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ぽかぽか春庭「2018年5月目次」

2018-05-31 00:00:01 | エッセイ、コラム


20180531
ぽかぽか春庭2018年5月目次

0501 ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>5月のことば(1)第3章確認

0503 ぽかぽか春庭アート散歩>建物散歩2018春(1)消えた東京女子医科大学1号館ほか
0505 建物散歩2018春(2)臨江閣と群馬の女子教育
0506 建物散歩2018春(3)日野宿本陣
0508 建物散歩2018春(4)看板建築展 in 江戸東京たてもの園

0510 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記GW(1)ゴールデンウイーク in 六本木ヒルズ
0512 2018十八番日記GM(2)こいのぼりなう in 新国立美術館
0513 2018十八番日記GM(3)橋めぐり、荒川に沿って
0515 2018十八番日記GM(4)葛西水族園onみどりの日
0517 2018十八番日記GM(5)石神井川に沿って、カツサンド非配達人
0519 2018十八番日記GM(6)母の日&スマホ再デビュー

0520 ぽかぽか春庭シネマパラダイス>死ぬ前死んだあと(1)Cocoリメンバーミー
0522 死ぬ前死んだあと(2)ゲットアウト
0524 死ぬ前死んだあと(3)Itそれが見えたら終わり
 
0526 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記5月(1)ライトアップ館と夜のバラ
0527 2018十八番日記5月(2)スタンドバイミー、ロイヤルウエディングで
0529 2018十八番日記5月(3)ひとり居酒屋でびゅー
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ぽかぽか春庭「ひとり居酒屋でびゅー」

2018-05-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180529
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記5月(3)ひとり居酒屋でびゅー

 友達といっしょなら、夜に居酒屋にいって飲み食いしてきたし、ランチタイムにひとりで居酒屋ランチしたことありましたが、春庭、夜の居酒屋にひとりで入ったこと一度もありませんでした。ハハハ、箱入り奥様なもんで。
 なんてはずはなく、急いで仕事から帰って幼い娘息子の晩御飯作る生活が長かったので、晩御飯は必ず母子いっしょに食べる枠ができあがってしまっています。今では娘が晩御飯を作るので、友人と食べて帰るときはメールしないと叱られる。
 娘と息子がいっしょに出かけて御飯を食べて帰るというので、仕事先の近所で晩御飯食べることにしました。

 以前は、健康センターの先にあったという居酒屋。耐震問題で建物を取り壊すことになったので、私の仕事先に近くに移転してきました。駅には前より近くなったけれど、主な客筋だった電子部品製造の大手会社からは遠くなってしまった、という立地です。
 移転後の新装開店という店でランチ500円。

 夜もご飯と生ジョッキ一杯くらいなら、貧乏な春庭でも払えないほどにはならないだろう、と入ってみる。入り口のカウンター席とふたつあるテーブル席には誰もおらず、奥の小上がりがにぎやか。移転前のお馴染みさんサラリーマンのグループらしい。ひとり客なので、テーブル席えんりょしてカウンター席へ。

 ほんとうはカウンター席苦手です。ほかに人がいないとき、カウンター中にいる店の人と話をしないのでは、なんだか頑なな客みたいに見えるから。
 とりあえず生ビールと里芋と野菜の煮物、ほっけ粕漬を注文しました。

 おかみさんは、ひとりで店を切り盛りしています。なじみの客らしい小上がりのサラリーマンが追加した注文を受けて、セルフサービスで客にもっていかせています。
 ぽつぽつとおかみさんが話す、店の移転話やら家族の話を聞く。
 
 宮城県の出身で70代。結婚して子供をふたり持ち、それぞれの子が4人ずつ孫を持ったので、8人の孫持ちという。子福者ならぬ孫福者。でも、店を切り盛りするのが忙しく、孫の世話などしたことない、とのこと。

 私も問われるままに、ここまで片道100分かけて通勤していること、朝のラッシュに耐えられない老体になっているので、10時半からの勤務にしてもらい、その代わり夜8時すぎまで働いていること、帰宅は夜10時近くになってしまうこと、などを話す。夜のご飯は娘が作って母の帰りを待っているので、晩ごはんはひとりで食べに出る機会がないこと。今夜は娘と息子がいっしょに出かけて御飯食べて帰るというので、この前ランチがおいしかったから、また寄せてもらいました、などしゃべりながら食べました。

 人と話すのが苦手なのに、自分としてはかなりオープンにしゃべったのは、仕事先の地域について何も知らず、町のようすも知らないので、顔が広いであろうおかみさんに、町のことを教えてほしかったから。
 でも、おかみさんは「私も地元民じゃないの。店はここだけれど、住まいは別だから、町のこと知らないのよ」と言う。「店だしているから、おつきあいでお祭りの寄付はするけれど、お祭りなどに参加したこともないの」だそう。う~ん、残念。

 地域のことがわからないということで、話題は途切れてしまったけれど、頭の上に備え付けられているテレビがちょうどニュースで日大アメフト部の学生謝罪会見のようすをうつしていたので、学生さんかわいそうにねぇ、などと言い合う。

 奥からサラリーマングループから、お酒のお替り注文など入ったので、私もごはんをもらって、食べる。生ビールおかわりしようかなと思ったけれど、この先100分の電車があるので、1杯でやめておきました。

 生1杯じゃ居酒屋デビューとも言えないでしょうが、夜はじめてひとりで居酒屋に入ったので。何でも新しいことするとうれしい。
 ご飯食べておとなしく帰宅しました。

 小上がりのサラリーマンたちの会話、耳が悪い私にはよく聞こえなかったけれど、おかみさんは「サラリーマンもたいへんだよね」と、事情がわかっているらしいくちぶり。
 ま、世界各国、酔っぱらってくだでもまかなきゃやってられないことばかりです。
 トランプ、ロケットマンに切れて会談決裂だし、日本の官僚がない、と言い張った文書がぞろぞろ出てくるし、春庭には「首相案件」なんていう便利なメモはもらえなかったし。

 アメフト部、学生の謝罪を受けて、監督とコーチは「反則を指示していない、潰してこいということばを学生が勝手に解釈して反則した」と主張するに及んで、あ、もう日大アメフト部終わり、と思いました。チームスポーツにおいて、選手の行為に全責任を負わないような監督のもとではチームは成立しないし、日大ブランド地に落ちて、来年入部する学生いないんじゃないか。
 きっとこれまでも、反則タックルでけがをさせられた選手はいたのでしょうが、おそらくは泣き寝入りしていたと勘ぐります。今回の関西学院選手は、親が黙っていない市議でしたから表ざたになったのかも。

 トップがこんなんで、アメフトもぐじゃぐじゃなり。トップがあんなじゃ、北のお国もアメリカもたいへんでしょうね。嘘がばればれでもやめようとしないトップをいただく我が国も。

 そんなこんなの世の中ですが、次はもっとごくごくビール飲んで、元気回復して、またしっかり働きます。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「スタンドバイミー、ロイヤルウエディングで」

2018-05-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180527
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記5月(2)スタンドバイミー、ロイヤルウェディングで

 日本のプリンセスの恋が、なんだか行き詰っている感になってしまったのは残念至極。「太陽のような」と形容された海の王子、母親の借金なんぞに負けないでほしかったけれど、いまのところ進展の気配なし。

 一方、英国プリンスのほうは、着々と恋を実らせ、ついに華麗なるロイヤルウェディング。
同時中継BSで見ました。


 娘は、テレビドラマ『スーツ』のファンで、日本での放映が始まったときから、録画して夜中にひとりで見ていました。なかでもパラリーガル役のメーガン・マークルが大好き。日本のパラリーガルだと、弁護士に比べて格段にお給料も安いようですが、メーガン演じるパラリーガルは、個室オフィスも持つ敏腕仕事人で、年収も新米弁護士より上。
 ちなみに、海の王子もパラリーガルですが、年収は300万くらいという日本のパラリーガル給与を超えてはいないようす。
 
 「スーツ」でパラリーガルのレイチェルを演じるメーガン・マートル


 ヘンリー王子との婚約が発表されてから、娘は「え~、女優やめないでほしい。ヨーロッパではキャリアを続けている王妃もいるんだから、女優続けたらいいのに」と言っていました。でも、女優からは完全引退みたいですね。

 ウィリアム王子とキャサリンさんの結婚式中継はニュースでちらと見た程度なのに、ヘンリー&メーガンの結婚式を中継で見たのは、やはり、イギリス王室の変化を感じたから。

 ヘンリー王子は、これまでの英国王室の「結婚への障害」を少なくとも3つもっていました。
 ひとつ、メーガンさんが3歳年上。2つ、メーガンさんは離婚経験者。3つ、メーガンさんの母は、アフリカ系アメリカ人。

 英王室では、エドワード8世(エリザベス2世の伯父)が、バツイチ女性シンプソン夫人との結婚を望んだために退位(王冠をかけた恋として有名)。
 チャールズ皇太子(ヘンリー王子の父)が、恋し合ったカミラではなく、スペンサー伯爵家のダイアナと結婚したのは、カミラが1歳半年上であること、母親は男爵令嬢であるけれど父親は爵位をもっていなかったこと、などから結婚をあきらめた結果です。カミラとの交際は結婚後も続いていたため、ダイアナは心のバランスを失いました。

 しかし、チャールズ皇太子がカミラ夫人と再婚し、ウィリアム王子も爵位などない家系の一般女性キャサリンと結婚し円満な家庭を築いたことで、年上、離婚、爵位なしという障害はクリアできたのでしょう。
 残る障害は、メーガンさんの母がアフリカ系アメリカ人であること。イギリス保守層の間で、黒人の血が王室に入ることへの拒否反応は相当強かったみたいです。

 メーガンさんの母は、アフリカ系アメリカ人ドーリア・ラグランドDoria Ragland(61歳)さん。ドーリアさんは、メーガンの父トーマス・マートルとはメーガンが5歳のとき離婚。けれど、離婚後も父と娘の仲はよく、ハリウッドで仕事をしていた父の影響もあったのか、メーガンさんも女優に。

 ヨガ・インストラクターだったドーリアさんは、50歳すぎで大学に入学し、ソーシャルワーカーの資格を得たという努力家です。メーガンさん結婚式までに、元の勤務先を退職しました。娘の七光り利用かもしれないけれど、独立してセラピスト診療所を開設する予定なのだとか。

 メーガンとともに車を降りて、教会へ向かうドーリア
 

 守旧派からの反発を乗り越えて、英王室がふたりの結婚を祝福したのは、21世紀の王室生き残りをかけての判断だったと思います。ダイアナ事故死直後は、王室存続支持率は17%まで落ちたそうですが、現在ではウイリアム&キャサリンファミリーの人気もあって、支持率回復中。
 多様性と寛容な社会。どの社会においてもそうですが、これから生き残る社会は、他者への寛容が実現され、多様な文化を受け入れることのできる社会でしょう。

 ユーラシア西のはしっこ島国が多様性容認へと改革していっているのに対して、東のはしっこ島国のほうは、母親の借金問題露見で結婚話は停滞(破綻?)。
 事実婚や未婚女性出産を保護したフランスが出生率回復へ向かったのに、東はしっこ島では、女性の生涯未婚率急上昇で相変わらずの低出生率。あ~あ、我が家、娘も息子も生涯未婚率上昇貢献組です。
 移民は受け入れず労働力確保も難しくなってきて、若者の非正規労働者は増える一方。働き方改革という掛け声だけ。
 
 ヘンリー&メーガンの結婚式、英国のこれまでの結婚とは、かなり様変わりしたロイヤルウエディングでした。

 多様性の第一。神父の演説では、黒人の米国聖公会マイケル・カリー総裁主教による説教がすごかった。ハーレムなどで神父牧師がえらいノリノリの大説教をするのをドラマや映画で見たことありますが、イギリスの教会で行われるとは思いませんでした。ちょっと長すぎた気がするけれど、おもしろかった。

 カリー主教(1953~)はシカゴ出身で、アメリカで初の黒人主教です。キング牧師のことば「愛には力があります。」「私たちは愛の力から生まれ、愛の力によって生きるのです」をインパクトたっぷりに引用していました。


 また、セントジョージ礼拝堂に響く歌声。少年を含む聖歌合唱も美しい響きでしたが、それ以上に黒人ゴスペル合唱団によるゴスペル風「スタンドバイミー」がとてもよかった。私には、この結婚式のハイライトと思えました。
 「♪Lord, Stand by Me主よ我がそばにあれ」という黒人霊歌からインスパイアされて作られたスタンドバイミー。メーガンが自身の出自に誇りを持ち、ヘンリーがそれを支持していることがよく伝わった「そばにいて」の歌でした。

 教会でチェロを独奏したのも黒人演奏者シェク・カネ―メイソン(19歳)。シェクは、貧しく子だくさんだけれど、音楽を愛する家庭に育ち、ごく普通の学校教育を受けました。2016年にBBCヤングミュージシャンコンクールでで優勝。黒人として初の優勝者でした。

 全体として、伝統は残しつつも今後の王室が大きく変わっていく、というメーガン&ヘンリーの演出が見事でした。セルフ・プロデュース力抜群の頭のいいメーガンさんであることを全世界が知りました。

 ダイアナ元王妃が世界中の人に愛されたのは。20歳の、何も世間を知らずただただ王子を愛していた若い女性が、結婚後は数々の試練を経て自分の影響力を知り、恵まれない人に寄り添う、という自己プロデュースができるまでに人としての成長過程を見せたこと。

 メーガンもきっとさらに自己プロデュースにみがきをかけて、成長していけるんじゃないかと思いました。メーガン&ヘンリー、お幸せに。末永く「そばにいて」。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「お館ライトアップ&夜の薔薇」

2018-05-26 00:00:01 | エッセイ、コラム

旧古河庭園と夜のバラ

20180526
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記5月(1)お館ライトアップ&夜の薔薇

 旧古河庭園にはたびたび訪れていますが、これまでは昼間だけでした。薔薇の季節にライトアップされていたのは知っていましたが、見に行ったことがありませんでした。夜桜を見に六義園などには出かけたことがありましたが、薔薇はどうやっても昼見たほうがきれいなのではないか、という気がして。

 5月12日土曜日、初めて旧古河庭園のライトアップ初日に出かけました。
 アシスト自転車にのって、庭園の門前駐輪場に止めようと出かけたのですが、駐輪むずかしいくらい自転車が並んでいました。やはり初日は混むのですね。
 昼だと顔を見てシニア70円の入場料ですが、夜なので窓口係員さんも顔がよく見えなかったらしく、「150円」と言います。おや、夜目遠目傘のうち、とはよく言ったものだ、と、保険証を出して年齢証明。70円で入場できました。

 薔薇は、ゴールデンウイーク中くらいが見ごろだったようで、ライトアップが始まったら、花びらは少々お疲れ気味でした。
 でも、さまざまな種類の薔薇、昼間見るのとは違う感じで、きれいでした。

 アンジェラ


 メモワール・ド・アンネ・フランク


 ドフトゴールド


 カトリーヌ・ドヌーブ


 イングリット・バーグマン


ハーモニー


プリンス・オブ・ウェールズ(ダイアナ)


プリンセス・ミチコ


レディ・メイアン


 フレンチレース


 おまけのジャーマンアイリス(ブログ友だちの庭にも咲いたということなので)


 ポスター写真などでお屋敷のライトアップを見てきましたが、プロもアマチュアもみなさん上手だなあと思います。私のはコンパクトカメラだから、昼間よりも手振れがはっきりでます。バラもお屋敷も、あまり上手にとれないことがわかったけれど、はじめてのライトアップ古河庭園、ひととき幻想的な光景を楽しむことができました。



<つづく>
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ぽかぽか春庭「It それが見えたらおわり」

2018-05-24 00:00:01 | エッセイ、コラム


20180524
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>死ぬ前、死んだあと(3)Itそれが見えたら終わり

 今年になってから夫の飯田橋ギンレイ映画パスポートを使っていませんでした。パスポート貸してやるとき以外、妻に大きな顔ができない夫のために、「映画券を夫から借りてあげる思いやり」を発揮して4月29日日曜日、映画パスポート借りました。(おかえしにクッキーをあげました)

「It」はスティーヴン・キング原作小説の傑作ホラーだというので、ホラーはこわくてみることができない春庭としてはパスの予定でしたが、映画小僧まっき~さんからのおすすめにより観覧。
 
 以下ネタバレ含む感想です。
 『It それが見えたら終わり』は、S・キング原作(1986出版)のリメイク映画化(テレビドラマとして、前後編で制作され、全体では3時間)。
 2017年公開の映画、日本公開は2017年9月。半年過ぎてギンレイにかかりました。
 原作は、少年部分と大人部分が交互に出てくる構成らしいですが、映画は、少年部分が第1章、大人部分が第2章となります。大人部分の映画化は、2019年9月にアメリカから公開されるそうです。

 絶対怖いという予防線を張りながらだったので、ピエロのペニーワイズの見かけはこわかったけれど、それ以外のシーンは「スタンドバイミー」のホラー版と思えるので、少年少女の頑張り具合がよかったです。ジュブナイル映画として成功していると思いました。
 Penny wiseというピエロ。直訳すると「一文惜しみ」となるので、けちけちやってるとなる妖怪なのか。貧乏性の私は要注意です。

 ギンレイ入り口で待っているときのこと。この映画がR-15+指定であることを知らなかった親子3人が、丁重にお引き取り願われていました。父親は「R-15+というのは、15歳以下の場合、親がついていればOK」の映画と思ったみたい。小学生の坊や、残念そうでしたが入場かないませんでした。

 私はこどものころお化け映画が大嫌いで、みながお化け映画を見に行った時、ひとりだけ違う映画をえらびました。私が見たのは『白鷺』という映画で、内容がほとんど理解できなかった、という思い出。きっとこの小学生坊やはホラーに強い子だったのでしょうが、R-+15にして思いっきりホラーにしたのでヒットにつながった、という面もあるでしょう。

 ジュブナイルですから、少年たちの冒険があり、少年少女の友情と「親からの脱出」が基本テーマです。「負け犬クラブ(LOSERS)」と書かれた文字。ひと文字かえてSをVにすると「LOVERS」になるってところがミソ。(腕の包帯に落書きされた文字)


 Losers負け犬7人組



右から
・リッチー:厚底メガネの少年。グループの中ではおどけ者、ピエロ的にふるまう。特にトラウマを持たずに育ったけれど、負け犬クラブのメンバーに現れるピエロを恐怖するようになる。それは自分自身のおどけ体質の内面への恐怖でもある。

・ベン:ふとっちょの転校生。いじめられっ子だったため、負け犬クラブの一員へ。よく本を読み、町の歴史にも詳しい。デリーの町の大人たちが子供に無関心であることを見抜き、その無関心を恐れています。

・ビル:吃音者。幼い弟ジョージ―が行方不明になったのは、弟といっしょに遊んでやらなかったせいと自分を責めています。ビルは弟の死を受け入れられず、弟を探し続けています。ビルはジョージーの死が確定してしまうことを恐れ、彼が死んだとされる地下に広がる黒い水を恐れています。次男の死の悲しみから抜け出せないでいる両親。とくに父親からの関心がまったくビルに向けられていません。

・マイク:両親は火事のため死去し、育ててくれている祖父の家畜業に従事させられています。祖父の方針で学校へ行かせてもらえない黒人少年。両親を救えなかったトラウマを持ち、火がこわい。

・エディ:適正体重維持超ご不自由な母親を持つ。エディ母は、代理ミュンヒハウゼン症候群らしく、息子を喘息持ちとしておきたい。息子に偽薬を処方させており、病気を恐れるようにしつけています。エディは病気になることをおそれて潔癖症気味。肉体がボロボロになるゾンビ姿を恐れています。

・スタンリー:厳格なユダヤ教司祭を父に持っていますが、宗教にまだなじめない部分があります。父親の飾る絵が怖い。この絵は、父親&宗教への違和感の表れと思います。具体的にはユダヤ教の儀式割礼を恐れている。割礼は清潔を保つという理由により男性器包皮の一部を切り取る儀礼ですが、スタンにとっては、去勢の不安と重なっています。
 一般的には、ユダヤ教徒は生まれてすぐに割礼をほどこされます。スタンは生まれてすぐに割礼を受けなかったのかしら。スタンが感じているのは、大人の男にさせられることへの恐怖なのか、父と同じになることへの恐怖なのか。

・べバリー:父親から性的虐待を受けて育つ。周囲の人からは不良娘という烙印を受けています。父に女として魅力的と感じさせる自分の髪を恐れ、成人した女性としての生理の血を恐れています。

 不良少年組
・ヘンリー:強圧的な警察官の父親を恐れており、そのはけ口として負け犬組をイジメ倒している。
・パトリック:原作では、動物虐待によって自分の強さを確認している行為がエスカレートしていく、と描かれているのだそうですが、映画ではヘンリーの腰ぎんちゃくのように描かれています。

 以上のように、登場する少年少女は、なんらかのトラウマを抱えており、それが恐怖心となって内面に溜まっています。ピエロペニーワイズはその恐怖心を味付けにして27年周期で現れ、幻覚によって子供をあやつり、子供の恐怖心を喰らう。

 ビルたちは、ペニーワイズの操る恐怖の正体を見破ることで、彼に負けない心を得ます。
 ビルは、地下の排水路でジョージ―の死を確信し「喪の心」を得ることができます。
 エディは、母から飲まされていたのが偽薬と知り、母の支配から抜け出そうとします。
 リッチーは、友だちといっしょに行動する勇気をもつことで、内面の恐怖に打ち勝ちます。
 ベバリーはペニーワイズが見せる幻想の父親に「正当防衛」として打ち勝ちます。ベバリーは、父親への恐怖から脱出した故に、友の助けで蘇生できます。
 ベンはベバリーへの恋心を自覚し、ベバリーを助けることで少年時代の恐怖心から抜け出します。

 不良組ヘンリーは、強権的な父に対抗し、ピエロの見せる幻想のテレビにそそのかされて、成長期男子の心理的「父殺し」を、現実に実行してしまう。(幻想だったのかもしれませんが、私には現実なのか幻想なのかわからなかった)

 ベバリー、ビルと仲間たちは、最後まで仲間として共にいることを誓います。
 映画の中の一番の恐怖は、こわい顔で現れるペニーワイズじゃなくて、町の子供に関心を持たない、あるいはゆがんだ愛で子供を支配している大人たちです。
 
 こわかったけれど、第2章も見てみようという気になりました。原作は映画よりもっとこわい、という評が多いので、原作読めそうにありません。

 おなじs・キングの『THE BODY(死体)スタンドバイミー』と比較されることが多いでしょうが、私にとっては、スタンドバイミーは永遠です。リバーラブだから。
 ビルを演じた子役は、これから青年期の俳優として育っていくでしょうが、リバー・フェニックスの魅力以上の少年役は、ない、と思います。

 ビル役のジェイデン・リーバハーは、「弟の死にトラウマを抱えた吃音少年」という難役をとても繊細に演じていました。しかし、リバー以上の少年は不世出。リバーの美しさは、彼が抱えていた「カルト教団の中で育ち、幼児期から特殊な性的環境で育った」というトラウマが醸し出す危うさを秘めています。23歳の死は、私とっては永遠の少年として定着したということ)

 続編It第2章、ペニーワイズ役でスカルスガルドの続投は決定らしい。少年ビルの大人バージョンは、ジェームズ・マカヴォイだそう。『ナルニア国物語ライオンと魔女』のタムナス役はとても良かったし、ジェイデン・リーバハーの「気が弱そうだけれど内面はしっかりしている」感じが共通しているので、いいんじゃないかしら。

タムナスのジェームズ・マカヴォイ


 ペニーワイズの正体とは。
 デリーの町が建設され人が住み始めるずっと前からそこにいて、今も居続けているなにか。なんだかわからないけれど。

 ペニーワイズに心をつかまれてしまえば、デリーの大人たちがそうであるように、他者に関心をもたず、心閉ざしてこもってしまう。ペニーワイズにつかまって浮かせられないようにするには、負け犬たちがそうしたように、仲間に心ひらくこと、いっしょに手をつなぐこと。死はつらいことだけれど、死をきちんと理解し、喪の心を分かち合うこと。

 死ぬ前の出来事も、死んだあとの出来事も、映画が描き出せる世界は無限大。
 
<おわり>
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ぽかぽか春庭「ゲットアウト」

2018-05-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180522
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>死ぬ前、死んだあと(2)ゲットアウト

 ホラーもスリラーも嫌いなのに、「IT」と併映の「ゲットアウト」見ました。
 映画小僧まっき~さんおすすめの2018アカデミー賞脚本賞受賞作品なので、こわかったけれど、「映画では、主人公は無事にたすかる」という原則を信じて見終わりました。

 なにが一番怖いかって、白人の黒人に対する劣等感、特に身体性に対しての。白人は、精神的(脳みそ)には白人のままで、黒人の強靭優秀な肉体を手に入れたい、と深層心理でのぞんでいることを、あからさまに描いたところが恐怖。

 オバマを大統領にかついだあと、見てくれは差別主義者を黙らせたようでいて、実態はますます差別が潜在的に広がったことが伝わりました。もちろんこの映画に描かれたことと、実際の差別はことなるでしょうが。

 2016年、アメリカの現実社会での事件がありました。
 コンビニ前でCDを売っていただけの黒人男性を、白人警察官がためらいなく撃ち殺してしまうという事件。ルイジアナ州バトンルージュ市の白人警察官2名は、黒人男性アルトン・スターリングを問答無用で取り押さえて射殺。「ポケットから拳銃をだすのかと思ったから」というのが、正当防衛と信じて撃ち殺した理由だそうですが、残されていた防犯カメラの映像では、スターリングが携帯していた拳銃は、警官が彼を取り押さえる前に、下に落ちていたのです。たまたま映像が残されたから、この警官のふるまいが決して正当防衛ではないことがわかったのですが、26年前のバトンルージュでは。

 1992年にルイジアナ州バトンルージュ市で高校2年生だった服部剛丈君が撃ち殺された事件も、忘れることはできません。仮装してハロウィーンパーティに行こうとしたハットリくんは、違う家に入り込んでしまい、家主のピアーズに射殺されました。ルイジアナ州の刑事裁判では正当防衛としてピアーズは無罪。服部君の父が起こしたピアーズに対する民事裁判ではピアーズ有罪。服部君は家の中に踏み込んだわけではなく、庭にいたのだし、ピアーズに恐怖を感じさせるような要素もなく、過剰防衛であったことなどが明らかになりました。ピアーズの趣味が「鹿狩り」で、ガンマニアであったことも判明。白人ピアーズにとっては、鹿も黄色人種少年も同じ。 

 オバマの登場は、「名誉白人」として白人側に寄せられる黒人が増えたことを意味するだけで、差別がなくなったわけではないことを、映画を見た人ははっきりと感じます。
以下、ラストまでのネタバレを含む紹介と感想です。

 主人公クリスは、恋人ローズ・アーミテージの実家へ行くことにしました。ローズの両親に「恋人の間柄」であることを伝えに、あいさつするためです。
 愛犬シドは、クリスの親友ロッドに預けます。ロッドは黒人に与えられるもっとも給料が高そうな職業のひとつ、運輸保安庁の職員です。(医者や弁護士など、名誉白人側に入れば、高い年収は保証されます。オバマは弁護士資格を持つエリートでした)。

 クリスはローズに「恋人が黒人であることを家族に知らせていないのはなぜか」とたずねますが、ローズは家族がクリスを歓迎することに自信をもっています。
 シドニー・ポワチェが恋人ジョアンナの両親に会うという1967年の映画『招かれざる客』のスリラー版ともいえる映画です。

 シドニー・ポワチェが高い演技力を持ちハリウッドで最初の「犯人役などでない善人を演じられる俳優」になったのに、かっての黒人社会での評価が高くなかったのは、シドニーは、身体は黒いけれど、立居振る舞いは完全に白人社会のものごしを身につけて演じていて、白人社会にとって違和感なく受け入れられる身体になっていたからだそうです。実のこなし方がすっかり白人であったシドニーの演技。黒人社会から見れば、顔が黒いだけの名誉白人。

 身についた身体表現。日本では。たとえば、ホームの向かい側に知り合いの姿を見つけた人。その人が中高年であれば、ホーム越しにも、丁寧なおじぎをする。そのホーム越しのおじぎ姿を見かけた留学生が、「あんなに離れているのに、なぜおじぎ?」と不思議がって質問してきたことがありました。
 おじぎ文化が身に染み込んでいる上司だったら、ホームの向こうにいる部下が手を顔の横に出し「やぁ」なんていう挨拶をしたら、朝から不愉快になるのかも。出勤時にグータッチでこぶしを自分のほうに突き出してきた部下がいたら、喧嘩売ってんのかと思ってしまう。

 クリスは決して「白人文化を身につけた金持ちの黒人」ではないけれど、ローズとの仲に満足しています。積極的に行きたいわけじゃないけれど、ローズの実家に行くことを拒絶することもないと思っています。父はおらず、女手一つで育ててくれた母も幼いころになくなっているクリスは、ローズの「家族への気持ち」を大事にしたいのです。

 ドライブ旅行の途中、森の中で鹿をはねてしまうという事故があります。調べに来た警察官に身分証を出せと強要され動揺するクリスに対して、ローズは冷静に「運転していなかったクリスの身分証を提示する必要はない」と主張します。ローズは、白人警察官が持っている「黒人ならとりあえずチェックする」を拒絶した、と思えます。
 ローズは鹿の死になんの動揺もしませんが、クリスは精神に大きなショックを受けます。

 狩るほうにとっては単なる戦利品だが。
 狩られたものが武器となり、狩るほうへと逆襲することもある。


 トラブルはあったけれど、無事ローズ実家に到着。
 両親が言っていたように、両親はクリスが黒人であることに差別もなく歓迎してくれます。 ローズの父親は脳神経外科の医者、母親は催眠術を使う精神分析セラピストです。使用人をやとい、広大な敷地に邸宅を持つアーミテージ家は、銀のスプーンでお茶を飲む、上流白人家庭です。

 銀のスプーンは裕福な育ちをすることの象徴だけれど、一方家に縛り付けられることの象徴にもなる。銀のスプーンとは無縁の育ちのクリスは、銀スプーンによって自分自身を縛り付けられることから無縁でいられるのか。
 ローズの家族がクリスに注文したのは、クリスがやめられないでいるタバコについて「健康のためにやめたほうがいい」ということだけでした。



 ローズの実家は裕福で教養ある一家。しかし、しだいにクリスには違和感が募っていきます。とくに、アーミテージ家の使用人、黒人の庭師ウォルターと家政婦ジョージナに、クリスは不気味さを感じます。クリスにとって違和感があるのは、彼らが「白人家庭の使用人」という立場をとっているからでしょうか。彼らは、雇い主にしつけられているのか、少しも黒人らしいふるまいはしません。

 猛スピードで夜の邸内を走るウォルターや鏡がわりの窓ガラスに映る自分の姿に見ほれるジョージナに、不気味さを感じたクリスは、思わずローズの母ミッシーのいる部屋に入ってしまいます。そこでは。
 クリスは、ミッシーに強制的に催眠療法を施術され、(白人家庭では歓迎されない)たばこが嫌いになります。

 アーミテージ家では、近隣の人々が集まって、亡くなったローズの祖父をしたうパーティが開かれます。
 ローズの父ディーンと同様、みな黒人に偏見をもっていないようにふるまいます。しかし、パーティに集まった女性招待客から「あっちのほうも強いんでしょ」というおきまりのセリフを投げかけられたり、パーティ前夜の家族夕食会で、泥酔したローズの弟がいう黒人スポーツ選手へのことばなどに、クリスは白人が内包する黒人の身体能力への劣等感を感じ取ります。
 しだいにクリスに不快感が深まります。

 パーティに招待された黒人はただ一人ローガンのみ。クリスは、彼にあいさつしようと、黒人同士なら普通のあいさつになっているグーとグーを合わせるグータッチをしようと手をさしだします。しかし彼は、白人がやるように手を広げ普通に握手してきました。彼には黒人的なふるまいはひとつもなく、黒いのはみかけだけ。

 クリスがケータイのフラッシュを切らずにローガンを撮影し、フラッシュを浴びた彼は、クリスに殴り掛かります。一瞬ですが、彼の中のなにかが爆発してしまったのでした。ローガンは別人のように豹変してクリスに「Get out」と叫びます。皆に抑えられたローガンは、ローズ母の催眠術で元の静かな人へ戻ります。

 私は映画見巧者ではないので、たとえば、クリスがグータッチを拒否られたシーンなど、グータッチ=黒人社会のあいさつ、ということに気づかず、黒人のはずのローガンが手を開く握手をしたのも、「白人の奥さんと結婚したから」くらいにしか思わなかったのです。
 黒人身体文化、ふるまいの文化の差に気づけなかったのです。異文化コミュニケーション学んだと思っていたのに、まだまだくちばし黄色いね。顔黄色いのと同様に。

 クリスが部屋に引きこもったあと、パーティではビンゴが行われます。ビンゴ会場にはこのパーティの新参者であるクリスの写真がかざられています。
 ビンゴは、ある「特別提供」をオークションでせり落とすためのもの。セリに勝ち残ったのは、盲目の画廊経営者ジムでした。美術品鑑定のために、ジムは「目を失ったこと」を残念に思っています。

 ロッドは、クリスがケータイで撮影し送信した黒人の写真から、その人物はジャズ・ミュージシャンのローガン・アンドレであることを割り出します。ローガンは行方不明になったままだ、という事実をクリスに知らせます。

 アーミテージ家とローズの真実に気づいたとき、クリスは催眠術によって意識不明となり、椅子にしばりつけられてしまいます。目覚めたクリスは、ローズの祖父が「君に凝固法を実施する」と語りかけるビデオを見せられます。
 凝固法の実施シーンがこわいです。

 

 アーミテージ家に集まった白人たちの望みはひとつ。白人の脳(意識・思考)のまま、黒人の肉体を手に入れること。今回のパーティで黒人の強靭な身体を手に入れることができるのは、セリに勝ち残ったジムひとり。

 キツネ狩りや鹿狩り。狩る白人たちに、狩られる鹿への同情はありません。「神は、自分に似せて人間を作り上げた。そして人間の食料として動物を作り上げ。神が作った動物を食べる権利は当然のこととして人間に与えられている」からです。
 「神自身に一番似ていて、この世に優越してよい人種は自分たち」と信じる人々がいること、トランプを見ているとさもありなんと思います。

 この映画に出てくる白人たちに「人類みな平等」はもちろん、「草木虫魚悉皆成仏」という生物平等説は理解してもらえないでしょうね。鹿を殺して肉として利用する権利をもっているのと同様に、優越する白人は、そうでない人間の肉体を利用する権利を有する。自分のお皿にたかろうとするハエをハエたたきで叩き潰しても、殺生の痛みを感じることのないように、ハエなみの存在をたたくのは、優越する人間にとって当然のことと思う人々も存在するのだと、思い知ります。

(ミャンマー仏教徒は、蚊を叩き潰すのは殺生になってしまい、自分の「仏教徒的正しい生き方度」が減るから避けたいと思う人が多いです。そういう人は、叩き潰さないで、殺虫スプレーを部屋中にまき散らします。スプレーは、直接蚊に向かって噴射しません。ただ、部屋の空気を換えようとして部屋に撒く。その部屋に自分から入ってきちゃった蚊は、蚊自身の運命として死んでいく。撒いた人は、ひとことも蚊に「ゲットアウト」とは言っていないからセーフ。殺生したことにはならないので、来世に「よい階級」へ生まれ変わり権利は保持されます)。

 移植治療の行きつく先には、移植用の臓器培養が出てくるかもしれません。都市伝説では、アメリカの金持ちは、最貧国の子供たちを「健康優良な身体に育つための養育施設」に引き取っているのだそう。臓器移植用の健康な臓器。養育院の標語は「健全なる精神は健全なる身体に宿る」こわっ。
 単なる都市伝説ですが、さもありなんという気がしてしまう。
 カズオイシグロの『私を離さないで』の世界は、もうすぐ。
 
 トランプはあからさまに人種差別を口にしていますが、移民に職を奪われたと思って誇りを打ち砕かれているプアホワイト層には受けているのだそうです。
 トランプが言ったとされる「(アフリカ諸国、中米ハイチ南米のエルサルバドルなどの)糞の穴から来た移民」という発言を、トランプ自身は「言ってない」と否定しているのですが。もし彼が朝鮮半島の統一に寄与したなんてことで平和賞を受けることになったら「糞の穴平和賞」と呼びたい。同様に、現首相の大おじさんが手に入れたのは「密約で国民騙した平和賞」と呼びませう。

 さて、この後、黒人はどうふるまえばいいんでしょう。これまでのように、スポーツや音楽に秀でた能力を発揮して名誉白人の地位を手にいれるのか。

 クリスはローズの家でいろんな違和感を感じますが、私が感じた違和感。腎臓ひとつ肝臓ひとつでも移植手術後の拒否反応がひどいのに、ウォルターは猛スピードジョギングができるくらい健康だし、ジョージナは鏡の中に映る自分にうっとりする若さを誇る。父ディーンの外科医技術がものすごいのか、とか、疑問に思うところはありました。
 全体としては、新手の恐怖の描き方として、まっとうでした。

 アジア人(アメリカ人海軍提督発言によると「黄色い猿ども」)であるわたくしは、映画の中ではクリス側の目で見ていましたが、白人はこれ見てどう思うのかしら。

 クリスは自分自身の工夫で危険から逃れようとするのですが、死を目の前にした彼を救うのは、黒人同士の友情です。
 単純な私は、主人公が友人に助けられてやれよかったと思うのですが、実は、非公開となった最初のラストシーンは、クリスは殺人罪で捕らえられておわり。刑務所で衰弱していくクリスのあまりに悲惨なラストゆえ、社会から受け入れられなくなることをおそれて、このバージョンはお蔵入り。公開されたのは私が見た「死の直前に救われる」バージョンになったのだと、メイキングではばらされているそうです。

 現実のルイジアナ州バトンルージュ市だったら、確実にクリスは逮捕されて死刑だろうな。(あのう、バトンルージュ市をディスってませんから。ただ、ハットリくん刑事裁判の恨みがあるっつうか)

 でも、ハリウッド的に「ウケる」ラストに変更したから、ごほうびに脚本賞とれたのかな、と勘ぐってみる。使われなかったラストのままだと、もっと傑作になったかもしれないけれど、興行成績はあがらなかったにちがいない。
 銃で鹿を撃つのが好きなお金持ちへ。戦利品として鹿の剥製を部屋に飾るのはやめておきなされ。逆襲したい鹿はどこにでもいる。

 今月も、銃万歳国のなかで、コロンバイん高校乱射事件を模倣したとされる高校内乱射事件が起きました。クラスメートが何人も殺された高校で、在校生が望むのは「もっと警備を強化してほしい」だったとか。どれだけ警備強化しようと、銃が身の回りにごろごろといある限り、銃で殺される人はなくならないと思うけれど。
 ハリウッド的忖度がない現実社会では、今日も銃は人を殺す。明日も。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「リメンバーミーの死者の国&アレブリヘス考」

2018-05-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180520
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>死ぬ前、死んだあと(1)リメンバーミーの死者の国&アレブリヘス考

 退職した大学の留学生コース。毎期コースも終わりに近づくころに、日本語音声表現として日本語初級の学習者に「私の国と国の文化紹介」という日本語スピーチ発表をさせるのが、私にとって楽しみにひとつになっていました。
 あいうえおから教え始めた学生が、半年たってまだおぼつかない日本語力であっても、懸命に自分の国について述べ、自分の国の文化をクラスメートの前で発表する。学生にとって、日本語という関門をクリアしての発表を終えると、自信もつき、自国への誇りもいっそう高まるので、とてもよい時間を過ごすことができました。

 その中で、メキシコからの留学生が発表してくれた「死者の日」について、私から学生に伝えた発表へのコメントは「日本にもお盆という死者を迎える大切な行事があります。亡くなった人と家族のきずなは、世界中どこでも特別なものですね」
 留学生へのコメントでは「日本のお盆も死者を家に迎える行事なので同じですね」と言いましたが、お盆と「死者の日」はかなり違います。

 キリスト教(カトリック)では、人間は死んだ後、煉獄へ行くとされます。煉獄で罪が清められると天国へ行ける。煉獄での清めの期間は決まっていませんが、生きている人間が教会でミサに出て死者への祈りをささげれば、その功徳によってお清め期間が短くなるという、「カトリックでミサを受けることの重要度」を増すための考え方が11世紀ごろに広まりました。

 クリュニー修道院の院長オディロ (962–1048)は、信者のひとりから悪魔が話したということばを伝え聞きました。悪魔が「死者のために祈る人がいると、死者の魂が早く天国へいってしまうから不愉快だ」といったのだそうです。
 オディロは、すべての聖人の日11月1日と翌日の11月2日を死者の日と定め、死者の霊魂のために祈りを捧げるミサをはじめました。この新しい宗教行事は、キリスト教圏に広がり定着していきました。ミサへのご供物も増えて、カトリックにとっては都合よし。(すべての聖人の日の前日が、すべての悪霊が騒ぐハロウィーンの日。日本ではこちらが仮装バーティの大騒ぎとして定着)

 スペインの植民地政策によってキリスト教を受け入れた南米の人々は、もともとの土俗宗教に「頭骸骨など死者の骨を身近におき、死者のかたみと共に生活する」という習慣がありました。この土着の宗教習俗がカトリックの「煉獄でお清め完了を願うミサ」と習合して定着し、南米を中心にした「死者の日」の宗教行事ができあがりました。現在メキシコでもっとも盛んに行われています。

 毎年11月1日、2日、メキシコほか南米諸地域では死者を家に迎え入れ、楽しく共にすごすのだ、と留学生はメキシコの「死者の日」について紹介していました。
 家族親戚がつどい、死者を偲びながら歌ったり踊ったり、食べたり飲んだり、にぎやかに過ごすので、クリスマスよりも楽しい、とのことでした。クリスマスはイエス様の誕生日だから、イエスをはばかってあまり羽目を外すことはできないけれど、死者の日は心置きなく酔っぱらうこともできると。
 西欧カトリックでは「煉獄の死者のために祈る日」というものだけれど、メキシコでの死後の世界は、「死者は死後も楽しい暮らしをしている」というイメージである、ということでした。

 ディズニーピクサーの映画『CoCoリメンバーミー』は、このメキシコの「死者の日」をモチーフにしたCGアニメーション映画です。

 道に敷かれているのは、黄色いマリーゴールド(センジュ菊)の花びら。メキシコで死者の日に町中に飾られる花です。

 佛教のお盆について。
 釈迦の入滅後100年ほどは、死者や遺骨に仏教出家者がかかわることはありませんでした。入滅のさいに釈迦は弟子(アーナンダ)にそのように遺言したからです。仏教は出家者のさとりのためにあり、葬送儀礼のためのものではありませんでした。
 日本に仏教が伝わったのは、釈迦入滅(紀元前383年前後。諸説あり)後、千年近くたってから。伝わった時点で、中国の道教などと習合していましたし、日本伝来後は土俗神道や修験道と習合して、釈迦の原始仏教とは大きく異なる宗教になったという説に賛成。

 葬送儀礼でも、仏教伝来以前の死者を弔い供養するやり方が現代まで続いています。お釈迦様の遺言「佛教者は葬式にかかわってはいけない」を守っている僧侶は日本には数少ないでしょうね。

 お盆の起源は諸説あり、確実なことはわかっていませんが、日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した行事である、という点は納得できます。

 以下、主な内容は、死者の国への考察と、メキシコの精霊動物についての考察ですが、映画ストーリーのネタばれを含むので、未見の方ご注意を。

 映画『リメンバーミー』では、この世の家族が死者を忘れずにいて写真を祭壇に飾ってくれないと、死者たちは死後の世界からこの世に戻ることができない、ということが重要な決まりになっていました。
 死者の国の出入国管理所で、生者の国で死者の写真を飾ってあるかどうか、厳しくチェックされます。

 主人公の少年ミゲルは、伝説の大歌手エルネスト・デラクルスのギターを盗んだために死者の国に飛ばされます。死者の持ち物やご供物を盗んだ者は死者の国に飛ばされる、という「死者の国ルール」があるからです。ミゲルは歌のコンテストに出るために、どうしてもギターが必要だったので、デラクルスの廟にあるギターに手をかけたのです。生者の国に戻るには、死者の国にいるご先祖からの許しをもらわねばなりません。
 ミゲルのご先祖、ひいひいばあちゃんのママイメルダは、ミゲルを許すでしょうか。

 ママイメルダの娘である、ママココは、ミゲルのひいばあちゃん。100歳近い一族の重鎮ですが、最近とみに弱ってきており、生者の国にとどまるのもあとわずか。ママココの娘であるママリヴェラ(ミゲルのばあちゃん)は、ミゲルが音楽に興味をもっていることを叱り、ミゲルがコンテストに出ようと手作りギターをひくことも許しません。一家にとって、音楽はタブー。娘のママココや妻を捨てて音楽に没頭したママココの父親は、一族にとっていまだに許しがたい人物なのです。

 ミゲルが死者の国で行動をともにするヘクター。家族に写真を飾ってもらえないので、毎年「死者の日」になっても、生者の国に帰れません。ヘクターは、生者の国に残してきたひとり娘が自分を覚えていてくれることを望んでいます。

 ヘクターが生者の国に戻れないという死者の国ルールを見て私が感じたのは。
 「残されたものが死者を思い出すよすが」として写真が使われているとすると。写真術発明以前の人々、西洋なら1839年のダゲレオタイプ発明以前、日本だと1854年以前の人々は、生者の国に戻れないことになってしまうのではないのか、という心配が生じます。
 
 その点日本仏教だと、位牌だろうと生前使っていた品物だろうと、なんでもいいし、墓石に名前がなくたって、そのご先祖をだれも思い出さなくても、死者は生者の国に戻ってこられるから、パスポート制限なしってことね。

 子供には、写真のない世など考えられないのだし、これでいいのだとは思います。
 ヘクターが生者の国に戻れなかった理由をつけるため、子供にもわかるようにするには、やはり具体的な「モノ」が必要だったんだろうと納得して、写真術発明以前のことは不問にしました。

 死者の国(カトリックなら煉獄に当たる)は、華麗でキラキラした美しいところ。死者は骸骨になっているけれど、陽気に歌って暮らしています。

 ピクサーアニメーターのイメージだと、死後の世界はこんな色合い

 子供にこの死者の国を見せたら、死ぬことはつらく悲しいことではなく、別の次元の世界へ行くことだというイメージが伝わっていいと思います。

 重要な死者の国ルールその2。死者をだれも思い出さなくなると、この死後の国からも消えてしまう。「死者の国」から消えたあとに行く所は、神のおわす天国なんでしょうけれど、映画ではそこは描かれません。キラキラ死者の国から消えてしまうと、もう生者の国に戻れない、ってことになっている。ヘクターはそれを恐れています。もし、死者の国からいなくなったら、最愛の娘が死者の国に来た時に再会できなくなってしまうから。
 
 もうひとつ、アニメ的な映像処理について。
 死者の国の住人は皆がいこつ。しかも、目だけは生前のように見えるものが残されています。土葬したら目はいちばん先に土に溶けると思うけれど。メキシコで祭壇に飾られるしゃれこうべには目はついていませんが、ま、これはこれでいいかも。がいこつたち、かわいらしくアニメ化されているし。

 土葬の地域では生前の骨のまま形が残ります。沖縄など東南アジアの葬送儀礼では、土葬して骨になったあと、洗骨して本墓にいれます。
 日本本土の火葬土葬は紆余曲折ありましたが、現在の都市部では火葬しないと埋葬許可はでません。
 お釈迦様は「私の死後は火葬するように」と遺言したと大般涅槃経その他のお経に書かれているので、仏教地域では死後「荼毘にふす」火葬が基本です。

 火葬の遺骨は焼けてバラバラになる。焼かれた骨で死者の国で暮らすには、バラバラの骨を再構築しなきゃならぬ。リコンストラクションですな。お釈迦様の遺骨(舎利)なんか、少しずつ分けられて、釈迦入滅200年後は8万か所に分配。再組立ても難しい。釈迦はカトリックじゃないから、再構築も必要ないでしょうが、煉獄に行くことを信じている人だと、遺骨を灰にして海やら森に散骨した場合には、さらに再組立ては難しそうです。どうせ再構築されるのなら、私は骨姿じゃなくて、生前の姿をちょいと美化した絵姿でも描いて偲んでほしい。

 というようなことは吹っ飛ばして、『CoCoリメンバーミー』の画面は美しいし、歌は楽しいし、大人も子供もいっしょに楽しめる映画でした。吹き替え版を見ましたが、ミゲル役石橋陽彩(いしばしひいろ)も、ママイメルダ役松雪泰子も歌が上手でした。

 最近の西欧キリスト教圏の意識変化を感じたのは。
 ディズニー映画がキリスト教圏以外の異文化を描くとき、ウォルトディズニー(1901-1966)が制作部門を握っていた間は、どうしても「非西欧文明は、西欧よりも遅れた文化」という意識が画面にありました。ウォルトには、生前から白人至上主義者という非難が寄せられていました。ウォルトは共産主義者と黒人と同性愛者が大嫌いでした。

 しかし、現在のアニメでは、従来の西欧社会とは異なる世界観、宗教観も積極的に取り入れているのではないかと思います。「リメンバーミー」でもそうです。

 たとえば、メキシコの民間信仰では、メキシコ原産の毛のない犬(ヘアレスドッグ・原語ショロイツクインツレ)は、死んだ人を死者の国に導く犬と考えられています。
 ミゲルの愛犬ダンテ(地獄煉獄天国巡りの『神曲』を書いた作家の名をもつことで象徴されています)も、ミゲルとともに死者の国へ赴くことができ、ミゲルを救った功徳により、霊を持つ動物「アレブリヘスAlebrijes」になることができました。

 アレブリヘスとしてのダンテ


 アレブリヘスはメキシコのペドロ・リナーレス(Pedro Linares 1906‐1992)が、創作したものです。リナーレス30歳のときに瀕死の病の床で見た夢に現れた生き物の姿を、張り子人形にして表現したものです。
 リナーレスの人形は現代アートとして世界中の美術館博物館に収蔵されました。
 そののち、オアハカの木彫り職人たちがリナーレスと同じような人形を木彫りで作るようになり、現在では、メキシコオアハカ地方の民芸木彫り人形としてポピュラーなお土産品となっています。また、お祭りのパレードのフロートにのせる人形としても大人気。

 大阪の国立民族学博物館所蔵リナーレスのアレブリヘス。


 リナーレスのアレブリヘス・オリジナルデザインはパブリックドメインとなっているそうですが、その場合オリジナルに敬意を持っていない改変はだめ、というメキシコ政府の方針らしい。
 リナーレスのデザインをまんまパクったっぽいオアハカ土産物木彫のアレブリヘス。このみやげ品、オリジナルに比べるとちょいヘタレな感じ。


木彫りのアレブリヘスバッファロー


『リメンバーミー』で大活躍のアレブリヘス(ジャガー、バッファローとコンドルのミックスか)


 もともと、メキシコと中南米北西部(メソアメリカ地域)では、動物の精霊が民間信仰に存在していました。人には霊(トナル)が備わっており、表の霊に対して裏の霊は「ナワル」と呼ばれます。なかでも、変身する能力を持つとされた妖術師や魔女(シャーマン)が鳥獣に変身した後の姿は、鮮やかな色彩を持っています。
 古代アステカ神話に伝わる神テスカトリポカ神の裏の精霊のひとつはジャガーのナワル、テペヨリョトルまたはテペヨリョトリ(Tepeyollotli)です。


 メキシコのペドロ・リナーレスの夢に現れたのも、このナワルだったのだと思います。
 夢の中で、ナワルは「アレブリヘ」と声を出していましたので、リナーレスはこの霊を持つ姿をアレブリヘス(複数形)と呼びました。
 リナーレスの「人の顔を持つカラフルな動物の姿」は、メキシコの人々の心をとらえました。オアハカでは木彫や陶器でアレブリヘスが作られるようになり、おみやげの一大産業になっています。

 もともとは死者の日とはかかわりなかったアレブリヘスですが、リナーレスが瀕死の状態からよみがえったこともあり、「リメンバーミー」では死者の国の精霊動物としてミゲルの前に現れます。

 アレブリヘスを、死者の国の精霊動物にしたのはピクサーによるアレンジですが、メキシコの人々もこのアレンジを納得しました。メキシコでも『Coco』が大ヒットしたのは、ディズニーピクサーがアレブリヘスに敬意をもって描いていると思ったからこそ。へたれみやげ品のほうのアレブリヘスだったらちょっとね。

 このように、キリスト教とは異なる中南米の民間信仰であるナワル(アレブリヘス)を、キリスト教と共存するものとして描いているのは、21世紀の大きな変化ではないかと思います。唯一神以外の宗教を否定してきた考え方がようやく多文化へと開かれてきたと感じます。

 25年前に私が日本語教育にかかわった初めのころ「留学生に、私は無宗教ですと絶対に言ってはなりません。人格を疑われてしまうから」と忠告を受け、私は自己紹介では「Zen-buddhist禅宗です」と言ってきました。(家族が曹洞宗のお寺に葬られているというだけで、私自身を禅仏教徒と言えるのか、というのは別として)

 しかし、最近の西洋社会からの留学生、みずから「無宗教です」と自己紹介する人も増えてきたのです。
 キリスト教社会が唯一絶対のものではなくなってきたからこその、アレブリヘス受け入れなのかなあと感慨深いものがあります。

 私の個人的意見では、ピクサーによるアレブリヘスのイメージ造形ヒントとなったのは、リナーレスの張り子人形よりも、ポケモンだったのではないかと考えます。
 たとえば、炎帝


 印象派やゴッホなどポストインプレッショニストと、浮世絵の影響関係は、最近のジャポニスム研究のメインテーマだけれど、きっと将来のアニメ研究家は、ピクサーアレブリヘスとポケモンの比較研究なんてやりだすだろうと思います。

 ラストシーン、ヘクターは、死者の国で離れ離れの妻とよりを戻し、娘と3人手をつなぐことができました。生者の国の家族のもとに戻ったミゲルは、家族の絆を大事にして、ご先祖様から受け継いだ音楽の才能を存分に発揮できました。
 めでたしめでたし。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「母の日&スマホ再デビュー」

2018-05-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180519
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記GM(7)母の日&スマホ再デビュー

 いつもは鞄に入れておくケータイをコートのポケットに入れて帰宅。
 どうしてポケットに入れておいたかというと。重たい鞄(約5kg飲み物ペットボトル2本で1kg本3~4冊で1kgその他)はキャリーにのせてガラガラひっぱって歩いています。自転車やキャリーにのせてしまうと、ガラケーの低機能の歩数計は、ちゃんと歩数をカウントしてくれないのです。上下振動を与えないと計測しないみたい。90分×2の通勤時間の歩数をちゃんと計測したいと思い、ケータイをポケットに。

 一日の通勤に要する歩数はおよそ4000~5000歩。5000歩を超えるとガラケーが「今日は5000歩を超えました。がんばりましたね」とほめてくれます。美術館博物館などに出かけた日は1万歩を超えますが、通常の通勤ではたいてい5000歩以内。ちょっと歩数が足りないときは、キャリーにのせた鞄から出し、ホームなどで歩く分も計測しようと思って手に持ったり、ポケットに入れたりして歩数を稼ぎます。(ガラケーにでもほめてもらわないと、だれも「がんばりましたね」なんてこと言ってくれないし)

 帰宅。コートを脱ぎ、ちゃんとハンガーにかけないで、ばさっと洗濯物籠のあたりに脱ぎ散らかしておく。翌朝、洗濯籠の中身をまとめて洗濯機へ。ガラガラと洗濯機は40分働きました。さて干そうと洗濯機の中へ手をつっこむと、なにやら固いものが。
 あらら、コートの中に入れたままのケータイを洗ってしまったのでした。

 近所のケータイショップへ駆け込むも、完全に死滅状態。そりゃそうだよね。ちょこっと水にぬらした、というのではなく、40分も洗濯したケータイ、生きていたら奇跡。
 新購入したガラケーは、洗濯したものとほとんど同じ機種。高齢者向けのかんたんケータイです。データ復旧できるかどうかは、2週間以上しないとわからないというので、そのあいだ、データなしのガラケーを使用しましたが、電話番号わからないので、こちらからはメールも電話もできませんでした。家族や顔を合わせたジャズダンス仲間には「電話して。登録するから」で応急処置。
 洗ったガラケーのデータがCDになって復旧されるまで、2週間以上かかりました。

 息子がショップで言う。「ぼくが母にあげたおさがりスマホ、ほとんど使っていないでしょ」「だってスマホの使い方よくわからないんだもの」「それ、ぼくに返して。老人向けのカンタンスマホ注文するから」
 といういきさつで、ガラケーのほかに、高齢者向けのかんたんスマホを買いました。設定などは息子が引き受ける、という条件で。

 セキュリティほかのいろいろ設定をしてくれたおかげで、スマホでブログも見ることができるし、地図も出るし、いろいろ便利になりました。実はこれまでのガラケーでもそういう機能があったらしいのですが、メールと電話以外の使い方を知らないまま使っていました。

 スマホでブログコメント書いてみました。キーボードで10本の指なら1分間しゃべることば400文字は1分間で打てるのに、1本指での文字打ち出しはすごく下手で、時間がかかります。
 それでも、通勤電車の中でブログ読んだり、地図見たりできるのはとても便利です。ブログコメントも、時間はかかりますが、電車の中で送信できるようになりました。
 
 4月に購入したスマホですが、息子からの母の日プレゼント、ということに。カバーに春庭と名前入り。
 そして手作り大好きの娘からは、東急ハンズの皮工芸教室で作ったパスポート入れ。

 5月13日母の日は、池袋東急ハンズで手作り終えた娘と待ち合わせてサンシャインプリンスで食事しました。
 食事から合流するはずだった息子は体調不良でこないことになったので、レストランの計画変更。小食の息子がいっしょだとなかなか行けない食べ放題に行ってみよう、と決まりました。
 少ししか食べない息子がいっしょだと、元が取れないと考える大食い母子の、久しぶりの大食い挑戦です。

 サンシャインプリンスの食べ放題、どんなもんかと前から気になっていました。
 ディナーひとり4400円。蟹やローストビーフも食べ放題とあるのでかなり期待したのですが、蟹は冷凍ものというのも予想通り。細身の足ばかりで爪はほとんどなし。ビーフのグレードも低めで、他の食材もぜひもう一度食べに来たいと思うようなものはありませんでした。まあ、食べ放題の食材なんてこんなものが多いけれど。

 しかるに、その「あんまりおいしくなかった食べ放題」を母子は90分時間制限のところ、120分までねばって、デザートまで食べました。娘は子供のころから大好きだったチョコレートファウンテンがあったので、湧き出てくるチョコにマシュマロにをからませて満足していました。「自分で作った感」があるのでいいのだそうです。
 私もセルフサービスのソフトクリームのバーを操ってみたのですが、くるくるとうまい具合にはトルネードせず、なんだか出来損ないの蛇みたいに横に伸びてしまい、娘に「垂れて落ちちゃう」と注意されました。

 レジの人に聞いてみたら、ランチ2100円と、ディナーとの違いは「蟹はランチメニューにない」という程度らしい。食べ放題店評論家の娘は「このグレードだったら、ランチならまあOKだけど、ディナーの4400円はないな。次はランチなら来てもいいけれど、ディナーはもういいや」と、辛口批評。

 ミサイルママが、品川プリンスのランチ4000円がすご~くおいしかったというので、次に挑戦してみたいですが、彼氏とのデートでのランチですから、ミサイルママの評価には、楽しいデートのお食事という加点が入っているのではないかと。はたして食べ放題店評論家の舌は合格点を出すや否や。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「石神井川に沿って、カツサンド非配達人」

2018-05-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180517
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記GM(4)石神井川に沿って、カツサンド非配達人

 体力は落ちてきたけれど、春庭、アシスト自転車利用で荒川河口まで往復できました。往復およそ50km。
 春庭、すぐ調子に乗るほうなので、次は石神井川に挑戦しようと思いました。お花見サイクリングでは音無橋から帝京病院まででした。こんどは、石神井川水源の石神井池まで行ってみよう。

 実際には、石神井池は石神井川とつながっておらず、石神井川の水源は小金井公園の西方(小金井カントリークラブ近く)が水源です。小金井のハケのあたりを地学研究会の先生に連れられてハイキングしたときに、水源の話を聞いたことがあったように思うのですが、すっかり忘れていて、石神井川の水源は石神井池と思い込んでいました。

 5月6日日曜日、連休最後の日にヘアダイをしに近所の美容院へ。染まる時間の待ち時間に「今日の午後、何しようかな。連休最後の日だから、なにか楽しいことしたな」と考えて、思いついたことがありました。

 ゴールデンウイーク休みあけにでも、某所へカツサンドお届けに行く心づもりがありました。月曜日の仕事帰りにでも寄ろうかなと思っていました。でも、いいこと思いついた。そうだよ、自転車で配達するほうがずっと配達人ぽい。
 私の頭には、ピンポーンとチャイムを押してドアからサッと紙袋渡して、「受け取りのハンコはいりませーん」なんて言って、ササッと自転車で過ぎ去って行く、というシナリオが浮かびました。ちょっといいかも。

 石神井川往復と友の家訪問。そもそも、両方を一度にしようと考えたのがアホでした。石神井川水源は石神井池と思い込んでの暴挙です。
 
 自分の間違いにまったく気づかず、勇んで自転車に。音無川から石神井川へ。水源の石神井池までどれくらいかな。たぶん、葛西臨海公園駅までと同じくらいじゃないかな。(あとでチェックすると、どちらもほぼ、同じ。片道25kmくらい)

 遠出するつもりじゃなく家を出てきたので、アシスト自転車のバッテリーはすでに半分消費されている状態でした。ま、なんとかなるだろう。バッテリーアシストモードをオートからエコモードに換えました。いよいよバッテリーなくなったら、少々重いけれど、普通の自転車と思って乗ればよい。

 電車で行くなら乗り換え駅のデパ地下で買っていこうと思っていたのですが、スマホ地図で検索すると、友人宅最寄り駅近くにカツサンドの売り場マークがありました。うん、ここで買えばOKじゃん。

 前回の花見で来た道は難なくクリア。石神井川の右岸に行ったり左に行ったりしましたが、基本的に川に沿うだけなので方向音痴でも前へ前へと進みます。ところが。れれれ。
 調子よく前進していったのに、途中、石神井川が消えて無くなってしまいました。

 ありゃりゃ。石神井川は道と並ぶのをやめて、としまえんの中に入ってしまったのです。細かい地図で見たことなかったので、石神井川がとしまえんの中を流れているなんてことまったく気づきませんでした。としまえんにはこどもが小さいころは毎年来てプールや乗り物で遊んだのに、としまえんで川を見た記憶がありません。
 園内地図をチェックしてみたら、としまえん入り口からプールに向かうとき、石神井川の上を渡る橋を通っていたことがわかりました。川の上を通ったという気は全くしていませんでした。

 としまえんは、私にとっては単に遊園地でしたが、歴史的にみると、豊島氏が練馬城を築いた場所だったのだそうです。練馬城跡を含む川の両岸の土地を買ったお金持ちが遊園地にしたので、遊園地のなかを川が流れているのではなく、もともと川のほとりに城を建てた土地であった、ということ。ほうほう、それにしても、川に沿って行くつもりだったので、できなくなりました。
 としまえんの入り口では「本日、大人入園料無料です」と、がなっていましたが、自転車では入れないので、無料大好きの私もあきらめる。

 で、地図を見ながら住宅地の中を迷いつつ、目白通りに出ました。
 どうして目白通りに出られたかというと、ガストの看板が見え、ガストなら大通りに面しているだろうと目印にしたのです。目印になったのでお礼のつもりでガストで昼ご飯を食べようとして大失敗。小1時間くらい待たされました。で、待っている間に、目白通りから友の家までどうやって行ったらいいのか思案。もう石神井川は捨てました。

 なんとか友の家の最寄り駅に近づけたと思ったのですが、スマホ地図で検索したカツサンド売っている店がどうしてもわかりません。30分以上、ぐるぐる付近を回り、地図にはAマートと出ているところが、日曜休みになっている店だとに気づきました。
 おまけに、行けばわかるのではないかと思った友の家は見当たらず、またもや30分くらいぐるぐる。

 おみやげは買えず、家もわからず、このまま戻るのも残念無念。せめて友の顔だけでも見て、体調たずねて帰ろうと、最後の手段。電話をかけました。駅まで来てもらい、顔を見て安心しました。
 ヒレカツサンドのおみやげもなく「ピンポ~ン、はい、お届け物で~す、あ、ハンコはいりません。じゃ、失礼します」というシナリオは、夕方急につよくなった風にふっとんでいきました。

 配達人になれなかった春庭、帰り道は少々間抜け気分で、元来た道を戻り、もう石神井川岸の道には入らず、環七の歩道をたどりました。

 息子が小学生だったころ、いっしょに環七歩道をひたすら走り、高円寺だったか阿佐ヶ谷だったかの小劇場まで自転車で行ったことがありました。ミサイルママの息子が出演している小劇場の芝居を息子と見て、また自転車で帰ったこと思い出しながら、環七を走る。2時間ちょい走って、エコモードのバッテリーは残量マークがもうぎりぎり。でも、なんとか戻ることができました。友からは「無事帰れましたか」の安否確認メール。私が友の元気度を確認するつもりだったのに、逆になりました。

 今日の自転車往復は、アホだったなあ、このアホ気分を変えなくちゃ、と、また藍屋で生ビール飲んで帰りました。別段藍屋でなくてもいいのですが、前回来た時もらったビール半額券があったので。
 
 アホなお見舞い、かえって帰り道のご心配かけてしまい、申し訳ない。次はちゃんとビール届けるから。自転車で。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「葛西水族園onみどりの日」

2018-05-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180513
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記GW(3)葛西水族園onみどりの日

 毎年、みどりの日には「都内の公園全部めぐり」という庭園公園散歩をしてきたのですが、今年は2日に荒川沿いをサイクリングしたときに、途中の雨で完走できなかったので、もう一度荒川サイクングロードを走って、葛西臨海水族園まで行ってみようと、計画変更。

 2日は、河口に向かって荒川の左岸(荒川東岸)を走ったので、今回は右岸(荒川西岸)の下を通ります。
 とても風の強い日で、清砂大橋を渡るときは、風に押されて荒川に落っこちるかと思いました。なんとか往復できて、完走しました。

 江北橋から出発


 荒川河川敷の緊急時道路。(勝手にサイクリングロード)


 河川敷グラウンドでは、野球、サッカーなどのスポーツ少年少女がにぎやかに走り回っています。
 休日の荒川光景、ほのぼのとしながら走りました。橋の景色は2日と同じですが、お天気が2日よりよいので、橋も青空にくっきりときれいに見えます。

 電車に乗ってお出かけの人を見上げながら、自転車をこぐ。


 2日に荒川沿いを走ったときよりも、グラウンドに出ている子供の数も、土手で練習や試合を見ている親の数も多く、サイクリングロードを行きかうロードバイクの数もぐんと多い。ヘルメットをかぶってグイグイとペダルを踏みこんで走るロードバイクの人々、男性が多く、女性はあまりいません。ジョギングしている人、男女いるけれど、高齢の男性は見かけるのに、高齢とお見かけする女性はめったにいません。高齢女性は、ジョギングもロードバイクもあまり趣味じゃないのか。

 私だってロードバイク、かっこいいなあと眺めるだけで、自分で乗るのはママチャリアシスト付き。アシストママチャリで往復50km走ろうというのは少数派みたいで、たまにママチャリを見かけると、それはほとんどグランドでプレイする我が子の応援に飲み物食べ物を持ってきた親ごさんだったりする。

 私は歩くのは苦手。たぶん股関節に問題があるんだろうと思います。ときどき痛むし。でも、自転車なら50kmくらいはこいでいられます。歩くのと自転車こぐのでは、使う筋肉や骨が違うのでしょう。
 風が強いので、土手の上の道を走るのは、今日は無理。ずっとグラウンドの脇の下の道を走りました。
 空青く雲白く、川は流れ人は走る。ほんとに気持ちのよい日です。

 前回2日に折り返した平井橋を過ぎ、総武本線荒川中川橋梁、 小松川大橋、荒川大橋、葛西橋と、橋の下をくぐったり、水門を超すために上の土手に上り下りしたりしながら、河口へ近づきました。

 葛西橋。もう川は汽水域。


 メトロ東西線は、木場を過ぎると地上に出て、東京地下鉄東西線 荒川中川橋梁を渡ります。千葉の大学に出講していたときは、東西線に週に2度乗って往復していたけれど、その隣の清砂大橋を初めて渡りました。

 清砂大橋のわき、土手のどこから降りてどこから橋に上がったらいいのか、わかりませんでしたが、前をいくロードバイクにくっついて行ったら、橋に上がれました。2日のようにあまりロードバイクが多くない日だったら、方向音痴の私はきっと上り口を探してうろうろとしたことでしょう。

 葛西臨海公園へ行くために、強風の中吹き飛ばされそうになりながら渡った清砂大橋。私の好きな斜張橋です。


 荒川河口橋の外側は海です。


 葛西臨海公園までの道もやっぱりうろうろして行きつ戻りつ、どうやって公園の入り口にたどりつくのか、地図をみつつ道に迷う。
 大観覧車は平井橋あたりから遠くに見えていたのですが、なかなか近づきません。
 ようやく公園入口に入れました。

 葛西臨海公園の大観覧車


 葛西臨海水族園。無料公開日で、中はラッシュアワー並みの混雑。水族館好きの娘息子と何度も見ているので、魚の水槽はパス。まぐろ回遊水槽だけ、階段いすにすわって、1時間以上ぼうっと見ていました。


 まぐろは現在90匹近くいると、係員が紹介していました。2015年春に原因不明の大量死があり、クロマグロ1匹残っただけ、ということがありました。複数の原因が複合した結果の大量死ということでしたが、同じ種類同じ年齢のマグロばっかり、というのはよくないみたいで、生物にとって、多様性というのは大事だなあとつくづく感じます。

 水族園レストランでランチ。水槽をゆうゆう泳いでいたのを見て、「うまそう」と思った人々が注文するのでしょうか、一番人気はマグロカツカレー。私は、ミックスフライとノンアルコールビール。ミックスフライは、エビ、イカ、魚すり身のフライでした。水族館の水槽から釣り上げたというわけじゃなく、冷凍魚を使用した味。たぶん。

 帰り道、同じ清砂大橋を渡ったのですが、風がますます強くなり、おまけに橋を降りてから川沿いの道に戻る出入り口がわからなくなりました。うろうろ探して走ったのですが、どこまで行っても土手の中に入る道が見つかりません。だいぶ海のほうまで近づいてから、こりゃ違うと思いました。
 清砂橋まで戻り、もう一度橋を降りたところから、探したら、ようやく見つかりました。一度通った道なのに、覚えられず、ひとつ隣の道に入っていたのです。

 強風によろけ、首筋が「Tシャツ焼け」した強い日差しの一日でしたが、よいみどりの日でした。

 帰り道に、天使のはしごあらわる


<つづく>
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ぽかぽか春庭「橋めぐり、荒川に沿って」

2018-05-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180513
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記GM(3)橋めぐり、荒川に沿って

 自転車散歩、ゴールデンウイークには、電動アシスト自転車でちょっと遠くまで走ってみようと思っていました。
 水曜日出講の大学「5月2日。水曜日は休講とする」と大学暦にあり、やれうれしやの休日。学生には「来週から発表するように」という課題を出して、教師は心置きなくゴールデンウイークの無料のお楽しみへ出発。

 夕方には雨が降るという予報の曇り空。河口へ向かって、どこまで走れるか、体力チェックの日ということにしました。疲れたら、戻る。

 まず、都市農業公園へ。本来は水曜日は定休日ですが、ゴールデンウイークさなかなので、臨時開園していました。しかし、平日だし、臨時開園が知られていなかったのか、園内にはほとんど人がいなくて、休憩したレストランにいたのは、荒川沿いに走るロードバイクの人々ばかりでした。

都市農業公園に移築された古民家


 植えられているネギなどを眺めつつ園内を往復しました。子供たちが小さいときは、自転車の前後に乗せてよくここへ来たことをなつかしく思い出します。団地内の公園だと「休日にどこかに行ってきた」という気分にならない娘も、荒川を渡って普段はいかない農業公園までくると、「いつも遊んでいる公園とは違うところに行ってきた」という気分になりました。
 荒川土手でシロツメクサの冠をこしらえたり、段ボールで土手すべりをしたり。

 古民家の縁側で


 ともあれ、出発。河口に向かって左岸を走りました。荒川は、川岸のサイクリングロードが整備されています。ただし、荒川下流の走りやすい舗装路は、サイクリングロードではなく、災害時の緊急用河川敷道路で、サイクリング用に勝手に走っているだけ。

 出発の都市農業公園前の水門


 五色桜大橋

 江北橋


 荒川両岸の河川敷は、川岸の区ごとに野球やサッカーのグランドがあり、5月2日も少年野球チームなどが集まっていました。

 都市農業公園から河口までは25kmくらいと思います。往復だと50km。衰えてきた老体の足をアシスト電動でカバーすると、今日はどこまで行けるやら。気になるのは、曇り空。

 扇大橋


 荒川沿い、ロードバイクの人気コースです。荒川上流から河口まで全制覇なんていうロードバイカーのブログもありますが、ビュンビュンと追い越していくロードバイクの中、おばはんのアシスト自転車はゆっくりマイペースで進みました。

 土手の草刈り作業
 

 橋の形を楽しみながら、休み休み進みました。全部の橋を撮ったわけではないけれど、18年前に息子といっしょに葛西臨海公園まで自転車で往復したときにはなかった橋もあって、たのしく走りました。

 西新井橋


 千住新橋 

 千住新橋の下に集まっていた中学生。たぶん5月に行われる運動会のダンス練習


東武鉄道伊勢崎線荒川中川橋梁か京成線本線かもう、わからなくなりました


 堀切橋


 新荒川大橋


 荒川と並行する中川にかかる橋。18年前にはなかった災害時緊急用の橋みたいです


 こちらも中側にかかるハープ橋


 四ツ木橋だったけな?


 平井橋まで進んだところで、雨がぽつり。風も強くなってきて、アシストあっても足が重くなりました。河口までいけなかったけれど、戻ることにしました。江北橋までくるとかなり雨も降ってきましたが、かろうじて大降りになる前に帰宅できました。

 平井橋


 河口まで行けなかったので、ゴールデンウイーク中にリベンジサイクリングを、と決意しながら近所の藍屋で生ビールでひとり乾杯。
 そんなに疲れたという気はなかったのですが、帰り道、雨と競争で急いでペダルを踏んだので、少々ひざがガクガクしました。こんな状態で帰ると、娘に「からだ痛めてまで自転車にのることない!」と叱られてしまうので、さもさも「少しも疲れていません」という顔で帰宅するための生ビールです。せっかく減らしたカロリーは、つまみとビールで倍返し。
 走るの、楽しいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「こいのぼりなう in 新国立美術館」

2018-05-12 00:00:01 | エッセイ、コラム


20180512
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記GM(2)こいのぼりなう in 新国立美術館

 4月28日、新国立美術館へ。ビュールレ美術館展を見るためですが、もうひとつ、新国立美術館の企画で「こいのぼりなう」という展示があることを知り、入場してみました。入場無料。ビュールレ展が混んでいそうなので、もう少し人が少なくなるまで待っていようという心づもりでしたが、こちらはこちらでとても面白く見ることができました。

 テキスタイルデザイナー須藤玲子がデザインした布地で作られたこいのぼりが、約300匹泳いでいます。
 須藤の作り出した布地が20センチ四方くらいの見本帳になり、並べられているコーナーもあり、布地を織り出す工場のビデオ映像もありました。布を作る工程、とても面白かったです。

 こいのぼりインスタレーションは、フランスの展示デザイナーのアドリアン・ガルデールとのコラボレーション。布地の魅力を伝えるのに、とてもよい展示方法と思いました。

 入り口の白いこいのぼり


 新国美の一番広い会場いっぱいに泳ぐこいのぼり




 こいのぼりの下にはソファがたくさん置かれていて、みな思い思いのスタイルで休んでいました。なかにはぐっすりと寝込んでいる人もいるし、ひっついて恋する喜びを表現しているカップルも。私も、1時間弱休憩してのんびりできました。


 ワークショップコーナーでは、「世界に一匹だけのこいのぼり」を作るテーブルがありました。こいのぼりの形に切った白い台紙に、小さく切ってあるさまざまな色や模様の紙でうろこを貼っていきます。「あ、その紙はお母さんが使うからもってっちゃダメ」なんて話しながら、親子で作っていたり、ほのぼのとした手作りコーナーです。
 私も一匹作ってみたのですが、つくづくと美的センスの欠けている人間だなあとの認識を新たにしました。

 須藤さんのテキスタイル見本帳をざざっとながめてみました。さまざまな布地、すてきでした。
 「織物染め物が好き」と長年思ってきましたが、自分で作る側に回るのは百年早いと思いました。私は、見る側で十分です。

こいのぼりといっしょに


<つづく>
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ぽかぽか春庭「ゴールデンウイーク in 六本木ヒルズ」

2018-05-10 00:00:01 | エッセイ、コラム

毛利庭園から見上げる六本木ヒルズ

20180510
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記GW(1)ゴールデンウイーク in 六本木ヒルズ

 5月1日。労働者諸君はどのようにおすごしでしたか。
 労働組合参加率が6年連続で低下し、2割を切る17%になっています。労働運動の低下が言われて久しいけれど、そもそも労組に参加できるような正社員になれない若者が、若年層労働者の3割近い。3人にひとりは非正規労働者であるけれど、非正規労働者も入れる労働組合もあることは知られていないようです。
 ここ数年で団塊世代がこぞって退職したあと、労組参加率17%もうなずけますし、さらなる低下が予想されます。

 さて、非常勤講師は「業務請負」として契約された場合、労働者にすらなれないのです。大工の「ひとり親方」みたいな制度で、組織から見放された働き方でした。大工さんも、雇用されていれば労災も認められるけれど、ひとり親方として「業務請負」で雇われると、建築作業に携わって怪我をしても、なんの補償もないのです。
 これから先、請負制度によって仕事をさせる方法は、さらに増えていくのではないかと思います。また、労働者ではあるけれど、自由裁量性という働き方、際限なく労働者を孤立させていくのではないかしら。 

 それでも2018年5月1日の中央メーデーには主催者発表で2万8千人が代々木公園に集まったのだ、と新聞記事には出ていました。代々木公園に集まったのは全労連系、連合系の第89回中央メーデー。一方、日比谷公園には全国労働組合連絡協議会(全労協)が集まったんですって。労働組合が分裂して、労働者が分断されたことは、雇う側にとって、そして雇う側となかよしの政権にとっては好都合だったでしょうね。

 春庭は、30年も働き続けたけれど、非常勤講師は「請負契約」「準委任契約」とされ、労働者としても扱われてこなかったので、国民保険、国民年金。集まってデモなどできる労働者=被雇用者を、うらやましいと思って毎年の5月1日をすごしてきました。

 その請負契約も一校だけとなり、5月2日の出講日は休講となったので、5月1日平日火曜日に娘息子と映画を見に「都会」へ出ることにしました。

 娘が「映画館で見たくない」というのは、「わいわい家族とおしゃべりしながら見たいから、しゃべれない映画館は苦手」という理由。一方息子は「椅子が狭い。両脇からとなりの人の肘が出ていると、ぼくは気になって身の置き所がない」という。
 昨年、娘むすこといっしょに見たのは「ラ・ラ・ランド」と「美女と野獣」の2本のみ。とても混んでいたので、息子はいっそう身を縮めて見たのでした。

 娘と息子は「ディズニー&ピクサーアニメ映画」ファンなのですが、テレビ放映になるまでまつか、DVDを借りるか、ネットでダウンロードするか、思案のしどころ。「アナ雪」は2013年の公開から2017年テレビ放映まで4年待ちました。
 『リメンバーミー』も、テレビ放映になるまで待つか、というところだったのですが、息子が意を決して「スペシャルシート」の予約をとって「はやっているうちに」見ることになりました。

 毎月1日は映画の日で割引になるので、スペシャルシート代金分を加えても、通常の1800円よりちょっと高めの2100円で見ることができます。
 六本木ヒルズとなりのTOHOシネマズのプレミアボックスシート3人並びの席を予約しました。リメンバーミー、とてもおもしろかったです。感想はまたのちほど。

 息子は、ボックスシートが気に入って「椅子が広くてひじかけもひとりで使えて、荷物置き場もあって、シート代千円の価値は、僕には妥当」といいます。娘は「みなでいっしょに座れてしゃべりながら見られる席がいい」とぜいたくを言う。そういうラグジュアリーシートは3000円らしい。3人で見たらシート代だけで9000円、映画代いれたら14400円。そりゃちょっと無理。日ごろは夫の映画パスポート借りてタダで映画見ているんですから。

 息子と娘が「気に入ったからまた来る」と、夏に見るポケモン映画のボックスシートを予約している間、私は毛利庭園を眺めて待っていました。
 左端のふたり、ポケモン映画の予約に行くところ。


 30年間、労働者ですらなかった私の働き方。そういう働き方であるゆえに「能力はあると認め、経験もあることはわかるが、非常勤ゆえに実力は未知数」と言ってきた文科省のお役人さん。悔しいがどうしようもない。

 5月1日。聞け、万国の労働者あ。と叫んでも、そうだ、私はひとり親方。労働者の仲間にもいれてもらえぬ身。
 六本木ヒルズ毛利庭園の池の水は、ただ緑を映して揺れていました。

 毛利庭園にて。娘が撮影した、ひとり親方(労災も受けられない)の、わたし。
 

 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「看板建築展 in 江戸東京たてもの園」

2018-05-08 00:00:01 | エッセイ、コラム


20180508
ぽかぽか春庭アート散歩>春の建物散歩(4)看板建築展 in 江戸東京たてもの園

 若い頃から何度となく失敗挫折を繰り返してきた人生ですが、今度ばかりは納得いかない、理不尽なイジメとしか思えない挫折で、したたか打ちのめされました。
 挫折には慣れているとはいえ、老いの身を蹴飛ばすやりくち。お友達同士ゴルフをいっしょにやれば、たちどころに○○案件とメモ書きがなされて、忖度してもらえる方々もいる世の中。なんのお知り合いもいない者は、泣くしかないんですね。
 地盤看板鞄算盤の何バンもない者には厳しい世の中でした。世の中ってそんなもの。

 と、しょげた気分を一新しようと散歩に出たのは連休2日目。4月30日、日曜日。江戸東京たてもの園に出かけました。久しぶりのたてもの園です。今回のテーマは、特別展示の「看板建築」に合わせた散歩。地盤も鞄もない身だけれど、せめて看板でもながめようかと。

 前回は2013年の9月に「近代個人邸宅」というテーマで出かけて、デ・ラランデ邸、前川邸や小出邸を見ました。つぎは、2014年3月に教え子の両親が来日したときに母校案内のついでにたてもの園に出かけました。そのあと、1度でかけているはずですが、カメラを持って出るのを忘れたときは、私の頭に何月何日という記憶が残らない。

ぽかぽか春庭「江戸東京たてもの園」散歩の日記2014年
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/m/201401

 江戸東京たてもの園。入園料金65歳以上200円。
 入場料を払ったときは図録や音声ガイドは我慢、招待券入場の時は音声ガイド借りるか図録購入どちらか許す、という私的貧乏性ルールですが、今回は、入園料200円のところ、看板建築のパンフレットは無料でした。ゆえに、図録をもらう。20ページほどのパンフレットでしたが、内容は充実していました。(展示担当、阿部由紀洋学芸員&米山勇研究員)

  看板建築ということばを最初に目にしたのは、江戸東京博物館の現館長である藤森照信の「建築探偵シリーズ」から。
 私が近代建築に目を向けだしたのは、1994年に大連や長春の「近代建築遺産」を目にしてからのことですから、看板建築を知ったのも、90年代の後半くらいからでしょうか。
 藤森は、1975年10月に日本建築学会大会ではじめて「看板建築」という呼び名を提唱しました。(関東大震災後の呼び方は「街路建築」でした)

 ただでもらったパンフレット。
 表紙の裏1ページ目は「ごあいさつ」で、2ページ目に藤森照信が初めて「看板建築」について言及した論文のコピーが出ていました。学会の論述集、活字印刷じゃなくて、鉄筆の謄写印刷でした。
 看板建築と命名したのは、堀勇芳だそうです。

 江戸東京たてもの園では、設立当初から看板建築を積極的に保存してきました。下町ゾーンに並んでいる建物を当たり前のように眺めてきましたが、看板建築の特集を組んで展示コーナーに資料が並ぶのを、私は初めて見ました。

 看板建築とは。
 1923年の関東大震災で、下町の木造商店群はほとんどが焼失しました。焼失した伝統的な町屋(1階表通り沿いが店。1階奥や2階が住まい)に代わる洋風の外観を持った店舗併用の都市型住居である建物を指します。多くは木造ですが、道路に面した部分は、銅板葺などが採用され、屋根はマンサード屋根を取り入れるなど、洋風の外観を模しています。
 住まいとしては和風住宅なのですが、表に面した店構えだけは、洋風のビルのように見える。

看板建築 武居三省堂


 関東大震災関連の地図や焼けたお皿などの展示は、両国の江戸東京博物館や横網の震災復興記念館でみてきたから、ここはすっとばして歩く。展示室には、移築復元時の設計図や内部構造までよくわかる建物模型など、貴重な展示が並んでいました。

 内部の構造がよくわかる看板建築の模型(画像借り物)


 上記模型の看板建築(復元移築されている植村邸)


 施主は、大工たちにいろんな注文をつけ、さまざまな意匠がとりいれられました。植村邸の屋根中央のデザイン


 模型展示や設計図のあたりの展示は、ゆっくり見たいと思ったのですが。展示室係員を相手に大きな声で話しているおじさんがいました。「いやあ、こういう建物、私が子供のころには、近所にいっぱいあってさあ」と、実物を見て育ったということを、係員に訴えています。

 係員が、ほかの仕事があるそぶりでこのおじさんのもとを離れたら、私の横に来て、「こういうの、うちの近所では通りが全部そうだったよ」と、話し始めました。
 看板建築が町並として実在していたころの町のようすや、建物の中に買い物などで入ったことの思い出を話してくれるのなら、私も聞くにやぶさかではない。しかし、おじさんは自分自身の「人生自慢話」に話を持って行きたいのがミエミエの文脈。「たてもの園の看板建築をごらんになりましたか」とたずねると、「いやあ、昔の建物の本物をみているからさあ」と、建築そのものには興味がなさそうです。話の切れ目をみつけて、早々に「貴重なお話をありがとうございました」と、おじさんの横から抜け出る。そうしたら、もう一度係員のおばさんのところに行って、話はじめました。「こういう建物、いっぱいあってね」

 展示室を出てから、こういうおっさんのお話をちゃんと「傾聴」する基本ができていないことに、ちょっと自分を責める気持ち。
 ほんとうは、お話ししたい人の話をじっくり聞くことが「退職後は、自分の話をじっくり聞いてくれる人がだれもいなくなってしまったおじさん」への福祉活動だとわかっているのですが、どうも私には我慢が足りない。小料理屋とかスナックのママさんなら、同じ自慢話を何回でもきいてあいずちをうち、「たあさん、すごい人なのね」くらいのおあいそは言ってあげることができ、よほど優秀な傾聴ボランティアです。おっと、酒代には傾聴分も含まれているので、有償ボランティアか。
 私が急いで展示室を出てしまったのは、たてもの園のあとは飯田橋ギンレイにまわり、映画を見てから帰るというGMダブルヘッダーの計画だったから、と言い訳しておく。

 実をいうと、春庭も、このおっさんと同じように、表通りに並んでいた看板建築を眺めて育ったひとりです。昭和の町で育ったこどもはほとんどがそうだったのではないかと思います。ただ、子供のころの思いとしては、「表側だけ洋風のビルみたいに見えるけれど、横っちょからみれば、ちゃちな木造の平凡な建屋」というのを見て「表側だけ立派そうに見えるようにしている見栄を張った建物」と思ってみていました。

 看板建築が、保存していくべき価値のある建築物なのだと、皆が知ったのは、藤森たちの保存の訴えと、江戸東京たてもの園への移築保存が始まってからのことではないかと思います。博物館に保存されるようになってようやく「おや、あのまがいものビルの建物も、建築史上からみると残しておくべき建築物だったのだなあ」と気づいたしだい。

 現在のすまいのそばで見かけた看板建築のひとつ。隣の木造と右側の看板建築はひと棟つづきの建物ですが、右側の店舗だけビル風看板建築になっています。


 看板建築解説パンフレットによると。関東大震災のあと、看板建築を引き受けた大工さんは地方出身者が多かったそうです。東京の大工たちは、自分自身が被災者で、大工道具なども焼けて仕事がすぐには始められない状態だったため、東京の復興には地方の大工が駆り出されました。東京での仕事を終えた地方の大工たちは、見おぼえた看板建築を「これが東京最新のたてもの」としてそれぞれのふるさとに建てていきました。そのため春庭が育った田舎町にも看板建築が並んだのです。

 耐火性を増すため銅板でおおわれた看板建築


 ギリシャ風の柱をつけた看板建築村上精華堂。本物のギリシャ建築では柱は必ず偶数になるけれど、3本の柱にしているところが「和風ギリシャ」の味付け。




下町ゾーンにならぶ看板建築


 看板建築の構造や意匠については、無料パンフレットにくわしいほか、さまざまなサイトに述べられています。

 最近は「町おこし」のひとつとして、このようなレトロ建物をウリにして、街並みを残そうとする自治体もでてきました。
 さびれてしまった田舎の町のほうが、看板建築も数多く残されているのではないかと思います。新しい建物に建て直すこともできないままさびれてしまい、かえってそのほうが価値が出てきた、というのも皮肉なもの。

 1923(大正23)年の関東大震災後、昭和の町にぞくぞくと建てられた看板建築のたてもの。それをなつかしいと思うか否かはそれぞれの感想でしょうが、昭和の日を楽しむ観覧客は老若男女が大勢いました。荒物屋や乾物屋の店先で、孫に「おじいちゃんが子供のころのお店はこんなふうだったよ」なんて、説明しているおじいさんもいます。
 あのおっさんの語りをじっくり聞いてくれる「昭和の暮らしを知りたい子供や学生」がいたらちょうどいい語りの場になるのになあ。ともあれ、今回はざくっと看板建築を眺めて飯田橋へ。

 昭和の日ランチは、デラランデ邸の中で武蔵野茶房のカレーライス&生ビール。計1500円。ここも祝日の混みよう尋常でなく、かなり待ちました。2階を見学しつつ待ちましたが、レストランを利用しない観覧者には、混みあう日には1階のレストラン内部は見学しづらいのではないか、と、思いつつカレーを食べました。


デラランデ邸


 飯田橋への急ぎ足。バス停に向かって横切った小金井公園のなかに、スケッチに余念ない日曜画家たち、散歩する老夫妻、シートを広げておべんとうを食べる親子連れ、みなゆったりと楽しんでいるようすが、一人散歩のこちらの気持ちもゆったりとさせてくれました。
 そろばんも地盤もないけれど、ま、看板建築見たから、看板はクリアだな。ん?違うか。
 鞄には札束など入っていなくて、駅前でもらったティッシュしか入っていないけれど、あしたからまたがんばろう。

追記)地盤看板鞄がないため挫折したというと、選挙に落ちた人みたいですから、訂正。いっしょにゴルフするお友達(地盤看板鞄を有し、何も言わなくても以心伝心で、「〇〇案件」なんていうメモが出回るお友達)がいないための挫折です。名誉校長になってくれる夫人に100万円の寄付もしなかったし。
 「〇〇案件」てなメモをもらうとたちどころに許認可が出て4月には開学できんですけれど。
 春庭案件は一から出直しです。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「日野宿本陣」

2018-05-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180506
ぽかぽか春庭アート散歩>春の建物散歩(3)日野宿本陣

 昨今は刀剣女子とか、武士の生き方や剣術に興味を惹かれる女性も増えたとは聞きます。その中でも、新選組隊士には沖田総司、土方歳三など、イケメンもいるので、「新選組女子」が、ゆかりの地を行脚しているブログなども人気みたいです。

 東京西郊に位置する日野市は、町おこしとして観光第一番のウリは「土方歳三記念館」をはじめとする新選組ゆかりの地のようです。
 「新選組のふるさと歴史館」が観光名所のひとつ。新選組ファンたちは、隊士それぞれのゆかりの地を詣でて、好みの隊士をしのんでいます。

 大河ドラマ三谷幸喜『新選組』は、おもしろく見てきました。
 表向きは会津藩配下の京都警備ですが、テロ集団、暗殺集団というイメージもあった新選組。暗い面もある新選組を扱って、暗く落ち込むばかりではないドラマ「幕末青春グラフィティ」によくも仕立てたなあと、思いますが、特に新選組に思い入れがあるわけじゃありません。

 写真美術館では何度か幕末写真の特集を見て、土方歳三の写真、本人が手紙に「京都ではおなごにモテまくり」と自慢しているだけあって、なかなかのイケメンであるとは思いましたし、山本耕史演ずる土方ファンと言えるかも。

 佐藤彦五郎(1827-1902)は、土方歳三の義兄にあたります。歳三の姉土方のぶ(結婚後の名乗りは「とく」)と結婚し、早くに両親を失っていた歳三にとって、頼りになる義兄でした。
 彦五郎は幕末の騒然とした世で自衛のために天然理心流の道場を自宅内に設けて稽古をし、歳三も剣の腕を磨きました。1963年、日野本陣の屋敷が完成する少し前、歳三は近藤勇らとともに、十四代将軍家茂の上京警備のため、京都へ向かっています。

 土方が京都へ行ってから、彦五郎は資金面で支援を続けました。明治後は、佐藤俊正と名を変えて初代の日野町長となり、また、新選組隊士の復権と顕彰に力を尽くしました。
 三谷幸喜の大河ドラマ『新撰組』では小日向文世が彦五郎を演じ、土方の姉(彦五郎の妻)は浅田美代子でした。

 日野宿本陣の建物を見学してきました。佐藤彦五郎が建てたものです。
 甲州街道は、江戸五街道のひとつ。日本橋を起点として、最初の宿場町が内藤新宿(現在の新宿)。日野は、5番目の宿場町にあたります。
 江戸開府以来、京都と江戸を結ぶ要路として、中山道に合流するまで38の宿場町がありました。日野本陣は、東京都内に残る唯一の「江戸時代からの本陣建築」です。

日野宿本陣の門


 江戸時代後期、1849(嘉永2)年の大火で日野本陣は消失してしまいました。再建準備に10年以上をかけ、日野の名主佐藤彦五郎によって築造されたのち、幕末の1864年に完成。名主屋敷兼本陣として使われました。

本陣式台


 本陣の建物は、火災や戦災にもあい損傷もありましたが、よく残され、1980年からは蕎麦店として利用されました。2004年のドラマ『新選組』に合わせて、日野本陣として公開され、歴史ファンを集めています。

庭側から



座敷



 日野市では毎年5月「新選組」祭りが行われ、新選組コスプレ組のパレードが行われます。隊士に扮したコスプレーヤーのコンテストもあるそうで、明治維新150年という今年は、祭りが始まってから20回目の2017年と同様に盛り上がりそうです。

 明治維新150年といえば、新選組はあきらかに「負け組」です。上野の彰義隊、会津藩ほかの東北諸藩ら、負けたほうにとっては、屈辱の150年前であったのですが、なぜか新選組コスプレパレードは毎年晴れやかで楽しげです。

 日本は歴史上、菅原道真、平将門、源義経ら、敗者を称揚するのが怨霊鎮めの基本。たぶんこのパレードも負け組新選組を晴れやかに持ち上げて、明治維新の遺恨を残さぬための行事化なのか?。いやいや、ただただ、コスプレして楽しそうな若者たち。

 司馬遼太郎は『新選組血風録』や『燃えよ剣』などに新選組の若者群像を描き出しました。農民の身分ではあるが、剣の道に生きたいと願い、武士よりも武士らしい心根を持って生きた若者たち。
 イマドキの若者もその姿にあこがれ、あの浅葱色の隊服羽織を来てパレードする。
 楽しそうだから、ま、いいか。

 昨年来、10か月にわたって戦ってきた私の勝負どころ。今回は見事負け組となりました。残念無念。納得できない負け方です。理不尽ないいがかりとしか思えない理由での負け方。う~、無念。

 土方がよく昼寝をした座敷には、新撰組そろいの衣装が展示してあり、日野本陣来館者は着用して記念写真を撮ってもらっています。私もちょっとコスプレ。新選組隊士気分。

 負け組おハルの新選組コスプレ。


<つづく>
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