春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「2019年4月目次」

2019-04-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


20190430
ぽかぽか春庭>2019年4月目次

0402 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記4月(1)罪とバツ
0404 2019十九文屋日記4月(2)平成最後の六義園夜桜
0406 2019十九文屋日記4月(3)平成さいごの昭和

0407 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>令和(1)平成最後のさくら歌2019
0409 令和(2)梅の宴蘊蓄
0411 令和(3)古事記の発声
0413 令和(4)しり取り必勝法
0414 令和(5)記憶に残る元号

0416 ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>平成最後の(1)新学期
0418 平成最後の(2)HAL数え歌
0420 平成最後の(3)若者言葉収集

0421 2019十九文屋日記ラストダンスはわたしと(1)心でおどるジャズダンス
0423 2019十九文屋日記ラストダンスはわたしと(2)1992年のダンスィングクイーン

0425 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>つつじ歌(1)岩つつじ
0427 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>つつじ歌(2)躑躅と干鱈
0428 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>つつじ歌(3)つつじの詩
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ぽかぽか春庭「つつじのうた」

2019-04-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20190428
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>つつじ歌(3)つつじの詩


『つつじ』 詩 金子みすゞ
小山のうえに ひとりいて
赤いつつじの 蜜を吸う

どこまで青い 春のそら、
... 私は小さな 蟻かしら

甘いつつじの 蜜を吸う
私は黒い 蟻かしら


 『つつじの花』田中冬二(詩集『菽麦集』から)
若葉した山の処々に
火のように燃えているつつじの花
麦の穂も出揃った
あかるい縁側で蜂蜜の壜に
レッテルを貼っていた
紫雲英の花の蜜であった
家の中で時計が十一時を打った




 桜が咲き、ハナミズキが咲き、つつじが咲く。春から初夏へ。季節のめぐりがなごやかなひとときを運んできますように。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「躑躅と干鱈」

2019-04-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20190427
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>躑躅つつじ(2)躑躅と干鱈
 
 芭蕉の句から、私の好きな一句。「野ざらし紀行」から
「昼の休ひ(やすらい)とて旅店に腰を懸けて」
 躑躅生けてその陰に干鱈割く女
<松尾芭蕉
 
 芭蕉が昼のひと休みに立ち寄ったはたご。あまり立派な店ではないので、投げ入れにしてある躑躅の傍らで、茶屋女が干鱈を割いている。(江戸時代に、干した鱈をもどしたおかずは大衆の一番安価なおかずでした)
 真っ赤な躑躅と、白い干鱈。とりあわせが鮮やかで、しかもどことなく笑いたくなるようなおかしみのある光景。茶屋女の赤い前垂れや蹴だしからはみ出ているムッチリ太い白い足まで見えてきそうな干鱈です。

 つつじの歌も全山埋め尽くすくらいいろいろありますが。
近道へ出てうれし野の躑躅かな<与謝蕪村
こまがりに刈り残されて山つつじ <正岡子規
冷水をしたたか浴びせ躑躅活け<杉田久女
庭芝に小みちまはりぬ花つゝじ<芥川龍之介

大巌の襞裂けたるに山躑躅< 水原秋櫻子
山つつじ照る只中に田を墾く<飯田龍太
毛野はいま遠霞みつつ山つつじ <野澤節子

 毛野は、上つ毛の国なのか下野なのかわかりませんが、群馬県の「県の花」はツツジなので、勝手に上毛と思います。

 万葉集の和歌にもつつじ咲く道にころがっている美人の屍の歌がありましたが、近代の句にも、鮮やかに咲くツツジに死のイメージを含ませた句があります。
死ぬものは死にゆく躑躅燃えてをり<臼田亜浪
梅雨の躑躅よ人が死にかけてゐる< 北原白秋

 つつじのあまりにも鮮やかな色合いは、巡り巡って不安な思いにもさせる花なのでしょうか。それとも不安の中にいると、燃えるような躑躅まで髑髏に見えてくるのでしょうか。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「岩上乍自いわつつじ」

2019-04-25 00:00:01 | エッセイ、コラム


20190425
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>つつじ歌(1)岩上乍自いわつつじ

 梅の宴の序文が話題になった万葉集。万葉仮名に親しむ機会か、と思うので、躑躅の歌もご紹介。

山超而 遠津之濱之 石管自 迄吾来 含而有待<巻七 読み人知らず
山越えて 遠津(とほつ)の浜の 岩つつじ わが来るまでに 含(ふふ)みてあり待て

 山を越えた向こうの遠津の浜に咲く岩つつじよ 私が戻るまでつぼみのまま膨らんで待っていておくれ(春庭拙訳)、、、、でもねぇ、ぷっくりと膨らんだツボミはあっと言う間に咲いちゃうのよね。

 梅の宴と同じ巻2から
皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首
水傳 礒乃浦廻乃 石上乍自 木丘開道乎 又将見鴨<日並皇子宮舎人 
みな伝ふ、磯の浦みの、岩つつじ、茂(も)く咲く道を、またも見むかも


(お仕えしてきた皇太子が亡くなって、舎人が悲しんで作った歌)岩のそばに水が流れている。その水辺の曲りかどにある岩つつじが盛んに咲くこの道を、再び見ることが出来るであろうか(春庭拙訳)

和銅四年辛亥河邊宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首<河辺宮人
(和銅四年辛亥、河邊宮人が、姫嶋の松原で美人の屍を見て、哀しんで作った歌四首)
加座幡夜能 美保乃浦廻之 白管仕 見十方不怜 無人念者 [或云 見者悲霜 無人思丹]
風早の 美穂の浦廻の 白つつじ 見れども寂し なき人思へば [或云 見れば悲しもなき人思ふに]

 (川辺宮人が姫島の松原で美人の屍を見て悲しんで作った歌)
風が早く通り過ぎるという美保の浦。そこに咲く白つつじは見ればみるほど寂しくなる。ここで亡くなったどこのだれとも知らぬ娘さんの死が思われるから(春庭拙訳)

 鮮やかな色のツツジ。躑躅と書くと、髑髏に似ているような気がしてすごい字に感じるけど、上記の「美人が行き倒れの死骸になってころがっているのを見て一首」という歌はまさに、ツツジ=髑髏のようです。

 古今以後のつつじ。

 『後拾遺集』より
岩つつじ折りもてぞ見る背子が着し紅染めの色に似たれば<和泉式部

 さすが恋多き和泉式部。岩つつじを見てもいとしい人が着た着物を思い出す。

 『新続古今集』
竜田川いはねのつつじ影みえてなほ水くくる春のくれなゐ<藤原定家

 菅家が紅葉が浮く龍田川を詠んだのに対抗して、「つつじが水に映るのも負けてないよ」と、定家が張り合う。

 万葉集では万葉仮名で「管仕」などの漢字があてられましたが、古今集になると中国語のツツジ「躑躅」が宛てられ、現代表記でもつつじと入力すると「ツツジ」「つつじ」のほか、漢字では「躑躅」が出てきます。
 しかし、現代中国語ではツツジの表記は「映山紅Yìngshānhóng」が使われており、「躑躅Zhízhú」とは「ものごとに迷う」という意味に使われるそうです。「映山紅」いかにも全山つつじで燃え立ち映えています。

 戦国武将も一首あげています。 
『春霞集』
岩つつじ岩根の水にうつる火の影とみるまで眺めくらしぬ<毛利元就

 武将もこれくらい詠めないと名将とは言われなかった時代。戦に勝つには、戦じょうずであるだけでなく、京の文化人たる公家たちとも対等に付き合える外交術が必要でした。
自分のことを「当代きっての教養人」と思っていた細川幽斉あたりは「歌連歌乱舞茶の湯を嫌ふ人 育ちのほどを知られこそすれ」なんぞと詠んでいます。はい、私め連歌も茶の湯も不調法で、お里がしれますわね。「乱舞」はちょっとは心得たかも。アハッ、幸若舞や仕舞じゃなくて、ジャズダンスだけれど。

 ご近所に燃え立つツツジ


 近代現代短歌から
我が庭に白き躑躅を薄月の夜に折りゆきしことな忘れそ<石川啄木
傘ふかうさして君ゆくをちかたはうすむらさきにつつじ花さく<与謝野晶子


夏早く至れる山谷草叢にはげしく紅き躑躅の静まり<宮柊二
白つつじあやにくにして燃ゆるかなゆゑありてわれは人を裏切る<馬場あき子

 人を裏切るとき、後ろめたさに身を引き裂かれる。それでも選んだ背徳の道。盛りの白ツツジは、を罪の意識の表れのように燃えたっています。いや裏切りを自覚しているからこそ真っ白なつつじにも罪の色を感じる、、、、、。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ジャズダンス1992」

2019-04-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20190423
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記ラストダンスはわたしと(2)ジャズダンス1992

 前回の2013年のダンス写真にくっつけて1992年のダンス写真を乗せたので、ついでに使いまわしをします。
 元号の「和」が20回目の使いまわしなのに比べれば、春庭ダンス写真も3度目くらいの再登場ですが、まだまだ20回には届かず。
~~~~~~~~~~~~

1992年十月一八日日曜日(曇り)日常茶飯事典(ジャズダンスを踊って「身体論」を思うこと)

 「ふるさと区民祭り」の出し物として、ジャズダンスサークルAダンスィングも十分間の割り当て時間を受けて、日頃の練習の成果を発表した。
 三曲のうち、私は「ウォント・ビー・ロング」「アメリカ・アメリカ」に出演。
 出演者の動きがバラバラでそろっていないし、身体指先は伸びていないし、観客に見せる踊りにはなっていなかったが、四十代五十代のオバサンたちは大いに楽しみ、ダンサー気分で舞台に立った。

 娘は、おねえさんらしくよく弟の面倒をみてくれ、二人でお母さんのダンス発表を見ていた。

 練習は毎週水曜日午前中、文化センターで、ミワコ先生の指導を受けている。週一回では身体をほぐすところまでで終ってしまい、踊りが上達するところまではいかない。このサークルの仲間たちは、指導してくれるミワコ先生の教室に通ったり、他のサークルの練習にも顔を出すなどしている。

 私も週二回は練習したいのだが、したいことをするのが主義にしては、これまでちょっと遠慮してきた。修士論文を書くため日本語教師の仕事を休止したあと、現在、自分自身の収入がないのだ。サークル会費も自分のカセギから出しているのではないという弱みもあったし、娘の週二回のスイミングには「身体が健康丈夫になって、おおいにけっこう」というTさんが、ダンスにはいい顔をしないという事情がある。

 水泳は身体を鍛えるスポーツだが、ダンスはオンナコドモの遊びである、とTさんは思っている。「身体を動かしたいなら、ジョギングをすれば、ただですむし、新聞配りながら走ればお金が貰える。ダンスというのは不必要ゼイタクな遊びである。」というのがTさんの見解なのだ。

 新聞配りながらジョギングすると充実した気分になれる人もいるだろうが、私にはジョギングは合わない。私の心は潤わない。
 ダンスは私の心を解放し、生活に活力を与えてくれる。子供の頃からスポーツが嫌いだったTさんには、身体を動かすことの喜びがわからないのだ。

 良寛さんだって、村の子供たちと鞠をついて一日すごしたし、賢治も生徒たちとレコードのベートーベンを聞いて楽しんだ。「心楽しく過ごすこと」が貧乏生活継続には大事。
 橘曙覧の「楽しみは」の歌には「心楽しく生きる喜び」にあふれているが、私の心を豊かにするもののひとつがダンスなのだから、Tさんが何と言おうと、私はダンスの練習をつづける。

 私の母方の祖父は、農民歌舞伎の役者をするのが趣味だった。農閑期には義太夫を語り、踊りを踊った。ときどき母に連れられて、祖父の演じる忠臣蔵や先代萩の舞台を見にいった。今、妹は「親子劇場」の会長をしているし、姉はエアロビクスのレッスンに通っている。芸能好きの遺伝子があるが、好みはそれぞれ。

 姉のエアロビのレッスンにくっついて、無料レッスンを体験したが、私には合わなかった。私が一番好きなのは、イサドラ・ダンカンやマーサ・グラハムの流れのモダンダンス。次がジャズダンス、その次がクラシックバレエ。
 エアロビがなぜ楽しくなかったか。エアロビクスの基本はスポーツ。身体訓練がメイン。
 世界大会などで優勝するような演技は、観客にみせる要素をもっているが、普段の練習は表現ではなく「体操」だ。ラジオ体操と変りはない。ではダンスにあってエアロビにないものはなにか。

 ダンスの本質は「神への接近」そして「観客とのコミニュケーション」なのだ。この接近や交流を生み出すのは、旋回と跳躍の動き。ダンスの根源は旋回と跳躍!
 世界中の宗教的舞踊でも、神に近づく動きは旋回と跳躍に極まる。

 エアロビにはこれがない。またエアロビの移動は左右前後の対称的動きのみ。エアロビの移動は歩行の移動と同じ。しかし、ダンスの移動は身体による空間の把握である。

 詩は舞踊、散文は歩行という比喩があるが、逆に言えば、エアロビは散文、ダンスは詩であろう。

 ダンスの根源は旋回と跳躍、ということに自分の身体を通じて気づいたのは、エアロビを体験したおかげだ。
 このことはどんな舞踊論、身体論にも書かれていることであり、一五年前に市川雅さんの舞踊論の授業を受けたときにもたぶん講義の中にあったのだろう。しかしその時は、頭の中でわかっただけで通りすぎてしまったのだ。

 石福恒雄『身体の現象学』をパラパラと読み返してみた。(この本を読んでいる場合じゃないと思いながら読む)

 シュトラウスの舞踊論にいわく、『舞踊においては胴の動きが舞踊の動き全体を支配する。舞踊は空間的時間的な限界を持たず、エクスターゼに達するときにのみ終わる。』
 バレリーいわく、『踊り子はすべてを表現している。愛も海もそして人生そのものも。思想も。彼女は変身の行為そのものだ』

 石福いわく、『踊る者の身体からあふれ出す雰囲気と生気によって、ダンサーと観客の間に身体的コミュニケーションが生起する。日常的生を越えて私たちをそこへと赴かせる舞踊の根源としての舞踊』etc・・・・

 子供のころ読んだファーブル伝の中にある逸話。ファーブルが目をとじ、口をあけて「ものが見えるのは口があるからじゃなくて、目があるからなんだ」と彼の大発見を語ったとき、周りの大人は皆「バカだね、この子は。そんなことあたりまえじゃないか」といった、というエピソードがあった。

 私がダンスの旋回と跳躍の魅力、非日常的動きによる生の活性化に、気づいたのも「バカだね、あたりまえのことじゃないか。」ということになるのだが、私にとっては自分の身体感覚を通じて納得できたことが嬉しいのだ。ファーブルも、ものが見えるのは目があるからだとわかって、どんなにか嬉しかったことだろう。
 生きるために、踊る!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「ウォントビーロングWON'T BE LONG」を踊る1992年の春庭
舞台下手(いちばん左側)がミサイルママ。上手(いちばん右側)が私


「アメリカ・アメリカ(ウェストサイドストーリーより)」を踊る1992年のe-Na
左側が私、右側がミサイルママ

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20190423
 それにしても、1992年のダンス練習の感想、なんて理屈っぽいことを書いていたのでしょうか。
 当時は修士論文執筆中。7歳の娘が3歳の息子とままごとなんぞをして子守をしてくれている間、ときどきままごとに参加し、洗濯機まわしながら晩御飯作り、茶碗洗いながら論文の構成を考える、という時期でした。夫が賛成しないダンス練習ですから、いかにダンスは人の心身健全化に役立つかという理屈をこねてから水曜昼に90分間練習に参加していたのです。

 足を痛めて発表会に出られなかったり、海外赴任のために発表会時には日本にいなかったりして、毎年は出ていませんが、こうして残しておけば、この先動けなくなった時に、「若いころは踊れていたなあ」と、眺めてすごすこともできます。

 今年の発表曲、「コーヒールンバ」と「スゥエプタウェイ」。ミサイルママのうしろで半拍遅れの動き、がんばります。毎年ミサイルママとは「今年がラストダンスかもしれない」と言い合いながら練習を続けてきました。昨年私が膝を痛めたあと、ミサイルママも膝の違和感を抱えて、ふたりしてストレッチの足運動などは膝をかばいながらの動きになりました。

 元気に踊れること、ありがたいです。9月の「古希の舞」をめざして、踊ります。ラストダンスはまだまだ先。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「心で踊るジャズダンス」

2019-04-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20190423
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記ラストダンスはわたしと(1)心でおどるジャズダンス

 ジャスダンスの練習、毎週金曜日の夜に続けています。
 モダンバレエ、クラシックバレエ、ジャズダンス、、、、と遍歴しつつもダンス歴は40余年なのに、ずっとヘタのまま。いいんです。ダンスの技量ではなく、心の解放のために踊っているので、、、。

 4月中旬から5月中旬まで先生はバリ島滞在となるので、サークルは自習になります。先生は、毎年春と夏と冬にバリ島で1か月ずつすごします。自習中、みなをリードするのはミサイルママです。

 春庭は、去年9月に変形性膝関節炎を発症し、9~12月練習をお休みしました。だいぶ膝の痛みも取れたので、1月から練習再開したのですが、4ヶ月動かないでいた間に衰えた筋肉はもとに戻らず、練習時間90分のうち、45分は休憩。
 練習後、ミサイルママたちとおしゃべりしながらの帰り道を楽しみにして、練習に参加しているようなものです。休憩している間、仲間の練習を見ながら「こころで踊っているから」と、言い訳しています。

 おしゃべり帰り道。私は、子どもの体調のことなどを愚痴り、ミサイルママは、新婚生活を楽しそうに語る。
 そうなんです。2017年夏にメール交換から始まったミサイルママの熟年恋愛、ついに2019年1月1日に入籍。3月から同居生活。今は新婚アツアツ生活の真っ最中です。来年までには、新しい住宅に引っ越すことになっています。

 2018年9月の発表会で。
 ミサイルママのうしろで振り付けをおっかけまねっこするので、常に半拍おくれた動きをするe-Na



2018年6月の公演で華麗な動きのミサイルママ


 ジャズダンス仲間、金曜夜のグループのミサイルママはだいじな友人です。以前に所属していた水曜昼のグループのゆみさんは、あこがれの芸能人水織ゆみです。
 ジャズダンス、いつまでたってもへたっぴいなe-Naですが、仲間からはいろいろなことを得ていて、踊れなくなっても仲間としてこのおつきあいを大切にしたいと思っています。

 ゆみさんと私。
 歌手としてシャンソン教室指導者として、30年以上すごしてきたゆみさんを見ていると、私もがんばろうという元気をもらえます。見上げる存在ですが、そんなゆみさんといっしょにすごした時間があること、私の宝物です。

 2014年2月に開催された「水織ゆみシャンソンプチコンセール冬 吉岡弥生物語」についての感想を書きました。
 「水織ゆみソロミュージカル吉岡弥生物語」の感想はこちら
http://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/m/201403

 2014年3月にゆみさんの公演感想をUPしたあと、その続きで「ゆみさんと私」について書いたのですが、UPしませんでした。

 NHKホールのパリ祭にも毎年出演している芸能人と「わたし、この人と知り合いなのよ」とうれしげに言う市井のおばちゃん、みっともないかなあと自制しました。
 水織ゆみさんは、私にとってまぶしすぎる存在です。「そこらのオバハン」の知り合いにさせられるのは、ゆみさんには迷惑でしょうから、2014年に一度はUP自制はしたんですけれど。日ごろは、芸人さんのサイン色紙を壁にかざるラーメン屋は好かぬ、とか言っているのに、自分となると別もの。私も色紙、壁に飾ります。色紙じゃなくて写真だけど。

 もう時代も変わって「平成最後の」という枕詞をつければ何でもお祭り騒ぎになるみたいなので、「平成最後のダンス写真UP」ということでお許しを。
 フィギュアスケート世界大会だって、フジのアナウンサーは「平成最後の世界大会」と言っていました。ん?、世界大会なのに平成?
 スケーターにとってもISUにとっても、だれも「平成最後」なんて関係なかったろうけれど、関係なくてもいいんだから、ダンサーe-NAも「平成最後のダンス姿UP」。平成4年と平成25年のダンサーe-Na。

 2017年の水織ゆみ30周年記念リサイタルの感想はこちら
2014/03/27
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2014十四事日記>ゆみさんと私

 「水織ゆみシャンソンプチコンセール冬」公演のあと、ロビーに出てきてファンの声援に応えているゆみさんと並んで写真を撮ってもらいました。
 舞台衣装の華やかで美しいゆみさんの隣で、黒いダウンコート姿の私、一ファンの姿としてもあまりにもしょぼくれているオバハン。でも、いっしょに写してもらってうれしい。


 下の写真、2013年9月に、ゆみさんといっしょに舞台に立たせていただいた、ジャズダンス発表会でのスナップです。
 息子にシャッターを頼み、「母が細く見える瞬間を写すんだよ」と念をおしたのに、太めのシーンばかりが写っていました。息子が言うに「細く見える瞬間はなかった」だって。

 2013年9月のゆみさん(左)と春庭(右)ダンサーネームe-Na。
 マイケルジャクソンの「The way you make me feel」を踊っています。ゆみさんにいろいろ教えていただきました。
 ゆみさんにメイクをしていただいたおかげなのか、ゆみさんと似た雰囲気になったと自分で思ったのはうぬぼれかしら。





 いっしょに踊ったAダンスは、1982年のサークル発足以来、同じメンバーでもう30余年、週一回の練習と年1回の発表会を続けています。この年月のあいだに、ハワイアンフラが上手だったタナカさんは亡くなったし、離婚した人、子を失った人、とメンバーそれぞれに「女の人生の有為転変」を経験してきました。

 そんななかで、ゆみさんも家業の不振で駅前の自宅を売らなければならなくなったり、さまざまな試練がありました。しかし、この30年のあいだに、ご自身の才能と努力で、シャンソン歌手としてデビューを果たし、シャンソン教室でお弟子さんたちを指導し、ジャズダンスやフラメンコの練習を続けてきたのです。
 発表会のときは、当日まで振り付けを教えてくれたり、私のいいかげんなメイクをさっとなおして舞台向けの顔になおしてくださったり、ほんとうにゆみさんにはお世話になりっぱなしです。

 ゆみさんに1984年に初めて会ってから、ちょうど30年になります。ついでに、思い出の舞台スナップをUPします。今よりは細かったころの証拠写真として。

 アメリカアメリカを踊っている1992年の春庭(左)とゆみさん(右)

 40代のふたり。ふたりとも今よりはまだ細かった。 

 1992年のゆみさんと春庭とミサイルママ。ハイレグレオタードを平気できていた頃がなつかしい。
 ミサイルママ(左)と、ゆみさん(中央)と、春庭(右)
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

20190407
 1992年から幾年月。
 歌手水織ゆみさんはシャンソンの訳詞が認められて、日本訳詞家協会の理事としても活躍しています。
 水織ゆみ30周年記念リサイタルの感想はこちらに。
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/d197ff85d5c023a8af72224c3a7bc8e3

 ミサイルママは、昔と変わらずほっそりです。どうやって体型を保っていられるのか聞いてみました。お母様も妹さんも、一族みんな年取るにつれ細くなるのだそうです。それを聞いて、あれま、遺伝子ならしかたないとあきらめがつきました。我が一族、母も妹も子供を産んだあとは、どんどん太くなっていく家系ですから。DNAには勝てぬと、今日もおせんべいぼりぼり。

 2016年6月、白金植物園散歩、ミサイルママと。


 2019年春、新婚生活花盛りのミサイルママ。e-Naとの「第3水曜日大人の遠足」に出かける回数は少なくなると思いますが、金曜日夜のおしゃべりタイムは続きます。動ける限り、いっしょに踊りましょうね。

 2019年3月20日第3水曜日は、世界フィギュアスケート大会をいっしょに見ました。新婚のお祝いにS席チケットをプレゼントしたのは、「たまにはご主人を一人にしておいて、私と遊びに出かける時間を作ってね」というアピール。





 1984年から30年以上教えていただいているミワ先生は、癌サバイバー。「手術から4年半の健診に行ってきたら、異常なしでした」という報告もありました。ミサイルママとは「体が動くかぎり、いっしょに踊ろうね」と約束しています。
 動けなくなるその日まで、「ラストダンスはわたしと!」
 あ、でもミサイルママは「ラストダンスは当然彼と踊るわよ」と言うかも。ありゃりゃ、私のラストダンスはどうなる。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「平成最後の若者言葉収集」

2019-04-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20190420
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌(3)平成最後の若者言葉収集

 毎年、文学部副専攻として日本語教師養成コースに登録し、教室にやってくる学生に、最初の宿題を出します。「大学に来てから知ったことばや、教師が知らないであろう若者の表現を2~3語提出しなさい」。
 学生が教師に「教えてやる」という課題ですから、学生たち、自信満々に書いてきます。ほとんどは私も聞きかじったことのある語ですが、↓の「マジ卍」などは、数年前からのJK用語というのですが、私は初めてききました。

 今年、学生が書いてきた新語、若者言葉。
 一番多かったのは「エモい」
 学生自身が最近知った、大学に来て知った、という語なので、印象深いのでしょう。

 「エモい」イ形容詞
 英語の「emotional」を由来とした、「感情が動かされた状態」「感情が高まって強く訴えかける心の動き」]などを意味する。感情が揺さぶられたときや、気持ちをストレートに表現できないとき、「なんとなく哀愁を帯びて感じられる」などの表現に用いられる。
 「ね、あの映画見た?超エモいよ」などと、用いる。

 新しいことばを収集している辞書編纂者の飯間浩明は、古代の「あはれ」と似た意味があると述べています。雅な平安人が「『いとあはれなり』と言っていたのを現代語に翻訳すれば『超エモい』となる。

 「アガる」動詞
 「テンションがあがった」という意味で使う。「このあいだのフェス、アガったよー」
 「上がる」はもともと多義語でさまざまな場面で使われる基本動詞なのですが、若者言葉では特に、何かに衝動を受け、気分が最高潮に達すると「アガる」と言う。

 「マジ卍」名詞?
 卍は、仏教用語として用いられ、地図ではお寺を表す記号です。しかし若者用語では、特に意味もなく、「おっす」「朝からマジ卍やなあ」などと使われ、言う言葉が見つからないときにも、「マジ卍っす」とか言っておけば、なにか言ったことになる、というような使われ方をしているようです。
 また、写真を撮るとき、「はい、チーズ」とか「1たす1は2(にー)」と言うかわりに「まんジー」といえば、笑顔の口もちに撮れるので使われるのですと。

 「やばみ」「さびしみ」名詞
 悲しい→悲しみ 楽しい→楽しみ 苦しい→苦しみ、というような形容詞語幹に「み」をつけて名詞化する語は昔からありましたが、最近の用法では、やばい→やばみ、寂しい→さびしみ、悔しい→くやしみ、など、ほとんどの形容詞の名詞化がなされています。形容詞で感情表現をするよりも、やや強い感情がある、という程度の表現のようです。
 なかには、形容動詞(ナ形容詞)のきらい→きらみ きれい→きれみ、まであり、もうなんでも、み、み、み。

 気分が高揚したときの言い方「アゲアゲ」は「み」がついて「あげみ」さらに最上級は「あげみざわ」。「ざわ」の語源不明。心が高揚し、心臓ざわざわとなる、ということでしょうか。
 「あげぽよ」だの「激おこ」だのが、一時期流行ってすぐにすたれたのと同じ傾向でしょうが、何が令和の時代にも残るのか、ことばウォッチング続けます。

 変化する日本語に「なるようにしかならん」と達観派の春庭ですが、今年で若者言葉収集の最前線からは引退するわけで、さびしみです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「平成最後のHALかぞえ歌」

2019-04-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20190418
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2019春学期(2)平成最後のHALかぞえ歌

 毎年、春の新学期第1日目に、ネームカードを作成させ、学生の自己紹介を書き入れてもらいます。例を示すために、パワーポイントで春庭の自己紹介カードを披露します。

 官製葉書よりやや小さいカードの表には、本名とクラスネーム。教室で教師やクラスメートに呼ばれたい名を自分で選びます。「ハルちゃん」「ハルさん」「ハルセンセ」などを示し、「この教室ではハルセンセと呼んでください」と言います。呼ばれたい名を自分で選ぶのはアイデンティティの基本です。ほとんどが、友達や家族に呼ばれている名を選びますが、苗字がいいという学生は、「サイト―さん」「タカハシさん」なども。

 IDを書き込ませます。学年、専攻、ゼミ名などのID
 出自IDも。〇〇県〇〇市生まれ 東京都〇区育ち。現在は〇〇区在住など。
 母語:春庭の例 群馬生まれの上州弁

 生まれてから育つ間に話していたことばを意識させるのは、日本語学の基本。方言の話が出たとき、実例を示すためのインフォーマントになってもらえます。方言が大切な言語文化であることを説明したあとなので、みな、地元の方言を紹介するときは、生き生きします。

 趣味、得意技、苦手なこと など
 春庭の例 趣味:読書 映画 美術館博物館散歩 古い建物見学 旅行とくに乗り鉄 電車スマホで麻雀ゲーム、フィギュアスケート観戦。 
 得意技:早食い早寝つき早ワープロ 苦手:計算不得手。整理整頓掃除ができない、人付き合いが苦手です、など

 かぞえ歌自己紹介をするクラスもあります。ブログにも何度か書いたのを、毎年少しずつ更新。何度も読む人、すっとばしてね。

春庭かぞえ歌
ひとつとせ:母語はひとつ。モノリンガル。バイリンガルにはなれなかったよ。上州弁でいいだんベ。
ふたつとせ:子供はふたり。娘36、息子は30。親の苦労を子は知らず

みっつとせ:住んだことある国、三つ
   1979-1980 ケニア
   1994,2007,2009  中国
   2015,2016  ミャンマー

よっつとせ:持ってる資格は四種類。教員免許は役だったけど、運転免許は使用せず
1972 臨床検査師
1974 国語科教諭免許 中学1級高校2級
1976 普通運転免許
1988 第1回日本語教育能力試験合格

いつつとせ:週に5日はブログ更新(2003年から継続中の趣味)
むっつとせ:めぐるやかたは6種類。図書館・美術館・博物館・映画館・近代和館に擬洋風館 建物巡りは楽しいです。

ななつとせ:かじったことばは7言語。
 英語は少々飲み込んだけど、ドイツ語 スワヒリ語 アラビア語 タイ語 韓国語 中国語、ミャンマー語、かじっただけで飲み込めず。
 
やっつとせ:卒業したのは8回で、小学中学高校と専修学校、私立大、国立大と大学院
1968 県立女子高校
1972 都立専修職業校英文タイプ科
1974 私立大学文学部 学士
1988 国立大学外国語学部日本語学科 学士
1993 国立大学 大学院外国語学研究科 修士
2011 私立大学 大学院総合文化研究科 博士 

ここのつとせ:住んで暮らした家9軒
1生まれ育った家→2東京都新宿区→3杉並区阿佐ヶ谷→4杉並区下井草→5さいたま市針ヶ谷→6さいたま市大原→7東京都北区→8中国長春市→7北区→9ヤンゴン市→7北区 

とおとせ:教えた大学10校です
・A大(9年 1994~1995 2007-2015)
・B大(12年 1996~2007)
・C大(20年 1995~2015)
・中国 (3回 1994 2007 2009)
・私立D大(9年 1996~2007)
・私立T大(18年 2000~)
・私立S大(12 2003~2015)
・私立K大(5 2008~2015)
・ヤンゴン大(1年弱 2015~2016)
・私立N大学(1年 2016~2017)

とおあまりひとつ:転職したのは11回。
地方公務員を皮切りに、病院内科検査技士、英文タイピスト、役所事務、国語教師に予備校講師、劇団女優のドサ回り。編集助手にフリーライター、校正補助に日本語教師。
日本語教師は30年、いちばん長いが儲からず。

百とせ:教え子の国、百か国。
<東アジア東南アジア>
モンゴル・中国・台湾・韓国・ベトナム・ラオス・ミャンマー・カンボジア・タイ・マレーシア・シンガポール・ミャンマー・フィリピン・ブルネイ・インドネシア

<南アジア西アジア>
ネパール・インド・スリランカ・・バングラディシュ・パキスタン・アゼルバイジャン・アフガニスタン・タジキスタン・イラン・イラク・シリア・ヨルダン・レバノン・イスラエル・パレスチナ・トルコ・サウジアラビア・アラブ首長国連邦・クエート・オマーン

<ヨーロッパ>
ロシア・ウクライナ・ラトビア・リトアニア・フィンランド・スエーデン・ノルエー・ドイツ・ベルギー・オランダ・ポーランド・ブルガリア・クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア・スロバキア・チェコ・ギリシア・マケドニア・スイス・イタリア・フランス・スペイン・ポルトガル・イギリス・アイルランド

<アフリカ>
エジプト・リビア・チュニジア・アルジェリア・モロッコ・セネガル・マリ・シオラレオネ・ガーナ・ナイジェリア・カメルーン・ケニア・モーリタニア・モザンビーク・アンゴラ・南アフリカ

<アメリカ>
カナダ・アメリカ・メキシコ・ドミニカ共和国・キューバ・ハイチ・グァテマラ・コスタリカ・パナマ・エクアドル・ニカラグア・ベネズエラ・コロンビア・ブラジル・チリ・ペルー・パラグァイ・ウルグァイ・アルゼンチン

<オセアニア>
オーストラリア・ニュージーランド・西サモア・パプアニューギニア・ソロモン

 毎年おなじ自己紹介をやるのも、最後の「教え子の国百か国」を日本語教育講座受講生たちに聞かせたいから。
 いろいろな職業はあるけれど、こんなにいろんな国の人々と顔を合わせることができたのも、日本語教師をやってたおかげ。
 アンゴラとかモザンビークとか、一回限りひとりだけという出会いの国もあるし、中国人留学生、人数多くて名前も顔もすっかり忘れてしまった留学生もいる。
 忘れた人もいるけれど、私にとっては30年間のよき思い出。

 生きてきて、つらいこと苦しいことばかりだった気もするけれど、なんとか働いて自分の住む家食べる物まかなえたのは、周囲のさまざまな助けがあったからだと感謝感謝ですごしています。

 以上、平成最後の学生に向けた自己紹介でした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「平成最後の新学期」

2019-04-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20190416
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2019春学期(1)平成最後の新学期

 「平成最後の」とつけると、イベントはなんでもお祭り騒ぎになるようで、平成最後の バレンタインデーもあれば、卒業式も入学式も入社式もあり、新入生も新社会人も、浮かれています。来月からは「令和最初の」をつけてお祭り騒ぎ。

 私のイベントとしては、「平成最後の4月新学期」が、1994年から続けてきた大学講師の仕事の、文字通り最後の新学期になります。国立大学は2015年に65歳で退職となり、私立大学も70歳で退きます。2020年3月で大学の仕事は終わりになります。

 幼い娘と息子を孤軍奮闘で育てる中での勤務、よくもまあ続けることができたと思います。非常勤講師暮らし、一番多い時は、週5日に6つの大学を掛け持ちで駆け回りました。午前中の大学から午後の大学へ移動する電車の中でパンをかじりながら次のクラスの準備をする。綱渡りのような30年間でした。

 日本語教師としては、1988年から日本語学校で教えはじめました。大学院に通いながらも日本語教師を続け、これからも教える仕事は続けるつもりですから、まだまだ「日本語を教える仕事最後の」にはしないと思いますが、大学生から「今どきの若者ことば」を生で仕入れるチャンスはぐんと少なくなります。

 2年生から受講できる春庭の授業。今年のクラスには2001年生まれが登場。キャー、21世紀生まれと出会うんだわぁ。

 日本語教師養成コースの受講生たち、日本語を教える仕事をしてみたい学生ばかりではありません。何かひとつふたつは、就活のエントリーシートに大学で得た資格を書き込みたい、という学生のほうが多い。

 そういう学生にも、日本語のおもしろさを伝え、日本語のすばらしさに気づいてもらいたい。日本語、標準語も地元の方言も琉球方言もアイヌ語もすばらしい言語文化であることを誇りに思ってほしい。そんな気持ちで日本語教師養成コースに登録した学生に向き合ってきました。私が担当するのは、1年間で12単位分。日本語教育概論、教授法、日本語教育教材教具、という科目を通じて、異文化理解や国際交流まで、日本語教育の幅広い「学ぶべきことがら」を、井上ひさしのことばのように教えられるよう、心掛けてはきたのですが、なかなかうまくはいきませんでした。

井上ひさしの言葉
むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」(初出出典:こまつ座上演パンフレットThe座1989.9)

 今年2019年は、満開のあとの花冷えで、桜が2週間以上咲き誇っていました。卒業式と入学式、どちらも桜を背景に記念写真が撮れるなんて、そうそうはない。思へらく、桜も平成の世を惜しんで目いっぱい花をさかせたのかも。

 4月13日のご近所の桜




<つづく>
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ぽかぽか春庭「記憶に残る元号」

2019-04-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20190414
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>令和(5)記憶に残る元号

 元号で使われた漢字の頻度ランキングが出ていました。

 漢字はほぼ5万字あり、そのうち、日本で日常的に使われている漢字は2000ちょい。中国でも義務教育では4718字前後。5000字ほど学習すれば、高等教育に対応できる。繁体字を使う台湾の義務教育では、3000字。漢字の画数多いので、覚えるのたいへんですからね。
 ゆたか(豊)を表すに、中国簡体字「丰」台湾繁体字「豐」

 パソコン用には統一したほうがいいのですが、三者ゆずらず、「我が字が最適」と主張しているので、統一ができない。
 ちなみに、私は繁体字を標準とすべきと思っています。元もとの字を尊重するのがスジ。今や、漢字変換は簡単ですから、画数多くても、書く必要はない。読めればよし。体は體、芸は藝、学は學、国は國くらい覚えましょうよ。
 私より上の世代は旧字で育っているので、新世代もちょこっと頑張ればなんとかなる。

 そんなにたくさんある漢字のうち、日本の元号でつかわれた異なり字数は、1372年間247の元号で、たった72種の漢字。
 同じ漢字が何度も使いまわされるベストテンは「永、天、元、治、応、和、長、正、文、安」です。和は、過去19回使われて、今度は20回目。

 元号を全部のせている新聞雑誌記事やサイトなどがたくさんあります。
 春庭は、「私の記憶に残る元号」を思い出して書いてみます。
 近代の明治大正昭和平成は除き、明治のひとつ前の慶応も除外。慶応大学に名を遺したから、みな知っている。

 歴史でならったので記憶に残った、というのが多いです。
 大化の改新から覚えましたよね。
 奈良時代になると和同開珎(今の教科書には和銅かいちん、ではなく和銅開宝わどうかいほうと教えているらしい)養老は滝がつくと全国展開。天平時代、美術の教科書で。

 平安になると。延暦は寺の名で。延喜式というのもテストに出たような気がする。
 鎌倉時代では承久の変。永仁は偽壺ニュースで知りました。
 南北朝。建武の新政。
 室町時代。応仁の乱。
 安土桃山。文禄の役、朝鮮出兵。

 江戸時代。慶長小判。慶安太平記(慶安の変。歌舞伎や講談。南條範夫の小説)明暦大火。元禄文化。享保の改革。天保の改革。化政文化は文化文政。安政の大獄。万延元年のフットボール(大江健三郎の小説)

 247もある中で、文献見ないですらっと出てくるのはこれくらい。1300年の歴史といってもね。
 元号廃止論もかまびすしき今日このごろ。記憶に残る元号を思い出して遊んでみました。
 はたして、令和は千年後の人の記憶に残る元号となるやいなや。つうか、千年後には日本が残っているかどうかは、さだかでない。

 文化としては残しておいていいけれど、実際の使用では西暦でも皇紀でも、一貫して使えるものを使ってほしい。安政2年から大正5年まで、何年間か、という計算すぐできる人すごい。計算めんどうなので、私は西暦派。
 ま、イスラム暦はなじみがないので使わなくてもよいと思うけど。
 今年は皇紀2679年だけど、やっぱり西暦が実用的か。イエスの生年を基準にしなくてもよい、という人もいるけれど、イエスの生年、現在の研究では紀元前2年ですって。

 元号を詠み込んだ歌の中で一番好きな短歌
ほととぎす治承寿永の御国母三十にして経読ます寺(与謝野晶子)

 天皇上皇の妻として幼い天皇の母として、国母とあがめられた女人が、ほととぎすなく山里の寺にいる。建礼門院右京大夫が「忘るるさまに衰へはてたる墨染めの姿」と記録した粗末な僧衣に身を包み、亡き子亡き夫、治承寿永の戦いで海に沈んだ一族の冥福を静かに祈っている。

 国母のきらびやかな生活より静かな祈りの暮らしが不幸だとは、私は思いません。地獄を見た人の祈りの生活は、栄耀栄華の暮らしより幸福だったかもしれません。
 昔、京都寂光院を訪れたときは建礼門院の読経の声が聞こえたような思いがしました。
 天皇を利用し外戚となることで権力をふるった平清盛も、幼い安徳帝を抱いて海に沈んだ二位の尼も治承寿永という年号のもと歴史の中に残ります。

 当初は天皇の生前退位に消極的な姿勢を見せてきた現政権でしたが、これほど「代替わり」を政治ショウとして利用できるとは思っていなかったのかも。思いっきり天皇を政治利用していますね。「令和」発表で内閣支持率が上がるというお国柄。
 お祭り騒ぎはいいけれど、沖縄も原発もモリカケも解決していないことを忘れないで、令和をよい時代にしてほしいです。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「令和しりとり必勝法」

2019-04-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20190413
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>令和(4)令和しりとり必勝法

 ラ行で始まる語は、古来の日本語発音ではなかった、という古代発音について述べています。
 現代日本語には中国語由来の語や外来語など、ラ行の語彙が増えましたが、それでも、語頭がラ行の語は、他の行の語に比べるとぐんと少ない。
 
 大人が子供としり取りをするときの「必勝法」があります。
 語尾がラ行になる語をしりとりで使えば、相手はたちまち語頭がラ行の語が言えなくなり、たいてい勝つことができる。大人げないやり方ですが、キョウビ子供とスマホゲームなんぞやっても、子どもに負けてしまいます。子供のほうがゲームが上手ですから。
 大人げない「しり取り」をやって勝ちましょう。

 日本語シリ取りで勝つには、語尾が「ラ行」のことばをストックしておく。
 相手のことばの語尾があ行のとき、アラ 霰アラレ 色 鰓エラ 俺 色など、ラ行で終わる語を言う。隘路あいろなんかは、子どもは知らないからダメ。洞ウロもイマドキの子どもは知らないか。子どもがそんな言葉知らないといったらスマホでも電子辞書でも検索させれば、言葉教育に役立ちます。 

カ行 カラ 彼 雲母きらら 蔵 螻蛄ケラ 栗 黒 霧 キロ コアラ 
回路 グロ ケリ(鳥)閑古鳥など。 
サ行 皿 空 奈良 空そら 橇そり 尻 スリ セリ シンデレラなど  
タ行 樽 鱈 タレ 地理 塵取り 面つら 釣り 照り 鳥 虎 所 トロ チェロ チロルなど
ナ行 奈良 楡にれ ニラ 海苔 野良   
ハ行 晴 幌 箆へら 縁へり 鰭ヒレ 法螺ほら 風呂       
マ行 毬 人柄 群れ 無理 村 室むろは知らないかも。  
ヤ行 槍 夜 ユリ 矢じり  
ラ行 リラ 瑠璃 ルール 
  
 子どもは、ラ行のことばを語頭に出していくとすぐに詰まります。語彙が少ないですから。リンゴ、リス、冷蔵庫、ラジオ、ランドセル、ラッパ、レンズあたりを使い果たすと、あとが出なくなります。
 リンチとか倫理とか知っている子ども、末恐ろしい。ラブホテル、乱交、子どもが言ったら、びっくりです。どういう教育うけているのか。

 その点、大人は外来語を知っています。
 ライセンス ライバル ライブカメラ ライフサイクル ライブラリー ラジウム ラジカル ラストスパート ラッキーカラー ラッピング ラプソディ ラビリンス ライラック ラムネ ランジェリー リアクション リアス海岸 リアルタイム リアリズム リーズナブル リーダー リカバリー リラックス リサイクル リクエスト リコーダー リスクマネジメント リターンマッチ リチウムイオン リツイート リフォーム リビングルーム リフレッシュ リベラル、、、、いくらでも出てきます。
 子どもがそんなことば知らないと言ったら、スマホで検索させれば新しいことばを教えるチャンスにもなります。 

 私の持つ古語辞典。語頭ラ行の和語はひとつもありませんでした。(三省堂全訳読解古語辞典)

 辞書類、次の改訂時には「令和」を加えるべく、作業をしていくことになるでしょう。
 日本語にラ行の語をひとつ増やした新元号。

 今の文科省指導要領で教育していく限り、日本語できない子がどんどん増えて、日本語は伝わらなくなっていくこと間違いなし。将来は、日本語も英語も中途半端にしかできない階層と、どちらも使いこなす層に二分化するんじゃないかなあと思います。

 100年後の未来、知らんけどね。我が家、孫もいないので。無責任にしり取りでもしてすごすのみ。

 滅びゆく万(よろづ)の言の葉死語累々 万葉の語の響きかなしき(春庭)

<つづく>
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ぽかぽか春庭「古事記の発声」

2019-04-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
201904011
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>令和(3)古事記の発声
 
 首相が新元号の元ネタとして「和書を出典にしたい」と表明したとき、日本書紀あたりかなあ、と推察した春庭、見事予想がはずれました。万葉集は和歌集であり、全部漢字で書かれているといっても、漢字を当て字として使う万葉仮名で書かれていますから、元号の漢字を選びにくいと思ったのですが、和歌の序文(漢文)からとは見抜けなかった。
 結局元ネタは中国古典の『文選』というオチが面白いので、春庭的には令和OK。

 前回コラムで「古来の日本語には、語頭が「らりるれろ」で始まる語はない」ということを、かって日本語学を学んだ者として申し述べました。
 中国語由来の語頭ラ行の語や外来語ラ行が増えた現代日本語でも、紙の辞書を見ればわかる通り、ラ行のページはごく薄い。

 韓国語朝鮮語では、語頭ラ行への抵抗大きく、中国語由来の語頭ラ行音は「ヤ行音」「ナ行音」に変換して発音します。中国語「龍ロン」は韓国語では「ヨン」。「林リム」は「イム」。「恋愛リェンアイ」は「ヨンへ」。路线(ル―シャン路線)は「ノセォン」。
 韓国語朝鮮語、母語の発音を曲げずに、なかなか頑固に発音保守派でした。語頭に濁音がくる語も受け入れません。

 日本語は語頭ラ行はすんなり受け入れました。たいていのことは素直に受け入れて、貪欲に他の文化を自家薬籠中に入れた日本語日本文化です。受け入れなかったのは、後宮の宦官と牡馬の去勢くらいかも。

 古来の日本語の発音、元は「濁音」が名詞の語頭に来ることも少なかった。外来語や漢語でなく、和語で濁音が語頭にくることばを辞書で探してみてください。和語の見出し語は、「どんぶり(丼)」や「ヅラ(カツラを短くした業界用語から)」くらいしか見つかりません。ダイコンは、もとは「大根(おほね)」と書かれていたものが音読みに変わったので、「和語の音読み」です。動詞由来の「出入り」は和語ですが複合語なので。

 日本語も縄文時代以来1万年の変遷を言えば、発音も変化し文法も変わり、語の意味も変化してきました。
 「万葉集」も「古事記」も、「ゆかしき日本語文」ではありますが、どちらも中国文化の影響を受けて成り立ったことはお忘れなく。

 日本文化が雑種文化であること、日本民族は雑種民族であること(出土人骨のDNA調査からも判明)を考慮しないで、「万世一系」だの「唯一無二の日本文化」だのと言ってほしくない。
 古代天皇家では半島百済からの亡命者などと大いにまじりあい、桓武天皇の生母が百済系渡来人氏族の和氏の出身、高野新笠であったのをはじめ、系譜には書かれていなくても半島系大陸系の系統が入っています。
 雑種万歳。

 ところで、「古事記」の時代、日本語発音はどのようであったでしょうか。当時の発音を録音した音声はどこにも残されていませんから、文字言語から推測するしかありません。
 今、ほぼ確実に言えるのは、現代日本語の「は行音」の語は、縄文時代には「ぱぴぷぺぽ」であったろう、ということ。春庭はパル二ファだったのではないか。

 古事記の発音について、興味深い演劇を観劇しました。
 「東京ノーヴィレパートリーシアター」が上演した『古事記』です。初演2014年6月試演、10-11月初演(シアターX)
 レオニード・アニシモフの演出、『古事記』のとき、私には違和感がいくつかありました。
 (以下の文章は2014年に書いたもの。友人K子さんには以下の内容を伝えましたが、ブログUPはひかえました。2019年、K子さんが劇団所属を離れたので、UPしても迷惑がかからないだろうと判断しました。)
~~~~~~~~~
 アニシモフ演出への違和感。
 (1)役者が舞台に現れる最初、舞台上の出演者が全員同じ「仮面が張り付いたような笑顔」を作っていて、その「同じ顔のまま表情を変えない笑顔」が気持ち悪かった、という印象が残りました。
 おそらく埴輪の顔からインスピレーションを得た笑顔なのかと思います。この笑顔を、演出家が「日本古代のアルカイックスマイル」だとして表現しているのなら、それは違うんじゃない、と感じました。

 (2)発声法への違和感がありました。この発声法は、アニシモフによる「古代の人々は命がけで声を出していた」という解釈なのだと、劇団HPに出ていました。有気音を強調した、息を思い切り吐き出す発声です。

 日本語には縄文時代の日本語。古代の日本語であっても、有気音はなかった、と、私は、思います。漢字伝来後に、中国語の有気音が伝わった可能性はあり、筆録した太安万侶には有気音の知識はあったかもしれません。しかし、稗田阿礼は、口承で古事記を伝えたのです。稗田阿礼の口承には、あのように息を吐き出す発声法はなかった、と思います。

 テープレコーダーもない時代の発音がわかるのかと言われれば、確かに音の直接の記録媒体はありません。実音はわからないことなので、どのように発音をイメージするのも自由です。が、古事記筆録の仮名の選び方を見ると、太安万侶レベルの知識人なら、もし、有気音があったのなら、かならずその発音を区別した筆録をしたはずです。渡来系の人々は、母音を8つに聞き分けていたのですから、有気音無気音の区別も聞き分けていたと思われるのです。

 (万葉集&古事記の8母音については、橋本進吉の著作をご参照ください。私は、3母音だった縄文時代日本語が、朝鮮半島の発音の影響によって、都の居住者&識字階級のみ8母音に変化→しだいに4母音(東北地方)5母音(関東関西九州)に落ち着いた、という説に賛同しています。(八重山諸島では近年まで3母音)

 アニシモフさん演出の「古事記の時代の発声」は、咽喉閉鎖音、声門閉鎖音も使用する発声でした。(のどに痰がからまったとき、ガーッペッと吐き出すときの、喉の形「ガーッ」を思い浮かべてください)
 私には、それが「古代の発音」などには全然思えませんでした。

 有気音や声門閉鎖音を使う日本語とは、アニシモフさんの思う古代日本です。私は、古代でも、あのような発声法はしなかった、と感じましたが、それはたぶん、古事記への私の入れ込み具合があるので、ロシア人アニシモフさんとは感覚がことなるからだろう、と思いました。(最初の大学での卒論は『古事記』)

 アニシモフさんは、ロシア語翻訳で『古事記』を読み、台本は、セルゲイ・ズーバレフ『豊葦原の国から』と、鎌田東二『超訳古事記』からの抄出。

 (シアターXでの『古事記』試演会後、アニシモフさんと鎌田東二のトークショウを聞きました。しかし、このときのお話でも、私との間隔のずれは、解消されませんでした)
~~~~~~~~~~
20190409
 K子さんに話した演出家の演出方法への違和感。なぜUPしなかったのかというと。こんな辺境の読む人少ないサイトでも、万が一「演出家にケチつけた文章」を書いたのがK子さんの知り合いとわかって、K子さんに迷惑が及んだらいやだ、と私が思ったから。こういうのを「気づかい」と呼ぶか「忖度」と呼ぶのか、わかりませんが。
 K子さんが所属の劇団第2スタジオを退団する、ということになり、もう忖度必要なし。

 忖度で思い出すこと。
 「令和」が官房長官によって記者団に発表される前、春庭は11時半に中国ネットから知った、と書きました。
 閣議終了が11時25分。発表は11時41分。この「空白の数分」の間、天皇&皇太子へ新元号を知らせる時間が必要でした。国民への伝達より、天皇皇太子への伝奏をを優先するために数分間のタイムラグが必要だったのです。
 そして、そんなお上への忖度はまったく気にしないところから、漏れた内容がさっそく中国ネットで拡散した、ということ。

 一般の発表より前に知ったからといって、令和が価値を高めるということもなし。私としては、あれほど漏洩に気をつかって、考案者の名もまだ発表していないのに、おそるべし中国ネット、と思った次第。
 いろんなこと、ダダ漏れなんじゃないかい。日本政府のセイフティガード、脆そうだ。

 いまどきの忖度。
 本州と九州を新たに結ぶ「下関北九州道路」(下北道路)の事業化調査をめぐり、国土交通副大臣の塚田一郎氏は、安倍晋三首相と麻生太郎副総理の地元事業と紹介した上で、「国直轄の調査に引き上げた。私が忖度した」と語りました。現職議員が首相と大臣のために利益誘導したことを得意げに語るのもびっくりですが、とがめられるとすぐに陳謝。発言撤回しました。首相には塚田議員を罷免する気なかった。忖度、いつものパターンですから。
 撤回する前に言ったことのほうが事実だと思います。ようやく辞任がきまりましたが、令和で上がったという支持率、どうなりますか。

 令和の英語訳は「beautiful harmony」だそうですが、保守党内、みなで美しく調和しちゃってますね。「美しい国」というのは、「皆で忖度しあって首相のご機嫌取りをする国」のことであるらしい。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「梅の宴蘊蓄」

2019-04-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20190413
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>令和(2)梅の宴蘊蓄
 
 桜満開のあと花冷えの日が続き、今年は満開を例年よりは長く楽しむことができました。さすがに花散らしの雨のあと、花の時節もすぎました。
 しかしながら今年の春、世間は当分「梅」の話題がにぎやかになりそうです。

 時ならず、九州大宰府へのお参りが急増。例年大賑わいは初もうで時期なのに、今年は「大伴旅人が梅の宴をした場所を見たい」という野次馬が押し寄せているとニュースで見ました。いえいえ、野次馬と言っては申し訳ない。日本の古式ゆかしい文化にひたるよき臣民たち。
 本屋では万葉集第二巻が大いに売れています。「令和」の出典となった梅の歌三十二首と序文の漢文が出ているからです。

 娘と息子の「令和」についての会話。
 「コンピュータの年号変換するプログラマーとか、ハンコ屋とか、もうかりそうな業種は予想していたけれど、正解は万葉集売っている出版社の株を買う、だったなあ」「それが予想できなかった我らに株をやる才能なし」

 たしかに、首相が「出典には日本の古典からも考慮」とか言い出した時点で日本書紀とか万葉集あたりを出版している会社にあたりをつけておくべきでした。
 令和になっても、株にも利殖にも縁なしの貧乏生活続きそうな我が家です。

 万葉集の俄かな売れぐあい。新元号「令和」の出典が、万葉集第二巻の「梅花(うめのはな)の歌」三十二首の序文」であることを、皆が確認したいのだと思いますが、全巻とはいわず、どの巻でもいいから、読んでほしい。

 令和の出典については、そこらじゅうに解説が出ているので、今さらの感もありますが、春庭流の蘊蓄を。

 「令和」は、大伴旅人(おおとものたびと。万葉集編纂者とみなされている大伴家持の父)が、730(天平2)年の正月に大宰府で開いた梅見の宴会に招いた客32人がそれぞれ梅の和歌を詠んだ、その序文が出典だそうです。序文を書いたのが旅人本人だったか、息子家持が万葉集を編集するとき書いたのかは不明。

 「令和」発表後の記者会見で、首相は「これまでは中国の典籍を出典としてきたが、今回は万葉集を出典とした」と自信満々でした。
 首相がどこまで万葉集原典の説明を受けたのかは不明ですが、この梅宴の序文は漢文で書かれており、しかもこの文章は、中国の古典「文選」を踏まえたものです。

 天平二年正月十三日 萃于師老之宅、申宴会成、于時、初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香
(天平二年正月十三日 師の老の宅に萃まりて宴会を申く。時に初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。

現代語訳:今まさに初春のよき月、気はきよらかで風はおだやか。梅は鏡の前でおしろいをつけたように咲き、蘭は身に帯びた香りのように香っている(春庭拙訳)

 この「梅花(うめのはな)の歌三十二首の序文」は、後漢時代の張衡(78-139)の著作「帰田賦・文選巻十五)」にある句を引用しています。
「仲春令月、時和気清 (仲春の令月、時和し気清らかなり)」現代語訳:春もたけなわのよき月、時はなごやかであたりは清らかです

 張衡は、文学者としてもすぐれていましたが、古代中国では科学者、発明家として代表的な人物。発明品としてよく知られているのは、世界初の地動儀(132年)。500キロ離れた土地の地震も感知できる器械でした。文学作品として「帰田賦」のほか「東京賦(洛陽を描写)」「西京賦(長安を描写)」「四愁詩」「同声歌」など。

 漢字が日本に伝えられて以後、飛鳥奈良京都の貴族にとって、『文選』は基本中の基本の本。どこからでも引用ができるようでなければ、官僚も務まりませんでした。
 一方、現代では。
 万葉集をまともに読んだことはない、どころか「みぞうゆう未曽有」だの「でんでん云々」だのと公の場で言っても大臣が務まる時代です。

 せめてこの機会に、万葉集の第1巻と2巻だけでも、本を読む人が増えるのは大歓迎です。万葉仮名(当て字漢字)で書かれていることだけでも知ることは、日本語について思いめぐらす元になります。

 たいていの人は、教科書に出ていた漢字かな交じり表記になっている万葉集の数首を眺めただけです。額田王の船出の歌と持統女帝の衣ほしたりの歌とか。
 この際に「日本文化の元」となった本は、全部漢字で書かれていることを知りましょう。

 万葉集第一巻のはじめの一首は、雄略天皇を詠み手として仮託しています。(広く知られてきた求婚の古歌だったと思われる)
篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家告閑 名告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち このをかに なつますこ いへのらせ なのらさね そらみつ やまとのくには おしなべて われこそをれ しきなべて われこそをれ われにこそは のらめ いへをもなをも

 この万葉仮名の崩し字から草仮名が生まれ、平仮名が成立しました。
 この漢字当て字で自国の発音を書き記す方法は、朝鮮半島で行われていた古代朝鮮語を漢字で書き表す方法「吏読(りとう이두イドゥ)」が渡来人によって伝えられたものと思われます。

 万葉集は、わが国最初の歌集であり、国の宝と思いますが、その成立には、さまざまな文化の流入があったゆえであることをまず知っておきたいと思います。
 そして、万葉、古今新古今と続く和歌の流れの中にも、源氏物語枕草子の和文の中にも、漢字文化の影響をうかがうことができます。

 万葉集の時代から、知識人はみな漢詩漢文の知識を持っており、平安文学の清少納言も紫式部も、女性ながら漢詩漢文に通じていたことを枕草子や紫式部日記に書き残しています。
 枕草子の「香爐峰の雪」は。
 白居易の
 日高睡足猶慵起
 小閣重衾不怕寒
 遺愛寺鐘欹枕聽
 香爐峰雪撥簾看
 匡廬便是逃名地
 司馬仍爲送老官
 心泰身寧是歸處
 故郷何獨在長安

 「香爐峰の雪は御簾をかかげて見る」を、中宮定子も清少納言もそらんじていたから、さっと御簾を上に巻き上げて外の雪を眺めることができたのです。

 首相は「我が国の悠久の歴史、香り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄はしっかりと次の時代に引き継いでいくべきであると考えています。」と記者会見で述べています。

 我が国の歴史や文化、自然を大切にして次の時代に引き継いでいくべきである、というのは、その通りです。しかし、現実には原発放射能はいまだにフクシマから取り去ることはできず、自然を破壊しています。引き継いでいくべき日本の文化を大切にしていないのは、だれなのか。

 「中国典籍ではなく、日本の古典を出典にしたい」と、首相が強調したことに、違和感を覚えました。
 戦前の政治家や軍人が「伝統の、、、」とか、「周辺諸国とは異なる我が国独自の、、、、」と強調しだしたあとのことが繰り返されるかと。
 さきの大戦中、兵士が戦場に携えていくときの一番人気は『万葉集』でありました。軍の検閲にひっかからない最も適切な「ますらおぶり」の本でした。暗記すべき箇所は「大君の辺にこそ死なめかへり見はせじ」

 出典「万葉集」と言っても、結局のところ、選ばれた部分は漢文であり、中国の『文選』を引用した語句でした。
 「令」も中国語由来であるし、「令和」の出典はもとをただせば文選なのに、「日本の万葉集が出典である」と強調したがることの意味することはなにか、と深読みしたくなります。

 私は万葉集大好きです。万葉仮名をチェックしたのは巻一と東歌の部分だけで、あとは漢字かな交じり文にしたものを読んだのですが、一応全巻の歌を読みました。

 「我が国の誇り高き文化が、、、」というなら、「種々の文化を取り入れて融合してきたわが国の文化が、、、」と言ってほしいです。
 我が国は雑種文化(by加藤周一)。雑種という語の響きが悪いなら、「融合文化」はいかがでしょう。音楽分野ではフュージョンは定着していますから、カタカナ語のフュージョンカルチャーのほうが、若い世代にはわかりやすいかもしれません。

 いろんなものが混じった文化によって日本の社会文化は成立し、いろんな語彙をとりいれて日本語は日本語として成り立っている。
 日本の文化は、さまざまな文化の影響を受けながら、それを自分のものとして受け入れ新しいものを作り上げてきた、ということです。

 今回の出典から思うこと。
 日本の文字文化は、漢字の使用によって発達し、中国漢詩漢文の影響下に成り立ってきた、ということです。明治の露伴鴎外漱石にしても、昭和の中島敦武田泰淳井上靖、みな漢文の素養が文学の基礎となっています。
 私のような漢文の素養のない世代にとっても、一番大事なことは何か。現代日本語語彙の70%は、中国由来の漢字熟語だということです。

 第一に「令和」の「レイ」という発音。古来の日本語には、「らりるれろ」が語頭に来る語彙はありませんでした。現在日本語で使われているラ行のことばは、ほとんどが漢語か外来語です。りす、りんどうも中国語から。
 令和の考案者と噂されている中西進は、むろんのこと、令という語は本来の日本語古語にはなかった語であったことは承知でしょう。
 
  令和は「世界各地の文化を取り入れ融合してきた日本の混種文化の伝統」を示す語であると、私は思います。

 春、4月。さまざまな花が咲きそろいます。首相も記者会見で話したとおり、ひとつひとつの花がそれぞれきれいなんです。「日本古来の花を美しい花とする」なんてことを言いだしたら、チューリップもコスモスもひまわりも、みんな元は日本の花ではない。
 そもそも、出典となっている万葉集の梅の宴。梅だって、1500年ほど前、中国に朝貢するようになると、貴重な薬として「烏梅(焼いて黒くした梅の実)」が伝わった外来の植物。飛鳥奈良時代には飛鳥奈良周辺にも梅の木が植えられ、花を咲かせるようになった、外来の花木です。

 日本は、さまざまな言葉を取り入れ、さまざまな花を野に咲かせ、自然も文化もできあがってきました。新元号の「令和」は、「外来の移入と混成こそが日本文化の基本」ということを表している」ということを、皆で認識する機会だと思います。

 2019年4月1日から、「改正入管法」が施行されます。事実上の「移民法」施行によって、今後、日本は(事実上の)移民国家となります。
 日本で働く人々が「日本の安全と文化」を、きちんと享受でき、真の共生社会国家をつくりあげてほしいです。奴隷のように働かせるだけ働かせて、何の補償もなく、子女の教育もしない、ということのないように。外国の労働者を受け入れるなら、その子弟は「日本語教育と母語教育の両方をきちんと受けられるようにしてほしい」というのが、春庭の春の願い。
 現在の改正入管法は抜け穴だらけで、これから日本は「外国人マフィア支配」の裏社会国家になっていく、とまで心配する人もいます。私は仕事を通じて共生社会をめざしますが、私の知り合いのひとりは、「日本人店員がひとりもいないコンビニで買い物したくない」と言っていますし、「美しいハーモニー」の令和は、ほとほと遠い気がします。

 令和に決まった元号。私としては、お笑い芸人にしてクイズ大得意のカズレーザーにお祝いを言いたいと思います。本名:金子和令(かねこかずのり)。相方のアンドーナツといっしょに、これで当分ネタが作れる。逆立ちして「和令」をかかげ、「本名かずのりです」と名乗りをする芸を身につけたらどうだろうか。アンドーナツのつっこみどうしようか。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「平成最後のさくら歌2019」

2019-04-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20190411
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>令和(1)平成最後のさくら歌2019

 今年、梅見は娘と楽しみましたし、ひとりで桜も楽しみました。
 大きな公園で見る桜も特別な雰囲気でいいですが、ご近所の桜を仕事の行き帰りにながめるのも、「ふだんづかいの桜」で気軽に花を楽しめます。

 3月28日の勤務先ご近所の桜はまだ8分咲き。都心より少し遅い

 爛漫の枝もありましたが。


 3月30日、31日には満開に。








 春庭の桜うた しだれて腰折れ。

六義園夜桜
・ライトアップの桜はピンクにオレンジに色変わりつつ枝垂れて揺るる
・思ひ人の歩幅小さき夜道なればわが手を袖にそえて進みぬ
・元禄の金糸銀糸の縫い取りをつまどり歩む鶴姫八重姫

昭和記念公園
・ドッグランを走るチワワとゴールデン大きくてもいい小さくてもいい
・公園の夜桜昭和は遠き日々 花びら一枚いちまい拾う
・夕暮れの中ゆく昭和の乳母車淡くかなしき花びらの降る
  「淡くかなしきものの降るなり」は、三好達治本歌取り

新元号「令和」と聞いて
・千余年の時へて令和よみがえり旅人は梅の宴に酔ふらし(2019)
カズレーザーの本名金子和令(かずのり)と知り
・令和とは「文選」由来の漢語だと知るも知らぬもカズレーザー賛(2019)

 2014年に天皇傘寿を記念して初めて行われ、以後、「乾通り」一般公開が桜と紅葉の時期に実施されています。今年の「桜の乾通り」を人々が楽しむ様子を両陛下はご覧になり、お喜びだったとか。

 4月10日に結婚60年を迎えられるを祝して
・六十(むそ)とせの歩み寿ぎ平成の御代のおわりに咲く花を愛づ
・昭和の妃平成の代の御国母 智く美わし60年かな
・「違いますよ」と原稿順序をただす声 やさしき支えを持ちたる夫

 たまたまつけていたテレビ中継。天皇御在位三十年記念式典で天皇陛下が読み上げている原稿の順序がちがって、最初の部分に戻ってしまいました。すかさず皇后さまは「ちがいますよ」と指摘。「どうして?あ、そっか…」「違いますね」「あ、これだ、、、、」と、すぐに原稿順番を正して、最後までつつがなく読み終わりました。この間10秒ほど。
見事なサポートでした。

 おそらく、日常のさまざまな面で、60年の間に何度もお互いを支え合うご夫婦であったのだろう、と拝察しました。誕生日会見の「おことば」を述べられたおり、「皇后の支え」に言及したときは、何度か声をつまらせていらした。

 平成から令和の時代になって、結婚以来60年間にできなかったゆったりとした時間をお二人ですごしてほしいです。美智子様には「続きが読みたくなってしまうので封印してきた推理小説」をゆっくり楽しんでほしいし、来月は上皇となられる陛下には、ハゼ図鑑のまとめなど。

 万葉集東歌にならい、庶民のうたへる
 過去の桜うた再録2013、2005
 ノートに書いておいたら、ノートが行方不明に。サイトに保管しておけばいいかと思ったのだけれど、自分のサイトの中がわからない。もっとあるはずだけれど。

近代美術館前(皇居一周マラソンが盛んな日)
・しだれ桜垂れてお堀に枝うつす平河門まえランナーとび去る(2013)

近代美術館(中村彝の作品前で)
・ニッポンの桜をいかに刻みしかエロシェンコ像は目つぶりしまま(2013)

新宿二丁目(チーママにかわりて詠める)
・老いてなお夜桜に寄す秘め心あの人はいまあの人は今(2013)

大村益次郎像前で歌舞音曲をきく(かっぽれと阿波踊りを見ました)
・散りてこそ咲かめと散った若人よ二度と我が子を散らせはしません(春庭2013)

千鳥ヶ淵
・花筏散り敷くひとひらひとひらの命かがやく水面の白かも(春庭2013)

上野山
・一葉も見し上野山の糸桜明日質入れの帯締めて見る(2005)
隅田川べり
・散り果てて冷雨の宵の川縁(かわべり)に 一葉桜の細き枝揺れる(2005)

<つづく>

 「ことばのYaちまた」は、巷に流れることばをとらえて、世の中とことばを考えるコラムです。タイトル出典は、本居春庭の「詞八街(ことばのやちまた)」ですが、本家は動詞活用の研究書です。
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ぽかぽか春庭「平成最後の昭和」

2019-04-06 00:00:01 | エッセイ、コラム

 昭和公園桜ライトアップ

20190406
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記4月(3)平成さいごの昭和

 六義園の夜桜、ライトアップもきれいでしたが、私はやはり青空の中に輝く桜が好き、と思って、昼間の公園に行って桜を見ることに。

 昭和記念公園、小さいころの子どもを連れてきたのは一回だけだったと記憶します。我が家からは、ちと遠いので。
 1年を通していろんな花が咲く公園なので、ひとり散歩は何度か来ています。花の見ごろに合わせて、ヒマワリを見たりコスモスを見たり。
 でも、桜の時期に来たことがありませんでした。近くに六義園や飛鳥山公園など、桜名所がたくさんありますから、立川まで足を延ばすことがなかったのです。

 なんにでも「平成最後の」と、浮かれている世の中にのっかって、「平成、最初で最後の昭和公園花見」というのをやってみようかと、ひとり花見を敢行。夜桜もあるというので、午後から入園し、のんびり夜桜を見て帰りました。

 まずは、立川駅で腹ごしらえ。お昼を食べていなかったので、立川駅ビルの「自然食バイキング」という店へ。70分制で食べ放題1800円。自然食というとおり、野菜中心のメニューです。オーガニック野菜とか使っているんでしょうけれど、味はまあまあ普通。サバとサヨリの焼き魚と鶏ひき肉団子がありましたけれど、あとはキャベツの和え物やらほうれん草やら、野菜メイン。

 サラダ、野菜の炒め物和え物煮物。ほぼ全種類少しずつ皿にのせました。気に入ったものがあったら二度目にもらいにいくつもり。でも、時間が気になったので、最初の一皿を平らげたあと、デザートの米粉シフォンやジンジャークッキーをつまんでおわり。3時から4時まで食べて、まだあと10分あったけれど、桜も気になったので、制限時間前に店を出ました。


 立川から西立川口まで一駅乗りました。立川駅、慣れていないので、駅の中をうろうろ。西立川は、青梅線でした。 
 以前きたとき見た案内では、立川駅前から昭和記念公園入口まで徒歩15分。西立川駅から公園入口までは徒歩3分。当然西立川駅です。

 急いでバイキングをかっこんだのですが、公園についたときは4時半近くになっていました。「自転車の貸し出し時間は終わりです」という係の声。自転車で園内回ろうと思っていたのに、ちょっと遅かった。残念。
 徒歩だと、あまりあちこちはいけません。「桜の園」に行きたかったけれど、それは「令和さいしょのお花見」にすることに。

 都心満開ですが、園内のソメイヨシノは、九分咲きくらい。園内の桜は、3月中旬に満開になる種類から4月末まで、順々に咲くので、1か月以上桜を楽しめます。

 まだつぼみが開いていません。


 園内には、思い思いにシートを広げ、お酒を飲む人食べる人。みな楽しそうです。日曜日の公園で、家族連れや友達グループの人々が、フリスビーやバドミントンなどを楽しんでいるようすを眺めていると、ほのぼの平和な気分。
 公園内にドッグランもあるので、大小の犬たちもお花見をしています。今まで見た中でいちばん小さいと思うぬいぐるみのようなミニチワワもいたし、ものすごく大きなグレートデンもいました。

 平成の終わりに来た昭和記念公園。平成の30年間に、さまざまな事件も災害もあったけれど、ともあれ、町の中を砲弾が飛び交うこともなく、宗教がちがう人に銃弾を浴びせる事件もなし。私の貧乏は昭和も平成も変わりはなかったけれど、まずまずの時代をすごせたのだ、と桜を眺めました。

 家族連れの影も、夕暮れに長く伸びています


 ふれあい橋から残堀川の両脇の桜並木を眺めました。



 ヨウコウという種類の桜。ピンクが濃い種類で鮮やかです。


 園内のカフェであまおうソフトを食べて、ライトアップがはじまる6時まで待ちました。 夕暮れの公園、空と雲の移り変わりを見ていました。
 こんなふうに何もしない時間を持つのは久しぶり。





 実は、前日の30日土曜日に仕事先に来て、やるべきことが終わらず、事務室に泊まったのです。
 友人の阿子さんから頼まれていた視覚障碍者用の朗読が、ずっと手付かずのままでした。発注先から「朗読原稿を送ります」というメールが来ていたのですが、私はパソコンの朗読ソフトを使っての入力をしたことがなかったので困りました。阿子さんとの朗読は対面朗読でしたし、図書館に収めていたのはカセットテープ録音でした。新しい機器は不得手なので焦りました。
 「仕事のあいまにできると思います」と阿子さんに安請け合いしたことを後悔していたのですが、引き受けたからにはやらなければ。

 朗読を入力するためのソフトつきパソコンは、とうに送付されてきていました。しかし、パソコンに弱い私、何度か挑戦したのですが、どうやっても朗読の録音ができませんでした。家では雑音が大くて作業できないので、土曜日に仕事先でがんばることにしました。
 一晩かけて、マニュアルをながめつつ、ちゃんとマニュアル通りに手順を進めているのに、どうして録音できないのか。PLEXTALKというソフト。

 きっとわかっている人にとっては何でもない、どこかをクリックすれば簡単に録音できるようになるだろうに、と思いながらあちこちポチポチ押してみましたが、ダメ。
 月~金は仕事ですから、どうしても週末のうちに朗読ソフトを使えるようにならなければと、事務所に泊まり込み。マットを敷き、寝袋で寝ました。

 3月31日日曜日。買い置きのカップ麺を食べて、午前中も悪戦苦闘。
 昼近くになって、あっと気づきました。接続したマイク、接続しただけでは役に立たない。スイッチをオンにしなければならないのに、オフのままでした。な~んだ!いくら機械に弱いからって、こんなことで今まで悪戦苦闘してきたのかと、気が抜けました。
 ようやくテスト録音のファイルを貼付送信して、立川へ。

 そんなこんなの思いをこめて眺める公園、きれいでした。


 夜桜ライトアップは6時から。ふれあい橋とさくら橋の間で実施されます。






 桜と姥桜(電気器具は、スイッチをオンにしないと使えないことにも気づかないばあさん)


 西立川口は5時に閉門なので、立川口から出ました。バスの便がなくて、駅まで歩くしかない。皆が歩いている方向へまざって歩きましたが、すでに膝は限界にきているので、のろのろ足を引きずって歩きます。どんどん追い抜かれる。

 立川口からあけぼの口までが10分弱ありました。あけぼの口から立川駅まで15分というものの、それは健脚の場合。さんざん歩いて1万歩を超え、よたよた歩く足には時間がかかる。
 最初からこんなにかかるとわかっていたら、タクシー拾ったのに。遠くに駅が見えたのでもうちょっとがんばろうと近づいたらそれはモノレールの立川北駅でした。それからまた歩く。公園立川口を7時前に出て、JR立川駅に着くまで40分以上歩きました。

 桜の時期だけでもシャトルバス走らせたらいいのに、とぶつくさ言いつつ帰りました。
 平成最後の(最初でもあった)昭和記念公園の花見散歩。きれいだったから、足の疲れも納得です。13279歩達成。

<つづく>
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