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ぽかぽか春庭「2020年5月目次」

2020-05-31 00:00:01 | エッセイ、コラム


20200530
ぽかぽか春庭2020年5月目次

0502 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>春庭漢字話漢字で脳トレ(1)訓読みで脳トレ
0503 春庭漢字で脳トレ(2)再録・漢字訓読みクイズ
0505 春庭漢字で脳トレ(3)読めても読めなくても
 
0507 ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2020おうち映画館(1)グリーンブック、トニー・ヴァレロンガ 
0509 2020おうち映画館(2)グリーンブック、ドン・シャーリー  
0510 2020おうち映画館(3)グリーンブック、トニー・リップ
0512 2020おうち映画館(4)グリーンブック、ピーター・ファレリーの笑い
 
0514 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ゴールデンホームステイリポート(1)ピースブック 
0516 ゴールデンホームステイリポート(2)母の日
0517 ゴールデンホームステイリポート(3)アカザ、グリーンライフ
0519 ゴールデンホームステイリポート(4)TVウォッチャーのクリーンライフ
0521 ゴールデンホームステイリポート(5)瓔珞えいらくの史実

0523 2020おうち映画館(5)女王陛下のお気に入り、アン・スチュワート
0524 2020おうち映画館(6)女王陛下のお気に入り、サラ・ジェニングス
0526 2020おうち映画館(7)女王陛下のお気に入り、アビゲイル・ヒル
0528 2020おうち映画館(8)アガサ・クリスティねじれた家
 
0530 ゴールデンホームステイリポート(6)畑入門後編
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ぽかぽか春庭「畑入門その2」

2020-05-30 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200530
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020二十重日記ゴールデンホームステイリポート(6)畑入門その2

 昨年2019年夏から、猫の額ほどながら庭のある家で暮らしています。夫の実家。
 2015年12月、姑は、私がミャンマーヤンゴンに赴任して帰国できない間に心不全で急死しました。米寿を過ぎて急に体力が落ちた姑でしたが、2015年1月に、90歳でペースメーカー手術を受けて回復し、リハビリを続けていました。「おばあちゃん、100歳までがんばると思うから介護よろしくね」と娘息子に頼んで、出稼ぎにいきました。

 娘が介護を続けてくれました。病院のつきそい、週末はいっしょに買い物。
 土曜日に娘息子といっしょに買い物に出て、冬のズボンを買い「月曜日にデイケアに体操に行くとき、これを履いていくんだ」と楽しみにしていたのに、夜、娘と息子が気づかない間になくなってしまったのです。ずっと診てもらっていたお医者さんの診断では、眠るように亡くなったのだ、ということでした。
 ひ孫の顔も見て、孫である娘と息子の介護を受け、90歳の大往生だった、幸福な生涯だったと思います。

 契約によって私は仕事先から帰宅できないので、娘が葬儀もすべて取り仕切ってくれました。おばあちゃんの女学校の頃の写真やヨーロッパ旅行の写真、ひ孫とお手玉や折り紙と遊んでいる写真などを一室にならべ、集まった親族がそれぞれおばあちゃんの思い出話をして、「よいお葬儀だった」と満足してくれた、ということでした。

 主のいなくなった姑の家。
 2007年に姑は一人で改築工事をしました。私が中国に赴任している間のことで、夫が反対している間に、「新築そっくりさん」という、四隅の柱を残すだけで、ほぼ新築と同じ、という工法で、ひとりで「1階と3階にDKがある2世帯住宅」に建て直しました。自分で図面をひいてお気に入りの間取りにした家で8年暮らし、「2世帯住宅なんだから、私が来てねって呼んだらいっしょに住みましょ」と言っていたのですが、その機会がないままでした。

 病院などに付き添っていた娘は、待合室などで隣に座った人と話し込むばあちゃんが「嫁自慢」をするのを、聞いてきました。「おばあちゃん、うちの嫁は働き者で、、、って、誰にでも自慢するんだよ。嫁贔屓の姑で、母は、ラッキーだったね」と。夫からは「百年の不作」と言われる妻ですが、なに、私だって「1万年の不作」と言い返しています。

 姑がいなくなった家、夫が週に一度ほど室内の空気入れ替えに泊まりにきていたのですが、夫が足を骨折したときなど、私が代わりに掃除に来ていました。
 いろいろあって、2019年夏から私が家の管理を任されることに。

 管理をするといっても、部屋の片づけなどは手つかずで、姑の古い服などもタンスにそのままになっています。片づけなきゃと思いつつも片づけはきらいな春庭、半年間なにもせず。
 故人の服などは、形見分けした後はさっさと処分しなければいけない、と聞いているのですけれど、「仕事あるから」と、嫌いなことは後回しにしている間に、姑の死去から早5年。

 外出自粛になって、私が手をつけたのは、部屋のかたづけではなく、庭の畑化計画。まず、腐葉土とヌカを買ってきて、野菜くずでたい肥を作ることから。3ヶ月くらいでたい肥ができるということだったのですが、なかなか順調にはすすみません。

 次に通販でシャベルを購入。狭い庭の真ん中にどでんと根を張っているツツジの木を、庭のすみっこに移す計画。これがとてもたいへんでした。サツキはけっこうきれいに咲いたのに、ツツジは、花を数輪ほどつけただけの怠けものの木。なのに、根っこは太く掘り起こせませんでした。仕方がないから太い根を2本のこぎりで切りました。南側の隅に移しましたが、根を切ってしまったので、枯れてかれてしまうかもしれません。狭い庭なので、苗を植えるスペースを作るのも大変です。

 穴掘りをしてみて、2ヶ月の自粛生活ですっかり足腰弱ったことが実感できました。少し労働すると気分悪くなったりよろけたり。黒い蚊にはしっかり刺されました。
 30分穴掘りをして3時間昼寝、というスケジュールでツツジ移植だけで1週間。
 これから庭全体の土を改良して、夏にはミニトマトやキュウリナス、しそ、パセリなどを植えていく計画です。

 でも、空き地から何本か移植したアカザは、葉っぱが虫食いだらけになり、食べる部分がないほど。野菜もよほど気をつけないと、虫の餌を増やすだけかも。
 今まで暮らしてきた団地のベランダでは、アロエ以外は何の鉢でも全部枯らしてしまった春庭ですから、この先畑名人になるまでは修行の日々。両親も姉も家庭菜園名人だったので、私もがんばらねば。たよるのは「家庭で作る健康野菜」という本一冊。「やさいの時間」という番組も見ています。古希ではじめる畑入門。がんばります。


 今、庭全体に生えているのはドクダミです。姑が植えて、庭に我が物顔ではびこっている。 姑は「桑の葉茶」「玉ねぎの皮茶」など、健康にいいと聞いたことは何でも取り入れる人でした。私にもドクダミ茶を毎年宅急便で届けてくれたのですが、私は「健康よりもおいしさ」と思ってほどんど飲みませんでした。ばあちゃん、ごめん。
 くちかずこさんのブログにドクダミの利用法がかいてあったので、半分を日本酒に漬け、半分は乾燥してあとでお茶にするつもり。
 自分で作ったドクダミ茶は、ちゃんと飲もうと思います。娘は「いらない、飲まない」と言っていますが。

 外出自粛、ホームステイの間、ベランダ菜園に目覚めた人も多いのだとか。
 「新しい日常」で、マスク着用、人との間をあけるなどの習慣が続けていくことが求められています。私の新しい日常は「野菜を育てる」です。
 土がよくなってきたら、トマト苗、ナス苗などを買ってくるつもり。入門者は苗から、上級者は種から。
 新しい日常のにわか農業、うまくいきますように。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「ねじれた家アガサ・クリスティ&見えない増税がはじまりますから、皆さまご用心」

2020-05-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200528
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2020おうち映画館(8)ねじれた家、アガサ・クリスティ&見えない増税がはじまりますから、皆さまご用心

 ついに東京都を含め、全国の緊急事態宣言が解除になりました。私は3月中旬から登校禁止、自宅からリモート勤務、自宅での教材作成業務などを続けました。3月29日に東京都の外出自粛が強く出されるまで、マスクや人との距離などに配慮しつつ美術館にも出かけていたのですが、4月と5月は、週に1回の食品買い出しのほかは、完全引きこもり状態でした。
 すぐすぐあちこち出かけるわけじゃないですが、自粛解除の報を聞くだけで気分が広がる気がします。
 2か月間の「ねじれた春」でした。「わたし、よくがんばりました」って、みんな思っているんじゃないかしら。

 引きこもり中、映画館で見なかった映画の中から、2019年に公開された『ねじれた家』をテレビ録画でみました。
 アガサ・クリスティ小説を原作とする映像作品、私はミスマープルシリーズやポアロシリーズ、楽しんでみてきました。犯人が当たると自分も名探偵になった気分ですが、私の推理はたいてい当たらない。

 『ねじれた家』映画ポスターで中央に立つグレン・クローズは、さすがの貫禄で存在感を示していましたが、推理を重ねて真実にたどりつく、というドラマとしては後味悪い作りだった気がします。

 『ねじれた家』も、マザーグースの歌詞にでてくることばを背景に、「ねじれた人」たちが大富豪の死をめぐってうごめきます。
 ギリシャ移民として若くしてイギリスにわたり一代で大富豪になったという大金持ち。思いがけない富豪の死と遺産相続をめぐって、ねじくれた家族関係からさらに事件がおきます。

 アガサは、数多く描いた推理小説のうち、「いちばんのお気に入り傑作ふたつのうちのひとつ」としてこの『ねじれた家』をあげたとのこと。
 確かに、推理名人でも、ラストに真犯人が明かされると、あっと思うに違いない。一番犯人に見えない人が犯人、というミステリー原則には当てはまっているのですが、真犯人がわかって私には気分悪いラストでした。
 真犯人は、やはり遺産を独り占めで相続する人にならないと。気分よくない。

 
 犯人はこの中のひとり。

 ねじれっぱなしの私の心。
 アベノマスクの製造販売で、儲かったところはどこだろう、とか、黒川元検事総長、かけマージャンしても訓告のみで、辞任にともなう7600万円の退職金がっぽり、という話を聞くと、ざわざわします。私が払った税金から出ているお金ですから。いくら低所得者のすずめの涙税金とはいえ、せっせと働きせっせと納税したんですから。
 モリカケなどを追及しない検事を確保しておくためには、政府の言うことをちゃんときいておくと、ちゃんと退職金もらえるよ、っていうことを検察庁に示すためなんだそうです。

 アベノマスク、小さいので使いにくいと躊躇していました。子どもにちょうどいい大きさだから、未開封の物は、こども病院用などに寄付できる、というニュース。ああ、開封しないでおいてよかった。
 マスク、皆の家に届き出したようですが、東京、すでにコンビニやドラッグストアに出回り始めました。私はスーパーで5枚入り350円、100均ダイソーで2枚入り100円を購入。中国の友人が送ってくれたのもあるし、妹手作りの洗い替え用布マスク5枚、春庭手作り不格好マスクが2枚。なんとか足りるので、アベノマスクはこども病院や児童施設に寄付できます。

 10万円の個人給付はまだまだ届いていない、と言っている間に、コロナ増税の準備が進んでいるのだそうです。給与から天引き徴収できる勤め人の所得税。増税ということばを使わずに、給与所得控除額の上限額を低く抑えることで、実質税額をを増やすことができるそうで、あ~あ、アホノマスクの代金はこうやって取られることが分かっていたなら、「欲しい人だけが1枚200円で買いに行く」という方式にしてほしかった。わしゃ買わんよ。ダイソーで2枚100円で買ったからね。

 そうなると、まだ届かない10万もありがたくない。今後しばらく続くであろうコロナ増税の分を差し引きすると、多くの給与所得者は、10万どころじゃない収入減となるんです。どうにもこうにも、ねじくれています。

 社会のねじれが早く元にもどりますように。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「女王陛下のお気に入りアビゲイル・ヒル」

2020-05-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200526
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2020おうち映画館(8)女王陛下のお気に入りアビゲイル・ヒル

 『女王陛下のお気に入り』感想その3.

 アビゲイル・ヒル(1670-1734Abigail Masham)は、サラの従妹。
 父はロンドン商人フランシス・ヒル、母エリザベスはサラの叔母に当たります。
 父の商売はうまくいかずに没落し、アビゲイルは、サー・ジョン・リヴァースの下働き奉公に出されます。(映画ではドイツ商人に身売りされて、性奴隷のように働かされ、そのため男性との行為に嫌悪を感じているという設定)

 サラは、アビゲイルの境遇を知り、宮廷に呼びました。はじめは下働きから。
 映画では、アビゲイルは痛風に悩む女王に薬草を探してきて足に塗り、気に入られるという描写があります。

 サラがアビゲイルを自分に代わる「女王寝室係女官」にしたのも、自分以上にアンの心をつかみ支配できる人はいないと思っていたからです。
 しかし、女王はしだいにサラの支配から離れ、アビゲイルを重用するようになっていきました。
 女王のベッドで女王に快楽を与える役割をアビゲイルが担うようになっていきます。

 「唯一無二の女王のお気に入り」の座をめぐってサラとアビゲイルの丁々発止の戦いは、ゴールデンホームステイの間に見ている中国ドラマ「瓔珞(エイラク)~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~」もそうですし、再放送されているのでまた見ることにした「武則天」も顔負けのすごさ、えげつなさ。

 アビゲイルは宮廷侍従(アンの夫、王配ジョージの寝室係)のサミュエル・メイシャムと秘密裏に結婚。アンは結婚式に列席し、宮廷費から持参金を持たせる厚遇ぶりでした。従妹のサラは自領の城で暮らしていたため、この結婚を半年以上知らなかった。

 マールバラ公ジョン・チャーチルとサラ夫妻は、アンとの関係悪化によってイギリスを離れヨーロッパ各地に滞在しますが、1714年にアンが亡くなると帰郷し、イギリス貴族社会で生き残りました。
 
 アビゲイルのほうは、アンが死去すると辞任して宮廷から離れました。1734年に亡くなったあと、息子が爵位を継いだものの、息子は子孫を残さず家は断絶。
 サラのほうが、貴族社会での立ち回り方は一段上手だったとみえます。

 以上の史実は史実として、映画は、サラとアビゲイルとの「お気に入りの座」争いを「アビゲイル成り上がり物語」として描いています。
 史実と異なるところはあれど、3女優の演技合戦、宮廷内描写の美術、衣装、すべてを映画として楽しみました。

 宮廷シーンの撮影に魚眼レンズが多用されていたところは、宮廷のゆがみを表しているとして評判になった撮影技術ですが、その宮廷シーンのロケが行われたのは、ハットフィールドハウス。
 Hatfield Houseは、イングランドのハートフォードシャーにある中世のカントリー・ハウス(貴族の館)。メアリー1世やエリザベス1世らが育った城館です。

 アビゲイル(エマ・ストーン)が初めて宮廷に足を踏み入れ、サラ(レイチェル・ワイズ)と顔を合わせた廊下のシーン。サラが怒りに震えてアビゲイルに本を投げつける図書室、貴族たちがアヒルレースに興じていた白黒タイルの部屋。サラとアビゲイルが射撃をした庭もハートフォードシャーの庭園で、現在のハットフィールド公園。

 Hatfield Houseの現在の所有者は第7代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシルですが、館の維持費がかさみ、維持費用捻出のために一般公開されています。
 ロケに使用できるため、宮殿シーンが必要である映画、「英国王のスピーチ」「恋におちたシェイクスピア」などにもつかわれました。
 宮廷シーンの重厚な趣は、15世紀以来の本物の城館をロケに使ったおかげと思います。


 史実のサラは、アビゲイルに「唯一無二のお気に入り」の座を奪われたあと、アビゲイルに同性愛嗜好があることを書き残しています。
 映画では、サミュエル・メイシャム(カンバーランド公ジョージ王配の侍従寝室付き係)と結婚したアビゲイルは、新婚初夜に「はちきれそうだ」と逸る夫を手コキでいかせてすませています。

 アビゲイルにとって、結婚も性愛も、しかるべき地位をえるための道具に過ぎなかったでしょう。アビゲイル自身が快楽に身をゆだねることは、たぶんなかった。
 映画では、父の没落のために借金のカタにされ、ドイツ人金持ちの慰み者として性奉仕の日々をすごしたことがトラウマになっている、ということがほのめかされています。
 アビゲイルが快楽を感じるのは、没落した一家に爵位と財産を復活させることのみ。

 映画ではアン女王とベッドで同衾するのはサラのほうが先であり、サラが私生活も政治上の判断もアンを支配しているのも、アンをベッドでも支配しているからだ、と描かれていました。サラとアンの同衾を目撃したアビゲイルがアンの嗜好を理解し、サラに代わって同衾するようになって以後、女王の寵愛がアビゲイルに移った、という筋書きでした。

 史実では、サラはアンの居住する宮殿とは別の城、マールバラ公ジョン・チャーチルがアンから与えられたブレナム宮殿で暮らしていました。表向きはジョン・チャーチルの戦功に与えられたことになっていますが、ジョンも、アン女王からサラへの慰労金がわりであろうことはわかっていたでしょう。

 ハットフィールド城を使ったロケ。美術が重厚です。


 サラは、1744年長寿を全うして死去しました。
 サラと夫ジョンとの間には2男5女が生まれ、最初の子が夭折したほかは成人し、サラの肝いりでしかるべき貴族に嫁いだり、爵位を得たりしました。

 サラは84歳まで生きて、孫たちがそれぞれ地位を得るように取り計らって、大往生。
 サラの3女アンが、第3代サザーランド伯チャールズ・スペンサーと結婚。スペンサー家の子孫のひとりはダイアナ妃。つまり、英王室ウィリアム王子ヘンリー王子の先祖のひとりがサラに当たるわけです。

 映画のラスト。
 アン女王は、失った17人の我が子のかわりに兎を「私の子、私の赤ちゃん」と呼んでかわいがっています。兎に我が子の名をつけて自室でともに暮らしていましたが、サラは「失われた子供はアンだけのもの」と考えてうさぎには触れません。
 しかし、アビゲイルは女王の前ではうさぎをかわいがりますが、いないところでは自分のストレスを発散するかのように兎を虐待します。

 アンは、靴で兎を踏みつけ、兎の苦悶の鳴き声を楽しみます。アンが兎の悲鳴から虐待を察知するシーンで映画は終わります。アンもアビゲイルも本当には心を許し合えないでおり、幸せを感じてはいない。

 春庭の借り家では犬猫の飼育禁止だったので、兎をペットにしていました。兎は、ほんとうに繊細で心優しい動物です。兎を踏みつけるシーンは、ほんとうに踏んでいるわけではないとは思っても苦しく、アンもアビゲイルも苦しみの中に生きていると感じました。
 
 一番楽しめなかったのは、音楽の組み合わせ。中世のお城に似合うバロック風の曲が何曲も用いられている中に、突然現代音楽がかぶさる。
 アンナ・メレディスAnna Meredith - Songs for the M8のMovementⅡとⅤ

 監督のねらいはわかるが、ノイズっぽい現代音楽で違和感を出しているとしたらなんだか余計なお世話のような。
 サウンドトラックにもバッハやビバルディの音楽とともにアンナ・メレディスの曲が入っています。
 「Song for the M8」だけを聞いてみたい人は、↓youtubeでどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=tM3D4cKFaHc

 映画の感想なのに、史実調べが多くなってしまいました。が、光の効果とか画面表現など映画作劇上の評は映画の専門家が述べるでしょうから、私の感想は、「favouriteが、mostやestがついていなくても最初から最上級の単語」であるってことがわかったことにつきます。

 この映画は、私にとって「The fabourite」ではないけれど、The one of favouritesです。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「女王陛下のお気に入りサラジェニングス」

2020-05-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200524
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2020おうち映画館(6)女王陛下のお気に入りサラジェニングス

 2019にギンレイにかかった映画のうち見逃してしまった『女王陛下のお気に入り』を録画鑑賞。感想その2。

 サラは1660年、ハートフォードシャーでジェントリ(地主紳士階級・貴族ではない)のリチャード・ジェニングスの次女として生まれました。
 父リチャードがヨーク公ジェームズ(後のジェームズ2世、アン女王の父)からの厚遇を得て、1664年にサラの姉フランセスがヨーク公夫人アン・ハイド(1637-1671 アン女王の母親)の女官に取り立てられました。

 アン・ハイドは、のちの王位継承者となるふたりの娘メアリーとアンを生みましたが、ヨーク公がジェームズ2世として国王になる前に死去。
 フランセスは、父の望み通りカトリックの貴族と結婚し、「レディ」の称号を得ます。貴族の仲間入り。

 1673年には13歳になったサラ・ジェニングスが、ヨーク公の後妻メアリー・オブ・モデナ(1658-1718)の女官と働くことになりました。サラも姉フランシスのように貴族と結婚して「レディ」になろうと望み、女官の勤務に励みました。

 イタリアモデナから15歳で嫁いだメアリー。夫のヨーク公ジェームズは40歳。年の離れた夫より同じ年頃のサラと親しくなりました。 
 1675年、女官としてのマナーなどもわきまえた15歳のころ、サラはヨーク公の次女10歳のアンと出会います。
 ジェームズ2世の娘アンは母を失った少女。サラはアンより5歳年長で、アンの姉のように面倒を見て、年上の友人として過ごしました。

 アンがジョージ・オブ・デンマーク結婚すると「アン・カンバーランド公爵夫人の寝室付き女官」としてアンの身近に仕えるようになります。

 1677年、サラは没落した家のジョン・チャーチル(1650-1722)と秘密裏に結婚。
 ジョンは父ウィンストン・チャーチルと母エリザベス・ドレークの間に生まれました。没落した家を再興せんと、姉アナベラはヨーク公ジェムズ(のちにジェームズ2世)の愛妾となります。
 ジョンはヨーク公の知遇を得て、軍人として功を挙げます。ヨーク公がジェームズ2世として王位を得ると、男爵に叙せられます。

 名誉革命後、アンの姉メアリーとその夫が1689年にイングランド王ウィリアム3世・メアリー2世として即位しました。メアリー夫妻には跡継ぎがいなかったため、妹アンは後継者として力を持つようになります。
 アンの肝いりで、サラの夫ジョン・チャーチルがマールバラ伯爵を叙爵。サラは伯爵夫人の地位を得て、ますます宮廷内で力をふるうようになります。

 レディサラ役レイチェル・ワイズ


 メアリー2世は、妹アンがサラの言いなりになっていることに不安を感じ、サラを宮廷から遠ざけるよう助言しましたが、アンはサラをかばい、姉とは仲たがい。

 即位後、アンはマールバラ伯爵をさらに公爵に格上げし、レディ・サラは最高位の貴族に。
 サラの権力は絶大となり、アンの私生活からスペイン継承戦争の継続に関わる政治判断まですべてを支配するようになりました。

 アン女王とサラ


 映画ではサラはアンの宮殿内に一室を賜り、その部屋から秘密の通路を使ってアンの部屋に出入りできるように描かれていました。
 が、史実ではサラは1704年アンの即位後から自領内ですごすことが多く、アンとのやりとりは手紙が多くなります。
 アンを身近で支えるようになったのは、サラの従妹アビゲイル・ヒル(結婚後はメイシャムMasham 1670 - 1734)でした。

 史実としての18世紀貴族社会について知っておくべきことのひとつ。
 これは同時代のフランス、マリーアントワネットらの宮廷もそうでしたが、貴族の人生において、結婚と性愛と愛情はそれぞれ別のもの。王族貴族の結婚は、家名存続のため政略でなされるものであり、王族の血を残すための装置。夫にも妻にも快楽のための愛人はいるし、心を支える人もいる。マリーアントワネットにとって夫はブルボン家とハプスブルグ家存続のために必要な存在でしたが、愛情はフェルゼンとの間に育みました。

 アン女王が王配ジョージの子を17回も妊娠したことをもってジョージとの仲はよかった、と解する史家もいますが、嫌いではなかったとしても、女王夫妻が心も結ばれていたかどうかは定かではない。心の結びつきは、幼馴染のサラとの間のほうが強固な絆であったろうと思います。(ビクトリア女王は例外的に王配アルバートと恋愛結婚で、夫婦仲はむつまじく4男5女を出産)

 映画には王配ジョージはまったく出てきません。気まぐれで癇癪持ちのアンを理解してやれるのはサラだけ。そして性的快楽を与えられるのもサラだけでした。アビゲイルが「寝室付き女官」となるまでは。
 酒太りのアンは痛風のため歩くにも不自由で、宮廷内では輿で移動したと記録されています。映画でも車いすをサラが押して移動していました。

 演出上の裏話。アビゲイルがアンのベッドにいるシーンの撮影で、監督とエマ・ワトソンはその場でアビゲイルが全裸になることを決定しました。
 サラ役レイチェル・ワイズがそのシーンを目撃する、という場面。予定にないエマの全裸にほんとうにびっくりしました。サラの表情がリアルで、迫真のシーンになったのだとか。

 サラは「女王のお気に入り」の座を奪おうとするアビゲイルにいらだち、首にするようアンに迫ります。アンは「でもね。あの子の舌使いは、たまらなくいいの」と言い放ち、サラは敗北を自覚します。

 イギリスアメリカアイルランドの共同制作ですが、こんなふうに宮廷の内部を描くのが許されるって、イギリス社会もすごいなあ。
 アン女王のスチュワート家の血筋は絶えましたが、ジョン・チャーチルの子孫のひとりがウィンストン・チャーチルであることは、まあいいとして、レディ・サラの娘のひとりはスペンサー伯爵家に嫁ぎ、子孫のひとりはダイアナ妃です。つまり、現在の王室のウィリアム王子やその子供たち、ヘンリー王子もサラの子孫です。

 もし、日本で皇室につながる歴史的人物をこのように描いたら、ウヨに襲われちゃうんじゃないかしら。
 大河ドラマで『江』をやるとき、どんな描かれ方をしようと、江に都合の悪いエピソードは描かれないだろうと予測しました。
 江が豊臣秀吉の甥っ子と結婚したとき生んだ娘は、姉の淀殿の養女として九条家に嫁ぎ、九条節子(大正天皇と結婚した貞明皇后)まで続いています。つまり、昭和天皇以下現在の皇族はみな「江」の血をひいている。下手なことシナリオにできないだろうと思いました。江は元気はつらつのいい人に描かれていましたから、ウヨ問題はおきませんでしたけどね。

 現代の「お気に入り争い」が100年後くらいになんらかの作品になるとしたら、どんなふうに描かれるでしょうか。毎回の組閣で、女性大臣枠の椅子はひとつかふたつ。女性議員たち熾烈な椅子取りゲームをしているんだろうなあと思いますが、アン女王宮廷ほどの華麗な争いの場面は思い浮かびません。しょぼいコメディにはなるのでしょうが、ちょいと小粒です。

<つづく>
 次回「女王陛下のお気に入りアビゲイル・ヒル」
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ぽかぽか春庭「女王陛下のお気に入りアン・スチュワート」

2020-05-23 00:00:01 | エッセイ、コラム


20200523
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2020おうち映画館(6)女王陛下のお気に入りアン・スチュワート

 2020ゴールデンホームステイ。おうち映画館でぐうたら鑑賞生活。
 2019にギンレイにかかった映画のうち見逃してしまった『女王陛下のお気に入り』を録画鑑賞。

 『女王陛下のお気に入り』は、2018年の作品。2019年のアカデミー賞で最多9部門10賞のノミネートを受けました。
 主演女優賞受賞はオリヴィア・コールマン(アン女王役)。女王をめぐって熾烈な戦いを繰り広げるレディサラ役レイチェル・ワイズとサラの従妹アビゲイル役エマ・ストーンが、ひとつの映画でふたりの助演女優賞にノミネートされ、3者の演技合戦はほんとうにすごくて女王をめぐる女官の地位争いが迫力いっぱいに画面に繰り広げられました。

 監督ヨルゴス・ランティモス  脚本デボラ・デイヴィス トニー・マクナマラ 撮影ロビー・ライアン ほか、美術賞衣装デザイン賞編集賞もノミネートされました。
 
 まず、原題を解題。イギリススペル「favourite」米語スペル「favorite」。
 形容詞用法「最もお気に入りの・一番好きな」
 語彙そのものが最上級なので、mostをつけたりfavouritistと最上級にすることはできません。
 名詞用法「一番好きな人・最もお気に入りのもの」

 唯一無二の存在が「The favourite」なのです。ですから、「女王陛下のお気に入り」という日本語タイトルは、意味合いが違ってきます。日本語の「お気に入り」は、いくつあってもいいようなイメージになります。
 サウンドオブミュージックの「わたしのお気に入りMy Favorite Things」は、thingが複数になっています。favouriteを複数にするなら「The one of my favorites」

 映画タイトルの「The favourite」が「唯一無二の、たったひとりのお気に入り」という題名であることは、映画全体の流れを表しています。たったひとりのお気に入りの座をめぐる女官ふたりの攻防が画面からバシバシと火花になって散ります。

 チューダー朝最後のイングランド君主エリザベス一世と争った、スコットランド女王メアリー・スチュアートのひいひい孫にあたるのが、この映画の主役アン女王です。(メアリー女王―ジェームズ1世ーチャールズ1世ージェームズ2世ーアン)

 イングランドスコットランドが合併した王国の最初の君主はメアリーの息子ジェームズ1
世。メアリー女王を高祖母に持つのがアン女王でスチュアート朝の最後の女王でもあります。
 
 アン・スチュアート(1665 - 1714 在位1702 - 1707)
 史実でのアンは。
 1665年、ヨーク公ジェームズ(後のジェームズ2世)と最初の妃でクラレンドン伯爵エドワード・ハイドの娘アン・ハイドの次女として生まれました。長女はアンの前代の君主であるメアリー2世。

 18歳の時、1683年デンマーク王子ヨウエン(英語名ジョージ・オブ・デンマーク)と結婚しました。ジョージは、デンマーク・ノルウェー王フレデリク3世の次男。兄は父を継いでデンマーク王となったクリスティアン5世。
 アンと結婚後、ジョージは1689年にカンバーランド公に叙されているので、女王戴冠前、アンはカンバーランド公爵夫人でした。後にマールバラ公ジョン・チャーチル夫人となるサラ・ジェニングスは、少女時代からの親友。アンを最も理解し、支え続けた人です。

 アンは結婚以来毎年のように妊娠しましたが、そのほとんどは流産か死産。死産を乗り越えた王女は天然痘で病死。ようやく育ったウイリアム王子は生まれつきの水頭症(脳脊髄液=髄液の循環障害)で、11歳のとき猩紅熱で病死。17回の妊娠で成人した子供はいませんでした。
 
 アンは、APS:Antiphospholipid Syndrome患者だったろうと考えられています。血中に抗リン脂質抗体とよばれる 自己抗体 が存在し、さまざまな部位の動脈 血栓症 や静脈血栓症、習慣流産などの妊娠合併症をきたす疾患を抱えていたのだろうと思われます。当時は治療法もありませんでした。

 1702年に王位についたときは、17人の子を失った母であり、ブランデー深酒で悲しみを忘れようとした女性でした。

 以下、ネタバレを含む映画の紹介と感想です。

 映画の中のアン女王は、気まぐれで怒りっぽく、思いのままにことが運ばないとパニック症状を起こす。失った子供のかわりとして部屋にうさぎを飼っていて、アンソフィアとか、ウィリアムとか、死んだ子供たちの名前で呼んでいます。

 APS症候群による代謝異常、ブランデーの飲みすぎなどで太っており、足に痛風が出て歩くこともままならないアン女王。
 
 史実でも、王配ジョージは何を言われても「ほんとなの?」と答えるだけの優柔不断のおとなしい性格だったと言われており、映画にはまったく登場しません。
 ふがいない夫のかわりに、政治面でアンの助言者となったのは幼馴染のサラ。
 サラ・ジェニングス(1660-1744)は、私生活でも議会での演説や政治決定などにも、アンの腹心となり活躍しました。

 議会で演説するアン女王。スピーチライターはサラ。戦争続行か停戦か判断するのもサラ。


 アベノマスク政権の「お気に入り」だった黒川検事総長。彼の定年延長を正当化するために定年延長法案をごり押してきたのに、肝心の黒川氏、法の番人でありながら、お気に入りの新聞記者と毎週かけマージャン(違法!)に興じていたことが発覚。辞任が承認されました。
 「法を守ってヤミ米を買わず餓死する法律家」が今どきいないことはわかっているけれど、かけマージャンが違法であることは法にうとい私でも知っています。すぐに辞任が認められた黒川氏の今後の身の振り方、注目です。モリカケ問題で政府の「不都合な真実隠ぺい」に協力した官僚は、みな出世していますからね。
 「権力者のお気に入り」への目を光らせていたい、ひきこもり。

<つづく>
次回 「女王陛下のお気に入りサラ・ジェニングス」 
次次回「女王陛下のお気に入りアビゲイル・ヒル」
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ぽかぽか春庭「瓔珞えいらくの史実」

2020-05-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200521
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020二十重日記ゴールデンホームステイリポート(5)瓔珞えいらくの史実
 
 テレビばっかり生活。
 2018年に中国で大人気だったという『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~ 』原題「延禧攻略」を見ています。中国の「大奥もの」。清王朝の宮廷を舞台にした女たちの闘争がすごい。
 中国当局は、華美な描写や欲望渦巻く宮廷闘争が社会主義的価値観に悪影響を及ぼすとして批判し、テレビ放送が中止に追い込まれるという社会現象まで引き起こしたそうです。

 清朝最盛期、乾隆帝の宮廷を舞台に、皇后妃嬪入り乱れての闘争劇。毒殺あり絞殺あり、すごいです。
 おもしろいのは、同じ乾隆帝の宮廷をモデルにしたドラマが、相次いで2つ制作され、登場人物がほぼ同じであるにもかかわらず、主人公と悪役が入れ替わっていること。
 『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』でヒロインは瓔珞ですから、彼女は頭がよく、負けず嫌いな女性。瓔珞を引き上げる富察皇后は穏やかな性格の女性で、皇帝からの信頼も厚い。
 ところが、同じ乾隆帝を舞台にした『如懿伝(にょいでん)~紫禁城に散る宿命の王妃~』では、乾隆帝2番目の皇后になったのに、廃后の憂き目にあった嫻妃(かんひ那拉氏)が主人公なので、富察皇后や、その配下の宮女魏氏はヒロインをいびる悪役です。

 宮廷の争いは記録に残らないけれど、妃嬪のだれが皇帝の夜伽に召されて、いつだれが子を産んだかは、朝廷の記録に詳しい。
 魏佳氏(1727-1775孝儀純皇后)は、乾隆帝の子を6人(2女4男)生み、歴代王朝の妃嬪の中では最も多産。永琰(えいえん)が6代嘉慶帝となったこともあり、乾隆帝の寵愛がもっとも篤かったとされています。魏佳氏が生んだ子のうち成人したのは2女2男ですが、宮廷にあっては存名率が高い。
 七女:固倫和静公主、十四男:永璐(夭逝)、九女:和碩和恪公主、十五男:永琰(嘉慶帝)、十六男(夭逝)、十七男:慶親王永璘

 乾隆帝の数多くの妃嬪の中で、次代7代皇帝嘉慶帝を生んだ魏佳氏がモデルとなっている「瓔珞(えいらく・ヨンルー)」の史実は。
 姓は魏佳氏、名前は記録されておらず、ドラマの中の「瓔珞」は創作です。
 魏佳氏は生前は皇貴妃が最高位で、息子が皇帝になってから皇后位を追贈されました。
 側女になったときの位は低かったと思われますが、順調に、貴人→嬪→妃→貴妃→皇貴妃→追贈皇后と、位を挙げていきました。 

 皇后の衣服を着て描かれた姿は、死後描かれた肖像画です。
 孝儀純皇后 朝服像


 宮廷内の嬰児、たいていは夭逝してしまい、成人する男子は少ない。
 最初の皇后富察氏が生んだ子のうち、生き残ったのは固倫和敬公主のみ。長女(夭逝)二男の端慧皇太子永璉(夭逝)七男の哲親王永琮(夭逝)に早死にされ、寂しい皇后であったことが「瓔珞」にも描かれていました。

 乾隆帝の后妃は、正式に氏が記録されているだけでも19名。生まれた子のうち、ある年齢まで存命したのは男子13名女子10名ということですが、実際には生まれた子の多くが死産または夭逝しています。近代医学発達前は、乳幼児生存率が低かったのは、今とは比較にならないくらいですが、さらに宮中では、それだけではなく、乳児養育に問題がありました。

 日本の大奥史。
 第10代将軍徳川家治の嫡子家基が18歳で急死したあと跡継ぎがいなくなり、一橋家から入った家斉(1773-1779)が11代将軍になります。家斉は子福者で、側室に53人の子を産ませましたが、そのうち成人できたのは半数の28人、男子で20歳をこえて生存したのは4名。4名の中、将軍を引き継いだのは家慶ですが、家慶の子27人のうち20歳以上まで生き残った男子は、13代将軍となった家定だけ。家定(御台所は篤姫)は、虚弱で身体に障害がありました。直系なし。14代15代は後継問題でもめた末、将軍家衰亡へと向かう。

 なぜ、大奥の嬰児致死率が高かったのか。大奥では、乳母の身だしなみとして、乳房に鉛を含むおしろいを塗って授乳していたといわれています。赤子の口におしろいが入ってしまうことも当然で、鉛毒が乳児に影響するのは必須。将軍家衰亡の原因は乳母のおしろいだ、とも言えます。
 明治宮廷でも同じ。明治帝の側室が生んだ15人の子(男5女10)のうち、男子で成人したのは虚弱な明宮(大正天皇)のみ。

 大正天皇と結婚した九条節子(さだこ貞明皇后)は、農家に里子に出されて田舎でのびのび育ち、健康体を見込まれて宮廷に入ったこともあり、伝統の宮中乳母「身だしなみ」を廃止したのではないかと思います。皇后所生の男子4人とも無事成人し、あととり長男は87歳、末子三笠宮は101歳の長命。
 ちなみに皇后から跡継ぎ天皇が生まれたのは400年ぶりのことで、江戸時代の徳川和子(二代将軍秀忠娘)から生まれた明正女帝以来のこと。
 第124,125,126代(今上天皇)と、3代続けて皇后所生の跡継ぎが生まれたのは、異例のこと。

 清朝宮廷でも、ライバルの子を消すために毒を盛るなどは日常茶飯事。
 ドラマの中では、懐妊中の側室がライバル貴妃から贈られた漢方薬の枇杷膏を飲んで体調を崩すエピソードがありました。成分は確かに枇杷なので、正式な枇杷膏には違いなかったのですが、かしこい瓔珞が「若葉や未熟な実を使って枇杷膏を作ると、未熟な枇杷に含まれている毒がわずかに残る」ということを見破る、というシーンがあり、貴妃は瓔珞を目の敵にするようになりました。

 実在の魏佳氏は、子の育成に細心の注意をはらったのだろうと思います。
 魏佳氏の父魏清泰は下級官吏であり、魏佳は秀女(皇帝妃嬪候補)として宮中に入れる身分ではありませんでした。まず、下働きの宮女となり、皇后の侍女に取り立てられます。そこから皇帝の側女となってのし上がっていきました。

 実在の魏佳、孝儀純皇后(追贈称号)の姿が残されています。
 乾隆帝の第15子、後の嘉慶帝の幼年時代(永琰えいえん)の姿と、母親魏佳氏を描いた宮廷絵画。サインはありませんが、画風から清朝に仕えた西洋画家の郎世寧(カスティリオーネ)と推測されています。



 ジュゼッペ・カスティリオーネ(Giuseppe Castiglione1688-1766郎世寧)は、イタリアのミラノ生まれのイエズス会の宣教師。清朝の宮廷画家となり、乾隆帝によるキリスト教禁令が出された後も、画家、庭園設計などのために宮廷に残りました。康熙帝、雍正帝、乾隆帝に仕え、西洋画の技法を中国に伝え中国人画家を育てました。

 父乾隆帝、幼いころの永琰(のちの7代嘉慶帝)、母皇貴妃魏佳氏のスリーショット肖像。
 元の絵を描いたのは、カスティリオーネの工房でしょうが、↓の絵はのちの時代に描かれたのかどうか、私にはわかりません。上の「母と永琰」の幼いころの永琰の姿がそっくりそのまま使われているので、寄せ集めで3人の姿を描いたのではないかと思われます。
 

 2017年に見ていた中国宮廷ドラマ『武則天』の再放送もあり、もう一度見ています。唐時代、武周の女帝となった武氏が主人公。
 ドラマの中の武媚娘(ぶびじょう・ウーメイニャン)の髪を飾る「つまみかんざし」について書いたコラムが、2017年以来春庭ブログの人気記事になっているので、もう一度見てみようかと。

 魏瓔珞の宮廷でののし上がり方法、頭のよさと気の強さは武媚娘といい勝負ですが、女帝までのし上がる武氏のほうがスケールがでかい。魏佳氏は、息子が皇帝になったときに皇后位を追贈されましたが、生きている間は皇后にはなれなかった。皇后内定者の称号である皇貴妃で終わりました。皇后がいない場合に、皇后に次ぐ位の皇貴妃が宮廷内宮を総べるのですが、国全体を統治した武則天の能力の高さは、中国4千年の歴史の中でも随一の存在だと思います。

 それにしても、すんごい女たちの、やられたら3倍返しの闘争をみていると、わいろにも詐欺にもかかわらないクリーンライフを貫いてきた我らが庶民の暮らし、単純な生活だったなあと思います。ささやかで平凡だけれど、その分、人を陥れることも苦しめることもなかったのだから、蟻んこを踏みつぶさなかったくらいでお釈迦様に許してもらえるのなら、極楽往生もまちがいなし。

 外出自粛と言われれば、食料買い出しも減らし、家でテレビ見てすごす日々。
 「孝儀純皇后 朝服像」をさがすためのネットサーフィンで、あっちにひっかかりこっちで熟読し、で、一日かけて一枚の画像を探すなど、まあ、自宅蟄居の間だからできるゆったりした時間の使いかた。掃除や片付け仕事とか、嫌いな家事はしないんです。やるべきこととはわかっちゃいるが。
 
 中国宮廷の女たちの争いの次は、大英帝国アン女王宮廷の女の争い「女王陛下のお気に入り」。洋の東西を問わず、宮廷の寵愛争いは、はたから見物するには面白い見ものです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「TVウォッチャーのクリーンライフ」

2020-05-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200519
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ゴールデンホームステイリポート(4)TVウォッチャーのクリーンライフ

 ゴールデンウイーク中は、さすがに仕事する気にもなれず、家でグダグダすごしました。ぐだぐだの大半は、パソコンしながらの、テレビ視聴。踏み台上がったり降りたりしながらテレビ視聴。どちらにせよ、テレビばっかり。ワイドショーのコロナニュースなど、ザッピングしていてもどこも同じようなものばかり。

 歴史ものが好きなので、NHKの大河ドラマを毎週見ていますが、史実との落差を知ってあれこれ言い合うのもお楽しみのひとつ。明智光秀の若いころの史実、ほとんど資料がないので、書きたい放題ですが、将軍となると記録がある。第13代室町将軍の足利義輝がはじめて画面に登場して光秀とすれ違うシーン。年号を突き合わせるとこのとき義輝は12歳か13歳とかで、向井理が演じているのを見て、「どうもこの将軍は13歳には思えない」と言い合いながらも、向井理の将軍っぷりはなかなかよいと思ったり。

 明智城落城の場面。光秀の叔父は、息子左馬之助を落ち延びていく光秀に託し、城とともに果てます。西村まさ彦渾身の演技。涙。
 しかし、後年左馬之助が光秀の娘と結婚したことが資料に残されているので、逆算すると、明智城落城の際は12歳くらい。間宮祥太郎も12歳には見えない。

 戦国武将ファンにはおなじみの「明智左馬之助の湖水渡り」光秀が打ち取られた後、坂本城に残る妻子のもとへ騎乗のまま琵琶湖を渡ったという伝説が残り、大津湖畔には記念碑までたっています。


 伝説によって記念碑が立つのも、まあいいか。小野小町筆洗いの記念碑もあれば、新宿ではゴジラが吠えている。
 そもそも左馬之助が光秀の従弟である設定からして、確かではなく、左馬之助は明智の娘と結婚する前の姓は三宅だったという説もあり。
 しかも、光秀自身が明智家の出身であるかどうか、資料では不確かで、ただの流れ者が、仕官の際に、衰亡しているのをいいことに、土岐明智家の出身だと吹聴していたという説があり、史料で確認できる若いころの光秀の確実な記録はほどんどない。だから、どうとでも書ける。
 秀吉も「宮中つとめをしていた母に天皇のお手がつき、田舎に帰って生んだのが私」てな出自譚を言い出すくらいだから、成り上がりの武将たち、出生を飾るのはみな同じ。平清盛だって、白河院落胤説利用していたし。

 明智光秀の時代には、しかるべき家系を持っていない武将は、戦陣で大功をたてても、都の貴族たちからは「番犬」程度の扱いだったのですから、買ってでも家系図を作り上げようとするのもわかる。
 遊行僧と伝えられる徳阿弥が松平氏の婿となり、家康の代に徳川氏を創設。その際に近衛前久が「清和源氏系河内源氏義国流得川氏」が家康の家系だとして文書を作って家康を「源氏」の子孫ということに仕立てました。(天皇は疑ったらしいが、経済は天下人に依存しているので、何も言えぬ)
 源氏だから晴れて家康は征夷大将軍に。氏素性、大事だった。
 ちなみに、今期大河ドラマで近衛前久演じるのは、本郷奏多。武術が好きで武士になりたかったというお公家さんをどのように表現するのか、楽しみ。奏くん、これまでは線が細い役柄が多かったのだけれど。

 線細々と、権力争いにもわいろにも詐欺にも関わらないクリーンライフのわが家系。氏素性なし。
 クリーンばっかだと金持ちにもなれないし、権力者にもなれなかったけど、ま、いいか。
 マスク転売で儲ける知恵も働かず。

 マスク、中国の友達が心配して送ってくれたし、妹の手作りマスクもあるし、まだ足りなくて困るということがなかったのですが、5月17日日、イオン系スーパーで牛乳を買って、ソーシャルディスタンス間隔でレジに並ぼうとしたら、ふと目に入ったマスク。7枚入り1パック320円で売っていました。そうバカ高くもない。私が去年まで買ってきた10枚入り300円よりは高いけれど、購入。アベノマスク届いたけれど、見た目にもちっちゃそうで、このでかい顔につけると、よけいに顔大きく見えそうなので、まだ使っていません。

 緊急事態宣言の終結も近いので、マスク需要も落ち着いてくると見越しての販売なのでしょう。実はイオン、マスクをこれまでため込んでいたんじゃないかとにらんでいます。在庫はあったけれど、いちばんの売り時を見計らっていたのでしょう。まあ、商売人というのはそういうもんなんでしょうな。
 設ける人はこんな時でも儲けている。

 こんな時ですが、人々の力を評価したいことがひとつありました。アベノマスク政権コロナ混乱に乗じてなのか、ごり押しして成立をもくろんでいた「検察官定年延長」の法案、反対者続出で、元検察官まで反対声明を出すに至って、今期の国会での法案成立を断念。この問題は、今後もっともっと議論していくべきだと思います。
 行政府が司法を恣意的にコントロールできるようにする法案が司法の独立を損ねることは、足りないおつむの私でもわかる。
 人々の声を無視してごり押しできないと判断した政権、落日の始まりか。

 こんな時代もあったねと、あとで思えるように、いまは引きこもり。
 東京都の新規感染者集も少なくなってきました。自粛解除間近か。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「アカザ、グリーンライフ」

2020-05-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
22200519
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2020二十重日記ゴールデンステイホームリポート(3)アカザ、グリーンライフ

 コロナの影響で2020世界大会が中止になったため、スポーツ番組で2019フィギュアスケート世界大会の全種目録画が放映されました。私は2019年世界大会の女子ショート女子フリーとエキシビションをさいたまアリーナで生観戦したのですが、男子はテレビ観戦だけ。ユズ出演の世界大会でしたから、チケットまったくとれず。

 地上波放映では下位グループの放映はなかったので、テレビ録画で男子全選手の演技を振り返ることができました。まあ、それでも2020世界選手権をみたかったというのが本音ですが。
楽しみにしていたフィギュアスケート世界大会も中止。

 横浜のアイスショーも中止。ユズ君出演とあって、チケット争奪戦がすごかったけれど、よい席がとれて大喜びしていました。全日本のエキシビションで生ユズ君を見て優美な滑りに感激したけれど、2階席からだったので、顔の表情までは見えなかった。今回こそと楽しみにしていたのですが中止になりました。
 NHK杯の記録「羽生結弦10年の軌跡NHK杯フィギュアスケート大会」も録画してみました。
 録画の映画とフィギュアスケート。こりゃ運動不足になるわな。

 テレビ体操などしていたのですが、数日体操をサボって、テレビを見続けた結果、久しぶりに腰痛が出ました。持病のひとつで日ごろ気を付けていたのですが、家にばかりいると動きが鈍くなっていたのは事実。
 寝返りをうつにも「痛いいたい」と心で叫びながらの動作。コロナ腰痛と名付けました。
 腰痛がでると、体にゆがみが出るせいで、肩の痛みも膝の痛みもでる。運動不足は全身に影響。
 テレビ見ながら、くねくね体操、がにがに体操、超ラジオ体操などをやっていますが、気分爽快とはならず、腰の痛みもよくならず。

 ジャズダンス仲間のミサイルママからは、「コロナこわいから夫婦二人ともアルバイトの仕事をやめ、近所の公園を仲良く散歩している」と電話がありました。
 緊急事態宣言おわるまでは、ジャズダンス練習場の文化センターは閉鎖のままです。
 早く外を自由に散歩したり美術館を歩き回ったりしたいです。

 ゴールデンホームステイ期間にやったこと、テレビ見るほか、第一番はたい肥作り。
 花屋で腐葉土を買い、米屋でヌカを買って、鉢の土と混ぜて野菜くずを入れました。3ヶ月でよい土になると家庭菜園の本には書いてありましたが、ま初めて一ヶ月半ですから先は遠い。

 戦時自給自足生活の2番目は、近所の空き地に生えた藜(あかざ)摘み。子供の頃ほうれん草のお浸しなんぞよりずっと好きだったあかざ。田舎ではどこにでも生えている雑草だったのに、東京にはあかざが生える空き地など見当たらないから、めったに手に入らなくなった。

 古屋を取り壊して新築工事が始まる予定だった土地。コロナの影響なのか、工事開始が遅れたらしく、一面にあかざが生えた。東京の人はこれが食べられる野草とは知らないみたいで、摘み放題。根を残して摘み取れば新しい葉が出るし、土地の持ち主も「ここのあかざは私の物,
取るべからず」なんてことは言わないから、袋いっぱい摘みました。

 スーパーの青菜と違って何度も洗って土汚れをとらなければならないし、手間はかかったけれど、やっぱりほうれん草や小松菜なんかよりずっと私には好みの味。
 5月2日夜は、買い置きのジャガイモや玉ねぎで作れるカレーと藜とブロッコリーサラダ。

 5月1日から7日まで買い物にも出ず、手に入れたのは近所の空き地で摘み取ったアカザのみ。6日にはさすがに食料はなにもなくなり、乾燥わかめと乾燥野菜を戻して味噌汁を作り、小麦粉すいとんを汁に入れて食べました。アカザのおひたしも終わってしまい、野菜不足になるかも。
 すいとんと野草。テレビのドラマで見た戦時中のような暮らし。もちろん本当の戦時中戦争直後の食糧事情とは異なり、家を出てスーパーへ行けば、うちの近所のスーパーには食料は十分に売られています。

 5月7日の朝、アカザの空き地に大きな重機が入り、地面をならしていきました。緊急事態自粛、当初、外出自粛は6日まで、ということになっていたので、世間は動き出したようで、午前中には重機は仕事を終えて次の場所に移動していきました。見ると、アカザはもう一本もなし。ああ、今朝早くもう一回摘んでおけばよかった、と後悔あとに立たず。6日水曜日夜は雷鳴響く雨が降ったので、地面が少し乾いてからアカザをもう一度摘もうと思ったのが出遅れの原因。残念、と言っても自分のものでもなし、他人の土地に生えたアカザですから、なくなっても仕方なし。

 庭に咲くつつじ
 

 たい肥作りからはじまった、私のグリーンライフ。青菜やプチトマトの収穫を得るまでには道は遠いですが、がんばります。
 グリーンへの道、はるか。古本屋で買った「家庭でつくる健康野菜」など眺めてすごしています。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「母の日」

2020-05-16 00:00:01 | エッセイ、コラム


20200516
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020ゴールデンホームステイリポート(2)母の日

 自粛自粛自宅蟄居。ゴールデンステイホームということで、買い物も、4月下旬は、25日土曜日と30日木曜日2回だけ。もともとまとめ買いだったので、買い物の回数制限に不満不自由はないのですが、スーパーや八百屋のほかに出かける先がない生活に、少々疲れ気味。

 家で日本語学校夏期講習のための「日本文化」研修用の教材PPTを作ったり。
 運動不足で、腰が痛い、膝が痛い、肩も痛くなりました。テレビ体操の時間にはいっしょに「みんなの体操」とか「腰ゆらゆら体操」「踏み台登ったり下りたり」などをしていましたが、なんだか気が重い。コロナ鬱というのでしょうか、家を出る気にならなくなって、引きこもっていました。

 さすがに5月7日には、乾燥野菜も缶詰もカップ麺も食べつくし、5月8日に娘と買い物へ。あれもない、これもないと買い込んだら大量になり、スーパーの配送サービスを頼みました。

 帰宅すると、娘は、「母、そっちの椅子に座って後ろ向いてて」という後ろを向いていると、大きな箱を持ってきて「開けて!」と。
 大きな箱の中からは「Happy Mother's Day」と書いてあるハート型の風船が出てきました。
風船のほかに、バラとカーネーションの花籠とお菓子と日傘。



 どれも私の好きなもの、私に必要なもの。
 以前の娘のプレゼントである日傘がうまく開かなくなってしまった、と言っていたのですが、「傘直し」に出そうと思いながら修理に出していませんでした。日本は修理代のほうが買うより高い。娘が同じ傘を買いなおしてくれました。

 娘は、「引きこもりの毎日だったけれど、どんな花を注文しようかとか、お菓子は何にしようかとか考えている間は楽しかったから、贈り物を選ぶ時間って貴重なんだってわかった」と、言います。だれかに喜んでもらおうと思うことは、自分もうれしいこと。だれかにありがとうと言ってもらえるのは、自分も感謝したくなる経験。

 自営業などで収入がなくなった人、職を失った人に比べれば、収入は6割になったものの、仕事を失ったわけではない私はまだいいのだと思いつつ、年金で暮らせない老母はこの先もがんばって働き続けます。



<つづく>
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ぽかぽか春庭「ピースブック」

2020-05-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200514
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020ゴールデンホームステイリポート(1)ピースブック

 ゴールデンホームステイ。家から一歩も出ずに1日から1週間ひきこもりをつづけましたから、テレビで映画録画をみるほか、たいしてやることもない。家事はやりたくないし休日だから、仕事をするのもなあ。
 パロディ遊びに興じました。笑えないパロディかもしれませんが、春庭作「ピースブック」

 兵庫県で自粛要請に抗して営業を続けたパチンコ店のニュースを見たとき、娘に「こういう同調圧力にめげない経営者は、ニッポンムラ社会とは異なるコミュニティに属している人だと思うよ」と話しました。
 思った通り、経営者は在日事業家で、自動車学校ほかの事業を手広く展開している方みたいでした。

 政府の自粛要請に従わない抵抗力を持っている人は、ムラ社会とは違うコミュニティを形成している人だろうと思ってしまうのも、私の中のムラ社会住人としての無意識の現れかもしれないと感じました。
 差別する意識は持っていないと思ってきましたが、「自分とは抵抗の方法が異なるなあ」と感じてしまうこと自体が、内なる差別なのかもしれません。

 自粛要請無視がいい、と言っているんじゃないです。
 自粛と言われれば、合点承知と買い物にも行かずひきこもる自分の良い子ぶりに飽き飽きしてきたので、パチンコスゲェと思った次第。
 私なぞ、マスク忘れてスーパーに行って白い目で睨まれるさえ恐ろしい、と感じる情けない気の弱さ。ええ、ええ、欲しがりません勝つまでは。

 緊急事態宣言が5月末まで延期されました。東京や大阪ではまだ営業自粛が続いているはずですが、さっそく営業再開のパチンコ店がでました。
 パチンコ依存症者は禁断症状にあえぐ。他の都府県へも、なにがなんでも出張ってチンジャラ。

 パチンコ営業案内ガイドブックは、「ピースブック」と名付けるのは如何。
 えへへ、兵庫でパチンコ営業を続けた経営元会社の名前を称揚して、、、、、平和な産業。(ネット住人は、すぐに調べて報告する。こわいね)

 平和な産業を揶揄する気はないのだけれど、大きな事業を展開する金持ちへのひがみと言っておきましょう。
 コロナ時代にお金持ちにやってほしいこと。元ZOZO前澤友作氏、シングルペアレント1万人に10万円給付することを発表。1000人に100万円くばるよりずっとよいとおもいます。
 他のお金持ちも、それぞれの活動をしてほしい。

 ピースブック2020年版


 パチンコはgambleとは違うから、違法な賭博ではありません。脱法ギャンブルです。だからganbleなんです。
 というのは屁理屈です。スペルをまともに覚えていない英語苦手HALは、gambleをganbleとつづってしまったことに気付かずピースブックを作成してしまいました。訂正するのもめんどくさいから直さずこのままUP。

 Deerみなさまにおかれましては、春庭の英語知らずをお責めになりませんよう。春庭はDeer& hose。おっとhorseでした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「グリーンブック、ピーター・ファレリーの笑い」

2020-05-12 00:00:01 | エッセイ、コラム


20200512
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2020おうち映画館(4)グリーンブック、ピーター・ファレリーの笑い

 春庭が「グリーンブック」の紹介をしたら、アイデンティティ危機だのディグニティだのと、小理屈の並んだ面白くともなんともないものになってしまい、う~ん、やはり映画は映画見巧者が語らないとまずいなあ、と反省しきり。

 「グリーンブック」は、とても楽しい笑える映画です。監督は第一にこれまで作ってきたコメディ映画の作劇法で観客を楽しませようと考えたのだと思います。

 監督ピーター・ファレリー(1956~ Peter Farrelly)は、弟ボビーと共にファレリー兄弟として『ジム・キャリーはMr.ダマー』、『愛しのローズマリー』、『ふたりの男とひとりの女』、『メリーに首ったけ』、『ライラにお手あげ』といったコメディ映画を製作してきました。

 ところが、春庭はこれらのファレリー兄弟の映画を見ていません。今回はじめて「グリーンブック」を見て大いに笑い、楽しい2時間を過ごしたのですが、感想を述べるとなるとまず第一にこの映画が伝えようとしたことを取り出そうとしてしまいました。

 今回は、ピーター・ファレリーが監督として第一に目指したであろう、「笑い、コメディ」について感想を言いたいのですが、これまたすごく小理屈に満ちていますので、あしからず。
 これは子どものころから「屁理屈の春、小理屈の小春」と呼ばれてきたものが、70歳になって変わらないので、仕方なし。トニーリップがガキのころから口先小回り利く子供でリップと呼ばれていたのと一緒。

 さて、ファレリー笑いの分析の元ネタは、パソコンしながらザッピングしていて目が止まった放送大学のテレビ授業「 笑いの哲学 ~コントで分析~」です。
 講師森下伸也(日本笑い学会会長・関西大学人間健康学部教授)。コント実演は、ななめ45°のトリオ。コント「取り調べ」「ホームにて」「家庭教師」「父と息子の再会」を通じて、笑いの構造を分析しました。笑いの分析はともかく、コントがおかしくて、げらげら割っているうち番組は終わってしまいました。
 先生は、ななめ45°のコントがどうして笑えるか、その要素を分析していました。

 笑いを作る要素とは。「図式のずれ」「見立て」「図地反転」「二元結合」「反実仮想」「パロディ」など。これを組み合わせて「笑い」が生まれます。
 
 「見立て」とは、ある行為現象をほかのものになぞらえること。ななめ45°のコントでは、男と妻と愛人という三角関係になぞらえて、学生と学校の数学教師と家庭教師という三角関係に置き換えて笑いを生み出しました。
 コントや漫才の中の「図式のずれ」は、「ことばのずれ」として表現されることが多い。簡単にいうと、駄洒落、語呂合わせ。漫才などではことばを言い間違えるボケとそれを追求するツッコミの掛け合いが笑いを生みます。 

 「二元結合」偶然にふたつのものが結合します。ななめ45°のコント「父と息子の再会」では、20年前に妻子を捨てて家を出ていった父親が偶然喫茶店で息子と出会います。息子は妻子を捨てた父を非難します。ところが、喫茶店の老店主は、40年前に子どものころの父を捨てた祖父であることが判明し、ややこしい関係の中に笑いが盛り込まれます。

 コント「ホーム」では。
 ゴルフクラブに見立てた傘を駅のホームで振る男に、指南役が「傘ゴルフキャディ」を連れて現れます。キャディが持つ傘ゴルフバッグにはいろんな傘が入っており、「ゴルフパット」と「傘」のずれで笑いをとります。これは「もしほんとにこんなことがあったら」という「反実仮想」の笑いでもあります。

 図地反転は、ひとつの図が見方によって、違うふたつのものに見えること。一番有名な図地反転はルビンの壺。↓の図の白いところを見ると壺に見えます。でも黒い部分を見れば、横向きのふたりの人物が向かい合っている図になります。


 森下先生のだした日本語の笑い話の例でいえば、息子からの「カネオクレタノム」という電報文を、父親は「金遅れた、飲む」と解し、送金が遅れたことに腹を立てて飲み歩いているのかと心配し、母親は「金送れ頼む」と思います。読み方によって、どちらの解釈も可能です。

 「グリーンブック」では、まず、黒人運転手と白人高齢女性との交流を描いた「ドライビングミスデージー」のズラシがあります。運転手が白人で、金持ちの雇い主が黒人という設定は、パロディともいえますが、単なるパロディではない。黒人シャーリーには、家族がおらず孤独、自分の存在価値が白人の聴衆によって成り立っているという、存在証明に悩んでいます。
 このふたりの偶然の結合(二元結合)が笑いを生み出すのです。

 最初のナイトクラブシーンで、トニーは腕っぷしは強いが、客の帽子を隠しておいて取り出し、ひと稼ぎするちっちゃくこすい男として描かれます。イタリア人移民の家シーンでは、息子ふたりを愛しているけれど、家に来た黒人作業員が口をつけたコップをゴミ箱に捨てるような差別意識を持つ男。シャーリーから見ると人間的品位のかけらもない。

 シャーリーとの面接シーンでは「黒人に偏見はない。この前も女房と家に来た黒人をもてなした」とぬけぬけと言う。このあたりも嘘ではないけれど「ずれ」を使った言い回し。

 旅に出たトニーとシャーリー、はじめは、ぎくしゃくとしています。
 トニーの軍隊時代に友達が言っていた、ピッツバーグを「ティッツバーグ(巨乳の町)」という言い間違いジョークに、シャーリーはまじめな顔で「ピッツバーグの女性がみんな巨乳のはずがない」と言うし、シャーリーの代表作「オルフェウス」を、トニーは「オーファン(孤児)」と間違える。ダジャレは笑いの基本。ことばのズレを楽しみつつ、ふたりの個性がよくわかることばの応酬していましたがになっています。

 無教養なトニーだが、コンサート司会者がシャーリーを紹介することば「ヴィルティオーゾ」はわかった。もともとはイタリア語で「達人」といういう意味。トニーは「すげぇ、うまいっていう意味だ」と理解する。

 フォークとナイフがないと食事できなかったシャーリーが、トニーにすすめられてケンタッキーフライドチキンにかぶりつくシーンも、異質なものが結合する二元結合です。トニーに習ってチキンの骨を捨てることはできたシャーリーですが、同じようにプラスチックのコーヒーカップをトニーが捨てると、車をバックさせて拾いに行かせます。トニーの文化を受け入れるところも見せるが、自分の「品位を保つ」というポリシーはかっちり守る。

 白人用バーで袋叩きにあっていたシャーリーを、トニーが救い出す頃からふたりの関係が少しずつ変わってきます。

 YMCAのプールで出会った男性と付き合おうして警察に捕まったシャーリーに、トニーは「ニューヨークのバーで働いたことがあるから、この世界は複雑だってわかっている」と、理解を示します。
 トニーは黒人には差別感を持っていたのですが、シャーリーのセクシャリティについては、なんの差別も示さなかったのが、ちょっと驚きでした。ヴァレロンガ家では、食事の前には家族そろって神への祈りを欠かさないキリスト教徒ですから、60年代には嫌悪感を示す人のほうが多かった。
 トニーが「ニューヨークのバーで働いていたころ」男性カップルを目にすることが多かったからという理由だけで、黒人差別とはことなる理解を示したこと。脚本では、トニーの「世界は複雑だ」ということばが述べられているだけです。

 ちなみに。ヴィレッジピープルの「YMCA」英語歌詞は、YMCAに泊まれば、男同士で楽しい夜を過ごせる、と歌っています。60年代のYMCAは、2丁目用語でいうところの「ハッテン場」でした。西城秀樹のカバー「ヤングマン」では別の歌になってしまい、やたらと明るく楽しい歌になっているのですが、これはこれで、あの振り付けをだれでもできるのがすごい。

 シャーリーは、トニーの話し言葉を「君のものの言い方はそれはそれで魅力的ですが、別の言い方もあるんだ」と、「くそったれ」だの「ケツの穴につっこむぞ」などの言い回しを多用するトニーのことばづかいをやんわりとなおしていきます。

 ファレリー監督は、これまで培ってきた笑いの要素を駆使して、トニーとシャーリーの間の異化と同化を笑いに仕立てていきました。
 笑える感動作、「グリーンブック」、コメディとしても上出来のよい映画でした。

 トニーがラジオから流れる曲をシャーリーに聞かせ、「リトル・リチャードを知らないなんて」と彼の音楽世界の狭さを指摘し、シャーリーの音楽を広げることになったロックンロールの伝説のスター、リトル・リチャードが、2020年5月9日に癌のため死去。享年87歳。ご冥福を。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「グリーンブック、トニーリップ」

2020-05-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200510
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2020おうち映画館(3)グリーンブック、トニーリップ

 「グリーンブック」8週間の旅の終わり、トニーとシャーリーをのせた大型車は、冬の嵐に巻き込まれます。
 南部でさんざん警官に痛めつけられてきたふたりですが、吹雪の中でパンクした車を警官の助けでタイヤチェンジもできました。しかし、雪の中での作業によって、トニーは疲れ切ります。

 冬の嵐の中、眠気に襲われたトニーを座席に寝かせ、代わってシャーリーが運転を続けます。クリスマスイブまでに家族のもとに帰る、というドロレスとトニーの約束を守るために、シャーリーは雪の中を走ります。シャーリーがピアノを弾くこと以外で「だれか」のために行動するのは、初めてだったかもしれません。

 シャーリーはトニーをブロンクスのイタリア移民街へ送り届けます。シャーリーはカーネギーホール上階の高級マンションへ。

 トニーの家では大家族が待ち受け、にぎやかにクリスマスイブの食卓を囲んでいます。
 家族は、黒人嫌いだったトニーにとって、黒人のボスの下で働くのはさぞかし苦労があり、ストレスで疲れ切っているだろうと思いやります。
 家族のひとりが「ニガー(くろんぼ)のボスはどうだった?」と冗談めかして尋ねると、トニーは「ニガーなんて言うのはやめろ」とたしなめます。家族はその一言で、トニーにとって、雇い主は黒人とか白人とかを超えた人間的によいボスであったということが察知できました。

 シャーリーは、カーネギーホール上階の豪華マンションに帰宅し、待っていた召使いを帰します。彼にもクリスマスイブをともにすごす家族がいることを思いやって。
 一人ぼっちのイブをすごすか迷っていたシャーリーでしたが、思い切ってトニーの家を訪れ、歓迎を受けます。

 カトリック教徒のイタリア移民一家にとって、「自分たちとは異なる人」であるシャーリーが入り口にたったとき、皆一瞬固まった表情をみせます。彼らにも無意識の差別意識はあったかもしれません。でも、一家はシャーリーを受け入れて、暖かく迎えます。

 英語のつづりも不確かなトニーの手紙が、あるときから文才あふれるものになったこと、トニーの妻のドロレスはちゃんと気づいていて、ハグをかわすシャーリーに「手紙ありがと」と伝えます。シャーリーは、自分の心遣いがトニーの家族に受け入れられていたことを感じます。

 トニー一家との交流によって、シャーリーのアイデンティティ危機が回避されたのかどうかは、映画からはわかりません。
 アイデンティティは、もちろん自分自身の心が作るものだけとど、他者をから受け入れられること他者を受け入れることでも作られる。
 「教養ある白人」から賞賛される自分を受け入れることができかなかったシャーリーも、トニーの家族の歓迎には素直に溶け込めました。
 他者との関係性が個人を作るのです。

 監督は「白人救世主が黒人を救う」という批判に対して「たしかに、トニー・リップはドクター・シャーリーを俗世の災難から救う。けれど、ドクター・シャーリーもトニー・リップの魂を救うんです」と述べています。
 シャーリーは、黒人差別意識を持っていた無学なトニーに読み書きを教え、物事には多様な見方がありうることを示します。

 ラスト、2013年同年のうちにトニーとシャーリーが相次いで亡くなるときまで、友情は続いていた、と実在のドナルド・ウォルブリッジ・シャーリーやトニー・リップの写真と共に紹介されていました。

ドナルド・ウォルブリッジ・シャーリーと マハーシャラ・アリ


 トニー・リップとヴィゴ・モーテンセン


 おそらく、8週間の南部の旅のあと、現実の生活を推察するに。
 読み書き能力が向上したことによって、トニーはがさつな用心棒暮らしから足を洗い、俳優業に乗り出していったのだろうと想像します。シナリオに書かれたことをちゃんと読めて理解できる能力を得たトニーは、シャーリーとの旅のあと、テレビ端役俳優としてキャリアをスタートし、1980年代から映画に名前トニー・リップがクレジットされるようになります。

 シャーリーは、ピアニストとしてのキャリアを続ける一方、作曲家としても活動し、オルガン交響曲、ピアノ協奏曲、チェロ協奏曲などの曲を作曲しました。
 黒人でも白人でもないと感じ自分を見失っていたシャーリーが、すぐれた曲を生み出し続けることができたのは、トニーとの旅と、トニーの家族との交流によって自分自身を取り戻せたからかもしれません。

 南部に強い人種差別が存在し、グリーンブックが必要だったということは、現在ではアメリカの南部史の汚点に感じられるものでしょう。
 しかし1950年代1960年代に旅行した黒人にとっては、それがなくては泊まるところも見つからず、車にガソリンを入れることも難しかった。黒人お断りガスステーションに行って、給油拒否にあったら、旅を続けることができなかったのです。

 黒人の権利がはっきりした現代の目から「白人の優位を描いた作品」として『グリーンブック』を否定するのは間違っていると思います。
 1950年代1960年代には差別が歴然とあったことをしっかり知り、トニーが自分の内側の差別意識を変えていったように、私たちの中に差別意識があるなら、それを見つけることが必要なのだと、いうことじゃないかしら。

 自分と異なる考え方・異文化を受け入れること。
 貧困差別も、病気差別も、私たちの心に無意識に残っています。
 この映画は、他者との関係を作っていくこと、そして差別をもう一度考えてみる機会です。

 Covid19の状況が私たちに問いかけていることも、また同じ。2m以上近づいての会話をしてもいけなくて、人々が寄り集まることもいけない、という時代に、どうやって他者とのつながりを感じ、人を愛し自分を愛することを続けていくか。

 テレビ録画の映画を見続け、腰痛にぶり返した自分ですが、とりあえず、春庭はアイデンティティ危機にも陥らず、自分を愛しています。

 次回グリーンブック最終回ピーターファレリー

<つづく>

 5月中旬の「春庭シネマパラダイス」は「女王陛下のお気に入り」
 「エマ・ストーン、全裸で女王とのレズシーンに挑戦」の大作です。
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ぽかぽか春庭「グリーンブック、ドン・シャーリー」

2020-05-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200509
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2020おうち映画館(2)グリーンブック、ドン・シャーリー

 「グリーンブック」を携えての、トニーとシャーリーの南部の旅。
 トニーは黒人差別意識を持っていましたが、南部の強い差別の現実に放り込まれ、シャーリーの人間性を理解するにつれて少しずつ変化していきます。
 ニューヨークにも差別はあったけれど、南部では、もっと露骨な差別の残る土地でした。さまざまなのエピソードの中、黒人やユダヤ人移民への差別が北部で生まれ育ったトニーの知っている以上に強いものであることがあきらかになっていきます。

 南部での様々な差別の現場。
 農場で働く奴隷のような黒人たちから、大きな車の後部座席に座る黒人へ突き刺さるような懐疑のまなざし。ホテルで彼の音楽会を開催しようとしながら、ホテルのレストランでは黒人は食事できないと言い張る支配人。さまざまな視線の中で、シャーリーは目的としていた「生きていく勇気」が得られたのか。

 北部で演奏会を続ければ、安全な場所で高い報酬が得られたのに、シャーリーはあえて南部へのツアーに出かけました。ロシアとドイツ出身のチェロのオレグ、ベースのジョージ。ピアノのシャーリーとトリオを組みます。このトリオに運転手トニーが加わり、各地を回ります。チェリストとベーシストは、シャーリーのこの旅を「勇気を得るための試練」としてシャーリー自身が企画したのだ、とトニーに伝えます。
 トニーはシャーリーのピアノ演奏を聞いて感銘を受け、しだいにシャーリーを理解していきます。

 トニーはドロレスから「電話代は高いから手紙を書いて」と言われており、スペリングもままならないながら手紙を書いて送ります。。
 「ディア・ドロレス」という書き出しから、Deer Dororesと書いてしまいます。シャーリーは「DeerじゃなくてDear愛する、だよ。Deerじゃ鹿のことだ」と、トニーに手紙の書き方を教えます。

 まちがいだらけのスペルで手紙を書いていますが、トニーは手紙を送る愛する人がいます。一方シャーリーは、博士号を持ち、正確なスペルも表現方法も知っているけれど、手紙を書く相手はいません。シャーリーはひとりぼっちの暮らしを続けてきました。
 シャーリーは「自分なら愛する人にこう書く」という文章をトニーに口伝えで書かせ、つづりや言葉遣いを教えていきます。

 博士号を持っているインテリであるシャーリー。無学を自覚しているトニーは素直にシャーリーの言うとおりに文章をつづり、表現を学んでいきます。
 トニーは、車のラジオからポップスや黒人音楽を流し、クラシックで育ったシャーリーに聞かせます。ふたりは、それぞれの文化を互いにわかり合っていきます。

 ドン・シャーリ―は、北部では天才音楽家として、白人たちからもチヤホヤされてきました。クラシカルジャズピアニストとして高名を得て、「教養をひけらかしたい白人」の前で演奏会を開いていました。ソビエト時代のレニングラード音楽院への留学を果たし、心理学や音楽学の博士号を持っている黒人の成功者です。

 シャーリーは、黒人文化とは切り離されて成長し、「ケンタッキー・フライド・チキンを手で持ってかぶりつく」ということさえ初体験。トニーには当たり前の「道端で立小便」も、どうしてもやることができません。「品位dignityを保つこと」が、人生の第一課題だからです。
 トニーはシャーリーの天才を直感しますが、同時に彼の深い孤独も見て取ります。

 ミスデージーと運転手ホークと異なる設定と感じられるのが、黒人音楽家ドン・シャーリーの孤独。愛する者も愛してくれる者もいないシャーリー。才能はあるけれど、家族もなく兄弟とは音信不通。孤独の中に暮らしています。
 シャーリーは自分自身の成功を「黒人を差別しない態度を見せて教養をひけらかしたい白人」によるものだ、と自嘲し、自分は「黒人でも白人でもなく、manでさえない 」と言います。

 シャーリーの孤独は自己のアイデンティティの不確実さからきています。黒人文化を知らず、だからと言って白人ではない自分。妻とは離婚し、自分のセクシャリティを公にはできない男。
 「manではない」を「人間ではない」と訳した人も見かけましたが、それはないでしょ。「黒人でも白人でもなくmanでもない」の、manの訳語は「男。女を愛する男」です。

 シャーリーは女性を愛せない自分をmanではないと言ったのです。シャーリーは、黒人の中で「名誉白人」的な立場を得ましたが、1960年代のプロテストキリスト教文化が強いアメリカで、露見したら最も強い差別を受けなければならない被差別者だったのです。

 ふたりは2度警官につかまり留置場へ入れられます。
 プールで若い白人男性と裸でいっしょにいるところを見つかったシャーリー。保釈させるために、トニーは警官に「いつも市民の平和な生活のために働く警官への感謝の寄付」としてお金をつかませます。「わいろ」であることに、シャーリーは強く反発し、トニーを責めます。シャーリーにとって、「品位を保ち正しい生き方をすること」は譲れない。

 2度目は、もっと理不尽な逮捕。警官から「イタ公は半分黒人だ」と挑発され、パンチでお返しをしたトニー。シャーリーは、「外に出ろ」と命じられたので車から外に出たら、すかさず「黒人は夜間野外に出てはいけない」という法を犯したとされ、ふたりとも留置場へ。

 シャーリーは、「弁護士(ロイヤー)に電話させてくれ」と、警官に頼みます。法にのっとった権利として許可され、シャーリーが電話した先は。

 署長は、なんと州知事から電話を受けます。州知事は司法長官から連絡を受けて電話してきたのです。シャーリーが電話した相手はロバート・ケネディ司法長官でした。当時、ロバートケネディは、黒人の人権問題を主要な政治課題としていました。シャーリーは彼との個人的つながりを利用したのです。

 トニーより一段高いところに自分を置くことでプライドを保っていたシャーリーの気持ちが、少しずつ変化していきました。
 「お金を警官におくること」と、「権力者とのつながりを利用すること」に差はないのです。自分だけがdignityを保っていたわけではない。

 最後の演奏会。会場のホテルに用意されていた楽屋は物置小屋に鏡をおいただけ。
 演奏会までにレストランで食事をしようとしたシャーリーは、支配人から「あなたがどうこうでなく、この土地の習慣として、このレストランで黒人が食事をすることはできない」と断られます。「自分は人種差別などする気はないけれど、地域の習慣に逆らえない」と支配人は慇懃にレストラン入店を断ろうとします。「自分は差別主義者じゃないけれど」という人の無意識の差別主義が、差別がなくならない一番強固な原因です。

 抗議しようとしたトニーは、支配人から「あんただって、黒人の下で働いているのは金のためだけだろう」と言われて腹をたてます。殴りかかろうとしたところを、冷静なシャーリーに止められます。

 シャーリーは、自分を締め出したホテルの支配人に「ここで食事できないなら、今夜のコンサートは出演しない」と告げてホテルを出ます。契約違反金には代えられない尊厳の問題。
 支配人の言う「黒人用ショーパㇷ゚」でトニーとシャーリーは食事をします。暴力では何も解決できないこと、品位を保つことで解決すべきだ、とシャーリーは説きます。
 
 トニーとシャーリーが「雇い主と使用人」ではなく、友人同士として食事をしている、と感じられたショーパブのカウンター


  ウエイトレスの勧めに応じて、シャーリーは店の粗末なピアノで独奏し、本当に弾きたかったクラシック曲を心を込めて演奏し、喝采を受けます。次にバンドとセッションでアドリブジャズ演奏に興じます。
 「クラシックのほうが音楽の格が上なのに、自分は黒人だからクラシックではなくポピュラー曲を弾かせられる」と思って自己卑下に陥っていたシャーリーが、音楽の面で黒人も白人もなく、クラシックもジャズアドリブも音楽のすばらしさは同じという音の中に身を置くことができたのでした。

 これまでどのコンサートでも、まじめな表情を崩さないで演奏してきたシャーリー。演奏はすばらしいけれど、シャーリーが少しも音楽を楽しんでいるように見えないのが、トニーには気になっていました。
 しかし、アドリブセッションで、シャーリーはほんとうに楽しそうに演奏していました。


 音楽を楽しむことと同時に、シャーリーが体得したこと。
 「人間の尊厳、品位を保つこと」は、上品な言葉づかいで作られるものではなく、愛する人を守るためにできる限りの力で働くことの中にある。ニューヨーク、ブロンクスの下町に残した家族のために、「黒人の下で働く」という考えられないような状況下で、せいいっぱい働くトニーこそ、品位のある生き方をしているのではないか。

<つづく>
     次回、「グリーンブック、トニー・リップ」
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ぽかぽか春庭「グリーンブック、トニー・ヴァレロンガ」

2020-05-07 00:00:01 | エッセイ、コラム


20200510
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2020おうち映画館(3)グリーンブック、トニー・ヴァレロンガ

 昨年夏以後、飯田橋ギンレイに行っていなかったけど、さて、久しぶりに映画館で映画見ようかと思ったら、自粛で映画館も旧館。映画館で見る機会がなくなりました。
 ゴールデンホームステイは5月1日から6日まで家籠もり。八百屋スーパーに食料買いにも出ず、近所の空き地で雑草のアカザを摘んで茹でて食べました。
 ゴールデンウイークに予定していた「夜行列車で行く出雲旅行」は、早々にキャンセルしたあと、予定はなにもありません。長丁場の自宅蟄居が続くとなると、録画とりだめの映画を消化する「おうち映画館」くらいしか楽しみはありません。

 毎日家でテレビ見てすごす。羽生結弦10年の軌跡NHK杯フィギュアスケート」というのも録画して娘といっしょに見ました。
 「殿、利息でござる」なんぞを見ました。なぜなら、ユヅ君が仙台伊達藩お殿様役で最後に登場し、なかなかの役者ぶりを見せてくれるからです。

 おうち映画館でゴールデンホームステイ。
 2019年アカデミー賞の2本を録画してみました。作品賞の「グリーンブック」と、9部門10賞のノミネートを得た『女王陛下のお気に入り』(受賞は3賞)

 2019年のアカデミー賞作品賞受賞作。『グリーンブック』
 作品賞のほか、脚本賞ニック・ヴァレロンガNick Vallelonga,ブライアン・キュリー Brian Currie @ピーター・ファレリー Peter Farrelly、助演男優賞 マハーシャラ・アリMahershala Ali,

 俳優・脚本家・監督など映画に関わる仕事を続けてきたニック・ヴァレロンガ(1959-)が、父である俳優トニー・リップ(1930-2013 82歳没)から聞いた昔話をもとに、父の友人ドクター・ドン・シャーリー(ドナルド・ウォルブリッジ・シャーリー1927-2013)にインタビューを行って、他のふたりとともに共同脚本執筆。

 運転手と雇い主の話、というとすぐに思い出すのが『ドライビングミスデージー』で、黒人運転手はモーガン・フリーマン。1948年から20年にわたるユダヤ人の高齢女性と文字を習う機会も与えられていなかった黒人運転手の心の交流を描いて1989年のアカデミー作品賞主演女優賞脚色賞メイク賞を受賞しました。主演女優賞のジェシカ・タンディ(Jessica Tandy1909-1994 85歳没)は、受賞時80歳で最優秀主演女優賞)

 「グリーンブック」は、ドライブするふたりが黒人著名音楽家とイタリア移民の運転手。「ドライビングミスデージー」と黒人と白人の立場を入れ替えていますが、旅の間にふたりの間に友情が育つというストーリーは似ています。

 作品賞に反対した人(スパイク・りーなど)は、「心根のよい黒人とやさしい白人の間に生まれる交流」という「ドライビングミスデージーとほぼ同じ内容の焼き直し」に作品賞が与えられることに不満を持ったのだそうです。
 「『グリーンブック』はほぼ全編、白人の目線からレイシズムを語る映画だ」「白人が救世主となる物語」などの批判に対して、監督は「批判を受ける面もあることは承知していたが、この映画は、白人が黒人を救う面も、黒人が白人の魂を救う面もどちらも描いているところを見てもらいたい」と述べています。

 また、黒人音楽家のモデルとなったドン・シャーリーの子孫(映画では交流がないとされていた兄弟の子どもたち)が、シャーリーとトニーの交流は、真実ではない、という訴えを行ったことなどもありました。子供のいなかったシャーリーの相続問題などもあるのだろうと推測しますが、受賞後の公開にも微妙な問題があったということで、私は飯田橋ギンレイにかかってなかったから見逃がしていました。
 映画見巧者ではない私の単純な感想としては、「いやぁ、感動作でした」。
 私は、白人目線の一方的な「白人が黒人の救世主となる物語」とは思いませんでした。

 作品賞としてほかの作品からぶっちぎりではないとしても、受賞する資格はあると思いました。もっとも2019年アカデミー作品賞ノミネート作品で私が見たのは、飯田橋ギンレイで「アリースター誕生」テレビ録画「女王陛下のお気に入りだけで、「ボヘミアンラプソディ」も「ローマ」「ブラッククランズマン」「バイス」も見ていません。

 ですから、受賞を逸した他の作品賞ノミネートと比べることはできず、「ドライビングミスデージー」と比べることくらいしかできません。

 以下ネタバレ含む感想です。

 トニーは、イタリア移民の子どもとしてニューヨークブルックリンで育ち、大家族で暮らしています。無学なトニーは、ごみ収集車の運転手を経て、今はもっと実入りのいい用心棒稼業をして妻と息子を養っています。学はないけれど、腕っぷしは強い。けんかっ早いのが欠点ですが、ナイトクラブで客のトラブルをさばく「警備員職歴」はなかなかのものです。

 家の修理のために黒人作業員が来たとき、妻ドロレスがふるまった飲み物のコップを、トニーはつまんでゴミ箱に捨てます。トニーは、黒人差別意識を隠さない下層白人です。妻はそのコップを拾い上げて元に戻していますが。

 トニーが仕事を得ていたナイトクラブは、改装のため2か月間閉鎖され、その間トニーは別の仕事を探さなければならなくなります。
 紹介された新しい仕事はドクターの運転手。医者だろうと思って面接に行ったのですが、ドクターは心理学や音楽学の博士号を持つ黒人音楽家でした。ドクターの住まいは、カーネギーホール上階の高級マンション。



 最初にトニーを面接したときに、シャーリーは一段高い段のうえに据えられた玉座のような椅子からトニーを見下ろしました。この玉座はシャーリーのプライドの象徴です。
 シャーリーは、黒人差別が根強い南部での8週間のコンサートツアーを予定しており、運転手兼ボディガードを必要としていました。

 トニーは黒人に雇われることに釈然とせず、靴磨きやアイロンかけをする「召使い」の仕事もしたくない。「8週間も妻と離れて暮らせない」という理由をつけて仕事を断って帰宅します。
 しかし、シャーリーは、雇い主に媚びない態度が気に入たのかもしれません。ナイトクラブ警備員としては優秀な「職歴」を持つトニー。危険な南部地帯でのツアーにボディガードが必要なシャーリーはトニーを雇うことを決めます。

 シャーリーは、トニーに電話をします。トニーが就職を断った理由が妻と離れたくないということだったので、シャーリーはドロレスを説得すればよいと思ったのです。むろん、ドロレスは、8週間夫と離れていることも承知。お金が必要ですから。

 ツアーに出発するトニーは、グリーンブックを渡されます。
 「グリーンブック」とは、1936~1966年にグリーン氏が発行していた「黒人が泊まることのできる宿泊施設案内」です。
 第二次世界大戦が終わり、黒人社会が経済力を持ち始めました。車を購入して移動する黒人層が出てきたとき、ことに南部での旅行では、黒人が利用できるホテル、レストランやガソリンスタンドの案内が必須でした。
 
 当時、南部には根強く黒人差別が残っており、レストランもトイレも黒人と白人の利用は別々でした。バス座席の白人優先に異議を唱えることから公民権運動が高まったことはよく知られていますが、公民権運動が実を結ぶまでに長い道程が必要でした。

1940年版グリーンブック


 シャーリーは旅に出る前、トニーに提案します。ヴァァレロンガというのは言いにくいのでヴァレーにしないか、と。
 トニーは断ります。名前はイタリアの先祖から受け継いだ大事なものだからです。名前はアイデンティティを示す大切なアイテムです。トニーは、トニー・リップという子供時代からのニックネームを呼ばれたいと希望します。
 口先で、嘘じゃないけど上手い言い回しで相手を丸めこむのが、上手だったから「リップ(口先)Lip」というあだ名がついたと説明します。あだ名もアイデンティティの1つです。

 この映画は、アイデンティティの確立の物語なのです。
 この映画に関して、差別問題が取り沙汰されるけどそれは背景の一つであって、個人の心の確立を描いている、とわたしは感じました。

<つづく>
 次回は「グリーンブック、ドン・シャーリー」
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