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ぽかぽか春庭「2018年6月目次」

2018-06-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


20180630
ぽかぽか春庭>2018年目次

0602 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>言葉は生々流転(1)そうなんですかぁ
0603 言葉は生々流転(2)さんふん、よんふん、ごふん
0605 言葉は生々流転(3)ロートルとバッテラ
0607 言葉は生々流転(4)三省堂新語2017
0609 言葉は生々流転(5)イキる、とは
0610 言葉は生々流転(6)桜の園 vs ヴィーシニョーヴィ・サート(Вишнёвый сад)

0612 ぽかぽか春庭アート散歩>薫風アートめぐり(1)青いけしの絵を見に行く in 立川中央病院ロビー
0614 薫風アートめぐり(2)名作誕生 in 東京国立博物館、美人投票観覧
0616 薫風アートめぐり(3)フランスの絵本展 in 庭園美術館
0617 薫風アートめぐり(4)ナチ武器商人アゲアゲ名画コレクター・ビュールレコレクション展 in 新国立美術館
0619 薫風アートめぐり(5)琳派・俵屋宗達から田中一光へ in 山種美術館
0621 薫風アートめぐり(6)お殿様の審美眼、松平不昧の大名茶

0623 ぽかぽか春庭日常茶飯事典2018十八番日記梅雨的日常(1)我が家にとっては大事件
0624 2018十八番日記梅雨的日常(2)踊るマハラジャ、踊るぽんぽこりん
0626 2018十八番日記梅雨的日常(3)大人の遠足えびす原宿
0628 2018十八番日記梅雨的日常(4)踊る凸凹コンビ
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ぽかぽか春庭「踊る凸凹コンビ」

2018-06-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180628
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記梅雨的日常(4)踊る凸凹コンビ

 ミサイルママと歩く竹下通り。
 わかっちゃいたけれど、日曜日の竹下通り、すごい人出。ミサイルママと「すごいねぇ」と言い合いながら人ごみにもまれる。高齢の外国人観光客も増えていて、婆さん二人連れでも浮かないのがいい。


 竹の子族用の衣装店にふたりで入り、ラメやらぴかぴか素材やら「すごいねぇ」と言いながら値段チェック。若い子狙いだから、値段はそれほど高くないことがわかりました。似たようなバレエ衣装なら数万円するであろうけれど、白鳥の湖風衣装を5千円で売っている。きっと素材は安物だろうけど。縫製とかキラキラビーズ縫い付けとか、どこでやっているのか聞きたかったけれど、買いもしないとみられているだろう婆さんの質問に答えてくれるかわからなかったから、やめておく。

 竹下通りを抜けて、大通りに面したH&Mにたどり着いたときは、暑さもあつし、かなり疲れていました。ミサイルママは楽しげに1階、2階、3階と見ていく。
 私はついて歩きながら、「今日はよくよく得心した。私はファッションになんの興味もない。服を見て歩いて、ひとつも楽しくない」と思いました。
 これまで、ダンス発表会の衣装は、衣装係のミサイルママが選んで「はい、この曲のときはこの衣装」と決めてくれたのに従ってきました。私の注文は「太鼓腹がめだたなくなる衣装」ということだけ。

 私が最近買った服は、町のバッタ屋で見つけた一着100円の新品サファリジャケット。(袖に汚れがついていたため、売り物にならなくなったと思われるが、洗濯機で洗ったら落ちた)。一枚300円の問屋流れのTシャツ。(どこかのウォーキングフェスティバルで配られた記念品Tシャツが、参加者不足かなにかで流れたと思われる)。
 色とか形とか関係なく、買う買わないの基準は値段だけ。

 ミサイルママが「これどうかな」と試着した服、ミサイルママには似合っていたけれど、私は「たぶん、みやちゃんには横幅キツイと思う」と、意見を述べる。私が出演しない曲だから、どうでもいいんだけれど、出演するみやちゃんがこれを着て、動けないことには踊れないから。鏡には、左で写真を撮っている私も写っています。


 裏ハラを通って原宿駅に戻りました。一歩竹下通りから入っただけで、こんなに違う。


 竹下通りに戻るところにあった紅茶の店クリスティでブレイク。おいしい紅茶でした。カップはミントン。お茶の葉は、ミサイルママがニルギリ、私がヌワラエリヤ。これもポットを交換してシェアしました。私は洋ナシタルトとのセット。


 ポットのお茶、ウェイトレスさんは「お湯を継ぎ足すことができます」と言うので、途中お湯を継ぎ足してもらって、ゆっくりおしゃべり2時間。

 ミサイルママとシンさんのデート。3月、房総半島お花畑めぐりのバスハイク、4月は目黒川花見散歩と高尾山ハイキング、楽しい日帰りデートが続いて、5月の「遠出バスハイク」は、ついに2泊3日のコース。サクランボ狩りをして楽しかったそうです。さくらんぼは、さぞかし甘かったろうけれど、私としては「2泊っていうと、お泊りだよね」というところを突っ込みたかったのですが、中学生のデートじゃあるまいし、大人おとな、と思って聞かなかった。

 シンさんとのデート話のネタが尽きると、シンさんが貸してくれた本の話になりました。シンさんは、東野圭吾ファンで、本を全作持っているので、貸してもらっているって。

 私がミサイルママを絶対的に信用している理由のひとつは、仲間から聞いた個人情報をぜったいに他の人に言わないこと。
 私が「TTさん、今週休んじゃったけど、ご主人の体調悪くなったのかな、どうだろう。今日会ったらTTさんに聞こうと思っていたんだけど、私、先週やすんじゃったから」なんて、何気なく聞いても「あ、私、先週ご主人のこと聞いたけれど、しゃべってもいい話かどうか確認するの忘れたから、TTさんに直接聞いて。すぐに教えてくれると思うけど」と、しゃべらない。ミサイルママの口は、岩より硬い。
 私は、ジャズダンス仲間にも「e-Naの口は羽より軽いから、秘密の話はするな」と、言い聞かせている。

 ところが。
 本の話だと、ミサイルママも口が軽いんです。
 「新参者」の最新シリーズ『祈りの幕が下りる時』をシンさんに借りて読み、ふたりでいっしょに映画見に行ったんだって。そこまではいい。映画デートも楽しそう。

 「松嶋菜々子が舞台演出家の役で、本を読んだときのイメージ通りでぴったりだったの。それで、犯人はね」と、ミサイルママ、あっさり犯人を暴露。
 わぉ、私、本も読んでないし、映画も見てないって言っているのに。犯人大バレ。

 ミサイルママが「ああ、今日は楽しかった」と言ってくれたので、久しぶりの大人の遠足、大成功。私は「竹下通り、暑かったけどねー」という。気温30度真夏日になった日の日盛りでしたから。 
 これからもミサイルママと、長いおつきあい「大人の遠足」が続けていけますように。(推理小説は話題にしないほうがよさそうだ)。

 認知症を予防して健康寿命を長くするための疫学調査、どこかの研究所の発表がありました。血糖値管理も大事、高血圧にも気を付けなければならないけれど、健康寿命を保っている人の重要な資産がわかったのだそうです。
 最重要の資産とは。栄養も大事だけれど、それ以上に「人間関係」だそうです。家族と同居していたって、「ばあちゃんの話は古い」とか「同じ話、10回聞いた」などと、聞いてくれない場合も多いそうです。その点、同世代の友達なら、なつかしがって50年前60年前の話ができるし、同じ話を繰り返しても、聞いたほうもすぐに忘れる脳だから、なんどでも。

 いっしょに楽しくおしゃべりする人が身近にいるかどうか、高齢者の健康は、このポイント、比重大。
 ミサイルママは、私にとって大切な資産、免疫力高める大事なお薬なのでした。犯人暴露くらい、副作用のうちにも入らない。
 
 それで、犯人はね、、、、、。私はすぐにしゃべってしまいたいタイプなので、秘密話はコメントに書かないことをおすすめします。
 最近の朝ドラで「スズメの口は羽より軽い」というフレーズが出てきて、よかった、仲間がいて、と思いました。

 羽より軽い口とビヤ樽より太い腹を誇るダンサーe-NA、ミサイルママとともに、9月の発表会までセビジャーナス練習、がんばります。

 今年の9月の我がサークル発表曲は、スペインのセビジャーナスという曲。先生は「スペインじゃ、街角で子供でもだれでも踊ってる。盆踊りのようなもん」と言うのだけれど。
 6拍子のリズムにおいつかないe-Naちゃん、いつものように、ミサイルママの半拍おくれでまねしています。

 イメージとしては↓こんな感じ。赤ドレスミサイルママや黄色ドレスク二さんはこの太さだけれど、青ドレス私はこの絵よりも太い。


 9月発表会の時には、黒地に緑色模様のスカートで踊ります。この太鼓腹ウエストでも、スカートはゴムだから大丈夫。(っていばっていないで、ダイエットしろって)少々ステップまちがえても、とりあえずスカートひらひらさせていれば、見ている人にはわからない。
 9月まで、練習がんばります。

 6月中旬に骨折してボルトで骨を固定する手術した夫、整形外科医の診断では、経過は順調だそうで、早くも「外出許可がでたら介護タクシー手配して事務所に戻り、下請けに出す仕事の手配をする」と、段取りをつけています。そのくらい熱心に家族への福祉も図ってきたらよかったのだけれど、私が受けた家族福祉は、映画のパスポート券借りることだけ。7月はじめには、「終活」をテーマにした映画を見にいくつもり。
 夫の終活は知らねども、ミサイルママとは「あと10年はいっしょに踊ろうね」と、約束しているんですけれど。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「大人の遠足えびす原宿」

2018-06-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180626
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日梅雨的日常(3)大人の遠足えびす原宿

 新彼とのお付き合いが順調なミサイルママ、e-Naちゃんとの「大人の遠足」につきあうことはぐんと少なくなりました。
 毎週末は、シンさんとお食事に行ったり散歩したり、楽しい時間を過ごしているんだから、祝福すべきこととは思いますが、たまにはeNaちゃんとも一緒に遊んでよ、と思っていたら、6月8日金曜日夜のダンス練習のあと「明日時間あるなら、出かけようか」とお誘いがありました。はい、よろこんで。ウキウキ、いそいそ。

 シンさんとのお付き合いは「互いに無理しないこと」、という約束で「細く長く」がミサイルママのモットーです。
 シンさんから「週末、仕事立て込んでるし、体調悪いから今週のデートは中止」という連絡が入り、週末デートは1週お休みになったんだって。
 週末は、月に2度、お食事&散歩デート、月1度バスハイク、ピクニックなどのお出かけデート、月1度は実家に帰って100歳近いお父さんとすごす。(ミサイルママお父さんは、孫、ひ孫、玄孫に恵まれた、5代家族の家長です。長寿者が増え、4代家族も多くなりましたが、さすがに5代はそうはない。元国鉄マンという父上、ご長寿、すばらしい)。

 デートと実家通いでミサイルママの週末スケジュールが埋まっていますから、前回e-Naちゃんと週末に「大人の遠足」したのは、あらら、去年の暮れだった。半年ぶりのお出かけです。

 うっかり者のe-Naちゃんは、いつものポカで6月3日の会期前に東京都写真美術館へ出かけてしまい、世界報道写真展を見ることかなわなかった。招待券は2枚あって、前期後期の入れ替えもなし。写真展に誘いました。
 6月9日土曜日、写真展初日なので混むかなと思いましたが、毎年行われている報道写真展ですから、美術館の特別展初日よりは混まないだろうと、10時半に待ち合わせ。

 12時まで、ゆっくり「世界報道写真2018」を見ました。(写真展レポートはのちほど)
 写真展観覧のあと、恵比寿ガーデンプレイスの一番高いところ、39階と38階の展望コーナーでしばし眺めを堪能。

 ミサイルママは、「ほら、あそこに川流れているのわかる?目黒川。あそこに橋かかっているの見えるかな」と教えてくれるのですが、近眼乱視に老眼加わった目には、よくはわかりません。ミサイルママは、シンさんとお花見デートをしたときに、目黒川に沿って桜を見ながら歩いた思い出にひたっています。「きれいだったよぉ」と川沿いを目で追っているので、ランチ前に「ごちそうさま」でした。



 この写真、右端は恵比寿駅。左端、細長い緑色の屋根、「なんだろうね」と二人で言い合いましたが、ふたりとも知りませんでした。

 ぐぐってみれば、防衛庁艦艇装備研究所。
 「船舶、船舶用機器、水中武器、音響器材、磁気器材及び掃海器材のシステム化技術とこれらの要素技術について研究を行っています」という設備でした。
 屋根の下は、たぶん水槽。「水槽は長さ247m、幅12.5m、深さ7mの大きさがあり、最大8 m/sで走行する曳引車で模型を曳航」ふむふむ。都会の真ん中、坪単価680万という土地に、これだけの実験設備をかこっておける防衛庁。水槽の水一滴くらいは私の税金。

 これまで恵比寿ガーデンプレイスのビル39階から何度も外を眺めてきて、「なんだろうなあ」と思ってはいたのですが、ミサイルママといっしょに「なんだろうね」と言い合うまでは、調べてみようともしなかった。

 38階展望コーナーの前で。写真を撮り合いました。
 いつもおしゃれなミサイルママ。いつも「eNaちゃん、もう少し服装に気をつかいなさいよ」と、ミサイルママに叱られている私。ファッションにおいて対極的なふたりですが、長いおつきあいになりました。
 この日私が着ていたのは、ユニクロのバーゲンシャツ、売れ残っていたしろもの。紫色とピンクの中間のようなさえない色、はっきり言うと、紫が色あせたかんじのシャツだったんだけど、花の中にたてば、あせた色でもわかりゃせぬ。花に隠れて、おなかを隠したつもりのところがけなげ。



 昼ご飯は、写真美術館の上にそびえる39階ビルの最上階。『ボッチャーノBOCCIANO』という イタリアンのランチにしました。運よく窓際の景色のよい席。一皿は魚ランチ、一皿は肉ランチにして、半分こシェア。サラダとドリンクつき。
 「おいしかったぁ。この店いいね。こんどシンさんを誘ってこよう」と、ミサイルママは、早くも次のデートコースの下見になったようで、けっこうけっこう。

 食事後、ミサイルママの提案で、恵比寿から原宿へ行き、竹下通りを通り抜けていくことに。H&Mというファッションの店へ行って、9月発表会の衣装として使えそうな服があるか見たいという。何年か前に、H&Mで発表会用ダンス衣装にちょうどいいのを買ったことがあるんだって。

 竹下通りは前にいつ来たのか忘れてしまったくらい昔に来ただけなので、ひさしぶりに通りを抜けてみよう。
 「ほら、竹下通り歩いていると、AV女優かなにかにスカウトされるかも」と冗談を言ってみましたが、ミサイルママは、「それはない」と、つれない返事。もしかしたら「熟年用新型おむつパンツ」のモデルにスカウトされないとも限らないのに。「愛用者の声」なんて欄に、いいコメント書いてあげられる自信あり。女子高クラスメートやっちゃんといっしょのミャンマーバガン旅行の際、やっちゃんから「旅行のときは、この薄型おむつパンツは役に立つ。バスで途中下車できないときでも、高齢者に安心を与えるパンツ」と勧められて、その後の公衆トイレ少ないミャンマー旅行で「安心」して旅できました。

 残念ながら、なんのスカウトにもあわなかった竹下通り通り抜けのご報告は次回。 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「踊るマハラジャ、踊るぽんぽこりん」

2018-06-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180624
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記梅雨的日常(2)踊るマハラジャ、踊るぽんぽこりん

 梅雨時の災難続きのまえは、貧乏ながら、無料の音楽やら踊りやらを楽しみ、招待券で美術館へ行って、ささやかなお楽しみの日々もあったのです。夫と息子骨折のあと、梅雨空をうらめしく見上げるばかり。
 思い切り楽しく踊りたい!!
 
 ダンス。自分が躍るのも、ダンスを見るのも好きです。クラシックバレエも民族舞踊も好きですが、舞踏がやや苦手。踊り手によるけれど、1時間以上の舞踏公演を見続けるエネルギーがない。

 音楽は都内あちこちで無料演奏会がありますが、ダンス無料公演は、そうたくさんはありません。(バレエ教室の発表会はたいてい無料ですが、「うちの子」が出ていない限り、見続けるのは忍耐がいる)
 出かけた先で、無料のダンスパフォーマンスがあれば、時間が取れる限り楽しんできます。

 5月27日、本を返しに行った先で、無料パフォーマンスのインドムービーダンス公演があるというので、本を読みつつ開演を待ちました。
 「インド文化フェア」が行われており、インド古典音楽の世界」公演を盛り上げるために、前座にアマチュアダンサーがインドダンスを踊るのです。

 「インド古典音楽」は有料公演で、プロの演奏者によるシタール(インド伝統弦楽器)とタブラ(大小の太鼓を並べて音階もある打楽器)。
 区民割引3500円というのを見て、インド音楽、聴いているうちに寝ちゃいそうだし、3500円は私にはちょい高。
 しかし、ダンスの公演場所にきていた知り合いのいくちゃんの話によると、インド音楽公演前週にインドダンスワークショップが無料で受けられるという特典つきだったのですって。いくちゃんは、事前に申し込みをして、ダンスレッスンを受けて楽しかったと言っていました。しまった。ダンスレッスン付きなら、インド音楽公演も聞いたのになあ。

 ダンサーさんたちは、サンドーシャンというインドムービーダンス教室のグループ。私は、インド古典舞踊の公演は何度か見たことがありますが、ムービーダンスは、映画のなかでしか見たことないので、興味シンシンで無料公演を見ました。

 サンドーシャンとは、南インドタミル語で「嬉しいこと、幸せなこと」という意味ですって。インド映画で出演者が突然に踊り出すことありますが、恋のたかまりや、幸せな気持ちを表すには、いきなり踊りたくなるのがインドミュージカルムービー。

 「北とぴあインド祭」チラシに出ていたサンド―シャンのダンス


 5月27日のダンサーは、女性14人と男性3人。女性はグループで交代の出演でしたが、男性は3人のうち、2人参加や1人参加で、かならずどの曲にも参加していたので、すごい体力だと思いました。
 ダンステクニック的には、そんなに難しいことはやっていなくて、教われば私も踊れそう、と思いましたが、体力がもちそうにない。
 見ていて、その名のとおり、うれしく幸せになるサンド―シャンのダンスでした。

 6月3日、午前中に山種美術館を見て、午後は写真美術館で「報道写真展」を見ようと、恵比寿に出かけました。写真美術館に行くと「報道写真展は来週からです」と係員に言われました。
 まあ、この類のミスはしょっちゅうです。娘には「招待券もらってあるのに、どうして確認してから出かけないの」と言われましたが、自分では3日にはもうオープンしていると思いこんでいるので、確認しないのです。

 報道写真は見ることができませんでしたが、恵比寿ガーデンプレイスでは、ハワイアンフェアが開催されていました。ハワイ雑貨や食べ物の店が出て、メインステージではハワイアンバンドが演奏中。
 入り口近くのステージでアマチュアのフラ発表会があったので、娘息子との待ち合わせ時間まで、フラダンスで暇つぶし。日差しが強かったですが、日傘をさしたら後ろの人が見づらくなって迷惑なので、すっかり日に焼けながらの観覧になりました。楽しかったから日焼けくらいがまんするけどね。

 私たちのジャズダンスサークルの発表会、毎年9月に文化センターで行われます。日本舞踊の婆さんたち、フラダンスの婆さんたちなどの発表グループのなか、ジャスダンスサークルは、これでも文化センター友の会に集まる高齢者たちの平均ら年齢からいくと「若手」のほうなんです。

 2017年の発表会。気分だけは「若いつもり」で踊っています。振り付けは覚えていないので、前のミサイルママを見ながら動いている。前方客席を見て踊るはずなのに、しっかり目線は前の列のミサイルママを見ています。おっかけでまねするから、半拍ずれて違う動きになっているところが笑える。


 で、自分たちの出番の前にフラダンスの発表など見ていると、「ジャズダンスのふりつけが無理になったら、フラやろうかな」なんて気になるくらい、ゆる~いフラの動き。

 でも、違いました。3日に見た恵比寿でのフラグループ、子供と若い女性たち(ひとりだけ中学生か高校生くらいの男子がいるグループあり) 
 みな、はつらつとしてきびきびして、腰振りの切れ味よいフラ&ポリネシアンダンス、タヒチアンダンス。

 ちょっと年齢層高いグループの、ゆったりした動きもありましたが、文化センター婆さんフラのゆるさとはかなり違う。そうか、素人のフラってまったりゆる~く踊るのかと思っていたけれど、本場のハワイや福島ハワイアンズのプロのフラだけでなく、素人のグループもいい動き出せるんだなと思いました。

 4時すぎから、20分踊って20分休みというスケジュールで、3つくらいのグループのフラとポリネシアンダンスを見ることができました。いい動きのフラ、楽しかった。

 ポリネシアンダンス

 フラ


 あるグループの小学生の女の子。おなかの肉が腰ミノの上にはみ出して垂れ下がっていました。腰を振ると、はみ出たお肉もプルンプルン。でも女の子は、おなかの肉のことなどまったく気にしていないようすで楽しそうに笑顔で踊っていました。
 うん、見ならわなくちゃ。おなかの肉がなんだ。笑顔、えがおだよ。ダンスは楽しく踊るもの。

 待ち合わせしての晩御飯、娘の希望で渋谷ヒカリエのスペインバルになりました。大急ぎで恵比寿から渋谷へ。

 娘と息子は、ヒカリエホールでディズニーオーケストラを聞き、「マーメイド」が楽しかったという、私は、前回のディズニーオーケストラ「ラプンツェル」を見て楽しかったけれど、今回はパスしました。次回9月は3人で行くことになりましたので、次回のメインテーマ「ヘラクレス」の復習をしておかなければ。「母だっていっしょにビデオで見たでしょ」と娘はいうけれど、どんなストーリーだったか、覚えていない。たいていのことは忘れる名人なので、同じ映画でも何回でも新鮮に楽しめる。

 スペイン料理、おいしかったです。太鼓腹は満腹でますますぽんぽこりん。いいんです。踊るぽんぽこりん、楽しく楽しく。

<つづく>  
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ぽかぽか春庭「我が家にとっては大事件」

2018-06-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180623
ぽかぽか春庭日常茶飯事典2018十八番日記梅雨的日常(1)我が家にとっては大事件

 世の中は、米朝会談やらギャンブル法強硬採決やら、歴史に関わるかもしれない出来事が次々起こり、関西では大きな地震も起きました。安全なはずの通学路で学校設置のブロック塀の下敷きになって亡くなった小学生、心痛みます。

 我が家の日常は、相変わらずの「金がないぞ問題」ばかりだと思っておりましたら、我が家にも巡り合わせの不運はやって来ました。夫骨折、骨にボルト4本入れる手術。息子も足を痛めて整形外科へ。

 それでも娘と私は、声を合わせてコロンビア戦応援しました。普段はマラソンやフィギュアスケートなど個人競技観戦ばかりで、チーム競技はオリンピックかワールドカップくらいしか見ない我が家ですが、めったに見ない我が家が応援したおかげで勝利を得たのを見届けたのでした。世の中にひとつくらいは明るいニュースが欲しいところでしたから、サッカー金星うれしかったです。

 6月半ばの日々。
 日曜日、雨の中出かけて、豊洲でアマチュアの室内楽を聞きました。シューマンのピアノ五重奏「ます」などを聞いて、うん、これはお金もらえまへんなと思いました。プロがお金をとるためには、どういう音を出さなければならないかがわかって、いい経験です。アマチュアの中には、プロ並みに上手なところもあります。たとえば、東京芸術大学付属高校の生徒たち。プロを目ざしているというより、もう十分にプロとして活躍できるような技量の持ち主がずらり。

 かえりはバスで東京駅へ。八重洲口から東西線に行こうとして、広い駅のなか、ぐるぐる回って迷いました。なぜか「黒塀横丁」の前を2度も通り過ぎ、東西線大手町駅にたどり着くまでに、えらく時間がかかりました。
 かえりの地下鉄、車内に折り畳みの傘を忘れてきてしまいました。まあ、これはしょっちゅうだけれど。
駅に問い合わせしたけど、ないので諦めた。以前、500円ほどだと思う傘を遺失物センターまで取りに行ったら交通費600円かかりました。小学生だった息子がおこずかい貯めて買ってくれたものだったから取りもどせて良かったですが、今回の傘には思いいれはないので。

月曜日、台風で交通も乱れるという予報が出ていたので、欠勤をメール連絡しました。まだ準備段階の仕事なので、出勤時間と勤務日は自由にしていいので、気楽です。
 雨はそれほど強くないことがわかり、平日になかなか行けないので、ちょうどよし、いつものクリニックで、いつもの薬を処方してもらう。
 薬局に処方箋を提出して「スーパーで買い物してから、戻ってくるので」と言って、買い物をしている間に処方箋のことはすっかり忘れて帰宅。いつものことだけれど。

 火曜日、娘がお気に入りのパン屋で買ってきたフランスパンサンドイッチで晩御飯。「いつ買いに行っても、必ず新作が並んでいて、新しい組み合わせが出ているので、選ぶのが楽しい」のだそう。私は「パクチーと中華ハムと玉ねぎサンドイッチ」というのを食べる。
 娘は定期健診に行って、「健康維持がんばった」のご褒美で、好きなケーキやパンを買って帰るのです。でも、食べ放題生活がたたって、太りすぎ指数はよくなかった、という健診結果。
 
 水曜日、朝から90分授業を4コマ連続でこなす日。日本語教育研究という授業、日本語教師資格をとりたい学生たちの発表も順調に進んでいます。
 途中50分の昼休みは、5分でお弁当をかっこんで、あとはコピーをとったり大忙し。午後の2コマ目にはそろそろ疲れてきます。さあ、もうひとがんばり、と思ったら、ガラケーのメール受信音。
 学生には「授業中メール電源を切るように」と言っているのに、私のガラケーは家族が連絡用に使うだけで昼間は鳴ることがないので、電源いれたまま。家族は、私が授業中であることを知っているから、緊急連絡でもなければ、かけてきません。それが鳴ったので、ドキリ。

 娘からのメール「父から電話で、出先ででつまずいて転び、動けなくなったので助けてほしいって言うから、父の事務所へ行ってきます」
 夫は、数年前の白内障手術のほかは入院した経験もなく、「病院はきらい」というわがままを通してきた人ですから、「助けてほしい」というのは相当な症状なのだろうと、覚悟しました。

 学生にプリントを配る。右半分の学生には予定のプリントだったけれど、半分の学生にはまったく違うプリントを配布していたのでした。「ごめんなさい」と、配布しなおし。
 
 娘は薬局で話をして、シップなどを購入したそうです。それで、痛いというところにシップを貼ってやり、「動けないから何も食べていない」という父のために、事務所の近くのスーパーで、父の好物のみかんやら飲み物を購入。
 トイレに行くのもたいへんだ、という父のために、介護用のおむつを買って持って行ったのに、タカ氏は「そういうのはイヤだ」と、わがままを言う。

 娘は「動けなくなったとか、このまま車いす生活になったらどうしようか、とか電話で言っているから、こっちだってパニックになってあれこれ揃えて心配して行ったのに、父は、わがまま言って。要は一人だと不安だから来てほしかっただけでした。シップ貼って安静にしていたら、ころんでぶつけたところの腫れも引いてきたから、母は事務所に来なくてもいいよ」と連絡してきました。

 夫は日ごろ「ぼくは一人で生きていける人間だ」と豪語してきたのです。それが、ころんで足いたくなったら、電話で呼びつける。私は事務所にかけつけて「あら、ひとりで生きていけるんじゃなかったっけ」くらいのことは言いたかったけれど、娘が世話してくれるのだからと、娘の指示にまかせました。

 木曜日。仕事を5時に切り上げて(いつもは夜8時くらいまでパソコン前にいる)、事務所で動けなくなったままの夫の様子を見に行く。
 シップなどを買いに行った薬局で、「不用意に動かさないでしばらく様子をみたほうがいい」と言われたそうたけれど、もう様子見の範囲を越えたと判断。仕事にさしつかえるから病院はいきたくないと言う夫に、まだ立つこともできないのはただの捻挫と違う。これ以上ほっておいて本当に歩けなくなったらどうする、と脅して受診を承諾させました。病院嫌い老人は手間がかかる。

 金曜日、夫は事務所近くの病院に行きました。
 病院の受付を先に済ませた娘が「患者は、歩けない、動けないという状態だ」と説明したら、救急車を手配しなさいと病院の指示を受けて、運ばれたのです。
 救急外来の整形外科の医師から大腿骨から膝までの骨折と診断されました。そのまま入院。

 娘息子といっしょに、整形外科の若い医師の説明を聞く。レントゲン写真を見ると、かなりの長さで骨に亀裂が入っています。医者じゃなくても、こりゃダメだ、と見てとれる。大腿骨に骨を固定させるボルトを入れる手術をするという説明でした。

 夫は「仕事があるので、入院せずに通院で治療できないか」と、医者にわがままをいう。先生はあきれて「歩けないのに、どうやって通院するんですか」と夫を叱る。そうだそうだ。

 土日、けなげな妻は病院に通って、夫の指示通り、事務所の郵便受けに入っていた郵便物を病院まで届けたり、飲み物や新聞などの、夫要求の買い物をしたり。
 事務所でいちばん大事なことは、「玄関においてある水槽のメダカに餌をやること」です。夫にとって、「妻子はほうっておいてもなんとか生きていくが、メダカは餌やらないと死んでしまう」のですって。
 ああ、ほうっておかれた妻は、こうやって新聞なんぞ買ってきてあげてるんです。涙。

 月曜日、夫の手術は、当初の診断より1本多い4本のボルトを大腿骨に入れて完了。下半身麻酔を処置された夫は、手術の間「寝ていた」のだと。
 私は、うるさそうな老人に対し、医者はめんどくさいから、下半身麻酔だけではなく、事前に点滴などで睡眠薬処方したんじゃないかと推察したのですが、夫は「僕は手術と言っても、緊張なんかしないでリラックスしていたから、眠れたんだ」と言います。
 ま、いずれにしろ、無事に手術がすみ、あとは、体力回復次第でリハビリ開始。1ヶ月ほどの様子見で退院の予定。

 夫は、白内障手術で1週間ほど入院したことがあるだけで、長期入院は人生初体験なのです。最初は「入院中も仕事しなければならないから、個室希望しようか」と言っていたのですが、同じ階にある談話室では電話も使えることがわかり、個室希望は取り下げ。
 「僕自身の収入が一ヶ月なくなっても差し支えないけれど、仕事を下請けで依頼している校正者の中には、僕の仕事がメインになっている人もいるから、仕事を途切れさせるわけにはいかないんだ」と、相変わらず下請け福祉にはげんでいます。夫の優先順位は、メダカ、下請け、自分、456なしで、7が家族。ふう、メダカに病室の世話してもらえってんだ。

 火曜日の仕事帰りに、夫事務所のメダカにエサをやり、郵便物を病室に届けた時は通常の疲れ具合でしたが、水曜日に90分授業4コマすなわち45分授業なら8コマをこなしてから事務所に行ったときは、雨降っているし荷物重いし、ほんとメダカに八つ当たりして「オマイラ、トモグイしてしまえ!と思いました。息子の説明によると、メダカは共食いする性質があるので、エサが足りないと、いつの間にか数が減っていくのだそうです。

 夫は「メダカたち、僕に慣れているからドアを開けて入っていくと寄ってくるんだよ、かわいいもんだ」と、メダカ愛を語る。アホか。妻が夫に寄り付かないのは、エサもらつてないからだろがっ。

 災難は続く。
 今度は、息子が台所にいて足を捻ってしまったという。なんてことでしょう。信心がある一家ならお祓いでもしてもらうところです。
子供のために何一つしてくれなかった父のために入院手続きなど一番がんばった娘が風邪気味に。

家族の健康が何より大事と身にしみます。
夫も身にしみたと言っていることがあります。手術後のリハビリで、介助を受ければ車椅子に乗って移動できるようになったのですが、体がご不自由なかたの気持ちが身にしみたそうです。むろん、これまでも障害があるかたがたに気を配ってきたつもりでしたが、事務所で、歩けずにいたあいだ、トイレに移動するのにえらく時間かかり、5センチの段差が果てしない高さに思えたと。段差をなくしたバリアフリーの街を望んで来たけれど、自分が5センチの段差が足に引っかかるようになって、切実に身にしみた、と言っていました。

辛い経験もより深い心を育むために必要だったということでしょうね。
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ぽかぽか春庭「お殿様の審美眼、松平不昧の大名茶 in 三井記念美術館」

2018-06-21 00:00:01 | エッセイ、コラム

三井記念美術館「お殿様の審美眼、松平不昧の大名茶」

201806021
ぽかぽか春庭アート散歩>薫風アートめぐり(6)お殿様の審美眼、松平不昧の大名茶

 う~ん、わからん。
 予想通り、私にはそのすごさすばらしさがさっぱりとわからなかった三井記念美術館の「大名茶人松平不昧公、お殿様の審美眼」
 毎週お茶のお稽古に通っていたりお茶を教えている方にとっては、垂涎のお道具類がずらりと並んでいましたが、ほんとうに、猫に小判、豚に真珠、春庭に国宝の茶碗、です。

 琳派の絵なんかだと、そのすごさがわからなくても、会場ひとまわりして、とりあえず金泥絵具なんかで金ぴかりんに描いた絵なんぞ見て、わぁ、きれい、と言えるんだけど。

 茶道具となると、私が心から「すご~い!」と言えるのは、耀変(曜変)天目。せいぜい油滴天目まで。
 あとは、お茶碗ずらりと並べて、「どれでもひとつあげます」と言われたら、100円ショップの茶碗を選んでしまいそうな、まったくの目利かず。目利きの反対。
 今回は、招待券入場だし、500円で音声ガイド借りました。ガイドによって、お道具の作者や史的背景はわかりましたが、不昧がこちらは宝物、あちらは名物と分けた美の基準は、わかりません。

 東京国立博物館でも、行くたびに国宝級の茶碗や茶入れを眺めてはきました。しかし、茶道具は、茶をたてるためにある。茶をいれて使ってこそ。ながめていても、いっこうに春庭の審美眼は育ちませんでした。

 松江藩主、松平不昧(1751-1818)の没後200年を記念して開催された「お殿様の審美眼」展。
 不昧が収集した数々の名物、不昧自身が賛を書いた掛け軸、不昧が編集した茶道具の図録『古今名物類聚』など、かって松平不昧が収集して手元においた茶道具が、ずらりと並んでいるのでした。ああ、それなのに、それなのに。

 私には、千利休作の茶杓(ヤハラ道怡)とその他の茶杓、どちらも竹をすいすいと削っただけに思えて、区別はまったくつかないのです。第一、道怡に仮名ふってなかったから、なんて読むのかも知らなかった。みち、えっと、りっしんべんに台?
「どうい」でした。

 不昧は、収集した茶道具をひとつひとつ絵にうつし、寸法や模様のようすを書き込み、寶物、大名物、名物などの細かい等級に分けました。
 不昧が寶物と書いたら絶対にそれは宝物。お殿様が絶対基準の寶物となります。

 かって不昧が所蔵していたが、所有した人は早世するという不吉な評判の茶碗が、今は国宝として展示されていました。茶碗を相続した不昧の息子が病の床についたので、息子の嫁(姫路藩主酒井忠道の娘、英姫)が手放してしまったのだって。

「喜左衛門井戸」京都孤篷庵所蔵


 東京国立博物館の茶道具類は、順に茶道具展示室や国宝室に展示されるので、見る機会があったものもありますが、お茶碗のどれがどれやったか、覚えていない。

 今回は、九州国立博物館の「油滴天目」を見ることができたのが眼福でした。
 ややこぶりの茶碗、油滴の散り具合がとても美しい。
 「油滴天目」九州国立博物館所蔵


 九博の解説「南宋時代(12〜13世紀)に、中国南部の窯(建窯)で作られた天目茶碗。高温の窯の中できわめて稀に化学変化をおこし、器の表面にあたかも油滴が飛び散ったような模様を作り出す」

 松平不昧公の肖像画やら、不昧公自作の花入れやら、見どころはいっぱいありました。

不昧公自作の竹筒花入れ


不昧公自作の色紙香炉「ござるまい年ふるを詠て あらとふと天竺我朝にまたと二つ」

自慢の自作だったのでしょうね。

 そもそも、この三井記念美術館は、三井家が江戸時代から収集してきたお宝の収蔵場所のひとつ。建物からして、重要文化財の重厚なる近代建築。美術館はその7階。エレベーターのドアからしてどでーんと重厚な木彫がほどこされ、廊下の壁もトイレの壁も大理石。私のような貧乏人は、それだけでへぇ、おそれいりやしたと、小さくなってしまう情けなさ。

 ましてや、国宝のお茶碗なんぞ、これでお茶飲もうという機会があったとして、手が震えて落っことして割ってしまうでしょうから、はなからお茶飲もうとは思いませんが、目の保養になったのか、ならなかったのか、もうちょっと、お茶を学んでから見たほうがよかったのかも。

 でも、招待券もらって、あちこちに配布したから、とりあえず自分でも見ておかなけりゃと思ってでかけました。出かけてみて、私には茶道具、似合わないんだわぁとよくよく自覚しました。

 むろん、不吉だろうとなんだろうと「大井戸茶碗喜左衛門」をくれると言われれば、大喜びでもらいます。もらった日に落っことして割りそうだけど。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「琳派・俵屋宗達から田中一光へ in 山種美術館」

2018-06-19 00:00:01 | エッセイ、コラム

<琳派展ポスター「槙楓図」伝俵屋宗達

20180619
ぽかぽか春庭アート散歩>薫風アートめぐり(6)琳派・俵屋宗達から田中一光へ in 山種美術館

 コレクター山崎種二については、何度か言及したことがあります。株や米相場で儲けたお金を美術道楽につぎ込みました。山崎が資金面援助してくれたから、川合玉堂は戦火を逃れて多摩の山奥で静かに暮らせたのですし、横山大観は悠々大家になりました。

 山種が日本画収集をしたのは「目の前で書いてもらって買い取るのだから、画商を通じて偽物をつかまされる心配がない」という理由だったのだとか。なるほど。「偽物じゃ値上がりしない」という信念。株も米相場も日本画も、値上がりしてこそ、という種二さんのコレクター魂、値段見て観覧する私のような美術オンチとは気が合うのかも。

 株も日本画も、なにも値上がりしそうなものを持たない、無産階級春庭ですが、今回も招待券をもらって見たので、「自分で入場料払ったときは、図録買わないでがまん、招待券のときは、音声ガイドか図録にお金出してもいい」という貧乏人ルール適用。図録1000円と絵葉書6枚、計1600円を消費しました。UPの画像は、図録と絵葉書から、または借り物。

 山種美術館、目の前で書いてもらったのではない江戸琳派のコレクションも充実しています。
 今年は、酒井抱一(1761-1828)の没後190年、抱一の弟子、鈴木其一(1796-1858)の没後160年にあたるということで、江戸琳派、抱一と其一を中心とした展示と、その後継者といえる画家たちの作品が、時代の流れに沿って展示されています。

 もうひとつのテーマは、現代に受け継がれた琳派。
 琳派創始の宗達、光琳のデザイン性を引き継いだ、グラフィックデザイナー田中一光らの作品を展示する、という琳派展でした。

 田中一光は、琳派のデザイン性を現代に生かし、すぐれたグラフィック作品を世に送り出しました。
 西武デパートの青い◎の包み紙とか、新東京国際空港第二旅客ターミナルビルの壁画など、知らずに目にしている彼の作品は多々あったのですが、デザインにうといものですから、彼の名前と作品を結び付けて意識したことありませんでした。
 今回、田中を「琳派継承者」と位置付けた展示はとてもよかったと思います。

 田中一光作品によるポスター(「平家納経」願文の鹿図は、田中親美の模作)


 田中一光を「現代の宗達」と位置付けるのは、山下裕二(1958~美術史家・明治学院大学教授)。一光という名前からして、酒井抱一の「一」と尾形光琳の「光」が組み合わさっている、というのですが、これはこじつけっぽい。親がつけたのは「一光=かずあき」

 琳派創始者といえる俵屋宗達。生年も没年もはっきりしていません。年代がはっきりした記録があるのは、1602(慶長7)年に厳島神社の「平家納経」補修作業に加わったこと。このときおそらく30歳くらいであったろう、と推察されています。

 「平家納経」は現在は国宝。1164(長寛2)年に、平清盛が奉納した経巻で、願文を添えて三十三巻。法華経の経文に金銀泥で華麗な絵が描かれれいます。500年を経て保存状態が悪くなったため補修作業が福島正則らの寄進によって実施されました。この修復作業にに宗達も参加。欠損した絵の補作をまかされたのですから、1602年には、宗達の絵の技量を内外によく知られていたのでしょう。

 願文の欠損した六図の補作を、宗達は新しい構図で仕上げました。


 田中は、この宗達の鹿を引用して(山下裕二いわく、「パクった」)代表作「Japan」1986をデザインしました。()


 宗達の『波に麒麟図』と、その波模様をデザインした田中一光の『響きの海へ(武満徹コンサート)』





 田中一光は、自身でも宗達&琳派についてさまざまに語っています。ちょうど東博で「名作誕生ーつながる日本美術」を見たところだし、琳派が現代デザインにつながっている、という展示、おもしろかったです。

 館内で撮影してよい絵は1点。伝俵屋宗達「槙楓図」


 観覧者が途切れたところを大急ぎで撮ったので、撮影許可の1点、あまりきれいに取れませんでした。

 伝俵屋宗達「槙楓図」は、修復が終わったところ。修復後最初の展示ですって。「伝」がついているってことは、宗達真筆かどうかはまだ研究途上なのでしょうね。ある美術家のことばによると「何度も展覧会に出して、みんなが本物だと思うようになれば、鑑定家も真筆のお墨付きを出しやすくなり、伝の一字がとれる」ということなので、この「伝」を購入したのが種二さんかどうかは知らぬが、「伝」とれて値上がりするといいね。売る気はないだろうけれど、箔がつく。

 琳派の流れ。

 俵屋宗達「烏図」


尾形光琳「白楽天図」


 酒井抱一『月梅図』(2017年6月に山種に来たときは、撮影許可が出ていましたが、今回はダメ)


 酒井抱一『秋草鶉図』


 酒井抱一「立葵百合」団扇


鈴木其一「四季花鳥図」


酒井鶯蒲(さかいおうほ)「紅白蓮、白藤、夕もみじ図」


 琳派の影響を受けた近代現代日本画

 速水御舟「翠苔緑芝」


 今月は速水御舟「翠苔緑芝」の、右隻「ビワと黒猫」と左隻「紫陽花と白兎」を青い鳥さんに送ります。根津美術館の尾形光琳国宝「燕子花図」と東博の国宝光琳「八橋蒔絵螺鈿硯箱」も送りますから、今月は琳派いっぱい。7月は鈴木其一「四季花鳥図」の右一隻「向日葵と鶏」を送ります。 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ナチ武器商人アゲアゲ名画コレクター・ビュールレ美術館展 in 新国立美術館」

2018-06-17 00:00:01 | エッセイ、コラム

ビュールレコレクション展ポスター「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」

20180617
ぽかぽか春庭アート散歩>薫風アート歩き(3)ナチ武器商人アゲアゲ名画コレクター・ビュールレコレクション展 in 新国立美術館

 ビュールレ美術館展のキャッチコピーは、「史上最強の美少女と、もっとも有名な少年」
 ルノワールが描いた「かわいいイレーヌ嬢」とセザンヌの「赤いチョッキをきた少年」が目玉展示品です。

 エミール・ゲオルク・ビュールレ(1890-1956 E. G. Bührle)は、武器商人として生き、莫大な富を築き上げました。ナチスに武器を売りつつ、その富を使って、印象派やポスト印象派を中心とした美術収集に取り組みました。ビュールレは、武器商人としてでなく美術品の擁護者として名を残したかったので、収集作品をまとめて美術館を公開しました。

 しかし、個人美術館は警備が手薄であることを狙われ、2008年に収集品を強奪されました。幸い犯人は逮捕され、盗まれたゴッホやセザンヌの作品は奇跡的に取り戻すことができました。犯人が闇組織などに売りさばいていたら、150億円相当だったそうです。

 盗難にあわないような有効な警備体制を敷くには莫大な費用がかかるために、2020年に公共のチューリッヒ美術館へ作品を移管することになりました。その準備が整うまでの間、作品の巡回展示が、新国立美術館で開催されました。(新国立のあと、九州、名古屋に巡回)
 私は、4月28日日曜日に観覧。

 新国立美術館(黒川紀章設計)館内
 

 今回、盗まれて戻った4点も見ることができ、よかったよかった。
 では、150億円分、モネの「ヴェトゥイユ近郊のひなげし畑」、ゴッホの「花咲く栗の枝」、セザンヌの「赤いチョッキの少年」、ドガの「ルドヴィック・レピックとその娘」を見ていきましょう。

 モネ「ヴェトゥイユ近郊のひなげし畑」

 
 セザンヌ「赤いチョッキの少年」


 ゴッホ「花咲く栗の枝」


 ドガ「ルドヴィック・レピックとその娘


 ゴッホの栗の枝、モネのひなげしなど、気に入った作品の絵葉書を購入しました。青い鳥さんへ、順次送信していきます。(6月末で870枚目になります)

 ドガの「レピックとその娘」の絵葉書は買いませんでした。娘の顔、あんまりかわいく描けていないと感じたので。そりゃ、イレーヌという最強の美少女がいるので、ちょっと見劣りしちゃうわね。

 絵葉書売り場でのこと。男の人がこの「レピックとその娘」を手にとったら、そのお連れ合いさんが「あ、それ、いらんわ。かわいないもん」と、言う。関西方面の方だったのかも。それで、私も「あら、私もこの女の子、あんまりかわいらしくないなあと思いました。有名な絵でも、気に入らないのはあるよね、同感者がいてよかった」と言いました。
 
 全然知らない人。グッズ売り場で隣り合って立っただけだけど、作品の感想をちょこっと言い合うだけでも、アート巡りはずんと楽しくなります。

 東博の名作誕生にも書いたけれど、観覧者同士、楽しくおしゃべりし合う観覧日があったらいいのに。
 ツイッター、インスタグラムなどではリアルタイムで観覧者がやりとりしているのかもしれませんが、私はツイッター未登録だし、絵を見たその場でおしゃべりしたら楽しいだろうに。

 コレクターにテーマを当てた展覧会。たとえば、東京都美術館のボストン美術館展では、個人で収集した美術作品をボストン美術館に寄贈したコレクターごとに作品を並べるという展示になっていました。アートには、作品を作る人、コレクター、そしてキュレーターの仕事もアートの一部なのだということを感じさせる展示、キュレーターの腕の見せ所です。

 今回のビュールレコレクションのコレクター、エミール・ゲオルク・ビュールレの生涯についてい、しばし思いをはせました。

 前半生をひたすら金儲けにあて、後半生はそのお金を使って、何事かを成し遂げた人生というと、ハインリッヒ・シュリーマンがすぐに脳裏に浮かびます。シュリーマンがトロイア発掘を始めたのは、少年の日の夢の実現、という自伝に書かれているのとはちがって、「事業でさんざん稼いだから、この金でなんか歴史に名を残すようなことをしようかなあ」と思いついてのことだったらしいけれど、お金を手に入れたあとは、勲章だの爵位だのほしがるか、歴史に名を残すか、そんなことをしたくなるもんなんですねぇ。お金手にいれたことないので、そういう人の気持ちはわからないけれど。

 ビュールレは「ナチス協力者として武器を売って大儲け」という名を残すことを望みませんでした。稼いだお金を美術品コレクションに使い、アートコレクターとして名を残したいと考えました。
 ことに、ヒットラーが「退廃芸術」と唾棄した印象派、野獣派などの作品をどんどん集めて、一大コレクションを形成。
 このコレクションについて、「ナチに協力したお金で買い集めた」と思う人もいるでしょうし、「ビュールレが集めていなければ、ナチによって破壊されていたかもしれない絵を救い出した」と評価する人もいるのではないかと思います。
 ナチがドイツの美術館に展示されていた「退廃芸術」作品の撤去を命じたあと、競売人フィッシャーらがオークションを開催して売りさばき、ビュールレは、ピカソ、マティス、ゴーギャンらの作品を手にいれました。

 ビュールレが作品の価値を当時から認めて買い集めたのかどうか。
 1920年代に最初に買い取った絵が、野獣派ヘッケルの水彩画だった、というから、彼の絵の選び方は、確かにヒットラーの好みとまったく異なることが感じられます。

 もし、ビュールレが買い取っていなければ、現在コレクションで見られる印象派や野獣派、立体派らの「ヒットラー言うところの退廃芸術」が、このようにまとまった形では見ることができなかった、と思えば、オークションで作品を買うことなど夢のまた夢であるビンボー人にとっては、恩人ともいえるひとなのかと思います。

 それにしても、ビュールレは、武器商人として名を残すこと、それほどいやだったのか。
 アルチュール・ランボーは詩人であることをやめたのちは、アフリカで武器商人になりました。坂本竜馬は、幕末、グラバーらから銃を仕入れて、新式武器がほしい藩に売りさばいて活動資金を得ていました。明治に生き残っていたら、三菱の岩崎弥太郎以上の政商になって、武器でも軍艦でも売りまくっただろうと思いますが、維新の前に殺されたから、「新しい世の中を夢見て実現前に早世した人」として歴史に残りました。

 だから、武器商人として名が残るのも、それはそれでひとつの人生と思いますけれど。
 ビュールレ66年の生涯のあとは財団が設立され、彼のコレクションは散逸せずに残されました。(2020年のチューリヒ美術館移管後の展示方法はわかりませんが)
 ビュールレは、念願かなって「ビュールレコレクション」の収集者として記録されました。

 私がコレクターという生き方に目が向いたのは、『ハーブ&ドロシー』(2010)というコレクター夫妻のドキュメンタリーを見て以後のこと。
 夫のハーブは郵便局員、妻のドロシーは図書館司書、というヴォ―ゲル夫妻が、決して裕福とはいえない生活のなか、給料をつぎ込んで、長年収集を続けました。
 居住している狭いアパートの一室に収まる現代美術作品を、4000点も集めたのです。

 コレクターという人生。
 「蝶と美女」を収集したコレクターの映画で「コレクター」という英語を覚えてしまったために、コレクターと聞くと、どうも偏執的な人柄を思い浮かべてしまいがちでした。しかし、「ハーブ&ドロシー」の生き方を見て、収集という情熱を持つことも、よい生涯の送り方だなあと思うようになりました。
 ヴォ―ゲル夫妻はコレクションの全部を「人々が無料で見ることができる美術館」という条件を持つワシントンナショナルギャラリーに寄贈しました。現代美術の4000点にも及ぶ傑作ぞろいのコレクションです。

 ハーブとドロシーの人生が充実したものだったのと同じように、ビュールレの生涯も、よい人生だったのだろうと思います。

 美術に関して、絵を描くでもなく批評するでもなく収集するでもない私の楽しみ方。気ままな楽しみとしてぶらりと散歩して、勝手気ままに「この女の子、かわいくないなあ」程度の感想を持つ私も、これはこれでアートの享受者。「よい人生」といえるかどうかは定かではありませんが。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「フランスの絵本展 in 庭園美術館」

2018-06-16 00:00:01 | エッセイ、コラム

フランスの絵本展、庭園美術館立て看板

20180616
ぽかぽか春庭アート散歩>薫風アート歩き(2)フランスの絵本展 in 庭園美術館

 個人コレクションの展示を紹介します。
 フランス文学を主なテリトリーとしていますが、幅広い評論活動、エッセイ執筆で知られる鹿島茂は、古書マニアとしても有名。そのなかで、19世紀フランス絵本は、30年の間収集が続けられ、今回庭園美術館の「フランスの絵本展」として公開されました。
 会期:3.21-6.12 初日3.21に観覧



 19世紀後半から20世紀ベルエポックの時代、カラーリトグラフ印刷が発達しました。
 ブテ・ド・モンヴェル、アンドレ・エレ、漫画やアニメーションの先駆者バンジャマン・ラビエら、人気作家の美しい絵本が相次いで出版され、フランス絵本の華麗な時代が築かれました。
 
 私は、3月21日(第3水曜日シルバーデイ無料の日)に、庭園美術館の建物散策をメインにして、絵本観覧はそのついで、という感じで立ち寄りました。
 私も絵本大好きっ子ですが、フランス絵本には縁遠く、なにか小じゃれたきどった本という先入観がありました。(見たことなかったのに)
 主な展示は新館の方でしたが、会場をひとまわりして、思った以上に充実した展示だと感じました。

 新館での展示


 本館の写真撮影自由日でしたが、フランス絵本展は、撮影OK展示とカメラ禁止展示があり、あ、これ撮りたいなあと思う絵本だとたいてい撮影禁止マークなのでした。

 撮影OK展示コーナー
 

 「カデ・ルーセル」(1778~1882頃)絵:ロレンツ・フルリック(エッフェル書店)


 「おうちでサーカス」(1874初版)絵:ロレンツ・フルリック(エッフェル書店)


 「塔よいまに見ておれ倒してくれようぞ」(1876)絵:ロレンツ・フルリック(エッフェル書店) 


 タイトル不明


 ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」で、アリスは、姉の本を覗き込んで、「絵のない本なんてどこが面白いのかしら」と呟きます。これまでは、かわいいアリスによる、幼い子どもらしい発言とだけ思いましたが、絵本を子どもが楽しみに読めるようになったのは、アリスの時代前には稀なことだったと、わかりました。キャロルは最先端の子ども像を書いていたんですね。
 キャロルは、アリスを「出版が盛んになってきた絵本を読む子供」として造形しました。アリスの絵本は、アリスを物語世界にいざなっています。

 5月2日にかこさとしさんが亡くなり、私の好きな絵本作家、どんどん鬼籍に入りさびしいこと。新しい絵本作家は大勢デビューしていますが、私が娘に読み聞かせ、娘がオト―ト君に読む聞かせた絵本たち、ほとんどは学童保育に寄付しましたが、特に娘のお気に入りだったからすのパン屋さんやぐりとぐらなどはとってあります。でも、どうやら孫へ読み聞かせをする機会はなさそうなので、これも寄付しようかな。

 展示されていたなかでも、1930年初版の『ゾウのババール』シリーズは、今なお子供たちに大人気の絵本です。

 鹿島茂は、絵本コレクションの本を出版。


 鹿島の本のもと絵はこちら。
 アナトール・フランス著/モーリス・ブテ・ド・モンヴェル絵『われらの子どもたち』1887年


 なるほど、本出版にあわせたプロモーション展覧会だったのね。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「名作誕生 in 東京国立博物館、美人投票観覧」

2018-06-14 00:00:01 | エッセイ、コラム

名作誕生ポスター

20180614
ぽかぽか春庭アート散歩>薫風アートめぐり(2)名作誕生 in 東京国立博物館、美人投票観覧

 東京国立博物館の展覧会「名画誕生・つながる日本美術」(4月13日~5月27日)。
 前期展示と後期展示で入れ替えがあるので、前期と後期、2回見に行きました。と、いうと、いかにも熱心な美術ファンみたいですけれど。
 招待券2枚あるのに、いっしょに行く人なく、1枚無駄にするのは「タダが損した」気分になるという貧乏性ゆえの2度見です。

 前期観覧は、4月21日土曜日。土曜日は8時まで開館していますから、午後ゆっくり出て行って、まずは、お庭散歩。それからすいている本館と考古館でしばし常設展示の「好きなもん」と対話。

 本館の国宝室、今回の展示は「法華経」。ありがたいお経の文字なのですが、読めないし、ありがたやと念じながらさらっと通り過ぎました。
 考古室では、大好きな群馬出土美女埴輪と「あたしたち、群馬の美女同士、気が合いそうねぇ」と対話。埴輪からは「1400年もたつと、かみつけの国のオミナも劣化したのが出てくるわねぇ、すっくと盛装しているアタクシを見習いなさい」と、カツを入れられました。

 群馬県伊勢崎市豊城町横塚出土の盛装女性埴輪(6世紀)国宝(見ている女性は酷崩)


 そうそう、千数百年前は若い女性と老女では異なる発音でした。若い女性である埴輪美女は「をみなwomina」で、見上げている老女は「おみなomina」。
 だったのに、1000年のあいだに、「を」と「お」は、発音おなじになってしまいました。美しさに年齢はカンケーない、ってことですよね、きっと、、、、。

 午後5時過ぎから、平成館へ。「名画誕生・つながる日本美術」は、世に知られた名作が、どのような影響関係から生まれてきたのか、というつながりを明示する展覧会です。
 ある作品を規範として新しい作品が生み出される。そして、その新しい作品も、後世に影響を残す。名作と言われる作品も、ひょこっと新しいものが出てきたわけではなく、先行作品の影響下に生み出されている、ということを知る展示です。

第1章
1.一木の祈り
 鑑真とともに来日した仏師たちが作り出した仏像。その技法は日本の仏師たちに伝えられ、平安の仏像となって各地の寺で人々の祈りの対象となりました。一本の木から掘り出される見事な造形。思わず手を合わせたくなります。


2.祈る普賢
 象に乗る普賢菩薩像。中国図像から出発し、日本独自の普賢像も描かれました。普賢とともに祈る十羅刹女(じゅうらせつにょ)。元は鬼神でしたが、仏法の感化を受け仏教守護神になっりました。鬼神(鬼子母神もそのひとり)の絵、多くは女性像として描かれます。その姿は中国風衣装あり十二単を着た姿あり。

 象に乗っている普賢はおなじみの図像ですが、十二単を着ている十羅刹女は、日本的。

 十人とも美人さんですが、ここはやはり象に乗る普賢さんに一票。

3.祖師に祈る
 「聖徳太子絵伝」など、仏教の普及に尽くした偉人の絵。

 第2章は、雪舟、宗達、若冲の作品がどのような影響を受けて画風を円熟させていったのか、中国の南画などと並べて示されていました。

若冲「仙人掌群鶏図」1789年 西福寺所蔵


 雌鶏に一票入れたいけれど、どう見てもオスが美形。ここはジェンダーフリーってことで、オスメスこだわりなし。
 左隻中央に「どうだい、オレ様のとさかとしっぽ、惚れただろ」と、踏ん張っているおんどり、いるわよね、自分の美形ぶりにうっとりしちゃうナルシスタイプ。
 アメリカのミスコン、水着審査廃止ですってよ。代わりに知性テストなんだってさ。ほんとは頭よかったマリリンモンローが「頭からっぽ美女」のふりをしたのも、今は昔。

 第3章は、古典につながる、という「伊勢物語」や「源氏物語」などからモチーフを得て作られた工芸品など。

 第4章は、風景や花の絵など、モチーフの影響関係を展示。
 彦根城博物館に展示されている「風俗図屏風」を初めて見ることができました。

左隻。右端で書きものをしている美人がいいな。


右隻。後ろの若衆に目もくれず、犬を見ている美人に一票。


 5月20日に2度目に見に行き、後期展示を観覧。前期後期の両方を見たために見逃すことがなく、全作品見ることができました。とは言っても、もはやどれが前期にみたのやら後期にみたのやらごちゃごちゃです。

 近代美術館や東博に常設されている作品は、国宝展示室などで見るチャンスはありましたが、彦根屏風などは、見る機会もなかったので、今回見ることができ、よかったです。
 国宝は、国の宝、国民の宝。東博の国宝室だと写真撮影可能ですが、今回は特別展だから、写真を撮ることはできなかったのが残念。

 後期展示だったと思う、岩佐又兵衛『洛中洛外図・舟木本』


 写真撮影禁止だったので、以上の画像はすべて借り物。

 5月20日の休憩コーナーにあった「ここは写真撮影してもいいよ」のコーナー。
 洛中洛外図のコピーパネルの中に、見返り美人が紛れ込んでいるパネルが飾ってあり、題して「見返り美人を探せ」。



 よく見ると4人の見返り美人が見つかりました。私のコンパクトカメラだと、どこに美人さんが立っているのかわかりにくいと思いますが。

 橋の真ん中に美人さん

 ここです。前にいる「おこもさん」が差し出す物乞いの入れ物には目もやらず、後方の貴人たちを見ています。


 上方の舞台の中に美人さん。下方右の大きなお屋敷のなかにもいます。 


 ここです。舞台に立っているのに、踊り出しそうには見えません。


 ここにもひとり。お屋敷の中で見返っています。


 上方真ん中あたり、武士たちに見つめられている美人さん。洛中洛外図の武士たちの時代よりははるかに後代の美人さんですが、美人はいつの時代でも人目を惹く。

 ここです。


 祭りの山車(?)が通る 

 ここにはいなかった。

 老眼の目をこらして4人の美人さんを見つけるの、おもしろかった。デート中なのか、カップルが「ほら、ここだよ」なんて楽しそうに探していました。親子で探すのも楽しそう。ここなら、おしゃべりOK。

 静かに「美の探求」をしたいアートファンもいることはわかりますが、この「見返り美人を探せ」のような楽しい企画が、展示のひとつとして観覧のルートの中にあって、おしゃべりしながら見ることができる日もあっていいんじゃないでしょうか。

 美術館観覧について提案。
 第1第3の金土日と第2第4の水木は「Zap観覧日」とする。そのほかの日は、Zen観覧日。
 フランス新幹線は、乗車エリアが分かれています。Zen車両は、「車内でのおしゃべりご遠慮願います」という車両。静かに落ち着いて旅したい人は、この車両を利用する。
 Zap車両は、車内でおしゃべりしたり、ゲームしたり、にぎやかに過ごしたい人向け。車両を分けることで、静かに本を読みたい人寝たい人と、騒ぎたい人が、互いに迷惑かけあうこともない。

 同じように、Zen観覧日「黙って静かに鑑賞したい人」が見る。その他の日は、展示室内で大声でなければおしゃべり観覧が可能。写真撮影は、許可を得たうえで、Zen観覧日は撮影可能。おしゃべり観覧日は不可。

 こんなルールで、写真撮るのもしゃべるのも、自由にできるようになったら、美術を楽しむ人がもっと増えて、アートはそれぞれの心で楽しむものだ、ということが、お小さい方々にもわかるでしょうに。今のように、全館いっせいにおしゃべり禁止だと、子供にとって、美術館は絵を見ても何も言うこともできない苦痛空間なだけ。子供の時から「絵を観覧するのは苦痛」ということを教えているようなもの。
 絵を見て感じたことを、いっしょに来た人と話すのも、たまたま隣り合って同じ絵を見た人と、思ったこと言い合えたら楽しいでしょうに。



「この見返り美人って、切手でもグラビアでもいろいろ見てきたけれど、やっぱり本物はちがうねぇ、一段と美人に感じるよ。振り返って何を見ているんだろ」
「そりゃ、水もしたたるイケメンに声かけられて、振り返っているんじゃないの」

「ねぇ、この帯の結び方、なんていうのかしら、私お太鼓しかわからないから」
「これはね、吉弥(きちや)むすびっていうんだって」
「へぇ、すごい、よく知っているね」
「東博のHPに書いてある」
「そうなんだ、教えてくれてありがと」

 なんてことしゃべりあいながら見ていたら、もっと見返り美人さんとなかよくなれるんじゃないかしら。

 さて、美人投票の結果は。
 群馬出土の国宝埴輪美女を眺めている酷崩美女に一票入れたあなた、さすが、真の美を理解している方とお見受け申し上げます。あは、美の感じ方も、時代によって人によってさまざまですからね。 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「青いけしの絵を見に行く in 立川中央病院ロビー」

2018-06-12 00:00:01 | エッセイ、コラム

入江一子「青いけし」

20180612
ぽかぽか春庭アート散歩>薫風アートめぐり(1)青いけしの絵を見に行く in 立川中央病院ロビー

 パソコンのブログ入力画面ですと、アクセス状態を知る方法の申し込みをしていないので、ブログ読者がどのキーワードによって閲覧したのか、何に興味をもってこのブログに飛んできたのか、というのは、たまにしかわかりません。無料のアクセス解析があるときだけ見ます。

 過去ログを読んでいただき、ありがたいと思いますが、春庭は常に最新UPに全力投入(というほどの文章ではありませんが)しているので、これまでは、どのキーワードでここへやってきたのか、あまり気にしていませんでした。

 しかし、スマホ再デビューして電車のなかで自サイトをチェックするようになったら、スマホだと毎日「このブログの人気記事」という欄があります。無料アクセス解析を見るまでもなく、毎日、春庭過去ログのどの記事が読まれているかわかるのです。たいして読者もいない当ブログですが、キーワード検索してとんでくる方、圧倒的に多いのが、美術館について書いた記事です。
 No.1人気「草間彌生の芸術チンチン」無料アクセス解析では、毎日数十人がこのキーワードでこのサイトにやってきます。みんなどんだけチンチンが好きなのやら。
 No.2人気「概念美少女と会田誠」これまた、みなさん裸の美少女にひかれてやってくる。

 テレビで関連のことがらが放映されると、アクセスが増える。たとえば、日曜日に「百年名家」という番組で「銅御殿(旧磯野家住宅)」の紹介があったあとは、春庭が2014年にUPした「小石川の銅御殿」に40人がアクセス。たいして詳しい説明も書いていないので、来た人は、プイと他のサイトに行ってしまうのでしょうけれど、なんにせよ、わざわざの訪問、ありがとうございます。

 そんな中で、「青いケシを描く・堀文子と入江一子」も毎回ランクインしています。堀文子からのアクセスなのか、入江一子からなのか。いずれにせよ、ふたり合わせれば200歳。

 入江一子については、阿佐ヶ谷の「入江一子シルクロード美術館」についてレポートし、堀文子については、葉山の神奈川近代美術館での展覧会をレポートしました。堀文子の「青いけし」の画像もUPできました。

 ひとつ残念におもっていたこと。入江一子の「青いけし」の絵について、入江一子シルクロード美術館には展示がなかったことです。
 立川中央病院のロビーに展示されていることは、テレビ番組でも紹介されていたので、いつかは行ってみたいと思っていました。

立川中央病院ロビー


 4月30日午後、立川まで足を運ぶことができました。
 日曜午後ですから一般の診察はなく、入院の見舞客がちらほらとロビーにいるだけ。30分ほど、だれもいないロビーで、ひとり心行くまで絵を見ることができました。警備員さんがひとりたっていましたが、あまりに大きな絵ゆえ持ち逃げすることもなかろうと、あやしい風体の老女をほうっておいてくれました。



 入江一子さん、5月15日に102歳におなりと思います。今日も元気にシルクロード美術館の1階アトリエ兼展示室で、新作を描いていらっしゃるかしら。堀文子の青いけしも、入江一子の青いけしも、すばらしいエネルギーを感じさせてくれます。このエネルギーを受け取って、私もヒマラヤの奥地で人知れず咲く花のように、がんばります。

青いけし部分

 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「桜の園 vs ヴィーシニョーヴィ・サート(Вишнёвый сад) 」

2018-06-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180610
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ことばは生々流転(5)桜の園 vs ヴィーシニョーヴィ・サート(Вишнёвый сад)

 「桜の樹の下には屍体したいが埋まっている!これは信じていいことなんだよ。何故なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ

 梶井基次郎の『桜の樹の下には』は、この冒頭だけがさまざまに引用されてきました、

 「灼熱しゃくねつした生殖の幻覚させる後光のようなものだ。それは人の心を撲うたずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ

 桜の満開を見れば、人はその爛漫と咲き誇る美に生殖の幻覚を感じ、その美しさが腐乱死体の養分を得てこその美の昇華であることに不安をかきたてられずにはいられない。

 翻訳との差において、さまざまな語について誤解をしてきたことが数多くあります。
 言語学者鈴木孝夫は「hair on his lip」を直訳して「かれの唇に生えているひげ」と訳してしまうと、日本語の語感とはずれが生じることを『ことばと文化』で述べました。lipは、日本語と英語ではさし占める範囲が異なるのです。「リップスティック=口紅」これはOK.でも、lip hairは、「唇に生えている毛」ではなく、口ひげ。lipの範囲は、鼻の下まで含み、口のまわりに生えている毛は、全部lip hairです。

 チェホフの戯曲『Вишнёвый сад ヴィーシニョーヴィ・サート』は、最初に日本語に翻訳された時から『桜の園』と訳されてきました。私たちのイメージする範囲は、爛漫と咲き誇る桜、風の中にいっせいに散る桜。
 しかし、Вишнёвый садの英語直訳は、cherry orchard。日本語訳なら「さくらんぼ果樹園」「さくらんぼ畑」とすべきところでした。「りんご畑」ときけば、たわわに実るりんごがイメージされるように、「さくらんぼ畑」と訳せば、赤く小さな粒が枝にゆれる光景がイメージされます。

 『桜の園』と、『さくらんぼ果樹園』では、はかなさについてのイメージがまったく異なってきます。

 貧しい農夫から成りあがったロパーヒンは、買い取った『さくらんぼ果樹園』を別荘用地として売り出し、別荘建設に取り掛かろうとします。ロパーヒン留守中に桜の樹を伐採するよう命じます。
 女地主ラネーフスカヤにとって、土地から生み出される豊かさの象徴でもあったさくらんぼの木は、つぎつぎに切り倒されていきます。

 桜と聞くと、まず第一に私たちの頭にイメージされる桜の花。 桜の花びらは「生殖の幻覚」の輝きを見せるけれど、「Вишнёвый」は、丸く甘い果実。ラネーフスカヤが失ったのは、花びらではなく、農奴に収穫させて収益をえる果実、さくらんぼ。

 『Вишнёвый сад』の訳語を考えていて、以上のことを思いついたとき、春庭は「うん、いいことに気づいた」と思ったのです。ロシア語わからないのに、よくぞ気づいたと。
 しかし、不肖春庭が思いつく程度のことは、ロシア語知っている人はとっくに気づいていたことでした。

 劇団民芸創始者の演出家、俳優の宇野重吉は、『チェーホフの「桜の園」について」という本を書いています。その冒頭に、スタニスラフスキーの著書に書かれたことを引用しつつ『Вишнёвый сад』が『桜の園』という訳になったことについて述べています。

 宇野のいわんとするところでは、「ロシア語の「Вишнёвыйヴィーシニョーヴィ」は、チェホフが「桜の園」書いた時代にアクセントが変わり、ヴィーシニョーヴィが示す意味も変化しました。チェーホフは「収益をもたらす桜んぼ畑」が「(散りゆく)桜咲く場所」へと変わっていく、まさにその時代を描き出したのです」

 「チェホフは、ヴィーシニョーヴィ・サートというロシア語の意味するところの変化を意識しつつ、この演劇の題名は「収益をもたらす桜んぼ畑を失う貴族」でなく「(消え去る運命の)桜んぼの木の花が咲く場所」として、没落貴族の消えていくロシアを描き出しました


 「Вишнёвый」のアクセント変化と意味変化を取り入れて訳せば、『さくらんぼ畑』ではなく「桜の園」がふさわしい訳語、と宇野は書き残しました。


 ヴィーシニョーヴィ・サートを「桜の園」と訳したら誤訳じゃないか!と、いきり立った春庭、浅薄な思考を桜の枝でバシッとたたかれました。
 だいたい、探してみれば『さくらんぼ畑』というタイトルのチェホフ戯曲訳本も出ていました。以下の本の訳者は、Вишнёвый садは、サクランボ畑という訳語こそ本当の訳と思ってタイトルにしたのでしょうが、私は、宇野重吉のほうが深く戯曲をとらえていると思います。 


 「へたの考え、休むに似たり」とは、私の父が子供たちのあさはかな思考を馬鹿にするときの口癖でした。でもね。私は思います。へたでもいい、自分の頭で考えることが大切。脳への刺激が認知症予防には大事だからね。

 うん、よく考えた。ごほうびに「佐藤錦」ひとパック。
 
<おわり>
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ぽかぽか春庭「イキる、とは」

2018-06-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180609
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>言葉は生々流転(5)イキる、とは

 三省堂新語2017のひとつとして「イキる」という語を紹介しました。私は関東地方で通用している「いきがる」が元になっている思い込んでいました。
 標準語の「イキがる」は、元は「粋がる」で、「いかにもいきであるかのように振る舞う」「本当はそうじゃないのに、実際よりも強く見せている様子」などを表します。

 「イキる」は、その省略で「尊大な態度で振舞うこと」「調子に乗ったりえらぶっていること」「偉そうにすること」を表すのだと思っていたのです。

 うざったい→うざい、面倒くさい→めんどい 難しい→むずい、など、若者言葉では短く省略する語が広まります。それと同じように、いきがるが省略されたのだろうと。

 まっき~さんからのコメントを見て、もう一度確認してからコメント返信しようとして、私の思い違いに気づきました。「イキる」は、省略語ではなくて、もともと関西を中心に江戸期から存在していた語でした。

~~~~~~~~~
 20180608追記 まっき~さんへのコメント返信を転載

 イキるはいきがるの省略された語だとばかり思っていました。大阪芸人用語だろうと。
違いました。由緒正しい古語で、江戸期の文献には出ていて、関西では広くつかわれていたと知って、またひとつ語の由来を知りました。
ただ関東で定着するかは微妙。関東アクセントだと生きると同じになってしまうから。生きるは中高アクセント。
~~~~~~~~~~

 0609つけたしその2
 私の手元にある『大阪ことば事典5版』牧村史陽編講談社学術文庫1988(2度目の大学の学部卒業時、恩師のひとりが「執筆に協力した辞書」として学生に配布した事典です)

 『大阪ことば事典』より「イキる」
 動詞:勢いが盛んになる。きおい立つ。元気づく。
 用例:近松門左衛門『緋縮緬卯月紅葉』手掛けはいきって、科もない伝三郎にいひかぶせしやるなと、たけりかかって怒る。
    同じく近松『天神記』菅丞相などが儒者の家で候とて、暗いに上りいきれども~

 『大阪ことば事典』に補足として出ている『全国方言辞典』によると、
① 意気込む、力む(大阪・岡山・南伊予)
② 勢いが盛んになること、勢いづく(大阪・淡路島・徳島・高知)
③ 威張る(富山・市が・徳島・山口豊浦郡、大分・福岡企救郡)
④ 金などの無いのに、あるふりをする(高知)
⑤ 調子にのる、はしゃぐ、さわぐ(福井大飯郡、京都、中国)
⑥ 蒸し暑い(愛知、和歌山)
⑦ 発行する(奈良吉野郡)

 江戸時代に関西地方にあった「イキる」という動詞が、地方にさまざまな意味合いで残存し、大阪京都の方言から芸能人の発言にとりいれられ、若者に広まったと考えられます。

 単純に「イキる」は「イキがる」の省略語と思い込んだ春庭でした。調べてみれば、やはりことばは奥が深い。

 以上、「イキる」へのつけたしでした。 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「三省堂新語2017」

2018-06-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180607
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>言葉は生々流転(4)三省堂新語2017

 「現代用語の基礎知識(ユーキャン)」が選ぶ流行語大賞は、その年を表して流行した語で、別段辞書にのることを期待しているわけではありません。いっときはやって、すぐにすたれてもいい。

 2017年の流行語大賞語は「忖度」と「インスタ映え」。
 一方、2016年の大賞語で、すでにはやりは終わった、と思えるのは「PPAP(ペンパイナップルアップルペン)」でしょうか。だいだい、芸能畑ではやった語は、消えるのも早い。

 それに対して、「三省堂辞書を編む人が選ぶ今年の新語」は、定着し、将来辞書に載る可能性の高い語が選ばれます。
 2016年の「ほぼほぼ」は、従来から使われている「ほぼ」よりさらに100%に近いニュアンスを出し、定着していきそうです。

 2017年の三省堂大賞語は「忖度」で、流行語大賞と同じになりました。これは、忖度そのものは、以前から辞書に載っていた語で、2017年には、新しいニュアンスを伴って流行した、という事情があります。

 三省堂の2位は「インフルエンサー」。世の中に与える影響力が大きい行動を行う人物。その人物の影響力を利用して購買意欲を起こさせるような宣伝を行う、中心にいる人物。

 三省堂3位の「パワーワード」。もとの意味は「力のある言葉」や「インパクトのある言葉」
 私は使ったことありませんでした。インターネットスラングのひとつから広まったそうです。一語で世間を動かすほどの強い影響力を持つ語に対して使われます。従来からある語でも、ネット内で話題になるような語。たとえば、藤井新七段がインタビューや会見で使用した「望外の喜び(2017年/4/4」「僥倖としかいいようがない(2017/6/2)」などの、中学生とは思えない語彙を使うと、たちまちネットではその語がパワーワードになる。自分が衝撃を受けたり印象に残れば、それがパワーワード。

 4位。「〇〇ロス」。それを失ったために、衝撃を受けその後意気消沈して生活するようになった状態。大切にしていたペットを失うペットロス、好きだったアイドルグループが解散してしまうとスマップロス、好きな番組が終わってしまうと「あまちゃんロス」など。

 5位。「フェイクニュース」。トランプ大統領がらみでも2017年によく使われました。

 6位。「草」。これもネットスラング。もともとネット内で使われていた、笑いを意味する「W」。大笑いWWWWWWWが草が生えているように見えるから、大笑いを一語で草と書く。ネット用語はすぐに変化するから、いつまで使われるかわからないけれど。

 7位。「NEM」と呼ばれる仮想通貨が流出した問題があったので、まだまだ世間には流通しないでしょう。でも、通貨を発行する権威を持つ国家を飛び越えて仮想の通貨が流通するということは、従来の国家意識が根底から変わっていくだろうと思うけれど、ここから近代国家は崩れていきます。(HAL予報、あてにならない)

 8位。「オフショル」。オフショルダーの略。肩が出る衣装。ファッション用語はすぐに変わるから、すぐに辞書搭載にはならないでしょうけれど、2016年のスカーチョとか、三省堂はファッション新語が好きなのね。

 9位。「イキる」。意気がるの略語。尊大な態度で振舞うこと、偉ぶる、傲慢に振る舞う、態度をでかくする 。
 うざったい→ウザい めんどうくさい→めんどい など、省略語は若い世代に定着率が高いので、「イキる」定着するでしょう。

 10位。「きゅんきゅん」。主に若い女性が「息苦しくなるほど胸の高まりを感じる」ときに使われた少女漫画などに多用された擬態語ですが、1983年リリースのY.M.O.「君に胸きゅん」などから広まり、2017年には一般用語と三省堂が認めたというわけ。

 さて、使っているのはどれですか。辞書に残ってほしい日本語は?

<つづく」
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ぽかぽか春庭「ロートルとバッテラ」

2018-06-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180605
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>言葉は生々流転(3)ロートルとバッテラ

 日本語教授法受講者に「日本語基礎のつかみ」として出す語彙クイズ。この欄の読者には、毎度おなじみのクイズですが、毎年学生は変わるから、毎年出題。

1.次のセット中から、和語(漢字が伝わる以前から日本語であった語のセット番号を選びなさい。
1)久羅下(くらげ)猿、犬 2)馬、梅 3)歌留多、煙草、麺麭 4)拉麺、餃子、焼売 
答え)1)が和語、2)中国語ぅマー、ぅメイから7~8世紀に伝来 3)は、ポルトガル語から1500年代末に伝来。かるた、たばこ、ぱん 4)中国語から江戸時代以降に伝来。ラーメン、ギョウザ、シューマイ 

2.次のセットの中から英語圏で通用する語を選びなさい。
1)マンション、アイドル、タレント 2)ミシン、テレビ、パソコン、フリマ 3)セロテープ、ホッチキス、バリカン 4)デイケアセンター、スキンケア、ガソリンスタンド、アフターサービス、キーホルダー 

答え)どれも通用しない。
1)は、日本では英語の本来の意味とは異なる使い方をされている外来語。マンション=大邸宅→大型集合住宅。アイドル=偶像・崇拝の対象→若くて人気のある芸能人。タレント=才能→テレビなどで活躍する芸能人。

2)ソーイングマシンのマシンのなまりミシン。テレビジョンの後半省略。パーソナルコンピューターの省略。フリーマーケット蚤の市の省略。(自由市場ではない)の省略 

3)セロテープ商品名が一般名詞化 ホッチキスとバリカンはもともとはその商品を売り出した会社名 

4)英語の一部を組み合わせて日本で作られた和製英語

 外来語や和製英語はカタカナで表記します。日本語学習者には、どれが外来語でどれが和語なんだか区別はつきませんから、一語一語、カタカナで書くのか、漢字かな交じり標記なのか、ひらがななのか、覚えていかなければなりません。
 「きほるだのかきは前ぶオナジです。どあはあきませでした」という表記の作文になるのも表記指導をしっかり受けていない日本語学習者にはままあることです。 

 さて、教師はしっかりと「和語漢語外来語和製英語の区別がついている」と、自信をもって教えていたのですが、司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズのどの本だったっけの中に(巻名忘れた)私が英語その他西欧語からの外来語だと思っていた語の由来が書いてありました。

 「ロートル」。
 古臭いことを言うしか能のない年寄り世代、というようなニュアンスで使っていました。私が見た文章の中ではどれもカタカナ表記であったので、西欧語由来と思い込んでいまいした。

 もともとは中国語でした。年寄り・老人という意味の老頭児(簡体字:老头儿、拼音:lǎotóur)
 カタカナで書いてあるから西欧由来と思い込んでいた語、元は漢語だった、と、『街道をゆく』の中に書かれてあるのを見るまで気づきませんでした。

 今はロートルという語自体が「古くさい語」「老人語」の扱いなので、日常で使うことはなくなりました。われらの世代にとっては、若い世代を表す新しい語であった「ハイティーン」が和製英語であって、英語圏では伝わらないし、イマドキの若者は使わない語である、というのと同じく、ロートルも、老人世代にしか通じない語ですけれど、今頃語源がわかりました。

 もうひとつ、今頃語源がわかった語。バッテラ。私の好きなサバの押しずしです。
 江戸時代には、酢飯に魚をのせて握る江戸前寿司が大人気になりましたが、大阪では飯の上に魚をのせて押す「押しずし」が主流。

 バッテラ、初期はサバではなく、コノシロをのせていました。(こはだが成長したあとの名がコノシロ)。しっぽをぴんとさせて形作ると、小舟のような形になります。ポルトガル語のバッテイラbateilaは、小型の船のことでした。バッテイラの形になったことから、バッテラが呼び名として定着。コノシロの大漁期が終わって、サバが主流となりました。


 語源には、民間語源といって、テキトーなこじつけも多いのです。「ねずみをとる子ゆえネコという」というたぐいのこじつけ語源も多いので、要注意。
 春庭が参照した「語源の日本語帳」は岩淵匡が監修しているので、一応バッテイラも信用する。

 「わかった!」と脳が感じれば、ロートル世代の脳細胞が若返る。

<つづく>
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