネギそば、牛肉中華粥、香港式具だくさんごはん、蓮の葉ちまき
デザート:マンゴープリン+杏仁豆腐+ココナツ餅

 最後のデザートは、お運びロボットが持ってきてくれました。ロボ君は、「○○番テーブルのお客様、デザートをお持ちしました」とご挨拶。なかなかしっかりウエイトレスマニュアルを仕込んであります。
  

 おいしい顔
 


氷川丸の前で。首に巻いているのは、娘手編みのマフラー。ステイホーム中、マフラーもいろんなのができて、日替わりで巻いています。

 2時半から4時半まで食べ続け、ニューグランド前のスーパーで買い物して帰ったけれど、さすがにふたりとも晩ご飯は入りませんでした。
 「食べ放題っていうと、どうしてもお腹ハチ切れるまで食べてしまうのは、いかんね」という反省を今回も繰り返し、満腹満足の半日散歩になりました。(ホテルニューグラント見学のレポートはのちほど)

<つづく>
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ぽかぽか春庭「留学生桜を見る」

2021-04-04 00:00:01 | エッセイ、コラム

20210404
ぽかぽか春庭ニッポニアにっぽん語教師日誌>2021日本語学校の春(3)留学生桜を見る

 日本語学校の年間スケジュール予定の中、学校全体で楽しむ行事、冬祭りクリスマス会、夏祭り七夕会は実施できてきたのですが、昨年の桜の時期は緊急事態宣言が出されたあとだったので、お花見は中止になりました。

 今年の桜の時期も「花見の飲食や宴会は控えましょう」と言うことですから、シートを敷いてのお花見は無理として、まだ日本の桜を見たことがない、という留学生もおり、「コロナ禍といえども、桜の木の下を歩くだけのお散歩花見なら、やりましょうよ」ということになりました。

 3月末に学校近所のお寺参道で「桜の下を歩く会」を実施。「日本文化を学ぶ」という授業の一環ですので、まず、日本の花見文化について、スライドやビデオで学んでから散歩にでかけました。
 昨年12月に入学したベトナム留学生も、ネパール女性たちも、日本の桜を見るのは初めてということで、きれい、きれいと大喜び。大感激でした。スマホで桜をバックに写真を取り合い、インスタグラムに載せて故郷の家族に見せるのだと張り切っていました。

 故郷にもさまざまな種類の桜が咲いていると自慢する中国人留学生も、クラスメートとのんびり歩くお寺参道の桜見物はまた違う美しさを堪能。
 青空の下ならもっと桜が映えたでしょうが、残念ながら30日は曇り空。あまりバエない桜でしたが、それでも、途中に咲いていたミツマタの花を見て「これで紙を作るんだよ」とか、市内を流れる用水路に泳ぐ鯉を眺めたりしながら、のんびり歩いた散歩、楽しかったです。

 桜を見る前に春休み中の宿題を出して、4月12日の授業開始までしっかり復習を続けるよう、伝えました。学生は、しばしの春休み。教職員は休みなしで新学期準備を続けます。



<つづく>
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