春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「2023年5月もくじ」

2023-05-30 00:00:01 | エッセイ、コラム

20230530
ぽかぽか春庭2023年5月もくじ

0502 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023ふみ日記初夏(1)水織ゆみ35周年記念リサイタル2023
0504 2023ふみ日記初夏(2)旧みどりの日飛鳥山散歩
0506 2023ふみ日記初夏(3)みどりの日小石川植物園散歩

0507 ぽかぽか春庭ことばのYAちまた>日本国憲法第3章

0509 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023ふみ日記初夏(4)ジュンク堂デート

0511 ぽかぽか春庭アート散歩>2023建物散歩初夏(1)晩香蘆、青淵文庫
0513 2023建物散歩初夏(2)旧赤星鉄馬邸

0514 ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩初夏(1)重要文化財の秘密展 in 東京近代美術館
0516 2023アート散歩初夏(2)ベルギーと日本展 in 目黒美術館
0518 2023アート散歩初夏(3)新宿の画家たち

0520 2023建物散歩初夏(3)新宿の建物

0521 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023ふみ日記5月(1)新宿御苑バラ園散歩
0523 2023ふみ日記5月(2)新宿御苑緑陰散歩 
0525 2023ふみ日記5月(3)母の日2023
0527 2023ふみ日記5月(4)大相撲五月場所観覧
0528 2023ふみ日記5月(5)失業手続き忘れた
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ぽかぽか春庭「失業手続き忘れた」

2023-05-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230528
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記5月(5)失業手続き忘れた

 26日は、失業手続きをする日で、カレンダーに書いておいたのに、カレンダー見るのを忘れたから、26日に行けませんでした。あ~あ。失業手当の振り込みが遅れます。夫の計算によれば、雀の涙ほどしか出ない手当というのですが、雀だろうとハチドリだろうともらえるものはもらわねば。でも、忘れた。こうして一日一日がぐずぐずと過ぎていく、失業者の暮らし。

 頭の体操。五月の句五月の歌。旧暦だと梅雨時の歌ですが。
寺山修司: 目つむりてゐても吾を統ぶ五月の鷹 
詠み人知らず: ほととぎす 鳴くや五月の あやめぐさ あやめも知らぬ 恋もするかな
伊勢物語より:五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする 
松尾芭蕉:海は晴れて比叡降り残す五月かな 
向井去来:たまたまに三日月拝む五月かな

遠近法の手本のやうに威儀示すプラタナスの葉の五月は正しき<春庭
夏の原狼色の遠吠えは星ひとつ落としあかつきに消ゆ<春庭
レーモンドの建てし昭和の豪邸の富豪鉄馬は消えてしまった<春庭
五月尽我が脳幹のゆるむとき失業手当は消えてなくなる<春庭
旧邸の中庭のつくばい苔生ひて五月の光は苔にも注ぐ<春庭

 旧赤星邸のつくばい


<つづく>
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ぽかぽか春庭「相撲5月場所観覧」

2023-05-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230527
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記初夏(2)相撲5月場所観覧

 前回も前々回も、国技館観覧で横綱土俵入りを見ることかないませんでした。今場所は照ノ富士の土俵入りが見られるかどうか、6日目までどうにかがんばってほしいと願いつつ5月19日金曜日、両国へ。
 相撲は明治以降「スポーツ」のひとつになりましたが、私にとっては、やはりただのスポーツじゃない。横綱や力士が大地を踏みしめることで、さまざまな厄災を鎮め、大地に豊作をもたらす。横綱が土俵を踏む姿は何度見てもいいものです。


 5月14日-28日の大相撲五月場所。コロナ以後、桝席が2人で見られる間だけ本場所を見る、と決めて、毎場所、今回が最後かなと思って両国国技館で観覧してきました。たぶん、今回がほんとうに最後かも。世の中からマスクやら飲食店の仕切りやら制限がなくなって行っているので、9月には国技館の制限もすべて撤廃でしょうから。
 19日は雨がぽつぽつ落ち始めた中、国技館へ。

 19日午後。相撲博物館や力士の「入り姿」を見ました。幕下以下は浴衣に洋傘ですが、関取以上は和傘に四股名が書いてあり、羽織姿で国技館脇を歩いて入ります。このような傘の作成、着物や化粧まわしなど、関取になると給料も入りますが、付き人へ小遣いを渡したり、かかりも大きくなる。贔屓筋それでも幕下以下の力士はみな関取めざしさらには横綱めざしてけいこを重ねます。

 支度部屋入りする千代栄関。カッコよかったです。


 相撲博物館で「相撲浮世絵」などを見てから西のふたり桝席へ。11列12列だけがふたり桝席。前も後ろも4人桝席。体格大きな外国人が4人ですわるとぎゅうぎゅうになっていました。
 幕下の取り組みを見て、十両土俵入り。炎鵬、落合、熱海富士を先場所と同じに応援。関取中一番の小兵炎鵬、一番若い落合と熱海富士。今場所から娘の十両贔屓力士がもうひとり増えました。明治大学出身の藤青雲です。
 明治大学からの関取誕生は、元武雄山(山分親方)以来 23年ぶり。藤青雲は大学卒業後就職し、実業団での相撲に取り組もうとしましたが、おり悪くコロナ禍のため、実業団の試合も練習も中止に。そのため大相撲に転身を決意、2021年3月に前相撲から出発しました。2年で関取になったのは立派です。

 明大から送られた化粧まわしをつけて藤星雲の土俵入り


 十両最後の取り組みは炎鵬湘南乃海。炎鵬はせいいっぱい動き回りましたが、負けました。全敗。負け続けても声援は明日もつづくでしょう。


 幕内土俵入り。幕内のご贔屓宇良と遠藤が続けて出てくるので、娘は「バナータオルを振るのが忙しい」と、がんばってタオル応援していました。


 照ノ富士の土俵入り、久しぶりに力強い横綱の大地の四股、きっとコロナも退散できるでしょう。
 照ノ富士は横綱の責任を果たして全勝。


 宇良、遠藤も続けて負けてしまいました。遠藤は7日目から休場。調子が悪い時期もある相撲人生。どうぞ元気になってください。
 宇良は毎場所けんめいに励みますが、勝てないときも勝負の運。

 
 相撲が6時に終わってから雨の中、観客がぞろぞろと出口に向かいました。桝席に座って満員御礼の下がった館内を見ているときは感じませんでしたが、出口へ向かう観客を見て思ったこと。サッカーやスケボーなど若い観客が多いスポーツに比べて、国技館を出てきた観客は明らかに平均年齢が高い。今、高齢者は人口の4人にひとりの割合で人数が多いから相撲人気も保っていられるでしょうが、この先この高齢者がみんないなくなったら、相撲を見る客がいなくなるんじゃないかしら。これは、クラシック音楽コンサートや歌舞伎の観客を見ていて心配になるのと同じ。
 観客の掘り起こしを今から心掛けていないと、10年後20年後の相撲観客は激減しているんじゃないかしら。 


 取り組み中、娘が作ったオコシ(フツーツグラノーラを固めたお菓子)をぼりぼり食べ続けていて晩御飯は入らないくらいでしたが、両国駅前の中華屋へ。3階へ案内されたら、先客は境部屋のおすもうさんたちがご贔屓さんの招待なのか、宴会中でした。みな浴衣なので、幕下以下の力士とみえましたが、「親方のアルバムをみていたら、、、」とか「師匠にこう言われた」などのことばが漏れ聞こえてきました。たくさん食べてみんな強くなってね。

 相撲博物館の錦絵(画像借り物) 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「母の日2023」

2023-05-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230525
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記5月(4)母の日2023

 毎年の母の日。娘からは欠かさずプレゼントがあります。今年も例年以上にさまざまなプレゼントをもらいました。

 プレゼントの説明ボードに、あった娘のメッセージ
①ストール
 私が染め物体験で染めた物です。オーガニックコットンをインドアカネと言う染料で染めました。

②レトロ建築の本
 2022年10月初版とあったので買ったのですが、増補版だったので、母は持っているかも。
「東京レトロ建築さんぽ」

③羽生結弦写真集
 ②が持っている本かもしれないので、追加で買いました。

④お菓子
 おいしいうちに食べてください。
 1,出雲の柚子餅子「山陰の味」
 2,娘手作りのチーズケーキ

 私が好きなものはいろいろありますが、①娘が作るチーズケーキは日本一の味 ②手芸好きな娘の手作り品 ③フィギュアスケートなんといっても一番好きなのは羽生結弦 ④美術館博物館めぐり、中でもレトロ建築巡り ⑤乗り鉄

 建築探偵シリーズなど、建築巡りの本はいろいろ持っていますが、「東京レトロ建築さんぽ」は持っていない本でした。
 昨年、娘と羽生結弦展を見に言ったのですが、写真集は高いので、絵ハガキ集を2種類だけかって12枚の写真を眺めることで我慢したのです。写真集3800円のプレゼント、高すぎて母には手が出なかったのです。ゆづ君の写真ながめてうっとりしています。
 ストール。オーガニックコットンの草木染。上品な茶色の染め物です。
 お菓子は、一昨年娘と旅した出雲の銘菓と私が日本一おいしいと思っているチーズケーキ

 娘の体調は万全ではなく、病院の検査を続けながらの日常です。気持ちがいらだつことも多く、母親のふるまいのひとつひとつが気に入らず、「母の声は神経に響くから、話があったらメールでして」といいます。音に対して神経過敏になる症状で、耳の聞こえが悪くなっている私の声は、大声になりがちですし、波長が娘の耳に悪いみたい。

 いろいろなプレゼント、うれしいですが、母親の一番の願いは、子供が体調よく機嫌よく暮らしていくこと。
 少しでも娘の気分にさわらないように暮らしているつもりなのですが、毎日ホワイトボード連絡版に「本日のお叱り」が。「漬物の袋を捨てましたか。マークが必要と書いてあったはずです」などと書かれています。娘の愉しみのひとつは、買い物をしたあと、商品の応募マークやバーコードをハガキに貼ったり、スマホでレシートを撮影して応募すること。
 毎週届くさまざまな賞品を楽しみにしています。日用品、食器や食材などいろいろ当選します。普段の買い物は半額セールなどを買っていますが、半額セールでもシールやバーコードの応募は同じ。高級牛肉など食材やお菓子詰め合わせなどは娘とふたりで食べますが、娘はアルコールアレルギーで、夫も飲めない人なので、お酒は私ひとりで。ビールなど1ケース以上まだ残っています。これから夏にせっせと消費しましょう。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「新宿御苑緑散歩」

2023-05-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230523
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記5月(2)新宿御苑緑散歩

 新宿御苑は、薔薇も美しいけれど、新緑もとても美しかったです。楽しい散歩でした。入り口付近はけっこう人がたくさんいるように見えましたが、園内は広いですから、緑を独り満喫しながら歩きました。
 ビルを望む池と松


 漢字で「渋谷」と書いてあるTシャツを着ている外国人おっさんが息子といっしょに歩いている。「それ、しぶやってかいてあるね、とてもいい」とほめると、「シブヤ、シブヤ」と、自慢そうに胸を張りました。
 

 高齢おじさんが「ほら、あそこ亀が歩いている」と道をゆっくり進む亀を指さす。池に住む亀でしょうか。散歩を終えたら、ちゃんと池に戻るんだよ。

 ビルが見えない木陰は、山奥にいる気分になります。


 内藤氏が家康から「馬に乗ってかけて回れるだけ領地にしてよい」と言われてもらったとされる内藤新宿。内藤氏庭園の面影をのこすという玉川園「玉藻池」

 外国人カップルが玉藻園前で撮影してくれました。


 外国人女性は池の亀が泳いでいるのを指さすので「タートル」と言いました。ジャパニーズ?と聞くので、日本の固有種か尋ねたのかと思ったら、イングリッシュタートル、ジャパニーズ?と問う。ああ、日本語を知りたかったのか、、と気づいて「か、め」と教える。

 プラタナス並木。ゆりの木並木。遠近法の写生練習によさそう

 14時半に新宿御苑を出て、近くの隨園という町中華でチャーハンとサンラーターメンのハーフ&ハーフランチ500円。新宿御苑シルバー入園250円。本日も地下鉄代金と合わせて1000円ちょいの一日行楽でした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「新宿御苑散歩バラ園」

2023-05-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230521
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記5月(1)新宿御苑散歩バラ園

 何度も来ている新宿御苑ですが、5月16日は今まで見たこともないくらい外国人観光客がたくさんいました。そのほか、保育園の遠足。デートカップル。高齢ご婦人方10人くらい集まって写真を撮っているたぶん同窓会の集まり。家族連れ。みなそれぞれの御苑散歩を楽しんでいました。

 2日間雨が降ったあとなので、空気の塵も流されて、まっ青な空白い雲。日に輝く緑。真夏日になった気温なので日陰を選んで歩きました。
 バラは旧古川庭園や神代植物園、鳩山邸など都内に名所がありますが、新宿御苑の薔薇は久しぶり。
 
 ビルが遠望できる都会の真ん中の広大な公園にあるバラ園

 バラ園は、やや盛りを過ぎている花もありましたが、満開花盛りを楽しむことができました。いつものように、薔薇の名前を見ながら歩いたのですが、名前の札を見ないでもわかったのは「プリンセスミチコ」だけでした。
 シャリファアスマとか、名前をチェックしたけれど、たぶん、次には忘れている。
 

 愛子内親王にちなんだ薔薇も。かわいらしいピンク。

 おおぶりのバラ。名前なんだったか、名札を撮るのを忘れました。

サリーホームズとロージークッション
 バラ栽培の老舗メイヤー家の名をつけた花、ピカソと名付けられたバラ。私にはどちらがどちらなのか、区別はつかぬ。

 ストロベリーアイス       モーツァルト

 薔薇の新種が認定されると、著名人の名前や家族の名前を付けたりします。エリナと名付けられたバラ。
 自分の名前をつけるなら、私は新種のバラよりも豆粒くらいでもいいから小惑星がいいかな。バラは似合いそうもない。

 美しいバラ園。お天気上々。半袖の腕がちょっと焼けました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「新宿の建物」

2023-05-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230520
ぽかぽか春庭アート散歩>2023建物散歩初夏(3)新宿の建物

 新宿歴史博物館で「新宿建物100選」というパンフレットをもらいました。新宿御苑の中の建物は、96-99の4つ、楽羽亭、御涼亭、旧御休所、温室が出ていますが、楽羽亭は戦災で焼失した茶室を1987年に再建したもの、温室は2012年の建物なので、御涼亭、旧御休所を見学しました。

 新宿歴史博物館から曙橋へ。新宿三丁目まで都営地下鉄でひと駅だけ乗りました。シルバーパスを使わなきゃね。目的地は新宿御苑なのに、駅を降りてスマホの地図を見て歩いていったら、伊勢丹前に出ました。ありゃりゃ。これでは新宿へ行ってしまう。いつものような方向音痴でした。伊勢丹は旬塾建物100選のNo.76。1933(昭和)9年の竣工。昭和11年に外装改修。アールデコ装飾のデパートです。デパートの中のほうは、いままであまり縁がありませんでした。デパートで買い物をするというのは、デパ地下の食品が割引になったときに買うだけ。


 反対方向へ戻って新宿御苑新宿門から入苑。11時半。
 新宿御苑の中に皇室ゆかりの建物があります。5月16日の新宿御苑散歩は時間もゆったりありましたので、いつもちゃっちゃっと見てすぎる旧御涼亭と旧洋館御休所をのんびり見てすごしました。

 新宿御苑内の旧洋館御休所。1906年、片山東熊設計。1994年まで新宿御苑管理事務所として使われていました。風呂場の増築他の改築を経て、2001年、大正13年当時に復元され重要文化財となりました。

 東側外観

 屋根の装飾

 メインエントランス    屋根の装飾

 エントランスの屋根裏




 南西からの外観と南西の第2出入口


 食堂 次の間(Anteroom)
 居間

廊下


 平面図が出ているパンフレットは、英語中国語韓国語があり、日本語は「現在配布中止」とのことでした。
 1922年に増設された風呂場が、職員用、殿下用妃殿下用と並んで作られていました。当初は休憩だけの御休所だったのでしょうが、植物好きの皇太子(昭和天皇)がついつい長居をしてしまい、お風呂で汗を流してから皇居へ戻るっていうことになったのかな、なんて想像しました。

 もうひとつの皇室ゆかりの建物は旧御涼亭(台湾閣)。 
 昭和天皇(結婚当時は皇太子)の御成婚を記念して、当時の台湾在住邦人の有志の方々から寄贈された建物で、建築家、森山松之助の設計により、1927(昭和2)年に竣工されました。
 この建物は中国南方地方(福建省)の建築(ビンナン建築)と同じ様式で造られており、本格的中国風建築の日本における数少ない建物として、貴重なものと評価されています。


 皇太子(昭和天皇)の台湾訪問を記念して台湾在住邦人から寄付をつのり、集まった資金で建設した、という由来がプレートにかかれていました。

 1924(大正13)年に結婚する前、1921年から病身の大正天皇のかわりに摂政宮として国事に当たったので、はたしてどれほどの時間、御休所や御涼亭で過ごすことができたのかなあと思います。昭和天皇はおりにふれて「牧野はどうしている」と質問したそうで、牧野富三郎のように植物研究一筋の生き方を心からうらやんでいたのではないかと想像します。

 御涼亭からの眺め

 
 <つづく>
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ぽかぽか春庭「新宿の画家たち」

2023-05-18 00:00:01 | エッセイ、コラム

20230518
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩初夏(3)新宿の画家たち

 5月16日、新宿歴史博物館で「新宿の画家たち」展を見ました。無料なので。
 新宿落合近辺にアトリエを構えていた画家。林芙美子邸には夫緑敏のアトリエがあったし、佐伯佑三のアトリエも見学したことがあります。今回は新宿に在住した画家の絵を集めた、という展示なので興味を持ちました。

 新宿歴史博物館の口上
 新宿には多くの画家が住み、特に落合の地域には洋画家の佐伯祐三・米子夫妻や中村彝(つね)、曾宮一念(そみやいちねん)らが住居・アトリエを構えました。
人や風景と出会い、日々を過ごし、絵を描く。その営みが新宿にあったのです。
 本展は、作品やデッサンに加え、ゆかりの品々、画家の書いた手紙や書籍などを見ていきます。
 暮らしや交流関係なども含め、作品だけからでは見えにくい画家自身の姿を探っていきます。
 
序章 落合 ―画家が暮らしたまち―
 新宿の中でも、特に多くの画家たちが暮らした場所が落合です。画家たちを惹きつけた落合とはどのような場所だったのでしょう。
江戸後期に刊行された「江戸名所図会」には、風光明媚な場所として落合の情景が紹介されています。その後、明治時代に入ると川沿いに工場が建てられ、景観が変化していきます。大正11年(1922)に宅地分譲地である目白文化村の開発が始まり、大正15年(1926)の「下落合事情明細図」には、多くの住宅や工場が記載されています。その一方で田園風景も残り、落合の地には絵になる景色が多く存在していました。

 目白文化村の広告はがき


 江戸時代、落合近辺は蛍狩りの名所だったのだそうです。
「江戸自慢三十六興 落合ほたる」元治元年(1864) 歌川豊国・歌川広重(二代)画

 林緑敏「下落合風景」1935頃

 松本俊介装丁  林芙美子「一粒の葡萄」

 堀潔「煙草専売局工場」1921

 点数は多くなかったですが、画家が自分の住む土地をいとおしんで見つめている気がしました。

 地下展示室の休憩ロビーで

 退室するまえに写真を撮ろうと思って自撮りして、さて出口へと急いだら、飲み物とあとで参考に見ようと集めておいたチラシ類を休憩室に置き忘れてしまいました。出かけるとだいたい忘れ物落とし物がつきものです。何を落としたのか気づかないことも多いですが、今回は地下鉄の乗って飲みものを飲もうとしたらないので気づきました。



<おわり>
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ぽかぽか春庭「ベルギーと日本展 in 目黒美術館」

2023-05-16 00:00:01 | エッセイ、コラム


20230516
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩初夏(2)ベルギーと日本展 in 目黒美術館

 絵を見たくて美術館に出かけることも多いですが、行きがかり上、それほど見たくなかった展覧会に寄ることも。5月9日もそんな一日。
 朝、さて、今日は病院の検査があるから、朝ごはんは軽くしとかなきゃと思って出かけました。しかし、受付機に受診カードを入れても「今日の予約はありません」と出る。おかしいなあ。番号札をとって、受付の係員に「予約してあるのに、予約ありませんって表示されるんですけど」と言う。受付の人はカードを調べて「予約は10日ですから、明日ですね」と。
 ドヒャー!ついに「毎日が日曜日になった退職者は、曜日がわからなくなるから気をつけよ」と言われていたことが私の身にも起きたのか、と大ショック。5月8日は夫と竹橋の近代美術館に行って、9日は一日ぐうたらしてパソコンの前に座り、10日に検診、というつもりだったのに、中1日がすっ飛んでしまった。

 出かけてきてそのまま帰るのも癪なので、電車に乗り目黒美術館へ行く。「ベルギーと日本」という展覧会をやっているのは、竹橋近代美術館で配布チラシを見て知っていたが、それほど見ようという気持ちにはなっていなかった。
 太田喜二郎、知らない。呉島虎次郎、名前は知っているけど、倉敷の大原美術館の絵を大原孫三郎に命じられてヨーロッパで買い集めた画家、と思い出すくらいで、大原美術館でどんな絵が児島の作品として並べられていたか、パッと思い出せない。大原美術館にはほかに有名作品がいっぱいあったからね。

 とにかく入館。目黒区民になったので、シルバー券が100円割引になり得した気分。これまで目黒区に住んでいても住民票を移していなかったので、割引になっていなかった。

 近代日本の画家たちは何がなんでも「おふらんす」。フランス留学を目指して絵の修行に励んだのだけれど、わいわいと人が集まるフランスになじめず、静かなベルギーで絵を学んだ人たちがいました。
 ベルギーの印象派の画家。ロドルフ・ウィッツマン。知らない、エミールクラウス、知らない。日本の近代絵画、ことに印象派後期印象派の日本画壇への紹介は、黒田清輝御大のもとフランス絵画が中心であって、ベルギーは傍系だったことがよくわかる。

目黒美術館の口上
 戦前の日本人画家の欧米への留学中の作品を収集方針に掲げる目黒区美術館は、ベルギーに留学した太田喜二郎の作品を収蔵しています。当時、パリ留学が主流であった中で、少数ですが、太田と同様にベルギー留学した芸術家がいました。画家の児島虎次郎と、彫刻家の武石弘三郎です。太田と児島は、ともにゲントの王立美術学校に通い、ベルギーの印象派の画家、エミール・クラウスからも学びます。武石は、ブリュッセル王立美術学校を優秀な成績で卒業し、帰国後は肖像彫刻家として人気を博しました。戦前の日本で「炭坑夫の彫刻家」として人気のあったベルギーの彫刻家、コンスタンタン・ムーニエの日本への紹介でも知られています。この度は、この3人の作家と彼らに関連するベルギーや日本の作家以外に、当時の印刷物による紹介や展示などにも着目し、戦前の日本におけるベルギー美術の受容について探ります。

 展示は、ルネマグリットの1点を除き撮影自由。観覧者も少なくてゆったりの観覧でした。

・第1章 光をえがく:ベルギーの印象派絵画と日本  
 ロドルフ・ウィッツマン「水に映ずる家」


ロドルフ・ウィッツマン「風景」
 

 エミール・クラウス「冬の果樹園」1911

 フランス留学の外光派
久米桂一郎「夏の夕(鎌倉)1894


 ベルギー印象派の画家に学んだり影響を受けたりした日本の画家
 太田喜二郎と児島虎次郎と留学中の作品


 太田喜二郎「風景」1908-1913

 太田喜二郎「樹陰」1911

 太田喜二郎「窓辺の夫人」1911-1912

 
 児島虎次郎「和服を着たベルギーの婦人」1909


 児島虎次郎「和服を着たベルギーの少女」


 児島虎次郎「川辺の風景」1909

 
 ベルギーから帰国後の作品
 太田喜二郎「麦秋」1914


 太田喜二郎「暖かき日」1915


 児島虎次郎「花鋏を持つ婦人」1913
 

 児島虎次郎「親牛仔牛」1916

 児島虎次郎「酒津の秋」1917

 児島虎次郎「ブールージュの舟宿」1920

 日本の印象派
 齋藤豊作「羊飼い」


 吉田苞(しげる)「赤い支那傘」1926




 
・第2章 命をかたどる:ベルギーの彫刻と日本 
 ロダンが現在でも人気の彫刻家であるのに比べ、コンスタンタン・ムーニエは、日本に紹介された当時の人気に比べ、知る人が少ないという彫刻家になっています。私はムーニエ作品をはじめて見ました。

 コンスタン・ムーニエ「攪錬工」

 吉田三郎「老坑夫」1919

 齋藤素厳「東京株式取引所本館建築装飾」1931
 農業・商業・工業・交通


第3章 伝える・もたらす:ベルギー美術の紹介 
 ベルギーと日本は、第一次世界大戦で戦火を受けたベルギーや関東大震災の日本などの相互救済活動など深いつながりを持ち、芸術の交流もさまざまにあったとのことですが、第3章までくると、ちょい疲れて、マグリットの再開に興味を惹かれたほかは、ちゃっちゃっと早足で見て過ぎました。そう広くもない館内なのに。

 武石弘三郎は、ベルギー留学時代に太田喜二郎・児島虎次郎と3人組として仲良くすごしたそうですが、彫刻をじっくり見ることが苦手なので、またいつかであったときにゆっくりと。
 思いがけず見ることになった目黒美術館。とてもよい展示でした。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「重要文化財の秘密展 in 東京近代美術館」

2023-05-14 00:00:01 | エッセイ、コラム


20230514
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩初夏(1)重要文化財の秘密展 in 東京近代美術館

 4月29日の水織ゆみコンサートの次は、近代美術館で開催されている「重要文化財の秘密」展。
 5月1日、GMの愉しみのひとつとして、東京近代美術館の「重要文化財の秘密」展に行こうと夫を誘いました。

 絵画展ならなんでも見ておきたい私と違って、タカ氏の好みの幅がごく狭いので、私が見たいと思う展覧会を夫も見たいということは今までなかったし、休みの日も一致しないので、いっしょにでかけたことはありませんでした。

 先月は、タカ氏は娘と連れだって科学博物館の恐竜博に出かけてきました。ピカソ展に娘と出かけた時は予約が必要なかったけれど、恐竜展は予約が必要で、自分でネット予約などできないから、娘に予約してもらったのだと。
 タカ氏は、4月30日に「予約が必要かどうか、確認したほうがいい」と、私が昼寝して起きてきた枕元で言う。大丈夫だって言うのに心配するから、電話して確認。当日券の場合、整理券配布を行い、整理券に表示された時間になってからの入場になるということでした。
 5月1日は月曜日で、普段は休館日だから、そんなに人出もないんじゃないの、と私は心配していないし、もし整理券をもらって1時間後の入場と言われたら、常設展を見ていれば1時間くらいすぐすぎる。

 思った通り、すぐに入場できましたが、「重要文化財の秘密」展はけっこうな混みぐあいだったので、先に常設展へ。普段は常設展に展示されている作品の中、重要美術品の指定を受けていて特別展に展示されているので、常設展にはこれまで見ることがなかった作品がたくさん展示されていてよかったです。また、クレーの新収蔵品展示に合わせて、近代美術館所蔵のクレー作品が15点も並んでいるコーナーもあり、常設展もとても充実してっみることができました。
 クレー「黄色の中の思考」


 常設展示の中、写真を仕事にしようとしていたタカ氏は、奈良原一高の部屋がよかったと思うし、私は杉浦非水の植物画が、今ボタニカルアートブームだと思うので、ちょうどいい展示でした。

 熊谷守一「畳の裸婦」

 
 「重要美術品の秘密展」の目玉。横山大観の『生々流転』の全体展示。80メートルもの大作を一気展示。これまで、何度か巻物の一部展示を見たことはありましたが、全体展示ははじめて。なるほど、すごい!
 タカ氏には「美術の教科書に出てきたような作品、本物が見れるから」というのをお誘い文句にしたのです。狩野芳崖「悲母観音」高橋由一の「鮭」や岸田劉生の「麗子像」青木繁「わだつみいろこのみや」などの美術教科書定番の、見覚えのあるあれもこれもずらりと並んでいます。

 他館からの借り出し作品、大原美術館所蔵の関根正二『信仰の悲しみ」など、近代美術館では見ることができない作品はほとんどが撮影禁止ですが、はじめて見る作品もあって、タカ氏をせっついて連れ出してよかったです。
 絵ハガキは「信仰の悲しみ」を買いました。大原美術館で見た作品ですが、この次いつ倉敷に行けるかわからないので。

 日頃皇居の周囲ウォーキングで足を鍛えているというタカ氏ですが、今のところ私のほうが足が強い。
 タカ氏が知らなかった「ながめのよい部屋」を教えてあげました。私はいつもこの部屋で皇居の石垣と緑をながめて一息つき、飲み物タイムにしています。
 タカ氏撮影の妻像

 貴重なるツーショット。自分が撮影する側にはなるけれど、撮られる側になるのはいやがるタカ氏なので、娘息子といっしょの4人では撮ったことあるけれど、夫婦ふたりのツーショット写真というのは、たぶん、結婚式以来じゃないかしら。こいつは貴重品。近代美術館の正門で。

 娘からプレゼントされたカーディガン、やせたのでLLじゃなくてLでもよかった、とダイエット成功を自慢たらたら。すみませんね。いつまでもふっくら体形で。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「旧赤星鉄馬邸」

2023-05-13 00:00:01 | エッセイ、コラム

 旧赤星鉄馬邸南面

20230513
ぽかぽか春庭アート散歩>2023建物散歩(2)旧赤星鉄馬邸

 朝、テレビをつけたら「以上、実業家旧邸公開のニュースでした」と、アナウンサーが言って次のニュースになりました。検索して武蔵野市が旧赤星鉄馬邸を期間限定で公開しているのだとわかりました。こりゃ、でかけてねばなるまい。ニュースで報道したらたちまち物見高いじじばばでいっぱいになるだろうと予測はついたのだけれど、10日-16日という短期間の公開で、週末は混むだろうから、平日金曜日に出向きました。予想通り、玄関から入場待ちの列が延々。係員は「1時間待ちです」と叫んでいる。

 最後尾について、文庫読みながら待ちました。私のうしろの婆さんは「ニュース見て、杉並区から来たんです」と、婆さんのうしろの爺さんに話している。爺さんは近所の人で「きのう女房が見にきたら、ほどんど人がいなかったって言うから来てみたんだけど」と。NHKニュース影響大。11時20分に並び始めて12時10分に入館。50分待ち。

 1階間取り図


 赤星鉄馬(1882-1951)は、大正昭和の実業家。1923年の関東大震災で六本木(現在は国際文化会館が建っている土地)の邸宅が倒壊したために、吉祥寺に4500平米の土地を買い、アント二ン・レーモンド(1888年 - 1976 )に設計を依頼。昭和9年に竣工。



 戦後、GHQの接収を経て、鉄馬の死後、1956年にナミュール・ノートルダム修道女会が購入。2021年、武蔵野市に建物を寄贈。武蔵野市は土地の買収をしたのち、市民が利用する施設としてアイデア募集中。2022年10月に抽選によりガイドツアーを実施し、今回は抽選無しの1週間の限定公開となりました。

 邸宅は修道会が増築した部分を除いても、1階13室、2階15室という大邸宅。2階の一部に公開していない部屋もありましたが、ほとんどを写真OK(フラッシュ禁止)で見て回ることができました。人数制限をして入場させているので、少し待てば人を避けて撮影できます。たぶん、建築写真集もでることでしょうが、下手な写真でも自前のものがあれば「建築わかってないけれど、物見高いだけで見て回る婆さん」のひとりとしては、自分の目と気分で見て回った気がしてうれしい。

 玄関東側外観


 玄関わきの円筒は、階段室の外観


玄関のひさしは、丸いガラスの明り取りつき。

 玄関ドアわき

 メインの階段


 玄関入って最初の部屋は居間食堂。畳にすると36畳の広さ。


 部屋のつくりでは、アントニンの妻ノエミがデザインした作り付けの家具がとてもよかったです。ノエミは夫が1919年にライトと共に来日したのを追って、1921年に来日。アントニンは、旧帝国ホテル設計を行うフランク・ロイド・ライトの助手として働いたのち独立。アントニーレーモンド設計事務所は前川國男、吉村順三 などを育て、現在も設計事務所として活動しています。太平洋戦争中は1916年に国籍を取得していたアメリカで暮らしましたが、戦後日本にもどりました。アントニンは、85歳まで44年間日本で暮らしました(生まれた時はハンガリーオーストラリア帝国生まれ。現在はチェコ共和国ボスニア州)。
 1973年、建築家を引退しアメリカに帰国。3年後の1976年、ペンシルベニア州ニューホープで死去。88歳。 

 鉄馬の書斎テーブル

 書斎廊下側の明り取りは、玄関の丸い明り取りと同じデザイン


 ノエミのデザインした作り付け家具。アメリカから取り寄せた木材を使用。


 赤星鉄馬については、与那原恵の評伝『赤星鉄馬 消えた富豪 』(中央公論新社)を読んでみたい。父が武器商人として築いた莫大な資産を継承したが、事業で得た資金の多くを学術団体啓明会につぎ込んで学者を支援し、戦後は、岩崎財閥や三井住友などのように財産の保全をはかることなくひっそりと消えていった富豪というので、私としては好みのお金持ち。

 和室
 洋室


 旧赤星邸は、1956年にナミュール・ノートルダム女子修道会が修道女養成に使用してきました。最後のシスターが独り立ちしたあと、武蔵野市に建物を寄贈。武蔵野市は土地を買収しました。レーモンドの建築作品のうち、多くが取り壊され現在は見ることが少ない状態で、女子修道会という浮世離れしたところが使い続けてくれたおかげで、建物が壊されずに残った、と言えます。
 武蔵野市は、市民が活用できるアイデアを募集中です。ぜひ、今後建物を保全しつつ一般の人々が利用できるようにしてほしいと思います。

 何面のベランダ


 旧山口萬吉邸のように、企業が購入してしまうと「会員制レストラン」などになってしまい、見る機会がなくなってしまいます。
 美しい建築は、街のランドマークとして残していってほしいです。私のような素人が見学したところで、世のため人のために何もならないのはわかっていますが、私は、ただ「見たい」

 広大な庭園



<おわり> 

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ぽかぽか春庭「晩香蘆、青淵文庫」

2023-05-11 00:00:01 | エッセイ、コラム

 晩香蘆

20230506
ぽかぽか春庭アート散歩>2023建物散歩初夏(1)晩香蘆、青淵文庫

 4月29日の飛鳥山公園。公園の南側に、渋沢栄一が過ごした建物が残されています。(飛鳥山公園内に立っていた広大な渋沢飛鳥山邸宅は、戦災で焼失)
 渋沢資料館の付属施設晩香蘆と青淵文庫は、普段は外観のみの観覧ですが、GWの今、内部も公開されていたので、久しぶりに建物の内部を見ることができました。

 晩香廬(ばんこうろ)は、1917(大正6)年に落成した洋風茶室で、渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って、現在の清水建設が贈りました。青淵文庫、晩香蘆ともに、田辺淳吉の設計。
 栄一は、賓客のもてなしにこの晩香蘆を使いました。水屋のほかは一室だけのこじんまりした部屋で客人と親しく過ごすことができました。

 晩香蘆の内部

晩香蘆暖炉

晩香蘆に招かれた気分で





  青淵文庫は、渋沢栄一の傘寿(80歳)と、男爵から子爵に昇格したお祝いを兼ねて竜門社(渋沢財団の前身)が贈呈した文庫で、1925(大正14)年に竣工しました。 青淵は、栄一の雅号です。
 




ステンドグラス
タイル



 渋沢資料館常設展。入館300円。


 渋沢資料館は「養育院の院長さん」という企画展示をやっていました。渋沢栄一が孤児救済のため養育院設立運動を行い、私費も投じて運営を続けたことは知っていましたが、亡くなる直前まで、毎月13日には孤児院へ出向き、児童たちと触れ合い、講話を続けていたこと、知りませんでした。児童は渋沢訪問の折にはおみやげのおやつがもらえることもあり、「院長さん」は大人気だったのだと、写真や児童のお礼の文が展示されていました。
 養育院の児童


 500の会社を設立して「近代資本主義の父」と称えられる渋沢栄一ですが、親の縁薄い子供たちに「いんちょうさん」と慕われることが、生き甲斐のひとつになっていたことがわかります。
 まもなく1万円札の顔になるので、飛鳥山の晩香蘆や青淵文庫も、ますます観覧者が増えていくと思います。

 晩香蘆のお客になった気分で。


 青淵文庫


 渋沢栄一翁と私。91歳まで現役で活躍した翁にあやかりたい。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「ジュンク堂デート」

2023-05-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230509
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023ふみ日記初夏(3)ジュンク堂デート

 大学時代からの友人K子さんが「GW中、デートしましょう」と、おさそいメールをくれました。
 13時に池袋ジュンク堂の4階カフェで会うことに。高齢者はコロナで用心の会わない期間があったので、久しぶりの顔合わせです。
 どちらかが遅れても、ジュンク堂カフェには店内の本を持ち込むことができ、読みながら待てるので、時間を聞い市内待ち合わせにぴったり。

 副都心線の池袋駅で降りたのははじめてだったため、地図を見ながら迷い、西口にでてしまいました。西口東武デパートの中を経由して西武デパートへ。西武の別館経由でジュンク堂へたどり着きました。渋谷も池袋も、都会は高齢者にやさしくない。

 最初はジュンク堂でおしゃべりしていたのですが、カフェの中は本を持ち込んで静かに読んでいる客ばかり。K子さんは「あなたの声、おおきすぎる」と言うので、ジュンク堂のとなりのスタバに移動。ここで4時半くらいまでしゃべりまくりました。

 K子さんが飼っている文鳥が年取ったので、介護が必要になり、今は文鳥のリハビリが家の中の仕事の大事な部分。今7歳だけれど、エサが改良され文鳥も10歳以上の寿命をたもてるようになったのだとか。
 「私はこどもを持たなかったけれど、文鳥でもこんなにかわいくてこんなに大変なんだから、子供を育てるのって、小鳥以上にたいへんなんだろうなあって思うよ。小鳥は学校へやらなくていいし、かわいがるだけでいい」
 小鳥も愛情をかけていっしょに暮らせば家族です。

 K子さんは、65歳の公務員退職後にはじめた演劇を、今も楽しみに続けています。以前に所属していた劇団の演出家兼俳優の方から指導を受けて演劇仲間と続けている活動、楽しそうです。
 公演したい戯曲があるのだけれど、ひとり役者が足りないので、あなたやらない?というおさそいがあったのですが、わたしはこれから失業保険の手続きやら職探しやらあるからと、今回はパス。

 1970年にドイツ語の授業で出会ってから、53年。上級公務員キャリアとして仕事をつづけ、各地の大学図書館のIT化という重要な仕事を成し遂げ、退職後の今は演劇研究と実践で心豊かに暮らしています。年金も目減りして生活はたいへん、というけれど、マンションのローンは終わっているし、私から見たら悠々自適。「それが悠々なんてもんじゃないのよ」と笑っていますが、年金じゃ暮らしていけない私から見たら、充実の退職後生活です。

 今は白髪もしわもふえたけれど、お互いに若いころの姿を思い浮かべて「若い時代補正」ができるのがありがたい。
 あなたの、若いころの写真が私のアルバムに貼ってあった、と K子さんがメール添付で送ってきた20代の私の写真。1枚はいっしょに出かけた神代植物園で撮ったもの。もう1枚は、私が英文タイピストとして働いていた若いころの姿。K子さんにこの写真を渡していたこと、まったく覚えていませんでした。

 神代植物園にK子さんと行ったときのスナップ

 英文タイピストとして働いたときの20代の私。若いね。そりゃ50年も前の写真だもの。いっしょうけんめい働いていたんです。

 まだまだ働き続けなければ食っていけない貧困高齢者ですが、世間様がゴールデンウイークだとお休みしている間は、私もぐうたらすごしました。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「日本国憲法第3章」

2023-05-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230507
ぽかぽか春庭ことばのYAちまた>日本国憲法第3章

 5月3日には読み返すことにしている日本国憲法。2023年は第3章を。朗読の声、今は天にいる大江健三郎に届きますように。レトロと言われようと時代に合わないと揶揄されようと、戦後民主主義者 は憲法を読み、生活の指針とします。

第三章 国民の権利及び義務
〔国民たる要件〕
第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
〔基本的人権〕
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
〔個人の尊重と公共の福祉〕
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
〔平等原則、貴族制度の否認及び栄典の限界〕
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
〔公務員の選定罷免権、公務員の本質、普通選挙の保障及び投票秘密の保障〕
第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
〔請願権〕
第十六条 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
〔公務員の不法行為による損害の賠償〕
第十七条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。
〔奴隷的拘束及び苦役の禁止〕
第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
〔思想及び良心の自由〕
第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
〔信教の自由〕
第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
〔集会、結社及び表現の自由と通信秘密の保護〕
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
〔居住、移転、職業選択、外国移住及び国籍離脱の自由〕
第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
〔学問の自由〕
第二十三条 学問の自由は、これを保障する。
〔家族関係における個人の尊厳と両性の平等〕
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
〔生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
〔教育を受ける権利と受けさせる義務〕
第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
〔勤労の権利と義務、勤労条件の基準及び児童酷使の禁止〕
第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。
〔勤労者の団結権及び団体行動権〕
第二十八条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
〔財産権〕
第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
〔納税の義務〕
第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。
〔生命及び自由の保障と科刑の制約〕
第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
〔裁判を受ける権利〕
第三十二条 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。
〔逮捕の制約〕
第三十三条 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。
〔抑留及び拘禁の制約〕
第三十四条 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。
〔侵入、捜索及び押収の制約〕
第三十五条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
2 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。
〔拷問及び残虐な刑罰の禁止〕
第三十六条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
〔刑事被告人の権利〕
第三十七条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。
〔自白強要の禁止と自白の証拠能力の限界〕
第三十八条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
2 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
3 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
〔遡及処罰、二重処罰等の禁止〕
第三十九条 何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。
〔刑事補償〕
第四十条 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる


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ぽかぽか春庭「みどりの日小石川植物園 散歩」

2023-05-06 00:00:01 | エッセイ、コラム

20230406
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023ふみ日記初夏(3)みどりの日小石川植物園
散歩

 5月4日みどりの日は、都内の庭園公園は無料になります。以前は自転車で4つくらいの庭園公園を回る日にしていたのですが、今年はひとつの場所だけ。
 小石川植物園を選び、70歳以上高齢者が持つシルバーパス利用で都営地下鉄都営バスで出かける。
 通勤しているときは、最寄り駅を降りて勤務先の学校まで1日2回はバスを利用していたのが4月からなくなりましたから、年2万円のシルバーパス代のもとがとれなくなる。せっせと利用しなければ。都内のバス代210円や220円などがありますが、1回210円の片道バス代を100回以上利用しないとモトがとれない、という貧乏性の計算。

 春日まで都営地下鉄三田線で行き、春日からバスで小石川植物園前まで。大塚行きのバスに乗ったのだが、路線を間違えてしまった。小石川植物園前で降りるつもりが、えらく遠いところで降りることになってしまい、植物園に着くまで30分も歩いた。これなら白山で地下鉄を降りて歩いた方が近かった。

 植物園は、本日無料。例年のみどりの日以上に混んでいたのは、「らんまん」効果。園内の柴田記念館の中は、通常以上に牧野博士の事績を並べており、みな、熱心に見入っていました。2017年に友人に案内をしてもらい、練馬区の牧野記念公園へいきましたから、牧野博士の事績はよおく知っています。「らんまん」も楽しみに見ています。
pttps://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/c8626e67bf267a0bbeabafb83b1539b9

 園内は、例年以上のにぎわいで、ベンチが開いていません。ソフトアイスとおいなりさんを園内売店で買ったのですが、ベンチを探している間に、アイスが溶け出して手にだらだらと流れてきました。しまった。ベンチを確保してから買うのだった。青木昆陽のサツマイモ顕彰碑の前に座って食べました。甘藷先生、救荒作物を普及させてくださりありがとう。救荒作物を広めてくださったおかげで、めぐりめぐって貧乏人な先祖も生きて子孫をつなげられ、極貧の私がなんとか食べていける。
 今年は例年以上に気温が高いため、つつじ園はおわっていました。シナヤマツツジがかろうじて花を残していました。

 ジャーマンアイリス


 5月4日空は雲もない青空、夏日の気温。
 老夫婦のゆったりとした散歩も、家族連れがシートを広げてお弁当をたべているのも、楽しそうで平和な光景でした。
 この時間にも爆弾を浴びる子供もおり、家を砲撃で失った家族もいることを思うと、この平和のありがたさを少しでも還元しなければならないと感じます。自分にできる範囲のことしかできないけれど。


 みどりの日の自転車散歩では、無料の公園を3か所くらい回るので、小石川植物園も中心部分をささっと歩いたのですが、2023年は小石川だけなので、これまであまり歩いてなかった北側の林の中をめぐりました。100年前に日本ではじめて植えられたユリの木とか、様々な樹木。幹にとりつけてある木の名前をひとつひとつ見て歩いているのですが、次の木を見るときは前の木を忘れている。私は植物学には向かない人間でした。せめて、「らんまん」をたのしみます。


 東大の研究機関である小石川植物園。ひとつだけ注文があります。白金にある科学博物館付属の研究植物園は、65歳以上は無料で入園できます。小石川植物園もぜひ、70歳以上無料にしてください。東京国立博物館常設展示も70歳以上無料です。青木昆陽先生の「救荒作物」や、赤ひげ先生小川笙船の養生所をみならって、東大も少しは貧乏人にやさしい学校になってほしいよ。以上。
 シルバーパス利用なので、交通費は往復360円の地下鉄代。ソフトアイスとおいなりさんの昼食で600円。本日も960円の「1,000円以下行楽」ができて、満足なみどりの日でした。


<つづく> 
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