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ぽかぽか春庭「2019年12月目次」

2019-12-31 00:00:01 | エッセイ、コラム


20191231
ぽかぽか春庭2019年12月目次

1201 ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(27)日本事情の教室
1203 再録・日本語教師日誌(27)留学生の日本文化史発表
1205 再録・日本語教師日誌(28)マツビバナナと剣と刀
1207 再録・日本語教師日誌(29)留学生の日本文化史発表自国と日本の交流史
1208 再録・日本語教師日誌(30)留学生の日本文化史発表・八田ダム
1210 再録・日本語教師日誌(31)おいしい餃子で留学生クラス会
1212 再録・日本語教師日誌(32)餃子パーティ

1214 ぽかぽか春庭日常茶飯事典<2019十九文屋日記つづく(1)「つづく-ミナペルホネン」展
1215 2019十九文屋日記つづく(2)自由が丘ランチ&スィーツ
1217 2019十九文屋日記つづく(3)美食三昧
1219 2019十九文屋日記つづく(4)ドラゴンクエストⅧコンサート
1221 2019十九文屋日記つづく(5)もみじ見物 in 白金植物園
1222 2019十九文屋日記つづく(6)東洋憧憬展&茶室光華 in 庭園美術館
1224 2019十九文屋日記つづく(7)オランジュリー美術館展 in 横浜美術館
1226 2019十九文屋日記つづく(8)フィギュアスケート三昧
1228 2019十九文屋日記つづく(9)『あん』上映と河瀨直美トークショーin 国立映画アーカイブ
1229 2019十九文屋日記つづく(10)令 

 みなさま、よいお年を!
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ぽかぽか春庭「令」

2019-12-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
21191229
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記つづく(12)令

 2019年今年、いろいろな出来事がありました。京都の清水寺で発表された2019年の世相を表す「今年の漢字」は「令」だとか。
 2019年に日本全国がわいたのは、令和の代替わりと、ラグビーワールドカップ。
 高御座での即位宣明も即位パレードもテレビ視聴だったし、ワールドカップの試合もとびとびにテレビ観戦しただけでしたが、明るいニュースに心躍りました。

 台風による大きな被害もありました。いまだに泥の残る家の映像、お気の毒でなりません。
 海外の大きなニュースのなかでも、心傷んだのは、アフガニスタンで現地の人々のために尽くしてきた中村哲医師の殺害です。

 そんな全国区の大きな出来事とは別に、私の心を占めた大きな出来事。娘と息子の体調問題。私自身は古希過ぎても、膝が痛いの肩がこるのという不調のほかは、大きな体調変化はなかったのですが、娘は入院手術と治療があり、息子も絶不調。今年後半は、つらい日々が続きました。

 仕事のほうは、日本語学校開校以来順調に進み、学生たちは、富士周遊旅行、江ノ島鎌倉旅行、地方の国立大学見学などの行事や日々の日本語学習で、着実に日本語力を伸ばしてきました。2020年も同様に日本の留学生活を続けていけるでしょう。
 昔は、留学生がホームシックになり、クラスに一人は「もう帰国したい」と言い出して、3か月目くらいには、教師もその手当でたいへんでした。現在とは隔世の感。学生は、スカイプやウィチャットで家族と毎日のように連絡でき、だれもホームシックになどなりません。

 良いこともつらいこともあった2019年ですが、来る年に希望をのせて年末年始をすごしたいと思います。

 古希祝いのひとつ「横浜クルーズ」で。娘とともにすごす時間がうれしい70歳。


<これにて2019十九文屋日記おひらき>
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ぽかぽか春庭「『あん』上映と河瀨直美トークショーin 国立映画アーカイブ」

2019-12-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191228
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十九文屋日記つづく(9)『あん』上映と河瀨直美トークショー in 国立映画アーカイブ

 ひとりで楽しむことといったら美術館博物館か映画しか思いあたらない春庭。12月25日のひとりクリスマスは、映画にしました。映画アーカイブの特集「河瀨直美」。

 2018年に近代美術館フィルムセンターから「国立映画アーカイブ」に名称が変わったことも気づいていなかったくらい、しばらく来ていませんでした。昔、東京駅から歩いても有楽町から歩いても迷ってたどり着くまで毎回時間がかかったのですが、都営地下鉄宝町駅で下車すればすぐでした。これからはちょくちょく来ようと思います。都営線に乗れば交通費かからず、映画は65歳以上は310円で、高齢者の暇つぶしに最適。

 河瀨直美監督。長編第1作「萌の朱雀」(1997)でカンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を史上最年少で受賞して以来、活躍してきてきて、五輪2020の総合監督に決定しました。
 初期作から「Vision」まで18作品を12月24日から2020年1月19日まで連続上映し、上映後に監督トークショーが付いています。
 25日は午後「現よ」、夜「あん」。どちらも監督トークあり。
 午後の会は、310席の半分ほどの入り。ほとんどが白髪禿頭の定年退職後と見えるおっさん。ちらほら年配女性。
 夜は200枚の前売り券完売だそうで、樹木希林人気もあってのことでしょうが、若い世代もたくさんいました。

 「現よ(うつしよ)」は1996年の作品で、是枝裕和監督との「往復フィルム」。
 往復書簡ならぬ往復フィルムは、河瀬が1992年『につつまれて(山形国際ドキュメンタリー映画祭国際批評家連盟賞受賞)』に続いて1994『かたつもり(山形国際ドキュメンタリー映画祭奨励賞受賞)』を受賞したおりに山形で初対面。意気投合して始めたフィルムによる交歓。

 テレビマンユニオンの社員としてドキュメンタリーを撮っていた是枝が、1995年に『幻の光』で長編映画監督デビューする前の往復フィルム。
 トークショー。
 「往復フィルムで、互いに影響を与え合ったか」という質問に、河瀬は「互いに共通する面はたくさんあって、映画に対する思いも共通していたが、映画の作り方においては、影響しあうということはなかった」と、回顧していました。年齢は是枝のほうが7歳上ですが「フィルムによる映画作りにおいては、自分のほうが先輩」という自負が感じられました。テレビカメラで撮影してきた是枝に8ミリフィルムの扱い方をゼロから伝授したのはこの私、と語っていました。

 午後の部トークショーの河瀨直美監督


 夜の部の「あん」は、テレビ録画で見たのみで、劇場上映を見るのは今回が初めてです。
 多磨全生園の中の木々のようす、葉擦れの音、画面いっぱいの桜など、自然を写したシーンは、大画面ならではの美しさで、やはり映画は劇場大画面で見るのがほんとだなあと思います。

 「あん」を見た感想はこちら。あらすじ紹介などはこちらで。
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/704032b3385eb29603977de38aa53bcd

 夜の部トークショーには、浅田美代子と秦基博が参加。
 浅田は、「あん」でどら焼き屋のオーナー役をつとめ、河瀨直美最新作(2020年春公開)「朝がくる」でも重要な役でキャスティングされています。秦は、「あん」のエンディングソングを作詞作曲歌唱。

  あん主題歌「水彩の月」
 秦基博は、主題歌作曲のオファーを受け、ゼロ号試写(小規模の関係者のみの試写)を見て、イメージを固めて、作曲はすぐにできたけれど、作詞は時間をかけた、と話していました。

 あん主題歌「水彩の月」
https://www.youtube.com/watch?v=RbBXxVE_XC4

 会場にはエグザイルヒロや南果歩などの有名人や団体からたくさんの花が届いていましたが、「萌の朱雀」の舞台となった奈良の五条市市長からの花と並んで浅田美代子からの花。


 内田家の人々と長年の親交がある浅田から、内田一家の話も出ました。ワカナ役の内田伽羅(樹木希林の孫、内田也哉子本木雅弘の娘)は、もう20歳の大学生。(イギリス留学中)
 完成初回試写会に長男UTAともども一家で来て、モックンは「娘の14歳を(スクリーンに)残していただき、ありがとうございました」と、監督に挨拶したのだそう。
 伽羅は、愛知県でのロケ(徳江がふるさとを見つめるイメージシーン)にも出演がなくても樹木希林に同行し、おばあちゃんの背中を見つめていたそうです。

 浅田は、樹木希林から河瀬作品への出演を勧められたこと、河瀬監督の撮り方は、「よーいスタート」も「カット」もなく、「演じる」のではなく、その役として生ききることが求められること、などの撮影話がありました。
 河瀬は「樹木希林さんが、役者やるなら

に一度は河瀬作品を経験した方がいいと、あちこちで言ってくださったので、オファーをうけてくださる俳優さんが増えてありがたい」と話していました。

 樹木希林のアドリブも画面に生かされています。月を指さす徳江に、空を見上げるワカナ、というシーンが樹木希林のアドリブだったことなど。緊張していた伽羅ちゃん、おばあちゃんの言葉に自然に反応することで緊張がほどけ、あとはしっかり役を生きたと、監督は語りました。

 「どら春」店長千太郎(永瀬正敏)は、どら焼き作りを特訓しました。撮影に使った店を本物のどら焼き屋と勘違いした客が、ほんとうに千太郎が焼いたどら焼きを買っていき、永瀬だとはまったく気づかなかった、という撮影秘話も監督から語られました。スタッフはあわてて客を追いかけ、120円を払い戻したそうです。

「徳江を守れなかった」と感じていた千太郎が徳江の語る言葉を聞いて涙を流すシーンも、「演技ではなく、千太郎として生きている人が心から泣いているシーンになった」と、河瀬は語りました。

 ほかにもいい話がいっぱい聞けて、聴衆にはなによりのクリスマスプレゼントになりました。おそらく、国立映画アーカイブの広報誌にトークの記録がでるでしょうから、ニュースレターが出たら読みたいです。

 「夜の部トークショーの撮影録音は禁止」と開始前にアナウンスがあったので、カメラはリュックにしまってありました。
 しかし、トーク終了後、出演者の意向として「クリスマスの夜にきてくださった方々」へのプレゼントとして、ハプニング撮影許可がでました。「1から5まで数える間だけ撮影OK」と司会者が言ったので、あわててカメラをだして撮影。


 12月24日と25日&おおみそか31日をひとりですごすのは、娘が生まれて以来はじめてのこと。でも、25日夜は、心豊かに帰宅することができて、サンタさん、ありがとう!です。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「フィギュアスケート三昧 」

2019-12-26 00:00:01 | エッセイ、コラム

 帰りに2階席からながめた代々木体育館アイスリンク

2019126
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記つづく(8)フィギュアスケート三昧

 今期のフィギュアスケート、グランプリシリーズは初戦のカナダ大会から全試合をテレビ観戦。NHK杯の羽生結弦優勝にうっとりし、イタリアトリノでのファイナルでは、去年ケガをした4回転ルッツをなんとか降りたのでほっとし、ネイサン・チェンに負けたことより、ケガなくシリーズを終えたことに「まずまず」と胸なでおろす。

 そして年末の全日本フィギュアスケート大会。
 チケット抽選倍率が高かったのは、男子フリー。4年ぶりに羽生結弦が出場。2018年に復活出場2位となった高橋大輔は、今年が最後のフリー出場。来年からはアイスダンスに挑戦、というので、男子フリー男子ショートのチケットはものすごい倍率。娘は申し込みに挑戦したけれど、男子は全滅。倍率が比較的低い女子ショート、1階のスタンドS席に当選しました。たのしみなエキシビション。1度目は抽選に敗れたのですが、娘は2次募集にも応募し、あまりよい席ではないけれど、2階スタンドA席をゲット。

 1万席ある代々木第一体育館、ほぼ満席でした。招待者関係者席がガラガラなのを見るたびに、抽選に漏れて悔しい思いの人もいるのだから、関係者席をもっと少なくして観客席を増やすべきだと思います。



 1964年の東京オリンピックのために建てられた丹下健三の第一体育館、55年たって、はじめて入場しました。 


 12月19日。女子ショートの試合から全日本フィギュアスケート選手権開始。
 席は正面審査員席の向かい側のかなりはじ。でも、リンク前から10列目くらいの席は、今までフィギュアリンク会場で試合やアイスショウを見た中で一番前で見やすかったです。

 女子ショートの前に男子の練習があり、公式練習の最後の組の練習を見ることができました。羽生や宇野は早い時間帯の練習でしたが、高橋大輔や山本草太の練習姿を見ることができました。

 ペアは三浦璃来・木原龍一のひと組だけの出場。ちょっと寂しいエントリ―。三浦は経験不足ゆえでしょうが、ジャンプもフリースローも転んでしまい、自己ベストには遠い53点台。でも、ひと組だけの出場ですから、フリーを終えれば優勝。

 女子ショート、白岩優菜が欠場で29人がエントリー。
 結果。紀平梨花が73.98点。宮原知子70.11点。坂本花織69.95点。樋口新葉68.10点で山下真湖4位。本田真凛5位。
 
 紀平のショート。(選手画像は全部借り物です)


 生で見るまりんちゃんは、圧倒的に花があります。このところジャンプも決まらず、精彩を欠く演技が続いていたのですが、この日のまりんちゃんは、演技終了後、手で顔を覆って感極まったようすでした。観客一同も「まりんちゃん復活、よかったよかった」と、ほっとし、ショート点数は5位ですが、それ以上にアッピールするものがあったと思います。


 男子ショートはひとりでテレビ録画観戦。女子フリーと男子フリーは、娘といっしょにテレビ生中継観戦。
 羽生はショートでは5点差という僅差でトップになったものの、フリーではほぼ完ぺきの宇野昌磨に対して、ジャンプにミスがあり、後半では転倒もあり、2位。羽生は4年ぶりの全日本選手権でしたので、意気込みがあったと思いますが、疲労があったということで、完璧な演技にはなりませんでした。
 世界選手権には宇野、羽生、田中、紀平、樋口、宮原。羽生選手は3月19日までに、体調ととのえて完璧演技をめざしてほしいです。
 ランビエールコーチのもとで復活した宇野もがんばってほしい。
 
 今回の全日本で男子シングル選手としては引退し、アイスダンス選手に変更となる高橋の演技、ショートではダンサブルな振り付けで高橋らしさがあってよかったですが、フリーではジャンプは決まらず、演技もややおとなしめで、もっと爆発してもよかったかなと思いました。33歳の転身、応援します。アイスダンスでの活躍に期待しています。

 12月23日のエキシビション、「メダリスト on アイス」の席は2階スタンドA席で、リンクまでちょっと遠いけれど、選手のUPはテレビ録画で見ることにして、臨場感を楽しみました。



 ジュニアチャンピオン、ノービス(9~13歳)チャンピオンが大観衆の前で演技するチャンスでもあります。最初に登場した畑崎李果(ももか・13歳)ノービスAで優勝した将来有望な選手。ピンクのかつらにハートマークのついた衣装でキューティーハニーの曲で演技し、とてもかわいらしかったです。来期はジュニアにあがるでしょうが、ジュニアでの活躍も期待できます。

 第1部は、ジュニア選手と四大陸選手権派遣決定の坂本花織がラス前。一部トリはシングル出場最後の高橋大輔。
 20日に行われた男子ショートで演じた「The phenix不死鳥」を再演。ジャンプミスが出たショートでしたが、ジャンプをしてもしなくても点数に関係のないエキシビションでは、のびのびと演じており、ショート転倒の3アクセルを着氷させていました。男子シングル最後の演技とても迫力があり、よかったです。

 男子2位となって、シングルフリー試合後のインタビューでは悔しそうにしていた羽生結弦も、第2部オープニングで観客もいっしょになって歌った「負けないで」では、元気にうたっていましたし、笑顔も見せていました。

 羽生のエキシビは、「SEIMEI」。テレビでは何度も見てきたナンバーですが、生で見るのははじめて。とてもよかったです。羽生がこのプログラムを大切にしていることがわかりました。

 羽生結弦のSEIMEI


 赤いシャツで登場の宇野昌磨は優勝選手ですし、4位で世界選手権出場の田中刑事もよかったけれど、なんといっても羽生の演技は圧倒的な表現力で観客の心をつかんでいて、代々木体育館を埋めている1万人の観客(95%が女性)の大多数はユヅ君ファンかと思われました。ジャンプミスが出て、2位に甘んじたけれど、ひとつくらいジャンプの出来が悪かろうと転ぼうと、最大の拍手を送りたい選手であることに変わりなし。

 フィナーレでは高橋大輔と羽生結弦が手をつないで笑顔でリンクを回りました。ゆづ君、世界選手権に向けて、また練習の日々がつづくだろうと思います。大ちゃんはアイススケートの練習。選手みながケガしないように祈っています。

 エキシビション開始前に和風パスタの店五右衛門でランチ、エキシビションが終わったあとは、ダブルトールカフェ原宿店でローストポークを食べました。カフェラテのハートマークがかわいかった。


 表参道イルミネーション


<つづく>
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ぽかぽか春庭「オランジュリー美術館展 in 横浜美術館」

2019-12-24 00:00:01 | エッセイ、コラム

 みなとみらいクイーンズタウンのクリスマスツリー

20191224
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記つづく(9)オランジュリー美術館展 in 横浜美術館

 勤務している日本語学校、12月10日は富士周遊バスハイクというイベントがあり、私は引率に加わらなくてもよいことになりました。それではせっかく空いた貴重な平日、何をしようかと思案するも、ひとりで楽しめることといったら、私には映画か美術館しか思い当たることはなく、横浜美術館に決定。

 みなとみらい駅から横浜美術館はすぐ目の前。
 入り口には「オランジュリー美術館コレクション」展の看板が。


 オレンジ温室を改造して開館したオランジュリー美術館には、画商ポール・ギヨームのコレクションが展示されています。
 印象派やエコールドパリの絵を収集・売買してきた画商ギヨームは、無名で貧しかった画家たちの作品を買い上げ、その生活を支援してきました。

 モディリアニが描いたポール・ギヨーム肖像


 若くして亡くなったポール・ギヨームのコレクションを受け継いだドメ二カ夫人は、再婚後、亡くなった夫ポールと再婚したジャン・ヴァルテルのコレクションとしてフランス国家に売却。オランジュリー美術館に保存展示されています。
 今回横浜美術館での展覧会は、ポール・ギョームコレクションの中の選りすぐり、12人の印象派や野獣派、エコールドパリの画家を特集しています。

 ポールギヨームの書斎に飾られていた絵画をミニチュアで再現(1930年代)

 ポール・ギヨームの居間に飾られていた絵画のミニチュア再現


 「ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」というタイトルのもとに展示されていた画家は。 
 アルフレッド・シスレー クロード・モネ オーギュスト・ルノワール ポール・セザンヌ アンリ・ルソー アンリ・マティス パブロ・ピカソ アメデオ・モディリアーニ
キース・ヴァン・ドンゲン アンドレ・ドラン マリー・ローランサン  モーリス・ユトリロ シャイム・スーティン

 西洋美術館に収蔵展示されているスーティン「狂女」のほか、スーティン作品を見る機会があまりなかったので、数点のスーティンを見ることができてよかったです。

 シャイム・スーティン「小さな菓子職人」


 美術館1階ロビーに設置されていた「一緒に写真を撮ろうコーナー」で。

 

 横浜美術館の常設コレクション展もゆっくり見て回り、おなかがすいてきたので、みなとみらい駅ビル中華屋でランチ。蒸し野菜セット。
 平日ランチはアルコール半額というので、「無料と半額」が大好きな私はつい、生ビールを一杯。飲むとたちまち食後は眠くなり、神奈川県立博物館へ回る予定をやめにして、帰宅しました。

 インターコンチネンタル日比谷のクリスマスツリー


皆様にあたたかいひとときがおとずれますように。
楽しい夜をお過ごしください。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「東洋憧憬展&茶室光華 in 庭園美術館」

2019-12-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191222
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記つづく(5)東洋憧憬展&茶室光華 in 庭園美術館

 12月23日が祝日ではなくなって、ちょっと寂しい年末。クリスマスイブイブがないと、一日損した気分です。年内の祝日が一日減っても、来年の2月には祝日が一日増えるのですけど。2月下旬の祝日よりもイブイブのほうが楽しめる気が、、、、

 65歳以上無料の都立美術館めぐり。12月の第3水曜日は、庭園美術館へ行きました。白金の植物園散歩とセットの庭園美術館、何度も来ていますが、モミジがまだきれいなころの植物園、久しぶりです。
 
庭の紅葉越しの庭園美術館


 庭園美術館の特別展は、「東洋への憧憬」。日本の画家や陶芸家が、中国朝鮮をはじめ、東洋の美術に影響を受けて自身の作品に取り入れてきたことがわかる展示になっています。

 東洋への憧憬展ポスター 杉山寧「敦煌」の仏像


 画家たちが憧憬を持って描いた敦煌の仏像彫刻や、中国朝鮮の歴代の絵画陶器が並んでいました。東京国立博物館や国立近代美術館の所蔵品が多かったので、1度や2度目にしているものも多いはずですが、東博東洋館などにずらりと並んでいるときの陶器などは、さっさと見ながら歩くことが多くて、じっくり模様や土のようすなどを見てきませんでした。

 日本の作家が、東洋陶磁器の絵柄や釉薬を模倣しつつ新たな作品を生み出したことがわかる展示方法なので、ふたつを見比べながら、なるほど、日本は東洋の美術をこのように取り入れてきたのだ、ということにあらためて感銘を受けました。



 別館では現代作品の展示がありました。こちらは、写真を撮ってよい部屋がありました。
 「白澤はくたく」


 白澤は、竜や鳳凰と同じように、中国古代の想像上の霊獣。東望山に住み、人の言語を解する。王が有徳であると、姿を現す。岡村桂三郎が白澤を現代のイメージで表現したオブジェ。壁だか屏風だかよくわからなかった衝立に無数の目が描かれています。すべての情報を見通すという白澤を表現しているのだそうですが、現代美術に疎い私にはこれが白澤だと言われれば、はい、そうなのか、と思う程度でよくわかりませんでした。

 暗くしたスペースの中に「たぬきのはく製」を並べた現代作品。剥製になっている多数のたぬきがちょっと不気味でもあり、たぬきのユーモラスも感じられるなんとも言い難い作品でした。
 巨大な糸巻きから延びる大きな縄に絡まって綱引きをしている狸たち。私が思い出したのはジブリのアニメ「平成狸合戦ぽんぽこ」でしたが、表現されていたのは、沖縄返還にあたっての、日米間の繊維をめぐる貿易摩擦。「糸を売って縄を買う」と揶揄されたのは、繊維製品(糸)の輸出規制を受け入れることによって縄(沖縄)返還を要求した日本政府の弱腰外交を表現したもの。この「Tug of War狸の綱引き」は、狸たちがツナを引いて生きながら死んでいくように感じました。まあ、もともと剥製は死んでいるのだけれど。



 今回は、日本庭園の中の茶室「光華」の公開があるというので、楽しみにしてきました。しかし、仕事帰りの見学だったし、白金の科博付属自然教育園での紅葉見物を先にしたので、ぎりぎりの時間に滑り込み見学。

光華の門

茶室南側

茶室


 お茶には縁薄い春庭ですが、12月のせわしない時期にも、このようなお茶室でお茶の一服もいただいたら、心静かに年末を過ごせるのではないかと思います。
 現実には、ばたばたとこけつまろびつ歳末を走ることになるのですけれど。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「もみじ見物 in 白金植物園

2019-12-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191221
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記づづく(8)もみじ見物 in 白金植物園

 東京の紅葉はたいてい12月になってから色づきます。紅葉は10月秋の光景と思って育った山国育ちだったので、東京に出てきてから年々紅葉の時期が遅くなり、今や12月が、モミジの盛りと思うと、冬なのに、、、と思います。
 今年も12月の半ばになって、テレビで「今、白金の植物園で紅葉が見頃です」とニュース番組でとりあげていました。白金の植物園(国立科学博物館附属自然教育園)だけでなく、都内の公園、六義園も後楽園も、みな同じ時期に紅葉の見ごろになります。



 12月18日、仕事が終わってから、白金台へ。
 科博附属自然教育園と庭園美術館に行きました。
 植物園は65歳以上いつでも無料。庭園美術館は、第3水曜日65歳以上無料。



 平日の昼はほとんど散歩している人もいない時期なのに、テレビの紹介があったからか、そこそこ老夫婦連れ、小さい子を連れたお母さん、若い二人連れなどが歩いていました。大きな双眼鏡やカメラを持ったバードウォッチング趣味や植物観察趣味の人も。
 植物園の見どころガイドには、季節季節の花や珍しい草木の案内がでているのですが、今週の見どころは「紅葉」12月の第2週3週が見頃と出ていました。



 冬の植物園というと、こういうイメージですが。


 この日は、庭園美術館の茶室見学がメインのつもりだったので、植物園の紅葉は駆け足散歩。名残の紅葉を見ることができて、よかったです。

<つづく>

 
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ぽかぽか春庭「ドラゴンクエストⅧコンサート」

2019-12-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191222
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2019十九文屋日記つづく(6)ドラゴンクエストⅧコンサート

 ゲーム音楽のコンサートに出かけるのは、クロノトリガーに続いて、2度目。娘のお供です。

 2019年12月6日(金)18:00開場19:00開演
           「ドラゴンクエストⅧ」空と海と大地と呪われし姫君
 東京オペラシティ コンサートホール
 演奏:東京シティフィルオーケストラ
 指揮:井田勝大
 作曲:すぎやまこういち

 「今回のはドラクエのⅧだから、母が知っている曲は一番最初の序曲だけだと思うよ」と、ドラクエ全制覇の娘が言います。でも、まあ、まったく内容を知らないで聞いたクロノトリガーもそこそこ楽しめたから、ドラクエも、序曲だけは知っているから、大丈夫。

 仕事を早めにしまって、初台へ。
 会場は国立劇場隣のコンサートホール。ロビーには若い人がいっぱいで、クラシックコンサートとは客層が違います。

 ロビーには、假屋崎省吾制作のクリスマスオーナメント。華やかです。


 娘はドラゴンクエストⅠからⅪまで全部クリアして、ドラクエとともに成長してきたといえるし、Ⅷは今回のコンサート前にもう一度やって復習してきた、という念のいれよう。
 ロビーにいるドラクエ大好き集団の中に、一度もゲームをしたことのない私は肩身が狭い。ご縁があったのとすると、JRスイカのパスケースにスライムのチャームをぶら下げていることくらい。



 コンサートは4月のⅠから始まり、毎月一回行われてきました。来年3月のドラクエⅪまで続きます。


 娘にドラクエⅧのストーリーをレクチャーしてもらいました。ある国が呪いを受け、国王や姫が変身させられてしまいました。主人公(プレイヤー)は、仲間と旅を続けながら、敵キャラやボスを倒し、姫を救うべくエンディングにむかいます。

 ロビーに貼られていたポスター


 ドラクエⅧの楽曲は、全シリーズ共通の序曲のほか、作曲者すぎやまこういちが「全シリーズの中の最高傑作」と自負する「静かな村」ほか、交響組曲として編集されています。

 演奏されたのは。
第一部
・序曲 ・馬車を引いて ・穏やかな街並みー静かな村―錬金釜 ・広い世界ー大平原のマーチ ・対話 ・ひんやりと暗い道 ・讃美歌に癒されてー修道僧の決意 ・つらいときを乗り越えて―急げピンチだ ・神秘なる塔 ・そうだあのときは~それいけトーポ ・雄たけびを上げて―難関を突破せよ

第二部
・この想いを ・城の威容~王宮のガヴォット~城の威容 ・詩人の世界 ・海の記憶 ・忍び寄る影 ・闇の遺跡 ・大聖堂のある街 ・おおぞらをとぶ ・週末へ向かう ・ドルマゲス~おおぞらにまう ・空と海と大地 

 指揮者は自身もドラクエプレーヤーであり、ストーリーや主人公の気持ち、戦闘場面の苦労などを語って曲を紹介していきました。紹介されても、ゲームプレーヤーでない私には「なんのこっちゃ」でしたが、会場に集まったドラクエファンたちは、場面場面を思い起こしながらドラクエの世界にひたっていました。

 アンコールは次回コンサートドラクエⅩの中の曲「負けるものか」。娘は以後のコンサートには全部行く予定で、ドラクエⅩのコンサートは1月。


 コンサート帰り、オペラシティの中のレストランほとんどが閉店。まだあいていた、椿屋喫茶店でおそい晩御飯を食べました。私は牡蠣パスタ、娘はウニパスタ。
 0時を回ってからの帰宅となりました。遅くなったけれど、娘とすごす週末は私には大事な時間です。



<つづく>
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ぽかぽか春庭「美食三昧」

2019-12-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191217
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記つづく(3)美食三昧

 私は「舌音痴」を自認しており、フランス語のグルマン=食いしん坊からはほど遠い。たいていのものを食べて「おいしい」という感想のほかはでてきません。逆に言うと、私が「まずい!」と思ったものは、もう救いようもない。
 これまでにまずい!と感じたものも、いくつかはあります。そのうちのひとつが、2016年の娘入院中に、私と同じく味音痴の息子とふたりの食事では料理意欲が起きず、豚小間肉で作ったテキトーカレー。これが「生涯に食べた不味いカレーの三本指」に入るまずさでした。カレーというのは、だれがどんな風に作っても、そこそこおいしく出来上がるものなのに。

 一方娘は私に似ずに、食いしん坊で味がよくわかる。自分でも料理したりケーキを作ったりするのが上手ですが、食べ歩きも大好き。

 この夏から、娘の食べ歩きにつきあって、都内レストラン食べ歩きを続けてきました。
 お高いコース料理など私には分不相応で、町の中華屋のラーメンも高級中華のラーメンも、どちらもおいしいと思うのですから、だったら安いほうがいい、と考える味音痴に対して、娘は、「高いものは、それなりに、だしや食材が違う」と言うのです。

 11月24日は、大岡山精養軒で「冬のめぐみでコース」を食す。 
 私は、食べるに専念してしまったのですが、娘が撮ったスマホ写真を送ってくれました。

 スモーク鴨のパストラミ  

 鮟鱇のムニエル チャウダーソース

柚子のシャーベット添え柑橘ソース・


 本日のスープ 切り干し大根のコンソメスープをとるのを忘れたので、お店のコース紹介写真を。


 デザートを食べて幸せそうな顔


 11月28日は、19時から帝国ホテルでディナー。私は帝国ホテルと聞くだけで、敷居が高かった。一度ここが発祥という「バイキング」を食べてみたいと思っていたのですが、思っていただけで、結婚式でもないと、なかなか入れないホテルと思っていたんです。
 娘が「今年がんばったごほうびディナーシリーズ」のひとつとしてディナーコースの予約を入れたので、おつきあい。バイキングはまたの機会に。

 娘は、日比谷トーホーシネマで「アナと雪の女王2」を見てから帝国ホテルへ。仕事帰りの私とロビーで待ち合わせの約束でしたが、極度の方向音痴の春庭ですから、日比谷線日比谷で降りてからあらぬ方へ歩いていってしまい(スマホの案内地図を見ながら!)、日比谷駅を出てからぐるぐると1時間も歩いてしまいました。皇居に近づいて、さすがにこっちじゃないと思って引き返しました。娘は千代田線の日比谷駅から出たら目の前が帝国ホテルだった、というのに。予約の7時にぎりぎり間に合いました。

 四ツ谷駅から溜池山王に行って千代田線に乗り換えようとしたのですが、念のために四ツ谷駅の駅員さんに尋ねたら、日比谷に行くなら丸ノ内線に乗ってから日比谷線に乗り換えて日比谷に行くのがいいと教えてもらったのが間違いでした。同じ日比谷駅でも、日比谷線の日比谷駅は帝国ホテルからは遠かった。これだからおのぼりさんはつらいよ。
 
 予約したのは、帝国ホテル別館の「ラ・ブラッスリー」の「伝統のフルコース」というディナー。
 まず、テーブルについているお客の年齢層が高かった。あまり若い人向けの店じゃないことがわかります。ドレスコードまではありませんでしたが、私も一番よさそうに見えるカーディガン(姉のおさがり)を着ていったのです。いつもよれよれの服でどこでも押し出ていくのですが。

 「伝統のディナーコース」メニュー。
ニース風サラダ 帝国ホテル伝統のダブルビーフコンソメ 海老と舌平目のグラタンエリザベス女王風 帝国ホテル生まれのシャリアピンステーキ デザート コーヒー

 ニース風サラダ。どこがニースなのかわからなかった。ツナのトッピングでもって地中海海鮮サラダといいたいのか。


 ダブルビーフコンソメ

 舌音痴の私でも、これは今まで食したビーフコンソメの中でも最高の味だとわかりました。お手軽ブイヨンなんかでなく、牛をていねいに煮出しアクをとり、手間暇かけて作られたとわかります。とても澄んでいて、濃いのにさっぱりしていました。

 海老と舌平目のグラタンエリザベス女王風

 エリザベス女王が帝国ホテルに宿泊した際、魚介好きと伝え聞いたシェフが考案したメニュー。その後、メニューにエリザベス女王風という名前をつける許可を得たのだとか。

 シャリアピンステーキ 
 
 ロシアの声楽家シャリアピン。肉好きなのに歯が悪い。シェフが柔らかい肉にするために考案したメニューです。娘は「生協でときどきシャリアピンステーキと書いてある肉を注文してきたけど、本物はこういう味だってわかったよ。みじん切り玉ねぎをただ炒めてのっけるだけじゃないんだ」と、感激していました。

 白と赤のワイン
 名前を覚えられないからと言って、瓶もいっしょに映していますが、飲んだのは、グラスワイン。

 デザートとコーヒー


 おいしい顔で娘と乾杯。アルコールだめな娘はりんごジュース。



 店の看板

 店の前で記念写真を撮ったりするのは、いかにもおのぼりさん客みたいだけど、次にいつ来るかわからないし、二度と来るチャンスないかもしれないし。


 フランク・ロイドの旧帝国ホテル記念碑。旧館は正面玄関部分だけ明治村に展示されています。


 娘が「ああ、おいしかった」と、大満足の帝国ホテル。
 帝国ホテル開業130周年をあらわすフィギュア


 クリスマス気分も始まりました。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「自由が丘ランチ&スィーツ」

2019-12-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191215
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記つづく(2)自由が丘ランチ&スィーツ

 2019年、娘は、たくさん「楽しいお出かけ」を計画しました。コンサートやディズニーランドバケーションパック宿泊など、さまざまな「楽しみごと」を企画し、「あれこれ日程を考えている間は、いやなことを思い煩わずに済む」という毎日。

 母としても、いっしょに食べ歩きをしたり、泊まりに行ったり、せいいっぱいのお付き合い。どうやったら娘が楽しい時間をすごせるか、と心砕いた日々でした。食べること大好きな娘が元気になるには、おいしいものの食べ歩きが一番。

 11月16日は、自由が丘でランチ&スイーツ巡り。
 ランチは、フレンチビストロ「ルモンドグルマンLe Monde Gourmand世界の美食家食いしん坊」へ。
 最初店を覗いたときは満席でした。スーパーをぶらついたり、電気屋さんを見たりして、ようやく1時半に入店。テーブル16席、カウンター7席というこじんまりした店。店がせまいので、ゆったり気分の食事にはならなかったけれど、おいしかったです。

 テーブル席にかけ、ランチを注文。娘はフォアグラ入りロールキャベツ。私は、前の晩にコンビニおでんのロールキャベツを食べたところだったので、ビーフ赤ワイン煮込み。
 里芋のスープとメイン皿、飲み物をつけると2080円。娘はアイスオレンジティ。

 里芋スープ


 ロールキャベツ

 牛赤ワイン煮込みとかぼちゃピュレ。


 すぐ近くのスイーツフォレストへ。ここが出来て15周年だそう。娘は「できてすぐくらいに、物見遊山で来たことがあったけれど、それ以来一度も来ていなかった」と。私もそのとき娘息子と入って以来、前を通ったことはあっても、入ったことはありませんでした。
 できて間もないころは、各店舗とも混みこみで、お菓子一つ買うために並んで待つようでしたが、もう、それほど流行っていないらしく、土曜日午後というのに、客足はまばらでした。しずかにお菓子を味わうにはいいのかも。

 久しぶりに入店して、中のいくつかのお菓子屋をめぐると、「あれも食べたい、こっちもおいしそう」となりました。

 入り口のレイアウトは、いかにも甘いものかわいいもの好きな女子をターゲットにしている雰囲気。


 ラ・クールという店で、ふだんは買わないいくつかの種類をテイクアウト。店内で食べると10%、お持ち帰りだと8%ですから、ちょっと節約したつもりでお持ち帰りにしました。店内で食べるには、飲み物も注文しなくちゃだからね。
 ケーキはひとつ660円×2。焼き菓子ふたつで620円。フランス語なんだろうと思うけど、舌を噛みそうな名前で「ぜったいに覚えてないね」と、娘とうなずきあった通り、ケーキの名前忘れました。

 おうちカフェだと、コーヒーでも紅茶でも飲み放題。パクつくのを優先して、ケーキの写真とるのを忘れました。

 <つづく>
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ぽかぽか春庭「つづく-ミナペルホネン展」

2019-12-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
201912/15
ぽかぽか春庭日常茶飯事典<2019十九文屋日記つづく(1)「つづく-ミナペルホネン」展

 11月20日、仕事を終えてから現代美術館に行きました。高齢者無料の日利用です。
 長く改修工事休館が続いた現代美術館、今年新装開店したのですが、もともと現代美術に縁薄いこともあって、見に来るチャンスがありませんでした。第3水曜日、都立美術館の中でも、東京都美術館や庭園美術館、写真美術館は出かけることが多いのですが、現代美術館は、どの駅からも遠く、バス利用か徒歩でかなり歩くか。

 11月16日に始まった「つづく-ミナペルホネン」展。ようやく見たい展覧会の開催です。私は、ミナペルホネンというのは、ことばの響きから、北欧のテキスタイル会社だと思い込んでいました。皆川明という日本のアーティストが立ち上げたデザイン会社で、皆川は、テキスタイルデザインからファッションデザイン、家具や食器のデザインまで、ひっくるめた総合的なデザイン会社を運営し、かつ絵本作家でもあるし著書も多い、というマルチな才能の持ち主。何をやっても一流って人、ちょっと突っつきたくなる劣等感の塊であるワタクシとしては、「見ないで悪口は言えない」と思って出かけていきました。

 新聞の挿絵などで作品は見てきたけれど、まとめてミナペルホネンを見たことはなかったので、いい機会でした。

 写真を撮ってもいい展示の部屋とそうでないところがあり、やたらにカメラを向けたら叱られた。部屋の入口にカメラ禁止マークが貼ってあるのですが、圧倒的な展示にくちをあんぐりしているから、小さなマークは見落とす。

 入り口の部屋。これまでミナペルホネンが発表した布地を使ったクッションが壁一面に貼ってあります。



 洋服がずらりの部屋。織り上げた独特の布地を生かした服たち。皆川は「これから100年は来てほしい服を作った」と述べています。どれもすてきな服だけど、たぶん、お値段が、、、、。



 「つづく」という展覧会タイトルは、ミナペルホネンが1995年のブランド立ち上げから25年続いてきた時間、そしてこれから100年の時間や人とのつながりを含めて「つづく」なのだそうです。

 映像コーナーでは、ミナぺルホネンの服を普段使いとして着こなしている人々の生活風景が映し出されていました。ブドウを作る農家の女性、小さなレストランで料理を作っている北欧のご夫婦、みな自然に自分自身を輝かせている人にぴったりの服に思えました。
 姉と妹、姑からのおさがり服と娘が「もういらない」と捨てた服を拾い上げて着ている春庭。「夏は裸でなければよい、冬は寒く無ければよい」という以外に服に対して思い入れがない私でも、素敵な服を着こなす豊かさについてはわかります。

 着物は志村ふくみが染めた一着がほしい、洋服は普段着にミナペルホネンが一着、お出かけ着に仕立て職の伊賀玲子さんの服が一着ほしいなあ。伊賀玲子さんが「現代の名工」に選ばれた記念の作品展がつくば美術館で開催されているから、こちらも見ておきたいと思ったのですが、つくば市は遠いので、もたもたしているうちに12月1日で終わってしまいました。残念。
 私にとって、洋服は現代美術のひとつとしてみるだけ。自分で来てみたいとはさらさら思わないのですが、そのうちこのぼっちゃり体形に合う服がみつかるかも。

 菊川駅からバスで往復しました。時間は短かったけれど、現代美術館の展示をぐるりと一通り見て、「う~ん、現代美術わからん」という展示もあったけれど、久しぶりの現代美術のひとめぐりで、楽しくすごすことができました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「餃子パーティ」

2019-12-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200214
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌( )餃子パーティ

 春庭の日本語教師日誌再録を続けています。
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2008/01/06
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(4)思い出のアルバム
 
 中国の男性は、もともと料理が得意な人が多いですが「日本に来て、ひとり暮らしですから、料理がじょうずになりました」と、皆言っています。
 生活費をおさえるために、皆、朝晩料理を作り、大学へもお弁当を持っていって、研究室の電子レンジでチンして食べているのだって。

 ほとんどの学生が結婚していて、「博士課程に進学して落ち着いたら、妻子を日本に呼び寄せたい」と、希望しているので、そのために出費は極力おさえて、家族を呼びよせる準備に貯金しているのです。

 みな、おなか空いてきたので、ぜんぶが仕上がらないうち「味見」と言いながら、ひとくちずつ頬張っています。
 私も、「海老とニラと卵の餃子」「豚肉と白菜と葱の餃子」「牛肉と椎茸と葱の餃子」など、ゆであがるたびにつまみながら、肉餡を皮につつむお手伝いをしました。

 私が包むと、肉餡をいれすぎてはみ出てしまい、失敗多数。失敗したものはふたつあわせてUFO型に作りなおせばOK。いつでも「失敗は次のステップのためにある!」と、クラスで言っていたことの料理実践編です。

 料理がひととおりできあがり、みなが席につきました。
 リンさんの挨拶から「餃子食べ放題」パーティ本番です。

 クラス代表だったリンさんは、英語のほうが日本語より流暢なので、いつも会話は英語と日本語のチャンポンで「クラス代表」として働いてくれました。専門は「国際関係」です。
 ふるさとに奥さんと生まれたばかりのお子さんを残してきています。

 乾杯音頭をとろうとして、リンさんが口を開こうとすると、すかさず、悪友たちは「レディス、アンド、ジェントルメン」と、冗談を言ってからかいました。英語で話し始めようとして、口ごもってから日本語を話すリンさんのくせを、皆は笑いながらもクラス代表として信頼してきました。

 料理を作っている間は、中国語のおしゃべりが飛び交っていましたが、食べながらひとりずつの挨拶は、日本語で上手にできました。
 うん、みんな日本語じょうずですよ。いろいろ間違いはあっても、ヘーキヘーキだいじょうぶ。

 修了式で私に渡したかったという「クラス卒業記念アルバム」の贈呈式がありました。
 「日本の南画、中国との影響関係」というテーマで美術史研究するシンさんが代表になって、上手に編集されているアルバムを渡してくれました。
 アルバムをひらくと、なかには、なつかしい顔がいっぱい。
 
 餃子忘年会に出席できなかった人たちの顔を思い浮かべました。学生同士はメール連絡取り合っているので、みなが元気良く留学生活をおくっているようすを確認できました。

 食べながらのひとりひとりの日本語挨拶。
 東大でメディア研究をする予定の上海出身のカツさんは、
「理系の人は、特に問題はなく博士課程に進学でき、研究生からほぼ自動的に博士課程の院生になれます。でも、文系の学生は、厳しく論文や日本語力を審査されるのでたいへんです。去年、東大情報学環博士課程に入学希望した中国人受験生13人のうち、進学できたのは一人だけだったそうです」
と、心配そう。

 だいじょうぶ、カツさんは、高校時代にも日本に留学したことがあり、とてもこなれた日本語を話せますし、研究もしっかりしているので、きっと博士課程の院生になれるでしょう。

 日本留学経験のあるカツさんや大学で日本語を学んでいたフーさんは、初級前半の授業は免除されていて、半年だけの2班クラスメートだったのですが、クラスによくとけ込んでいました。

2008/01/07
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(5)「いかがお過ごしますか」メール

 名古屋から来た青春18切符のチョウさんは、中国でも女性にモテモテでしたが、名古屋でも
「女の留学生が、毎日かわるがわる私の部屋に来て料理を作ります。毎日違う女性なので、どの人が奥さんですか、と、友達が質問します。だれも私の妻ではありません。私の妻は、今、韓国に留学しています」
と、笑わせていました。

 留学直前に「駆け込み結婚」した、チョウさんとカツさん、短い新婚生活のあと、すぐ留学してしまって、さぞかし奥さんが恋しいことでしょう。

 チョウさんは、名古屋と岐阜の学生連名のサインがある「年末年始ごあいさつカード」を渡してくれました。

 学生たちにとって、2007年はほんとうに「忙しかったけれど充実した1年」だったと思います。
 2008年は、いよいよ博士課程進学。みな、充実した研究生活がおくれるよう、祈っています。

 クラス会に来ることができなかった遠方の学生からはメールが届きました。
 仙台に留学し、ナノテクノロジーを研究する予定のリエンさんからの年末ご挨拶メールをご紹介しましょう。

 原文のままですので、日本語表現間違えているところもありますが、今は日本語の復習より、押し迫った「博士課程入試」のことで頭がいっぱいなのでしょうから、私としては添削するより、ただただ「入試がんばって」と、応援するばかりです。

(リエンさんのメール)
 先生、お久しぶりですね。いかがお過ごしますか。
先生とクラスメート一緒に日本語を勉強しているうちに、美しい思い出になってきて、ほんとうにありがとうございます。遠いから、クラスのパーティーが参加できなくて、すごくおしいです。

 仙台に着いてからもう三ヶ月間ですね。生活もだんだん慣れました。来年(2008)の二月末入学試験がありますから、今は数学と力学を勉強しています。休みがあるのに、遊ぶことはまだダメだと思います。

 お正月までいくつの日か、前にお祝いを送りたいです。
Happy New Year and Best Wishes.
リエン

 リエンさん、メールありがとう。
 ものすごい努力家で、日本語の勉強も熱心だったリエンさん、「いかがお過ごしますか」は、私の「日本語ゆかいな誤用リスト」に登録です!

 大学院入試、理系の人たちは、ほとんどがストレートで博士課程進学にできるから心配ないそうですが、がんばりやのリエンさん、きっと睡眠時間を減らして勉強しているだろうと想像しています。体に気をつけてね。未来はあなたの前に輝いています


<つづく>
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ぽかぽか春庭「おいしい餃子で留学生クラス会」

2019-12-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
20201212
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌( )おいしい餃子で留学生クラス会

 春庭の日本語教師日誌再録を続けています。
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2008/01/03
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(1)ハカセ2班クラス会

 年末年始、いろいろな集まりで飲んで食べて、みなさん、おいしい毎日をたのしんでいらっしゃるだことでしょう。まさか、酢豆腐食べておなかこわした人いないでしょうね。
 春庭、正月はいつもの寝正月ですが、今年は、年末の教え子クラス会に招かれたときにもらったクラスアルバムなどながめながら、のんびりすごしています。

 教え子たちのなつかしい顔をアルバムでたどりながら、昨年の中国滞在を思い出し、年末に行われた「赴日本国中国留学生」たちの同窓会を思い出しています。

 2007年、3月から8月まで中国で教えた教え子たちは、2007年10月に元気に日本へやってきました。
 昨年末12月15日に、日本での第一回目のクラス会が行われ、私もお招きにあずかりました。

 私が担当した「博士二班」の20名のうち、東京組は半数近くの9名。東大、東工大、一橋大、早大に在学中。
 北大、東北大、名大、岐阜大などの遠方の大学に在籍組で東京に集まれなかった人とは、またの機会にということで、今回は東京在住者中心の「クラス会」になりました。

 教え子たちは、2006年9月まで、中国の大学の教師として働いていました。
 中国全土の大学若手教師のなかから、優秀な百人が選ばれ、1年近く日本語を猛勉強しました。
 彼らは、2006年10月に日本語学習をスタートし、アイウエオから学びはじめました。

 彼らのコースは、日本の中学生高校生が6年間かけて学ぶ分量の英語(英検2級合格レベル)に相当する日本語を、わずか11ヶ月間で修得するという集中プログラムです。

 教え子たちは、11ヶ月の日本語学習を経て、2007年8月に修了証書をもらっています。
 この修了証書は、中国教育部(日本の文部科学省にあたる)が、公式に「日本への留学を認める」と、お墨付きを与えるものです。

 中国で国費留学するためには、「国費留学生試験」に合格する必要があります。この試験に合格するのは、昔の科挙試験に合格するよりむずかしい、と言われています。
 「現代の科挙」に合格せんとする彼らの猛勉強ぶりは、ものすごいものがありました。
 教えるほうもヘトヘトになるくらい。

 彼らが受けた修了証書は、この「国費留学試験に合格したと同等の資格を認める」というお墨付きなのです。
 彼らは、最終試験に合格して留学切符を手にしました。
 文部科学省の招聘国費留学生。学費は無料で、返済不要の奨学金も給与されます。

 この日本語教育機関は、日本の学校教育法に記載された中国で唯一の、「中日両国政府合弁」教育施設です。中国と文部科学省が合同で維持運営していく教育機関なのです。
 中国側の教師と日本の文部科学省から派遣された教師が、協力して日本語教育にあたっています。

<つづく>

2008/01/05
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(3)餃子パーティ
 
 中国の人たちは、みんなで集まってごはんを食べるのが大好きです。

 12月15日、11時前に、国際交流会館のキッチンに集合。餃子パーティの開始。
 スーパーへ食材の買い出しに行く者、近くの「ダイソー」に行って、紙コップ、麺棒、「おろし金」など調理器具を買いに行く者、手分けして、料理スタート。

 教え子たちが住む国際交流会館は、国費留学生のための寮で、世田谷区にあります。
 世界各国から集まった留学生が、ここからそれぞれの大学に通学しています。

 最初の1、2年間は、この「国費留学生用の寮」に、そのあと民間アパートに、という住生活プランの学生が多い。
 地方の大学ではずっと大学留学生寮に住めるのですが、東京は留学生数も多く、留学生寮に入居できる期間が制限されているので、いろいろたいへんです。

 私が教えたクラスの学生、東大理系2人文系1人一橋大1人が、この寮に住んでいます。ほかの東京組、、早大2人と東大文系ひとりは、駒場東大前の留学生会館に入居しました。
 昨年7月に出産し、赤ちゃんをおばあちゃんに託して留学してきた「国際金融」研究のママさん学生も元気な顔を見せています。彼女は大学キャンパス内の留学生寮に入居できました。

 そのほか、横浜からふたり、京都からひとり、名古屋からひとり、遠路はるばる駆けつけてきました。
 名古屋から来たチョウさんが言いました。
 「先生は私に、日本では、ぜひ青春18切符をつかって旅行しなさいと教えてもらいました。だから、私は、昨日の夜、青春18切符で電車に乗りました。今朝、東京駅に着きました」

 うん、私が雑談で言ったことをしっかり覚えていて、青春18切符を使いこなしているんだね。私が教えたことが役にたってうれしいよ。

 でも、私が授業中あれほど口をすっぱくして教えたつもりの「やりもらい」の使い方、「先生は私に教えてもらいました」じゃなくて、「先生は私に教えてくださいました」って教えたのに、、、
 ん、まあいいよ、いいよ、間違えても、気持ちが伝わりました。みんなと会えてうれしい気持ち。 

 にぎやかに会話しながら、餃子や中国料理ができあがっていきます。それぞれの大学事情や寮のようす、この2ヶ月半の日本での体験、みな、話がいっぱいあります。

 中国では餃子の皮を手作りするのは、日本で自宅の炊飯器で米を炊くのと同じ感覚。餃子の皮を買うのは、「パック入りレトルトごはん」を買うのと同じで、手抜き料理の感じになる。
 男性も器用に餃子の粉をこね、皮を丸く仕上げることができます。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「八田ダム・漱石の漢詩」

2019-12-08 01:00:01 | エッセイ、コラム
20191208
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(40)留学生の日本文化史発表・八田ダム

 春庭コラムから日本語教師日誌を再録しています。
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2007/03/14 水
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本事情(16)八田ダム、禹長春の白菜

 台湾の学生が「八田與一」について、発表したとき、私は八田についてほとんど知りませんでした。
 「台湾の嘉南平野にダムを築き、今なお地元の人々に敬愛されている日本人」として、司馬遼太郎の『台湾紀行』などにもとりあげられている人物とわかり、八田について調べる機会となりました。
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/nipponjijou0608ac.htm
 いまでも地元の人によって顕彰され続けていると知って、とてもうれしく思います。

 2006年も、さまざまな事項や人物についての発表がありました。
 モンゴルの学生には「モンゴル相撲について、発表してほしい」と、リクエストをだしてみました。しかし、彼は、「今年は1206年にチンギスハーンがモンゴル帝国を樹立してから建国800年にあたるので、ぜひともチンギスハーンとフビライの元寇について発表したい」というので、トピックは「元寇」になりました。

 元寇について、私にとっては新たな発見はありませんでしたが、留学生たちは、チンギスハンやフビライについてあまり知らない人もいたので、質問がたくさん出て、発表者と教師が回答していきました。

 2006年も、私がまったく知らなかった人物について知ることができました。
 韓国の育種学者「禹長春ウーチャンチュン」の名を、韓国留学生の発表で知りました。
 禹長春について、今まで何も知りませんでした。

 禹長春は、日本人を母とする在日韓国人として50歳までの半生を日本で過ごしました。日本名は須永長春(すなが ながはる)
 東京大学から博士号を受け、日本で研究者として地位を築きました。日本人女性と結婚、子も生まれ、そのまま日本にいても、すぐれた業績を残す生涯を過ごせたことでしょう。

 しかし、かれは50歳をすぎ、残りの人生を韓国の植物学研究に捧げました。
 ジャガイモや種なしスイカなど、たくさんの植物についての研究が実りました。
 白菜の品種改良に取り組み、「韓国キムチの父」として、韓国の人々の中にウー博士を知らない人はいないそうです。

 「韓国の第二回目の文化褒章(日本の文化勲章ににあたる)を得た」という発表をきいて、韓国からの留学生たちは、「ウー博士が韓国文化褒章を得た偉い学者だということはとても有名で、子供でも知っていることだが、お母さんが日本人だったことは、はじめて知った」と、驚いていました。
 ウー博士の子供たちは日本で育ちました。四女の須永朝子は京セラ創業者の稲盛和夫の夫人。

 タイからの学生は、ほとんどが「アユタヤ日本人町と山田長政」についての発表になります。近代以後では関わりを深めた日本とタイですが、江戸時代以前では、山田長政以外のトピックで、資料を見つけることがむずかしいので。

 今年もタイの学生は山田長政ついて発表したのですが、他の留学生たち、近代以前に日本とタイに関わりがあったことをはじめて知ったという学生が多く、さまざまに興味を呼び起こしました。

 発表を重ねてきて、学生同士、お互いに新しい知識を与えあい、これまで知らなかった事実を知って、目が見開かれていきます。

<つづく>
2007/03/15 木 
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本事情(17)漱石の漢詩、満鉄あじあ号

 人物紹介以外では、さまざまな事物の交流がトピックになりました。
 「饅頭の伝来」「琴」「鏡」「囲碁・将棋」「お茶」「砂糖」「漢方薬」「算盤」などの文物の往来について、それぞれとても興味深い発表になりました。

 中国の琴と和琴(わごん)の違いとか、将棋の日中のルールの違い、鏡や算盤の歴史など、私のトリビア袋がどんどんふくらむ発表が相次ぎました。

 「日本のお札の顔」や「日本の文学者紹介」で人気の夏目漱石、今年は文化発表でとりあげる人がいなかったなあと思っていたら、交流史のほうで、「漱石と漢詩」についての発表がありました。夏目漱石の教養の基盤となっていたのが、漢詩漢文学であることについて。

 どのような漢詩漢文を学び、それが彼の俳句や小説、英文学研究にどのように反映されているかを考察した発表です。
 私は、漱石と漢文学については、加藤二郎著『漱石と漢詩』なども読んでいませんでしたから、学生の熱心な発表に感銘を受けました。

 日本近代文学の成立に漢詩漢文がどのくらい深い影響を残しているのか、まったく知らない留学生もいるので、森鴎外、幸田露伴など明治の文学者の基礎的な素養として漢詩漢文学があったことを補足説明しました。

 漱石は漢文の素養が深く、中国大陸の旅行を望んでいました。
 1909(明治42)年、漱石は、大学予備門時代の友人だった中村是公の誘いで、中国東北部を旅行しました。中村は当時、南満州鉄道株式会社(満鉄)総裁でした。
 漱石は『満州旅行日記』( 明治42年9月1日~10月17日 )を残しています。

 2006年の印象深かった発表のひとつに、「南満州鉄道」を取り上げた学生がいたことがあげられます。
 私は、13年前1994年に中国東北地方で半年間をすごしました。
 鉄道での旅が好きなので、ハルピン長春北京の間を空路でなく、鉄道で旅行したことがあります。
 満鉄の路線だった長春(旧新京)瀋陽(旧奉天)・大連も鉄路で旅行してみました。
 空路のほうが快適ですよと勧められたけれど、満鉄時代からの路線に乗ってみたかったのです。

 13年前は、旧満州時代の歴史的事実について、否定的な意見を多く聞きました。
 南満州鉄道に関し、その鉄道技術などを評価しても、国策会社の侵略的な面に対してマイナス評価を下す意見が大半でした。

 しかし、今年はじめて、満鉄に対して「日本が中国に残したインフラストラクチュアのひとつ」として高く評価するという意見を、若い世代から聞きました。
 満鉄が人民中国の発達に寄与した面もあることを肯定的に評価する発表をきいて、「偽満州帝国」への歴史的評価に、否定面だけで評価するのではない動きが出てきたのかなと思いました。

 昨年満鉄創業百年を期して、日本側からも満鉄研究の新しい動きが出てきたことも影響しているのかもしれません。
 加藤聖文『満鉄全史 「国策会社」の全貌』、別冊環12号『満鉄とは何だったのか』など、満鉄の歴史を探究している本が出されています。

 客観的に歴史事実を研究していき、真実を明らかにしていこうとする相互の努力がこれからの歴史研究にも求められるでしょう。

 日中韓3国共通歴史教材委員会が編集した『未来をひらく歴史―日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史』に、大いに期待しています。
 まだまだ解決できない問題点は多いでしょうが、こうして共同編集作業を続ける中で、お互いの歴史を見る目がとぎすまされ、真実を記録していくことができるのだと思います。

<つづく>


2007/03/16 金 
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本事情(18)次の時代へ

 1ヶ月前、娘、息子といっしょに上戸彩主演のテレビドラマ『李香蘭』を見ました。
 2003年に放映された『流転の王妃』を見て、天海祐希が演じた李香蘭に興味をもっていた娘が、見たい、と言ってチャンネルを合わせたのです。

 上戸彩の演技力歌唱力で、どこまで見ていられるかしら、と心配しながらでしたが、主演も助演もがんばってよいドラマになっていたと思います。
 もともとが波瀾万丈の自伝ですから、最後まで面白く見ることができました。

 私は、数年前に、藤原作弥と山口淑子共著の『李香蘭・私の半生』を読みました。
 今回のドラマの原作は山口淑子自伝の『「李香蘭」を生きて 私の履歴書』なので、「自己美化」の部分があるかなと思いましたが、満州国策の道具として中国人を演じなければならない女優であったこと、日中のはざまでゆれ、あわや死刑の可能性もあった李香蘭をきちんと描いていたと思います。

 李香蘭の父親は、南満州鉄道(満鉄)の中国語教師として、社員教育にあたっていました。満鉄社員は中国語習得が義務だったので。

 父親は「自分がこうして日本人に中国語を教え、中国人の友人と親しく交際することは、日中友好のためにも役立つこと」という信念をもって中国語教育を行っていたのでしょうが、敗戦となったあとは、日本人が自分たちの思いこみで「五族共和」「亜細亜はひとつ」と言っていたことが、結局は中国人の幸福のために寄与するものではなかったことを思い知りました。

 一方的にではなく、お互いの気持ちを通わせ合って、世界中のひとと交流したい。
 2007年、私はよりいっそう中国東北部、旧満州地域と関わり深くすごすことになると思います。
 もっともっと深く、いろいろなことに触れたいです。

 留学生たち、自国と日本との交流史を発表したあと、みな、「自分たちの国が歴史的に深い絆で結ばれてきたことがよくわかった。わたしもこれからの両国の交流に役立つ人になりたい」と、意欲を燃やします。
 留学生たちの真剣な学びを見ていて、「アジアのより柔軟で深い友好関係」が確固となる日も必ずやってくると思えます。

 今はまだ、道は遠いのが現状です。中国に反日運動が広がったことがあったのは記憶に新しいし、つい先日も、首相が「強制連行の証拠はない」と歴史を自己中心的にとらえる見方のみで発言し、たちまち韓国はじめ欧米からも反発を招く、という情勢。

 今はまだ、アジアのより深い友好的関係も「夢物語」と思われています。
 でも、ヨーロッパ共同体EUも、リヒャルト・英次郎・クーデンホーフが「ヨーロッパをひとつにまとめたい」と、言い出したときは、「夢のまた夢」と思われていたのです。

 いつの日にか、平等な関係と対等な交流によって友好が構築でき、人々が生き生きと交歓する日が実現すると、私は信じています。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「留学生の交流史発表・コーラン朗誦」

2019-12-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191210
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(40)留学生の日本文化史発表

 春庭コラムから日本語教師日誌を再録しています。
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2007/03/12 月
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本事情(14)自国と日本の交流史

 人物についての発表、留学生に人気の日本の人物は、さまざまです。
 2006年に「日本の作家」をテーマにした班。森鴎外、大江健三郎など、これまでよくとりあげられた作家だけではなく、「自分がこれまで翻訳で読んできた作家を日本語で読んでみる機会だから」と村上春樹、伊集院静をとりあげるなど意欲的でした。

 伊集院静を選んだ韓国の学生は、「今は帰化して日本国籍になったけれど、元は民族名・趙忠來(チョ・チュンレ)をもっていた韓国系日本人作家として親しみがあり、自分たちにとっては、韓国人の魂を持っている作家だから」と、好きな理由を述べていました。

 日本では毀誉褒貶さまざまある田中角栄も、「日中友好の基礎を固めた人物」として、中国からの留学生には人気のある人物なので、「へぇ、そうなんだ」と、思ったりしました。
 「日本の文化紹介」の発表レジュメを作って日本語で発表したあとは、質疑応答。学生に答えられる質問もあるけれど、留学生には即答がむずかしい場合は、教師が助け船をだします。

 資料を集めて、それをわかりやすい日本語にしてまとめるのはとても時間もかかり、「発表準備のために徹夜した」という学生もいるのですが、発表がすむと、ほとんどが、「たいへんだったけれど、いい経験になった。資料の集め方も発表のしかたも、自分から関わっていくことで、積極的に学ぶことができた」という学生が多かったです。

 前期の「日本の文化」発表は、いわば「発表の練習」にあたります。

 夏休みには「日本の各地の博物館を見学し、見学した文物をひとつとりあげて、作品の背景をレポートにして提出」という宿題を出しています。
 「博物館なんて興味ないと思って、日本に留学してから一度も見たことがなかったけれど、宿題のためにしかたなく見学した。見ているうちにとても興味がわいてきた。朝から閉館まで見たけれど、まだ、全部は回りきれなかった」という感想が毎年寄せられました。

 後期には、「日本事情」の要にしている「自国と日本の交流史」の発表を行います。
 留学生の出身国と日本が、どのような交流を重ねてきたか、古代から現代まで、自分が興味をもてたことがら、人物について調べ、発表します。

 人物紹介では。
 中国からの留学生に人気定番の「日本との交流史」上の人物が何人かいます。
 近代日本に留学したことのある魯迅、孫文、周恩来などが人気の御三家。

 2006年は、遣隋使遣唐使の周辺が人気で、「阿倍仲麻呂と李白・王維の親交」についてと、「留学僧空海の長安での活動」についての発表もありました。
 私が「交流史のモデル発表」として例を示したのが、「鑑真と井真成」だったので、遣唐使周辺に興味がわいたのかも知れません。

<つづく>

2007/03/13 火
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本事情(15)クエートコーラン朗唱インドの衣装

 韓国の学生は、古代史から「高句麗と日本の関係」「桓武天皇の生母である高野新笠(たかののにいがさ)のルーツは百済」などのテーマをとりあげました。

 昨年度2005年に高野新笠について発表した学生は、この時代の皇室の婚姻関係の詳細な系図を調べてきました。
 聖徳太子はじめ、天皇家が深く婚姻関係を結んだ蘇我氏が、朝鮮半島からの渡来系の一族であるという学説の紹介など、古代天皇家が朝鮮半島と深い交流をもっていることを検証していました。

 2001年11月、今上天皇は「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」と発言され、韓国でも大きく報道されたため、古代日本についてのテーマが、韓国の学生にとっても身近になったのだろうと思います。

 現代の交流として、「朝鮮の美」を尊重した柳宗悦を紹介した学生がいました。
 柳は学習院から東大に進んだ美術史家・思想家ですが、韓国では「やなぎむねよし」という日本人として以上に「ユ・ジョンヨル」という韓国語式の読み方で親しまれ、尊敬されているのだそうです。

 「柳宗悦は、日本の民芸美術紹介に貢献しただけでなく朝鮮美術の紹介者として慕われており、朝鮮の独立運動の理解者でした。韓国国民が尊敬する人物です」という発表しました。
 学生の発表に触発されて、私も何度か日本民芸館へ見学に行き、柳宗悦についてくわしくなりました。

 最期の大韓帝国皇太子李垠の妃となった李方子(イ・バンジャ=梨本宮方子)を紹介した学生もいたし、安重根や従軍慰安婦問題をとりあげた学生もいました。

 数年前、クェートの学生が「歴史上の交流はおもいつかない」といいました。現代社会での石油の輸出輸入を発表してもよかったのですが、「現在のクエートの衣服と音楽とコーランの紹介」をしてもらうことにしました。

 アジアの学生たち、クエートといっても、石油のほかに思い浮かぶことがなく、アラビア語でコーランの一節を朗唱したテープを聴くのもはじめてで、とても興味をもってくれました。
 発表した学生は日本語がいちばん弱い学生でしたが、発表が好評だったので、自国の文化に誇りをもち、上の学年に進級していきました。

 交換留学生として半年だけクラスに在籍したインドの学生に、インディラ・ガンジーの紹介はどうですか、と水をむけてみました。ネール首相、その娘のインディラ首相も日本に「象」をプレゼントしてくれ、日本人にはなじみのあるインド人です。でも、彼は政治家は好きじゃないという。新宿中村屋の娘、相馬俊子と結婚したラス・ビハーリー・ボースも、私にとって興味深い人物でしたが、彼はボースにも、興味がわかないらしい。

 彼は、「クエートの衣服」発表の大成功を見て、自分もインドの衣服を紹介するのだ、と、はりきりました。
 インドの衣服は、時代によっても地域によっても階級(カースト)によっても違います。

 発表のために調べているうち、留学生は「自分の出身階級に誇りをもってきたけれど、日本で発表の準備をしているうちに、低い階級に差別感を持っていた自分に気づいた」と、感じるようになりました。

 自国の文化を、他国に身をおいて客観的にながめるうち、「身分制度」にとらわれてきた自分の姿に気づいたのです。カースト制度は法的には廃止されているけれど、実際の生活では大きな影響力をもっています。就職にも結婚にもカーストの制約があります。
 留学生活は、そのような制度を外から見直す目を与えたのです。

 ちなみに、IT産業がインドで盛んになってきたのは、近年発達した現代産業にはカースト制度の制約がないからだそうです。
生まれ出自に関係なく、自分の持つ能力を発揮できる分野、新しい産業へ有能な人々が集まることで、インドの新しい社会が活性化してきている、そんなインド国内事情も、私は留学生から学びました。


<つづく>
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