20240210
ぽかぽか春庭アート散歩>アート散歩2024(1)フランク・ロイド・ライト世界を結ぶ建築 in パナソニック汐留美術館
建物を見て歩くのを楽しみの一つにしています。が、楽しみといったって、建築についての専門的知識もないまま、ただ、この外観が好き、このインテリアが好きという見て感じた感想しか持てないのに、いいなと思える建物に出会いたい。
パナソニック汐留美術館で1月11日に始まったフランク・ロイド・ライト展を、見に行こうかどうしようか迷っていました。汐留美術館はいつもぐるっとパスで入るけれど、冬場はぐるっとパスを使って見たい美術館がほかにないからです。冬場の美術館は、冬枯れの企画。ぐるっとパスは、見たい美術館が3館あるとシルバー券より割安。お得になる。というせこい計算で、ほかに見たい館がないので、どうしようかと。
私がぐずぐずしているので、娘はひとりで2月2日金曜日の夜間開館に出かけてきました。ロイド・ライト展のチラシをおみやげにくれたのを見ていて、やはり行きたいと、2月4日に出かけました。
日曜日は混むことを知っているのにどうして2月4日日曜日にしたかというと、学芸員のスライド解説があるというので。どうせ行くなら、研究者の講演会があったり、ギャラリーガイドがある日に行くと、お得な気分。12時55分から入場列に並び始めました。
汐留美術館は狭いので、入場制限実施中でした。私はたいてい平日に行くのに、今回は長い列に30分並んで待って入館。14時からのスライドガイドレクチュアは事前の申し込み不要だというので、気楽に聞けます。ロッカーにリュックサックを閉まったり、ロビーのF・L・ロイド晩年のインタビュー映像を見ていたら、13時半講演ホールの開場時間。最前列に椅子を確保し、須賀敦子を読みながら待っていました。
大倉集古館の講演会に行ったときなど、大倉財閥大倉一族がいかにすばらしい経営者であったかという講演を聞いていて、ほとんどを寝てしまった、という失敗もあったのです。が、2月4日の汐留美術館、2階の広いホールでのスライドガイド、学芸員大村理恵子さんの解説、とてもよかったです。要するに、私が大倉一族の経営に興味がなく、フランク・ロイド・ライトには興味が持てた、ということです。何がなんでも「ちょっとは得しよう」というせこい観覧者であるからいけない。きっと大倉一族に興味がある人にとっては、すばらしい講演会だったことでしょう。
大村さんのライト紹介
ランク・ロイド・ライト(1867年~1959年)はアメリカ中西部のウィスコンシン州出身の建築家で、近代建築の三大巨匠のひとりとされています。「落水荘」「グッゲンハイム美術館」など、代表作のいくつかは世界遺産にも登録されました。非常に多作な建築家でもあり、1887年、20歳の時にシカゴに上京して建築事務所に勤めて以来、約70年に及ぶ活動期間のなかで1114点もの建築設計に携わりました。
14時から15時まで1時間の有意義なレクチャーを終えて、展示会場に入ると、混みこみの押すな押すな。こんなにライトに興味がある人がいるとは思いませんでした。なんでも、2代目帝国ホテルが1923年9月1日に竣工をしてから、昨年9月にちょうど百年。そう、関東大震災の日です。大震災にもつぶれず壊れず立ち続けた耐震建築帝国ホテル、というという紹介もあり、いろんなところでライト建築はテレビでも大宣伝があったのかもしれません。今回のライト観覧は、娘に刺激されてのことでしたが、私も日曜美術館などで紹介されたのをめあてに出かけたりしますので。
池袋の自由学園明日館を見学したことなど思い出しながら展示を見て回りましたが、ああ、こんなにライトファンがいると知っていたら、スライドガイドはあきらめて、月曜日の観覧にするんだったとちょい後悔。汐留美術館は水曜日が定休日です。
ライトの設計平面図や透視図の原画や、建物の写真や模型などが展示の中心です。模型は図録の写真で見るより、立体の模型展示を縦から横から見たほうがいいですが、写真や設計図は図録で落ち着いてみたほうがわかりやすいと思って、入場券自腹で買ったときは図録は我慢という「わたくしルール」を破って、えいやっと、図録購入。
汐留美術館の口上
アメリカ近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライト(1867–1959)。「カウフマン邸(落水荘)」や「グッゲンハイム美術館」で知られるライトは「帝国ホテル二代目本館(現在は博物館明治村に一部移築保存)」や「自由学園」を手がけ、熱烈な浮世絵愛好家の顔も持つ、日本と深い縁で結ばれた建築家です。
2012年にフランク・ロイド・ライト財団から図面をはじめとする5万点を超える資料がニューヨーク近代美術館とコロンビア大学エイヴリー建築美術図書館に移管され、建築はもちろんのこと、芸術、デザイン、著述、造園、教育、技術革新、都市計画に至るライトの広範な視野と知性を明らかにすべく調査研究が続けられてきました。こうした研究成果をふまえ、本展はケン・タダシ・オオシマ氏(ワシントン大学教授)とジェニファー・グレイ氏(フランク・ロイド・ライト財団副代表、タリアセン・インスティテュート・ディレクター)を迎えて日米共同でキュレーションを行ない、帝国ホテルを基軸に、多様な文化と交流し常に先駆的な活動を展開したライトの姿を明らかにします。
精緻で華麗なドローイングの数々をお楽しみください。世界を横断して活躍したライトのグローバルな視点は、21世紀の今日的な課題と共鳴し、来るべき未来への提言となるはずです。
ライトの落水荘などに日本の滝の風景に似た雰囲気があるなあと、建築写真を見て感じてきました。今回の展示で新しく知ったこと。思った以上にライトは日本の浮世絵の影響を受けていました。ライトの描く建築の透視図には、浮世絵から学んだ構図が生かされ、緻密で美しいドローイングができあがっていました。ライトは何度か広重の展覧会を開催しています。
ライトのドローイング
ウィンズロー邸 1910
ドヘニー・ランチ宅地開発計画案 1923
図録の帯に配されていたゴードンストロング自動車体験娯楽施設とプラネタリウム計画案1924-1925鳥瞰観透視図
ジョンソン・ワックス・ビル本部棟 中央執務室の椅子》1936年
会場に入ってすぐのところは撮影OK。会場に一か所撮影OKのコーナーがありましたが、混んでいて人が入り込まずに写すのは難しかったから断念。
日本の影響を強く受けたことと並んで、今回知った新事実。ピカソと並ぶくらいの華やかな女性関係と長寿。こんな私生活がすごい人とは思っていませんでした。
図録購入したので、年表によってじっくりライトの生涯をたどりました。
ライトは、6人の子を産んだ妻キャサリンを捨て、邸宅の施主チェニーの妻メイマー・ボソウイック・チェニーと不倫駆け落ち。アメリカでようやく確立できた建築家の立場も捨て、2年間ヨーロッパですごしました。母親から譲られた土地に家とアトリエを建ててタリアセンと名付け、メイマーとともに弟子の教育にあたります。弟子たちは農作業をしながら建築を実践的に学びました。タリアセンとはライトの先祖の出身地ウェールズのことばに由来し、丘を顔全体に見立てたときの眉に当たる地に建つ「輝ける眉」という意味。しかし、このタリアセンの家は、1914年精神的な問題があったとされる使用人ジュリアン・カールトンに放火され炎上。メイマーと二人の子、タリアセンのスタッフ7人、合計人10人が斧で殺されるという大事件が起きました。ライトは仕事でシカゴに出張中の出来事。カールトンは黙秘し獄中で7週間食を断ち、動機を語らないまま餓死するというすさまじい事件です。キャサリンが離婚に応じたのは1922年。ライトはミリアム・ノエルとの短い結婚ののち、ミリアムの薬物依存のため別居。神秘主義ダンサーのオルガとの出会いと別れ。57歳で出会ったオルキヴァナとの間に娘が誕生。不道徳的な目的で女性を国外に連れ出したり州間を移動させたりすることを禁じたアメリカの法律、1910年制定のマン法違反の容疑で拘引される。釈放されたあと、ミリアムとの離婚がようやく成立し、61歳でオルキヴァナと結婚。1959年91歳で死去するまで、精力的に執筆活動に携わりました。
今回の展覧会でよかったこと。図録ではわからない映像の展示がありました。ひとつはタリアセンで実践した「若者が農作業をしながら建築を学ぶ」という教育方法。若者たちは楽しそうに水泳に興じたり農作業をつづけたり、図面に定規で線を引いたり。日本では倉本聰が富良野で農業と演劇を組み合わせた塾を開いていましたが、25年で教育施設としては終了。演劇グループとして存続しています。一方タリアセンは、アリゾナのタリアセンウエストは、ライトの意思を受け継ぐ建築学校として現在も活動しています。
ふたつめは、ライトが「未来都市」として夢見た都市計画をCGで見られたこと。ヘリコプターとドローンを足して2で割ったような乗り物が空を飛び回り、高層ビルが平原にぽつんぽつんと建っている未来都市。地上交通は立体交差しています。
2019年7月7日、アゼルバイジャンのバクーで開催されていた第43回世界遺産委員会において、「フランク・ロイド・ライトの20世紀建築作品群」として、ユニティー・テンプル、フレデリック・C・ロビー邸、タリアセン、バーンズドール邸(ホリーホック邸)、落水荘、ハーバート・キャサリン・ジェイコブス邸、タリアセン・ウエスト、グッゲンハイム美術館の8件が世界遺産に登録されました。
ロッカー前で
二代目帝国ホテルの模型が展示されていました。いつか明治村に移築されたホテルエントランス部分を見たいと思います。六甲山中に建つ旧山邑邸(現在はヨドコウ迎賓館非公開)も、いつかは。
<おわり>