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ぽかぽか春庭「2019年10月目次」

2019-10-31 00:00:01 | エッセイ、コラム


20191031
ぽかぽか春庭2019年10月目次

1001 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記踊る古希(1)恋のメキシカンロック
1003 2019十九文屋日記踊る古希(2)踊る古希スエプタウェイ
1005 2019十九文屋日記踊る古希(3)コーヒールンバ

1006 2019十九文屋日記初秋(1)秋の花火会
1008 2019十九文屋日記初秋(2)ジャパンオープン&カーニバルオンアイス2019

1010 にっぽにあニッポン語教師日誌>福コーチョーデビュー(1)福コーチョーデビュー
1012 福コーチョーデビュー(2)野を駆ける鹿のように
1013 福コーチョーでびゅー(3)日中交流授業
1015 福コーチョーデビュー(4)入学式とセミナー「伝統医療と健康長寿

1015 にっぽにあニッポン語教師日誌>再録日本語教師日誌(1)ラポールからはじまる
1019 再録日本語教師日誌(2)お願いことがあります
1020 再録日本語教師日誌(3)留学生からのメール・欠席連絡
1022 再録日本語教師日誌(4)飲み会おさそい
1024 再録日本語教師日誌(5)日本で、はじめて○○をしました
1026 再録日本語教師日誌(6)イランのナオミ
1027 再録日本語教師日誌(7)お茶とティーとテとヘルバタ
1029 再録日本語教師日誌(8)再会ボスニア・ヘルツェゴビナ
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ぽかぽか春庭「再会ボスニア・ヘルツェゴビナ」

2019-10-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191029
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録日本語教師日誌(8)再会ボスニア・ヘルツェゴビナ

 春庭の日本語教師日誌を再録しています。
~~~~~~~~~~~~~~

2005/07/05 火
ニッポニア教師日誌>再会ボスニア・ヘルツェゴビナ

 午前中、「~へ、いっしょにいきませんか」「いいですね。ぜひ」、「すみませんが、予定があるので、その日はちょっと、、、、」などの文型で、「さそう、さそわれる」「さそいをことわる」などの練習をする。

 4月から日本語学習をはじめて、2ヶ月が過ぎたクラス。4ヶ月間で日本語初級の研修を終えると大学院の修士課程や博士課程へ進学する留学生たちの集中コース。研究論文は英語で提出する学生がほとんどだが、日常会話をこなすまでを4ヶ月で修了するのは、なかなかハードなスケジュールだ。日本の英語教育に当てはめると、中学校3年間で習う初級英語と同じ分量を4か月で詰め込む勘定。

 学生同士ペアで、音楽会や美術館へさそう練習をさせる。「えっと、○○さん、デートに行きませんか」「えっ、デート?デートはどこにありますか」など、さそうのにも四苦八苦のペアもあり、他の学生大笑い。

 教科書には出てこないけれど、学生ことばのやりとりで覚えた「デート」を、ちょっと使ってみたかった学生の積極性はかうけれど、英語由来のカタカナことばは、英語の意味の通りにはいかないことも多く、日本語らしい使いこなしをするのは、難しいときもある。

 「日本人学生の住んでいるところが、○○マンションというから、大邸宅に住んでいるのかと思ったら、ただのアパートメントハウスでびっくりした」と話す留学生もいる。そうね、英語だとマンションは、大邸宅だものね。

 以前、「きのう、トルコを食べました」というので、トルコ料理店にでもいったのかと思ったら、Turkeyの訳語を辞書でひいて一番最初にでてきたのが、トルコだったという。
 「Turekey は国の名前でトルコだけれど、turkeyを食べた、 は、日本語では、別の意味。七面鳥を食べた、になります」と、教えて誤解を解いたこともあった。
 「まちがいもまた楽し」の、日本語クラス。

 いっしょに出かける日時を相談して決め、待ち合わせの時間と場所を決めて、ペア練習は終わり。

 最後に、留学生に「せんせい、12時です。お昼ご飯をいっしょに食べませんか」「いっしょに食堂へいきませんか」と、言わせる。
 時計を見て「じゃ、これで午前中の授業は終わります。えっと、食堂って、学生食堂ですか。」「ええ、大学の食堂です」「おいしいですか」「ええ、おいしいですよ」「やすいですか」「はい、とても安いです」「じゃ、いっしょに行きましょう」
 いっしょに学生食堂へ行くことにした。

 留学生と歩いていると、見かけない留学生が話しかけてきた。「あのう、ちょっとおたずねしてもよろしいですか」と、とてもなめらかな日本語。来日してまだ2ヶ月の今のクラスの人達とは大違い。

 「ええ、なんでしょうか」「あの、先生は、私の日本語の先生だった、○○先生じゃありませんか」と、私の名を言う。え?
 「わたし、先生に教えていただいたボスニアのスーです」ボスニア?
 「6年前、S大学留学生センターの学生でした」「あ、S大学の。そうそう、ボスニアからの留学生、教えたことがあります。ボスニアからの留学生を教えたのはひとりだけですから、印象的でした。今は、この大学の学生?それともS大学?」
 名前もわすれてしまったし、ごめんね、写真でも照合しないと、当時の印象を思い出せない。でも、ボスニアという国名は強烈な印象だった。

 「S大学で日本語を学び、母国に戻って修士課程を修了してヨーロッパで働きました。もう一度留学のチャンスを得て、今度はこの大学で研究しています」と、6年前からみるとはるかに進歩した日本語で語る。

 「6年前、先生の元気なクラスが大好きでした。また、お目にかかれて、うれしいです」と、スーは笑顔をみせる。
 「今も火曜日はS大学で教えてますよ。ここでは金曜日に教えています。2階の講師室にいるから、話をしにきてね。ボスニアの話を聞きたいです」

 ボスニア・ヘルツェゴビナは、旧ユーゴスラビア連邦から別れた国のひとつ。イスラム教徒とキリスト教徒が国土を争奪して、第二次世界大戦後のヨーロッパでもっとも激しい戦闘が行われた。内戦は1992年から3年半続き、多くの犠牲者と難民が出た。

 内戦が終結し、まだ国情が安定していない頃に留学してきたので、印象深い学生だった。ボスニアからの留学生は、スーのほか、会ったことがない。

 スーはとてもすてきな笑顔の女性になって、研究に励んでいるようすだった。何よりも私の名を覚えていてくれたことに驚いた。
 私がS大学に出講するのは週に一度だけ。私生活にまで関わりの深い専任教員を覚えていることはあっても、週に一度だけの授業で、たくさんいる講師のなかのひとりにすぎないのに、よくぞ6年間、名前を忘れないでいてくれました。
 「先生からたくさんの元気をもらいました」と言うスーに再会して、こちらも嬉しかった。
 
 2度目の留学で、前とは違う大学に来たのに、偶然同じ教師と出会うというのも、縁だろう。よい留学生活がおくれるよう、研究がうまくすすむよう、祈りたい。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「お茶とティーとテとヘルバタ」

2019-10-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191027
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(7)お茶とティーとテとヘルバタ

 春庭の日本語教室だよりを再録しています。
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2006/07/30 
ニッポニアニッポン語教師日誌>前期もめでたくこれにておひらき(8)お茶とチャイとティー

 留学生の作文から教わった、ポーランド語の「お茶」をめぐって。

 ある日本語教科書(中級読解)に、世界のことばの比較が載っています。
 世界中にある5000の言語がそれぞれのことばをそれぞれに用いているなかで、おどろくほど似ていることばが、各国語の中にある、という話題です。
 
 それは、「お茶」を表す単語。

 現在の植物学研究では、お茶の木の源流は中国の雲南省の山岳地帯に自生していたものだろうと言われています。世界中のお茶は、中国から海やシルクロードをたどり、世界各地へと広まっていきました。

おおざっぱに分類すると、摘み取った茶葉を蒸して発酵を止め、煎じて飲むのが日本茶。茶葉を発酵(酸化)させたものが紅茶。半発酵にとどめたのが烏龍茶。

 中国語は方言差が大きいことは、再三述べてきました。
 「お茶」を意味する中国語、地方によってちがいます。
「お茶」を意味する語は、福建語(フーチェン語)では「テ(te)」、広東語(カントン語)では「チャcha」です。

 日本語の「ちゃ」は、お茶を日本にもたらした中国語からきています。
 日本語の「ちゃ」は、広東語と共通する「チャ」が源流にあります。
 奈良時代以前、中国南方から伝わった語が日本語に入ってきました。この時代に伝えられた語には、広東語や上海語と共通している発音のものがあります。

 北京語でも「チャー」、朝鮮韓国語「チャー」、モンゴル語「チャイ」、チベット語「ヂャ」ベンガル語「チャー」、ヒンディー語「チャーヤ」、トルコ語「チャイ」ギリシャ語「チャイ」、アルバニア語「チャイ」、アラビア語「シャーイ」、ロシア語「チャイ」ポルトガル語「チャ」
 これらは、広東語から伝わっていったものと考えられています。

 一方の福建語の「テ」から伝播した系統。
 マレー語「テー」、スリランカ(セイロン)「テー」、南インド「ティ」、オランダ語「テーthee)」、英語「ティtea」、ドイツ語、「テー(Tee)」、フランス語「テthé」、イタリア語「テ」、スペイン語「テté)」、チェコ(チェック語)「テ」、ハンガリー語「テア」、デンマーク語「テ」、ノルウェー語「テ」、フィンランド語「テー」

 この「お茶」の伝播は、ものが交易を通じて広まると同時に、それを指し示す「ことば」がいっしょに世界中に広まっていったようすを示していて、とても興味深いです。

 中級日本語教科書に掲載されていた「お茶」という語をめぐる文章、放送大学教材に記載されていたものからの、抜粋引用です。(小林彰夫・宮崎基嘉『食物と人間』より)
 ところが、この教科書の記述に対して、ポーランド語母語話者の留学生から異議申し立てがありました。

<つづく>

2006/07/31 月
ニッポニアニッポン語教師日誌>前期もめでたくこれにておひらき(8)チャイとヘルバタ

 世界で「茶」を意味する語のうち、ポルトガル語では、広東語系のチャであるのに、ポルトガルのお隣スペインでは福建語系のテです。

 これは、ポルトガルが広東省マカオからお茶を輸入したのに対して、スペインは、福建省アモイから輸入したオランダを通して、福建語(ミン南語)の「テ」「テイ」の系統が伝わったからです。

 日本語の茶の発音。
 呉音(奈良時代以前に伝わった漢字発音)で「茶」の発音は「ダ」です。
 日本語では、「ダ」という発音がお茶を意味することはないので、奈良時代以前には、まだ、お茶を飲む習慣が定着しなかったことがわかります。

 奈良時代に「薬湯」としてお茶が中国から伝わっていたらしいですが、一般にはひろまりませんでした。

 「茶」の漢音(中国唐時代長安の発音)では、「タ」です。遣唐使の時代にお茶を飲む習慣が広まったなら、日本語でのお茶も「タ」と発音していたことでしょう。

 「お茶」「茶の湯」などの「チャ」という発音は、漢音と唐音の中間の時期に広東語系の「チャ」が、茶の葉とともに伝わったと考えられます。

 鎌倉時代以後、栄西ら禅宗の僧たちが喫茶習慣を伝えてから、人々が「薬湯」ではなく、日常の飲み物としてお茶を飲むようになったと言われています。
 「喫茶店」「茶道」などというときの、「サ」という字音は唐音(鎌倉室町以後に伝わった漢字発音)です。

 広東語チャ系統の語を持つ言語は、昨日記載した言語のほか、「チャ」:ベトナム語、タイ語、タガログ語、ネパール語、ペルシア語
 「チャイ/シャイ」ブルガリア語、ルーマニア語、セルビア語、セルビア・クロアチア語、スロバキア語、ウクライナ語

 福建語テー系統の語を持つ言語は、昨日記載した言語のほか、
 「テー/ティ」イディッシュ語、ヘブライ語、ラテン語、スウェーデン語、フィンランド語、エストニア語、ラトビア語、アイスランド語、アルメニア語、インドネシア語、タミル語

 さて、今期、留学生から教えられた言葉。ポーランド語の「お茶」について。

 日本語教科書の各国語版「お茶」の単語表をみて、ポーランドのアンナが「先生、これはちがいます。ポーランドでは、お茶をこう言いません」と主張したのです。
 教科書に載っていたポーランド語の「お茶」は、広東語系の「チャイ」です。

 アンナの説明によると。
 「ポーランドは歴史的にロシアとの関わりが強かったので、ポーランド語にロシア語からたくさんの語彙が入ってきました。
 この、教科書に載っている、ポーランド語のチャイ(tsai)ということばも、もとはロシア語のシャイ・チャイ(czay)からきています。

 ポーランドの人々は、チャイということばを聞けば、それが「お茶」を意味する語だと、皆わかります。わかりますが、それは自分たちの日常生活でのことばではありません。
ポーランドの人は、日常生活で、お茶を飲むときは「ヘルバタherbataを飲む」と言います。

 ヘルバタのヘルバは、英語のハーブherbと同じ。語源は「葉」を意味する。「タ」は、英語のティteaと同じです。
 英語のハーブティはお茶の葉ではない植物を用いたカモミール・ティなどをさしますが、ポーランド語では、お茶の葉を用いた飲み物がヘルバタです。
 日常飲む「お茶」にあたるのは、こちらのヘルバタです。」

 以上が、ポーランド語母語話者アンナの説明でした。
 な~るほど!

 ポーランド語について知っている日本人はそう多くはないから、放送大学教科書に「ポーランド語ではお茶をチャイという」という記述があれば、そう信じてしまいます。

 確かに、ロシア語の影響が強い公式文書などでは、お茶を「チャイ」と書いたものがあるのかもしれません。でも、それは、ポーランドの日常生活での「お茶を飲む」とは異なる、とアンナは言うのです。

 外交などの公式な場での「チャイ」と、日常生活での「ヘルバタ」。ことばの微妙なちがいを、アンナに教えられました。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「イランのナオミ」

2019-10-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191026
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(7)イランのナオミ

 春庭の日本語教室だよりを再録しています。
~~~~~~~~~

2005/11/27 日
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生それぞれの事情(3)イランのナオミ

 「はじめての経験」を言う練習、「○○歳のとき、はじめて~」という文を作ったときのこと。
 私が例に出した文。「私は30歳のとき、はじめて飛行機に乗りました」と、自分の体験を例文として出した。

 インドネシアの離島で育った学生。
 彼は、「私は10歳のとき、はじめて靴をはきました」と言った。

 こどものころは、靴もなく、裸足ですごしていたと言う。
 森の中を裸足で走り回った子ども時代。島に昆虫の調査に来た日本人生物学者を案内したことから、彼の運が開けた。

 熱帯生物の研究所助手として長年働きながら、学校へ通わせて貰った。陰ひなたのない几帳面な仕事ぶりのごほうびに、日本の奨学金がもらえることになった。
 大学院で一生懸命勉学を続け、きっと彼は母国でよい研究者になることだろう。 

 「25歳のとき、はじめて男性の手をにぎりました」という作文を書いたのは、イラン女性、ナオミ。
 ナオミは私立大学の学部学生。日本語1級試験にすでに合格し、日本文学を専攻したいと願っている。

 ナオミは、作文の中で、25歳をすぎて、はじめて男性の手を握ったときの気持ちを書いた。

 桜吹雪の中を彼と手をつないで歩いた思い出をつづり、微妙な恋心を感性豊かな表現で描いていた。彼女は、日本語で小説を書くことをめざしている。
 日本語の語彙的文法的まちがいはいくつかあったが、心打たれるとてもよい文章だった。

 男女の恋愛についても、私たちには想像もできなくなっている様々なモラルが、世界には存在する。
 未婚の彼女が男性と手をつないで歩いた、なんてことがわかったら、どれほど家族を悲しませるかと思うと、恋する思いと、家族への思いにゆれる。

 厳格なしきたりを守るモスレム(イスラム教徒)の家庭では、いまだに結婚するその日まで、男性に顔も見せないという地域もあるし、日本に留学中もスカーフできっちり髪をかくしている女性も多い。

 1980年から1988年までつづいたイランイラク戦争で、ナオミの一家は砲撃を受けた。父親が町で経営していた店が破壊され、一家は困窮した。
 ナオミの故郷、冬は雪が降りつもる。それまでは自宅の雪かきは、人をやとってしていたが、その冬の雪かきは父親が自分でやるしかなかった。人をやとう余裕はもうなかったからだ。

 ナオミは、ブーツに穴があいたことを父に言えなかった。言ったら父はどんな無理をしても新しいブーツを買ってくるだろう。父親に無理をさせるくらいなら、足底から伝わる冷たさを我慢しているほうがマシだった。ナミは一冬、足の冷たさとともにすごした。

 彼女は必死に勉強し、あこがれの日本にやってきた。叔父が日本で商売をしていたからだ。
 しかし、不景気が続き叔父の商売も傾いてしまった。
 あてにしていた援助が受けられなくなったナミ、泣きながら「今年はなんとかなったけれど、来年の授業料が払えない。どうしたらいいの」と、相談してきた。

<つづく>

2005/11/28 月
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生それぞれの事情(4)ナオミのアルバイト

 ナオミは20歳のときイランから日本へやってきた。叔父さん一家の援助によって、日本語学校で日本語を習得した。
 運良くペルシャ語通訳のアルバイトを見つけ、1年間のアルバイトで大学入学金を貯めた。ナおミは23歳でようやく大学に入学できた。

 ペルシャ語の通訳や翻訳のアルバイトが打ち切りになったあと、次の仕事はみつからなかった。英語通訳の需要は多いが、ペルシャ語では通訳の機会も少ない。
 しかし、中国や韓国の女子学生が気楽にやっているレストランやファストフードでのアルバイトは、彼女には抵抗がある。

 イスラム教徒のなかでも戒律が厳しい宗派の彼女の一家。喫茶店やレストランであっても、接客する仕事につくと、家族親族が「結婚前の女性にふさわしい仕事ではない」と思うかも知れない。
 家族は、彼女がもっとも大切にしている存在。家族を悲しませるようなことは、どんな小さなことも自分自身に許せない。

 自分にできるアルバイトが見つからない状況で、彼女は「男なみの力仕事」をして働くことを選んだ。接客アルバイトより力仕事のほうが、彼女にとっては気楽だ。

 夏休みに彼女がしたアルバイトは、家のリフォームの下働き。改築リフォームする前に、壁を壊したり、床をはがしたり、部屋を解体する力仕事。改築といっても、基礎土台を残して、ほとんどを取り壊す。新築というと、書類提出などが大変になるので、書類上は改築としておいて、ほとんどを新しくする。

 ナオミは、力いっぱい家の壁をぶち抜き、梁をはずす。
 「生まれてはじめて、こんなに力のいる仕事をしました」と、ナミは話してくれた。

 男性並みの体力が必要な仕事、キツイキタナイキケンの三キの仕事だったが、現場監督から指示を受け、現場で夏休み一ヶ月がんばった。あまりにきつかったから、大学との両立は体力的に無理と思った。
 
 夏休みの終わりに、とても楽で割のいいバイトがみつかった。古物リサイクル売買の店。
 リサイクルは、環境にもよいことと思って働くことにした。仕事は、経理担当の事務。
 同国人の社長から渡される伝票の数字を、帳面につけていけばいいだけ。でも、5日間働いてやめた。

 1日目、とても楽で日給も高く、ありがたいと思った。2日目、社長はとてもいい人だと思うし、正直な商売をしているのだと信じた。けれど、3日目に店にやってきた客同士の話を聞いていて、こわくなった。
 店のすみで帳面の計算をしていた彼女に気づかないで話しているらしかった。

 ひそひそ声の客同士の会話は、同国人の中に裏社会があることを感じさせるものだった。
 社長はよい人だと信じたい。だが、裏の世界の人と関わりがあるかどうか、自分には判断ができない。
 疑っては悪いけれど、不法なことに関わるようなことが万が一にもあるなら、どんなに割のいいアルバイトでも、続けるわけにはいかない。

<つづく>

2005/11/29 火
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生それぞれの事情(5)日本へとつづく道

 4日目は、一日中悩み、5日目にやめると、社長に言った。大学の後期授業が始まり、両立できそうもないと言って。

 夏休みに「生まれてはじめての力仕事」で、汗をかき、夏休みの終わりには「生まれて初めて、こんなに悩んだ」という悩み事を抱えたけれど、9月には元気な顔で授業に出て、発表もこなした。

 来年の授業料分が稼ぎ出せなければ、授業料未納で除籍になるかもしれない。
 借りられる奨学金はもういくつか受けているが、毎月の生活ににも足りない程度の金額だから、授業料の分に足りはしない、という彼女に対して、「奨学金として授業料の分を、個人的に貸すから、卒業後働いて返したらいい」と、私も、学科長の教授も、申し出た。

 しかし、ナオミは、「公的な奨学金を受けることは、家族も納得したので受けているけれど、個人的なお金は、借りるわけにはいかない」という。
 どのような家族との約束があるのか知らないが、「個人からのお金はを受け取れない」という彼女に、それ以上のことはできない。貸与でなく、「給費」するほど、私にも余裕がない。
 私の娘も育英会奨学金でやりくりして大学に通い、卒業後返還することになっているのだ。

 某石油産出国からやってきたお金持ちのお嬢様留学生には、十分な国費奨学金が与えられたが、彼女は、日本語を覚える気がなかった。「ほんとは、アメリカにいきたかったのに」と不平を言いつつ、奨学金をおこずかいにしながら「日本の日々」を旅行三昧ですごした。
 一方、日本語で小説を書き、「留学生文学賞」に応募したい、と張りきっているナオミは、来年の授業料のあてもない。

 後期の授業のテーマは、「日本と自国の交流史」というクラスでの発表である。
 ナオミは「ペルシャ帝国の文物--シルクロードと正倉院」という発表をした。

 はるばるシルクロードを通って、ペルシャの楽器やガラスの器が運ばれ、飛鳥奈良時代の日本へたどり着いた。長い道のりと長い時の流れのなかをたどったペルシャ伝来の宝物が、正倉院に納められている。
 ペルシャの姫君が美しい瑠璃のグラスでワインを飲み、そのグラスが日本へ伝えられて、飛鳥や奈良の皇子たちの酒宴の席で輝いたのかもしれない。

 私費留学生のナオミが留学生活を続けられるかどうか、「日本文学を学びたい」という希望が達せられるかどうか、まだわからない。
 これからも彼女の歩む道のりは、厳しくはるかだろう。
 しかし、厳しくとも、道はローマからペルシャを通り、日本まで続いてきた。
 道は開けていくよ。きっと。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「日本ではじめて~しました」

2019-10-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191024
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(5)日本で、はじめて○○をしました

 春庭の日本語教室だよりを再録しています。
~~~~~~~~~

2005/11/25 金
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生それぞれの事情(1)日本で、はじめて○○をしました

 さまざまな国から集まってきた留学生達。日本での勉学の意欲に燃え、がんばっている。
 大学、大学院、専門学校で学ぶ学生を留学生と呼ぶ。日本語学校(専修学校、各種学校など)で学ぶ学生を就学生という。

 日本で就業してよいアルバイトの許可時間も異なる。就学生の労働許可時間は、一日につき、4時間以内。一週間で28時間を超えて就業することはできない。留学生も1週間の就業時間は28時間以内だが、夏休みなどの長期休暇中は、一日につき、8時間就業することが許され、休暇中に集中してアルバイトすることもできる。

 私立大学の私費留学生達の多くは、家族や親族の援助、自分のアルバイトで留学費用をまかなっている。
 勉強とアルバイトの両方をこなすために努力し、家族のために日本で成功したいと語る。
 苦労をかけた両親に車や大きな家を買ってやりたいという学生もいるし、「帰国したら、貧しい子どもたちのための学校を作りたい」という希望を話す学生もいる。

 国立大学の中で、国費留学生(文部科学省給費奨学金授与者)は、アルバイトなどしなくても生活していける十分な額の奨学金を授与されている。
 奨学金を受けている留学生のなかで、発展途上国や新興経済圏からくる学生は、その国の超エリート層であることが多い。
 発展途上国では、大学生・大学院生は、ごくわずかなエリートであり、ものすごく頭がよいか、親が金持ちであるか、その両方であるか。
 私の担当は、大学院研究生と大学院進学者のための日本語クラス。

 例文の練習をしているなかでも、さまざまな国の事情や家庭のようすがわかることがある。
 「はじめて」と「はじめに」「はじめは」の使い分けを練習していたときのこと。
 「日本ではじめて経験したこと」を、学生ひとりひとりに発表してもらった。

 「日本で、はじめて、サシミを食べました」納豆、スキヤキなど、食べ物の初体験を出す学生が多い。
 「日本で、はじめて、海を見ました」これは、モンゴルから来た学生。ウランバートルのテレビで見た海、いつか本物の海を自分の目で見たいと念願していたのだという。

 「日本で、はじめて、モノレールカーに乗りました」
 市内を走るモノレールカーは、一本のレールにぶら下がっている。窓から眼下に広がる市街をながめると、電車が空中を走っている感じがする。

 私がこの方式のモノレールカーにのったのは、東京では、上野動物園の東園から西園までの5分間だけ。市内を走る「ぶら下がりモノレールカー」にのったのは、このモノレールカーが初体験だった。市内中心部から港へ向かうモノレールカーに乗って、楽しかった。
 だから、留学生がめずらしがるのもわかる。

<つづく>

2005/11/26 土
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生それぞれの事情(2)さまざまな背景

 「日本で、はじめて、電車に乗りました」という学生。
 あれ?あなたの国に電車はありませんでしたか?と、私から質問した。
 地下鉄がない国は多いし、国内に鉄道網がない国もある。しかし、発言した学生の国には、電車も鉄道もあるはず。「電車が珍しい」という国ではないのだが。

 彼が流暢な英語で説明しだして、私もようやく理解した。
 鉄道も電車も国内にあるが、彼は日本に来るまで、公共の乗り物に乗ったことがなかったのだ。国内での移動はすべて運転手付きのリムジン、国外へは飛行機。
 日本に来て、はじめて、電車や地下鉄に乗った。

 こういう学生に、わざわざ、日本国の税金から奨学金を授与する必要があるのかなあ、と感じてしまう。

 授業料の工面に悩んでいる私費留学生も多いのに、彼にとっては、奨学金など、こずかい程度にもならない。それでも、本国からどういう学生が選ばれてくるのかは、その国の方針による。

 教師はどの学生にも、平等に熱意をそそぐべきなのだろう。
 とはいうものの、私はどうしても、苦労している学生、生活が厳しい学生のほうを応援したくなってしまう。
 それぞれの事情を抱えながら、学生はいっしょうけんめい日本での生活と勉学に奮闘している。
 さまざまな背景を持つ留学生たち。

 数年前のこと。学生資料の国籍欄にイスラエルとあった女性に「あなたの母語はヘブライ語ですか」と質問した。すると彼女はきっと顔を上げ、「母語はアラビア語です。私はパレスチナ人です。イスラエル人の中には、私の敵もいます。私の親戚は、何人も彼らに殺されまた」と言った。

 イスラエルのパスポートを持っていればイスラエル人、という単純な思いこみをしていた私。パレスチナ人としての自覚を語る彼女の、厳しい決意の目が印象的だった。

 彼女がイスラエル発行パスポートで来日したのは、なぜか。日本がパレスチナ自治政府発行のパスポートを正規旅券として認めていなかったためだ。
日本政府が、「パレスチナ自治政府発行旅券」を有効とする政令改正を決定したのは、2002年10月18日の閣議において。政府はそれまで国家として承認していないパレスチナの旅券を認めていなかった。

 石油産出国からきたお嬢様もいた。
 「大学の洗面所の水道は、水しか出ない。お湯がでないなんて、考えられない」と、「日本の大学の設備の悪さ」を嘆いていた。
 
 いつも母親の話をしていたカンボジアの学生。母親の一族は、ポルポト派により虐殺された。当時、多くの知識人階層が被害を受けたという。
 母は、一族のたった一人の生き残り。だから、一日も早く一人前になって、母を助けたい。国費留学生に選ばれたのは、超ラッキーだから、このチャンスを生かしたい、と話していた。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「学生から飲み会のおさそい」

2019-10-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191022
ぽかぽか春庭にっぽにあにっぽん語教師日誌>再録日本語教師日誌(4)飲み会おさそい

 春庭の日本語教師日誌を再録しています。
 今から14年前の文学部日本語教師養成コースのクラス、とてもまとまりがよいクラスで、仲がよかったです。冬休み中、コンパをしようと盛り上がり、クラス教師にもお誘いがかかりました。ゼミ仲間ではコンパも多い大学生生活ですが、週に一度のクラスで「集まろう」と計画するのも、ラポール形成がうまくいった、とほくそえんでいました。まあ、普通は単位もらえればそれでいいや、という学生のほうが多いんですが。
~~~~~~~~~~~~~~

2005/12/17
ニッポニアニッポン語教師日誌>学生からのメール(4)飲み会おさそい

 日本語教育研究のクラス、模擬授業発表が終わった。
 50分授業の授業指導案を書き、10分間の授業シナリオをつくって、ひとりひとりが先生役をする。
 十分に準備し、しっかりした授業を展開する学生もいるし、教材研究も適当、授業もいいかげんな学生もいる。

 4~5人でグループを作り、ひとつの日本語学校を設定して、コースデザインを考え、カリキュラム、使用教科書を決める。その上でひとりひとりがひとつの課を分担して授業案を考える。班内でお互いに発表しあったのちに、クラス発表を行った。

 4月に顔を合わせて一緒に授業を受けてきた。グループ活動も多いので、学年も所属学部もことなる学生同士が、仲いい友だちとなるグループがでてくる。

 4年生男子学生T君、卒論も提出したし、あとはこの授業の単位さえあれば、卒業にこぎつける。10分間の模擬授業のために「教授法」の本を参照しながら授業指導案を書き上げた。
 しっかりした教案だったが、模擬授業では「教案通りに実際の授業がスラスラ運ぶと思ったら大間違い」ということをアッピールしたい意地悪な私が、「のみこみの悪い、出来悪学習者」となって、さんざん発音をまちがえたり、先生の指示が理解できないで授業を中断させる役を演じた。

 堂々とした先生ぶりで、他の学生からは好評コメントが聞かれたが、本人は「先生に突っ込まれて、頭、真っ白になった」のだと言う。

 授業後のT君からのメール。
 「なんか三年の坊やたちがあのクラスで飲み会したがってます。
全く関係ない僕に幹事を押し付けてくるんです、助けてください 」

 教師からの返信
 「模擬授業発表おつかれさまでした。皆、苦労した分、達成感はあったんじゃなかろう
か。「出来悪学習者役にいじられる度合いがそれぞれちがっていて不公平だっ!」という一部不平もあるけれど、いじられるうちが花でございます。
 で、飲み会、けっこうですね。卒論提出をおえた4年生としては、後輩に一肌ぬぐの
も、大学生活最後の「試験」と観念して、どこか安くてうまい店さがしてやってください。近場で、気軽に行けそうなところ見つけてね。
 試験終えた学生が楽しい冬休み過ごすあいだ、教師は年末処理仕事、山のようにかかえて、大晦日も正月もなく働かねばなりません。助けてください。」

 T君のRe返信
 「本当にいつも気持ちのこもったお言葉をありがとうございます。昨日は過度の緊張のあと、さらには後輩からあれでしたので、少々投げやりでいい加減なメールだったことをお詫びします。m(__)m (^^ゞ

 つきましてはお忙しいことは承知のうえですが、先生にもぜひ飲み会に参加して頂きたいと思ってます。
 勝手をいってすみません。ご都合の合う日はないでしょうか?
 PS あくまで僕は先生とのとり継ぎということで、幹事は彼らに任すつもりです(笑)」

 教師から返信
 「 私は食べるのも飲むのも大好きです。しかしながら、だが、けれど、なんせ年末多忙です。若い人からのお誘い、喜びいさんで駆けつけたいところではありますが、他大学の勤務もあって、成績つけが終わる2月まで、余裕がありません。どうぞ、今回はお若い方々で、お楽しみ下さい。ほんと、誘っていただきうれしいです。
 模擬授業、Tさん、いつも笑顔なので、緊張していたなんて、皆ぜんぜん思わなかったみたい。さすが4年生は余裕の模擬授業って、思ったみたいですよ。では、次回水曜日に。」

 年末多忙はうそじゃない。今夜は、ジャズダンス練習後、9時から11時まで忘年会。20日は講師仲間と忘年会。年末は、余裕のない日々が続きます。

 余裕がないといえば、15日夜から我が家、やっと石油ストーブ使いはじめました。ようやく、余裕の暖かさとなりました。
 ウォームビズに賛同したわけじゃないんです。「寒くていやだな、と思った人が、石油ストーブの掃除をして、石油をいれること」と、言い渡したら、皆で「だれかが掃除するまで、がまんしよう」と、今まで我慢大会を続けていた。

 寒波襲来、どうにも我慢できなくなったのは、結局私でした。どうせ私がやらなければならないんだったら、石油を買った11月に掃除しておけば、半月間寒さにふるえることもなかったのだが。ま、あんなこんなで、年末、おしせまってきましたね。あと2週間です。
 がんばりまっしょ


<つづく>
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ぽかぽか春庭「留学生からのメール・欠席連絡」

2019-10-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191020
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録日本語教師日誌(3)留学生からのメール・欠席連絡

 春庭の日本語教師日誌を再録しています。
~~~~~~~~~~~~~~

2005/12/09 金
ニッポニアニッポン語教師日誌>学生からのメール(3)欠席連絡

 欠席連絡の留学生からのメール。たいへんまじめで優秀な留学生である。
 『 先生、ヒョンです。今週の出席のことでメールしました。
 実は、わが国の大使館から依頼があり、27、28日に通訳として厚生労働省に行くことになりました。午後2時から4時までなので授業に参加することができません。
 先々週の課題は友達に渡しておきます。そして京都の旅行記も一応書いて渡しました。
 それでは頑張ってきます。よろしくお願いします。 』

教師から返信
 『 ヒョンさんの日本語は、たいへん高いレベルに達しているので、立派に通訳がつとまると思います。自信をもって、しっかり仕事に取り組んでください。
 次回は文化祭で休講です。再来週に会いましょう。 』

留学生ヒョンから第二信
 『先生、先週はどうもありがとうございました。先生のお言葉で、自信がついて、うまく仕事ができました。これからも今まで以上に頑張っていきたいと思います。
 そして先生のように情熱いっぱいの先生になりたいと思います。それではまた来週です!^0^ 』

教師から返信
 『ヒョンさん、仕事うまくできてよかったですね。
 先週の課題は、清書だけですから、文化の日を楽しんでください。日本の文化を楽しまなくちゃね。 』

 日本人学生が学んでいる「日本語教育研究」というクラスで、留学生ルーがいっしょに勉強している。「日本語力が十分ではない」と悩みながらも、「日本語教師になりたい」と、努力している。

 通常の私費留学の場合、自国の高校や大学で日本語を専攻する→日本の大学へ、という人もいるが、多くの学生は、来日後、日本語学校に入学→日本の大学または専門学校へ、というコースをとる。

 日本語学校で系統的に文法と文型を積み上げながら学ぶ方法なので、個人差はあるが、きちんと卒業すれば、ひととおりの日本語文型は身に付く。

 が、ルーは日本の普通高校へ留学→日本の大学へ、というコースだったので、日本人高校生と会話しながら日本語を修得してきた。従って、文法や語彙の習得に片寄りがある。

 留学生ルーからのメール
 『 初めてメールを差し上げます。パソコンをいつに直るかよく分からなくて、待ちきれずに友達の借りて、先生にメールを送らせて頂きます。

 相談したいということより先生に感謝するという気持ちを込めて、心から申し上げたいと思います。
 実は、一年生から表現文化科に入り、大学生活を慣れてから間も無く、この学科の中の五つの分野について悩みが出てきました。(文章添削例はのちほど)

<つづく>

2005/12/11 日
ニッポニアニッポン語教師日誌>学生からのメール(5)日本語添削

教師から返信
 『 メールの文章、とてもしっかり書けています。学んだことがしっかり身に付いていると思います。
 日本語教師をめざすという決意、がんばって目標に近づいていきましょうね。日本語1級試験がんばりましょう。
 そして、日本語教育能力試験、合格目指して、一歩一歩、着実に勉強していきましょう。

 結婚前は中学校国語教師だった私、子どもが2歳のとき、大学日本語科に入学しました。3年次に日本語教育能力試験に合格したとき、38歳でした。卒業後は、大学院修士課程へ進学しました。
 日本語教師の試験、昔と現在は少し内容が変わりましたが、私にわかる範囲のことであるなら、メールでも、授業の休み時間でもいいから、質問してみてください。

(中略:日本語能力試験対策などについて)
 いっしょうけんめいがんばる留学生を応援することは、日本語教師の楽しみのひとつです。では、また。
 以下、メール文章の添削です。

「メールの文章添削」
誤)パソコンをいつに直るか→(正)パソコンがいつ直るか
誤)友だちの借りて→(正)友だちのを借りて
誤)大学生活を慣れてから→(正)大学生活に慣れてから
誤)毎日かけて→(正)毎日
誤)受け取る上に→(正)受け取った上で
誤)二つの言語の勉強を→二つの言語の勉強で、
 (または)→二つの言語の勉強をすることは、
誤)いずれに上手く→いずれも上手く
誤)道の進む先を全く見えてこない→進んでいきたい道の先が全く見えてこない
誤)一年をわたって→一年にわたって
誤)出会った前の→出会う前の
誤)この一つの目標に向けって→向かって
誤) 授業にやってくるのが楽しみにしていました。→楽しみになりました。
誤)決心を付けました→決心しました。
誤)解放されたのも→解放してくださったのも
誤)先生に感謝の気持ちを一杯一杯です→先生への感謝の気持ちでいっぱいです
誤)悩みを隠れなく→悩みを包み隠さず

間違い部分はいくつかあったけれど、大変上手に書けていると思います。日本語の勉強、がんばりましょう。
 』
<つづく>

2005/12/13 火
ニッポニアニッポン語教師日誌>学生からのメール(6)日本語能力試験対策

留学生ルーより第二信
 『 こんにちは、お忙しい中ご返事ありがとうございます。そして、文章の添削もありがとうございました。こちらの返事遅くなり、申し訳ございませんでした。

 はい、先生がおっしゃった通りに、一歩一歩、着実に頑張っていきます。現在、一番近いのは日本語検定試験ですから、ずっと前から語彙、文法、読解などの問題集をやっていますが、なかなか難しいと感じています。

 私は一般の留学生と違って、高一の時日本にやってきて、日本に来る前に、日本語を何一つも勉強したことがありませんでした。それで、日本語学校に入らずに、普通の高校に入学しました。ですから、私は正式の日本語を学んだことがありません。

 今、日本語に対して、一番弱いのは文法と読解です。今から一からやり直す時間もないのに、どうしたら(正:どうしても)少しでも把握したいです。もちろん、文法対策と読解対策の問題やリまくりです。
 うん~でも、そんなに効果がないと思いますね。先生、どうしたらいいですか。お願いします。 敬具 

教師から返信
 『 読解対策=とりあえず、一語でも多くの語彙を獲得すること。1級語彙問題に取り組む。

文法対策=過去問をして、間違っていたところについて、正解解説を読む。読んで意味が分らない部分、授業の休み時間4:15~4:25の間に、私に質問する。

 4:25~4:40を、「日本語能力試験に出る文法問題講座」として、解説します。ルーさんのためだけでなく、他の日本語教師をめざす学生の役にもたつことなので、質問どんどん持ってきて。どうぞ、ご遠慮無く。』
======================

 ルーさんの次のメールは、日本語能力試験1級問題に出題された「身体部位を含む慣用句の意味内容」を問う設問。正解を見れば、理解はできるが、なぜ、その答えになるのかわかっていないので、解説してほしいという。

 次の日本語教育研究の授業で、さっそく「語彙論。語の意味の拡大の例として、身体部位語を用いた慣用句」として、講義した。

 「口(くち)」は、身体部位の語として基本語です。口には、ふたつの基本的な機能がありますね。ひとつは私が今やっていること。私、何していますか。
 日本人学生にあてると「講義している」「話している」などの回答。はい、正解。「もうひとつの機能は何ですか」学生のこたえ、「食べること」はい、正解。
 
 「くち」は食事をする口、話すための口、という二つの機能を比喩的に表わす語として、意味が拡大していきます。
 「口ほどにもない」という慣用句の「口」は「話す機能」から、「以前に自慢したりできると言っていた内容」の意味になる。「口ほどでもない」は、「自分ができると言っていたより、実際はおとっていること」という慣用句として用いられる。

<つづく>

2005/12/14 水
ニッポニアニッポン語教師日誌>学生からのメール(5)語の意味の拡大

 「口がおごっている」の「口」は、「食べる機能」から、「味覚を味わう能力」となり、美味しいものを食べ続けた結果、マズイものを受け付けなくなっていることを意味します。

 このように、「口」は、たくさんの意味を含んで使われます。では、手、足、頭など、他の身体部位のことばを調べてみましょう。

 ルーさんが質問してきた1級日本語能力試験問題を検討した。
 日本人学生に解説させようと思っていたのだが、学生は、「むずかしい、わからないのがある」という。そこで、回答だけさせて、解説は教師がすることに。

 ( )の中に、適切な語句を選択する問題。
・旅行でお金を使いすぎて(1)が出てしまった。 ①手 ②足 ③目 ④顎
 日本人学生なら、簡単に答えるだろうと思ったのだが、「おあし=お金」の意味を知らない学生もいて、「足がでる=お金が不足する」という慣用句がわからない。

・あの方なら、(2)が広いから、きっと適任者を知っているでしょう。 ①手 ②顔 ③額 ④頭
ここはひとつ私の(3)を立てて許してやってください。①顔 ②腹 ③腕 ④気

 2と3は、どちらも「顔」が入るが、それはなぜか、これから、「顔」には、どんな意味が含まれていると考えられるか。
 2「顔が広い」は「ある人物が広く知られていること、いろんな方面に関係をもっていること」を表わす。
 3「顔を立てる」の「顔」は、「ある人物の面子、体面、プライド」を表わす。
 このふたつの慣用句から取り出せる「顔」が含む比喩的な意味とは?はい、答えて。

 このように「語彙論」「日本語文法」「日本語音声学」などを復習しながら、「日本語教授法」の講義もし、模擬授業を実演し、という具合で、ふたコマ続き、180分の授業もあっという間に終わる。

 ルーのメール。「先生の授業に出て、はじめて、大学でこんな面白い授業をやっている先生がいるんだと、いつの間にか授業にやってくるのが楽しみになりました。先生は他の先生と違い、いつも元気で、明るくて、先生と学生の間が、まるで友達のように感じました」
 と、感じてくれる学生ばかりだといいのだけれど、なかには「単位さえとれればいい」という学生もいるし、毎回、講義を聴いたり日本語教授法ビデオをみたりするより、友だちにメールをしていたい、という学生もいる。

 いろんな学生がいるけれど、今日も、春庭、薄給の身ながら、1コマの授業に乾坤一擲でございます。
<つづく>
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ぽかぽか春庭「お願いことがあります」

2019-10-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191019
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録日本語教師日誌(2)お願いことがあります

 春庭の日本語教師日誌を再録しています。
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2005/12/07 水
ニッポニアニッポン語教師日誌>学生からのメール(1)メールよろず相談係り

 私のメールアドレス、ひとつはホームページに公開している。めったに人が訪問してこないサイトだし、「公開を前提としているメール」とことわってあるので、内容のあるおたよりはそうそう来ない。

 ほとんどが「迷惑メール」ばかり。開けずに速攻削除。また、「いきなり教えて君(ハンドルネームも告げず、挨拶無しにいきなり○○について教えて、という人々)」のメールには、「自分で調べてね」という返信をかえす。
 「このメールは、公開します」と、おことわりがしてあるHP用のメールに来たものなので、一例を公開します。
 たとえば、こんなメール。
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Date: Sat, 12 Nov 2005 13:21:26
Subject: お願いことがあります。

文法訳読法
オーディオ・リンガル法
サイレント・ウェイ
TPR
直接法
サジェストペディア
コミュニカティブ・アプローチ」
それぞれどんな教授法なのか、それぞれの長所と短所をお教えください。先にありがとうございます。

 返信。
Date: Sat, 12 Nov 2005 18:26:21
Subject: Re: お願いことがあります。

私は、日本語と日本語教授法を教えて、日々の糧を得ております。授業料を払っている人を対象として教えているので、現在ネット上のボランティア授業は行っておりません。

あなたの質問に関して、ネットで検索すればいくらでも回答が見つかるので、どうぞ、検察機能を使ってご自分で調べてください。

なお、日本語教授法を学習する以前の問題として、老婆心ながら、ご忠告を。
自分がどこのだれであるかを名乗りもせずに、いきなり質問を寄せるのは、たいへんに失礼な行為であるということを含め、日本文化や礼儀作法について学んでから質問したほうがよいと思います。以上。
==========================

 ちょうど「日本語教授法」のクラスで、先月はオーディオリンガル法と直接法について教え、「私にはマネできない教授法」としてサイレントウェイ教授法による授業を録画したビデオを見せた。「教師はできるだけ黙っていて学生の発話を引き出す」というのだが、私には1時間の授業を声をださずにいるなんてことができない。歌ったりときには踊ったり、とにかくにぎやかに楽しくしていたい。

 昨日の「交換留学生クラス聴解&会話」の授業では、ミュージカル好きな学生が「サウンドオブミュージックが一番好き」と、発表し、一番好きな歌は「エーデルワイス」といって、歌い出したので、いっしょに歌った。
 ♪エーデルワイスエーデルワイス、Bless my homeland forever ♪

 先週はTPR(トータル・フィジカル・リスポンスTotal Physical Response)全身反応法という教授法を実演し、学生にも体験させた。学生のコメントには、「教授法の本で理論を学ぶだけより、実際にやってみてずっとよくわかった」と、感想があった。

 春庭から「だれでも上手に日本語を教えられるようになる、すばらしき日本語教授法」を教わる学生はラッキーなのである、と自分で言ってみる。だれも誉めてくれんので。

<つづく>
2005/12/08 木
ニッポニアニッポン語教師日誌>学生からのメール(2)相談、相談

 仕事先へ公開しているメール。学生たちへも「授業欠席の連絡や質問に使ってください」と、アドレスを知らせている。

 毎年、たくさんの学生に出会う。さまざまな進路に向かって悩む学生に対し非常勤講師が関われる範囲は、非常(キン)に狭い。
 私に相談するより、常勤の教授や、学生部相談係もいるのに、と思うが、学生が話をしたいと言うなら、断ることはできない。

 「質問、いつでもどうぞ」と言っているので、さまざまな質問相談事がつぎつぎあらわれる。メールで相談時間を予約してきたり、いきなり授業のあとで「相談がある」と、言ってきたり。

 授業が終わったあとで、「相談したい」と学生がやってきても、教室は次の授業で使用するし、非常勤講師の大部屋講師室には学生が入ってはいけないことになっているし。で、キャンパスのベンチにすわって話し込んだり、学生用カフェテラスで話したりする。

 今、受け持っている留学生からのメール
『 こんにちは、ナミです。
 作文のことで先生にみていただきたい文書がありますし、作文コンテストのことで相談したいこともあるので、時間をつくっていただけませんか。
 お忙しいところお手数おかけしますが、よろしくお願いします。』

 う~ん、直球の依頼。日本語教師としては、ついつい添削したくなる。
 返信。

 「わかりました。来週、授業がおわったあと、話しましょう。
 あのね、アポイントメントをとるとき、相手の都合がわからない場合は、『時間をつくっていただけませんか』よりも『お時間があるときに、お話させていただきたいのですが』というくらいの表現にしておく方が、やわらかい表現にきこえます。日本語的な依頼の表現。

 「時間をつくっていただけませんか」だと、言い方は丁寧で敬語としては正しいのに、待遇表現のニュアンスから言うと、命令に近くなってしまうのです。
 日本語表現、いろんな含み表現や、反語や、暗喩もあって、勉強は、どこまでいっても、深い泉をさぐるようなもの。がんばって学び続けましょう。」

 欠席のいいわけに、やたらに「親族の不幸」が何度もあるので、ツッコミを入れたくなる日本人学生もいるし、どういうソフトでメールしたのか、文字化けして何がなんだか意味不明のメールを送ってくる留学生もいる。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「ラポールからはじまる」

2019-10-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191017
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録日本語教師日誌(1)ラポールからはじまる

 日本語教育において関わってきた留学生たち。個性的な留学生たちとのふれあいは、私にとって大きな財産です。政府の言う「老後に必要な2000万円」は貯めることができなかった貧乏人春庭ですが、さまざまな思い出は心の財産として残すことができました。
 以下、再録を続けます。
~~~~~~~~
2003-12-24
春庭のBC級ニッポン語教育研究17「サルでもできるHow to teach Nipponia Nippon語」
「授業の実際・ラポール①」

 初級漢字のクラス。12名が、とても仲良く助け合っているので、教師としては大助かり。クラスの雰囲気がいいか悪いかは、教育効果が上がるかどうかに一番大きな影響を与える。

 教師がどれほど言語学の大家であろうと、第二言語習得理論の専門家であろうと、クラスの「助け合って学んでいこうとする雰囲気」が形成されていなければ、ザルに水を汲むような授業になる。

 最新の教授法理論の中では「ピアラーニング」がもてはやされてきた。
 ピアカウンセリング=専門家と患者という関係のカウンセリングでなく、立場を同じくする仲間同士による助け合いカウンセリング。
 同じように、ピアラーニングというは、仲間同士の「教えあい育てあい」によって教育効果を高めようとする教授法である。
 最新の教授法と聞いて、春庭「ワッハッハ、ついに時代が私に追いついてきた」と思う。

 教師と学生の関係を築くことから授業をスタートさせる、学生同士が知り合い仲良くなることで教育効果が高まる。
 15年前に日本語教師になったときから、私が実践していることだ。

 日本語教育に携わるようになったとき、私はハンディ以外もっていなかった。英語は下手。第二言語教育理論の専門家でもない。日本語学をかじったとはいえ、博士号もない。
 英語やフランス語など、外国語に携わることから日本語教師になる方が多い業界の中で、中学校国語教師から転身した私の日本語教授法の基本は、「ラポール形成」「ピアラーニング」につきた。

 クラスの中を楽しいいい雰囲気にすること。間違えても大丈夫、自分の居場所はここにあるという安心感。どんな質問をしても共に考えようとする教師の姿勢。このようなことが教育の基本であると信じてやってきた。

 教師にとって教える教科の知識は基本事項。しかし、知識だけもっていても授業は成立しない。教師が学生に関わっていこうとする態度、学生同士の助け合い学び合おうとする心を呼びおこすこと。よい授業のために必須の条項はたくさんある。

 楽しい雰囲気にするため、私は何でもやる。ときどきやりすぎて顰蹙もかう。
 これまでに紹介した日本語教授法クラス(文学部の日本人学生)。どのように授業を行うかを実演してみせる私のデモンストレーション授業の中でも、おおいに受けたのは、すもうのジェスチャーだった。

 日本語教育研究受講の学生のひとりが、「日本語教師はジェスチャーの練習もしておかなきゃなりませんね」というので、「日本語教師は芸人を目指さなければ、やっていけません!」という、私の持論を披露。

 日本語の歌を歌って文法を導入するときもあるし、映画や小説の一部分を、シナリオにして、教師がひとり二役で演じてみせることもある。「朗読が上手」などは、芸のうちにも入らない。

 私がよく留学生に披露する芸は、バレエのポジション。一番得意なのは、足を前後開脚して、180度に完全に開くこと。また、「パ・ド・シャ」という、「猫の足」の形でくるくる回転するのも得意。

 そんなもの披露して、日本語と何の関係があるのかって。な~んもありゃしません。
 ただ、留学生の興味を授業に集中させるとき、「はい、はい、こっちを見て、集中して!」と叫ぶより、学生のひとりに「足を前後に開いてみせて」と、やらせて、開かないのを確認してから、私がぱっと開いて見せると、いっぺんに学生の注目があつまり、次の授業項目へ向かって、集中させることができる。足を開いてから口を大きく開かせる。アー。開音節の基本。

 留学生に対する日本語授業に限らず、教育の基本は「教室内のコミュニケーション」をいかになごやかに、いい雰囲気にするかが、重要。

 逆に、この雰囲気が壊れたときは修復がむずかしい。
 ある日本語クラスで、留学生全員が先週とうってかわってギスギスした雰囲気になっており、授業の進行がうまくいかないことがあった。

 連絡ノートに先週のクラスの報告があった。
 ディベート授業で、「それぞれの国の印象を話し合う」というトピックが出された。国の第一印象、私たちもよく話題にすることだ。
 エジプト=歴史の古いピラミッドの国。サウジアラビア=石油がとれる砂漠の国。フィンランド=森と湖とサンタさんの国。タイ=仏教寺院とほほえみの国。などなど。

 ある学生が、ペアになった学生の国の印象を「麻薬の輸出国」と言ったことから、ふたりが反目し合い、クラス内が対立してしまったのだという。
 結局このクラスは、仲直りできないままコースを終了する結果となった。

 私もディベートのトピックには気をつかい、国際問題になりそうな話題は避けているが、まさか、「国の印象」から対立が始まるとは、このトピックを提出した先生も予想がつかないことだったろう。

 クラスの雰囲気を作るための方法は、教師それぞれの個性。
 書道師範の資格をもつ先生が、最初のひらがなの練習のとき、筆と墨を用意し、「日本文化体験授業」として、ひらがなを半紙にかかせてクラスを盛り上げることもある。

 学生がひらがなの書き練習をしている間に、折り紙でひとりひとりに様々な形を折ってプレゼントする先生も。(私が本を見ないでできる折り紙は、つると兜だけ)
 春庭は、挫折したとはいえ、元ミュージカル役者なのだから、唄や踊りが主要ツール。

 日本語教師とは、かくも芸に精進するものなのだ。
 といっても、授業中にすもうのジェスチャーやったり、足を180度に開脚してみせたりする日本語教師は、日本で私だけである!

 春庭、「50代の日本語教師の部、餃子早食い暫定日本一(10/20『をんなとおんな』参照のこと)」の座のほか、「授業中に180度開脚できる唯一の日本語教師」の座、も保持している。

 前後開脚180度。開き直るのが春庭の人生。

<つづく>

2003-12-25
春庭のBC級ニッポン語教育研究19「サルでもできるHow to teach Nipponia Nippon語」
「授業の実際・ラポール②」

 はじめて習う言語。緊張している学生を前にして
「あなたは、この教室に受け入れられている」
「ここでは、言語の練習過程で、どんな間違いをしても許されるし、まちがえるのは当然のことだ」
「まちがってもいいから、できるだけたくさん日本語を口にしてほしい」
「教師は、あなたがまちがえながらも成長していくのを応援するし、必ずあなたの味方になる」
ということを、最初に教室内に浸透させることが、教師の仕事のいちばん基本。

 これを教育学では「ラポール作り」と言う。小学校教育論では「教室づくり」などともいう。

 日本語文法を日本語を使ってわからせながら、日本語の基礎を教えていく日本語教育。「文型つみあげ方式」である。
 直接法(日本語だけを用いて、日本語を教える教授法)で日本語を教えるには、教授者が日本語の文型、文法を熟知している必要がある。

 しかし、私は、日本語教授法を学ぶ日本人学生にいう。
 どんなに言語学を修得しようと、日本語文法を完全マスターしていようと、ラポール作りができない教師は、教師ではない。
 これは、日本語教師だけじゃなく、あらゆる教育者に共通することだと、春庭まじめに信じております。

 教育の基本は、教師と学習者の間に生まれる、心とこころのつながり「ラポール」です。超まじめに、叫ぶ春庭。
 12月は、日本語教育のさわりをお話してきた。まじめに。
 日本語教育とは、何か。「日本語を母語として成長しなかった人に、第二言語としての日本語を教えること」

 日本語文法とは何か、についても、もうおわかりいただけたと思います。
 「文法」は、言葉を効率よく学ぶのに必要な、ことばの規則。
 ひとつひとつの単語を覚えることが、クラッチやブレーキの働きを知ることに相当するなら、車の構造や交通ルールを覚えることに相当するのが「文法」です。

 そして、「ことばの学習」「語学の勉強」とは。
 基本は「人と人がコミュニケーションをとろうとする、つながりあいたい、という欲求」からはじまる。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「入学式とセミナー」

2019-10-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191015
ぽかぽか春庭にっぽにあにっぽん語教師日誌>福コーチョーデビュー(4)入学式とセミナー「伝統医療と健康長寿」

 10月4日。2年間準備してきた日本語学校の入学式。
 今年、文科省からの認可通達が遅れ、学生募集の期間が一ヶ月しかなかったために、10月入学生は5名のみ、という新規校ゆえの小規模スタートとなってしまいました。
 しかし、それだからこそ、新規校としてできるだけ華やかな開校式&入学式にしたいという思いが学校経営者にあり、開校お披露目会と入学式を東京大学で行うことにしたのです。

 ホームページを見た人が、「新規校ながら、ほかの学校にはない特色を持っている」と思ってくれるかもしれない、という思惑。根強い「東大神話」を利用して、「東大で入学式を行うくらいの学校なので、新規校ながら信用できる」と留学希望者に思ってもらえるのではないか、という「東大での入学式」です。
 理事長が東京大学で博士号を取得し、現在も客員研究員の身分であるために、「セミナー開催」を主目的にしてホールを借りることができたので、「入学式はつけたし」という扱いです。

 そのため、HALふく校長は、日本語についてのセミナー講義を実施しました。
 本来は、新入生向けの日本語講義であるべきですが、新入生の一人は6月に留学申請書類を提出してから半年近くあったのに、平仮名片仮名の練習すらしてこなかったという超のんき者というか留学の心構えが出来ていないというか。

 例えば、半年後にアメリカ留学することが決まったとしたら、abcアルファベットを知らないでアメリカへ行く人がいるでしょうか。再三、「日本語を自習しておくように」と、注意されていたにもかかわらず、平仮名片仮名読み書き出来ずに来日した度胸は買うけれど、先行き不安。日本語ゼロの学生には申し訳ないけど、日本語初級レベル既習の学生向けに講義しました。英語レベルでいうと、中学校2年生程度の英語力と同じくらいと思ってください。

 セミナーでは、「こんにちは」のご挨拶のあと、「こんにちは」「こんにちわ」どちらの書き方がいいかという質問からスタート。初級を中国で学習してきた学生は自信満々で「こんにちは」と、私が指示したエアーノートとエアーペンで空中に書きました。
 正解を褒めたあと質問します。どうして?
 当然、留学生は知りません。「私は春庭です。」と書く時、私=わたし。しかし、「私わ」でなく「わたしは」だよと小学校で教わり、なんの疑問も持たないできた日本語母語話者も知りません。

 なぜ「こんにちは」と書くのかも知らないで、やれ近頃の若ゾーの日本語は乱れているだの、コンビニで出会う外国人店員の日本語に違和感があるだのという日本語母語話者のなんと多いことか。(とあるトリビア番組のナレーションの真似です)

 「こんにちは」の「こんにち」は、漢字では「今日」。現代日本語で「きょうはいいお天気ですね」などとあいさつするのと同じように、「こんにちはよいお日柄ですが、つきましては、先日お話しした、、、、」などと、会話の最初の出だしが「こんにち」についての話題で、「こんにち」のあとには、話題が続きます。

 「こんにちは」の「は」は、助詞の「は」です。「は」と書いても、発音は「わ」。助詞は「へ」も「え」と発音します。助詞「を」は、「お」と発音します。
 「こんにちは」の「は」は、「日本はいい国です」などと言うときの助詞「は」と同じだよ、という講義をしました。文科省表記基準で助詞には「へ」「は」「を」を使い、発音は「え」「わ」「お」とする、と記載されています。



 日本語トリビア、日本語母語話者には「へぇ!!」と受けたのですが、初級学習者には少々難しかったかも。
 次に日本語を公用語としている国、地域があるかという質問。例として、英語は世界で60か国近くの国家が公用語とし、21の地域が英語を公用語として定めています。中国語は、人民共和国のほか、台湾中華民国、シンガポールで公用語と定められています。

 日本語を公用語としている地域?日本は、法律では公用語を定めていません。法律にするまでもなく、1億2千万人のほとんどが日本語を母語としているからです。残念なことに、日本のもうひとつの言語であるアイヌ語を母語話者として育つ人は、現在のところいなくなってしまっています。
 国会使用言語(演説してよい言語)は、日本語標準語、沖縄方言、アイヌ語の三つですが、公用語として定められてはいないのです。

 しかし、世界にたったひとつ、日本語を公式に公用語として採用し、法律に定めている地域があります。南太平洋のパラオ共和国アンガウル州です。人口200人という小さな島アンガウル島。法律で公用語を定めたときには、戦争中日本の統治が行われていた時代に日本語教育を受け、日本語を話せるお年寄りが残っていたための法律だと思います。しかし、現在は、日本語を母語として話せる島民はいません。それでも公用語して残しておいてくれるアンガウル州、なんだかうれしいです。

 日本語は1億2千万人の母語話者がいて、これは世界で日常的に使われている500の言語のなかで、10番目に母語話者数が多い言語です。(言語数は世界中に3000言語あり、絶滅危惧語(母語話者がいなくなった言語)を含めると7000言語あります)。そして国連公用語は、英語中国語スペイン語アラビア語フランス語ロシア語の6言語。経済力はつけてきても、75年前の負け組であるドイツ語日本語は、公用語になっていません。

 世界で10位の大言語であるにも関わらず、ほとんどの日本人は、英語や中国語に比べて、日本語はマイナー言語だと意識しています。それは、国連公用語になっていないことと、母語話者以外に、世界の中で日本語によってビジネスに使用したり生活に使ったりする人がいないから、広がりがないためです。
 
 これから日本語を習う留学生は、世界に羽ばたいていって、日本語を世界に広げてください、と結んで、春庭の「日本語セミナー」を終えました。



 入学した学生たち、加油!がんばって。
 学校の総力をあげて面倒を見て、少数精鋭で日本語教育をしていきたいと思います。
 
 9月1日に東京大学で行われた「伝統医療と健康長寿」というセミナーに出席しました。
 主催は中国からの留学生が作っている留学生団体で、共催者が、HAL福コーチョー所属の日本語学校です。

 ウィルスや細菌をやっつけて病気を治す、ということが中心になる西洋医学と異なり、中医(中国医学)で重視されることのひとつに「未病」という概念があります。病気を未然に防ぐことを目的とした医術で、健康な身体で長生きを目指すためには、ひとつひとつの病気に対峙していくこと以上に、病気を防ぐ体を作ることが重要、という考え方です。

 日本でも「塩分濃度の高い食事を続けていると高血圧の危険が高まる」「肥満は万病のもと」など、日常生活、食習慣が病気につながることが知られてきました。
 中医の「未病予防」「治未病」という考え方は、そのままにしておくと病気の体になってしまう手前で、病気にならないような体づくりをしていく、ということが基本の健康法です。

 実をいうと、私は漢方薬などの宣伝広告で中医の宣伝をしているものがあると、「なんかうさんくさい」と思い込んでしまう疑り深い人間でした。なんか、あやしいなあ、バカ高い漢方薬とかを売りつけようとしているんじゃないか、って。

 「これが効く」と思い込んで飲めば、偽薬(プラシーボ効果placebo effect)も起こる人間の体と心理ですから、信じている人がどんな健康法をとろうと、それはそれでいいのだと思うのですが、私自身は「紅茶キノコ」が大流行した時も、「アガリスクが癌治療に有効」と大騒ぎされたときも、斜めに見てきました。(アガリスクブームでは、偽物のアガリスクが数多く出回った)

 今回参加したセミナー基調報告者の呂沛宛教授は、中国の中医薬大学の治未病科の科長先生です。
 呂先生は、やさしい雰囲気の女医さん。日本ならワイドショーなどの「健康指南コーナー」などでひっぱりだこになりそうな女性医師です。

 呂先生(画像借り物)


 健康科学に関する著作も多数出版しており「把好大夫請回家=よい医者といっしょに家に帰ろう」は、河南省科学技術功労賞の第一位を獲得しました。


 このような健康セミナーを日本語学校が共催することになったについては、さまざまな人脈を通してのことだったと聞いています。
 中心になってセミナーの企画を進めたのは、春庭がフクコーチョーである学院の、もうひとりの副校長N先生とその教え子さんの企画によります。

 副校長N先生は、来年3月まで現役の独立行政法人大学教授なので、校長兼任ができず、彼の義兄の元私立大教授、現非常勤講師が半年だけ校長職に名を連ね、副校長の大学退職後に交代する、という手はず。

 N先生の企画で「当学院が認可され10月に開校することを、公的な場できちんとした形で世間に周知するために、中国からの留学生団体が主催するセミナーに、共催という形でのることにして、セミナーの休憩時間に学校設立の宣伝をしてしまおう」ということになりました。

 N先生は、専門の農業経済&環境科学に付け加えて、「アグリセラピー=農作物を作る体験によって治療効果を得る」という研究もなさっていらっしゃる。高齢者や精神的弱者となっている人々の治療に、農作業が高い効果がある、というアグリセラピー。私も聞いたことはあります。そのため、N先生はさまざまなセラピーを研究するなかで、中医の「未病」の研究にも関わることになった、ということです。

 学校設立説明のパワーポイントスライドは、現校長H先生が作ってくださるというし、セミナーの司会は、N先生の担当。フクコーチョーHALセンセは、お話を聞いて、せいいっぱい拍手でもしていればいい、という係だったので、一生懸命聞いていて拍手しました。

 針きゅうのM先生のお話でも、呂先生のお話でも、ツボを意識して体を整えることの大切さが繰り返して述べられました。

 10月からの授業、たった5名の新入生なのですが、ひらがなも覚えていない学生と、中級レベルの学生が混じったレベルまちまちのクラスなので、午前と午後のクラスにわけました。思った以上の負担。授業準備も2つ、小テスト漢字テストの準備も。
 健康に留意しつつ、日本語授業すすめていきます。

 呂先生のお話をよく思い出して、「未病」気をつけたいと思います。持病はあるのですが、血圧もその他臓器の数値も今のところ正常値というのですが、なにしろ食べすぎるので、どうしても肥満からくる病気には「未病」とはいかない。
 加油!!
 油を加える、といっても、甘いものや糖質と油成分の高い食べ物は制限します。健康維持、がんばります。

 こうして、学校設立お披露目会と入学式を東大で行い、授業はつつがなくスタートしました。
 10月入学の学生は2021年3月まで在籍します。新入生は中国の大学卒業生で、全員大学院への進学を望んでいます。希望する大学院は全員東大。入学式を東大で行ったからって全員が入学出来るかはわかりませんが。希望は大きくはてしなく。

 来日したばかりの学生に、台風19号が吹き付ける事態を心配していたところ、理事長の妹夫妻が学生みなを自宅に宿泊させたという連絡がはいりました。新築マンションの寮は風雨には強いはずですが、まだニュースの災害情報も十分に理解できない学生たち。不安なく台風の一夜を過ごせたこと、よかったです。

未病の概念に当てはめると、これからさまざまな不安が出てくるまえに、日本で安心して留学生活を送れる気持ちにしてあげられたことの意義は大きいです。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「日中交流授業」

2019-10-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191013
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>福コーチョーでびゅー(3)日中交流授業

 関東地方直撃の台風、東京もたいへんでした。記録的大雨、水位上がり氾濫する危険のある川。不安な一夜でした。ケータイにはひっきりなしに避難準備の緊急メールがはいりました。
来日したばかりの学生、寮のある町を流れる川に氾濫警報が出たのですが、日本語のお知らせが理解できたかしら。
来日したばかりの学生は、日本のなんにでも興味しんしんですが、いままで暮らしてきた地域にはなかった最初の日本での経験が台風だとは、なんともはや。おまけに台風のさなか地震も発生。東京も震度3という地区もありました。

地震雷火事台風の日本に、この夏に来日した短期留学の中学生高校生が、天候にも恵まれ、楽しい時間をすごしたのは、ラッキーなことでした。

春庭は、2017年夏から新日本語学校開設へ向けて、準備を進めてきました。教務の仕事全般、中国の現地校で授業を受けている中国人日本語学習者へ向けて、スカイプ利用の遠隔授業(テレビ授業)、カリキュラムやシラバス作成などの教務作業、文科省や入国管理局の審査申請に向けての膨大な資料作成、などなど。

 2019年は、認可相当というお墨付きが出るまで、異例の時間がかかりました。令和移行に向けて、どこもてんやわんやの中、文科省審査通達も遅れにおくれました。
 認可相当の許可が出た段階で、留学ビザ申請締め切りの日まで1か月弱。そこから、学生の卒業証明書成績証明書、留学費用負担者の資産証明書、銀行預金証明書等々の準備。新設校には学生ひとりを受け入れるためにたくさんの書類が必要です。結局1か月という短期間に書類をそろえられたのは、6名のみ。予定の20人クラス2組40名でスタートというわけにはいかなくなりました。
 2019年10月の開校時には、プレオープンの形。2020年4月に本格開校、ということになりました。

 10月開校は予定通りいかないことになりそうでも、夏には短期留学生を迎えました。
 中国人中学生高校生を、1週間の短期留学(という名目の観光旅行)で受け入れます。
 その中の一日は、一応留学という名目ですから、日本語の授業を実施します。

 7月15日に来日した第1陣、中国人中学生高校生13歳から16歳の22名。
 春庭が私立大学で受け持っている日本語教師養成コースの大学2年生3年生11名に日本語授業をしてもらうことになりました。

 第1陣の来日学生。16日は午前中、本郷の東京大学見学(こちらは、お金を払う親たちの見学希望地)。午後は秋葉原のアニメ街散策、こちらはイマドキの中国人学生のゲーム好きアニメ好きの、たっての見学希望地。

 17日午前中は、江戸東京たてもの園見学。いちばんの興味の的は、ジブリアニメ『千と千尋の神隠し』の「銭湯のモデルのひとつ」である子宝湯。

 「千と千尋の神隠し」は、今年ジブリの著作権交渉みのり、正規に映画館上映もDVD販売もできるようになりました。しかし、実際には、海賊版が山と出回っており、中国の子どもたちは昔から廉価海賊版DVDを見ているので、お話はみなが知っています。

 17日午後、日中交流授業。日本語教師養成科目を学ぶ日本人大学生、11名参加。春庭が2000年から20年間続けてきた、日本語教育概論と教授法を受講している学生たちです。

 日本語の授業、はじめは、自己紹介。あいさつのことば、身の回りの日本語語彙の授業。学生たちは、私が叩き込んだ「直接法(ダイレクトメソッド)」を駆使し(というほどでもなかったが)みな、いっしょうけんめいUSBファイルを作ってきて、熱心に教えました。中国人学生も、楽しそうにリピート練習していました。ペアで自己紹介しあうこともやってみました。

 大学生自作のパワーポイントスライド画像。絵も自分で描いています。


 春庭作のパワポ画像は、イラスト借り物。無料サイトのイラストや画像をお借りしてファイルを作っていますが、教育用には著作権「没問題」なので。


 形容詞は「長い・短い」「黒い・白い」の4語のみ紹介




 次は、習った単語、全部は覚えていないけれど、わからないときは中国語に翻訳する、という条件でフルーツバスケットをやってみました。
 「めがね」と日本語をいう。めがねをかけている学生は立ち上がり、椅子を交代する。「ズボンじゃない」というお題では、スカートをはいている学生は椅子を移動。半そで、長そでなどの習った単語もまだすぐには身についていないから、中国語の翻訳も必要。

 中国では、このようなゲームを利用した授業は少ないらしく、最初はとまどっていましたが、春庭授業で「ゲームによる日本語授業実践」を経験している大学生たちは、うまく中学生を誘導していました。
 楽しくゲームができて、習った日本語を口に出してみる体験ができました。

 最後は、日本人学生による「日本文化紹介」
 和菓子の紹介。中国人におせんべを配り、食べてもらいながら和菓子の紹介。


 算盤の紹介では、中国から来た算盤が、日本の計算文化に役立ったことを、江戸時代の浮世絵に描かれた商家の絵を見ながら紹介。(バイリンガルの日本語教師による翻訳付き)
 そろばんを中学生にはじいてもらう。日本の現代の大学生は、小学校時代に算盤授業があったそうですが、中国では皆無。スマホの計算機能の使い方は知っているけれど、そろばんに初めて触ってみた中学生もいて、よい体験になりました。

 中国の算盤。玉の数が多いですね。


 日本の婚礼衣装紹介。白無垢姿にいろいろ質問が出ました。頭の綿帽子、中国にはない衣装ですから、興味を持ったようです。発表したのは、結婚式場のアルバイトを続けている女子学生。洋装、神式、仏前結婚、人前結婚などを紹介していました。



 あやとり紹介。みな、わいわい言ってあやとりをしてみました。こちらはできる中学生が多かったです。



 大学ジャグリング部に所属している学生が、「中国から伝わった曲芸です」とディアボロ(中国コマ)を実演。拍手喝采でした。
 ボール2個ずつ渡して、お手玉をやってみる。みなできないので、再度ボールジャグリングを3個でやってみると、「すご~い!」



 サキソフォンが吹ける学生。楽器を背負って持ってきてくれて、キロロの「未来へ 中国語タイトル后来ホーライ」を演奏。中国人中学生は、みないっせいにスマホの歌詞カードを検索して中国語でいっしょに歌っていました。さすがイマドキの中学生です。
 次に、私が編集した中国語日本語ローマ字併記の歌詞カードを見ながら、日本語で「いつでも何度でも中国語タイトル《千与千寻》永远同在(永遠同在)」を歌いました。


♪♬🎵🎶
我心深处有声音在呼唤   Yondeiru mune no dokoka okude
wǒ xīn shēn chù yǒu shēng yīn zài hū huàn  
呼んでいる 胸のどこか奥(おく)で 

时常想做个让心灵跃动的梦 Itsumo kokoro odoru yume o mitai
shí cháng xiǎng zuò gè ràng xīn líng yuè dòng de mèng
いつも心躍る 夢を見たい (以下略)

 合唱で盛り上がったところへ、最後の発表「日本の擬人化文化」
 刀を擬人化した「刀剣乱舞」妖怪の擬人化などを紹介したところ、日本のアニメやゲームが大好きな中国人中学生は狂喜乱舞。ほんとうに皆日本のアニメやゲームが大好きなのだなあと実感しました。



 残念だったのは、パソコンとプロジェクターの不具合が続き、用意したUSBのファイルが紹介しきれなかったこと。準備をして授業に臨んだ学生には申し訳ないことでした。

 日本人大学生にもこれが今学期最後の授業になり、この発表が試験代わりなので、最後に自分が発表したことをレポートにまとめて提出するよう、確認しました。
 中国の先生が「中国人中学生高校生たち、日本人の先生に日本語や日本文化を教えてもらい大喜びでした」と、感想を聞かせてくれたので、私もほっとしました。

 日本語教師養成科目を受講している日本語がまったくわからない中学生への日本語授業をやってみた大学生にもよい体験になったし、初めて日本にきて、はじめて日本人と交流した中国人学生にとっても印象深い「日本の思い出」になりました。

 私の私立大学授業は2019年度いっぱいでおわり。3月には大学での授業すべてが終わります。古希だから。
 2000年から20年間続けてきた日本語教師養成の授業の最後に交流授業を計画し、大成功といえる終わりにできました。
 準備と当日のプロジェクタ不具合でものすごく疲れたけれど、やってみてよかったです。まだ半年間、大学授業は続くんだけれど。

 短期留学生と交流


台風19号、たいへんでした。
被害にあわれたかたがたにはお見舞い申し上げます。
治安のよい日本と安心して送り出した留学生の家族もこんなに早く日本の災害にあうとは、思っていなかったでしょう。地震雷火事台風。ご家族に安心してもらえるよう、学校側もしっかり準備していきたいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「野を駆ける鹿のように」

2019-10-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
201910112
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>福コーチョーデビュー(2)野を駆ける鹿のように

 1年前の3月30日。2018年4月に開校する気まんまんで書いた、日本語学校学生へ向けたHPのあいさつ文、だれも読みはしなかったあいさつ文なので、ここに再録しておきます。

~~~~~~~~~~~
みなさんこんにちは
 これから、日本語を学んでいくみなさんに、いろいろお話していきたいと思っています。
 日本語について、日本の文化歴史地理について、世界のいろいろな国とその文化について、いっしょにお話しいたしましょう。

今日のお話は、私たちの学院のマークについてです。


 当学院は、ロゴマークのひとつとして鹿をデザインしています。
 鹿は古来、日本の生活に深く結びついた動物です。犬や狐などと同じように、「神の使い」として大切にされてきました。たとえば、奈良公園の鹿は人に飼われているのではなく、野生動物(天然記念物)として自由に生きていますが、人に慣れ人々に親しまれる動物としておなじみです。

 同じようにおとなしく人に慣れる動物としては、羊もよく知られています。しかし、羊と鹿とでは、その歴史と習性で大きく違うところがあります。
 鹿は、今から1万年前の縄文時代と呼ばれるころの遺跡から骨が出土し、日本で広く利用されていたことが知られています。しかし、羊の牧畜が日本に導入されたのは、150年ほど前、明治時代以後のこと。日本では外来の新しい家畜です。

 羊の群れは一団となって同じように行動する習性があります。そのため、犬を牧羊犬として集団で移動させることができるのです。
 同じく、一頭一頭は温和な性質な鹿。しかしもし、犬が鹿の群れを追ったらどうなるでしょうか。鹿は羊のように集団とはならずに、一頭一頭がそれぞれの方向に散り散りになるそうです。
 鹿は、通常は静かに考え深く草をゆっくり食べていますが、いざとなると集団として流されず、一頭一頭が個体として行動するのです。

 日本語学習において、鹿のようにジャンプする力、疾走する力、そしてひとりひとりの個性を生かす、そのような充実した教育を、私たちの学院は目指していいます。

~~~~~~~~~

 20191012
 知らないうちにロゴマークが出来上がってきて、学校のガラス戸に貼られていたので、「なんで鹿?」と思ったのですが、そこは「へりくつ教師春庭」ぬかりなく、鹿のいいところを学習に結び付けました。
 集団管理の上では、羊の群れのほうがずっと管理しやすいでしょうが、個性豊かな鹿たちを育てていけるよう、10月に学生が入学してくるまでに、十分な準備をしていこうと思っていましたがバタバタしているうちに授業開始。
毎日の小テスト作りやら漢字練習問題やら、学生のレベルがマチマチので苦労も倍増。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「福コーチョーデビュー」

2019-10-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191010
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>福コーチョーデビュー(1)福コーチョーデビュー

 福コーチョーデビューのご報告を。
 日本語学校のふく校長として働くことになりました。
 開校までは「開校準備室副室長」として約2年間、準備をしてきました。

 2017年夏から準備開始。行政書士指導のもと、9月に新設日本語学校の申請書類一式を提出しました。2017年11月に、校舎へ入管の職員が立ち入り調査を実施。2階3階の5教室の机プロジェクターその他の設備がOKとなりました。入管職員2名による設置者と校長教務主任予定者への面接が行われました。

 その後、何度も書類の作り直しやら付け足しやら。カリキュラム表、時間割、教員シフト表授業進行表などを作成しました。2017年12月~2018年1月2月に何度か文科省ヒアリング練習。
 文科省ヒアリングというのは、入管立ち入り調査に合格した新設校代表者への面接試験です。どれほど意地悪な質問がなされるか、事前の面接練習でなんどもだめだしをされました。文科省官僚と日本語学校校長経験者や日本語教育専門官による突っ込みは、書類を見た上で、この人は、この部分に弱いということを見極めて、弱い部分をつついてくる、と聞いていました。

 カリキュラム表も、リスク管理系統図も完璧なはず。突っ込みの穴が見当らなかったらしい面接官は、校長予定者の経験不足をついてきました。
 「あなたは、大学での日本語教育経験は長いようですが、日本語学校校長の経験はないですよね」「はい、はじめて日本語学校の管理職として働きます」「経験がないのに、どうやって校長の職をまっとうするんですか。大学の教育経験だけでは、学校運営の経験はないと思うんだけどな」

 春庭は、国立大学で専任教員がサバティカル休暇の間、教務の仕事を命じられて、日本語コースのカリキュラム作成やコース運営、学生管理などの経験をしたこと、ミャンマーの大学でも日本語コース立ち上げの任を負い、1年弱でコース設立をなしとげて後任に引き継いだことなどを述べました。学校運営ではないけれど、日本語教育の授業だけでなく、コース運営の経験はあるのだと申し立てたのですが、面接官は、「ミャンマーの大学のこと、履歴書にかいてないよね」
 あらま、中国の大学に赴任した時は文科省派遣の資格で赴任したので履歴書にも経歴として書いたのですが、ミャンマーへは、大学退職後の派遣仕事だったので、履歴書の記入は省いてしまったのです。失敗、失敗。

 さらに面接官は「学校運営をどうやって知るつもりですか」とつついてくる。日本語教育振興協会のホームページで見たことを思い出して「日振協で新任校長教務主任の研修会に出席するつもりです」と答えたら「あ、研修会に出る気あんのね、それならまあ」と、面接官はあっさり納得しました。

 研修会をチェックしたとき、「この研修は私には無駄」と思ったの内容でした。日本語学校の校長を引き受ける方々は、日本の公立学校校長を定年退職した先生、大学教授を退職した先生がいらっしゃり、日本語教育というのが国語教育とはまったく異なるものだ、ということすらご存じない。

 研修のひとつのテーマに「非漢字圏学生への漢字教育の方法」なんてのが書いてあったので、あらら、こういうこと、私はもう20年も日本語教授法を受ける日本人学生に教えているのに、いまさら研修受けるのもかったるいなあ、と思ってしまったのでした。こういうのは驕りというもんですね。
 だから、「研修を受けます」と申し上げました。

 しかしながら、2018年4月、日本語学校として認可しない、という通知を受け、大ショック。私が実質的に大学などで教務の仕事をこなしてきたことはまったく評価されず「主任教員について:カリキュラムの作成能力は一定水準以上認められるが、教員としての経験は長いものの、学校管理の経験がない為、日本語教育機関がおこなう主任教員研修受講が求められる」という評価でした。
 
 2018年、行政書士事務所を変更し、再度の書類作り直し、2018年9月提出。提出書類の厚みは10cm以上になりました。

 前回の不首尾をふまえ、あらたに校長に元大学教授、現非常勤講師の先生をお迎えし、春庭は「教務主任兼副校長」という書類上の立場になりました。文科省にとっては、実際の仕事をだれがやるか、ではなく、書類上きちんと整っていることが大切。

 ずっと非常勤講師だった春庭は、実際にコース運営の仕事をしたことがあっても「学校管理能力なし」とみなされました。元大学教授という肩書があれば、授業だけをやっていた先生でも学校管理能力があるとみなされる。

 悔しがっても、世の中そういうもの。
 首相のお友達が新設獣医学部を申請すれば速攻認可がおり、肩書のない春庭が申請すれば却下。そういう仕組みになっています。

 2019年1月文科省の面接試験。今回はつっこみどころも少なくて、まあまあうまくいった、という感触でした。新任の校長予定者も面接官に気に入ってもらえた感じ。よかったよかった。しかし、日本語学校の設立は、年々審査が厳しくなっており、新設学校を認可しない方針が進んでいます。どうなるかは神のみぞ知る。もとい、文科省のみ知る。

 学校設立者は、2009年に私が中国で担当した国費留学生のひとりです。東大大学院に留学し、博士号を取得。現在、東大の研究所の客員研究員を続けながら中国でITビジネスを始めています。国費留学生の後輩と結婚し、ふたりで男の子を育てながら日本での永住許可をとりました。

 彼は、日本の社会や文化を愛し「奨学金を与えてくれた日本に恩返しをしたい」と思いました。そのため、日本語学校を設立し、日本の大学大学院で学ぶ留学生を育てたい」というのが「学校設立の目的」

 実際には彼の妹夫婦が学校経営に当たり、私は教育・教務面を担当します。
 1980年から一人っ子政策がとられてきた中国で、37歳と30歳、兄妹そろっているのは、珍しいことです。(80年代、一般の勤労者がふたり目を生むと罰金が科せられた時代でした)。
 兄妹とも日本に留学し、兄は博士号、妹は日本の私立大学で教育学修士号を得ました。そろって優秀な人たちですが、日本語学校設立はみな初めての経験でした。試行錯誤、とまどいながらの準備でしたが、新しい行政書士事務所はとても細かいところまで指導が行き届き、その準備ぶりを見るにつけ、前回の不認可の理由もなんとなくわかりました。

 入管法が変わったことで、日本語学校への規制もたいへん厳しくなっている昨今ですが、認可がおりさえすれば、勤務する日本語学校はすぐに活動を開始できます。
 すでに中国政府の認可を得た中国現地校は授業を開始しており、現地校→日本留学というルートができています。私はスカイプテレビ会議利用で、中国に在住している現地校の学生に授業を始めています。

 新しく始めることなので、当然わからないことも失敗もあるとは思います。
 前回の文科省面接官の言うとおり「日本語教育経験30年以上と言っても、学校を経営した経験はないでしょ」というのはその通り。学校運営の経験なんてありません。でも、経験したことのないことを、これから仕上げていくのも必要なこと。

 準備の2年間「70歳目前にして人生の新しい局面がひらけ、新しい仕事に挑戦できるのはありがたいこと」と思って張り切ってきました。
 開校申請の認可通達は、遅れにおくれました。例年は4月末日に通知がくるのですが、令和改元で10日間休みが続いたあとようやく5月16日に認可通知が届きました。

 留学のための学生ビザ申請は6月13日が締め切り。ですから、学生募集の期間が例年より短くなり、10月に入学できる学生数は、当初の予定より、大幅に少なくなってしまいました。
 入学開始10月。教務主任兼副校長春庭、あと半年間の準備、がんばります。

 中国では福の字と同じ旁が蝙蝠にもあり、こうもりの発音ビィァンフーBiānfúが、「福が偏在する」という「偏蝠ピィァンフーPiān fú」と発音がほぼ同じです。蝙蝠は「福を呼ぶ縁起のよい生き物」として珍重されてきました。
 それなら副校長も福を呼ぶ縁起のいい生き物です。春庭福校長、古希の体に油を加え、加油!チャーヨッ!とがんばります。

 5匹の蝙蝠が家を取り囲んでいる縁起のよい切り絵「五福臨門」


 五福臨門の5匹の蝙蝠は、5つの福を持ってきます。
・長寿=寿命が長く、福と寿が伴っていること
・富貴=財産やお金が十分にあり、地位が高く尊敬されること
・康寧=健康で心が安定していること
・好徳=良い行いを習慣にし、広く陰徳を積むことができること
・善終=安心して現世を離れることができること

 HAL福コーチョーも日本語学校にひとつくらいは福を運びたい。
 ふく校長、福コーチョー。期待に胸ふくらませて来日する留学生と新設日本語学校に、福が来ますように。3年後には福があふれる学校にしたいです。
 10月開学。2020年4月に学生数100名体制。3年後に優良校認定がうけられると学生数200名まで受け入れが可能になるので、とりあえず3年間頑張ります。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ジャパンオープン&カーニバルオンアイス2019」

2019-10-08 00:00:01 | エッセイ、コラム

フィギュアスケートジャパンオープン入り口の看板

20191008
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記初秋>ジャパンオープン&カーニバルオンアイス2019

 昨年フィギュアスケートジャパンオープンとカーニバルオンアイスを続けて見たときは、「ふたつを続けてみるのはさすがに疲れるなあ」と言っていたのですが、娘は今年もジャパンオープン&カーニバルオンアイスを続けてみることにしました。私もおつきあい。

 フィギュアスケート大好きっこの娘、今年も、グランプリプリシリーズ、全日本選手権も世界選手権も全部見る予定。全日本では高橋大輔の最後の男子シングルになるでしょうし、久しぶりに羽生結弦が出場するかと、今からわくわくしています。

 ジャパンオープンは、アマチュアとプロがいっしょにすべる、まあスケートシーズン開幕のお祭りみたいな大会ですから、それほどピリピリせずに、各選手の今シーズンの出来を占う、という感じ。、
 日本からは、宮原知子、紀平里香、宇野昌磨、島田高志郎。アメリカからネイサン・チェン、ビンセント・ジョー、ブレイディ・テネル、長洲未来。ヨーロッパからハビエル・フェルナンデス、デニス・ヴァシリエフス、アリーナ・ザギトワ、アレクサンドラ・トゥルソワ 。日本での人気が高い選手が集まりました。トゥルソワはまだなじみが薄いですが、2019世界大会ジュニアで金をとった若手。四回転をポンポンと成功させていて、ジュニアからシニアにあがってこれからの活躍が期待されます。

 女子フリー一位トゥルソワ(画像借り物)


 シングル選手が今期のフリーとショートのナンバーをお試しで滑ってみるチャンスでもあり、地域別対抗戦と言っても、対戦よりも新しいナンバーの出来が気になります。ゲストは、ステファン・ランビエル、織田信成、アイスダンスのメリル・デービス&チャーリー・ホワイト組。

 男子フリーと女子フリーの間のエキシビションですべる織田信成(画像借り物)


 昨年のジャパンオープンの春庭コラムで、日本で人気の高いランビエルの弟子ヴァシリエフスがくっついてきた、と書きましたが、ランビエールの指導よろしく、着実に実力をあげてきています。
 もう一人、宇野とともに日本代表として出場する島田高志郎もランビエール・コーチのもとで練習しています。

 島田高志郎の男子フリー(画像借り物)


 実力のある選手がそろうジャパンオープンも、カーニバルオンアイスのゲストに鈴木明子や高橋大輔が登場するのも楽しみ。

ジャパンオープン、男子1位はネイサンチェン、2位は宇野昌磨で、女子1位は四回転を4つ飛んだトゥルソワ。予想当たりました。地域別の優勝はヨーロッパ、2位は日本、3位は北アメリカ。こちらも予想通り。

 女子フリー紀平梨花(画像借り物)

 男子フリー宇野昌磨(画像借り物)

 表彰式の欧州組と日本組

 表彰式後のリンク
 

 カーニバルオンアイス2019は、ジャパンオープンに出場した選手とゲストに無良崇人、鈴木明子、高橋大輔が加わり華やかなエキシビションを繰り広げます。


 カーニバルオンアイス アイスダンスのメリル・デービス&チャーリー・ホワイト


 高橋のショートをテレビで見て、すごく素敵だったから生でみたい、と言うミサイルママをご招待して一緒に楽しみました。

 鈴木明子のブラックスワン、無良崇人の美女と野獣のナンバー、などもよいプログラムでしたがやはり高橋の今期ショートの振り付けは圧巻でした。ビヨンセなどに振り付けをしているダンス振り付け師が担当し、スケートへのアレンジをミーシャジーがしたのだそうです。

 ステップや表現力には定評があり、引退していた時期もダンスレッスンを続けて、アイスショーだけでなく、ダンス公演にも出演していたのですから、ダンス表現力はピカイチでした。ジャンプもスピンもまだ未完成と言っていましたが、観客を圧倒する迫力があり、完成した演技を全日本で見ることが出来たら嬉しいです。
 来年のゲストは高橋村元かなのアイスダンスだろうな。



 最後のフィナーレは沢田研二のTOKIOに乗って、全員で華やかに。
ミサイルママはジュリーの大ファンで、タイガース復活コンサートも見に行ったくらいですから、TOKIOに大喜びしていました。

 娘にもミサイルママにも大満足のスケートになってよかったです。
日本中が熱狂したであろうラグビーサモア戦を見ないで、フィギュアスケートをみたのですから、ラグビーに負けない価値があってほしいと思って、ミサイルママを誘ったのです。

 ラグビーは、ニュースでハイライトを見ました。サモア戦勝ててよかったですが、カーニバルオンアイスの放映をテレビ東京で見て、鈴木明子や無良崇人の演技がカットされていたので 、ああ、生で見ておいてよかったと思いました。

 40年前に姉の結婚相手が元ラグビー選手だったから、ルールなども教わったのですが、にわかファンよりも熱が薄い。なぜかニュージーランド対ナンビアはライブテレビ観戦しました。

 ラグビー、もうしばらくは日本での世界杯はないだろうから、ぜひベストエイトに残ってほしい。フィギュアスケートはこれから先ずっと、応援を続けます。

 ミサイルママと


<おわり>
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ぽかぽか春庭「秋の花火会」

2019-10-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
2019106
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記初秋(1)秋の花火会

 隅田川花火大会や大曲、長岡など大規模な花火大会に比べると少規模ですが、地元荒川河川敷での花火打ち上げは、今年で8回目。地元企業がお金を出し合うので、第1回目は、たった1000発の打ち上げで、観客もごく少数だったそうです。
 我が家は花火数も5000発、観客も5万人を超えたあたりから見にいくようになりました。他の花火大会に比べれば小規模なので、謙遜して「花火会」という名称です。

会場の青水門へ向かう人々


 最初に見に行った年は、ファンシートという指定エリアのなかで自由に座れる席にしましたが、もっと近くで見たいと、翌年は打ち上げ場所に近い「青水門4人シート席」で、寝転んでみることができました。打ち上げ場所から200メートルくらいのところなので、大迫力の花火です。
 しかし、昨年一昨年とも小雨決行という雨の中での花火会だったので、行きませんでした。

 今年は、お天気もまあまあで、娘とふたり、4人ベンチ席で見ました。(青水門4人シート席の発売がなくなり、シートは8人席の身)。
 ベンチだと寝転べないかなと思っていましたが、前のベンチとの間は80cmほどはあるので、そこにシートを敷いて寝転ぶこともできました。

 オープニング前の「吹奏楽演奏」は、陸自第一師団第一音楽隊の演奏。
 「ルパン三世のテーマ」「わが心のジョージア」「ソーラン節」など、楽しい演奏と歌でした。



 第一音楽隊が、開会のファンファーレを高らかに鳴らし、区長やら議員の選挙運動かねての挨拶が続いたので、私はシートに寝転んで聞いていました。

 花火第一部は、第一音楽隊の演奏CDによる「祝典序曲オリンピカ」に合わせてのグランドオープニング。
 第二部は、2021年のNHK大河ドラマの主人公、新1万円札の顔に決まった渋沢栄一の生涯を紹介するナレーションを聞かせながらの打ち上げ。この先、地元飛鳥山公園にある渋沢資料館などとともに町おこしを始めるようです。



 第三部は、「花火博覧会」という花火師の創作花火の紹介。犬の形だったり、万華鏡を表現したり、花火師さんの腕の見せ所でした。
 第四部は、地元赤羽台中学校出身のエレファントカシマシの曲に合わせた音楽花火。
 グランドフィナーレは米津玄師のレモンとパプリカに合わせて。



 音楽スピーカーがすぐ前だったので、ちょっと音が大きすぎたのが難点でしたが、娘も大満足の花火会でした。
 1000発から始まった花火会、今年は8888発。来年あたり、1万発を超えたら花火大会に格上げしてもいいんじゃないかしら。

 帰りはパスタ屋により、リゾットや卵ふわふわメレンゲのグラタンなどを食べ、楽しい一日をおひらきに。


<つづく>
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